中津川吾郎(MIN-NANO/TOXGO)インタビュー - ここにしかないお店が出来るまで - Pt.1

渋谷から京王井の頭線の各駅停車で5分もあれば、池ノ上駅に着く。駅を降りるとすぐに商店街がある通りに出る。その通り沿いにはスーパーやコンビニ、居酒屋などが立ち並んでいて、ここは閑静な住宅街が広がる街なんだろうなという想像が初めて来たとしても容易につく。The Good Company、LQQK STUDIO、Stray Ratsといった現在のストリートファッションの新しい形を作っているブランドを、日本で1番早くピックアップしたお店、MIN-NANOはそんな穏やかな通り沿いにある。MIN-NANOにはここだけでしか買えないセレクトされたブランドやオリジナルのアパレルだけでなく自転車やMix CD、雑貨まで所狭しと置かれている。そんなMIN-NANOのオーナーであり人気バンドCOMEBACK MY DAUGHTERSの元メンバーだった中津川吾郎ことゴローさんに、どうやってMIN-NANOが形作られてきたのかをルーツから聞いた。

写真 : 横山純 取材・構成 : 和田哲郎

- 音楽との出会いはいつ頃だったんですか?

ゴロー - そうですね、今の自分の基礎となるものに気付いたのは中二くらいの時だと思います。外国の音楽とまず出会って、その時ローカルのFMで大貫憲章さんがラジオをやっていたんですね。その番組を同級生から「ヤバいよ」ってすすめられて、一緒に聞くようになりました。そこで色々それまで自分が聴いていたトップヒッツ以外の音楽、パンク・ハードコアなんですけど、それと出会いずっぽりハマっていったのがきっかけです。特にSnuffというバンドにすごいやられて、Bad ReligionとかNOFXとか、言い方が悪いかもですがメロコアの走りみたいなバンドを、ラジオをチェックしてはメモって時には買いに行きひたすら聞く日々をずっと過ごしてました。それが22~3年前で中3から高1頃です。

- じゃあファッション的にはその時はもうバンドTシャツとかを着てたんですか?

ゴロー - その時はそこまでは追いついてなくて、正直ダサかったです。単純に制服ってのもあるし、高校も制服だったんです。なのでBoonとか見て別にこの店とか決めずに近所のスケート・サーフっぽい店に行って、Tシャツを買い靴はAir Jordanの様なバッシュとかよくいる普通の学生って感じでしたね。その時はまだファッションは強くは意識せず単体で好きなものをピックしてるって感じでカルチャー感みたいなのは皆無でした。その後になるのですが高2か高3くらいのときに裏原宿のムーブメントがスタートしはじめた頃、丁度高3の時にピザ屋でバイトしてたときの同い年のバイト仲間がそういうのが好きで、一緒に買い物に行こうって原宿に行き、その彼にNowhereに連れてかれたのが自分のカルチャーを意識したファッションに目覚めるきっかけだったと思います。

- 裏原に行って面白さみたいなものを感じましたか?

ゴロー - すごくありましたね。まず雑誌に載っていないものをここのエリアの人がみんな同じものを着てたり、その時はみんな同じ靴を履いていて。で、あれなんだろう?すげーかっこいいなと思って、それはNorthwaveなんですけど(笑)。でもどこにも売ってないし情報もないし、これはなんなんだろうって自分で調べ始めました。雑誌に載ってた問い合わせ先のショップに電話しても当然売り切れてるしみたいな感じで。多分裏原のコミュニティーに近い人しかゲットできてなかった感じだったんでしょうね。だから欲しいけど買う手段がないというか。ただやっぱりその時はまだ自分も「じゃあ毎日行こう」とか並ぼうとか、そういうのはなんか照れくささがあって、あくまでもさらっと行ってあったらいいなっていうスタンスでした。今考えると考えが甘すぎるんですが(笑)

MIN-NANO

- その時に買った印象的なアイテムはありますか?

ゴロー - Northwaveの靴がどうしても欲しくて、ようやくゲットできた時はとても嬉しかったのを覚えてます。あとその当時Nowhere行ってもいつも全然商品がないんですよ、たまたま行った日がBathing ApeのTシャツが出た日で、速攻買ってそれをすごく大事に着てたのを覚えてます。その時はまだこのブランドがっていうのは意識してなかったんですけど、やっぱりgoodenough、Bathing Apeが印象的でその時はまだ自分の中にSupremeは存在してなかったです。

- 音楽の聴き方は裏原に行くようになって変わったりしましたか?

ゴロー - そこは全然変わらなくて、自分の中ではパンク/ハードコアがすごく大きく海外のバンドだったりとか当時の日本のHi-Standardとかその周りのバンドのレコードを買ってました。その時はまだファッションも好きだけど、どちらかというと音楽の方に重きがあるっていうか、音楽ありきでそれこそバンドの人たちが着てたから服もチェックするみたいな感じもありました。

- その時は大貫憲章さんのロンドンナイトとかには行っていたんですか?

ゴロー - 行ってないです、入り口は大貫憲章さん、ヒカルさんとかだったんですけどやっぱり好きになっていくとどんどん深くなっていっちゃうので、しかもラジオ番組も2年くらいしたら終了しちゃったんですよね。その頃はアンダーグラウンドな日本のパンク・ハードコアが好きだったので、そういうシーンにハマって毎週のようにライブに行くという感じでした。その頃はバンドの人がアパレルを始めはじめた時期でもあり、そんなブランドを着るっていうムーブメントがあったんですけど、それはもう違うなと思ってたんで、普通にSupremeでしょって感じでそういうブランドはあえて着ずにそういうシーンにいるみたいな感じでした。

- Supremeとの出会いはいつ頃だったんですか、ゴローさんにとっては大きい存在ですよね。

ゴロー - めちゃめちゃでかいです。自分が10代の終わりくらいの時にボックスのロゴのTシャツが出たのが最初のきっかけですね。すごいかっこいいなと思って、その頃はもちろんSupremeの店もなく普通に並行輸入のショップでTシャツを買って着てました。そこからはもうどっぷりというか、でもそこでこれまた自分の嗜好が出てしまうんですけど全身Supremeになるのはヤダって感じで、変なアレンジを加えるっていうかパンクとかも好きなんでハードコアバンドのTシャツ着てキャップはSupremeみたいな、そういう感じのコーディネートでした。Los CrudosのTシャツ着て買い物行ったりしてましたね。そこは今もあまり変わらないですけど。

ゴロー - HecticやMade In Worldに学校が終わったらドキドキしながら行って入荷してたら買うみたいな感じで、スタジャンが入荷してたけどお金がなかったりとか苦い思い出もありました。代官山の店ができる前に一瞬だけオープンしたテクニックもかなり行ってましたね、奈良ビルの2階の。もちろん長い期間の中であまり着なくなったときもあったんですけど、基本的には18~9で出会って毎シーズン何かしら買うみたいな感じで1ファンとしているという感じです。

- Comeback My Daughtersの始まりはどんな感じだったんですか?

ゴロー - 始まりは僕が専門学生の頃なんですけど、その時の同級生が同じような音楽やファッションが好きだったので、よく一緒に遊んでたんですよね。その同級生と遊びでバンドをやってたんですけど、その彼の地元の福岡でバンドをやってた友達が上京するんだけど一緒にバンドをやる人がまだいないと。だからバックバンドじゃないけど手伝わないか、みたいな話になって始めたのがComeback My Daughtersのきっかけです。楽器は高校生の時にバンドをやってたのでその頃からですね。高校生の時は普通にコピーバンドをやっていて、その時もまだメロコアとかも流行る前だし同じものを聴いてる人たちがいなかったんですよね。でもバンドやりたいから、渋々Mad Capsule Marketsのコピーとかしてましたね、そこらへんは振り返りたくないですね。はははは(笑)
当時は当時で楽しかったんだと思います。

- 専門学校でComeback My Daughersを始めて、その時はバンドで絶対食べていこうとは思っていたんですか?

ゴロー - それは一切なかったです。その時は漠然と自分で何か仕事をやりたいなっていうのはあったんですけど、そんな自信もなく度胸もなかったんで、とりあえずはバンドが楽しかったんでバンドが続けられればいっかって感じでした。音楽関係の専門学校だったんですけど、親に行かせてもらってる手前全然違う仕事に就くのもなんだかなと思いながらも一方で洋服屋で働きたい気持ちもありました。ただ自分じゃ無理かなみたいなという元々の性格からか、音楽の専門学校行ってたんだから音楽関係の仕事をしようってことで就職しました。

MIN-NANO

ゴロー -就職先は音響関係のレンタル会社なんですけど、レコーディングエンジニアの方たちにレコーディングの時に使う機材を貸す仕事です。ヴィンテージのエフェクターとかマイクとか出始めのPro Toolsのセットとか。元々はバンドやってたってのもあって、ギターアンプとかドラムとか楽器類を貸し出す仕事のつもりで入ったんですがちょっと違いました。ま、入社してから気付くんですが(笑)
結局足掛け12年くらいその業種をお店始める前まで続けてましたね。
なのでその時はただ単にオシャレするのが好きな機材屋で働く食えないバンドの人って感じでした。

Pt.2に続く 

RELATED

【インタビュー】JUBEE 『Liberation (Deluxe Edition)』| 泥臭く自分の場所を作る

2020年代における国内ストリートカルチャーの相関図を俯瞰した時に、いま最もハブとなっている一人がJUBEEであることに疑いの余地はないだろう。

【インタビュー】PAS TASTA 『GRAND POP』 │ おれたちの戦いはこれからだ

FUJI ROCKやSUMMER SONICをはじめ大きな舞台への出演を経験した6人組は、今度の2ndアルバム『GRAND POP』にて新たな挑戦を試みたようだ

【インタビュー】LANA 『20』 | LANAがみんなの隣にいる

"TURN IT UP (feat. Candee & ZOT on the WAVE)"や"BASH BASH (feat. JP THE WAVY & Awich)"などのヒットを連発しているLANAが、自身初のアルバム『20』をリリースした。

MOST POPULAR

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

WONKとThe Love ExperimentがチョイスするNYと日本の10曲

東京を拠点に活動するWONKと、NYのThe Love Experimentによる海を越えたコラボ作『BINARY』。11月にリリースされた同作を記念して、ツアーが1月8日(月・祝)にブルーノート東京、1月10日(水)にビルボードライブ大阪、そして1月11日(木)に名古屋ブルーノートにて行われる。