イギリスの核シェルター内に建設された大麻プラントとベトナム人児童の人身売買の現実
Text and Translation by Jun Yokoyama
ベトナムの郊外で生まれた少年、Tungはベトナムからイギリスに人身売買され、2ヶ月間真っ暗なアパートの一室に閉じ込められた。その後、彼は別のアパートの一室でベトナム系ギャングが行う大麻の違法栽培に奴隷として従事させられることになった。
彼はイギリス国内に数多くいるギャングの大麻栽培産業に奴隷として従事する少年・少女の一人だ。彼らは「大麻栽培プラント」に改築されたマンションやアパートの一室で大麻の世話をしている。もちろん移動などの自由はなく、衣食住もままならない。もちろんアパートを不法に改築した大麻栽培プラントは安全性も疑わしい。さらに、彼らは人身売買やギャングの違法な産業の被害者にも関わらず、捜査の手が入ると犯罪者としての扱いを受けることになった。
イギリスの郊外では、数週間に1度という頻度で、このような大麻農場が発見され、人身売買でイギリス国内に連れられてきた児童や組織のメンバーが逮捕されている。その状況をジャーナリストがガーディアン紙に報告している。
イギリスの地方新聞はギャングたちによる大麻栽培産業の実情を報道しているが、耳を塞ぐような事実が浮かび上がってくる。リバプールで発見された一軒家では、家の中の家具がすべて取り払われ大麻工場に改築され、捜査が入った時2人の10代の少年が床板の下で怯え隠れていたのが発見された。また他の地域では、ドッグフード用の皿で生活させられていた者も発見されている。イギリス・プリマスで発見された2階建ての家も、屋根裏部屋まですべて大麻栽培の農場に改築されていた。警察が潜入した時、大麻の世話をしていたベトナム人の少年が顔に傷を負った状態で発見された。自称13歳のベトナム人の少年は捜査開始と同時に社会福祉の施設で保護されたが、数日のうちに施設から姿を消してしまった。
UKで流通している大麻のうち少なくない量が、人身売買と児童労働で成り立っていると見られている。全英児童虐待防止協会は、2012年イギリスでの違法の大麻栽培のために人身売買で連れられてきた者のうち、96%がベトナムからであり、81%が児童であることを明らかにしている。
通常、被害者である児童はギャングの復讐を恐れて話すことはないのだが、ガーディアン紙の取材に対して2名が匿名を条件にその経験を話している。
Baoは15歳の時にイギリス郊外の3部屋あるアパートに連れられてきた。部屋中には大麻が用意されており、それを世話をするように言われたという。冷蔵庫の中には食べ物が入っていたが「もしちゃんと水やりできなかったら、食料を補充しない」と脅された。複雑な照明の方法を教わり、ブレーカーを落とさないように注意された。大麻栽培には大量のライトを使用するため、常に火事の危険があった。栽培のスペースを確保するためソファは廊下置き、常にそこで寝ていた。3週間に1度の人との接触は、大麻の成長をチェックしに来る2人の男とだけだった。もし土が乾燥していたりしたりすると殴られもした。朝に2、3時間水やりをして、夜10時にもう一度3時間かけて水やりをする。それ以外はなにもすることがなかった。窓も覆われていたため、外を見ることもなかったが、建物の正面にあるパブからもれ聞こえる笑い声などに耳を傾けていた。たいていの時間はスマホゲームのキャンディクラッシュをしていたという。5ヶ月間それが続き、孤独には慣れたと証言している。
Baoは人身売買でイギリスに連れられてくる前はベトナムで孤児のホームレスだった。イギリスに来た時、もちろんお金もなく、英語もできないかったが、そもそもそのアパートから逃げる力そのものがなかった。現在はケースワーカーにその大麻栽培に従事していた時の経験を喜んで話しているが、それ以前の経験を話すのはまだ難しい。
両親はBaoが乳幼児のときに交通事故で亡くなり、祖父母のもとで生活をはじめる。しかしBaoが10歳の時に祖父母も死亡する。そこからストリートチルドレンとして、宝くじを販売して歩いていた。14歳の時に橋の下で寝ている時にBaoは誘拐され、中国に送られた。数ヶ月倉庫で働いた後、パンと水を持たされ、コンテナに押し込められた。船で3ヶ月かけてフランスに輸送され、タンクローリーの車輪部分に乗せられてイギリスまで運ばれたのだ。その後10ヶ月ほどセックスワークに従事させられた後、大麻栽培のためにアパートに連れて来られた。
室内灯のためのワイヤーが張り巡らされた部屋の中で水やりをするという、常に危険な状態で大麻栽培を5ヶ月間行った後、Baoはついに警察に発見されることになる。警察がドアを蹴破って侵入し、彼を確保した。しかし警察は彼を保護しにやって来たわけではなかった。彼を犯罪者として扱い、尋問し続けた。彼は英語が全くわからないのにも関わらず、一晩中質問責めにされた。また彼に弁護士が付いたが、明らかに児童であり、人身売買の被害者であるのにも関わらず、弁護士は彼に罪を認めるよう勧めた。
人身売買でイギリスに連れてこられた子供をサポートしているSimmonds-Readは「数年間に渡って大麻栽培に従事させられている子供に多数出会ってきた。その子供たちの大多数はベトナムのホームレスの孤児だった。だから大麻栽培は彼らの人生の中で一番マシな経験なんだ」と語る。
現在Baoは10歳の時から中断していた学校に通っている。Baoは大麻を吸っている人を見ると「彼らが自分のような子供を搾取していると感じてしまう。みんなに大麻の生産のプロセスに携わり、苦しんでいる人がいることを知ってほしい」と語る。
この10年で大麻生産の犯罪は目に見えなくなってしまった。犯罪集団は自分たちのリスクをヘッジして、郊外のアパートに生産工場を持つようになった。また、警察はイギリスの組織がベトナム人の人身売買を利用して大きな農場を構えるようになっているというトレンドもあることを発見している。警察は近年、銀行、スポーツセンター、病院などの跡地に作られた工場を発見している。それらすべての大麻工場で人身売買で連れてこられたベトナム人が労働させられていた。
核シェルターの大麻工場
先月、イングランド南部のウィルトシャーで、3人のベトナムの少年が核シェルターの中で大麻を栽培していたことが発見された。核シェルターは1980年代に政府高官が避難するための場所として地下の奥深くに建設された。その内部には40もの部屋があった。15センチの鉄扉の奥深くで太陽の光も新鮮な空気もない状態で大麻栽培
を強制させられていた3人の子供は現在、移民収容センターに勾留されている。
ガーディアン紙に寄稿したジャーナリストがこの核シェルターを訪れ、ベトナム語のカレンダー、黄金の仏陀像、ベトナムのDVD、4つのマットレス、服が置き去りにされていたのを発見した。また、風邪薬、みかん、玉ねぎ、しょうがなどがベトナム料理を作るために台所に残っていた。さらにサンドバッグと壊れたパックマンのアーケードゲームマシンもあったと報告している。生活感がありながらも、その空間は重苦しく、恐ろしく、ジャーナリストは閉所恐怖症に襲われ、一刻も早く出たい気持ちになったと告白した。
核シェルターに捜査に入った警察署はFacebookページでこの事件を伝えると、多くの人が「放っておけ、ただの大麻だろう」と、核シェルターで大麻の栽培なんて最高にクールだと言わんばかりのコメントが多数寄せられた。しかしこの事件を追うフランクリン捜査官は「何も分かっていないからそういう事が言える。強制労働や搾取がどれだけひどい事かを知らないといけない」と話した。
フランクリン捜査官の話によると、ベトナム系のギャングが人身売買を行い、児童をイギリスに輸入し、イギリスのギャングと結託してビジネスを行っている事例が多くなっている。また、人身売買で連れられてきた少女は売春か、ネイルサロンで働かされることが多い。しかしながら、大麻よりもヘロインやコカインなどのハードドラッグのほうが警察の中での優先順位が高く、捜査の人員を割くことができないのも事実と証言している。
本記事はイギリス国内の大麻プラントでのベトナム人児童労働と人身売買についてガーディアン紙が詳しく報じた記事の抄訳となっている。