【コラム】ヒップホップとラジオとAngie Martinez
「日本初の24時間ヒップホップ専門ラジオ局」と銘打たれたWREPが開局し、早くも1ヶ月が経った。同局のスタートは、ヒップホップを専門(あるいは中心)に扱うメディアが少ない日本においてはビッグニュースであり、多くのヒップホップ・ファンが待ちわびていたものに違いない。
24時間ヒップホップにアクセスできるということは、すなわち本国USと同様の環境でヒップホップを楽しめることを意味する。USのヒップホップ・シーンにおけるラジオの存在の大きさについては、今更言及するまでもないだろう。ラジオでは、アーティストのみならず、ラジオ・パーソナリティーが大きな役割を果たしてきた。彼・彼女達はアーティストの声をリスナーに届け、リスナーの声をアーティストに伝え、時にラジオからスキャンダルが生まれ、物議を醸しながら、シーンを盛り上げてきた。
USのヒップホップ・シーンを長年に亘り支えてきたラジオ・パーソナリティーの一人に、約20年間HOT 97に勤め、現在はPower 105.1に活躍の場を移しているAngie Martinezがいる。昨年、彼女の自叙伝『My Voice: A Memoir』(以下『My Voice』)が発売された。同著では、ニューヨークに生まれ育ったプエルトリカンとして、女性として、母親として、アーティストとして、著名人として、そしてヒップホップのラジオ・パーソナリティーとしての彼女の経験が、300ページ弱に亘って綴られている。
この記事では、ラジオ・パーソナリティーとしての一面に焦点を当て、彼女がどのようにシーンに貢献してきたかを、『My Voice』に綴られた言葉から探っていきたい。
24時間ヒップホップ専門局の夜明け
HOT 97が現在のようなヒップホップ専門ラジオ局となったのは90年代前半のことであり、それまではダンスミュージック全般を扱うラジオ局であった。Angieはそこで、コーヒーを買いに行ったりオフィスワークをしたり電話調査をしたりといった、いわば雑用からキャリアをスタートさせた。それまで週末にしか流れなかったヒップホップが四六時中プレイされるようになった当時の興奮を、彼女は以下のように綴っている。
「待って! 何⁈ なんて素晴らしいことなの? 一日中ヒップホップをかけるラジオ局!!!!?そんなもの、聞いたことがなかった。どこでも。ヒップホップは週末限定のもので、平日に聞くとすれば、間違いなく午後10時以降だったのだ」
にわかには信じられなかったものの、当時ニューヨークのClub 2000でプレイしていたFunkmaster Flexがスタジオに姿を現すのを見て、これは本気だとAngieは確信したという。それから数年して、彼女はFlexと共に番組に出演するようになる。
1995年版Twitter
その約1年後、単独で番組を持つようになったAngieは、『Battle of the Beats』を企画し、そこで曲と曲とを競わせた。勝者はリスナーの電話投票によって決められた。彼女はその様子をこう表現している。
「当時、ラジオほどインタラクティブなものは無かった。そこでは何かが起こるのを生で聴くことができ、その経験を共有できたのだ。ラジオは1995年版Twitterだった。リスナーは積極的に参加し、情熱的だった。ラジオ局も同様に。」
『Battle of the Beats』は、新しいアーティストがPRする絶好のプラットフォームとなった。Jay-Z(当時)も同企画をきっかけにブレイクした一人である。リスナーの聴き慣れたアーティストの曲が勝つことの多い同企画において、それまで誰も聴いたことがなかったJay-Zの「In My Lifetime」は次々と勝ち、耳目を集めることとなった。
また、Angieの番組はヒップホップ・アーティストたちが寛げる場でもあった。 故The Notorious B.I.G.(以下Biggie)もよく差し入れを持ってスタジオに訪れてはニューポートを吸い、インタビューを終えるとクラブに繰り出したそうだ。まさに“Where Hip Hop Lives”(ヒップホップが生きる場所)というキャッチコピーを地で行っていたといえよう。
東西抗争の間で
Angieが自身のキャリアの中で最も大きな仕事の一つだったと振り返るのが、95年に敢行した故2Pacのインタビューである。東西抗争の真っ只中だった当時、Pacから「直接会って話したい」という電話があったことで、このインタビューが実現。Pacいわく、Angieは歪曲することなく事実を伝えている数少ない一人だと感じたのだそうだ。「これは東海岸と西海岸の話なんかじゃない。俺が東海岸全体に怒るわけないだろ」と彼は電話越しに言い、LA行きのフライトのチケットを用意したという。
インタビューはPacの自宅でピザを食べながら行われ、PacはBiggieやPuffy(当時)への憎悪をぶちまけ激昂しながらも、Angieに対して「大丈夫? 君に怒ってるわけじゃないんだ。もし怖かったら、銃を持たせてあげるよ」と冗談を言いながら気遣っていたという。
人々が東西抗争で平静を失っているなか、「これはあくまで個人間の問題なんだ」という一言を引き出したいという思いで、Angieはインタビューを敢行したが、Pacはそれ以外にも激しい発言を繰り返す。状況を悪化させることなく彼の真意を知らしめるべく、Angieは断腸の思いでインタビューの一部をカットしたが、この経験が彼女を大きく成長させたと振り返っている。LAへの往復チケットとPacが吸っていたニューポートの4本入った箱は、今も保管しているそうだ。
中立であるということ
上述した2Pacの件もそうだが、Angieは可能な限り中立の立場に立つよう心がけていたようだ。NasがHOT 97主催のイベント『Summer Jam』への出演をキャンセルした際も、自身の番組内で話す機会を与えた。R. KellyがJay-Zとの『Best of Both World Tour』から途中で帰った時も、その日のうちに両者を番組に出演させ、R. KellyがJay-Zの側近に催涙スプレーを吹きかけられたという真実を誰よりも早く伝えた。その時には「これが私のやるべき仕事」と感じ、興奮を覚えたという。さらに、Rihannaに暴行を加えたChris Brownをも気遣い、やはり彼にも発言の機会を与えている。
そんなAngieもどうしても許せなかったのが、The Loxから曲の所有権を搾取していた(とみられている)Diddyだという。彼女は番組内で彼らを電話させた。この一件で、時にはどちらかの側に立つことも必要だと学んだそうだ。
「そう、ラジオのホストとして、私は皆に公平であろうとするけれども、私は人々のことを気遣うし、何が正しいかということも気にしている。The Loxが所有権を取り戻したのはよかった。これはThe Loxだけの問題ではない。業界にメッセージを送り、新世代のラッパーたちに、契約に注意するよう呼びかけることにもなった。この会話に参加できたことを誇りに思う。」
HOT 97からPower 105.1へ
方向性の違いなどを理由にHOT 97を離れ、Power 105.1へと移籍したAngieだが、この決断に勇気付けられたリスナーもいたようだ。その頃たまたまバーで居合わせたファンとの会話を以下のように振り返っている。
「若い女性の一人が身を乗り出して『邪魔してごめんなさい、あなたの幸運を祈っていることだけ伝えたくて。あなたが辞める時、私たち、聴いていたのよ』と言った。
『ありがとう』と私は返した。
(中略)
『お礼を言うのはこっちのほうよ』と彼女は説明した。『本当に長い間続けていた仕事を辞めたばかりなの。だから、あなたのおかげで、私もインスパイアされて、正しい決断をしたって思えたの。すごく不安だったから』
私たちはそんなリアルな会話をしたのだ。これはとてもドープなことだ。私の決断を後ろ向きに評価するどんな声よりも大きなものだった。彼女が『インスパイアされた』と言ってくれたことが嬉しかった。私が新しい仕事を始めた時、それが何よりももたらしたかったものだからだ。」
声の力
「ヒップホップは変わってしまった」と嘆く人も多い。Angie自身も昔を懐かしむことこそあれ、今でもヒップホップにはインスパイアされ続けているという。彼女は同著の中で、A$AP RockyをRakimに会わせたことについても触れている。典型的なラッパーらしい、レイドバックした態度のRockyが、一瞬にしてサンタクロースを見た子供のように豹変する様子を見て、ヒップホップという文化の中で自分の果たすべき役割を感じられたと話している。
そんな、ヒップホップの最前線ともいえるラジオでの仕事について、彼女は次のように語っている。
「昨年(2015年)だけでも、私はIce Cubeとテーブル越しに向かい合い、人種に基づく偏見や、ハリウッドのヒップホップ・カルチャーについて話す機会を得た。それからほどなくして、彼はNWAについての革新的なストーリーを伝え、大きな記録を打ち立てた。J. Coleも、資本主義・誠実であること・ヒップホップの力についての彼なりの見解を共有してくれた。Nicki Minajは勇気を持って感情的に、愛について語ってくれた。
こうした時間が、私にとって一番意味のあるものだ。誰かに響き、何かを引き起こす可能性を秘めている会話に参加できること。こうした時間が、私をのめり込ませる。そして、こうしたとき、我々の声がどれだけ大きな力を秘めているか、気づかされるのだ。」
Angieはリスナーとの関係も重視しているようで、こんな嬉しいことも綴ってくれている。
「思い出を(リスナーと)共有するようになれば、お互いを一段高いレベルで知れるようになる。志高いラジオ・パーソナリティーにはよくそう話している。それが長続きの秘訣だと思うからだ。リスナーとリアルな関係を築くことで、自分自身を知ってもらい、信頼してもらうのだ。そのことに気づいてかなり救われた。どんな試練も、自分に正直になれば乗り越えられるのだから。」
最後に、そんなAngieから若者たちへの、厳しくも愛のあるメッセージを紹介したい。
「ペーペーのインターンが、最小限の熱意で上を目指しているのをよく見る。どこにエネルギーがあるのか、訊いてみたくなるほどだ。自分が何をやりたいのか分からないかもしれないけれど、目の前にはたくさんのチャンスが転がっていて、一瞬たりとも無駄にできないのに。いつまでも若いわけじゃない。だから若くて、まだ責任を負っていなくて、チャンスがあるなら、思いっきりやればいい。誰かに床から引っ張られて『寝なさい』って言われるまで、一生懸命やればいい。」
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奧田翔(おくだ・しょう)
1989年3月2日宮城県仙台市出身。会社員。今年の目標の一つはblock.fmの『INSIDE OUT』に出演すること。