【日本と韓国 : 隣国で暮らしてみて season 2 】| イ・ムジン

「日本と韓国 : 隣国で暮らしてみて」は『K-POPはなぜ世界を熱くするのか』の著者であるErinam(田中絵里菜)さんが立ち上げた企画です。日本と韓国それぞれで暮らした経験のある人にしっかりと話を聞いていきます。韓国は日本にとって最も身近な隣国。知れば知るほどもっと知りたくなる。生活も文化も考え方も。

現在デザイナー業が多忙なErinamさんから許可をいただいて、ライターの宮崎敬太がseason 2として企画を引き継ぎました。今回のゲストは翻訳家/コーディネーターとして活躍するイ・ムジンさん。ファッションやクラブミュージックなどストリートカルチャーに精通するムジンさんのこれまでとこれからを聞きました。

取材・構成 : 宮崎敬太

釜山の高校を卒業してひとり日本へ

- 前回ゲスト出演してくれた内畑美里さんを紹介してくれたのがムジンくんでしたね。

イ・ムジン - 今年の3月末ですね。僕が勤めているSOUND SHOP Balansaがオカモトレイジくんが主宰するYAGIと渋谷パルコでポップアップをした時。不眠遊戯ライオンのパーティにケイタさんが遊びに来てくれた時、明け方に美里も来てくれて2人をつなげることができました。

- 僕がムジンくんと出会ったのは去年でしたよね。

ムジン - そうですね。thisisneverthatが日本でローンチした時。僕はBalansaのボス・キム・ジフンさんと一緒に日本に来てて。その時、ケイタさんはレイジくんが作ったNewJeansのTシャツを着てましよね? ケイタさんと会う直前まで同じTシャツを着たレイジくんと一緒にいたので、「なんだこの人は!?」と思って話しかけたんです(笑)。

- レイジくんが「あのTシャツを着てれば話が早いですよ」って教えてくれたの。僕は韓国語を話せないし、めっちゃ社交的なタイプでもないから。レイジくんのNewJeans Tシャツのおかげでthisisneverthatチームともスムーズに話せたし、ムジンくん、ジフンさん、make-1さんとも仲良くなれた。ほんとレイジくん様様です。

ムジン - そうだったんですね(笑)。

- 最初ムジンくんが話しかけてくれた時、あまりに日本語がうまくて韓国の人だと思わなかった。

ムジン - 10年以上、日本に住んでましたからね。初めて来たのは2007年の1月。釜山の高校を卒業した大体1年後です。語学学校で1年間日本語を勉強して、同時に受験勉強もして、日本の大学に入りました。

- なぜ日本の大学に?

ムジン - 子供の頃から機械いじりが好きだったんですよ。ロボットを作ったりとか。そしたらおばさんが「だったら日本に行ってみたら?」と言ってくれて。そこからなんとなく日本を意識するようになって、気づいたら日本に留学する気になってました(笑)。

- ムジンくんが来た頃って日本と韓国は政治的にはそんなに良い時期じゃなかったじゃない。

ムジン - ですねぇ。ただ自分の中では勉強したいことを教えてくれそうな場所がたまたま日本の大学だったってだけ、くらいの感覚でしたね。語学学校にはほとんど同世代はいませんでしたけど。

- それはなぜ?

ムジン - やっぱり普通の韓国人はまず韓国の大学を目指すんですよ。男性だったら在学中に休学して軍隊に行って、そこから就職するなり、留学するなり、人生設計をしていくんですね。僕みたいに高校卒業してすぐ日本に来る人は、当時は本当に少ないというか、全然いなかったです。

- その時期に語学学校にいたのは軍隊を終えた人たちってこと?

ムジン - そうです。日本の企業に就職するために日本語を勉強してる20代半ば〜後半の兄さんばかりでした。兄さんたちは新聞配達のバイトをしてましたね。朝も早いし、体力的にも大変な仕事じゃないですか。でも軍隊に比べたら全然楽なんです(笑)。だから時給の高い新聞配達をしながら、日本語の勉強をしてる人が多かったですね。

- ムジンくんはご両親から仕送りで生活してたの?

ムジン - 最初の旅費と語学学校の入学金だけは出してもらったけど、それ以降は僕もバイトしてました。父が日本留学に反対してたというのと、僕自身も自立したかった。

- お父さんは反対だったんだ。

ムジン - そうですね。父はかなり苦労してきたので、やっぱり自分で子供を守りたいという感覚があったみたい。でも母は「やりたいことをやったほうがいい」と言ってくれて。ありがたかったです。どうやら父は今でも僕が日本と韓国を行き来する生活をあんまり快く思ってないっぽいですけど(笑)。

言葉を学ぶことは文化を学ぶこと。いくら勉強しても終わりがない

- 当時のムジンくんはどんなバイトをしてたの?

ムジン - 僕は深夜の居酒屋で朝まで働いてました。厨房で働けるほど日本語ができなかったけど、食べ物を運ぶくらいならできたから。あの頃は本当にお金がなかったので、ご飯を食べられたのがデカかったです。あと語学学校がない時間も日本語に囲まれてたかった。だから、わからない単語は全部メモして、あとで電子辞書で調べてましたね。それは大学に入った後も結構ずっと続けてました。

- 今の流暢な話し振りに慣れてるから、日本語ができないムジンくんが想像できない。

ムジン - 僕、語学が好きなんですよ。でも大学に入る段階ではそこに気づいてなくて。周りに相談したら、外国語は自分でも勉強できるけど、専門技術は教えてもらわないとわからないって言われて。当時は「確かにそうだな」と思ったんです。それで韓国の高校を卒業して、1年間日本の語学学校で受験勉強と日本語を勉強した後、大学の工学部に入りました。僕は自分が語学が好きだと気づいたのは軍隊から帰ってきた後ですね。

- 軍隊にはいつ?

ムジン - 大学2年の終わりに約2年間休学して行きました。3年生になると勉強が難しくなるから、早めに行ったほうがいいかなと思って。でも軍隊が終わって復学しても全然勉強が頭に入らなかったんです。軍隊に行って、自分なりに色々考えて、僕は本格的に語学を勉強したいと思うようになりました。大学の先生に学部を変えられないか相談したけど難しいと言われたので、4年の1学期の後半に大学を辞めました。

- えっ!?

ムジン - その頃はすでにかなり日本語を話せるようになってたから、日本語と韓国語を使って仕事をしたいと思ってたんです。

- 4年まで通ったなら「せめて卒業はしよう」と思わなかったの?

ムジン - 全く同じことを先生にも言われました(笑)。仕事は大学に通いながらでもできるからって。でも1年分の学費と時間を考えると、すぐに自分がやりたいことをやりたかった。僕にとって卒業という資格は全然大事じゃなかった。

- ムジンくんにとって語学ってどんなものなの?

ムジン - めちゃくちゃ奥が深い。言葉を学ぶことは文化を学ぶことと同じです。いくら勉強しても終わりがない。外国語はすごく楽しい。

- 大学を辞めたあとは何をしてたの?

ムジン - 当時はFacebookの時代だったので、いろんな人に片っ端から連絡して、コンタクトが取れた人に話を聞きに行って。韓国だと翻訳と通訳の会社があるんですね。そこに入ろうかなと思ったけど、いろんな人に話を聞くと「ムジンさんくらい話せるなら個人でもできるよ」って教えてくれて。通訳はとにかく自分で勉強すればするだけ能力が上がる。実は居酒屋でバイトしてた時も、ちょいちょい翻訳の仕事もしてたんです。

ノージャパン運動とコロナとBalansa

- Balansaに入ったのはいつ頃?

ムジン - すごく曖昧なんですよね。僕は釜山出身だけど、もともとBalansaと繋がってたわけじゃないんです。大学を辞めて、個人で仕事をしていく上で、韓国にも仕事の基盤が欲しかったから、僕は一回韓国に帰ったんですね。でも僕は高校を卒業してすぐ日本に来たじゃないですか。だからもう韓国には話が合う友達や知り合いがものすごく少なくなっちゃってて。

- 昔の友達はみんなそれぞれの人生を歩んでたんだ。

ムジン - そうです。そしたら大学の頃に友達になった画家のKentaro Okawaraから連絡があったんです。「ムジンが韓国にいるなら遊びに行きたい」って。Kentaroは僕の2〜3個下。すごく気があって、よく一緒にクラブに行ったりしてました。で、その連絡のちょっと後にKentaroから「韓国で(作品の)展示もできないかな?」って相談されたんです。そこで僕が場所の手配から企画までしました。その個展に美里が来てくれて、僕も彼女と繋がったんです。

- すごい話だね。そんな綺麗に話が繋がるとは思ってなかった(笑)。

https://www.instagram.com/p/BlXFildFLjO/?igshid=eGJlMzJlcXYyY25o

ムジン - Kentaroの個展はすごく評判が良かったけど、その頃、韓国ではノージャパン運動が起こってたんです。実はとある企業がKentaroの作品に興味を持ってくれていたけど、「消費者の反応を見る限り今は起用できない」みたいな感じになってしまって。僕自身も通訳の仕事がノージャパンの影響ですべてキャンセルになりました。でもKentaroの個展が韓国でいい感触だったから、もっと何かしたかったんです。それでBalansaとコラボしたら面白いかもと思って、初めてジフンさんに会いに行ったんです。

- 当時の韓国の一般的な空気感はノージャパンだったけど、Kentaroさんの作品を評価してくれる人たちもいたんだね。じゃあムジンくんはKentaroさんきっかけでジフンさんと会ったんだ。

ムジン - そうですね。ジフンさんも僕の提案に興味を持ってくれて。

- 韓国ではノージャパン運動が続いてたのに?

ムジン - ジフンさんは「そんなの関係ない」って(笑)。

- 超かっこいいエピソードだなあ……。

ムジン - それでコラボPOP UPの準備をしてたら、今度はコロナになっちゃったんです。Kentaroは日本から出られなかったので不在だったけど、POP UPは開催しました。僕がBalansaの事務所に出入りするようになったのはその後からですね。フリーの仕事が完全になくなってしまって、たまたまジフンさんと世間話してたら「仕事ないんだったらうちの事務所に来て、日本の仕事を手伝ってよ」って。

https://www.instagram.com/p/CDiaU3fnZP8/?igshid=OGRzcmUwNHVkZTZk

- うわー、ジフンさんほんと最高。

ムジン - 本当にお金がない時期だったのでありがたかったです。あとBalansaも日本の仕事が増えてきた頃だったので、ジフンさん的にもタイミングが良かったんだと思います。ジフンさんはGoogle翻訳を使ったりして日本側の相手とやりとりしてたけど、細かい話は言葉がわからないと難しいじゃないですか。最初は「1日数時間だけ」みたいな話だったけど、段々事務所にいる時間が増えてきて今に至ります(笑)。

- あとムジンくんはなんで日本のローカルなDJとも繋がってるの? 以前福岡に出張したとき初めてお会いしたフォトグラファーのRYOKOさんと撮影の合間に世間話をしてたら、カメラに加えてDJをされてて、しかもムジンくんと知り合いということも判明してめちゃくちゃびっくりしたんだよね(笑)。

ムジン - リョウコは福岡の友達、韓国の友達と繋がってたし、僕もいろんなDJの通訳兼マネージャーみたいな感じでよく福岡に行ってたんです。お互いなんとなく存在を知ってたけど会ったことはなかったんです。いつだか忘れたけどすごく寒かった日に彼女のクルーがchannel1969.seoulのパーティーでソウルに来てて、そのパーティーにタイガーディスコさんも出てたから、「俺が紹介するよ」って。

- 美里さんの『めちゃくちゃナイト』にも出てたTiger Discoさん!

ムジン - そうそう。このパーティが終わった後、リョウコたちもタイガーディスコさんを福岡に呼びたいって話になって。僕も通訳兼マネージャーとして付いて行ってって感じですね。

- なるほど。ムジンくんは日本語はもちろん文化にも精通してるから、日本で活動したいアンダーグラウンドなアーティストやDJにとってはものすごくありがたい存在なんだね。

ムジン - 友達とか僕が好きなアーティストやDJばかりですけどね(笑)。逆に僕が「この人を日本に連れて行きたい」と思ったら自分で企画もしますし。

お酒飲んでようが、遊び場だろうが、相手へのリスペクトはマナー

- 僕の中で韓国は超学歴社会というイメージがあるんです。でもムジンくんはすごく自由に生きてるように見える。

ムジン - さっきも少し話したけど、それは僕の親の世代までですね。今は別に良い大学や企業に入ることだけが人生じゃないって感じになってきてる。親の時代は国が貧しかったから、良い会社に入ることが重要だったんです。1人ならともかく家族がいたら、ご飯を食べさせてあげなきゃいけないじゃない。安定した暮らしをするためには、良い大学に行って、良い会社に行って、良い給料をもらって色々できる。

- 確かにムジンくんのご両親の世代だと、90年代後半から00年代後半くらいの韓国は経済的に大変な状況だったもんね。

ムジン - そうそう。そういう意味では若者の認識もだいぶ変わったと思いますよ。

- でも僕からすると、韓国の人たちは勤勉な人が多いイメージがある。

ムジン - 単純に成功したいんだったら、とりあえず勉強さえすれば、いい職場に就職できる確率が上がるからじゃないですかね。だって勉強は一番簡単じゃないですか。自分がやれば良いだけだし。僕に関して言うと音楽だけ、芸術だけで生きていくのはちょっと不安なので、人生の保険として勉強をしてるってとこもありますね。

- おそらく韓国は国が貧しかった記憶がまだ風化してないっていうのがあるかもね。日本だと祖父は戦中戦後世代で貧しい中を生き抜いてきたけど、孫の僕の時代には「一億総中流」なんて言葉もあったんだよ。今の日本の状況はそれからもかなり変わってはいるけど。

ムジン - どうでしょうね(笑)。でも僕も高校を出て日本に来た時は必死でしたよ。さっきも言った通り、友達はおろか、同い年の韓国人もいない。それでも韓国に帰らなかったのは、語学で一番大事なのはニュアンスだと気づいたからです。父は語学の勉強ならガイドブックや塾に通えばいいって言ってたけど、言葉はその国の文化を知らないとダメなんです。なんでこの場面でこの言葉を使うのか。なんでこの言い方をするのか。そういうのはその国で生活しないとわからないんです。

- そういえばムジンくんは発音もすごく練習したと言ってたよね。

ムジン - そうですね。ドラマや音楽で知った日本語を自分で喋ってみて、それをボイスメモみたいのに録って何回も聞き直して、正確に発音できるようになるまで練習したり。

- たぶんムジンくんは僕の知る限り、一番日本語がうまいと思う。

ムジン - ありがとうございます(笑)。まあでも僕はフリーランスですからね。頑張らないとお金入ってこない。でも自分で選択して今の状況を作ったから、別にストレスはないですね。それに僕はいろんなところに行って、いろんな人に会ってインスピレーションを受けるのが好きなんです。

- 11月11日にムジンくんの企画でLIONCLADが来日するんだよね。プレイスタイルとしては日本のSTUTSさんのようなMPCを使用したスタイルだけど、サウンドはもっとアブストラクトだね。すごいかっこよかった。

LIONCLAD

ムジン - 結構いい感じだと思うので、この記事を読んで気になった人はぜひ遊びにきて欲しいです。

- あと最後にもうひとつ聞きたいのは、美里さんも言ってた韓国のクラブシーンが女性に対するセクシャルハラスメントをどう捉えているのかを教えて。

ムジン - 美里が言ってた通りです。もちろん出会いの場になってるようなクラブは別です。でも音楽好きが集まるような場所では、どんなに酔っぱらってても、男性が同意なく女性の身体に触れるようなことは絶対にしません。そういうとこは韓国はめちゃくちゃ厳しいです。日本のクラブでおっさんが若い女の子にめちゃくちゃ嫌な下ネタを言ってるのを見たことあります。そのおっさんがいなくなった後、女の子たちに「大丈夫?」って聞いたんです。そしたら「嫌に決まってます。でも(嫌だと)言ったところで相手は変わらない。だったら無視して我慢する」って。

- ……。

ムジン - 韓国でも気の知れた仲間たちとなら、くだらない下ネタを言ったりすることはあります。でもそういうのってマナーじゃないですか。男でも下ネタが嫌いな人はいるし。お酒飲んでようが、遊び場だろうが、同性だろうが、異性だろうが、相手へのリスペクトは重要です。

- ありがとう。またすごく勉強になったよ。とりあえず次は11月11日だね。

ムジン - はい!乾杯しましょう!

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