【レビュー】Kanye West 『DONDA』|ゴスペルの完成または..

度重なるプレリリースイベントを経て、Kanye Westが8月末にリリースした新作『DONDA』。Kanyeが最も愛した実母の名前を冠したこのアルバムは、幾度となくリリース予告がされていたこともあり重要な作品と目されており、リリースと同時に大きな反響を呼び、久しぶりの商業的な成功を彼に与えることになった。

しかし27曲という長大なこのアルバムは、まだ完成されていないとも言われており全貌を掴むのは大変な作業だろう。音像としては初期のようなソウルフルなサンプリングを用いたものから、『TLOP』以降とも言えるインダストリアルな音色までが渾然一体となった『DONDA』は一体Kanyeにとってどんな作品と言えるのだろうか。これまでのKanyeの仕事を振り返りつつ小林雅明がゴスペルとの関係を軸に紐解く。

文:小林雅明

絶え間なく響くオルガン

なにか神経症的な執拗さで"Junya"で鳴っているからなのか、それとも"No Child Left Behind"までのアルバム本編の最後に並んだ3曲で趣向は違えど、立て続けに聞こえてくるからなのか、はたまた、本編後に収録された26曲目と、27曲入りのアルバム(作品時間は日曜礼拝の所要時間よりも長い?)の27曲目にして11分以上もある"Jesus Lord pt 2"の両方で聴こえるからなのか、オルガンの音が、『Donda』ではまず印象的だった。

このなかで"No Child Left Behind"で弾いているのは、"Jesus Lord"および"Jesus Lord pt 2"にもプロデューサーとして関わったGesaffelsteinだろうか。『Yeezus』(2013)で初めてKanyeと組んだ彼は"Black Skinhead"ではアディショナル・プロデューサーとして、"Send It Up"の作曲および共同プロデューサーとして関わっている。どちらも、当時はインダストリアル・テクノのアーティストとして知られていたGesaffelsteinの持ち味が色濃く出ている。それが、2019年の2作目『Hyperion』になると、プロデューサーとして自らの持ち札の多さを見せ、例えば、アルバムのイントロ曲およびアウトロ曲に関しては教会音楽を想起せずにはいられない鍵盤のソロもあり、『Yeezus』での関係以上に、二人の創作上での方向性に重なりが感じられもする。『Hyperion』(2019)と『Donda』(2021)のアルバムのアートワークは同一で真っ黒だ。

そんな彼が制作に関わったもう一曲"Jesus Lord"も、やや引っ込んだ位置ではあるがオルガンが本当に絶えることなく鳴っている。ここには、Jay Electronicaのラップが入ってくるためか、ビートが刻まれているが、シカゴのギャングスター・ディサイプルズの創設者の息子からのメッセージ(彼の父の恩赦をカニエがトランプ大統領にかけあった)が始まる長いアウトロではそのビートも消えている。

『Donda』で他に、ヴァースの始まりと共に聴こえてくる“Hurricane”に始まり、"Junya"、"24"、"Keep My Spirit Alive"、"Pure Souls"、"Come to Life "でオルガンがフィーチュアされている。これらの中には、サブベースやクワイアやクラップが組み合わされたものもあるが、オルガンが前に出た曲が増えたことと引き換えに、全体にビートの強さが感じにくくなっているのが、『Donda』の特色のひとつだろう。

Kanyeにとってのゴスペル

かつてKanyeは『The Life of Pablo』(2016)リリースの一か月ほど前に「これはゴスペル・アルバムだ。カースワードが満載だけれど、それでもゴスペル・アルバムなんだ。Yeによるゴスペル(福音)なんだ」と発言していたし、『Jesus Is King』(2019)リリースの二か月ほど前には、「今後はゴスペルしか出さない」とツイートしている。これらを額面通りに受け取れば、既に教会ではパイプオルガンに代わるものとして90年以上も使われてきたオルガンを、ゴスペル・フィーリングを効果的に打ち出すために使っていると考えられるかもしれない。そこに、冒頭からオルガンが聴こえる"Come to Life"を並べてもよいかもしれない。この曲では「異言を語る(スピーキング・イン・タングス)」様子を収めた音声をサンプリングしたものに被せてKanyeは「自分の考えを鉛筆で書くよりも(消そうと思えば消せるので)、ペンで書き込むべき、そうすれば、実現するだろう」などと歌っている。耳で聞いているだけではわかりにくいかもしれないが、どこの誰が見つけ出したのか(それにしても、よく気づいた!)サンプル・ソースとしてリンクが張られているYouTube映像にとぶと、タイトルは「聖霊の導きで異言を語る(スピーキング・イン・タングス)会衆」。はたして、礼拝の様子を収めたその映像では、説教師により、聖霊が呼び起こされ、降臨し、会衆のうち何人かの様子が映し出され、そのうちの女性のひとりが宗教的興奮状態に達し、聖霊の賜物とされる不可解なことばを語り続けるのだった。本来なら、こうした経過全体を伝えることこそが(特にこの憑依的な現象になじみがない人にとっては)リアリティを持つように思えるのだが、Kanyeには、抜粋でもよいからとにかく知らせることが使命だったのだろうか。

ただKanyeが、こうした教会やゴスペルの遺産を再構築するのは今回が初めてではない。『The Life of Pablo』の2曲目と3曲目を占める"Father Stretch My Hands, Pt. 1"とその続編"Pt. 2"がかなり激しかった。このタイトルは「父よ、汝にわが手を差しのべる」と歌い出すメソジストの讃美歌にして、ゴスペルのレパートリーの基本となった“Father Stretch My Hands To Thee”からとっている。サンプル・ソースは、今なお現役として50年以上のキャリアを持つ、実にファンキーでソウルフルなゴスペルを聴かせるT.L.バレット牧師によるヴァージョンだ。彼はこの曲で「父よ、汝にわが手を差しのべる/ほかに助けてくれる者をわたしは知らない/汝に見捨てられるなら/わたしはどこに行けばよいのか」と歌っている。それをKanyeは、最初に、原曲の最後にある「わたしはどこに行けばよいのか」に、Kid Cudiのラインで応じ、最後の一節から一ラインずつ遡る要領で抜きだしたフレーズに、CudiとKanyeとで逐一応じ、最後に「父よ、汝にわが手を差しのべる」を受け、Kanyeが「解き放たれたい気分だ」と締める。コール&レスポンスそのものは、ゴスペルによって広く拡散されたスタイルではある。だが、ここでは、それを使わず、原曲の歌詞に新たなラインを挿入し再構築している。前述の「異言」の例とあわせ、これが原型を全く知らないリスナーにどれだけ効果的なのかわからないが、Kanyeの考えるゴスペルは提示されている。

これが"Pt. 2"になると、また別の方向にも曲の構成は進化する。仕事に忙殺され妻に電話もできぬまま、離婚という父の二の舞だけは避けたいという強い思いや母の死に触れたKanyeのヴァースでのビートは、教会内に響くハンドクラップを模したようにも聞こえるものの、そこからトラップビートにスウィッチし、曲の終わり近くにはCaroline Shaw(Kendrick Lamar以前に、ピューリッツァー賞の音楽部門で受賞した、声を意識した作品でも知られる作曲家/アーティスト)がハーモナイザーを使い「父よ、汝にわが手を差しのべる」で始まる前述の文言を唱える、奇想天外な構造となっている。もちろん、これらは、Kanyeがサウンドクリエーターとしては一貫して「声」に意識的であることの表れでもある。と同時に、Shawをフィーチュアするなら、「異言」もパスターT.L.バレットも生録りできたはずだが、そうはしないのがカニエのやり方なのだろう。ただ、アルバムの1曲目“Ultralight Beam”に続くこの2曲をあわせた3曲でこんを詰めてしまったのか(のちに、このうちの2曲がサンディ・サービス・クワイアのアルバムでカニエの制作によりオルガンの伴奏でカヴァーされる時には、原曲に比べすっかりツルっとした表情のオーセンティックなゴスペル・ソングになってしまう)、『The Life of Pablo』をゴスペル・アルバムとして聴いた場合、この3曲のような面白さは見つけられない。

そうしたアルバムとしての不完全燃焼をかなり解消できたのが、"Father Stretch My Hands“の2曲で組んだKid Cudiと作った『KIDS SEE GHOSTS』(2018)だったのではないのだろうか。2016年12月から制作に入ったというから、彼の抑鬱状態が改善に向かった時期でもあり、主題もポジティヴな「前進」だ。同時に、それが彼自身の祈り/神との対話によりもたらされていることも、収録されているのは全部で7曲で24分ほどのアルバムとはいえ、すべての曲に、わずか1ラインであっても、Cudiの宗教的体験を伝えるものが含まれている。メンタルヘルスを扱った作品として認識されているが、実質的にはゴスペル・アルバムとして聴こえないだろうか。一方。この時期のカニエは、過労と睡眠不足を理由にツアーをキャンセルし、自発的に入院するものの、精神科へ「措置入院」となり、双極性障害との診断結果も出されている。"Father Stretch My Hands“で彼が求めていたのは、計り知れない名声と富と引き換えに、絡めとられた様々なしがらみからの「解放」ではあったが、ここでは、それがより深刻な問題を抱えたうえでの「解放」へと変化していた時期にあたり、神との対話を積極的には作品に盛り込む精神的な余裕もなかったのか、"Freeee(Ghost Town 2)"では「百も承知だろ」とKanyeに促され、客演のTy Dolla $ignまで「俺がしくじる度に、神(彼)が元気づけてくれる、俺を解き放ってくれる」と、Cudiに加え、彼までがKanyeの本心を代弁するかのような歌を聴かせる。

恐らく、『Donda』収録の"Hurricane"を聴くなり、"Freeee(Ghost Town 2)"をはじめとする『KIDS SEE GHOSTS』でのアイデアが透けて見えたリスナーも結構いたかもしれない。ここでも、神との対話をおこなっているのは、Kanyeではなく、それはThe Weekndに任されているのだ。実は、『KIDS SEE GHOSTS』同様2018年に最初のヴァージョンが公開された、この曲は、The Weekndをフィーチュアしたものに至るまでに10ものヴァージョンが作られていて、彼が2021年8月に急遽参加するまでは、彼のパートは、サンデイ・サービス・クワイアが歌っていた。そう考えると、2019年の『Jesus Is King』に収録されてもよかったかもしれない。ただし、ラップ・パートもアルバム収録版のLil Baby以前にはYoung Thug以下何人ものラッパーが入れ替わっていたため、アルバム全体のトーンにはそぐわない。そこから、この曲が、『Jesus Is King』でも『Donda』でもない、もはやスクラップされたとも言われるアルバム『Yandhi』収録予定曲だったこともよく理解できる(他の『Yandhi』収録予定曲も"Hurricane"同様の変遷を経て今後、日の目を見る機会があるかもしれない)。KIDS SEE GHOSTSの“Freeee(Ghost Town 2)”では「解放されたい」と願っていたKanyeが、"Hurricane"ではThe Weekndの歌声を通じ「内なる神を見出だし、ついに自由になった」と表明しているのだから、きれいにつながっている。しかも、アルバムの中では、次の曲が「神を称えよ」だ。

この曲で興味を惹かれるのは、Kanyeが自分をさらけだしていることだ。彼が自らの浮気を告白する歌詞をいつ書いたのか定かではないし、離婚調停がこの歌詞を生んだのか、歌詞の公表を促したのかわからない。少なくとも、彼が自身の作品についてゴスペル云々と言い始めてからは、ここまで具体的なことはなかった。それどころか、"Ultralight Beam"の頃から、この曲での客演者であるChance The Rapperや、90年代にコンテンポラリー・ゴスペル界に革命をもたらした(と自作では強調する)Kirk Franklin等とは違って自身の宗教的体験をなかなか歌おうとしないことが疑問視されていた。曲中で繰り返し出てくる"Ultralight Beam"とは、彼自身の実体験(その光を体感した、とか)によるものなのか、概念や聖書の解釈を言っているのかわからない、というわけだ。

ボーンアゲイン・クリスチャン

よって2018年の『KIDS SEE GHOSTS』に、『The Life of Pablo』の雪辱戦的な意味合いや、ゴスペル・アルバム的側面が含まれていることに気づかなければ、翌年1月から始めた全米各地で大小場所を問わず、礼拝をおこなうサンディ・サービスとしての活動があまりにも唐突に思えたり、理解できなかったとしてもおかしくない。そこにきて、2018年には「奴隷は自分自身で選んだものなのでは」発言や、MAGAハット姿でトランプ前大統領との親密さをアピールなどが報じられ、Kanyeの言動を否定的にとらえる流れが激化、そうしたイメージを掻き消すために宗教が利用されだしたとまで言われた。そんな逆風もある中で、サンディ・サービスとしての活動は地道に、ただし、会場には、聴衆収容能力が桁違いに大きいメガチャーチまでもが利用され、継続され、10月には『Jesus Is King』がリリースされる。

このアルバムに対しても、Kanyeはまだ自分をさらけ出していないとの指摘があがったが、"Hands On"には次のようなリリックもある。「俺がゴスペル・アルバムを作るよと言ってから、クリスチャンに何を聞かされてきた? 最初に俺に審判を下す気なのさ、俺が誰にも好かれていないと思わせるのさ。人々にキリストの教えを説くことが、俺の使命なのに」。Kanyeからすれば、神に仕え、サンディ・サービスの活動を展開しているだけなのに、一部のクリスチャンは、ずっと自分を不審の目で見ているだけで、「手を差しのべる」(曲名の"Hands On")ことはしない。そこから普遍的な意味での「手を差しのべよ」というメッセージを、Fred Hammondが歌う。ところが、歌うと言っても、このコンテンポラリー・ゴスペル界の重要人物の生の歌声ではなく、オートチューンが施されているのだ。そして、静かで簡素なトラックは、映画『ジョーカー』で、誰からも手を差しのべてもらえない主人公が、初めて殺人というかたちで、他人に手を差し伸べた直後に一人踊る場面のダンス曲のサンプルで構成されている。

クリスチャンの一部層から批判に応える内容の曲で、こうしたひどくハイコンテクストな曲を含むアルバムながら、『Jesus Is King』はリリースされるや、ビルボードのゴスペルおよびクリスチャン・アルバム・チャートで初登場1位をマークし、収録曲も全曲、ゴスペルおよびクリスチャン・ソング・チャートにランクインした。この作品が出る一、二ヶ月前から、Kanye本人から直接聞いた話として、Nicki MinajやKanyeの個人的なバイブルスタディを担当している牧師から、彼がボーンアゲイン・クリスチャンであることが明かされる。これは、わかりやすく言えば、「わたしは神を信じています」と公言するレベルから、「これからわたしは信仰に従って生きてゆきます、つまり、キリストに自らを捧げる」次元へとシフトしたということ。つまり、Kanyeは、2013年の“I Am A God”のときとも、2004年の”Jesus Walks“のときとも違うというわけだ。このボーンアゲイン・クリスチャンは、例えば、福音派の場合、決められた手順を踏んで正式に認められるそうだが、個々人の意思や表明によるものも多く、過去30年間で、アメリカでは無宗教の人が2.5倍以上増加した一方、キリスト教系メディアが、毎月9000人以上を対象におこなった調査によれば、過去30年間で2020年は、ボーンアゲイン・クリスチャンの数が最も多かったという。例えば、YouTubeにアップされている『Jesus Is King』収録曲に寄せられたコメントでは、カニエがボーンアゲイン・クリスチャンであることを受け止めた上で、楽曲のクオリティ云々以上に、彼の選んだ道や活動そのものを支持している人が圧倒的に多い。こうした傾向は、彼が極端に路線変更しない限り続くだろう。

Kanyeに関しては、もしかしたら、ボーンアゲイン・クリスチャンとして生きてゆくことで、様々な意味での楽曲の幅が広がったのではないだろうか。例えば、2020年6月末にミュージックヴィデオ(MV)と共に発表された"Wash Us In Blood"だ。既存のフッテージのコラージュからなるこのMVのスタイルは、監督のArthur Jafaお得意のものだが、何度も挿入されるさまざまな暴力を記録した映像群以上に、Nyege Nyege Tapesあたりのレーベルから出ていてもおかしくないようなトラックが攻撃的だ。それは、「サグとして生きていたり、仕方なく売人を続ける生活、大量虐殺、奴隷制」、そういった連鎖するあまりに罪深きものを挙げていきながら、カニエは「すべての罪から、イエスの血がわたしたちを清める」と説いているからだろう。そうした罪の大きさを知る過程で、それを全て覆ってくれたイエス・キリストの赦しと贖いの大きさを知ってほしい、というわけだ。この曲は、リリース時期のせいで、ブラック・ライヴズ・マターのムーヴメントと結びつけられやすかったが、カニエによるゴスペルとしては今もって最もラジカルなもののひとつだと思う。

この曲における彼による福音(ゴスペル)は、『Donda』にもしっかりと受け継がれている、というより、"Wash Us In Blood"を含むアルバム『God's Country』を仕切り直したものが『Donda』だという話もある。『Donda』には入らなかったこの曲だが、別のかたちで活かされている。アルバムの客演者の陣容だ。そのあたりを補足するため「新約聖書」の「ローマ人への手紙」から次の引用を挙げておきたい。

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められる(注; 正しい人として神に認められる)のです」

そして、ここに出てくる「罪を犯した」を「キャンセルされた」に置き換えてみる。そうすれば、自らが属するネイション・オブ・イスラムにおいて反ユダヤを意味する表現を、サイモン・ウィーゼンタール・センターの副所長名指しのツイートで使ったムスリムのJay Electronicaを筆頭に、3人の女性から性的暴行で訴えられているMarilyn Manson、  HIV感染者や同性愛者への差別発言により「キャンセルされ」謝罪や償いに奔走しだしたDa Baby、1992年の"Boom Bye Bye"がホモフォビアだと叩かれ続けれ(2019年に自ら各ストリーミングサービスから取り下げ)たBuju Bantonが客演者として名を連ねているのも、意味のないことではないだろう。そこには、Rihannaに暴行を働いたChris Brownも含まれるかもしれないし、何よりも2018年を振り返れば、彼らの参加を決めたKanye自身が、この聖書の言葉を強く噛み締めたはずだ。また、かつてイーザスと名乗っていたKanyeがまずすべての人の罪を贖うのか、客演者の名は誰一人クレジットされていない。

ゴスペルソングの可能性

"Wash Us In Blood"がどの時点で作られたのかはわからないが、同じ2021年の3月にはグラミーで、『Jesus Is King』がベスト・コンテンポラリー・クリスチャン・アルバムに輝いている。ゴスペル・アルバム部門には候補としてさえ挙げられなかった理由として考えられるのは、グラミー賞側の基準というか傾向として、対象としてイメージしているのは、トラディショナルなソウル・ゴスペル・サウンドのアルバムだという。もちろん、それ以前にKanyeをゴスペル・アーティストとして、ここでいきなり、このジャンルの既存の(実力派)アーティストと並べても良いのか、そんな迷いもあったはずだ。それが、直接的なきっかけとなったとは考えにくいが、『Donda』制作期間中にグラミー受賞を伝えられたKanyeとしては、トラディショナルなゴスペル・サウンドの構成要素としてオルガン(『Jesus Is King』での使用は1曲のみ)が浮上してきたのかしれない。確かにオルガンの音色そのものには、トラディショナルな響きがある。だからと言って、“Junya”で曲の最初から最後まで狂ったかのようにループされるオルガンはトラディショナルだろうか。おまけに、何度繰り返されようが”Junya Watanabe on my wri’“の意味はわからないし、Playboi Cartiも加勢してくる。それが、曲の最後の最後で「自分のまわりには心配事で眠れないような人はいない、神を見いだすんだ、神に決められる前に、悪魔におやすみと言って、眠れ」と出てくる。現実には存在しないジュンヤ・ワタナベ製の腕時計に、執拗に目を向けさせているのは、キリスト教では、神が時間を作り出し、神の計画が終了するところで、時間はなくなる、そういう腕時計の示す時間とは別の進みかたをする神の時間を意識し、神の声を信じ、天国へ行けということだろう。これはゴスペル・ソングとしても、そして、ポップ・ソングとしても相当変わっている。それでも、これをゴスペル・ソングとして聴くなら、Kanyeはクリエイティヴな側面でその大きな可能性を信じているように見える。

チャート上の結果に限るなら、『Donda』は、ビルボードのゴスペルおよびクリスチャン・アルバム部門で初登場1位を記録し、クリスチャン・ソング・チャートにおいては、全27曲のアルバム収録曲中23曲が、チャートの上位を独占した。その一方で、ゴスペル・エアプレイ・チャートでは、上位30位に1曲も入っていなかったり、セールスチャートには、アルバムも楽曲単位でも上位40位に全くランクされていなかったりする。つまり、ストリーミングでのリスナーが大多数。それでも、クリスチャンでもなんでもない人に、”Praise God"サイコーとか、"Jesus Lord"いいよね、とか口に出してほしいと願って、Kanyeがこういった曲名をつけたことは想像に難くない。また、同じ語句の繰り返しが多いのは、ポップ・ソングとしてのキャッチーさ以上に「キリストに自らを捧げる」Kanyeには、広く覚えておいてほしいフレーズだということだろう。「今後はゴスペルしか出さない」と発言した彼の楽曲にこそ、それ以前とは別次元での楽曲作りが見られるので、音楽家としての彼の将来を悲観的に見る必要もないだろう。また、Al Greenの例を見ても、大ヒットや名曲を生んだのち、牧師にまでなってから、世俗のシーンに戻ってきた、音楽史に残る偉大なるアーティストもいるのだ。

自分の母親と自分の結婚にまつわる女性、この二人の女性の喪失を噛み締めながら作品制作に当たったという点で『Donda』は、『808s & Heartbreak』の再来が予想できたアルバムである。『808s & Heartbreak』のオープニング曲では最初から最後まで、クワイアの歌声が敷き詰められている。ストリーミングが始まってからも、繰り返されたマイナーチェンジの中身とそれが結局いつ終了したかKanye自身も把握できていなさそうな2016年の『The Life of Pablo』。そんな手に負えなかった作品を真の意味で完成させようと、試行錯誤を繰り返すうちに生まれた4つのアルバム(サンデイ・サービス・クワイアの『Jesus Is Born』を含む)を経て、5年がかりでようやく完成し、『Yeezus』以来の商業的な成功と、クリスチャンからは一定以上の支持を得ることのできた『Donda』。『The Life of Pablo』で、完成されていなかった「Yeによるゴスペル」をここに見出だすことができる。

ただし、3度のリスニング・パーティーのあいだも制作を続けていた『Donda』は、真の意味で完成したのだろうか。「Donda」はステムプレイヤーの販売も噂されているが、もし実現すれば、完成前の状態の「Donda」の構成要素に第三者が自由に手を入れることができるようになる。これは完全に完成したことの証なのか、それとも、既存の完成という概念の放棄を意味しているのだろうか。アルバム制作に1年つきあったというTodd Rundgrenの告白通りなら、かなり怪しい。「一年も関わってきたけど、気がついてみれば、慌ててアルバムが完成され、生煮えのまま出してしまった。Kanyeは、Drakeに出し抜かれるのをかなり心配していた…」   。

related

【レビュー】Isaiah Rashad『The House is Burning』|地獄からの復活

Isaiah Rashadはこの5年間、姿を消していた。TDE所属のラッパーは高評価を得たアルバム『Sun’s Tirade』を2016年に発表して以降、以前から悩まされていたドラッグ中毒に溺れ、貯金を使い果たし、テネシーの実家に戻っていた。KendrickやSZA、Schoolboy Q等を輩出してきたレーベルの期待を背負いながらも、友人宅のソファで数ヶ月間寝泊まりしていたRashadは、その肩書きなしではただの大学中退者だった。しかし、彼を心配したTDEのTop Dawgのおかげもあり、平穏なオレンジカウンティで1ヶ月のリハビリを経たRashadは、今もう一度復活を果たそうと試みる。

【レビュー】Dave『We're All Alone In This Together』|システムに繋がれた孤独

UKのラッパー、Daveが2作目となるアルバム『We’re All Alone in This Together』をリリースした。本作はメンタルヘルスや家族の問題を誠実に語ることをベースに、コロナ禍という「孤独」の時代における「他者」への理解や意思疎通の困難さと向き合い、人種、政治、歴史といった構...

【レビュー】Tyler, The Creator 『Call Me If You Get Lost』|成功者としての顔と隠せない本心

ミックステープの王DJ Drama なんだ、このやかましい声は……。1曲目のイントロもしくは1曲目限定で、景気づけのためかと思いきや、Tyler, The Creatorによる最新作『Call Me If You Get Lost』を一聴し終えてみれば、結局1曲(とインタールード)以外の全収...

most popular

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

Floating Pointsが選ぶ日本産のベストレコードと日本のベストレコード・ショップ

Floating Pointsは昨年11月にリリースした待望のデビュー・アルバム『Elaenia』を引っ提げたワールドツアーを敢行中だ。日本でも10/7の渋谷WWW Xと翌日の朝霧JAMで、評判の高いバンドでのライブセットを披露した。