【インタビュー】Otagiri 『The Radiant』| 自身のヒップホップを獲得する

自分がOtagiriを知ったのは、10年以上前に彼がSoccerboy名義でDJとして活動していた時。当時はいわゆるフレンチエレクトロブーム全盛で、Soccerboyは2manydjsからの影響を日本的な文脈に過剰に解釈したマッシュアップも制作しており、妙にそのミックスが耳に残っているのを覚えている。

その後しばらくして彼はラッパーとしての活動を開始。rev3.11のコンピレーションへの参加やアルバム『Think I Sing』をリリースした。ライブパフォーマンスにおける演説のようなスタイルと相まって、ヒップホップの定型からは外れつつも、強度を感じさせるそのサウンドを伴ってSoccerboyという名前を再び聞くことになるとは思わずに驚いたのを覚えている。

そして名義をOtagiriに変更してリリースされたアルバム『The Radiant』は、最初期の強度を保ちつつも、より拡張された音楽性やリリックと新しい音楽というにふさわしい内容だ。これまでOtagiriのインタビューはほとんど行われていないため、今回は『The Radiant』から、なぜラップを始めたのかという動機まで遡った。

取材 ・構成 : 和田哲郎

- 凄いアルバムだなと思いました。音楽的にも、前の方向性よりも更に研ぎ澄まされつつも色々な要素が拡張されているというか。ジャンルに限定されない感じがありつつもラップミュージックだと思いました。

Otagiri - ありがとうございます。確かに、研磨するのと拡張するのって、一見相反するようで両立し得ますよね。

 - 両立しているなと思いました。制作はどれくらいかかったんでしたっけ?

Otagiri - だとしたら超嬉しいですね。制作はだいぶ時間かかりました。前回は2015年の1月1日に出したんですけど、カバーも入ってたりだったので。S̸名義でも出した“Music Related”っていう曲のビートは、2014年にDJ MAYAKUから貰ったんです。良いビートなだけに上手く乗りこなせずに、3年ぐらいかかりました。まあいつものことなんですけど、ラップしやすいビートが送られてくることが殆ど無いっていうのもある(笑)。

- リリックの濃密度で言うと、“Music Related”や他の曲も変わらないと思うんですよ。

Otagiri - そうですね。3年かかって“Music Related”が出来たことで、アルバムの輪郭が出来ていった、そんな気がしますね。古さで言うと最後の"Daily, Updated”って曲が一番古いんですけど、今の呼吸で歌うとあの感じになりました。

 - そもそも、自分がOtagiriさんのことを知ったのはSoccerboy名義でのDJとしてなんですね。Moonwalk Recordsとかでミックスを買ったりして。

Otagiri - ありがとうございます(笑)。

 - ラップというか、DJ以外で何かを自分ですることは当時から考えていたんですか?

Otagiri - うーん......自分の周りにいる人たちが「すげーな」と思うことが多くて。元々はレーベル的なことをやってたんです。

 - チミドロとかをリリースしていたんですよね。

Otagiri - そうですね。通ってた大学まわりで素晴らしい音楽を作っている人がたくさんいて。親友の兄ちゃんがCorneliusさんのリミックスコンテストで入賞したり、とにかく凄いものを作っていたから「紹介したいな」って思ってたんです。そういう人たちって大抵口下手だったりするので(笑)。

つまり何が言いたいかっていうと、自分は凄く遠いところから段々核心に近づいていった。まずはレーベルのまねごと、そこからDJ自体が楽しくなって、どんどんのめり込んでいった。自分で歌うきっかけになったのは、カッコいい言い方をすると、自分たちが流浪の民になる瞬間、借りてる場所で過ごさなきゃいけなくなった瞬間としての3.11が大きかったかもしれません。

 - Otagiriさんのやってることとして分かる気がします。日本語の使い方が、一つ一つの単語としては整然としてるんだけど、並べて見ると断片的だし、色々なものが切り取られていてズレていきますよね。あと、日本語が突然英語と接続されることで、固有性が失われるというか。それが今の「流浪」という話とフィットするかなと。

Otagiri - で、やってみたら楽しくなって。元々ヒップホップ自体は、それこそ宗教のように自分の中にずっとあって。こだわってるようだけど、こだわってないようにも見える自分の中のヒップホップに対する気持ちを、ようやく形に出来るようになってきた。そういう意味で、先日ご一緒させていただいたFRESINOさんとか、もっと若いラッパーの人が羨ましい時もあるんですよね。パッとマイクを掴んでスッとラップできるのが。いや、実際にはどうか分からないですし、みなさんきっと悩みながらやっているんでしょうけど、自分が彼ら彼女らの年齢の時にはそういうことは全然出来なかったので。

 - 即物的に、というか。

Otagiri - そうそう。凄く良いことだし羨ましい。自分にマッチするかは置いておいて、凄いなと思うことが多いです。あれ、何の話でしたっけ(笑)。

 - (笑)。さらにズラすとOtagiriさんの曲を聴いた時に、呪術的な言葉やもしくは政治的な発話のように、言葉を力の現れとして示す行為に凄く興味があるんじゃないかと思ったんですね。ライブを最初に観た時も演説的な発話を心がけているようだったので、「言語」と「力」みたいなものをどう考えているのか興味を持っていました。

Otagiri - どう考えてるんだろう......なんであのフォーマットになったんだっけな。宗教的なものって、確かに私の中でテーマとして常にあるんですけど、それを演説スタイルで表現する必要性ってどこにあったのかな......。

 - 厳密に言えば、宗教的なものと演説的なものも区別するべきだとは思いますが。

Otagiri - いや、近いっちゃ近い。元々文字が読める人が文字の読めない人に代わって聖書を読み伝えてきたわけだし、文字を読める人、すなわち知識のある人が、ない人に教えるってことをやってきたわけですからね。えーっと、演説スタイルについては一度置いておくとして、自分の中でのフィット感としては、昨年末公開された『アウトラップ』における表現が一番腑に落ちています。「言葉が持ってる力をどう表現するか」という視点って、言葉が持ってる力のベクトルを、所与の、既定のものとして捉えている。そうじゃなくて、その放たれる言葉に、どういうベクトルを与えるのか、ということを探ってるのかもしれないですね。そのベクトルは一方向のこともあるし、それ自体がスイングしてるものでもある。「大きい」言葉、例えばヒロヒトって言った時に、受け取る人は色々な事柄を想起しますよね。それはつまり多様なベクトルを内包している。そういうことをやりたいのかもしれない。話を戻して、元々の演説スタイルについては、たぶん、The Hivesのルックスと、Saul Williamsの『Def Poetry Jam』を混ぜただけかも(笑)。

 - あれはマッシュアップ的なことなんですね。

Otagiri - そう、マッシュアップ(笑)。鳥肌実のサンプリングをちょっと入れつつ。思い返すと恥ずかしいけど、そうだと思います(笑)。だから、必ずしもあの様式自体をやりたくてやったというよりは、大きくは、言葉や意味が持ってるベクトルについての探究の一部だったのかもしれません。もっと、それこそ、放射的に(=Radiant)発散させたいと思ったのがこのアルバムなのかな。うん、今、凄い良いこと言ったな。なんとなくうまくまとまりました(笑)。以前和田さんが「言葉が持ってる力みたいなものに興味があるんだと思いました」って言っていたのを記憶しているのですが、それには違和感があった。その言葉が持ってるベクトルの内容や単語それぞれの意味に収斂しちゃうという点で。そうじゃなくて、もっと言葉とか意味自体を放射的に捉えたい。

 - 言葉が日常生活で持つ方向性って一方向的なものとして認識されていますもんね。そうやってコミュニケーションを成立させている。でもそれをもっと不定形な形に戻すというか。ドゥルーズの言うリゾーム的なことに近いんですかね。

Otagiri - そういう意味合いではポストモダン的ではあると思うんだけど、テーマとしては土着っぽい、文化人類学っぽい方に行ってるのかな。うーん......いや、そういう意味でも共通しているとも言えるか......。

 - しかもOtagiriさんの音楽が興味深いのは、そうしたコンセプチュアルさと同時に快楽性も宿ってますよね。

Otagiri - それがまさに自分の中のヒップホップ性なんでしょうね。ダンスであり。あと、ポストモダンと呼ばれている一括りがあまり好きじゃないのは、斜に構えるスタンスが形骸化していること。もっと誠実でありたい。これも『アウトラップ』のクリエーションの時に岡田利規さんとよく話してたことなんですけど、今の表現ってTikTokにせよ凄く「正面性」が高い。じゃあ、その「正面」っていうのはなんだと問うことを二人でチャレンジして、結局鏡に向かってちょっと狂った感じの人がああいう表現をするっていうところに落ち着いたんですけど。正面を向いているかどうかを置いたとして、自分にとってはヒップホップって凄く誠実な表現なんです。「真剣にやる」ものとしてあって、そこは凄く大事にしています。例えばATCQの“Scenario”でBusta Rhymesが先輩たちを掻き分けて迫り出てくる正面性って、ピュアさの塊みたいな強さがある。だから、そういう正面性に喰らった身としては、そのまま模倣するわけではなくて、自分なりの形で捉え直してみたいというのがあった。さっきの話で言えば「言葉が持っている力を信じる」っていうのは「言葉が持っている力」を既成概念として、元々一方向的なものだと規定してしまっているけど、それはもったいない、ってことに近い。

 - 例えば「ヒップホップは誠実でなければならない」っていう言葉自体も、実はクリシェ化してるし、誠実なあり方自体を捉え直すということですね。

Otagiri - そうですね。「ヒップホップ=ラップ」っていうのもまた違うと思ってるのでアレなんですけど。ラッパーなんて、例えば銀行員とか公務員と比較すれば、誠実性の象徴からは程遠いですもんね、一般的には(笑)。

 - とても面白いですね。しかも、Otagiriっていうパーソナリティ自体も一定であるわけではなく、常に変化していますよね。

Otagiri - 私自身と歌っている主体との関係っていうことで色々考えたんですけど、イコールで見ていいかなと思い始めたから「Otagiri」にしたんだと思います。オイディプスコンプレックスってのとなんとなく折り合いがついてきた、ってのもあるのかな......。でも、「本名で行ってしまえ」と思ったのは、なんだかんだ言っても、自分のやっている表現って、自分の生活を反映するものにならざるを得ない......しなければならないとは全く思わないんですけど、生活と表現が両輪であった方が楽しいし、毎日まっすぐ生活してることが、芸術の進化につながると信じてるので、そう思っておいた方が良いんじゃないかなって。これもクリシェ的なものになってしまうと思うんですけど、「私とはヒップホップそのものです」とか、「わがヒップホップは天地とひとつです」なんて言い出すとそっち側に引っ張られちゃうとは思うんですけど、そう思わざるを得ない。だからもしかしたら、一方向的にラップをしていた、スーツを着てやっていたのは、「君たちは、物事をよく知ってる私の話を聞きなさい」っていうスタンスだったのかもしれないし、それはそれでアートとして成立するかしないかで言えばするのかもしれないけど、今はちょっと違うように見えるのは、私自身の変化をそのまま受けてるんじゃないかと思いますね。

 - 確かに当時の方が、楽曲の中でのペルソナに統一感があったような気がしますね。

Otagiri - なるほど。今は無いか。名前変えちゃったことで余計謎な感じも強くなって(笑)。半分狙ってて、半分そうなっちゃっただけなんですけどね。本当に嘘偽りなく自分自身であれたら、パーソナリティーやキャラクターなんて持つ必要が無くなっていく。それこそ、あと10年ぐらいしたら「わがヒップホップは天地とひとつ」なんて言えるようになるもんなんかな......。何をやってもヒップホップだし、何をやってもラップだけど、それを敢えてやらないとか、敢えて前を向かないとか。バランスが難しいんですけど、そういう感じに近づいている。だから逆につかみどころが無い感じになっているのかもしれないです。まあ、人に説明出来ない自分って、怖いじゃないですか。「何してるの?」って言われて「よく分からねえ」って言ったら社会不適合だし、自分としても不安。だけど、逆に「私はこういうものです」ってバシッと規定したり説明しなきゃいけないのって、名刺とかもそうですけど凄く保守的でもあると思うんで、そこから遠ざかると自由になるんですよ。......って、みんな知ってるんだけどね、そんなこと。逆に、離れるのが難しいってのも重々知ってるんですけど。

 - 記号性みたいな話ですよね?

Otagiri - 「私の記号論」っていうことかな。そうなのかもしれないですね。

 - でもOtagiriさんって、「記号」と戯れるのも凄く好きだったのかなっていう印象があるんですよ。エレクトロのDJだった時の発言を読んだんですが、エレクトロというワードに対して、あえて接近している感じもしたんです。

Otagiri - マッシュアップとかオルタナティブって、要するにポスト記号論ですよね。これも誠実さにまつわる問題だと思うんですけど、いわゆるピュアなジャンルを持っている人.....例えばレゲエとか沖縄民謡とか、パンクロックとかを「持ってる」人たちの強さが超好きな反面、自分がそれに成り切るのって凄く怖い。それを都市的に遊んでたのが自分にとっての記号性なのかな。だからDJやってる時も、いわゆる「普通の人だったらこれやらないでしょ」って、「じゃあその“普通の人”ってあなたはどう定義してるの?」って言ったら、それも記号的な距離感の取り方というか、判断が介入してくる。そういうのから段々自由になって、エレクトロ時代も自分だしそういう形も良いんだけど、やっぱり立ち返るのはピュアなところで。民謡の人とかには、すげえそう思いますけどね。羨ましさというか。

 - それは身体に音楽が染み付いているというか。

Otagiri - そうそう。歌ってることも「眩しい」とか「腹減った」とかそういうことで生活とイコールになってる。でも自分はそうじゃない。中流階級で生まれ育った変な諦めみたいなものもあるし、もっと単刀直入に言うと、詰め込み教育の成れの果てですよ(笑)。エデュケーション拗らせ型みたいな。

 - つまり、いわゆるラップ的な言語のマナーの外にあった1人の日本人が、どのように自身の中でヒップホップ的な言語を獲得するかということですよね。その時に出てくるものは、ラッパーを模倣するのではなくて、自身が積み重ねてきた教養などをラディエント的に放射するということだったと。話は変わるんですが、Childish Gambinoが一昨年『3.15.20』って作品を出してて。このアルバム全体的に変な作品で。

Otagiri - 白いジャケのやつですよね。これ面白かったですね。

 - この作品はOtagiriさんのアルバムと似てるなと思ったんです。環境的にもChildish Gambinoも教養がある人だし、彼自身は宗教的なルーツもあって、自身がどういう宗教を持ってて、自分のルーツにどういう場所があるかも分かった上で、もっとアブストラクトに音楽として見せている感じがして。「Deconstruction & Rebuild」というと、凄いヒップホップ的ですが、それをクリシェ的ではなくて原理的な部分で問い直してるのかなと。あまり音の要素が馴れ合っていなくて、それぞれの様子が尖りつつ一緒になっているような気がしていて。

Otagiri - どうやって作ったんでしょうね。凄く興味がありますね。ビートというか、曲は別の人ですか?

 - この作品は沢山の人が関わってますね。

Otagiri - そういう作り方もありますよね。だから、『アウトラップ』とかは自分にとってはそういう意味合いの作品だった。自分が、自分としていられなくなるぐらいに、色々な要素が加わり続けると、自分の別の部分とか、素の部分もどうしたって出てくるじゃないですか。あのアルバムも、もう一回聴き直してみます。あと、逆に私の話とは全然関係無くなるんですけど、色々聴いてる和田さんに訊きたいのが、今って音自体の傾向はどんな感じになってるんですか?Childish Gambinoのアルバムとかも「変な音だな」と思ったんですけど。みんな好きにやってる感じですか?

 - Childish Gambinoとかになると、もちろんジャンルをどう乗り越えていくかってところも考えてはいると思うんですけど、でも全体的に10年前とかと比べるといわゆるヒップホップという決定的な様式は無くなっていますよね。凄くジャンルから解放されてきてるというか。

Otagiri - そうですよね。

 - 例えば、ハイパーポップ的なものがヒップホップの方にも浸食していたり。

Otagiri - それは音作り的な意味で?

 - エレクトロニックサウンドが自然と取り入れられてるようになったと思うし。かと思えばずっとミニマルなトラップをやってる人もいるし、サウンド面のトレンドが言えなくなってる。これはヒップホップがポップカルチャーのメインになったからかなって自分は思ってますけどね。

Otagiri - 本当にそう思います。マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』ってあるじゃないですか。あれに「民族的なもの、フォークロアが無くなって一つの世界文学に統合されていく」っていう一節があるんですけど、Spotifyとかは完全に「世界文学」だなと思って。

 - そうですね。

Otagiri - それへのささやかな抵抗と、ICE-Tの『Art of Rap』でYasiin Beyが言ってた「フォークロアとしてのヒップホップ」に敬意を表して、今回はBandcampだけで行こうと。それは本当にささやかな抵抗というか。お金的な意味でも一番マネタイズしやすいしリスクが少ないし、一つのプラットフォームだけで見れるっていう方が、自分のモチベーション的にも良いんですよね。そういう自己防衛的なところと「世界文学」へのささやかな対抗と、フォークロアとしてのヒップホップ。「元々ポップカルチャーを目したものでは無かった」って、明確にYasiin Beyは言ってる。

 - なるほど。その「フォークロアとしてのヒップホップ」って、Yasiin Beyが言う場合だと、それはいわゆる彼の出自である「アフリカンカルチャー」とスムーズに接続されるじゃないですか。でもOtagiriさんが言う場合は、捏造するしかないというか。

Otagiri - それはそうなんですが、彼らがフォークロアとしてのヒップホップ、ないしはフォークロアとしてのレゲエを生み出した時の熱量や、スレスレ感やヒリつきは想像(創造)出来るかなと。例えばRun D.M.C.の『Raising Hell』の日本版のレコード帯「ラップが心臓を刺激する!!全米でプラチナ・ディスク獲得のこの超強力LPで、RUN D.M.C.日本デビュー」、これ多分86年とか87年の話だと思うんですけど、そういう歴史に即すと捏造するしかないんだけど、そういうことを言ってる訳ではなくて、「なんでラップが心臓を刺激するのか」っていう。そこはフォークロアに根付いたものだと思っていて。それを自分なりの出自的なものと結びつける、そういう意味ですね。

 - Otagiriさんが「言語」と「力」ってものに興味を持っていると自分が理解したことと、今のお話も一緒ですね。「フォークロア」というのは、自分にとってはいわゆるヒップホップの正史的なものに通じると思っていたんですが、でもその「ピュアさ」っていうのは外部にも漏れていくとOtagiriさんは考えている。

Otagiri - そこを狙ってるというか、ぜひそこを見てみたい。あまりにみんなピュアで、あまりにみんな強いから、私のような都市的な人間は斜に構えちゃったり、マッシュアップしたくなっちゃったり、茶化したくなったりすると思うんですけど。そうじゃなくてもっと、自分自身が「芸術は爆発だ」って言えるぐらいまで突き詰められたらなって。それが、今回のアルバムではある程度出来たような気がしていて。音質についても、これ以上言ったら嫌われちゃうんじゃないかってぐらい細かい作業をして満足いくものになりましたし、『アウトラップ』でも最後の方は「こんな色じゃないと思います」とか、偉そうに先輩たちに言ったりして(笑)。でもその感じも凄く楽しくて。

 - 個人的にはとても理解が深まってますね。

Otagiri - 記事になるか分からないですけどね(笑)。

 - さっきヒロヒトって名前が出てましたけど、例えば固有名詞も挿入されますよね。印象的なワードは個人的にも沢山あるんですけど、そういうものはどうやって選んでいくんですか? Otagiriさんの言葉の選び方って、ダダとかシュルレアリスムみたいな偶然性だったり、無意味な言語になりそうなところと、凄く意味性が強い部分の境界にいるなと思っていて。「何故この単語がここに置かれてるんだろう」っていう。

Otagiri - 大きく二つあって、一つは、これも色んな考え方があると思うんですけど、基本的にヒップホップ、ラップと呼ばれるものはその出自から見てノンフィクション的、「I am」で始まるものですよね。それこそRun D.M.C.だったら全部自分についての話しかしないじゃないですか。それをもうちょっとフィクションっぽく、もっと小説的にしたいなと思った。理想的には、小説の主人公が勝手に出てきて喋ってるくらいが良くて。もう一つは、それも含むんですけど、強い単語、固有名詞、名詞、動詞であっても良いと思うんですが、最近は動詞が面白いと思ってる。「食べる」っていきなり言った時に、「何を食べんの?」みたいな。そういう強い言葉が持ってるベクトルだったり意味合いの境界を広げようとしているのかな。正しく認識するってことでも良いでしょうし、人にとっては斜めから見るってことでも良いと思うんですけど、強い言葉が持つ力みたいなものを、型になるべくはまらないように遊ぶ。その二つで成り立ってるような気がしますね。

 - 後者は、現代詩的な操作ということですよね。

Otagiri - そうですね、そんな感じです。さっき出てきたダダって1900年代の前半ですよね。最近、第一次大戦前後に色々と興味があって。その頃のヨーロッパって、それこそ岡本太郎さん、はちょっと時代としては後になりますけど、バタイユさんの話とかを見たりして、今くらいかそれ以上の絶望があったのかなって。「科学超カッコいいぜ」なんて言ってたら、「戦争してめちゃくちゃになっちゃった、やっちまった」って虚無感の中にあった人たちが、その中で新しい表現をしようとしていたのが面白い。それこそツァラさんは何個か読んだ気がしますね。あんまりちゃんと読めてないんで見直してみます。バタイユに関しては勝手にめちゃくちゃ師匠だと思ってます(笑)。あと、まだちょっと全部読めてないんですけど、今読んでる本で『文学空間』っていう......。

 - モーリス・ブランショですね。

Otagiri - はい。これ、凄い良いですね。

 - ブランショも、バタイユとは接近の仕方は違いますけど、いわゆる「至高性」だったり、「絶対的なもの」に対して思考を続けた人だと思うんですよね。

Otagiri - この『文学空間』に関して言うと、創作をする上で凄く励まされることが多くて。「なんだ、みんな同じこと言ってたのか」って。

 - インタビューのオファーをしたメールで、「例えば特定のキーワードに沿って話をしましょう」と仰ってましたよね。その時に初めてこの作品を聴いて思い浮かんだのが、まさに「至高性」とか「絶対的なもの」って言葉だったんですよね。

Otagiri - 自分の感覚で言うと、もしかしたらそれがヨーロッパ人との違いかなと思うんですけど、簡単に言うと、ヨーロッパがそれを科学・宗教的な進歩の「先」に求めているとすると、自分は、もしくは日本のフォークロア的には「原生」に求めるんじゃないかって気がして。つまり「元々の自分ってなんなんだろう」っていうことなんですけど。『AKIRA』とかのテーマに近いのかな。例えば「記憶ってなんだ」って、それを紡いで行ったら、その「先」に至高のものがあるっていうベクトルがヨーロッパ的だとすると、立ち返る、というか、小さくあろうとすることで逆に殻を破る感じが日本的な気がします。

 - それは面白いですね。

Otagiri - なので「至高性」みたいな、自分より大きなものや自分が行き着く先、自分の意味みたいなものは......。

 - 「救済」ではないってことですよね。

Otagiri - そうそう、違うと思うんですよ。そんなものは元々持ってるんですよ、誰かに救済されるんじゃなくて、それが出来るのは自分自身なので......。誰に対して向けた文章になるんだろう、これ(笑)。

Info

Otagiri - The Radiant

related

【インタビュー】OMEN44|アジアンヘイトが吹き荒れるアメリカの現状

アメリカ・ニュージャージー州に在住し、ニューヨークを拠点に日本と世界をつなぐ活動をしているアメリカンジャパニーズラッパー・OMEN44が“Hate feat. Chelsea Reject”をリリースした。この曲のテーマは現在アメリカで問題視されているアジア系に対する差別/暴力。日本でもニュースでは報じられているが、実際に現地で暮らすアジア系はこの差別行為をどのように捉えているのかを話してもらった。

【インタビュー】Se So Neon|やりたいことを実現するために

2020年に発表したEP『Nonadaptation』はインディ・バンドとしては大健闘のチャート13位を記録、本国では2,000人規模のホールをソールドアウトさせるなど韓国では若者を中心に熱い支持を得ている3人組バンド、Se So Neon。ここ日本でも2019年にSummer Sonicに出演するなど2度のツアーをこなしていて、インディ・ロックや韓国音楽のリスナーを中心に注目を浴びているし、先述のEP『Nonadaptation』は米・Pitchforkが選ぶ「2020年のベスト・ロック・アルバム」リストのうちの1枚に選ばれるなど、世界的な評価も得ている。

【日本と韓国 : 隣国で暮らしてみて Extra 】| Erinam

『日本と韓国 : 隣国で暮らしてみて』は日本から韓国に渡りキャリアを積んだアーティストや、日本に暮らす韓国のアーティストに話を訊くErinam(田中絵里菜)氏のインタビューシリーズ。今回は彼女の初の著書『K-POPはなぜ世界を熱くするのか』の発売を記念して、番外編としてErinam自身の韓国生活について話を聞いた。

most popular

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

Floating Pointsが選ぶ日本産のベストレコードと日本のベストレコード・ショップ

Floating Pointsは昨年11月にリリースした待望のデビュー・アルバム『Elaenia』を引っ提げたワールドツアーを敢行中だ。日本でも10/7の渋谷WWW Xと翌日の朝霧JAMで、評判の高いバンドでのライブセットを披露した。