【コラム】なぜChief Keefには、誰も追いつけないのか

2011年に14歳でデビューを果たし、その翌年2012年に発表された"I Don't Like"でUSのヒップホップシーンに衝撃を与えたChief Keef。全米最悪の治安といわれるシカゴ南部出身のChief Keefやその仲間たちの楽曲はドリルと呼ばれ、UKやNYなどにも派生していった。シカゴを離れたChief Keef自身はドリルサウンドには固執せずに、ユニークで独創的なチャレンジを続けており、無事今年で26歳を迎えた。

今回一躍その名を轟かせた『Back from the Dead』の10周年を機に、Chief Keefのこれまでの活動を追うテキストをzcayに寄稿してもらった。

文:zcay

Young Thug、Future、Earl SweatshirtにLil B。この10年でラップを先に進めた何人かのアーティスト達と並んで必ず名前を挙げなければいけない存在がChief Keefだ。

戦時下のイラクを上回る殺人件数から「Chiraq」とも呼ばれたシカゴ南部のハードな地域で生まれたラップのサブジャンルである「Drill」を世界に知らしめ、その暴力性とソリッドな表現は同じように困難な環境に育った、まだ何も持っていない世界中の子供たちに「俺もこれをやるべきだ」と思わせた。そしてそのKeefによって撒かれた種は多くのフォロワーを生み出し、やがてUKドリルやNYドリルといった更なるシーンに派生する。

だが、Chief Keef自身はもうそこにはいない。常に先を行くのがKeefなのである。

ストリートとインターネットヴァイラルのハイブリッド

Chief Keefは多くのストリートラップの伝説達と同様、地元から大きな尊敬を集める存在であったと同時に、ソーシャルメディアや動画サイトを通してそのプロップスが世界中に拡大していくという、ストリートのプロップスとインターネットのヴァイラルがハイブリッドに融合した最初のラッパーでもあった。

5歳からラップを始めたKeefだが、12歳の頃には自宅に居候として同居していた日本人プロデューサー DJ KENNとオリジナル楽曲のレコーディングを始め、“Bang”などの楽曲がネットを介して発表されると、Keefはすぐにマスメディアや大人達はまだ気付かない、シカゴのキッズ達のヒーローとなった。

Keefの才能が地元のキッズだけでなく、全米そして世界中に知られるようになるドミノの始まりは2011年の12月だった。当時16歳だったKeefは、シカゴのハイドパーク近くで発生した銃撃音を聞きつけた警官に銃撃され、Keefもまた警官に銃を向け返したために逮捕されることになる。この時、Keefは少年法に守られる形で合計60日間の在宅拘禁を課せられるが、地元のキッズ達の間では「Chief Keefが警官に撃たれて死んだ」という噂に発展した。

その翌年2012年の1月。ラップのMVや街の喧嘩動画などがアップロードされる当時人気の動画ポータルサイトWorldStarHipHopに、Keefが出所(在宅拘禁明け)したことを知ったファンボーイ小学生が大興奮し、Keefの名を連呼して部屋中を飛び回る動画がアップされ、ミーム動画として広まった。

この動画で少年が連呼する「Chief Keef」なる未知のラッパーについて興味を持った多くの視聴者が彼の名前を検索すると、そのトップに表示されたのが前年に発表された“Bang”のMVであった。こうして世界中のラップオタク達がシカゴのドリルシーンを発見することになる。

Keef自身もまたそうしたストリートの噂やインターネットのヴァイラルを利用することに意識的だった。警官との銃撃で死んでしまった噂を利用する形で、2012年の3月に発表するミックステープに『Back From the Dead』(死から戻ってきたぜ)の名を冠してリリースすると、DatPiffを始めとするミックステープ配信サイトなどで推計100万ダウンロードを記録。収録曲の“I Don’ Like”のMVはトータルで7000万回再生を記録し、後にKanye Westによるオフィシャルリミックスがリリースされるほどになった。

ストリートを覗き見るオタク、過激化するラップ

DJ KennやYoung Chop(そしてDJ L)らのソリッドでダークなサウンド。隣り合う地域の敵対するギャングを挑発し、時に殺害を予告する無慈悲なラップ。こうしたシカゴ南部のハードな地域で生まれたハードなラップのスタイルは、撃つ、殺る、カマす、といった広くアグレッシヴな意味が含まれるスラング、「Drill」がそのまま名付けられた。

このDrillというスラング、そして音楽ジャンルとしての定義は、シカゴのウッドローン地区のギャングがそれら地区を「Dro City」と呼んでいたこと、そしてそのDro City出身であるPacmanKing Louieが、自らの音楽スタイルを「Drill」と定義したことが発祥だが、このDrillを世界中に紹介し象徴的な存在となったのが前述のとおりChief Keefだった。

そんなKeefやその他のドリルアーティスト達による現在進行形の生々しい暴力表現は、同時にラップシーンに多くの負の側面をもたらすことになる。ごくローカルなギャング同士の抗争がラップというフォームで、ソーシャルメディアや動画サイトを介して拡大していき、その様子を安全圏から野次馬的に面白がるオタク達(もちろん、これを書いている自分もその罪を逃れられない)の構図はさらなる暴力を助長した。そして、まるで自家中毒にでもかかるかのように若いラッパー達の行動は過激化していき、多くの若く才能のあるラッパー達が長い懲役を課せられたり命を落としていくことになる。強盗殺人罪での逃走中に、警察に追われる様を曲にして大ヒットさせたTay-Kも、Keefから多大な影響を受けた一人だ。また、このような構造はアメリカだけでなく、UKのグライム/ロードラップ/UKドリルのシーンや、現在の日本のアウトローラップなど、世界中でも見られるようになる。

DGainz -レーベル化するYouTubeチャンネル-

Chief KeefはYouTubeがラップの主戦場となった時代の最初のラップスターでもあった。当時、フルHDで動画を撮影できるCanonの7Dや5Dmk2といったデジタル一眼カメラが若いカメラマンにもようやく手の届く価格帯に落ち着き始めた頃、ビデオディレクターのDGainzは、Shady "Go In”を始めとする曲のドリルミュージックのビデオを手がけ名前をあげ始めていた。そのDGainzとFacebookを介して出会ったKeefは、DGainzが持っていたCanon 7Dの画質に驚き、すぐさま彼にビデオの撮影を依頼する。

ハイチやアフリカのムードを参考にしたという色褪せた色調に立ち込める煙。自宅拘禁という「諸事情」が狭い画角に沢山のモブを詰め込み、手持ちのカメラワークと一眼カメラ独特の浅いピントが冷徹なKeefの視線と周囲の少年ギャングを行き来すると、観る者にまるで映画『シティオブゴッド』のような緊張感と背徳感を与える。

こうした“Bang”や“I don’t Like”といった一連のKeefとDGainzのタッグによるミュージックビデオは、その後の世界中のギャングスタラップビデオの雛型となった。

また、それらの楽曲のビデオがKeefのチャンネルではなく、ビデオグラファーであるDGainzのチャンネルにアップロードされたことも現代のラップシーンを予見している。ラッパーは楽曲とパフォーマンスを提供し、ビデオグラファーは撮影や編集にかかる費用を負担する代わりに広告収益を得る。そして生まれたヒット曲のバズの恩恵を受ける形で、同じチャンネルにアップロードされた他のアーティストのビデオも再生され、YouTubeのアルゴリズムがさらにそれらをブーストする。

こうしたYouTubeチャンネルのレーベル化・ブランド化が、ラジオプレイやミックステープサイトでの配信といった従来型のプロモーションを上回る効果を見せはじめたのがこの時期であった。そして、このようなラッパーとビデオグラファーの関係性は、その後、各地域のストリートラップのYouTubeチャンネルが模倣する事となり、現在では同じイリノイ出身のCole Bennettが運営するLyrical Lemonadeや日本のDex Filmzなどにも間接的な影響を与えている。

新しいフロー、新しいサウンド

ドリルサウンドで世に出たKeefだが、彼は一つのサウンドやフローに固執することなく、常に新しいフローやサウンドを探し続けるタイプのアーティストであった。おおむね、2013年頃までの初期のKeefの作品が、ハードコアパンクのようにシンプルで暴力的なサウンドが基本としていたのに対し、2014年以降の彼はドリルの枠に留まらずさまざな実験を続けていく。

変則的なビート、曲ごとに異なるフロー、多彩かつ奇妙なアドリブ、オートチューンとメロディの探求。弱さ、愛なども歌う豊かなエモーション。自身の成功体験に縛られず、新しいサウンドを追及し続けた Keefのプログレッシブな取り組みは、彼がこれまでに発表してきたいくつものプロジェクトや無数のリーク楽曲で確認できる。

たとえば、この10年で最も重要なラップ作品の一つとして名高い『Back from The Dead 2』、DPBeatsと夜な夜な繰り広げた実験成果物である『Almighty DP』、彼なりのラブソングに取り組んだ『Thot Breaker』、ポップさと攻撃性が両立した最新のスタジオアルバム『4NEM』に至るまで、そのスタイルは常に進化し続けている。そして今では、ラップとは常に進化し続けるものだということを証明する数少ないリーダーの一人となり、Lil Uzi VertPlayboi Cartiといった多くのフォロワーを生み出すことになる。

アドリブ/セルフ合いの手

「スカー!」という車の急ブレーキ音を模したアドリブは、今や普段ラップを聴かない日本の若者達にも認識されているほどだが、こうしたアドリブについてもKeefが直接的、間接的に与えた影響は大きく、今では日本を含む世界中に、アドリブを通してシカゴ南部のギャングが使っていたスラングが世界中に輸出されることになった。

もちろん、アドリブ自体は特にKeefの専売特許というわけではない。彼が最も影響を受けたラッパーといえるGucci Maneの「バー!」をはじめ、トラップやクランクなどのドリルより前の時代の多くのサウスラップで既に多用されていた手法であるし、またKeefと同時代の多くのラッパー達もアドリブやセルフ合いの手に取り組んできた。だが、“Bang”の「バインバイン」からもわかるとおり、彼はキャリアのごく初期から、アドリブを単なる合いの手以上の、現代のラップソングを構成する重要な要素として認識していた。

彼のアドリブの特徴はその多彩さにある。バインバイン!、スカー!、スクスクー、スクワッド、グラァ~、ンナァ~、ケッチャッ!、ソウサベビ、レツゲリ、ドゥドゥドゥドゥドゥ。全てを書き出せばキリがないが、数あるアドリブの中でも、通(アドリブ/セルフ合いの手の通達)からの評価が高い「ピ~」の代表曲として名高い“Kay Kay”、使用頻度自体は少ないものの、多くのファンの脳裏に焼きつく「ハハハ」が披露された“Laughin To The Bank”、メインのラップと/セルフ合いの手の境目が曖昧になり、やがて自分自身とのデュエットの様相を呈する“Belieber”などの楽曲を聴けば、彼のアドリブ/セルフ合いの手への意識的な取り組みがよくわかるだろう。

上の世代にも影響を与えるKeef

昨年急逝し世界のファッション業界に衝撃を与えた同じイリノイの出身でオフホワイトの主宰やルイ・ヴィトンのクリエイティブディレクターとしても知られるVirgil Ablohは、自身がディレクターを務めていたBeen Trillから、当時逮捕されていたKeefをサポートするための”Free Keef “Tシャツをリリースした。またシカゴ美術館で行われた自身初の個展では、SupremeとのコラボでKeefをビジュアルキャラクターとして起用したTシャツを発売するなど、常にChief Keefを象徴的なアイコンとみなしていた。

世界で最もパワフルなカップルといえるBeyoncéとJay Zが組んだユニット、The Carters "Ape Shit”では、Jay Zが“Faneto”の歌詞を引用し、”俺はクーペ乗って動物園にビタ付けするゴリラ、まるでラフィキ ミーツチーフキーフ"とラップする。二人がどれだけ金を持っていてパワフルな存在なのかを世界に高らかに宣言する曲で、Jay Zは自身をChief Keefに喩えたのである。そして、この“Ape Shit”を2018年のベストソングとして発表したのが、オバマ元大統領である。かつてKeefが住んでいたおばあちゃんの家のリビングにはオバマの写真が飾ってあったことを考えると、なんとおばあちゃん孝行な出来事だろうか。

※写真は「ソバマ大統領」

但し、Keef自身は自分が興味のない音楽業界の先輩たちには一切興味を示さず、誰かに媚びを売ったり、業界のレーベルの言いなりになることはしなかった。『Back From The Dead』の成功後、各レーベルの争奪戦の末、Keefはインタースコープと契約しデビューアルバムとなる『Finary Rich』をリリースする。

インタースコープはこの時、同じレーベルの50centをKeefのメンターという「テイ」でプロモーションに利用しようとしたが(この50centがメンターのテイはThe Gameの頃から何度か利用された)、Keefはそうした見立てには関心を示さなかった。

実際、Keefは自身のシングル“Hate Being Sober”のビデオ撮影をバックれ、本人抜きでゲスト参加の50centとWiz Khalifaだけが砂漠でバギーに乗って頑張る、というラップ史に残る珍ビデオが作られることになった。このビデオは長らくお蔵入りとなっていたが、撮影からおよそ8年後の2020年、当時のことをふと思い出した50centが腹いせかのように自身のチャンネルから公開した。

ビートメイキング、学びの姿勢

Keefは自らビートメイクをこなすプロデューサーでもある。

今やアメリカ中の若者達のパーティアンセムといえる“Faneto”(Young Chopとの共作)や自作ビートの詰まった『Bang3』などが制作された2014~2015年頃から本格的にビート制作を始め、最新作の『4NEM』でも自作ビートを使用するほか、Lil Uzi Vert2 Chainzなどへのビート提供も行っている。

Keefが本格的にビートメイキングを始めるきっかけとなったのは、後に『Almighty DP』などの共作プロジェクトを発表するDP Beatsとの出会いにある。DPの才能に目を付けたKeefは、彼をLAの自宅に呼び寄せると、そこから4か月にわたり毎夜レコーディングを続ける共同生活を始める。その目的は単にDPのビートでラップを録音するだけではなく、KeefはDPにビートメイクのイロハを学び、吸収することも目的だった。すでに“Faneto”などいくつもの自作ビートの曲を発表していたKeefだが、彼はそのレベルでは満足せず、授業後に先生への質問を欠かさない熱心な生徒のようにDPに対してビートメイクの質問を何度もぶつけ、DPもまた、彼の学びの姿勢に感化され、Keefから多くのことを学んだという。

また、重要なのは、ただ彼がビートを作れるということではなく、そのアイデアや独創性、サイケデリアが唯一無二のものであることだ。たとえば、古代中国と80年代のナムコミュージックを自由に行き来するような時空を超えたビートチェンジを見せる"The Moral"、ただの甘いラブソングにもダビーな修飾を重ね気恥ずかしさを覆い隠す様がどこか現代のDigicoreキッズとも共通する"Whoa"(CBMIXとの共作)、無印良品の店内BGMのような民族的で特徴的なリードを聴かせる"Bestie"など、挙げればキリがない。

音楽に留まらないDIY精神

彼のクリエイティビティと好奇心は音楽だけに留まらない。彼は自らAdobe製品を操り、テキストの境界線の厚みやレイヤーの透明度を調整するグラフィックデザイナーでありファッションデザイナーでもある。そして自前のゲーミングチームGlo Navy Gamingを持ち、ゲームの競技イベントをホストする。

何かを学び、何でも自ら実践してみる。Keefが独立した真のアーティストであり続けていることの裏側には、こうしたDIY精神と、自分が知らないことを知っている人には謙虚に学ぼうとする「学び」の姿勢がある。

※画像はKeefがお手伝いさんから鶏そぼろのおいしい煮方を「学んでいる」ストーリーズ

メタバース、メタモビン

Kanye WestやLil PumpがGTA ONLINEROBLOXなどメタバースタイプのオンラインゲームを表層的に参照する一方で、そのメタバースの世界にもいち早く飛び込み、そこで起こるギャングスタラッパーならではの、さまざまな出来事を先取りしているのがChief Keefである。

Keefは自らのゲーミングクランGlo Navyの仲間と『GTA Online』内のロールプレイサーバー”Grind or Die”を立ちあげ、仲間のストリーマーのゲーム配信にも度々登場する。ロールプレイサーバーとは、ゲーム内で優劣を競うものではなく、キャラクターになりきって雑談したり、偶発的なドラマを楽しむことを目的とした、いわばごっこ遊びのためのサーバーで、ラッパーでは他にTee GrizzleもTwitchでロールプレイを配信している。

このロールプレイの中で、かつて彼がリアルで所属していたギャングと敵対関係にあり、何者かに銃撃で殺されてしまったLil JoJoの”BDK”(Keefの”Everyday”をジャックしたKeefへのディスソング)を誰かが流すとそれをKeef自ら歌い揶揄する。かと思えば、やはり同様に敵対していたTookaへのゲーム内での煽りに安易に乗っかったYBN Almighty Jayを一転たしなめるなど、3秒前まで一緒に笑ってたのに急にキレる系の先輩ムーヴを見せる。

全米一危険とも言われた地域でギャングとして育ったKeefが、メタバースの世界でさらにギャングを演じ、リアルとメタが入り混じる、いわばメタモビンとも呼べる入り組んだ世界を見せているのだ。

※Keefはこの2月末に突然Twitchで自身のアカウントを開設、この記事が執筆された2022年3月初旬時点ではまだ何も配信を行っていない。

何よりこの10年を生き延びたこと

ーコロナ禍の自粛期間中はどうやって正気を保ってた?

「俺はそれがクールだの言われる前からそれをやってる」

ーあなた自身は自粛期間中にどんなことをしていたの?

「俺は、”俺”をやってる」

インタビューでこう受け答えしているとおり、自粛期間を特に苦としなかったというKeefだが、彼を読み解く重要なポイントとして、彼のインドア志向というものがある。特にシカゴからLAに移住してからは、自宅にゲームセンターを作り、彼のゲーミングクランの仲間(オタク系)と無邪気に遊ぶ姿が沢山見られるようになった。それはKeef本来の資質が垣間見えるようだし、”普通”の少年時代を取り戻そうとしているようにも見えた。

そして何よりインドア志向でなければなかった最大の理由が”命”の問題である。

実際、彼がこの10年のラップ業界で、最も特別な存在として居られた最大の理由として、シンプルに、”この10年を生き延びた”ことにあるだろう。

有名ラッパーや著名人がセラピーを受けるVICE TVの番組『The Therapist』に出演したKeefは、そのセラピーの中で従兄弟のBig Gloや仲間のCapo、そしてFred Santanaなど実に11人以上もの仲間が殺された体験を語る。そして子供の頃から慣れ親しんだ本物の銃を手放し、最近はおもちゃのペイントボールガンにハマっていることを明かすと「俺にもう銃は必要ないんだ」と答える。

昼休み。松屋で牛丼を食べながら何気なくスマホを開く。ついさっき、朝の電車の中で聴いていた絶頂期のラッパーの訃報が飛び込んでくる。世界中のラップオタク達はそんな経験を何度しただろうか。毎週のように、お気に入りのアーティストが突然この世界からいなくなる。そんな音楽ジャンルが他にあるのだろうか。

そういう世界でこの10年、Chief KeefはChief Keefをやってきたのである。

主な参照記事

初期のChief Keefのエピソードのほとんどが、長くシカゴのラップシーンを観察しChief Keefを追い続けてきたDavid Drake氏によるインタビューやコラムをソースとしている。ぜひチェックしてください。
https://www.complex.com/music/2012/12/chief-keef-online-cover-story
https://theoutline.com/post/3359/chief-keef-influence-essay?zd=1&zi=g3a5l6b3

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