【インタビュー】REMIO | 全世界を爆撃するグラフィティ・ライターが語る「グラフィティと民主主義」

グラフィティは、法やシステムの死角にあるカルチャーだ。自由で、叛逆的で、管理を拒む者たちの足跡だ。そうであるが故に、規範意識の強い人々からは、敬遠あるいは敵視されている。これからも、その状況が変わることはないだろう。

ところがスプレー缶の生まれ故郷ノルウェー出身のグラフィティ・ライターREMIOは、全世界で「爆撃」を継続しつつ、同時に煌びやかなギャラリーの世界でも注目を集めている。また企業のためにTシャツのデザインを手掛け、街ゆく普通の若者たちから人気を博している。彼の作品は、善良な人々が暮らす管理されたコミュニティ、アナーキーな者たちが行き交うストリートのカオス、セレブが社交に励むホテルのペントハウス、プッシャーやジャンキーが吹き溜まるトラップハウスに点在し、それぞれの場所に熱心なファンを抱えている。本人の話によれば、「とある都市」が主催したストリートアートのイベントに「Very Top Secret(最高機密)」ゲストとして招待されたことさえあるという。アウトローであるグラフィティ・ライター(以下「ライター」)を追うシステム側の人間の中にさえ、REMIOの表現に惚れ込む者がいるのだ。

街角のカメラやマイナンバー・カードを例に挙げるまでもなく、我々は選択の余地なくシステムから監視され、管理されている。一方で、そうした諸々に縛られることと引き換えに、安全や利便性といった「快適さ」を享受している。言うまでもないことだが、管理された社会に身を置きつつ、同時に自由でいることは結構難しい。しかしREMIOは、この難題を絶妙なバランス感覚でクリアしているように見える。彼は、どのようにグラフィティという表現、個人の自由を管理しようと試みる世界と向き合ってきたのだろうか。

しばし語りを入れてしまったが、まったくもって堅苦しいインタビューではない。肩の力を抜いて、REMIOの出身地である北欧の美しい自然、カウンターカルチャーが花開いた西海岸の秘密めいた夜を想像しつつ、気楽に読んでくれたら嬉しい。そして読み終わった後、個人の自由、そしてシステムによる管理について、思いを巡らせてくれたなら、これに勝る喜びはない。

取材・構成 : Dai Yoshida

撮影 : Teppei Hori

- まずは所属するクルーから教えてください。

REMIO - VTS、THR、DBC、VLOK、CDK、SGM、WCB、そして「SOME SECRET CREW」。最後は名前じゃなく「マジで名前すら出せないクルー」ってところだね。

- VTSはあなたが作ったクルーですけど、どんなクルー?差し支えなければメンバーも教えて

REMIO - Very Top Secret。2001〜2年に、当時のガールフレンドやルームメイトと作った。今では世界中に30人以上メンバーがいる。日本のライターだとMINTがいるね。

- グラフィティを始める前のあなたはどんなキッズだった?

REMIO - 10歳になる前は、ノルウェーの島にある本当に小さな漁師町に住んでいた。僕は「インディアン」の真似をして、堀の中を走り回ってるような子どもだった。自分で鋭く研いだナイフとか木の棒を持って走り回ってた。弓矢を作ったり、釣りをしたり、魚を捌いて食べたり、本当に田舎の少年だったね。サクランボの木に登ったり、リンゴを盗んで食べたりしてたよ(笑)。

- まるでトム・ソーヤーみたいな子ども時代ですね。ご家族が自然志向だったとか?

REMIO - ノルウェーには「子どもは外で遊べ」って文化があるんだ。13歳になるとボートを与えられて「これに乗って家を出ろ」みたいな感じ。だから僕の家族がどうのってより、本当にトラディショナルなスタイルで育てられたわけだね。

- 絵を描いたりは?

REMIO - 週に一回だけ、甘いお菓子を食べていいことになっててさ。そういう時は、コミックブックを読んだり、絵を描いたりもしてた。ヴァイキングに憧れてたから、舳先(へさき)にドラゴンがついてる船や蛇を描いてたね。

- いつ頃、どこで、何がきっかけでグラフィティをはじめたのでしょうか?

REMIO - 7歳か8歳ぐらいの時だったと思う。ある夏の休暇中に、ノルウェーの首都オスロから遊びに来た子がいたんだ。仲良くなって遊んだりするようになるうちに「僕がステイしてるキャビン(小屋)に遊びに来いよ」って誘われたんだよ。そこでBeastie Boysのカセットテープ、スケートボード、 グラフィティを書く「ブラックブック(※)」を見せてもらった。僕が住んでた小さな島には ヒップホップもなければスケートボードもなかった。それまで見たことすらなかった「三種の神器」を都会っ子に教えてもらったわけだね。 そこから一気に目が開いちゃった感じ。

※ブラックブック:ライターが持っているスケッチブック〜サイン帳の通称。表紙が黒であることが多い。

- で、そのあとアメリカのシアトルにも行ってますよね?

REMIO - 従兄弟の家があって、そこに遊びに行ったんだよ。 僕はノルウェーの白人家系だけど、従兄弟は黒人とのミックスでブレイクダンスとかバスケットボールとかアメリカのカルチャーをやっていた。その子からも強い影響を受けたね。でも、「いつ、どこでグラフィティに目覚めた?」って質問に答えるとすれば、「7〜8歳の時の夏、友達のキャビンで」。

- 都会から遊びに来た友達との思い出はありますか

REMIO - 彼と一緒にボートを盗んで乗っていたんだけど、 波にさらわれて沖まで流されてちゃってさ。結局、大人に救助されることになって、すごく怒られた記憶があるよ(笑)

ライターの友達から「自分の名前を書け」と言われた

- 毎日が冒険だったんですね。そしてグラフィティという新たな冒険に辿り着いた。初めてのグラフィティは?

REMIO - 最初は兄と作ったスケートボードのランプをペイントしたりしてたね。でもストリートに出て、本当の意味での「グラフィティ」をやったのは 90年代後半。中学生ぐらいの時だね。 当時、僕はカナダに引っ越していたんだけど、そこでSECTR(※)って奴に誘われて、初めてグラフィティをやったんだ。当時、彼はすでにライターで、僕にグラフィティ・カルチャーを教えてくれた。グラフィティを扱った映画、ボムのビデオとかマガジンを見せてくれたよ。 放課後、一緒に線路まで行ってさ。ゆっくり動いている貨物列車に飛び乗って書いたりしてた。

SECTR:セクター。カナダのグラフィティ・ライター。現在は本名でアーティスト、デザイナーとしても活躍しているらしい。 

- 当時から”REMIO”という名前だったんですか?

REMIO - いや。 僕のファーストタグはミュージシャンの名前だったんだよ(笑)。一番最初は 「Frank Zappa」 「AC/DC」「Beastie Boys」 みたいな感じ。だけどライターの友達に「自分の名前を書かなきゃダメだ!」って言われてさ。一番最初に考えたのが、商標マークにクエスチョンマークをつけた「TM?」 。その後に「SERE」(シアー)になって、その後「IMER」 (アイマー)って名乗るようになった。

- どのタグネームからも、どこか知性が感じられます。「REMIO」という名前の由来を教えて下さい。

REMIO - 「IMER」 のバックワード「REMI」に「O」をつけて「REMIO」と名乗るようになったんだ。 

- 「O」をつけたのはなぜ?

REMIO - カナダにFATSO(※)っていう超有名なライターがいてさ。僕がグラフィティを始めた頃には、すでにライターとして名を成していた。独特のスタイルもあって、巨大なファットキャップ(※)を使ってタグを書いてたね。で、ピースの最後の「O」の形が超カッコいいんだよ。 それを見て、自分も”O”を書きたいって思ったんだ。

※FATSO:ファッツォ。カナダを代表するFreight TrainGraffiti(貨物列車グラフィティ)のレジェンド。https://www.instagram.com/graffitiadventures/

※ファットキャップ:線が太く出るスプレー用のキャップ

- 憧れの人とかヒーローみたいな感じだった?

REMIO - っていうか、僕はSECTRやFATSOと一緒に書いてたんだよ。

- カナダに行く前はノルウェーにいたわけだけど、シーンはどんな感じなんですか?

REMIO - まず今のノルウェーには多くのグラフィティがあるわけではないんだ。でも、ちゃんとシーンが存在していて、 そこにいるのはすごくディープでコアな連中。80年代の話で言えば、...想像するに小さいコミュニティはあったのかもしれない。ただ僕自身が田舎の小さな島の出身だから、少なくとも僕の周りにはなかったね。

- タグ(※)、スローアップ(※)、バーナー(※)全てにスタイルがあり、素晴らしいなと感じます。どの要素を一番重視しています?

REMIO - タグだね(即答)。フォーマットとしては最もベーシックでシンプルで重要。全てのコアになる部分だと思う。タグがしっかりしてないライターは他のフォーマットにも、それが出てきてしまう。あ、でも「すごいライターだな」と思ってたのに、そいつのタグを見て「え?これ?」ってガッカリしてしまうこともあるかな(笑)

※タグ:ラインで書くサイン。

※スローアップ:文字のアウトラインを書き、別の色でアウトラインの内側をペイントするスタイル。

※バーナー:三色以上を使って書いた精巧なグラフィティ。

- でも、あなたの象徴である「R」のキャラクターは、スローアップから進化したものですよね?

REMIO - まず僕がグラフィティで一番大事にしていることは「人に知ってもらうこと」なんだ。で、ライターなら誰でもタグは大事にしてると思う。  理由はさっき話した通りだけど、付け加えるとタグには「素早く書ける」というメリットがある。その一方で、キャラクターには「幅広い層にアピール出来る」って長所がある。ストリートにいるかどうかは関係なく、コミックブックに出てくるようなキャラクターって、一番みんなの目を引くだろ?つまり子どもから大人まで幅広い層が興味を持ってくれるんだよ。

家も仕事も彼女も持ち物も 全てを失って、アメリカにやってきた

- あなたのグラフィティは、世界中の街角に存在しています。旅をしながらボムするライフスタイルはいつ頃から?

REMIO - 父の仕事の都合で、子供の頃から引っ越しが多かったんだ。 中でもノルウェーからカナダに引っ越したのは大きかった。で、当時から、僕は色んなところに足跡を残してきた。既に「REMIOキャンペーン」を始めていたんだ。グラフィティでは色んな人に見てもらうこと、知ってもらうことが大事だからね。それに僕は旅することも、他の文化に触れることもすごく好きなんだ。だからVTSの仲間も世界中にいる。旅は死ぬまで続けていくつもりだよ。

- 頻繁に来日してますよね。

REMIO - 2016年に来たのが初めて。8回か9回は来てると思う。これまでも色んな日本の人たちと交流してきたよ。ライターでは、MINT、TOKYO ZOMBIE。HUFのアンバサダーでもあるスケートボード・アーティストのHAROSHIも忘れちゃいけないね。

- 以前、江ノ島のOPPA-LAのキャンペーンにもデザインを提供していました。

REMIO - HUFのイベントがきっかけだね。HUFでチーフ・クリエイティブをやってるハニ・エル・カティブっていうアーティストがLIVEをやったんだよ。そこで知り合った感じ。

- 今回のHUFでやった展示について教えて下さい。

REMIO - 僕のことを知ってる人は、さっき言ってた” R”のキャラクターのイメージがあると思う。今回は初めての試みとしてイニシャル“H”にフォーカスして、 同じ文字に違う表情をつけて絵文字のようにキャラクターを作ったんだ。 “H”は言うまでもなくKieth Hufnagel(※)のイニシャル。今でも一緒に働けていることが、自分の中で すごく意義深いことだって感じてる。

Kieth Hufnagel/キース・ハフナゲル:90年代を代表する偉大なスケートボーダー。ブルックリンバンクスでスケートを始め、90年代初頭にカリフォルニアでプロに。2002年にサンフランシスコでストリートウェアブランド「HUF」を創設した。2020年逝去。

- そもそもキース・ハフナゲルとの関係は?

REMIO - 確か、2005年ぐらいのことだったと思うんだけど、 TWIST(※)が「Ray Fong」名義で、Adidas、HUFとスニーカーを作ったんだよ。で、当時の僕はBarry McGeeのアシスタントをしてた。当時、HUFでもインスタレーションをやったんだけど、その時に初めてキースに会った。スケートに誘われてさ。で、 彼が颯爽とスケートするのを見て、同じ気になって滑ろうとしたら派手にコケた(笑)。そこからは一緒に自転車に乗ったりする仲になったんだ。

※TWIST/ツイスト:Barry McGee/バリー・マッギー。80年代から活動を開始。サンフランシスコを代表するライターであり、文字通り世界的な評価を集める現代美術家でもある。90年代に数年間滞在したブラジルにおいて、現地のグラフィティシーンを大いに盛り上げたことでも知られる。a.k.a Ray Fong

- あなたはTWISTのクルーである「THR」のメンバーでもあります。彼との出会いを教えて下さい。

REMIO - 2000年代初頭、僕はカナダのバンクーバーに住んでた。すごくハードにボムしてたよ。 そうしたら友達から 「あのBarry McGeeがバンクーバーに来てるんだけど、お前とコンタクトを取りたいみたいだよ」って連絡が来たんだ。 その時、僕はアメリカのポートランドにいたんだけど、もちろん彼のことは良く知っていたから「今すぐ帰らなきゃ!」ってなった。それで連絡を取ったのが最初。

- そこからアシスタントになったわけですが、きっかけがあったのでしょうか?

REMIO - バンクーバーでは、あまりにも派手にグラフィティをやりすぎてた。で、ルームシェアをしてた部屋まで警察が来たんだよ。彼らは僕の本名も知っていた。 次の日にはバンクーバーの街から国境近くまで車で連れて行ってもらって、そこから歩いてアメリカに入った。アメリカ側にはシアトルから友達に車で迎えに来てもらった。その時の僕は、本当に着の身着のままだった。家も仕事も彼女も持ち物も全てを失っていたんだ。 そのままサンフランシスコに行って、Barry McGeeに連絡を取って「なにか仕事はある?」と聞いたら、彼はその場でスタジオの鍵を渡してくれたんだ。2004年ぐらいの出来事だったと思う。そこから数ヶ月で、さっき話したAdidasやHUFとのコラボがあった。すごく短い間にいろんなことが起きたんだ。

- 酷いトラブルだったけど、大きな転機になった。あなたにとってBarry McGeeは恩人なんですね。

REMIO - うん。彼は人と交流するのが大好きでさ。知り合いも多くて、本当にいろんなアーティストを紹介してくれたよ。Ari Marcopoulos(※)とかね。彼がすごいのは、僕だけじゃなく、いろんな人に対してそういうことをしてるところだと思う。

Ari Marcopoulos/アリ・マルコポロス:アムステルダム生まれのフォトグラファー。Beastie Boys、Public Enemy、RAKIMをはじめとするHipHopアーティスト、NYダウンタウン〜ブルックリン・バンクス周辺のスケートボーダーを撮影してきた。

- REMIOさんはブラジルを代表するライターでアーティストのOS GEMEOS兄弟とも交流がありますよね。

REMIO - ちょっと記憶が定かじゃないんだけど、出会いはLAだったと思う。ギャラリーショーで会ったんだ。OS GEMEOS(※)は双子のアーティストなんだけど、そこから「スタジオに来いよ」って言われて、何週間も泊めてもらったのは覚えてるよ。Todd James(※)とかVLOK(※)クルーと繋がりがある人たちでブラジルに行って、向こうで一緒にやったりしたね。

OS GEMEOS /オズ・ジェメオス:ブラジルを代表するライター。双子によるユニット。ブレイキンでHipHopに目覚め、1980年代中頃からグラフィティのキャリアをスタート。90年代初頭にブラジルを訪れていたBarry McGeeと出会ったことを機に、アーティストとしても注目を集める様になる。https://instagram.com/osgemeos

Todd James/トッド・ジェームス:ニューヨーク出身のライター。a.k.a REAS。現在はアーティストとしても活躍しており、日本で個展も開催している。少年期はNYハードコアシーンとも関わりがあったようで、初期Youth Crewのフライヤーデザインを手掛けていたりも。https://instagram.com/toddjamesreas

VLOK:ブラジル・サンパウロを代表するグラフィティ・クルー。

OGと母から背中を押される形で 「アーティスト」を志す

- あえてTWISTやOS GEMEOSの名前を出したのは、彼らがグラフィティ出身で、ギャラリーや美術館でも評価を集めているアーティストだからです。今のあなたと通じるところがありますよね。

REMIO - まず彼らはギャラリーアーティストだけど、未だにストリートでやってるって強調しておきたい。みんな生まれながらのクレイジーなアーティスト」って感じ。で、3人は僕の肩を揺さぶりながら「お前もアーティストにならなきゃダメなんだよ!」みたいなこと言ってくれた人たちでもある。僕の背中を押してくれたんだ。それは僕の母も同じで、彼女も「あなたはアーティストにならなきゃ」って励ましてくれた。

- かつてのあなたはアーティストになることに対して積極的ではなかった?

REMIO - 僕は常にアートを制作してきたわけだから、ずっとアーティストではあったわけだよ。 ただ彼らが言う「アーティスト」っていうのは、作品を作るだけじゃなく、それを売ることで対価を受け取る立場を意味してた。僕は常に自分が良いと思ったものを書いてきたし、それこそが僕にとってのアートだった。それで満足だったんだ。だから作品に値段をつけて売るっていう行為には、ちょっと違和感があった。やっぱり作品は自分の手元に置いておきたかったからね。でもOGと母から強く勧められたことで、考え直すようになったんだ。

- REMIOさんは、ストリートに書くイリーガルなグラフィティ、ギャラリーに展示するリーガルなアート、Tシャツのデザインをはじめとするコマーシャルな仕事を同時進行で続けています。それぞれの位置付けを教えて下さい。表現に違いをつけたりはしてるのでしょうか?

REMIO - 特に何かを変えてるっていう事はないよ。タグとキャラクターの話にも通じるけど、同じことをやってるんだけど、違う場所で、違う人に見てもらってるってだけ。グラフィティをやれば、道を通りがかった人が「あれは何だろう」「REMIOって何だろう」って思うだろ?ギャラリーで展示をやれば、それが僕の作品であるって分かってる人たちが見に来てくれる。コマーシャルなプロダクト、 例えばTシャツのデザインだったら、普段はギャラリーに来ない人にも見てもらえる。ちなみに僕がやってるのは「グラフィティ」であって「ストリート・アート」ではない。ここはハッキリ言っておきたい。

- ハードコアなグラフィティ、グラフィティ・アート、コマーシャルなデザインに本質的な違いはない、と。

REMIO - (違いはあるけど)あくまで表面的なことでしかないんだよ。僕は長い間、グラフィティをやってきたけど、確かに初期はグラフィティをコマーシャルなことに使わないようにしてた。「ちょっと違うな」と思ってたんだ。 でも年月を重ねるうちに「自分のグラフィティを多くの人に見てもらうことが重要だ」と思うようになった。それにコマーシャルな仕事をやることで生まれるものだってある。 例えば、僕は作品であれ、商品であれ、コラボレーションすることが大好きなんだけど、 今回の展覧会ではストリートの仲間であるMINTが制作に付き合ってくれてる。この"H"の大きなオブジェを作るにあたっても、僕の実の兄弟が立体化を手伝ってくれた。 静岡にいる別の友達が製作の場所を用意してくれて、いろんな準備もしてくれた。 コマーシャルな仕事で人と出会ったり、繋がったりする機会が生まれたってことだよね。

- コマーシャルな仕事をするとグラフィティ・シーンの人たちから批判されたりしませんか? 

REMIO - もちろん僕自身もヘイターの声を意識することがある。 とはいえ、誰もが同じように年齢を重ねていくし、僕には養うべき家族だっている。そして、これは単に金だけの問題ってわけではないんだ。 こんな話がある。ある都市がアートのイベントを開催したんだ。 FUTURA(※)、DELTA(※)、KRINK(※)みたいなOGはじめ、本当にいろんな名前のアーティストの名前がリストアップされてた。僕は、そのイベントにシークレットゲストという形で出ることになった。 市がお金を払って、街でイリーガルな表現をやっている僕を呼んだんだ。

※FUTURA:70年代から活動を続けるNYのライター

※DELTA:建築の発想を取り入れたスタイルで知られるアムステルダムのライター

※KRINK:KR。NYのライター。オリジナルのインク「KRINK」を開発した

- 「現役でボムしまくってるライターの名前を出すのはマズい」という判断なんでしょうね。

REMIO - 僕がイベントのコンセプトに一番マッチしてると主張した人がいたんだろうと思う。 ストリートにいるヘイターは僕のコマーシャル・ワークを批判する。けど、 そういうことをやってきたからこそ、想像もしていなかったような場所に行けたのも事実なんだよ。(コマーシャルな仕事をやることは)今ストリートにいる人たちに新しい道を開いていくことでもあると信じてる。

- 「出さないわけにいかない」的な。ライターであり、同時に「アーティスト」でもあるというスタイルを公に認めさせた形ですね。

REMIO - 多くの人たちは、何につけても白黒をつけようとしたがるけど、この世界には確実にグレーゾーンが存在してるんだよね(ニヤリ)

グラフィティは、デモクラシー(民主主義)そのもの

- 社会において、グラフィティはどんな役割を果たしてると思いますか?

REMIO - グラフィティって、デモクラシー(民主主義)を形作るものであり、そのものだと思うよ。 なぜかって言うと、本当に誰もが出来ることだから。誰もが壁にメッセージを書くことが出来る。「僕はここにいる」「僕はここで生きているんだ」って表現することが出来る。何の財産も持っていない、例えば一枚の紙すら持ってない人だって主張できるんだ。グラフィティが意味するところはデモクラシーであり、もっと言えば「自由そのもの」なんだよ。

- その一方で、社会はどんどんグラフィティに厳しくなってますよね?

REMIO - やっぱり「全体」に対してアンチの姿勢を示すカウンターカルチャーだからね。 どうしても厳しくはなっていく。とりわけ日本のような文化の中では、厳しい扱いを受けてしまうんだろうとも思う。ただ、一口に「グラフィティ」と言っても、どういう場所にどんな素材を使ってやっているかで意味が変わってくる。僕個人に関していえば、何かを壊しているつもりでやってるわけじゃないんだ。ちゃんと考えていて、 わざと汚したり、傷つけたりするためにやってるわけじゃない。言ってしまえば、 物体の表面にペイントを乗せてるに過ぎないんだよ。「ここには書いちゃダメだよな」って判断もしてる。 

- 個人的に避けている場所は?

REMIO - 以前は伝統的なもの、古いものは避けていたんだけど、 パリという歴史のある都市に住むようになって、住んでいる人たちの街に対するパブリックな意識を見ているうちに、昔ほどは気にしないようになってきたかもしれない。でも、いまだに教会とか宗教的なモニュメントには書かないようにしてるけどね。 

- REMIOさんは、ライター、アーティスト、デザイナー、そしてツーリストとしても、非常にアクティブだと思います。

REMIO - どうだろう? 昔に比べると「沢山書いてる」とは言えないよね。 何でかって言うと、今は生まれたばかりの子供といる時間を大事にしてるから。 そうは言っても常にペンは持ってるし、何かを書いてない毎日って想像することすら出来ないけどね。 パリにはいつも行くスポットがあって、そこに行くたびに少しずつ書き足してたりもする。 「今日、起きる理由は?」「外に出て動き出す理由は?」って考えることがあるんだ。そういう時に頭に浮かぶのって「タギングするため」だったりするんだよ。だから答えるとすれば「生活の一部」だよね。まあ14の時にグラフィティを始めた時から今に至るまで、僕は何も変わってないし、死ぬまで変わることはないと思うよ。

- もしかすると子供の頃、ヴァイキングに憧れて、野山や海で駆け回っていた時代から、何一つ変わっていないのかもしれないですね。

REMIO - そうだね。子どもの頃から探究心、知的好奇心は持ち続けてる。 ずっと冒険してるんだと思う。実はさ、僕の父って無人島に住んでるんだよ。 船で建物を運んで、そこで暮らしてる。ちょっとすごいだろ? 彼を見てると 「もしかすると冒険者のDNA を受け継いでるからなのかな」って思っちゃったりするよ(笑)。

RELATED

【インタビュー】DYGL 『Cut the Collar』| 楽しい場を作るという意味でのロック

DYGLが先ごろ発表したニューEP『Cut the Collar』は、自由を謳歌するバンドの現在地をそのまま鳴らしたかのような作品だ。

【インタビュー】maya ongaku 『Electronic Phantoms』| 亡霊 / AI / シンクロニシティ

GURUGURU BRAIN/BAYON PRODUCTIONから共同リリースされたデビュー・アルバム『Approach to Anima』が幅広いリスナーの評価を受け、ヨーロッパ・ツアーを含む積極的なライブ活動で数多くの観客を魅了してきたバンド、maya ongaku

【インタビュー】Minchanbaby | 活動終了について

Minchanbabyがラッパー活動を終了した。突如SNSで発表されたその情報は驚きをもって迎えられたが、それもそのはず、近年も彼は精力的にリリースを続けていたからだ。詳細も分からないまま活動終了となってから数か月が経ったある日、突然「誰か最後に活動を振り返ってインタビューしてくれるライターさんや...

MOST POPULAR

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

Floating Pointsが選ぶ日本産のベストレコードと日本のベストレコード・ショップ

Floating Pointsは昨年11月にリリースした待望のデビュー・アルバム『Elaenia』を引っ提げたワールドツアーを敢行中だ。日本でも10/7の渋谷WWW Xと翌日の朝霧JAMで、評判の高いバンドでのライブセットを披露した。