【特集】IAM来日直前スペシャル | 多文化主義をベースとしたフレンチ・ヒップホップの巨人

広く知られているように、フランスは、世界第二位のヒップホップ大国だ。少なくとも、今現在に至る過去20年をザッと振り返ってみても、総合アルバムチャートのトップ10にヒップホップ及びラップ作品が一作も入っていない週などなかったのでは、と言っても決して言い過ぎではないほど、セールス面においても一ジャンルとして安定した人気をも維持している。

およそ37年の歴史を持つ、そんなフランスのヒップホップを代表するグループの一つが、今回初来日を果たすIAM(アイアム)なのだ。しかも、彼らはフランスのヒップホップの中心地であるパリ郊外の出身ではない。彼らの本拠地は南フランスのマルセイユである。それにしても、南仏のグループなのに、なぜ、IAM(アイアム)と命名したのだろう、そう疑問に思うリスナーも少なくないだろう。

フランスのヒップホップ元年は、1981年と言われている。レコードショップを経営していたフィル・バルネが、店に入ってきた1979年のシュガーヒルギャングの"Rappers Delight"の「ラップ」に触発され、ブラック・ミュージックを紹介するラジオ番組を始め、ラップをかけ始めたのが、この年だった。彼がシュガーヒルギャングのメンバーを気取り、番組内で披露したフランス語のラップが、まずはポップシーンですこぶるフレッシュなものとして受け止められる。それをパクったものが、ポップソングに組み込まれ、ヒットしたり、話題になり、ヒップホップカルチャーよりも先に音楽の表現スタイルとしての"ラップ"だけが大きな脚光を浴びてしまったきらいがある。例えば、ここ数年あらためて注目される機会の多かった80年代前半のいわゆるフレンチブギーの一連の楽曲を聴くと、有名無名曲問わずラップパートのある曲が異様に多い。異様と書いたのは、同時期のアメリカのポップソングには、これはあてはまらないからだ。

マルセイユのフィリップ・フラジオンとエリック・ラゼルの二人も、パリのラジオの自由な雰囲気に憧れていたのか、1985年にラジオスプリントの番組への参加からキャリアを始める。翌年二人は、三人の仲間を加えて、ライヴリークルーというヒップホップグループを始め、限られた機会を利用して、地元のステージ立つ。

そして、二人は聖地巡礼、1987年の夏をニューヨークで過ごす。DJのエリックの目的はレコードのディグだった。一方のフィリップは、チル・フィルなるMCネームで、なんと現地で知り合ったラッパーのチョイスMCのシングルのレコーディングに参加する。フランス語でライムしたチルのヴァースは、"This Is The "B" Side"というタイトルで、1988年に表題通り12インチシングルのB面曲として発売される。その当時、本国フランスでは、フランスに初めてニューヨークのヒップホップを紹介し、82年からラジオ番組を始めたDJのディー・ナスティが84年に、かろうじてアルバムを出せていたくらいで、有名無名問わずラッパーが'普通に12インチシングルのリリースできるような環境からはほど遠かったのだった。そんな中、本国よりも先にアメリカで(客演とはいえ)レコーディングしてしまったのは興味深い。しかも、この録音以前からフィリップは英語でライムしていたのだ。

二人はマルセイユに帰ってくると、クルーはBボーイスタンスと改名し、二人だけで活動を続けることにした。フィリップとリンクした、マイクも握るダンサーのジョフアことジョーがそこに加わり、さらに様々なジャンルのバンドで活動し、ドラムマシンやサンプラーも早い時期から扱っていた最年長のパスカルペレーズが入った1989年に、IAM(アイアム)という名のもと、グループが誕生する。彼らの最初の音源はミックステープ『concept』だった。ダンサーへのアピールを狙ったこのカセットのプロモライヴは、うまく効果をあげる。翌年には、フランソワとアブデル・マリク・スルタンの二人のダンサーが新たにグループに加入したのだ。

それにしても、彼らは自分たちをなぜIAMと命名したのだろうか。そこには、いくつも意味が込められているという。

たとえば、 そのひとつにIndépendantistes Autonomes Marseillais (独立し自律したマルセイユの人たち)というのがある。彼らの本拠地は、言うまでもなくマルセイユだ。彼らは、ヴァージン傘下のラベル・ノワール(後にドゥラベルと改名)からのデビューアルバムを『… de la planète Mars』と名付け、1991年にリリースしている。これ以後、彼らの曲名やリリックにmarsという言葉を見聞きすることになるが、これは火星ではなく、マルセイユを意味している。

また、IAMは、Invasion Arrivant de Mars(マルセイユから到達した侵攻勢力)の頭文字をとったものでもあるという。この1991年は、フランスのヒップホップの歴史において重要な年だ。 MCソラ―、シュプレムNTMをはじめとする勢いのある新鋭たち、そして、このIAMがそれぞれデビューアルバムをリリースし、作品そのものが好評価を得ただけでなく、どれも好セールスを記録し、ヒップホップがフランスで商業ベースに乗るものであることが一気に証明されたからだ。IAMは、90年のデビューep発表後に、全国規模のヒップホップメディアでも取り上げられるようになっていたが、『 … de la planète Mars』がそれを加速させた。

そして、その勢いを維持したまま、2作目のアルバム「Ombre est lumière」からの第一弾シングルとして、94年2月にリリースされた"Je danse le mia"(funky remix)が、チャートイン3週後に、フランスのシングルチャートで首位に立ったのだ。サンプルされたジョージベンソンの"Give Me The Night"が80年代ダンスフロアの郷愁を誘ったあたりがヒットの大きな要因だったのだろう。だが、IAMとしては、過去にだけ目を向けた、後ろ向きの曲としては作っていない。ちなみに、この曲を作るに当たって、ジョージ・ベンソン側に事前に正式にサンプル使用許諾をとっていた。後にIAMの面々がレコーディングのためニューヨーク滞在中に使用していたのと同じスタジオを、たまたまベンソンも利用していた。実際に両者が顔を会わせると、彼のほうでしっかりIAMを認識していて、シャンパンを振る舞った、という逸話がおまけにつく。

"Je danse le mia"の大ヒットは、日本の音楽メディアでは取り立てて報じられることはなかったが、IAMが参加した95年のマチュー・カソヴィッツ監督の映画『憎しみ』のインスパイア・アルバムは日本盤化された。ここで初めて彼らの名前と曲とを知った日本の音楽ファンもいたに違いない。

と、やや話が逸れたが、彼らの名前IAMは "Imperial Asiatic Men"(至高のアジア人たち)の頭文字を並べたものだとも言われている。彼らは、エジプト、中国、日本を自分たちの文明の発祥地としてとらえ、すっかり魅了されている。それは、以下に示すとおり、メンバーの本名とアーティスト名を並べた一覧を一目見ればわかるだろう。

フィリップ→アケナトン(ラッパー)
エリック→ケオプス(DJ)
ジョー→シュリケーン(ラッパー)
パスカル→インホテップ(プロデューサー)
フランソワ→ケフラン(ダンサー)
アブデル・マリク・スルタン→フリーマン(ダンサー、ラッパー)

しかも、IAMには Italien Algérien Malgache (イタリア系、アルジェリア系、マダガスカル系)という意味も込められているという。彼らは活動拠点こそ同じマルセイユだが、個々のメンバーのエスニシティはバラバラであることがはっきりと示されている。
その上で、興味や関心の方向が共通しているというわけだ。上に列挙した中では、日本の忍術で使われる"手裏剣"と、"自由人"をアーティスト名にした二人以外は、すべて古代エジプトの王や宰相の名及びそのギリシア名をそのまま借用していて、かなりユニークだ。
なにも知らない人が見たら、思わず首をかしげてしまいそうだが、そういったことを踏まえた上で、彼らのアルバムのアートワークは作られている。ゆえに、2作目の『Ombre est lumière』では古代エジプト、3作目の『L'École du micro d'argent』では日本の戦国武将が、それぞれ全面的なモチーフとなっているのだ。そして、2008年には、とうとうエジプトはギザのピラミッドやスフィンクスの前で、ストリングスやバックバンドを従えライヴ・パフォーマンスを披露することになる。

アケナトンは、グループ結成以前に、予期せぬものだったとはいえ、ニューヨークでレコーディングを経験したのは前にも書いたとおり。そして、"je dance le mia"により、広く一般にもその名を知られることになったIAMは、3作めのアルバムの制作の一部をニューヨークで敢行する。その頃現地では、IAMとはまた違った角度から中国の文化、特にカンフーの精神に共鳴していたウータンクランがグループとしてブレイク後、構成メンバーが一人ずつソロアルバムを発表し終え、2作めのアルバム制作に入っていた。

IAMは、ウータンのメンバーを客演者として迎えることはできなかったものの、ウータン直系のサンズオブメンをフィーチュアした楽曲を録音する。それ以上に、聴く者に確かな印象を残すのは"Petit frere"だ。「子供たちの唯一の望みは大きくなること、そのためには、残忍なこともやり抜く、十歳にして」と、弱肉強食のマルセイユのストリートの生きざまを映し出す。こうした主題の曲のイントロで聴こえてくるのが、ウータン・クランの名曲"C.R.E.A.M"の一フレーズで、子供たちが巻き込まれる非情な現実についての曲であることが予告される。

リリース・タイミングに照らし合わせても、ウータンの『wu-tang forever』の音作りを先取りしていたとも言えるこのアルバムで、IAMは、社会の歪みや矛盾をしっかりとリリックに刻み込む。"Nés sous la même étoile"では、持てる者と持たざる者とはなんなのか考えてゆく。ハードコアにしてコンシャスというのが彼らの大きな特色の一つでもある。こうした熱く濃厚な曲がひしめくこの3作目のラストを飾る"Demain, c'est loin "はハードコアの真髄は、シンプルの極みにこそあると言わんばかりだ。ちょうど9分ある曲をたったワンフレーズのループで通してしまう大胆さ。ヴァースにはフックはなく、一番手のシュリケーンのヴァースが終わると、間髪入れずアケナトンがライムを始める。リリック中で意味的なまとまりを持つひとつのブロックの最終ラインの最後に使った言葉を、次のブロックの最初の言葉に持ってくる、例えば、demainで終えたら、次のブロックの出だしもdemainで始める、そんなスタイルを徹底するシュリケーンのラップに知らぬ間に耳を奪われることだろう。
『L'École du micro d'argent』は1997年3月に発売されると、発売から2日でゴールドディスクに認定され、フランス版グラミー賞にあたるヴィクトワールドゥラムジークにおいて2部門を制覇、IAMは名実共にフランスを代表するヒップホップグループとなる。同時に、このアルバムは、フランスのヒップホップ・クラシックとして広く認められ、今なお語り継がれている。

誰の目にも勢いがあるように見えた彼らは、リュック・ベッソンから大ヒット・シリーズとなる98年の映画『TAXI』の音楽を依頼される。が、ここで一旦グループとしての活動を休止し、メンバーは各自ソロ活動に専念することになる。

彼らがグループとして復帰するのは、2003年になるが、ここで、IAMが "Imperial Asiatic Men" の頭文字を並べたものであることを端的に示す作品についてもう少し触れておこう。
彼らにとって6作目のオリジナル・アルバム『Arts Martiens』が、2013年4月にリリースされる。これはデフジャムフランスへの移籍第一弾にして、フリーマン脱退後初のアルバムとなった。

そのタイトルに込められた意味は、ここまで読んでくれた方なら察しがつくだろう。直訳すれば、マーシャルアートだが、Martiensには、もちろん、マルセイユの人たち、という含みがある。彼らのメンバーの一人に手裏剣からMCネームをとったシュリケーンがいる。念のため付け加えておくと、欧米的な感覚に基づくマーシャルアートには、手裏剣を使う忍術も含まれている。ちなみに、彼はケンドリック・ラマーより二十年早くカンフー・スーツを身にまとってにまとってライムするMVを発表している。。そして、そのシュリケーン主導の楽曲がアルバムのプロモMVとして作られた。曲名は、なんと"Benkei et Minamoto"。弁慶と義経のあの有名な逸話(勿論、史実とは異なる)に触発された、仁義や忠義心の篤さを匂わせている曲だ。グループ結成から約25年が経過してもなお文明の発祥地としての日本の、しかも、このあたりに着眼してしまうあたりがいかにもIAMらしい。MVは、グループ名に込められた意味やイメージを忠実に映像化したものとなっているけれど、今回初めて踏みしめる本物の日本の地は彼らにはどう映るのだろうか。

ここで、グループ名の意味するものに話を戻せば、誰もが想像できるように、IAMは、英語のI AMでもある。アケナトンによれば、特に、米国で公民権運動が盛んだった時代(1960年代末)に、"反人種統合"の意思表示としてプラカードに掲げられた "I AM A MAN"のI AMなのだという。つまり、わたしたちは誰もがみな尊厳を持った人間である、ということだろう。

グループ結成30年を目前にした2017年4月には、通算8作目となる「Rêvolution 」を発表したI AM。グループ結成時から「日本スゴい」と、多文化共生を推進してきたフランスのヒップホップレジェンドを、2018年のこの日本で観ないてはない。(小林雅明)

Info

2018年9月19日(水) duo MUSIC EXCHANGE
Open 19:00 / Start 19:45

スタンディング 6,500円 (税込・別途1Drink代)
※未就学児入場不可
<当日券>
スタンディング ¥7,000 (税込・別途1ドリンク代) 開場時間(19:00)より販売!
※未就学児入場不可
19時より会場にて販売致します。

協力: 在日フランス大使館 / アンスティチュ・フランセ日本 / ユニバーサル ミュージック
企画・制作: Live Nation Japan
招聘: トゥモローハウス

https://www.livenation.co.jp/show/1136864/iam/Tokyo/2018-09-19/ja

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