中津川吾郎(MIN-NANO/TOXGO)インタビュー - ここにしかないお店が出来るまで - Pt.2
Pt.1から続く
- 最初MIN-NANOはどういう形態のお店として始めようと思ったんですか?
ゴロー - 結構フンワリしてるんですけど、仕事とバンドを両立していく上で年齢も重ねると将来のことを考えるようになってきて、やっぱりバンドで食ってくのは中々ハードで、もちろん元々わかっていたつもりなんですけど。海外のバンドの人たちとかを見るとグラフィックデザイナーとかレコーディングエンジニアをしながらバンドやってるとかそういうパターンがあって、そういう感じで自分で仕事をクリエイトしながらバンドも好きな感じで続けていったら、夢があるというかそういう方法しか活路はないだろうっていうのがあって、何か自分で仕事出来ないかなって思い始めたのがきっかけです。それが大体30歳くらいの頃ですかね。
ゴロー - バンドも結構規模が大きくなってくると仕事との両立も厳しくなってきてて、僕は会社の理解があって続けられてたんですけど結構迷惑をかけてるなってのもあったりとか、あと単純に裏方で行っていた場所に自分が演奏する側として行くようになる場合もあって、それはまだいいんですけどその逆とか、自分が出たフェスの翌日に下働きとして行くとか精神的に結構キツくて(笑)そこらへんから、しっかり将来を考え始めたのがきっかけです。その頃から自分のバンドのグッズやデザインの簡単な仕事とかはしていたんですけど。元々は頼めばお金もかかるしDIYでやらなきゃいけなくて、幸い自分の中でアイディアはあったので、じゃあとりあえずやってみようって始めたのがきっかけです。なので最初の頃のデザインは目も当てられないですね(笑) レコードの盤面でこのフリーフォント使っちゃったんだとか。そんな感じで自分の周りのことをやっていくうちに、知り合いからもやってほしいって言われてTシャツのデザインするようになったりしましたね。
- ちなみに何故池ノ上にお店を出そうと思ったんですか?
ゴロー - お店の場所がここになったのはMIN-NANOの前にこの物件に入ってたお店を元々友達がやっていたんです。そこのショップのロゴデザインを僕がやっていたのでお店に遊び行くじゃないですか。で、来たときにすごい雰囲気が良かったんで、こういうお店ってなんか面白いかもしれないって、漠然とお店やりたいって気持ちもずっとあったので思ったんですよね。そしたらその後そこが移転することになって、すごい良いタイミングで物件が空くと。しかもその前に入ってたお店の会社でバンドのメンバーが働いてたっていうのもあって、声をかけてくれたんですよね。「お店とか向いてると思うし協力するからやったら?」って。なのでそのメンバーに背中を押された感じで店をスタートしました。
- 自転車との出会いっていうのはいつだったんですか?
ゴロー - 自転車との出会いは小学校の時にさかのぼります。元々父親が車の修理とかなんでも自分でやる派の人で、自転車のパンク修理を小3くらいの時かな、できるようになった方がいいって事で叩き込まれました。でパンクの修理をできるようになったら家族の自転車がパンクしたときに、僕が直して300円もらうみたいな家庭内でのビジネスが出来て、僕もおこづかいが欲しいから最終的には家の近所の人のパンク直したりして、自転車をその頃からいじってたんです。その後ブランクがあいて普通にただの移動手段って感じの付き合いだったんですけど、大きかったのはピストが出始めたときに、「あ、これ全然おれいけるな」というか、それまではちょっと値段のするマウンテンバイクとかに乗ってたんですけど、ディスクブレーキとかゴチャゴチャしててよく分からないみたいな。
なのでピストを最初に見たときにこれは自分でも直せるやつだってなってそこから自転車に一気にハマっていきましたね。
- 仕事の幅も広いですよね
ゴロー - まあでもそういうのってみんな結構そうだと思うんですけどスケートしながらカメラやったりとか音楽やってる人でも音楽だけじゃないですよね。僕は私生活ダメダメだけど作る音楽すばらしいみたいな、アーティスト志向のミュージシャンって苦手なんで。そういう人には引いちゃうというか、まあ冷めてるのかもしれないです。僕が東京出身だからっていうのも少しはあるかもしれないですね。殆どの人たちってすごい夢を抱いて上京しますよね。僕はそこまでのエネルギーがないというかどっかひねくれてるというか、そういう人たちを「すごいねあの人たち」って見てるって感じでしたね。それって要は自分にそこに踏み込む度胸がなかったからなんですが。
ゴロー - ファッションに目覚めたときにスンナリ行列に加われない感じと同じで、メインストリームのど真ん中には入れないんですよ。パンクとかも誰も聴いてない音楽を自分は聴いているみたいな。そもそものきっかけも周りは誰も聴いてないから惹かれたりするっていうか、入り込んではいるんですけどじゃあ中学生でいきなりミロス・ガレージに行くかとかそういう感じでもなく。要は中途半端だったんでしょうね、あはははは(笑)今にも言える事なんですけどバンドで俺らロックでしょとか、音楽で食ってくしかないでしょみたいなそういうテンションには最初からなれなくて、要は自分のやりたくないことをやらずに好きなことをひょうひょうと、どうやって続けるかっていうのをテーマにしてる気がします。
- MIN-NANOはできた当初からなんでもやるっていう感じだったんですか?
ゴロー - 最初は結構ふんわりスタートしたんで、いきなり洋服屋をやる度胸もなく、でもバンドがその当時あったので形だけでもバンドでお店をやってるみたいなそういうコンセプトにしようってことにして、メンバーもお金を貸してくれたりとか、そういうサポートがあってスタートしたんです。だから最初は自分のバンドの過去のTシャツとかを再販したりとか、あとは自転車はやりたいっていうのはあったんで知り合いの自転車屋さんに協力してもらって、バンド関連のグッズ半分あと自分の好きなもの半分みたいな感じでスタートしました。その頃はブランドらしいブランドは置いていなくて、自分たちのバンドの商品と海外のバンドだったりとかの商品を輸入してきて売ったりしてましたね。でもそのときは自分にとって本当にオンなものというより、バンドのフィルターを通したUSインディーのバンドだったりとかエモっぽいバンドだったりとか、そういうTシャツを置いてましたね。
- Warpの対談を読んだら、Odd Futureの出現が大きかったということでしたが?
ゴロー - そうですね、自分のなかではお店の転機にもなることで、ちょっとその前くらいからアメリカの今のハードコアバンドを聴くようになって、それが2010~11年くらいのことなんですけどそういうバンドのマーチャンダイズのTシャツが異様にかっこいいみたいな自分のなかのブームがあったんです。他に売ってるとこもなかったし、ハードコアバンドのTシャツを彼らから直接買ってお店で売るっていうのをやってました。それでなんか他に面白いネタないかなって思ったときにOdd Futureもそのとき聴いてたんで、探して見てたらOdd Futureにハードコアのやつがいるなってわかって、そこから急にこれはなんだろみたいになって、Stray Ratsを知り、コンタクトを取り始めるっていうのがきっかけでしたね。
ゴロー - その当時としてはこういう場所でお店をやっていて知名度もなくて、国内の会社が扱ってる商品を置かせてほしいって言ってもどこも置かせてくれないっていうか、は?みたいな感じで相手にもされないし基本自力でやるしかなくて、その頃は丁度円高もあったしスニーカーを買い付けるついでに、他がやっていないありふれたスケートブランドの誰もピックしないマニアックなネタのものをやるとかそういう感じのTシャツを増やしていってたって感じでした。あくまでもその時は自分は自転車屋だっていうスタンスでやっていたんで、Tシャツに重きは置いてなかったですね。でもそのOdd Futureと出会っていろんなブランドがあるって知ってからは、自分もどんどんそっちにハマっていったしお店のセレクトにも大きい転機があったと思います。
Pt.3へ続く