【インタビュー】釈迦坊主 | 歌舞伎町とTVゲームで磨かれた恍惚のラップスタイル
ヒップホップでは、自分のライフスタイルをリアルにリリックへと落とし込むことが美学とされる。釈迦坊主は、歌舞伎町での過酷なホスト経験や幼少期からのTVゲーム体験による彼ならではのリアリティを言葉にしたラッパーだ。
「馬鹿なギャル男演じてたキョロ充の10代/歌舞伎町大阪ミナミ16歳から3年/人騙して金儲け/ケミカルに溺れ/救急車で送迎/生死を彷徨って/おはよう釈迦坊主です」(釈迦坊主 - "Himiko")
ヘヴィメタルやビジュアル系の美意識をも取り込み、耽美系マンブルラップもしくは綺麗系トラップと言えばいいのだろうか。ヒップホップマナーを理解した上で構築された幻想的な世界観は、多様性を認め合う今の世の中ならではの産物であり、ヒップホップの概念が拡張された手触りを確実に感じさせる。
今年12月に行われた、新作アルバム『Heisei』のリリースパーティは、釈迦坊主界隈のラッパーたちも集い、フロアは身動きがとれないほどの満員となった。ステージ上では猛々しく豹変し、時折妖しげな表情を浮かばせる釈迦坊主。パーティが始まる前の慌ただしい中、物怖じせずに丁寧に対応してくれた彼に、初インタビューを試みた。
取材・文/高岡謙太郎
写真/菊池良助
ニコ動からしか発信できなかった初期
- まずは音楽活動を始めた頃の話から教えて頂けますか?
釈迦坊主 - 音楽自体を始めたきっかけは中学ぐらいから。最初ギターで弾き語りをして、オリジナルのヘヴィメタルのバンドやビジュアル系のコピーバンドもしました。そこから一回音楽を辞めて、16歳の時にホスト始めて。その頃も音楽の夢が忘れられず、途中でまた音楽をやりたいと思い、18歳頃からインターネットに音楽を投稿し始めました。ちょうどニコニコ動画が流行り始めた時期です。
- その頃はどういった音楽を?
釈迦坊主 - ラップですね。ホストをやめてからは、家に引きこもって毎日トラック作ったりラップしたり、とにかくめちゃくちゃ曲作ってました。ライブは本当たまにって感じで、それより曲作って動画作ってYouTube、ニコニコ動画、SoundCloudにひたすら投稿してました。ただ、別に自分はネットラッパーとしての自覚もなければ、ネットラップというカルチャーに対して愛もないです。あくまで、自分の曲を知って欲しいから使っていただけなので。活動を始めた頃は、自分に対してネットラップの人という認識があって、イベントに出ても白い目で見られていました。「ネットラッパーがなんかしてるわ」「そんなのヒップホップじゃねーよ」と言われたりして現場でも居場所がなかったですね。 ネットで活動しても居場所がないので、どことも交われなかったので、自分たちで居場所を作ろうと思ってイベントを始めました。
- 不思議なことに、今日もチケットが売り切れでコミュニティが出来上がっていますね。
釈迦坊主 - 不思議ですね。いまイベントに出ているのはニコ動と関係ないラッパーがほとんどですね。ニコ動出身で今でも仲良いのは電波少女のハシシさんぐらい。
独自のスタンスのラッパーが集う満員になるイベントに
- そこからどのようにYouTubeに移行したんですか?
釈迦坊主 - 両方にアップロードしていて、最初はニコニコ動画の方が反応が良くて、途中からYouTubeの方が再生数が上がりました。自分では意図していないので、時代の流れなんですかね。あとはいろいろな人の曲に客演するにつれて増えました。特にバズっていないので、少しづつ増えている印象です。このイベントも、こうやって人を呼ぼうとか意図的なことを考えていないんです。自分たちの居場所で自分のやりたいようにやって、人が勝手についてくればいいというスタンスです。
- それはいいですね。単純に作品が良いと思ってライブに人が集まっている。どういう人が来ていると思います?
釈迦坊主 - だいぶバラバラですね。ドレッドの人もいれば、髪の毛が短くて眼鏡の男もいたり、よくわからない髭のおじさんや、ギャルもいれば、メンヘラっぽい女の子、セクシーなお姉さんもいる。年齢も結構バラバラで、どういう人たちと言われても難しいですね。
- そこがまた魅力ですね。既存のラップのシーンではアメリカへの憧れがありますが、それとは別の軸でいろいろな人が集まっていますね。
釈迦坊主 - アメリカ人はアメリカ人にになりたいと思ってラップしていないですよね。自分らしくやっているだけで。サウンド的な部分で影響を受けて、いろいろな解釈をして新しい音を作るのは大賛成ですが、ライフスタイルや思想、自分のスタンスまで真似するのはナシかな。そういう奴はウチのイベントにはいないですね。コピーバンドみたいな。でもコピーバンドのイベントも人が来ますよね。そういうカルチャーもありますが、俺は全然それを求めていない。俺は好きじゃない。
- ヒップホップというスタイルを使って自分の表現をしているということですか?
釈迦坊主 - そういうのが好きですね。自分のイベントではそういう奴を集めています。「そろそろトラップは終わりそう」「今更トラップのアルバム出すの?」とか言われますが、自分は流行りだけでやってない。「次は四つ打ちが来る」「エロい系の音楽が来る」とか、そういう話は退屈だし下らないなって思いますね(笑)。
- 共演される方で面白い方はいますか?
釈迦坊主 - 最近自分の中でホットなのは、Iida Reo。元々バンドをやっていたので、俺と音楽のルーツが同じラッパーです。あとはTohji。あいつは音楽がかっこいいとかじゃない。とにかく人間として面白いんですよね。
- 二人ともアメリカのヒップホップとは違った才能がありますよね。
釈迦坊主 - そいつらはヒップホップが大好きでめちゃくちゃ聴いているんですけれど、アウトプットがぜんぜん違っていて、そこを模倣するとリスペクトがないと自覚しています。だから自分で考えている奴らなんです。全員面白いんですが、いま挙げるとしたらそのふたりですね。
いま現在の言葉を積み重ねたアルバム
- では、今回のアルバム『Heisei』のリリースに至るまでの経緯を教えてもらいますか?
釈迦坊主 - 本当に何の意味もないです。「最近再生数が上がってきたから、今アルバムを出したら聴いてくれる人が多いかな?」ぐらいの気持ちから始まりました。「こういうものを作りたい」「平成が終わる」というテーマはまったくない。曲のコンセプトも全然ない。今の自分はどういうものを吐き出せるかという考えだけで、トラックを選んでどんどん吐き出していって、ボツ曲含めて20曲ぐらいになりました。
コンセプトを先に決めると、自分が作っていて面白くないと感じてしまうんです。 思惑の範疇で終わってしまって、外に出られない。例えるなら、自分の頭のちょっと外側に出るぐらいの作品を作りたかったので、コンセプトを決めてしまうとその枠から出られなくなってしまう。それでは退屈だと思って、何も決めないで作ったんです。
-『Heisei』の 発売日は、Apple Musicのヒップホップ部門で1位になっていましたね。他に反響はありましたか?
釈迦坊主 - こんなに聴いてもらえるとは思っていなかったです。プロモーションを何もしていないので、これからもっと聴く人が増えたらいいなと思っています。『ミュージックマガジン』の「ベストアルバム2018年」の特集で、日本語ラップ部門の第4位にランクインしました。あとはライブのブッキングがめちゃくちゃ増えましたね。SNSでは、Twitterでエゴサーチするとオタクっぽい人がツイートしていて、 Instagramでストーリーを見るとノリの軽い人が聴いていて、 両方が聴いてくれてるのは嬉しいですね。いつも心がけているのは、両方にカマせる曲を作ること。 自分はインプットがめちゃくちゃオタク寄りなんですが、アウトプットが軽いんですよね。
原点はファイナルファンタジーの幻想感
- 自分の中でのオタク寄りの部分はどういった部分ですか?
釈迦坊主 - ゲームになりますね。ゲームに関しては、そこら辺のオタクよりもオタクです。 人生のほとんどがゲームと歌舞伎町で出来ていて、そこから思想が形成されました。もともと親が家にいなかったので、幼稚園の頃からゲームを深夜までしていて、むしろ親よりゲームの方に接していました。それぐらいゲームが好きで、やはりゲームをやると落ち着くんですよね。 地元に帰ってきた感じというか、そこに自分の世界がある。
- では一番影響を受けたゲームは?
釈迦坊主 - 『FINAL FANTASY』です。音楽も素晴らしくて幻想的で、その中で人間の闇がテーマになっていて。不条理な暴力だったり理不尽な死だったり、美しいものの中に見える闇のようなものが好きで、一番影響されています。好きなゲームはたくさんありますが、あとは『スーパーマリオ64』。世界観も操作性も全部素晴らしいんですけれど、雲や毒キノコや土管など、どこを切り取ってもスーパーマリオだとすぐわかるんですよね。それがブランドというか世界観を作っていて、そこに影響を受けています。自分の場合は、どこを切り取っても釈迦坊主だとすぐわかる音楽を作っているんです。
- それをスーパーマリオで学ぶというのが(笑)。
釈迦坊主 - そうですね。辛くなった時は逃避のためにスーパーマリオをやっちゃいます(笑)。あとは哲学を学びました。マリオ自身は、ゴールに行くのが目的ですよね。途中でザコ敵が出てきて、ゴールに行くのに邪魔をします。ただ、必要のないザコ敵がいることによって、ゴールに行くまでの道中が面白くなる。それを人生に結構例えています。ライヴの現場でもウザいやつやムカつくやつに対面しますよね。そこで「これはマリオの敵キャラだな」と解釈して、今はイラつくけれどゴールに辿り着いた時に「ああいう奴らがいたから今の俺があるんだ。学ばせてもらったな」という視点に切り替える、そういった哲学的な観点をマリオから学びましたね。
オーバードーズ体験から釈迦坊主が誕生
- 達観していますね(笑)。先ほど、ゲームと歌舞伎町に育てられたと仰られていましたが、歌舞伎町に育てられた部分をお聞かせ頂けますか?
釈迦坊主 - 本当に裏社会を見たというか……。16歳から3年間ホストクラブで働いていて、始めたときは何も知らないのでだいぶショッキングでしたね。僕が働いていた店は16歳が働く場所なので違法店でした。自分は一番年下でだいぶいじめられましたね。僕以外の未成年の店員は地元でヤンチャをしていたような奴らで、酒飲むとスイッチが入ってストレスの捌け口としてサンドバッグ代わりに殴られたり、けっこう悔しい思いをしました。
例えば、お客さんを呼んでこないと「お前遊びじゃねえんだよ!仕事だろ!」と言われて殴られて、お客さんを呼んだら「お前最近調子乗ってるな!」と言われて殴られて。客を呼んでも呼ばなくても殴られるんです(笑)。だいぶ理不尽でしたね。ただ、そこで辞めてしまうと自分が情けなくなってしまう。絶対に辞めるのは止めようと思って、そこはしがみつきました。しがみついていた理由は、当時はホストの店を出したいのが夢だったんです。ホストをやっていた頃はガッツリ歌舞伎町の人間だったので。
それから店を移動したりして、そこではドラッグを覚えて刺青入れたのが17歳頃。だいぶドラッグが蔓延していて、むしろドラッグやってない奴を探すのは難しいくらい。普段は絶対にそういう部分は見せませんが、働いてた店も9割ぐらいがドラッグやっていましたね。みんなシャブ中ばっか。「ちょっと太ったな、シャブ決めて痩せなきゃ」みたいなのが普通にあるんです。16歳からホストをやっていたから慣れてしまっていて、先輩とずっと遊んでいて、自分は流されやすいのでハマっちゃったっすね(笑)。
- 最近は?
釈迦坊主 - 最近はケミカルドラッグは一切やってないです。自分は病院の薬も飲まない。精神安定剤とか睡眠薬なども全部ケミカルドラッグという認識です。
- メンタルは自分でどうにかしていこうと?
釈迦坊主 - それはゲームでどうにかしていますね(笑)。それから大阪のミナミでホストをしていた時に、ドラッグをやりすぎてオーバードーズになって辞めたんです。一番の辞めるきっかけになったのは親でした。親が悲しんでいる時に、子供の頃の自分を思い出して、「俺、こんなやつになりたかったけ? こんな大人になるはずじゃなかったのにな……」と考え直しました。その頃はドラッグをやるわ、嘘をつきまくるわ、友達もいないし。まぁ、一緒にドラッグで遊ぶ友達みたいなやつはいるんですけど……。心から接してる感じはしないので、孤独で完全に病んじゃいましたね。
- 眼の前で精一杯みたいな。
釈迦坊主 - そうですね。自分がよくわかんないやつになっていたのを親に言われて客観的に気付けました。そこで自分が本当にやりたかったことを思い出して、音楽をまた再開しました。青春は歌舞伎町だったんですが、そこで遠回りした感じですね。
- そこで決意が固まって、その経験があるから他のラッパーと違うことが言えるのもありますね。自分の背負ってきたものがある。
釈迦坊主 - 歌舞伎町にいた頃の自分が一番嫌いな自分なんです。嫌いな自分をポジティブにする音楽がヒップホップかなと思っていて。そういうものをリリックにしているので、ちょうどいい感じですね(笑)。
すべてセルフプロデュースした世界観
- ラップもトラックも自分で作っていますよね。
釈迦坊主 - すべて一人でやりたいわけではなく、一人で作るほうが早いし楽しいから好きなんです。またゲームの話になりますが、『RPGツクール』という、ゲームを作るゲームがあって。それで小学生の頃からゲームをめちゃくちゃ作っていて、ストーリーやキャラクター考えたり、世界観を全部考えるのが好きでした。それが音楽に反映されているだけです もちろん他の人と作るのも楽しいんですけどね。
- ミュージックビデオも自作ですよね。
釈迦坊主 - 最近は時間がないので誰かに頼むようにしています。映像に関してはこだわりがなくて、人に頼むとお金がかかるので自分で作っているだけです(笑)。いまいろいろな人に頼んでいるのはお金に余裕ができたからですね。
- 他のラッパーと違って、映像の質感がヴェイパーウェイヴっぽかったり工夫していますね。
釈迦坊主 - それも汚い話なんですけれど、お金がないからチープにどうやってカマそうと考えた時に、あのスタンスが一番やりやすいと思いつきました。綺麗な映像は高いカメラが必要だから、素人でセンス良く作るため、あの方向になっただけですね。
- さまざまなウェブサービスを駆使している印象があります。たまにインスタライヴでライヴ配信して、リスナーと会話しているのが面白いですね。
釈迦坊主 - そうですね。自分は寂しがり屋なんですよ。あまり友達と話せないようなことを配信していて、インスタストーリーの方が距離感が近いかもしれない。友達に話すほどではない、しょうもないことを吐き出しています。
たまに「アーティストとリスナーの距離感を作ったほうがいい」と言われますが、対人間なので区別しなくていいかなと。リスナーからアーティストになる瞬間が結構あるし、境界線は曖昧で、コミュニケーションは重要だと常に思っています。だから、そういう意味ではリスナーというよりは、僕のことを面白いと思ってチェックしてくれている人たちという距離感ですね。
強いて言えば、音楽の仲間が増えたり、視聴者同士の交流もあるかもしれないし、コミュニティができてるかもしれないですね。インスタライブ経由でDMが来て、イベントのオファーもあります。
ラップによってリスナーに問いかける
- 宇宙やスピリチュアル感について、お聞かせいただけますか。
釈迦坊主 - 自分はだいぶスピリチュアルなんです。それにはきっかけがあって、ドラッグでオーバードーズして死にかけて、そこから深く考えるようになったんです。スピリチュアルだったり前世だったり。
- それが"Himiko"に繋がる。
釈迦坊主 - あれはホストをやっていなければ絶対に書いていないですね。 みんな闇を抱えていて、這い上がっていると思うんですよね。ただ自分はスピリチュアルを信仰してるわけではなく、世の中の一面として、漫画を読む感覚で楽しんでいます。信じる信じないはどうでもいい。だから、宗教くさいとか言われるんですけれど、俺はこうだけど真似しないでねと言ってますね。俺を見て君はどう考える?というスタンスですね。
闇の描き方を刷新したリリック
- では過去の尊敬するアーティストについて聞かせてもらえますか?
釈迦坊主 - ゲーム音楽に一番影響を受けていて、ゲームのサントラを一番多く買いました。ファイナルファンタジーシリーズを手がけている植松伸夫さんや下村陽子さん。ロックだったらビジュアル系のDIR EN GREY。洋楽を聴き始めるきっかけは、キング・クリムゾンやエマーソン・レイク・アンド・パーマーなど70年代のプログレ。ゲーム音楽の作曲家が影響を受けているアーティストの中にプログレが多いんです。自分はプログレやゲーム音楽など自由な音楽から入っているんですよね。
- ヒップホップのアーティストを挙げていませんが、どなたかいますか?
釈迦坊主 - 日本語ラップで一番聴いたのは降神ですね。志人さん、Tha Blue Herb、Shing02はだいぶ聴きましたね。
- そういったラッパーは、闇を闇のまま出している印象がありますが、釈迦坊主さんの場合は闇を爽やかに出している印象があります。
釈迦坊主 - 爽やかですね。それはだいぶ意識しています。自分はそういったラッパーが好きで友達に勧めていましたが、難しくて分からないという反応になることが多かった。曲の説明するとわかってもらえるので、自分はスピリチュアルな部分や哲学をそのままアウトプットするのではなく、どれだけ伝わりやすくするかを意識しました。周りの友達や地元のやつとかに分かってもらわないと意味ないなって。また爽やかすぎると自分ではないのでバランスは考えています。
- 以前、インスタストーリーのライヴ配信で、KOHHさんが好きだと仰ってましたね。
釈迦坊主 - 大好きです。今だとA-Thugも好きです。日本語ラップは結局リリックで聴ちゃうんですよね。二人は直球なんですけれど、目の付け所が斜めだなと。アウトプットがどストレートなので言ってることが間違っていない。言ってることが間違ってると感じるラッパーも己と葛藤している感じがして好きなんですけど、A-ThugとかKOHHは真理を感じますね。自分とスタイルは全然違いますけど。
過去と被らず居場所のない人たちに歌う
- 先ほど自分の地元の友達にも聴かせると仰っていましたが、地元レペゼン感はないですよね?
釈迦坊主 - ないですね。地元レペゼン系の曲は世の中にいっぱいありますよね。だから俺の役割ではないかな(笑)。いま音楽を聴く方法はストリーミングサービス含めて選択肢がたくさんあって、そういう気持ちに浸る音楽はたくさん用意されていると思うので、だから人様がやっていることを自分がやらなくてもいいと考えています。それと自分のレペゼンシットは誰も聴きたくないと思うんですよね(笑)。地元愛はありますが、それを音楽にする必要はあるのかなと。常に愛があればリリックから地元愛が滲み出ると思っていますね。
- それよりも宇宙をレペゼンしているというか(笑)。
釈迦坊主 - そうですね。地元に居場所のない奴が、地元の曲を聴いても分からないと思うんです。自分は場所のない人に対して歌ってるのが一番大きいかもしれないですね。だから宇宙は誰にでも共通するテーマですね。居場所のない奴が自分を通して居場所になればいいかなと思っています。
- リリックも場所のない人に響くような情景描写が素晴らしいですね。孤独を経験しているからですか?
釈迦坊主 - ぶっちゃけると俺はずっと友達が多いんです。むしろ学校では俺が遊びを考えたりする一番ムードメーカー的なやつでした。友達ごっこをするのが得意で、全然好きでもないのに好きと言ったり、本質的に仲良くなることとは違っていました。例えば「EXILEキモい」って言ったら友達が減ることを知っていたので言わないようにしたり。
そういったコミュニケーションを続けたこともあって、それは本当の友達なのか?と言われた時に分からなくなってしまって。口だけ器用だったので、勝手に自分を孤独に追い込んでいました。そこから最終的に、嘘の頂点ともいえるホストになりました。友達ごっこの極みでしたね。仲間ごっこ、友達ごっこ、恋人ごっこがあふれてる世界で突き抜けすぎて、自分がわからなくなって精神的に病んでラッパーになりましたね。
- ラッパーというスタンスが確立されたことで、言えることが変わりましたよね。
釈迦坊主 - 音楽に関しても本音と建前が重要だと思っていて、いきなり自分の闇を話したりしないですよね。自分の過去のことは仲良くなってから話すことなので、アルバムもだんだんコアに近づいていく流れにしたんですよ。前半は盛り上げて、後半になるにつれて本当の俺が出てくる。最後にコイツやべーやつじゃんって(笑)。
- 独自の立ち位置を作られているお話が聞けて嬉しかったです。
釈迦坊主 - ネットでもイベントでも浮いてるやつが、俺を見てくれて「そういうスタイルもありなんだ!自由にやろう!」と思ってくれたら嬉しいです。 ヒップホップを聴きたい気分の時に釈迦坊主を聴くというよりは、釈迦坊主を聴きたい気分の時に釈迦坊主を聴いてほしいですね。ヒップホップ聴きたい時に聴く音楽はもう作っている人が大勢いるので。だから自分の存在はカウンターだなと思う部分があります。
- では最後に告知を。レギュラーパーティ「TOKIO SHAMAN」が1月にありますね。
釈迦坊主 - TOKIO SHAMANは2年前から始まって、最初は全然お客さんがいないので50人ぐらい。今はもう200人は入るようになりました。こういうスタンスでお客さんが入っているのはウチらだけかな。別に有名なゲストを呼んでいないので、俺らだけでやっていて広げるための動きはしていないです。勝手に広がらないと意味ないなって。あとは2月にトロントに遊びに行きます。来年からは世界に向けて活動していきたいですね。
Info
釈迦坊主
https://www.youtube.com/user/92RONGE
https://www.instagram.com/shakaboo2/
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