【レビュー】Tyler, The Creator 『Call Me If You Get Lost』|成功者としての顔と隠せない本心

ミックステープの王DJ Drama

なんだ、このやかましい声は……。1曲目のイントロもしくは1曲目限定で、景気づけのためかと思いきや、Tyler, The Creatorによる最新作『Call Me If You Get Lost』を一聴し終えてみれば、結局1曲(とインタールード)以外の全収録曲に被ってくる、DJ Dramaによる終始アゲアゲなハイパーな煽りをウザく感じた向きも多いだろう。もっとも、それは少しもおかしなことではない。2004、5年からの10年ほどの間に、彼のミックステープを聴いていた多くのヒップホップリスナーのあいだでも、同じように言われ続けていたのだ。

面白いことに、いつしか彼の名を冠したミックステープのなか(特に話題作)には、まず普通に彼の声が被ったオリジナル版を出してから、その声をすべて取り除いた「No DJ」版がリリースされるパターンさえ出てきたのだ。 DJ Dramaは、自身のミックステープシリーズを「ギャングスタ・グリルズ」(Drama自身は「ギャングスタ・グリズル」とシャウトする)と名づけ(現在までに少なくとも250作品以上を)リリースしながら、DJタグなど自らのミックステープであることを示すマーキングにあたるしゃべりを平気で消してしまうのは、どこかヘンだ。これは商標的役割を持つ自分の声を消してもなおそれらが、DJ Drama=ギャングスタ・グリルズというブランドから独占的に発表された楽曲であることが、話題作であれば、テープのリスナー側には短期間で周知されていたからだ。それくらい彼が頻繁にテープを出し、しかもよく聴かれていた時代があったのだ。彼が作った(代表作にしてミックステープ史上の名作でもあるLil WayneやRe-Up Gang (Clipseとその仲間たち)のテープを通じて、ラッパーとしての自分が形成されたと、Tylerは言っている。

Dramaはミックステープ市場に参入するにあたり、サウスの新進アーティストに特化し、50 Centがアルバムのように1アーティストの楽曲のみで構成されたフォーマットのテープをシリーズ化、それらが、T.I.やYoung Jeezy等のブレイクのきっかけとなったり、すでに人気のあったLil Wayneの新たなブレイクスルーや新規リスナーの獲得に直結したりしていった。その結果、DJ Drama=ギャングスタ・グリルズは、どんなに彼の声がウザくとも、リスナーにとっては信頼のブランドとなり、アーティスト側としても、彼の名前があることで(別に彼が曲を作ったり、アーティストの上に立ってディレクションしているわけでもないのに)、自分たちの数か月後のブレイクや大きな成功を、リスナーに強力にイメージさせることが可能になる(と考えられていた)。DJ Drama自身が、ミックステープ史上最も大きな成功を収めたDJとなったのだ。そうした構造全体を把握し、取り込んだ上で作られたのが、Childish Gambinoによる2014年のミックステープ『STN_MTN』だった。最初に、これは自分が見た夢だと一言断って始まるこのテープ(の内容)そのものが「全国的な成功を収めた自分(ラッパー)が地元に凱旋し、アトランタを活動拠点とするDJ Dramaと作ったミックステープ」となっている。binoがみた自分が成功する夢のなかにも、成功の証あるいは象徴としてしっかりとDJ Dramaが出てきてしまうのだ。

Tylerと複数のオルターエゴ

「準備はいいか?」『Call Me If You Get Lost』の1曲目"SIR BAUDELAIRE"で、DJ Dramaは、Tylerに確認し、「ほんとに準備できてる?」と念を押す。その間に、Tyler自身は、「ウルフ・ヘイリー、バニーホップだ」、と紹介する。後者は、前者に比べ、これまで登場機会が少ない(本作中でも、あとのほうの収録曲で説明される)が、Tylerが長年私淑するPharrell Williamsがつけてくれた彼の別名だ。

一方、前者は、Tylerのミュージックヴィデオ(以下MV)や映像作品の監督クレジットで見ることが多い別名であると同時に、Tyler自身の抱いている密かな願望や理想を実現してくれるオルターエゴの名でもある。2011年のアルバム『Goblin』のラスト収録曲"Golden"において、Tylerに、ああしろ、こうしろと指図し、そうさせているのは、このウルフ・ヘイリーに加え、エース、トロン・キャットという複数のオルターエゴの存在もわかってくる。つまり、"Yonkers"のMVで、ゴキブリを食べたり、自ら首を縊ったりしていたのは、Tylerであると同時にTylerではないかもしれないし、その逆であるかもしれない。さらに、ここで、2009年のデビュー・アルバム『Bastard』において、抑鬱状態のTylerと対話を重ねる心理療法士だとばかり思われていたドクターTCが、実は、Tyler自身の意識そのものであること、とリスナーに悟らせた。

そのドクターTCから、ウルフが、サム(=サミュエル)なる新キャラを紹介される場面から始まる2013年リリースの『Wolf』では、元いじめられっこの売人サムが暗躍するアルバムとなっている。10曲目の"PartyIsntOver/Campfire/Bimmer"では、サムが"出張中"に自分のガールフレンド、セイレムがウルフと浮気しているとの噂を聞きつけ、ウルフへの警告として"Rusty"で、彼の仲間Earl Sweatshirtを射殺する。ところが、Odd Futureとして既に2012年に出していた"Sam(Is Dead)"を聞き直すと、このサムもまた、Tylerのオルターエゴであり、彼自身によって殺される内容となっている。恐らくここまでのTylerの作品を時系列で並べると、『Bastard』、『Wolf』、"Sam(Is Dead)"、『Goblin』の順になるのだろう。

こうした特異なオルターエゴの設定は、作品世界の謎解きと直結し、一部のリスナーを強く惹き付けるものである。ところが、『Wolf』の次のアルバム『Cherry Bomb』を機に抑鬱からの脱却が宣言される。同時にそれは、それまでのTylerの作品世界を構成してきたオルターエゴとの訣別であり、時にそれらが強力に牽引していたナラティヴから音楽へのシフトチェンジとして表現されてゆくことになる。その点については、後述するが、オルターエゴを完全に抹消したわけではないのは、前作のタイトルにまでなったイゴーの登場や、今回、DJ Dramaが初っぱなから、ウルフ・ヘイリーやバニーホップをちらつかせていることからも明らかだ。

成功者としてのTyler

話を『Call Me If You Get Lost』の1曲目に戻すと、DJ Dramaの前口上を受け、Tylerのヴァースが始まるや否や、ロールス・ロイスが出てきたり、水浴にはジュネーヴの湖がサイコーなどと、ストレートに成功者として登場する。殊更自慢してはいなかったけれど、過去にもTylerが成功者の証として高級品を所有している姿は『Flower Boy』でも見られた。そして、Dramaは、このイントロダクションを「世界中を旅して、出入国スタンプもびっしり、サー・ボードレールだ!」と紹介して曲を締める。アルバムのアートワークも旅行許可証かなにかだし、2017年の『Flower Boy』でも、彼は自動車旅行をしていた。「旅」は、Tylerの作品だけでなく、「旅への誘い」 や「旅」といった詩作で知られる18世紀のフランスの詩人シャルル・ボードレールの作品の大きな特徴となっている。

タイラー・ボードレール、続く2曲目"Corso"で、DramaはTylerをそう紹介し直す。ここでの主役のTylerは、パーティで知り合った女性に、 ロールス・ロイスが好き!と言われ、え、どっちの?二台所有してるけど、別宅の別宅の別宅の別宅で会わない、と答えてしまうような、もはや手に入れられないものは何もないレベルの成功者なのだ。

『Call Me If You Get Lost』では、この最初の2曲を源に大きく2つの流れが走っている。

ひとつは、「すべてを手に入れた者」としてのTyler。この流れの先には、「稼いだカネを使いまくれ」と煽る景気のいい"Run It Up”や、上昇(志向)を促す"Rise"などのベタな曲も待っている。もちろん、大方の予想通り、そういった勢いやノリに留まるわけがなく、そこからさらに今まで見せたことのない表情も見せてゆく。"Massa"では、成功した今だから初めて言えること、例えば、『Yonkers』を出した頃はまだシェルター暮らしだった母親を、後にそこから出してあげられた時、自分の成功を実感したと打ち明けている。打ち明けている、といえば、「あなたは何か言うべき、あなたは言うべき、ブラック…」。とある白人女性にそう言われたけど、おめえ、黙ってろ、と始まる、ビートがスウィッチする"Manifest"では、ブラック・ライヴズ・マター・ムーヴメントの流れのなかで、自分がしていたことにも、細かく触れている。完全に持てる者となった現在の彼は社会問題などには無関心だと勝手に判断されるきらいもありそうだが、「ツイッターでキャンセルカルチャーの生まれる前からキャンセルされてた俺は、ライヴ会場の外で反対運動が起きようが、二本指立ててた」という言い方で、何を言われようが自分がおかしいと思ったものへ抵抗(運動)するのは当たり前だとして、ムーヴメントへの完全サポートの姿勢を表現しているのが、実にタイラーらしい。

そして、もうひとつは2曲目に出てきた女性との顛末で、例えば、4曲目のタイトルは“Wusyaname”で、ここでの、相手の名前を知ることになる。

ここでやはり気になるのは、成功者(として自分)の姿を、これまでの彼には考えらえなかったほど、直接的に表現していることだ。ただ、それがあまり気にならないとしたら、DJ Dramaの起用が功を奏したことになるのだろう。彼は単なるDJを超え、ハイプマンとして、アルバムを通じて、Tylerのラップに相の手を入れるスタイルで曲は進んでゆく。たとえ、これみよがしの自画自賛をしたとしても、声質の違いのせいもあり、「そうだ」とか「それいけ」とか合いの手を入れるDramaの声のほうが目立ち、聴いている側としてはヘンに納得させられてしまう可能性さえある。

ラップアルバムとしての『Call Me If You Get Lost』

こうした自画自賛は、ラップ・ミュージックが広くラップと呼ばれるようになる以前の1970年代から見られ、2021年現在まで延々に繰り返されている、というか廃れることのない表現手法としてラップのなかに生き続けている。競争の側面が加わることで大きく成長したラップは、口から出まかせのような、とんでもない誇張表現を使ってまで、他者に打ち勝つことで、自分自身の存在を自分にも自分の周囲にも認めさせるような機能があった。それが、ヒップホップのビッグビジネス化に伴い、次第に、ラッパー自身が実際に膨大な富を手にするようになる。例えば、『Call Me If You Get Lost』のリリックに具体的に盛り込まれているような、ロールス・ロイスやヨットのオーナーに実際になり、頭を捻って誇張表現を考える必要がなくなっている者もいる。もちろん、そこには、成功者としての今現在のTylerも含まれる。それでも、そんな彼が今回の作品がラップアルバムであることを強調するうらには、ラップをラップたらしめている、この表現手法を使うことと、成功者としての自分を見せられる時機が合致したからなのかもしれない。

本作を聴いても、ラップへの回帰という印象は特に強いわけではない。それよりも、『Cherry Bomb』を境に『Call Me If You Get Lost』に至るまで、彼は(例えば、ラッパーを内包するような)音楽家として、毎回のアルバム制作に臨んできた印象を強めている。音楽を作る気持ちよさ、気持ちよく音楽を作ることだけを考えて作られた2015年の 『Cherry Bomb』は、様々なミュージシャンとのスタジオ・セッションをベースに、オペラやナマのストリングスやライブラリー・ミュージック(や今回の"Sweet / I Thought You Wanted To Dance"の起源とも言えるレゲエ)への興味を歌唱や演奏を通じてアウトプットし、ジャンルやトレンドを完全に無視した挑戦的な音楽家の面を出しつつ、同時にリリックの対象もストリートギャングについて扱うなど、自分自身以外へと広がりを見せた。

とにかく音楽作りに気をとられた(Tyler曰く、1曲目でハードなギターサウンドにラップがのっただけで、熱心な音楽ファン以外の全員にドン引きされた)『Cherry Bomb』において、二の次、三の次になってしまったエモーションを表現すること、また、全面に出すことに舵を切ったのが、次の『Flower Boy』だった。

そこで、Tylerがこだわったのは、ポップソングの構造をあらためて分析し(恐らくは、個々のリスナーに向けてというよりは)大観衆が自分といっしょに歌ったり踊ったりできるような楽曲を、コードを意識して書いてゆくことだった。例えば、収録曲のひとつ"911/Mr.Lonely"では、全く別個に存在していた楽曲2曲をいかにつなげてひとつの曲として提示するうえでも、コードがヒントなっていたし、コード進行とラップの関係にさえ意識的な曲もある。

そうしたコードへのこだわりに加え、というより、もしかしたら、それ以上にビートとメロディの創造に集中したのが、インストルメンタル曲で始まる2019年の『Igor』だった。つまり、曲先で進行し、リリックの内容よりも、言葉をのせたあとの全体のサウンド(聞こえ)に最大限の関心が向けられていたため、このアルバムでは、創作上の要請から、ラップよりも歌(唱)が求められたのだった。その過程で、自らの地声での歌唱を嫌うTylerが、様々なエフェクトを駆使し、自分の声音を微細に変えることで、その試行錯誤の結果がアルバムの特徴にもなった。

彼は「自分はまだベストなラップ・アルバムを出していない」と『Igor』リリース後に言っているが、特に『Cherry Bomb』以降の歩みをこうして振り返ってみると、これと全く同じ台詞を「ラッパー」が口にしたときとは、もはや意味合いが違うことがわかるだろう。『Cherry Bomb』からは、毎回全く異なる方向性を打ち出し、毎回違うことに挑んでいるようにも見えても、前作および過去の全作品に対しての反省や反動や新展開が、新たなアルバムを生む原動力となってきたわけだ。それなら、創作上の方向性において、ラップには優先順位が与えられることのなかった(それはラップに力を入れていないこととイコールではない)アルバムを3作も作ってきたら、次はラップ・アルバムを、と言い出しても、なんの不思議もないだろう。

それと共にタイミングの問題もある。例えば、『Cherry Bomb』は、リリース後のフェスやツアーのスケジュールが完全に確定していたため、サンプルの使用許諾に時間をとられて、リリースを延期するのは最初から無理だったため(本来はサンプルを使用する予定だった箇所を)演奏し直したりもしている。それに比べ、今回の『Call Me If You Get Lost』はどうだろう。制作は、パンデミック下で、先のスケジュールが全く見えない時期だったため、サンプル許諾に関しては、待ち時間に余裕はあったと想像できる。だからと言って、サンプル・へヴィなアルバムなわけでもなく(それどころか、随所で聞こえてくるフルートの音色にまで魅せられてしまう!)、前々作までと比べたら、使用曲数で言えば、2倍ほどになるけれど、それはほぼ前作並みだ。そこにはHタウンによる"Back Seat(Wit No Sheets)”や、同じ低音ヴォイスの持ち主ながら(持ち主だからか?)自分が歌う時にはマネしたくないとTylerが公言していたBarry Whiteによる楽曲(そのものはサンプルネタとしてはお馴染みのもの)をJimmy Smithがプレイしたヴァージョンなど独自のセンスや文脈によって引っ張り出された曲が並んでいる。

覗かせる本心

そんななか、興味深いことに、10曲目の"Sweet / I Thought You Wanted To Dance"で、『Cherry Bomb』の10曲目"Fucking Young / Perfect "を引用している。そのタイトルにも表れている通り、意中の女性が、自分よりあまりに年下なので、Tylerは迂闊に近寄ることもできない状況に置かれている。ちなみに彼のアルバムでは、最初の『Bastard』から、今回の最新作に至るどのアルバムにおいても毎回必ず10曲目の収録曲は、二つ以上の楽曲を繋ぎあわせた構成をとり、しかも、意中の女性にまつわる内容であることが多い。例えば、最初のほうに書いた『Wolf』の10曲目では、ウルフとセイレムとサムの三角関係の噂が明かされる。 "Sweet / I Thought You Wanted To Dance'でも、Tylerが惚れてしまった相手はまんざらではなさそうだが、 彼の友人のガールフレンドであることが発覚する。これまた三角関係なのだ。ここでは、というより、この曲に至る前から、Tylerによるシンセは(かつては、どこか神経症的な響きを湛えていたのに対し)、これまでになく落ち着きを見せ、洗練されている。そこに彼の語ることばを載せ始まった曲が、ちょうどTylerをとらえたショットからそのままゆっくりパンしてゆくうちに、彼女の領域に入ったことを告げるかのように、ラヴァーズロックのトラックが重なってくると、シンセが後退し、問題の彼女がフレームに収まったところで、彼女側の主張が始まる、そんな見事な作りになっている。

この曲に至るまでに、「カネを使いまくるのは、空虚な心を埋めるため」といったフレーズもどこかで出てきたはずだが、アルバムの大きな二つの流れが、最後から2曲目の"Wilshire"で完全にひとつになる。だが、Tylerと彼女はひとつにはなれない。「すべてを手に入れた、もしくは、すべてを手に入れられる者にも、たったひとつだけ手に入れられないものがある。それは意中の女性」であることが明かされる。Tylerとしては、友人の彼女を横取りすることはできない。ここで、"See You Again"(「Flower Boy」収録)を聴いて、自分がバイセクシュアルであるとTylerが仄めかしているように思えたリスナーなら、彼とこの友人との関係にひっかかりを感じるかもしれない。いずれにせよ、ウルフ・ヘイリーAKAバニーホップAKAタイラー・ボードレールとしては、もしも彼女がその友人と別れて途方に暮れるようなことがあれば、連絡して!(Call Me If You Get Lost)としか言えない。

そういった心情をブレイクビーツ感丸出しの8分30秒以上もあるトラックで、延々と吐露してゆく、しかも、ワンテイクで、ミックスを施さず、(この曲のみ)ラフな音質のまま収録されている。いわばフリースタイルの生録りに類するようなもので、内容そのものについては、既存のフリースタイルと比べたら異色だが、よくよく考えてみれば、曲の長さ(や時間)を気にすることなく、自分の心情を吐露するのに、フリースタイルはかなり適していることも気づかされる。

さらに、フリースタイルと言えば、本来ミックステープを構成する必須の要素だ。それにもかかわらず、この曲でのみ、DJ Dramaが出てこない。 翻って、アルバムの他のすべての曲からの声を抜き出したら、と考えたら、作品そのものが成立しないことがわかる。単純にミックステープと結びつけるために彼を起用しているのではない。成功者や煌びやかさの象徴としてTylerに付き添っている彼が不在のこの曲でのみ、見た目ではわからない、内に秘めたTylerの本心が、傷口のように顔をのぞかせている。すべてを手に入れられるような者が、旅を続けながら、いつまでも不幸とつきあわなければいけないのは、映画(『レモニー・ス二ケットの世にも不幸せな物語』)やTVシリーズ(『レモニー・スニケットの世にも不幸なできごと』)にもなった小説「世にも不幸なできごと」での主人公の三姉弟妹(両親が遺した莫大な遺産の正式な受取人である)に似ている。そして、この3人の姓もまたボードレールなのだ。2021年BETアウォーズ授賞式での、アルバム収録曲”Lumberjack"のステージ・パフォーマンスで、大風が吹き、色々なものを吹き飛ばしてしまう演出に、「世にも不幸なできごと」の一話を思い出した視聴者もいただろう。また、これは単なる偶然なのかもしれないが、この小説には、3人のボードレールが、Tylerの最新のコスチュームのひとつであり、今回のアルバムの成功を記念に、50万ドルをかけて作らせたペンダントにも型どられた制服姿のベルホップに変装し登場する場面も出てくる。

今回もアルバムでは例外的に「心の旅」を描いたこの"Wilshire"に続く、アルバムのエンディング曲では再び「現実の旅」に戻る。Tylerとドラマは、世界中を旅し、サファリに来ている。こうした「現実の旅」と「心の旅」を並べたのが、はじめに触れたシャルル・ボードレールの書いた詩『旅』である。そこに、こう出てくる。「真の旅人は、旅立つためだけに旅立つ。心は軽く、気球のよう。自分たちの運命から、決して遠ざかりはしない。そして、理由も知らず、常にこう言う。「行こう!」。『Call me if you get lost』のオープニング"Sir Baudelaire"で、DJ Dramaは、旅に出よう、と特に理由を示さず誘っているし、ボードレールが別の作品『旅への誘い』で愛する女性を旅に誘うように、タイラーも彼女にイタリア旅行を提案する。

ボードレールの「旅」は、次のように終わる。「彼ら(=旅人)の望みは、雲の形をしている。新兵が大砲を夢見るように、真の旅人たちが夢見るのは、巨大な欲望の快楽。常に移り変わる、未知の、はてしない快楽。人間の精神が決して名前を知らなかったような」。Tyler, The Creatorは『Call Me If You Get Lost』に至る旅を通じ、未知の、はてしない快楽を夢見るだけでなく、常に移り変わるその一部分だけでも確実に手に入れてみせた。リスナーであるわれわれはそれを享受してきたわけだが、今回の『Call Me If You Get Lost 』のレヴェルに達しても、歓迎すべきことに、彼はまだ旅の途中なのだ。(小林雅明)

Info

最新アルバム  

『コール・ミー・イフ・ユー・ゲット・ロスト|CALL ME IF YOU GET LOST』  

https://lnk.to/TylerTheCreator_Call_Me_If_You_Get_LostFN

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