Tee Grizzley | デトロイトのリアルを歌う獄中帰りの新星ラッパー
2017/06/04 14時13分 引用元明記
(この記事は初出時に出展が明記されない状態で公開されたので、引用元を明記し、再編集を行い再公開しました。ご指摘ありがとうございます。FNMNL編集部)
Tee Grizzleyを初めて見たとき、みなさんはどのようなイメージを抱いただろうか。大きな体格にまるで笑っていないような目、お金を数える姿は何かを噛みしめるかのような幸福感、そんなイメージだった。デトロイトの新星はなぜそんなに、お金を幸福そうに握っていたのか、その秘密をXXLに掲載されたインタビューから紐解いてみよう。
Tee Grizzleyの音楽との出会いは8歳の時。「彼の叔父とスタジオに行き声を録音し、自分の声をスピーカー越しで聴いたとき、衝撃が走った」とインタビューで話している。しかしそのときの彼にラップの技術はほとんどなく、本格的にラップを始めるのは14歳である。そのときの様子をインタビューでこう語っている。
「デトロイト出身のラッパーをよく聴いていたしスタジオに行っては彼らのマネをしようとしたよ。彼らよりうまく歌えるように」
ミドルスクールに学年も上がり、彼はよりいっそう技を磨くため、自分と同じ夢を持つ4人(Lee、JR、Po、そしてTee Grizzley、JRはTeeを裏切ったためFirstDayOutのなかでディスられている)でAllStars Ball Hardというヒップホップクルーを作り切磋琢磨しあった。そのときの曲はYoutubeで聴くことができる。
そんな中2011年に母親が薬物の売買で実刑判決を受け、父親が殺害されるという悲劇がTee Grizzleyを襲う。
「ストリートでは人を愛すること、嫌うことのどちらかしかない。もし嫌いだったら殺したいそんな感じだ。父が生きていた時代は必ずしもそうだからではないだろう。俺は神がしたことに疑問などない。神がしたことに従うだけだ」
寂しくも哀しい世界だと思うがTee Grizzley自身はそのことを確かに理解していたのだろう。その後地元のミシガン州立大学に進学したはいいが入学後すぐに大きな問題に直面する。お金が無くなったのだ。もちろんお金を得るには働くしかない、もしくは借りることもできたかもしれない、ただ彼は盗むことを選択した。
大学の窓からコンピューターを盗み、捕まるも処分保留で釈放されたTee Grizzleyはその後ケンタッキー州に移る。
同州のレキシントンで2014年7月1日に仲間二人とともにジュエリーショップを襲ったが、店員が発砲したためあえなく失敗に終わった。言い渡された刑は懲役18カ月、20歳のTee Grizzleyにとって軽い刑ではなかっただろう。捕まった当時公式に発表された彼の写真だ。
刑務所にぶち込まれたTee Grizzleyだったが、ここからが彼のラッパーとしてのもうひとつのストーリーなのだ。
収監された後のTeeは、テレビを売ったお金で大量の本を買い込み読書を始めたり、学のある人や年齢層の高い人と話すことで何が大切なのかわかっていったという。ホーミー以外と話すことは新鮮で彼はどんどん吸収していったのだろう。
そして2015年の4月にデビューミックステープの『My Moment』を書き始め、2016年10月にひげを蓄え伸びたドレッドとともに釈放された、Tee Grizzleyはまさに別人となっていた、以前のTee Grizzleyを知るものはGucci Maneの出所のような驚きを覚えたかもしれない。
おつとめを終了したのちTee Grizzleyはすぐさまスタジオに向かった。世間は彼のノンフィクションの物語を賞賛。そのおかげで大手レーベル(Young Thug, Fetty Wapなど擁する)300 Entertainmentと契約を結んだ彼はついにヒップホップドリームをつかんだのだ。(Yoshito Takahashi)