【文字と香りと流行病と No.01(Total No.03)】五所純子

「わたしたちはいちばん最後だからね」

 うなずいた。つくづくナースの子だった。

疫病が順ぐりに都市をまわり、やがて過疎地にも少数民族の村にもまわって、世界のすみずみまで行き渡った。わたしが住む都市にはわりと早くまわってきたほうだと思う。もう流行の発信源になれるような街じゃないのに、ウイルスのモードはこれだからわからない。続いて混乱がやってくる。「息を吸えば死にかけて、息を吐けば殺しかける。なんて恐ろしい病気!」「家にいろ!家から出るな!」「それじゃあ会社が潰れてしまう。どっちみち死から逃れられないのさ」「歩く。食べる。会う。それが権利だ」 あなたは生命? あなたは経済? あなたは自由? そんな三者択一を迫られているようでもあった。

「来ないで。しばらくの間でいいから、来ないでほしいの」。

どこかで突然、学校に来ることを禁じられた子供がいた。あなたの学ぶ権利? いいえ、みんなの命を守る権利! 子供の母親はナースとして病院で働いていて、流行りのウイルスに冒された人びとの面倒をみているのだった。ねえ、ウイルスの運び屋さん。そんなふうに名前を呼ばれた気がして、子供はガソリンのようにからだが揮発した気がした。

その子供の噂にわたしは冒された。噂がからだじゅうを駆け巡って、血管から頭からなにもかもが逆流して熱くなった。急激にアイデンティティのようなものが迫り上がる。わたしはナースの子。そう、わたしもナースを母にもつ子供だった。

その子供が禁じられるなら、わたしも禁じられよう。

学校になんか行ってやらない。仕事になんか行ってやらない。書店にも、映画館にも、デパートにも。外でお酒も飲まないし、食事もしない、旅行もしない。友達に会ったりもしてやらない。すべてこっちから願い下げてやる。

「もう、意地になってたんです」。

「抵抗でしょう。なんの役にもたたないし、だれの為にもならないけれど」。

「飛行機雲、見ました? あなたたちナースやドクターのために戦闘機がぶちあげたやつ」。

「見ましたよ、テレビで。もっと気が滅入るのは、ディナーとかパーティーとかはしゃいでる友達のSNS。いいなあ、早いなあ、わたしたちの順番はまだよねって、ナースセンターでいつも愚痴ってる。そっと閉じて、見なかったことにして、そのうち窓を開かなくなって。だから友達いっぱい消えちゃった」。

「そのとき、ナースたちの合言葉は……」。

母の姿を追って、病院でアルバイトをしたことがある。

 都市の真ん中にある巨大遺跡のような病院で、患者さんを病室から検査室へと送り届けるだけで地下鉄ひと駅分くらい歩いていた気がする。疫病が蔓延するずっと前からわたしたちは口や鼻をマスクで覆っていて、あらゆる匂いに鈍感だったのはそのせいだろう。……いや、敏感すぎたのだ。病院というのは匂いがないような匂いを発する場所で、わたしたちもそんなふりをする。本当は決まりきった時間に決まりきった献立で出てくる食べものや、患者さんたちの体臭や排泄物の匂い、それを消毒しようと塗りこめられる薬剤の匂いなんかに鼻孔を突かれているのだけれど。たがいを混じり合わせて無調のふりをする病院の香りこそ、わたしたちの時代を問わないモードなのだ。まるで対決するように、あるいは調和するように。

 ときどき、いや、休日になるとかならず、無調のふりをやめたくなった。実際、わたしたちは無調であるはずがなかった。病院を出ても食べものや体液や排泄物や薬剤の匂いがからだに染みこんでいる気がして、休みがくるたびに香水やマニキュアやハイヒールで自分にアクセントをつけた。どれも病院では禁じられていた。そのときの流行よりも少しだけ強めのものを選ぶのが癖になった。

意地になって部屋に閉じこもっているあいだ、そんな日々が思い出された。

 ステイホームという大号令に従ったつもりはないけれど、見事なまでに人がいなくなって街は変わった。ゴーストタウンと化した街で、飛行高度を下げたカラスと目が合った。野生化したセキセイインコの黄色い群れが、電線に連なっているのを目撃した。繁華街からゴミがなくなり、住宅地に餌を求めにやってきたネズミのペアが開けっ放しにしておいた玄関から入ってきた。コンクリートの亀裂からゼラニウムが咲いていた。ニンゲンに踏まれることを忘れたアスファルトから乾いた土の匂いがした。

 わたしはいま、行列のどこにいるのだろう。

 「わたしたちはいちばん最後だからね」。

 彼女は今日も言う。まだ明日も。きっと。

文・画像提供:五所純子

構成:和田哲郎、本郷 誠

五所純子

文筆家。単著に『薬を食う女たち』(河出書房新社)、共著に『虐殺ソングブックremix』(河出書房新社)、『心が疲れたときに見る映画』(立東舎)など、映画・文芸を中心に多数執筆。瀬戸内国際芸術祭2022に“リサイクルショップ複製遺跡/Duplicate Remains(thrift shop)”で参加。https://setouchi-artfest.jp/artworks-artists/artworks/megijima/378.html

Info(※セレクトしたフレグランス)

LE LABO FINE FRAGRANCE

BAIE 19(ベ 19)”

本当のことを言うと、“ベ 19”は“ウォーター 19”と呼ばれるべきフレグランス。形容しがたい無香感(といってもどこにもない香り)、軽快でありつつ、雨で濡れた大地が放つ独特な香りを表現しています。それを指す特別な言葉があります。「ペトリコール」(雨が降った時に地面から上がってくる匂いを指す言葉。ギリシャ語で石のエッセンスを意味する)長く乾燥した乾季の後に大雨が降った時の漂う、自然界で最も美しく不思議な香りの現象の一つです。この現象の要因は空気中のオゾンやマイナスイオンなども関係していますが、最も重要な要素は長期にわたり乾燥した大地の環境下で、蓄積された特定の植物オイルが雨によって放出されることが影響しています。“ベ 19”とは、ドライジュニパーベリー(ベはフランス語のベリー)、パチュリ、グリーンリーブ……干ばつした大地に美しく輝く雨が降り、放つ大地の香り。

オード パルファム

[100ml]¥31,500(税込¥34,650),

[50ml]¥21,500(税込¥23,650),

[15ml]¥9,500(税込¥10,450),

[1.5ml]¥660(税込¥726)

LE LABO(ル ラボ)お客様相談室

tel:0570-003-770 / lelabofragrances.jp

related

【都市と香りと音楽と No.02】Daichi Yamamoto | 東京

ほとんど水の 焼酎ソーダに口をつけるフリをして 合わせ鏡の様に唇に 続く香りを額に感じた。

【都市と香りと音楽と No.01】Daichi Yamamoto | ロンドン

またあの香り。 靴底に着いた油分がねっとりと重たい。

most popular

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

Floating Pointsが選ぶ日本産のベストレコードと日本のベストレコード・ショップ

Floating Pointsは昨年11月にリリースした待望のデビュー・アルバム『Elaenia』を引っ提げたワールドツアーを敢行中だ。日本でも10/7の渋谷WWW Xと翌日の朝霧JAMで、評判の高いバンドでのライブセットを披露した。