【クロスレビュー】Tyler, The Creator『IGOR』|作品の構造、そしてテーマから読み解く最高傑作

5月半ばにリリースされ、今年リリースされたヒップホップアルバムの中で今の所最大の売り上げを達成するなど大きな話題をさらったTyler the Creatorの最新アルバム『IGOR』。

これまで以上に幅広い音楽性や緻密な音作り、構成によって「最高傑作」との呼び声も高い同作について、FNMNLではポップスをはじめ現代の音楽シーンに造詣の深いライター・ブロガーのimdkmとDU Booksの編集を手がける傍ライターとしても活動し、前作『Flower Boy』のレビューも寄稿した小澤俊亮の2名によるクロスレビューを掲載する。

それぞれサウンド面、作品に通底するテーマやコンセプトという異なる切り口でのレビューを読めば、『IGOR』をさらに楽しめること間違いなしだ。

サウンドが語り、言葉が鳴る――『IGOR』が示す現代のソングライティング

Tyler, the Creatorがリリースした『IGOR』は、今後彼のディスコグラフィを代表する一枚になるだろう。同作の基本はハーモニーとメロディーにフォーカスし、いわば成熟の兆しをみせた『Flower Boy』を踏まえたものだ。しかし、荒々しく暴れるベースラインやエッジの効いたドラムをフィーチャーしたサウンドは、ノイズとハーモニーが分裂しながら共存する『Goblin』や『Cherry Bomb』を連想させる。フリーキーなループミュージックとメロウな歌モノのあいだに引き裂かれていた彼がひとつの着地点を発見したかのよう。まさにキャリアの総括というべき内容だ。

改めてTylerのこれまでの楽曲を振り返ってみると、ヒップホップ的な「汚し」や、グルーヴを破綻させるかのようないびつなリズムパターンをよく用いてきた。とどろくようなサウンドと、強弱のニュアンスをあえて排除した荒っぽいビートが彼の特徴をつくりだしていた。と同時に、幼少期から熱心な音楽好きで、特にコードの進行やメロディに惹かれてきたという彼の素養が、楽曲のいたるところに顔をのぞかせていたのも事実。なかでもサードアルバムの『Cherry Bomb』は「汚し」の感覚と彼の音楽的な嗜好が極端にあらわれている。ヴィブラフォン奏者のRoy Ayersをフィーチャーしたジャジーなサウンドがあったかと思えば、オープニングをかざるハードロック調の“DEATHCAMP”であるとか、ビート全体がひずみきった“PILOT”や“CHERRY BOMB”のような暴力的な楽曲も収められている。

こうした引き裂かれ、二面性は楽曲の構成にもしばしばあらわれる。楽曲の終盤で唐突にハーモニーが現れたり、あるいはそもそもビート自体が姿を変えてしまったり。それゆえにTylerのアルバムは全体としての統一感に欠くところがあった。ひとつの楽曲のなかでビートが無造作に繋げられるテープのように表情を変えていくために、いきおいアルバム全体もビートテープのように感じられる。

しかし『Flower Boy』では一転、「汚し」の要素は退いて、ハーモニーが前面に浮かび上がってくる。『Flower Boy』リリース時にYouTubeで公開されたインタビューでは、いかに彼がコード進行やメロディを重視しているかが繰り返し語られているのが印象的だ。たとえば彼は『Cherry Bomb』から『Flower Boy』にかけての変化についてこのように語っている。

全部を明確にしたかったんだ。コードやメロディが欲しかった。

『Cherry Bomb』は入り込みづらいアルバムで、というのもブリッジだらけでとっちらかっていたから。だから「今度のアルバムは好きなコードを全部使ってやろう。ただし、いままでとは違う使い方で」って感じだった

楽曲が進んでいく方向性が定まらない、どこに行くかわからないようなスタイルから、感情やストーリーを盛り込んでひとつの道を進んでいくようなスタイルへの変化。そこにコード進行やメロディといった現代のポップミュージックにおけるごく基本的な音楽の語彙への回帰が重要な役割を果たしたわけだ。

そして、『IGOR』に至る。先述したように、基本的には『Flower Boy』で見せたハーモニーやメロディ重視のアプローチを踏まえつつ、ビートにノイジーな「汚し」の感覚が回帰している。たとえば“IGOR'S THEME”や“I THINK”のスクラッチノイズ。あるいは“NEW MAGIC WAND”、“WHAT'S GOOD”の硬質でくすんだドラムの質感や歪んだベースであるとか、ヴォーカルのざらついた処理。“I DON'T LOVE YOU ANYMORE”の高域が削れたビート。

けれども、ハーモニーとノイズは反発し合うのではなく、むしろスムースにひとまとまりのサウンドとして響いている。もはやこのふたつは、相反する要素というよりも互いに補い合うものとしてTylerの手中に収まっているようだ。となれば、自ずと楽曲ごとのまとまりがブラッシュアップされるし、いきおいひとつながりのアルバムとしてのインパクトも強くなる。「一回は他になにもしないで通して聴け」というTylerのメッセージもさもありなん、だ。

 

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もうひとつ注目したいのは言葉、声の扱いだ。『IGOR』ではラップの割合が激減。Tyler自身が歌いまくっているのが印象的だ。リリックを俯瞰しても、単純なフレーズの反復、つまりフック中心の構成が多い。あえて数値に還元して検討してみると、楽曲あたりのワード数で言えば、『Flower Boy』が一曲あたり平均420語程度なのに対して、『IGOR』は同じく374語程度。楽曲の長さという変数を考慮にいれても、明確に言葉数が減っている。

これについてはApple Musicが配信したライヴパフォーマンスでTyler自身が次のように語っている。ミニマリストの友人の家に訪問して「無駄なものを省く生活」に感銘を受けた、というエピソードから続けていわく、

不要なものは削ろう。ラップやヴォーカルを付け足さないで、シンセサイザーや楽器自体に語らせよう。自分の声やパーソナリティも、ドラムやベースが鳴るみたいにぶちこむんだ

『いつもなにかしら語らないといけないってわけじゃない』って気づいたんだ。ときどきおれらはすき間じゃないはずのものまですき間だと思ってそこを埋めようとしてしまう。実際はそれこそがあるべきかたちなのに。

(双方ともComplexの書き起こしより抜粋・拙訳。)

実際、本作はラップが少ないとか、言葉数が減っているとかと同じくらい、Tyler自身のものも含めた声の扱いの大胆さが印象に残るアルバムだ。ラップであれヴォーカルであれ、ビートによく馴染むようイコライジングやフィルター、ディレイ、リヴァーブなどを施されるほか、ピッチも上げ下げが頻繁に行われているように聴こえる。また、しばしばパーカッションや効果音のようにカットアップされてビートのうえを飛び交っているのも聴き取れる。

本作に参加する多くの豪華ゲストであっても、例外ではない。Solange、Lil Uzi Vert、Slowthai、Playboi Carti、CeeLo Green、Santigold、Jessy Wilsonなど数多くのミュージシャンがフック、ヴァース、バックコーラスなどさまざまな場所にヴォーカルを提供しているが、彼らについても激しい加工やエディットは容赦なく、たとえば「I THINK」では、あたかもサンプリングしたヴォーカルを扱うかのようにビートの展開に合わせてSolangeのコーラスをぶった切ってしまう。大量のゲストにも関わらずフィーチャリング表記が添えられていないうえ、リリースからしばらくはクレジットが公開されず、Tylerが全曲の詳細なクレジットを明かしたのはリリースから10日以上経ってからのこと。


そのため、Geniusはわざわざ「誰がどこを担当しているのか、そもそも参加しているのかいないのか」を検証する動画もリリースしている。

言葉にではなくサウンドに語らせよう、言葉をドラムやベースのように響かせよう、という目論見は、たしかに達成できているように感じられる。リリックを見れば恋人との痛みを伴う別れというパーソナルでヘヴィなテーマに貫かれた本作だが、物語への耽溺ではなく、サウンドが喚起する感情の力によって惹きつけられている、そう感じられるのだ。

『IGOR』は、Frank OceanやSolangeが近年連発している傑作に比肩する作品だ。と言い切ってしまおう。特に『When I Get Home』とは方向性も共振している。『When I Get Home』では、語りがメロディへと変形され、あるいはメロディが語りに寄り添うように上昇と加工を繰り返していき、それに伴ってコード進行も浮遊していく。また、スクリュー(録音物のピッチとスピードを下げるエフェクト)を生演奏で再現するなどのトリッキーなチャレンジも多々ある。言葉と歌の境目、録音物と生演奏の境目等々、音楽を巡るさまざまな境界が融通無碍に乗り越えられていく不思議な感覚に満ちているのが同作の魅力だ。

なかでもおもしろいのは、楽曲の原形としての「ソング」とその表出としての「サウンド」、といった対立が無効になるようなアプローチがとられていることだ。「ソングとサウンドはもはや切り離せない、この音でなければこの曲は成立しない」といった二極の素朴な融合ではなく、「サウンドを扱うようにソングを書き、ソングを書くようにサウンドを扱う」とでも言うべき、着想のレベルでの融合と言おうか。

『IGOR』も同様だ。とてもスムースでメロウなので『When I Get Home』ほど明確にこの変化が表出していないかもしれないが、「サウンドに語らせる/ラップや歌をサウンドとして鳴らす」という発言や、ヴォーカルの扱いには、同じような考え方がベースにあるはずだ。

2019年というタイミングにおける、アメリカにおけるヒップホップやR&Bをベースにしたソングライティングのひとつの達成として、本作は記憶されるはずだ。

imdkm
ブロガー。1989年生まれ。いち音楽ファンとして、山形の片隅で音楽について調べたり、考えたりすることで生きている。
ブログ「ただの風邪。」 http://caughtacold.hatenablog.com/

Tyler, the Creator、あるいは現代のフランケンシュタイン

“堕ちた天使は悪辣な悪魔になるというだろう? しかし、そんな神と人間の敵にさえ、寂寥を慰めあう友がいる。なのに、おれは独りだ、独りきりなのだ”――フランケンシュタインの怪物

“愛してくれる人はだれもいない”――フランケンシュタイン博士の助手、アイゴール

身がすくむほどの巨大な体躯、縫合の傷跡が痛々しく残る蒼白の顔にくわえ、虚ろな目と悲哀の入り混じる唸り声がさらなる恐怖をかき立てる……。そんな西洋のモンスターの代表格「怪物」の生みの親として知られるヴィクター・フランケンシュタイン博士の孫で外科医のフレデリックが、映画『ヤング・フランケンシュタイン』の主人公だ。フレデリックはある日、曽祖父ビューフォートの遺産を継ぐことになり、トランシルヴァニアに建つフランケンシュタイン城を訪れる。亡きヴィクターの部屋に案内され、夜、ベッドで眠りについたフレデリックは悪夢にうなされて苦しげに寝言を吐く。「私はフランケンシュタインじゃない、フロンコンスティンだ」。人造人間の創造というヴィクターのおこないを否定的に考えているフレデリックは、祖父と同じ「フランケンシュタイン」の名で呼ばれることを頑なに拒み、ことあるごとに自身を英語読みの名前で呼ぶように説く。しかし運命に導かれるように自らもその手で「怪物」を蘇らせ、物語が終盤にさしかかるころにはその発明の偉大さに気づき、怪物を胸に抱いて高らかにこう宣言するのだった。「私の名はフランケンシュタインだ!」

ところで、フランケンシュタインと怪物ほど名前を混同されているキャラクターもほかにいないだろう。イギリスの小説家、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』が出版されたのは1818年のこと。その後1823年にロンドンの王立劇場で上演された、リチャード・ブリンズリー・ピークによる『憶測、あるいはフランケンシュタインの運命』を筆頭に、シェリーの『フランケンシュタイン』を題材にした劇や映画、漫画などの翻案作品は、上述の『ヤング・フランケンシュタイン』のようなパロディも含め、いまにいたるまで無数に作られている。廣野由美子著『批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義』によれば、「ピークの劇の公開初日から一か月もたたないうちに、『フランケンシュタイン的』(Frankensteinian)という形容詞が『タイムズ』(The Times)紙で使われるようになっていたという」。翻案作品のなかでも、1931年版の映画で怪物を演じた俳優ボリス・カーロフによる“怪演”が観客に与えた衝撃の大きさはすさまじく、元来名前のない怪物をフランケンシュタインだとする誤解が生まれ定着するほどであった。

映画『フランケンシュタイン』のボリス・カーロフと同様、Tyler, the Creatorもあまりに真に迫る怪演を見せたがために、本物の怪物と混同されてしまったひとりである。たとえば2作目のアルバム『Goblin』(11年)には、『ドラキュラ』の舞台となるトランシルヴァニア地方をタイトルにした曲“Transylvania”が収録されている。ここで吸血鬼ドラキュラを演じるTylerは、女性の生き血を啜り、その血によって自らの男性器を怒張させる。興奮したドラキュラはさらに縄で縛り上げた女性に刀を差し向け、あろうことかその切っ先で剥いだ天然の“ヒト皮”でもって服を仕立てるなど、身の毛もよだつような極悪非道の数々におよんでいる。もちろん、“Transylvania”をはじめとした初期作品群でのこうした過激な歌詞は創作上のフィクションである。だが不幸にも、Tylerは歌詞の内容を問題視したオーストラリア政府ならびにイギリス政府から相次いで入国を禁止されてしまう。

入国禁止処分を受けた2015年にリリースされた4作目の『Cherry Bomb』は、政府の役人たちが眉をひそめたそれまでの暴力的な作風――「聖母マリアのアナルを犯してやる」――とうって変わって、「翼をみつける(Find Your Wings)」をあいことばに若者の自己実現を応援する、きわめて健全かつ啓発的な作品であった。凶悪な内容の歌詞を書いていた時期があったのはまちがいないが、それはあくまでも表現の一種であり、またTyler本人の弁にもあったように、当時まだ十代だったティーンエイジャーが戯れにやったことである。にもかかわらず、政府の本件に対する態度は、Tylerという人間をまるで本物の怪物かテロリストかのように見なす、不当なものだったといえよう。

『フランケンシュタイン』の怪物は、生命の神秘にとりつかれたマッド・サイエンティスト、ヴィクター・フランケンシュタインの手によって生み出されるも、その醜悪な容貌ゆえに捨てられてしまう。行く先々でも醜さを理由に人間から阻害された怪物は、そうした自らの運命を呪い、生みの親であるヴィクターへの憎悪をつのらせていく。一方、Tylerもデビュー作『Bastard』(09年)では、その題名「落とし子」が示すとおり、「父の不在」が作品の主題になっており、全編をとおして自分を捨てた父への恨み節を炸裂させていた。また、小説『フランケンシュタイン』の最後の場面において、ヴィクターの亡骸に対面した怪物が見せた動揺からは、怪物がヴィクターを憎む一方で、自分とつながりをもったこの世で唯一の存在として思慕していたことが暗示されるが、やはりTylerも“Answer”という曲で、応答(アンサー)を期待していつまで経ってもつながることのない電話をかけ続けているように、父に対して愛憎入り交じるアンビヴァレントな気持ちを抱いていることがうかがえる。このように怪物とTylerには、愛に飢えた孤独な存在という共通点が見いだせるのも事実である。

かつてTylerが表象していた怪物的イメージは、『Cherry Bomb』と次作『Flower Boy』(17年)を経てすっかり過去のものになったかのように思われた。ところが、最新作の2種類あるアートワークのうち、ピンク色の背景にTylerの顔写真が載ったほうを眺めてみると、ある疑念が浮かんでくる。縫合の傷跡や首に刺さったボルトこそ見られないものの、平らになった頭頂部と広い額、虚ろな目をしたタイラーの表情からは、映画『フランケンシュタイン』でボリス・カーロフが演じたあの怪物を想起せずにはいられない。モノクロ映画だった『フランケンシュタイン』を意識したかのように、Tylerの顔写真も白黒なのが意味深長だ。それに写真から共通するイメージを連想するだけでなく、その最新作のタイトルというのが、『フランケンシュタイン』にゆかりのある『IGOR(イゴール)』なのである。Tylerはまたしても凶暴性を――フレデリックが怪物を蘇らせたように――呼び覚まそうとしているのだろうか? だとすれば、あのアートワークに映る人物はやはり怪物なのだろうか。それとも本作のタイトルになっている、イゴールなのか。もしくは、それらの創造主(クリエイター)たる現代のフランケンシュタインこと、Tyler自身のポートレートにすぎないのだろうか――。

ウルフ・ヘイリー、ドクター・TC、トロン・キャット、サムなど、これまでにも作品ごとにさまざまな人格・登場人物を生み出してきたTyler, the Creatorがこのたび扮するのは、イゴールだ。イゴールは『フランケンシュタイン』や『ドラキュラ』といった作品に悪役の助手として登場するストックキャラクター(類型的特徴をもった登場人物)の名前である。映画『フランケンシュタインの復活』に出てくるイゴールは、怪物を意のままに操ることで、自分を傷つけた村人への復讐を遂げようとする狡猾な男として描かれているが、『IGOR』のイゴール、すなわちTylerにもそうしたある種の攻撃的な一面が垣間見られる。ただし、その動機は復讐でなく、愛だ。

『IGOR』を一聴して、何よりも強く感じるのは、Tylerの発する狂おしいほどの愛である。Tylerは早くも2曲目の“EARFQUAKE”から、地の底から揺さぶられるような激しい愛に打ち震えている。このあとも恋愛感情を歌った曲がひたすら続くが、どうやらTylerが一方的に好意を寄せているだけであることが次第にわかってくる。

本作では、Tylerが想いを寄せるも、その愛に応えてくれない意中の男性と、その彼の元恋人だという女性の存在がほのめかされる。自分の恋路を邪魔するこの女性が疎ましくてしかたないTylerは、魔法のつえ(マジックワンド)を使って彼女を“消そう”と一計を案じるのだった。6曲目の“NEW MAGIC WAND”における「お願いだから行かないで……」という哀願は想いが強すぎるためか、さながら呪術のような響きをもって聴こえる。この曲には恋敵の女性の「死」に言及している箇所もあり、Tylerの殺意ともつかない敵対心がはっきりと現れている。

このあたりまでくると、Tylerのある過去作品を連想しないだろうか。そう、恋の三角関係という筋書きで思い出されるのは3作目の『Wolf』(13年)だ。『Wolf』の登場人物は、サムと彼の恋人サーレム、そしてウルフの3人。サムが留守のあいだに、ウルフとサーレムは仲を深めるも、そのことがサムにばれてしまい、アルバムの最後にはサーレムをめぐるふたりの殺し合いへと発展する。

“NEW MAGIC WAND”などを聴くと、『Wolf』と同じような結末を『IGOR』にも予想してしまうが、そうはならないのが今回のTylerがこれまでと違うところである。

Tylerは7曲目の“A BOY IS A GUN”からゆっくりと時間をかけて、この恋の三角関係から身を引く決意を固めていく。「愛が去った」ことを認め、彼とふたりで育んだ「愛と悦びに感謝」はするものの、「もう二度と恋はしない」と誓うのだった。未練を断って「友だちとしてつきあう」という選択をとる姿は、同じTylerの失恋ソングでも、相手にしてもらえなかった腹いせに誘拐して地下室で弄んだすえに、からだを解体して食べてしまう“Sarah”のときとは大違いである。

「今度こそは運命の相手に違いない(for real, for real this time)」という“EARFQUAKE”における期待も虚しく、あいかわらず孤独なままの“ミスター・ロンリー”ではあるが、『IGOR』のTylerはそんな孤独な存在である自分を正視して、受け入れたかのように思える。映画『ヤング・フランケンシュタイン』の序盤に、アイゴール(表記はIGOR)がスペンサー・ウィリアムズ作曲の“I Ain’t Got Nobody”(愛してくれる人はだれもいない)を歌う場面がある。これは、研究室に保管されていた人体の頭部の標本(からだがない=ノー・ボディ)にひっかけたギャグなのだろうが、映画のラストシーン――それぞれ愛する者と結ばれて幸せいっぱいのフランケンシュタインと怪物に対して、アイゴールは独り城壁にたたずみ角笛を吹く――を観たあとでは、別の感慨を覚える。しかし、われわれ観客がそのたたずまいに哀愁を感じるのとは裏腹に、歌をうたうアイゴール本人に悲しんでいる様子は見られない。それどころか、声の調子や表情からはむしろ楽しげな様子が伝わってくる。もしかしたらTylerは、そんなふうに孤独に物怖じすることなく飄々としているアイゴールに、自分を重ね合わせたのかもしれない。

小澤俊亮
書籍編集者、ときどきライター。
Twitter: @sh333zy
Blog: https://hooolden-caulfieeeld.blogspot.com/

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