【インタビュー】Sixtoo | Anticon、Ninja Tune…地下の緩やかな繋がりから広がった新しい形のヒップホップ

伝説のアンダーグラウンドヒップホップ集団<Anticon>のメンバーであり、名門レーベル<Ninja Tune>からの名盤『Chewing On Glass & Other Miracle Cures』をリリースしたことでも知られる「Sixtoo」ことヴォーン・ロバート・スクワイアが、日本への移住を検討しているという。

そこで今回は、現在来日中の彼とコンタクトを取り、彼の波乱に満ちたライフヒストリー、そして日本への思いについて聞くことにした。90年代半ばから00年代にかけて北米から全世界に広がった「エクスペリメンタル・ヒップホップ」の成り立ち、名だたるレーベルとの関わりはもちろんイリーガル・レイヴのオーガナイザー、グラフィティ・ライター、そして建築家としても多彩な才能を発揮してきたマルチクリエイター、Sixtooの業績と思想の一端に迫る内容となっている。アンダーグラウンドヒップホップマニアならずとも、是非ご一読を。

Text:DAI YOSHIDA

Photo: MIYU TERASAWA

Translating:KOKI SUGIYAMA(MUTEK Japan)

Special Thanks:Upstairs Records & Bar(Shimokitazawa)/ DRINK & MOOD mou / NOKE(TSA)/ 1an(SOUR INC.)

- あなたはどんなキッズでしたか?

Sixtoo - 僕が育った場所は、カナダ最大の都市トロントのノースヨーク。ジャマイカやトリニダード・トバゴ系の移民が集まったアンティカ・ヴィレッジと呼ばれるエリアなんだ。ジャマイカからの影響が色濃い場所だったから、サウンドシステムやレゲエのカルチャーを吸収して育った。ただ元々好きだったのは、パンクロックやロックミュージック。僕のルーツだね。DJはトロント時代からやっていて、主にダンスホールをプレイしていた。トロントにある有名なレコードショップ「Play De Record 」に毎週木曜日に遊びに行って、まあ「色々な手段」を使って新譜を手に入れていたよ(笑)

ヒップホップとの出会いは、17歳の時にカナダ東部のノバスコシア州へ引っ越した時。州都のハリファックスには、奴隷解放組織「地下鉄道」の手引きでアメリカから亡命した元黒人奴隷の人たちのコミュニティがあったんだ。北米で最初の自由な黒人のコミュニティだと言われているんだよ。つまりジャマイカやトリニダード・トバゴから来たカリビアンじゃなく、アフリカ系アメリカ人のコミュニティがあって、そこにヒップホップがあったんだ。ノースヨークで得た経験と感性があったから、ごく自然な流れでヒップホップにハマって音楽の制作を始めたよ。僕が実際に住んでたのは、そのハリファックスから1時間くらい離れたトルゥーロという小さな町なんだけどね。

- 初めて組んだグループ「Hip Club Groove」について教えて下さい。

Sixtoo - 17歳の時、友達に誘われてハイスクールラップ・バンドを始めたんだ。メンバーにはカナダの人気TVショー『トレーラー・パーク・ボーイズ』(※)に出てるコリー、マッケンジー、DJ Moves を含めた4人組。僕はラップをしていたよ。でも有名になるにつれて、CBC(カナダ国営放送局)で放送される番組のテーマソングをやったり、コマーシャルな動きが増えて来たんだ。それで嫌気がさして、18歳の時に辞めちゃった。だから実際には1曲と1枚のレコード(※)にしか関わってない。

- ソロ・アーティストとしての活動を始めたのは?

Sixtoo - 高校時代に4本のテープアルバム(※)を制作して、Sixtoo名義でリリースしたよ。その半分は、Buck 65(※)がプロデュースをしてくれた。残り半分は、僕にビートの作り方を教えてくれたジョーラン・ボンベイがプロデュースしてくれてる。ハリファックスのアンダーグラウンドヒップホップアーティストと言えば、DJ Moves、Buck 65、Sixtooの3人だけど、最初期の作品は、すべてジョーランのプロダクションだったんだよ。

※4本のテープアルバム:Superstar Props、Four Elements、Return of the Seeker、Progress。リリース元であるANT RECORDSのBandcampで聴くことが出来る。 

※Buck 65:後述する前衛ヒップホップ集団Anticonでの活動で知られるラッパーでプロデューサー。カナダを代表するヒップホップアーティスト。

- その後、1997年にMOKA ONLY(※)とのスプリット盤「THE CRYSTAL SENATE」をリリースしていますね。

Sixtoo - Sixtoo名義としての最初のレコードだね。高校を卒業する頃だから1997年かな。トーマス・クインランによるトロントのレーベル「Hand’Solo Records」からのリリースだった。彼は真の音楽好きで『NWSA (No Wack Shit Allowed)』というタイトルのカナダ初のアンダーグラウンドヒップホップ Zineも作ってたよ。

※Moka Only:カナダを代表するヒップホップアーティスト。バンクーバーのクルー・Swollen Membersの一員。

Anticonは結成される以前から、なんとなく存在してた

Sebutones - 50/50 Where It Counts(1998※画像は再発時のもの)

- Anticonの仲間であり、ヒップホップデュオ・Sebutonesの相棒でもあるBuck 65との出会いについて教えて下さい

Sixtoo - Buck 65はハリファックスのカレッジ・ラジオでラップの番組をやってたんだ。で、ある時にBuck 65とジョーランが対立して、ハリファックスのヒップホップが二つに割れたんだよ。まず僕とかBuck 65、TachichiKunga 219がいるエクスペリメンタルなヒップホップのシーン。で、ジョーランは、いわゆるリアル・ヒップホップを追求していった。そこから次第にBuck 65とツルむことが多くなって行ったんだ。そういう流れでSebutonesは始まってる。

- どのようなスタイルで制作していたのでしょうか?

Sixtoo - 僕たちは二人ともラップ、プロデュース、DJができたから、交互に違う役割を果たしてた。例えば、Buck 65がラップをするときは僕がDJ、僕がラップをしてBuck 65がDJするみたいな感じ。曲はそれぞれで作ってたね。2人でサンプルを撮るためのレコードを掘りに行ったり、同じビートマシーンを使ったりしてたよ。今思えば、Diamond Dと同じようなことをしてた。グラフィティをやってたことも含めてね。

- あなたはグラフィティ・ライターでもあったんですよね。自身のジャケットのアートワークを手がけていたりもする。

Sixtoo - もともと「何でもやろうぜ!」って感じだったからね。当時の僕たちにとって、ラップ、DJ、プロデュース、エンジニアワークは練習みたいな感覚だった。それをレコードにしてみたら人気が出て、Scribble Jam(※)はじめ色んなイベントでパフォーマンスをするようになった。そこでレジェンドDJであり、1200 Hobos(※)の創設者Mr. Dibbs(※)、メンバーのJohn DoeやDJ Signifyが、僕たちのやっているプロデュースやラップの技術に興味を持ってくれた。で、彼らに誘われる形で1200 Hobosのクルーになったんだ。

※1200 Hobos:90年代前半に結成された伝説のターンテーブリスト〜グラフィティ集団。Doseone, Jel, Buck 65, Sixtoo, Adverse, DJ Mayonnaise, DJ Skipなども参加していた。

※Scribble Jam:グラフィティ雑誌『Scribble』の主催で、1996 年から 2009 年までオハイオ州シンシナティにて開催されていたHip Hopフェス。MCバトルにはブレイク前のEMINEMが出場していたりも。

※Mr. Dibbs:アンダーグラウンドHip Hop DJ〜プロデューサー。「1200HOBOS」そして「Scribble Jam」創設者でもある。

- Sebutonesといえば、2000年前後にLAに拠点を活動していたヒップホップコレクティブ「Anticon」のイメージがあります。

Sixtoo - 僕も最初のAnticonメンバーだね。Sabtones時代のBuck 65と僕はハリファックスに住んでたんだけど、(Anticonのメンバーである)Sole, Alias, DJ Mayonnaiseの3人は、ノバスコシアから大体車で10時間くらい離れたアメリカのメイン州に住んでいて、僕たちと似たような音楽を作っていた。距離的にもそこそこ近いから文化の特徴が似ていたのかもね。よくお互いのレコードをラジオで流すために交換しあっていたし、会いに行ってたよ。

- で、Anticonというクルーが結成されたんですね

Sixtoo - 面白いことに、Anticonって結成される以前から、なんとなく存在してたんだ。まあSebutones、Alias、DJ Mayonnase、Jelは、元々1200 Hobosのメンバーでもあったわけだしね。だからMr.DibbsがAnticonが始まるきっかけになったと言っても過言ではない。彼は僕たちにとってヒーローだったんだ。

- Anticonは自然発生的に始まっている、と。

Sixtoo - そうだね。そのうちSoleやJelを含むオリジナルメンバーで「同じ場所に引っ越そう」って話になったんだんだ。一緒にいて、レコードを作らないといけないと思ったし、そのためにはコレクティブを結成する必要があったから。そこでカリフォルニアに引っ越して、皆で活動を始めたんだよ。僕は主にオークランドにいて、SoleやAlias、Doseoneたちと住んでいたよ。1999〜2000年くらいかな。僕は4ヶ月くらいしか住んでいないんだけどね。

- リリースとかパーティーするためのクルー?

Sixtoo - 周りの人たちは「あいつらはAnticonクルーだ」って思ってたけど、僕たちはコレクティブとかレーベルとしてはもちろんムーブメントとしても存在していた。これは興味深いことだと思うんだけど、違う場所で違う動きをしているはずなのに、どこか似たフィーリングが生まれることってあるだろ?例えばさ、DJ Krushの音から僕たちの音に近いものを感じない?僕らにとっては、Anticon以外にも「この人は自分達と同じ場所にいる」って感じるアーティストが結構いたんだ。

- Anticonというムーブメントの外側には、さらに大きなアンダーグラウンドヒップホップのムーブメントがあった。ある種のシンクロニシティがあったんですね。

Sixtoo - そこには緩やかだけど、確実な文化的繋がりがあったんだと思う。そういう輪の中から、DJ Vadimや何人かのNinja Tune アーティスト、初期のQuannum Projects(※)などが現れて、新しい形のヒップホップとして広がっていったんだよ。

Quannum Projects:サンフランシスコ ベイエリアに拠点をHipHopコレクティブ。DJ Shadow、Lyrics Born、Blackalicious、トミー・ゲレロなどが所属していたことで知られる。

CANのヤキ・リーベツァイトがいて、Myka9がラップしていた

Sixtoo - 『Antagonist Survival Kit』(2003)

- 2003年にIDM、エレクトロニカ系の音源をリリースしていたUKのレーベル「Vertical Form」からアルバム『Antagonist Survival Kit』をリリースしています。

Sixtoo - カリフォルニアからハリファックスに戻って、しばらくしてモントリオールに移ったんだ。そうしたらVertical Formから声が掛かった。彼らは、Anticonのことも知っていたし、すでにAnticonのAliasはVertical Formの親会社であるMore Musicからリリースしていた。More Musicは、Vertical Formだけじゃなくテクノで有名なPeacefrog Recordsはじめ色んなレーベル、アーティストとも繋がっていて、さらに大きなメジャーレーベルでもある。今思えば、かなり重要な存在だね。

当時の僕はテクノはもちろんHipHop以外のBeat Musicも聴いていた。色んな場所に音楽を体験しに行っていたよ。例えば、オークランドには、テクノシーンや初期のジャングルシーンがあった。クレイジーだなと思ったのは、オークランドにある「Yoshi's」ってジャズ・バー。行ってみたらCAN(※)のヤキ・リーベツァイトが演奏してて、そのビートの上でFreestlye FellowshipのMyka9(※)がラップしてるんだよ!他にもヤバいアーティストたちが集結していたね。そこでプレイされた音楽は録音されていなくて、今となっては聴くことが出来ないんだよ。

このハイパークリエイティブな時期には、Mumbles Hip Hop(※)Aceyalone(※)のレコードがリリースされたり、Dirk Leaf(※)のようなプロジェクトがあった。時代の流れも影響してたんだと思う。なぜかっていうと箱がどんどん減っていた「ベニュー危機」と呼ばれる時期だったから。限られたベニューに多様な人たちが集まって、音楽を共有しあいながら新しいシーンが生まれていったんだ。ちょうどインターネットが普及し始める時期ともかぶっていたね。

※CAN:1968年に西ドイツで結成されたエクスペリメンタル・ロックバンド。ジャーマン・ロックの旗手としてテクノやトランスにも多大な影響を与えた。ヤキ・リーベツァイトはフリー・ジャズ出身のドラマーでバンドの創設メンバー。

※Myka9:Hip Hop界で最大の語彙を誇るとも言われている天才ラッパー。FreestyleFellowship、Haiku D'Etatのメンバーとして知られる。

※Mumbles Hip Hop:トロントに拠点を置く、今は亡きカナダのHip Hopオンラインストア。 2005 年からインディーズ・レーベルとしてレコードと CD をリリースしていた。

※Aceyalone:ラッパー。ギャングスタラップ全盛のLAにおいてオルタナティブなHip Hopシーンを盛り上げた中心人物の一人。FreestyleFellowship、Haiku D'Etat、The A-Teamのメンバーとして知られる。

※Dirkleaf:Jurrasic5の前身グループであるUnity Committeeから派生したLAのアンダーグラウンドHip Hopグループ。

- モントリオールに移住したことによって自身の作品への影響はありましたか?

Sixtoo - もちろん。アーティストは、その場所を映す鏡の様なものだしね。モントリオールは、ミニマルテクノシーンで言うと『MUTEK(※)ってフェスもあるし、アーティストだとAkufen(※)とかDeadBeat(※)もそうだし、大きな箱で流れるテクノを作るTigaみたいな有名なプロデューサーもいた。良いレーベルもある。つまりモントリオールにはエクスペリメンタル・ミュージックのシーンが根強く存在してるんだ。

ロック・コミュニティからも多くのことを学んだね。Godspeed You! Black Emperorはじめ色んな人たちとフランクな感じで関わっていたし、一緒にショーをやってたよ。それがきっかけで、ヒップホッププロデューサーだと思われていた僕のイメージも変わっていった。当時は本当にハイパークリエイティブだったし、実験的なことをしていた。今、こうして日本にいるけど、当時の感覚と近いものがあるよ。DJ KrushやDJ Kenseiと会ったりね。

※MUTEK:24年続いているモントリオールの電子音楽フェス。日本でも定期開催されている。

※Akufen:モントリオール出身のテクノ〜ハウスのアーティスト。

※DeadBeat:エレクトロニカ、ミニマルダブ、ダブテクノのベテランアーティスト。

ヒップホップシーンからのリアクションは、“あいつ、遂に気が狂ったな...”って感じ(笑)

Sixtoo - Chewing On Glass & Other Miracle Cures(2004)

- その後、2004年にNinja Tuneからアルバム『Chewing On Glass & Other Miracle Cures』をリリースしています。

Sixtoo - 北米におけるNinja Tuneのディストリビューションを運営しているジェフ・ウェイって人がいる。彼はGodspeed You! Black Emperorが所有するハイパーエクスペリメンタルなベニューであるCasa del Popolo(※)周辺にいる人でもあった。僕がそこでDJをして、Vertical Formの音源をプレイしてたら、ジェフから「Ninja Tuneからリリースしないか」って声がかかったんだ。そもそもNinja Tuneのオフィスはモントリオールにあって、すでにKid Koalaがリリースしていたし、Amon Tobinはモントリオールに住んでいたんだよね。

※Casa del Popolo:モントリオールにあるバー、ビストロ、ライブ会場。名前はイタリア語で「人民の家」を意味する。モントリオールにおけるインディー音楽の聖地で、ニューヨークのCBGBに準えて語られることも。

- 二つ返事でディールした感じですか? 

Sixtoo - 実はNinja Tuneではなく、Warp Recordからリリースしたかったんだ(笑)。当時の自分の方向性的にもWarp の方が近かったからね。でもKid KoalaやAmon Tobinは、もう兄弟みたいなものだったから、Ninja Tune に落ち着くことにした。契約した後は、もっとNinja Tuneにフィットするレコードを作ろうと思ったよ。「ここは敢えてDJVadimとかHerbalizerみたいなトリップホップをやってみるか」みたいな感覚。もちろん彼らとは違うアプローチで表現しなくちゃって思って、そこから自分の方向性を見直していったんだよ。僕はAnticonの一員でもあったしね。

- このアルバムの中で伝説のバンドCANのヴォーカリストであるダモ鈴木とコラボレーションしています。

Sixtoo - 当時のダモはワールドツアーを周っていて、訪れた土地にいるバンドと一緒にライブしてたんだ。それで僕も一緒にCasa Del Popoloでのショーでパフォーマンスをしたのが初対面だったね。その時に、彼が即興で演奏するのに最適なトラックが1曲あると気付いたんだ。それで彼にスタジオまで来てもらって、レコーディングを始めたんだよ。10回ほどのテイクで、そこからエディットしていった。セッションは間違いなく実験的でインプロなものだったけど、いま聴くとジョニ・ミッチェルの曲にメチャ似てるんだよね(笑)。

- 名曲「Storm Clouds & Silver Linings」ですね。

Sixtoo - 当時、ヒップホップシーンからのリアクションは「あいつ、遂に気が狂ったな...」って感じだったよ(笑)。

- Ninja Tuneのアーティスト時代はどんな気持ちでした?

Sixtoo - もちろん光栄だったけど、同時にすごく迷っていたね。Ninja TuneのAmon Tobin、Kid Koala、Bonoboとは仲良くなっていたし、広範囲にツアーをこなした。とても刺激的だったけど、Diploと一緒にいるのは「なんか違うよな」と思ってた(笑)。そんなこんなで本当に刺激的で、エキサイティングで、活気に満ちていた時期だったけど、長期的には自分にとっての音楽のホームにはならないと悟ったんだよね。

バンドをやってたはずが、結果的に違法なサウンドシステムになってしまったんだ

- そこからイリーガルなレイブユニット「Megasoid」をスタートしたわけですね。

Sixtoo - その話もすべきだね。モントリオールのマイルエンドってエリアには、たくさんの良いミュージシャンが住んでいるんだよ。Godspeed You! Black Emperor、Arcade Fire、Wolf Paradeといったバンドのメンバーやラッパーたち、Jacques Greeneみたいな電子音楽のプロデューサーたちが住んでいた。そのエリアにあるオリンピコというカフェは、仕事がないミュージシャンが毎日のように行き交う不思議な場所で、コーヒーも美味かったし、何より安かった。すごくドープな場所だったんだよ。色んな出会いがあった。

その時期、2005年くらいに、僕はモジュラーシンセに興味を持ち始めたんだ。後にMegasoidのパートナーであるWolf Paradeのハジは、すでにバンドでモジュラーシンセを使ってたから「使い方を教えてくれ」って頼んだらDoepfer(※)のシンセを一式貸してくれた。2回くらいしか会ったことがないのにね(笑)。ところが借りたモジュラーの電源を入れたら、電圧を間違えたのか火を吹いちゃって。あの時は「あ、やばい。5000ドルを燃やした」と思ったね(笑)。もちろんハジに修理代を払って、そこからシンセの使い方を習い始めたんだ。で、「一緒にモジュラーシンセを使ったヒップホップを作ろうぜ!」みたいな感じになったんだよ。

※Doepfer:ドイツのメーカー。世界で最も多くのアナログ・モジュラーシンセサイザーを生産している。

- どんな感じでプレイしてたのでしょう?

Sixtoo - モジュラーを使ったパートはハジに任せて、僕がMPCやTR-707やAbletonを使ってドラムのパートをやってた。それがMegasoidの始まりだね。で、早速パーティーにシステムを導入して、クレイジーなモジュラービートをプレイしてたらフロアから人がいなくなっちゃってさ(笑)。そこでMissy Elliottのサンプルなんかをクレイジーなモジュラービートに乗せてみたら、オーディエンスが徐々にノリ始めたんだ。ラップの中でもPopな物を乱用しまくってたよ。

つまり僕たちはバンドみたいな感じで、モジュラーシンセとドラムマシンをサウンドシステムに繋ぐスタイルで活動してた。人気が出始めた頃から自分達のパーティーも始めて、Machinedrum、Jimmy Edgar、Glitch Mob、 The Bugなんかをブッキングしたんだ。そうしたらショーが成功してしまって、結果的に僕たちは違法なサウンドシステムになってしまったんだ(笑)

- サウンドシステムを搭載したミニバンでブロックパーティーをやってたと聞きました。

Sixtoo - というより全ての機材はバンの中にあって、そこからサウンドシステムを出してセットアップしていたね。この違法パーティは橋の下とかでやってて、2008-2009年くらいには5000人くらいのオーディエンスがいたんだよ。

- かなり大規模だったのですね!

Sixtoo - カナダのケベック州には「聖ジャン・バティストの日」っていう巨大な祝日があってさ。その週末は警官が忙しすぎるから街の警備が手薄になるんだよ。だから、その日に敢えてパーティーをやったりね。ただ毎回警察が来て、5,000ドルから10,000ドルの罰金を科せられていた。けどパーティーをやると、その日のうちに20,000ドルくらいは集まるから、次のショーをやる経費も含めて、お金を回収できたんだ。非番とか退職した警官を20人くらい雇って、警察への対応をしてもらったりもしてたよ(笑)

- フリーパーティーだったんですか?

Sixtoo - チャージはなかったね。一度だけRedbull Music Accademyからの支援があったかな。Ninja Tuneから出る予定だった3枚目の作品はMegasoid名義でリリースする予定だったから、Ninja Tuneからも支援を受けていたね。資金があったから、当時は色んなラッパーともコラボした。Bun Bと一緒に「Paper Planes」のRemixをやったし、Capleton、Cory Gunz、Guilty Simpsonともやった。ラッパーと軽く揉めたり、大金を一気に使い切っちゃったり、モジュラーに酒をこぼしたり、機材が壊れたり、誰かが足場から落っこちたり...トラブルも多かったけど、結果的にはすごいショーができたから良い思い出だよ。

- それにしても活動が多岐にわたっていますよね。現在はいくつの名義を持っていますか?

Sixtoo - 今やってるのはふたつ。ひとつはSixtooで、もうひとつはBlock Univers。Block Univers名義でDJするときは、ディスコ、ブギー、ファンク、ソウル、ハウスをかけるよ。Block Univers名義は大体10年くらいやっている。TensnakeがやっているTrue Romanceレーベル、Pattick HollandのASLレーベルとか100% Silkからもリリースしてる(※Prison Garde名義)。本当にいいレーベルばかりだけど、意図的に動いたって感じではなかったかな。

で、ビートベースの音を出す時はSixtoo名義だね。パンデミックになってからは、Sixtooとしてビートだけを作っている。自分のキャリアが30周年になるからってのもあるね。Megasoid以降の僕は、モジュラーシンセを学んでいく中で、クラブミュージック制作の技術やゴスペルを勉強し、ピアノを習い始め、その上でSixtooの作品を作るようになった。かつては、ほとんどSP1200やMPC60、たまにベースを引いたり、シンセを弾いたりって感じだった。だから全く違うアプローチと機材を使って、Sixtooの作品を作るようになった形だね。

「何より重要なのは日本で美しい何かを作りたいと云うこと」

- 今回は時間の都合で聞けなかったけど、あなたはここ30年間、音楽以外にも多彩な活動を続けてきました。その足跡をまとめた作品集を作ってるらしいですね。

Sixtoo - 本を作るプロジェクトの話だね。30年間の総合的なプロジェクトで、僕が関わってきた音楽、自転車、写真、グラフティ、文化、建築を一冊の本にまとめ上げるつもりだよ。音源も含まれるんだけど、全てSixtoo作品。今は編集者を探していて、あとレコードレーベルと話をしていて、どこから出せるか検討してるところだよ。

- ここ最近は作品集を作りつつ、日本とカナダを行き来していると聞きました。

Sixtoo - 最初の理由は、北米は今、全てにおいて物価が高くなっていること。2つ目は、日本の伝統建築が大好きだから。今、民家、古民家、空家のリノベーションについて研究していて、それを新しい工法につなげたいんだよ。3つ目は、日本でビジネスを始めたい。そして一番大事なのは、日本にはコラボレーションしたい人がたくさんいるということだね。

- あなたはカナダで音楽活動のかたわら、ベニューのデザイン、設計、施工までを個人で手がけているそうですね。

Sixtoo - だね。僕は、アート業界の文化、工芸、製造、そしてベニューの設計、建築、音楽を理解している。ユニークな文化的視点を持ってると思っているし、その全てを自分で手掛けることができると自負している。

- まさにマルチクリエイターですよね。

Sixtoo - 例えば、音楽、食、アート、建築、映画って実際は別々の場所にあるものだよね?でも、そういうバラバラの知識や技術を、配慮の行き届いた繊細な方法で結びつけることによって、より大きな力を発揮させるってのが僕のスタイルなんだ。

- 日本への移住を考えていると聞きました

Sixtoo - 僕が持っている文化的な視点とか能力って、残念ながら北米ではあまり評価されないんだよね。でも、日本でなら、僕がやりたいことが実現できるような気がしてる。それに北米でのビジネスのあり方って、僕の考え方と矛盾しているんだ。30年間DIY文化に関わってきて学んだ僕の倫理観に反するものなんだよ。例えば、僕は人の役に立ちたいし、子供の世話もしたいし、師弟関係も築きたい。それが本心なんだ。
何より重要なのは、日本で美しい何かを作りたいと言うこと。それは美しい音楽だったり、人々が訪れるための美しい場所だったりする。人々がつながれる場所。人々が食べ物と音楽を楽しめる場所。そして、そこに存在する全てを美しくする場所だね。 僕は兄弟愛や姉妹愛を信じているし、日本に来てまだ1カ月だけど、もうすでに10年間くらい一緒にいる兄弟姉妹みたいだって感じてる人たちが大勢いる。まだ目的は達成はしてないけど、すでに感謝しかないよ。今日はありがとう。

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