【座談会】SIMI LAB『Page 1: ANATOMY OF INSANE』 |10年目の青春、カオス、邂逅

国内のヒップホップ・レーベル、SUMMITが今年10周年をむかえた。そして、そのSUMMITが発足した2011年にファースト・アルバム『Page 1: ANATOMY OF INSANE』を発表したのが、SIMI LABだ。

神奈川県相模原を拠点とするこのグループの登場は、大きなインパクトをもたらした。少なくとも国内のヒップホップのこの10年を、SIMI LABの音楽と存在を抜きに語ることはできない。そこで、このタイミングでSIMI LABの座談会が実現した。新旧フル・メンバー(OMSB、MARIA、Hi'Spec、USOWA、JUMA、RIKKI、MA1LL、DJ ZAI、DyyPRIDE、QN)、そしてSUMMITの設立者であり、A&Rである増田岳哉の計11名が町田に集まった。

大所帯の音楽集団を10年以上も続けることは容易ではない。もちろんSIMI LABも平坦な道を歩んできたわけではない。故に、これだけばらばらな個性が集まり作品を残し、紆余曲折を経てもなお、お互いを尊重し合えることがSIMI LABの大きな魅力となり、彼らの表現を支える根幹となっているように思う。

10年前の本日11/11にリリースされた『Page 1: ANATOMY OF INSANE』の制作の舞台裏をはじめ、それぞれの出会い、そしてこの10年について賑やかに語ってもらった。座談会を通して、このユニークで愉快なコレクティヴの未来への期待が高まったのは言うまでもない。

取材・文:二木信

撮影 : 堀哲平

取材協力 : FLAVA

メンバーの邂逅

- SIMI LABの最初のインパクトは、なんと言っても“WALK MAN”(2009年)でした。

QN - 当時、俺の実家が溜まり場状態になっていたからそこで音楽制作していたんですよ。ジョーダン(OMSB)もだいたい俺の家にいたもんね。

QN

OMSB - 仕事終わったらまずQの家に行く、みたいな感じだった。Qがみんなにトラックを渡して1週間ぐらいでみんなリリックを書いて来たんだよね。

MARIA - ラップを録音した日が、私がみんなに会った2回目だったもんね。

OMSB - 録り終わって、QNが「ビデオもやっちゃおうぜ」って。

MARIA - QNの家からセブンまでの道のりだよね。

JUMA - 俺はメンバーではなかったけど、“WALK MAN”のころいっしょに遊んではいましたね。

MARIA - 私は、JUMAとは19ぐらいから六本木とか横須賀のクラブで顔見知りだったから。

Hi'Spec - JUMA、最初はDJしかやってなかったよね。

JUMA - そう、でも、ダン(DyyPRIDE)に、「お前はラッパーの方が向いてる」って言われて、「じゃあ、ラップしようかな」って。

JUMA

MA1LL - 私は、METEORくんのブログで“WALK MAN”を知って聴いたのが最初。それで気になって、mixiでアカウントを発見して、QNにメッセージを送ったのかな? 私は横浜なので、「相模原の人たちなんだ。近いな」って。

QN - そう。それで描いている絵を見せてもらって一目惚れして、「じゃあ、SIMI LABを絵やイラストでサポートしてくれない?」と頼んだと思う。

MARIA - MA1LLはRENくん(平林錬。SUMMITのA&R)とUstreamをやっていたよね。私、1回ゲスト出演してひたすら1人で喋ってさ。

増田 - RENくんとMA1LLさんがもともと友達だから。

MA1LL - そうそう。

- MA1LLさんとRENくんはヒップホップのパーティをいっしょにオーガナイズしていたんですよね。

DJ ZAI - 俺は“Uncommon”でSIMI LABを知ったと思う。すでにOMSBとは地元のクラブで知り合っていた。

OMSB - 俺らの“Uncommon”をかけてくれてぶちアガったのもおぼえてるな。コスリも上手かったし。

DJ ZAI - 俺がいちばん昔から知っているのはJUMAなんです。

JUMA - ZAIちゃんと同じ中学校のヤツと俺は高校がいっしょなんですよ。最初知り合ったとき、その当時流行ってた曲をミックスしたMDをくれたね。Chingyの“Right Thurr”(2003年)が入ってた。

RIKKI - 僕はJUMAから教えてもらって“WALK MAN”を見てこれは面白いって思った記憶がある。

USOWA - 当時、俺は渋谷のNO STYLEで、MILES WORD(BLAHRMY)がかつて参加していたBlack Ignition CenterとかADAMS CAMPといっしょにパーティをやっていて。自分のクルーではPrefuse 73とかKRUSHさんのインストでラップをしていましたね。で、OMSBがMy Spaceにアップしているビートがあきらかに異質で気になったんです。それで最初、OMSBにコンタクトをとってそのイベントに出てもらった。それから大学卒業が近づいてきて周りが就職し出すなかで、QNがSIMI LABに誘ってくれました。それが“WALK MAN”が出たぐらいだった。QNの実家で何もせずよく朝までいて(笑)。QNのお母さんにめちゃ怒られたのをおぼえてるもん。

USOWA

QN - 下から「何時だと思ってるの!!」って怒鳴ってきてね。

USOWA - 2人でMASPYKEが「ヤバい!」って聴いていましたね。だから、アンダーグラウンド志向ではあったかもしれませんね。

- Hi'SpecくんはどのようにSIMI LABと合流したんですか?

Hi'Spec - 俺が二十歳のときにOMSBと出会っていますね。OMSBが俺の友達のDJの後輩で、そいつのイベントで出会った。そこからOMSBに誘われて入った感じですね。

- やっぱりクラブとか音楽のつながりで出会っているんですね。

OMSB - そうですね。翔くん(Hi'Spec)に入ってもらったのは、雰囲気込みでライヴで後ろを任せられるDJを求めていたからなんです。俺の1個年上だし、アニキ的な感じをいまより感じていたから。でも、最初は断られたんですよ。

- なぜ断ったんですか?

Hi'Spec - 俺が買ったばかりのMPC 2500を使って、ほとんど触ったことのないOMSBがビートをさくっと作ったんですよ。一成(QN)から使い方を少し教わっていたみたいだけど、本当にそれが衝撃だった。こんなカッコいいヤツとはいっしょにグループはできないと思って断ったんです。

OMSB - でも俺がゴリ押ししましたね。

Hi'Spec - OMSBに知り合うまではMPC持ってたけど、使い方が分からなくて1年くらい触ってなかったんですよね。

Hi'Spec

- 増田さんがまだFile Recordsに所属している時代にSIMI LABのインタビューをさせてもらったことがあります。“WALK MAN”をリリースしてから1年以内ぐらい、2010年の後半だったと思います。そのときすでに増田さんはSIMI LABといっしょにいましたね。

増田 - 僕もMETEORくんのブログで“WALK MAN”を知ったんですよ。それでMy Spaceを通じて連絡したけど、上手くコンタクトが取れなくて。“WALK MAN”のあとにYouTubeにアップされたQNさんの“Welcome 2 My Lab (feat. OMSB'Eats)”(2009年12月31日)に載っていたizmさんの電話番号にかけて、SIMI LABのメンバーとつないでもらいましたね。その日の夜にQNさんが連絡をくれて、1週間後ぐらいに町田で会ったのをおぼえています。そのときに、『THE SHELL』(QNのファースト・アルバム。2010年)のデモ・ヴァージョンとEarth No Mad(QNの別名義)のデモ、2枚のCD-Rをもらって、それを聴いて『THE SHELL』をFile Recordsでリリースさせてもらうことになりました。

『Page 1: ANATOMY OF INSANE』

- SUMMITの10周年企画で、Spotify の「SUMMIT 10th Anniversary Playlist」というプレイリストがありますよね。SUMMIT所属のアーティストはじめ、菊地成孔さんやMummy-DさんがSUMMITの好きな曲を選んでいます。そこで増田さんはSIMI LABのファースト『Page 1: ANATOMY OF INSANE』から“Show Off ”をセレクトしています。

増田 - ファーストでは“Show Off”がいちばん好きかもしれないですね。ただ実は、最初に翔くんが送ってくれた2曲のビートを聴いたとき、「あんまりかな……」というのが率直な感想だったんです。

Hi'Spec - 増田さん、最初、そういう反応でしたね。

増田 - でも、みんながそのビートでやりたいと言うので、「じゃあ、やりましょう」と。そして、みんなのラップ入りのデモかを聴いて驚きましたね。「めちゃくちゃヤバいですね」ってなって。

- ラップが入ったことで印象が変わった?

増田 - そうですね。ラップで、ビートがさらに良く聴こえて。これはすごいなと思った記憶があります。だからその時、自分の耳の印象なんて信用ならないもんだな、と思いましたね。

- ファーストでQNくん、OMSBくん、MARIAさん、DyyPRIDEくん、JUMAくん、USOWAくんの全員がラップしているのは、唯一“That's What You Think”です。これは菊地さんが選んでいました。

OMSB - 当時は合宿だったよね。

増田 - アルバムがかなり突貫でしたからね。ビートはあったけどリリックが書けていない状態で、2週間後にはもう熊野さん(熊野功雄(PHONON):『Page 1 : Anatomy Of Insane』のマスタリングを担当)に音源を渡さなければいけませんでした。このアルバムは品番が11番なんです。間に合うと思ったから、11月11日に出すのも決めて。ただ、もう2、3週間ぐらいしかないと伝えると、QNさんが「マジですか? じゃあ、ここからみんな呼んで泊まります」と。

MARIA - めっちゃ楽しかった。

OMSB - QNとUSOWAが借りていた家がヤサだった。

JUMA - 俺はスポット、スポットでいるぐらいだったから1曲だけの参加だったんです。

- 今回ひさびさにファースト・アルバムを聴き直して驚いた、というか、発見だったのが想像以上にシリアスだったことでした。

MARIA - シリアスだよね。

DyyPRIDE - 俺はこのビートでやると決めたら、意識がすべて持ってかれてしまうから、「ダラダラしてないで早くやろうぜ」ってみんなを急かしていたし、ファーストもセカンドも俺がリリックを書くのがいちばん早かったと思う。で、俺の書く歌詞がシリアスだから、みんなそれに引っ張られたんじゃない?

MARIA - それはありえる。

OMSB - あと、当時は時代的にいまよりヒップホップがわりとハードでシリアスだったし、気合い入っている雰囲気が必要だった気がするんですよ。俺らが若いから、突っ走りたい、スピリチュアルしたいっていうのもあったと思うけど。

- スピリチュアルしたいっていうのは?

OMSB - “Uncommon”に「普通って何? 常識って何? んなもんガソリンぶっかけ火付けちまえ」ってフックがあるじゃないですか。そういう「普通って何? 常識って何?」みたいな話をみんなでよくしていましたね。

- アルバム・タイトルを直訳すると、“狂気の解剖学”ですからね。

OMSB - 「PAGE 1」は俺が考えて。「INSANE」はMARIAだろ。

QN - 「ANATOMY」は俺が辞書か何かで調べたんだと思う。

OMSB - でもやっぱり、ダンがインスパイアになっていたのは大きいと思う。いま言うと恥ずかしいけれど、俺らは変わり者、というか、はみ出し者という感覚は持っていたから、そういう話をよくしていたんですよ。

- 自分が最初にQNくん、OMSBくん、MARIAさん、DyyPRIDEくん、Hi'Specくんにインタビューしたときも、そういう話になりましたね。

OMSB - ですよね。

DyyPRIDE - でも、シリアスともまた違う気がするなあ。ポップとダークを一緒に聴く感覚だね。

- なるほど、そういう感覚は“Uncommon”のミュージック・ヴィデオとかに表現されているかもしれない。

QN - “Uncommon”のカメラはGIVVNですし、その後GIVVNはSIMI LABやうちらのMVをかなり作ってくれている。

MARIA - 私のアルバムにGIVVNがビートを提供してくれているしね(『DETOX』収録“Movement feat. USOWA, OMSB, DIRTY-D”。2013年)。

- MA1LLさんはヤサに行っていたんですか?

MA1LL - QNの実家にもヤサにも行ってましたね。レコーディングしている場にもいました。

JUMA - とにかく自由で、みんな、人のことを気にしてない感じだったね。

OMSB - 宴会だったよね。

USOWA - 宴会場の横にスタジオがある感じで制作していた。

MA1LL - そう、だから、ラップを録り始めたら静かにしなきゃいけないんだっていう意識はあった。携帯、鳴らさないようにしなくちゃって。

- 当時みなさん二十代前半ぐらいですよね。ヒップホップが好きで集まったグループがデビュー作を作るとなったら、そうやってワイワイと制作するのは、ひとつのとても正しいあり方な気がします。

OMSB - でもQは、新曲をずっと作っていたから、みんなでやると「じゃあ、どうする?」というワンクッションが入ってペースが遅い分、自分の新曲を作れなくてもどかしかったんじゃない?

QN - それはキツいって感じてたね。

OMSB - だから、張り合いがないときはあったんじゃない?

QN - 張り合いというか、ライヴでずっと同じ曲をやっている感覚がして単純に飽きてきちゃって。次のステップに行きたいっていうのはファースト出したあとにあったかもしれない。

- ファーストの最後はOMSBくんとQNくんが締めていますよね。“Light”のあとにアルバムの他の曲とは毛色の異なる“Spot Light ”で2人がラップしている。当時のQNくんのソロ作に入っていそうな曲だなと。

OMSB - “Spot Light”は、俺がこれじゃあちょっと何かが足りないって言って、Qにもう1曲作ってもらったんです。当時は特にSIMI LABを俺とQで始めた感覚が強かったから2人で終わらせたかった。俺にはそういう気持ちがありましたね。

OMSB

増田 - 当時のギューッと集まる感じがなければ、完成してリリースすることはできなかった作品ですよね。SUMMITは、すでにRAU DEFとQN、Earth No Madをやらせてもらっていたけど、これだけメンバーのいるグループの作品は初めてだったし、SUMMITの1年目にSIMI LABのファーストをリリースできたのはレーベルの存在を知ってもらう機会としてもすごく大きかったと思います。

- ファーストのデザインとイラストを担当しているのは、もちろんMA1LLさんですね。

MA1LL

増田 - ファーストを出したあとに、MA1LLさんにジャケットの写真をSonic Youthの『GOO』みたいな風合いで描いてもらえませんか?と依頼したんです。それが、Tシャツになりました。さらに、そのイラストをジャケットにした“UNCOMMON”の12インチのレコードは塗り絵できるように鉛筆を付けて販売したんですよ。

- そういう工夫やアイディアが、とてもSUMMITらしいですよね

増田 - ちなみにMA1LLさんには、 ファイルレコード時代に、つげ義春風にQNのイラストも描いてもらったりしました。それが最初にいっしょにやった仕事だったと思います。

MA1LL - うん。それがいちばん最初ですね。

増田 - あと、DJ HI'SPEC & J.T.F.『ROUND HERE :MIX TAPE』(2011年)のジャケも描いてもらったよね。

OMSB - しかも、CDの盤面が翔くんの顔の写真になってる。

増田 - あのCDの封入、QNさんにも手伝ってもらって俺の家でやりましたね。ホントに家内制手工業って感じでした。

ファーストは奇跡的な1枚

- 個人的にSUMMITはSIMI LABから始まっている印象が強いですね。そのグループを始めたQNくんが2012年の『New Country』(6月15日発売)のリリースのちょっと前ぐらいにSIMI LABを抜けますね。そのアルバム発売当日にYouTubeにアップされたのが、JUMAくんとQNくんの“Cheez Doggs”(『New Country』収録)でした。Spotify の「SUMMIT 10th Anniversary Playlist」で多くの人がその曲を選んでいるのがすごく印象的で。Hi'Specくんも選んでました。

Hi'Spec - SIMI LABを辞めたあとの一成の音楽もすげぇ好きで。当時はいろいろあったから人間的には嫌いになってる部分もあったけど、曲は好きだった。

OMSB - ヤサであの曲のビートのループだけ聴いて「めちゃめちゃヤバい」と感じたのをおぼえていたけど、あの曲が出るぐらい前に俺はQにディスられたから悔しさあったな。「コノヤロー!!」とかなっていた。

Hi'Spec - JUMAのメロディも良かったもんね。

- QNくんがSoundCloudに “OMSBeef”を発表したのが5月31日でしたね。

QN - “Cheez Doggs”を作ったころはJUMAが俺にめっちゃ優しくて毎日遊んでいましたね。車も出してくれるし、JUMAが俺の言うこと何でも聞いてくれて。

JUMA - 薄々「こいつ、都合良いヤツだな」って感じていたけど、「ま、いいや、遊べるし」って(笑)。

増田 - 僕は『New Country』もOMSBさんのファースト・アルバム『Mr."All Bad"Jordan』(2012年10月26日発売)も両方大好きですけど、ああいうことがあったから上手くプロモーションができなかったのを思い出しますね。リリースがけっこう近かったので。

- ああ、なるほど。

増田 - QNさんとはそれまでが濃密だった分、そこから数年間の空白期間があったという感じがしますね。

QN - 空白というか、連絡も取らないし、仕事とかでも特に関わりがなくなった感じですね。少しずつ連絡取りあうようになったのは2018年ぐらいからかな。

Hi'Spec - じゃあ、けっこう最近なんだ。

- OMSB & QN 名義の曲“なんとなく、それとなく”が突如YouTubeにアップされたのが2017年11月です。

増田 - QNさんに僕が一方的に嫌われていた感じですね。

QN - まぁまぁまぁ(苦笑)。

- ははははは。

増田 - ただ、僕がQNさんにとって音楽の世界の最初の「大人」で、彼も当時色々と考えていたんだろうな、って今は思います。その後SUMMITを離れてから、RAU DEFさんと彼が一緒にやったMUTANTANERSのファースト『MYND OF MUTANT 突然変異的反抗期』はマジでクラシックだと思ったので、彼ららしい表現がそこで実現できたのならすごく良かったな。って当時思いました。ヒップホップのアーティストでピンク色のロン毛の人とか当時はいなかったように思いますし、音楽だけじゃなくて、ファッションもとても個性的でフレッシュだと感じました。

- たしかに。

増田 - 一方、OMSBさんはビーフをきっかけに何かちょっと変わった感じがありました。より1人で立つという雰囲気が出た気がしました。

OMSB - Qがどうとかより、Qがいなくなって離れちゃったファンを見たときに、本当にガッカリしちゃったんですよ。「こういうもんなんだ」って。だったら、俺は俺で自分がやりたいことをやって付いてきてくれる人がいればそれがいいじゃんって思うようになった。

- そして、DyyPRIDEくんは、2015年に活動を一時休止、2017年にSIMI LABを正式に脱退、2019年には、檀廬影という名義で小説『僕という容れ物』を発表しています。

DyyPRIDE - そうですね。

MARIA - え? 脱退したの?

増田 - 脱退とかさみしいからやめてよ......(泣)。

MARIA - ああ、思い出した、脱退してたわ。

- ははは。DyyPRIDEくんがSIMI LABを辞めようと考えたのはなぜですか?

DyyPRIDE - みんなのことをいまでも友達としては大好きだけど、悪い言い方をすると、セカンド(『Page 2 : Mind Over Matter』/2014年)以降に活動がグダグダになっていると感じてしまって。みんな年齢を重ねてそれぞれの仕事や生活の変化もあるから仕方ないんだけど、グループで集中して何かに取り組む雰囲気が薄れたと思う。

DyyPRIDE

OMSB - そのころはいっしょに何かをやるモチベーションがみんなになかったよね。

DyyPRIDE - それと、最近は精神的に落ち着いたけど、子供のころからの心の病気が一時期は本当に酷くて、当時は特にみんなとわかり合えないという気持ちが強まってきつかったですね。それもあった。

MARIA - セカンドのときはダンがめっちゃ早口でラップするから、私もそれに引っ張られてかなり言葉を詰め込んで早口でラップしていますね。あとで聴いてこんなに詰め込む必要がなかったなって(笑)。

- たしかにセカンド収録のマイクリレー“AVENGERS”は、みなさんファスト・ラップですね。セカンドからRIKKIくんが加入します。どういうきっかけでしたか?

RIKKI - JUMAが誘ってくれたんです。

JUMA - RIKKIと俺は母親同士が友達だから子どものころから知っているんです。

OMSB - 俺、USOWA、翔くん、JUMAで相模野に遊びに行ったときに、コンビニに止めてある車でめちゃヤバいマイナーGを音割れしまくる勢いでガンガンを鳴らしているヤツがいたんですよ。それがRIKKIだった。その曲は“Mind Your Business”っていうRIKKIのソロ曲だったんです。ゲロ惚れしたもん。

JUMA - RIKKIは昔2人組のグループでラップしていたんです。ライヴも曲も自信満々で、いまでもイケてるけど、当時からマジでイケイケだった。

RIKKI

RIKKI - ただ、SIMI LABに入る前にいろいろあって精神的にも病んでいたから、やっとホームができたのがすごく嬉しかったです。これでやっと舞台に立てるという気持ちだった。

OMSB - 大阪遠征に行ったとき、RIKKIと部屋が一緒だったんですよ。そしたら、ライヴ前にRIKKIがシャワーを浴びながら「ベイベ~♪カモン!」ぐらいの勢いでR&Bを熱唱し始めて、この人、マジで最高だなあって思いました(笑)。

増田 - あの時期は遠征先でもみんな部屋もいっしょやったもんね。

MARIA - そうそう、私、USOWAと同じ部屋だったときにすごい怖いことがあった。夜、USOWAが部屋に戻ってきて寝始めたんですけど、ベッドを見ると、いつものUSOWAよりも髪が長いんですよ。よくよく見ると、もう1人男がいて布団を掛け合って寝てて。「え? 誰この人? 2人で何してるの?」ってマジで怖くて。それでUSOWAだけ起こして、「誰と寝てんの?」って訊いたら、「いや、知らない」って言うの。

USOWA - あった、あった。

MARIA - めっちゃ酔っぱらった人が私たちの部屋に間違って入ってきたんだよね。あのときのUSOWA、すごい顔してたもん。

USOWA - だって、あれは俺も被害者だもん。めちゃ怖かったよ。

MARIA

- その話、最高ですね(笑)。遠征と言えば、2011年11月のファーストのリリースから1ヵ月後ぐらいにZAIくんがDJとしてグループに加入しています。ライヴはどう変わりましたか?

Hi'Spec - ZAIちゃんに曲をかけてもらうし、スクラッチもしてもらうようになって、俺がその分違うことをできるようになりましたね。

OMSB - ZAIちゃんがDJ、翔くんがエフェクトって感じの役割分担だよね。

Hi'Spec - そうだね。自分はラッパーのみんなを見ています。「次、お前のヴァースだぞ! 行けよ!」みたいにけしかけるじゃないけど。当時は、JUMAとかちょっと心配だったから。

JUMA - ライヴ中に目が合うことあったね。

OMSB - セコンド(笑)。

JUMA - ZAIちゃんは叩き上げのDJだよね。

DJ ZAI - 10代の頃から、町田とか八王子で、先輩のラッパーのバックDJをやったり、イベント当日にDJを連れてきてないラッパーにCD-Rだけ渡されてバックDJを急遽やったり、そういう経験はしてきました。

ZAI

OMSB - だから、アドリブができるし、ラッパーが小節数をミスったり、歌詞を間違ったりしたときのフォロー力がハンパない。

MARIA - ZAIちゃんは私のバックDJもしてくれているんですけど、リカヴァリーがすごい。代官山のUNITだったかな。あまりに緊張し過ぎて楽屋でずっとウーロンハイを飲んでたら酔っ払い過ぎて、もう歌詞なんて一言も思い出せないようになっちゃったんです。そしたらZAIちゃんが、ライヴ中にラップ入りのトラックに即座に変えてくれて。

JUMA - ZAIちゃんが後ろにいると安心。

OMSB - ラッパーよりでかい声じゃないかぐらいの声量でガヤも入れてくるし、「レッツゴー!!!」みたいな。

DJ ZAI - 昨日(取材前日)も茨城であったフェスで、BIMとC.O.S.A.のバックDJしてきて、ガヤガヤシャウトしてきました(笑)。

- あらためてこれだけのバラバラの個性のメンバーが集まったグループもなかなかないですよね。いまファーストのころや、SIMI LABのこの10年を振り返ると、どんな言葉で表現できますか?

OMSB - 捻りもクソもないけど、『Page 1: ANATOMY OF INSANE』を作っているころはまさに青春って感じでしたね。

MARIA - 私はホーム感かな。高校のころも友達はいたけど、ヒップホップの話ができる人がホントにひとりもいなかったから。とにかく、がむしゃらに生きてきた感じですね。

Hi'Spec - 恵まれているなあって思う。『Page 1: ANATOMY OF INSANE』のころから音楽を何より最優先にやっていたし、夢中になってました。

DyyPRIDE - 一言で言えば、カオスですね。

OMSB - それはある。

QN - 俺は、ファーストは奇跡的な1枚だと思う。みんなの出会い方や波長、すべてがすごいタイミングでかみ合って作れたものだから。

RIKKI - SIMI LABのみんなは、俺にとっての救世主です。ただ、これで終わらしたくない。

- ですよね。

JUMA - 俺は学びですね。SIMI LABのメンバーはみんな違うから、それぞれの考えを見ていると面白いし、真似したくなるし、SIMI LABのメンバーといることで自分が面白くなれる感じがするんですよ。

DJ ZAI - ファーストは友達が作品を出してうれしい、セカンドはその一部になれてうれしい、そういう感じです。それにSIMI LABに入って、いまのPさん(PUNPEE)やBIMのライヴを手伝わせてもらうのにつながって広がりましたから。

MA1LL - 私がみんなと明らかに違うのは音楽で所属しているわけではないことですね。元々音楽やヒップホップが好きでデザインもやっていたのが、好きなヒップホップのグループにいながらデザインをできるというめちゃめちゃ楽しくてハッピーな立ち位置でやらせてもらってきた10年でした。音楽からインスピレーションをもらったし、みんなと遊んでいる時間はとにかく楽しかったですね。

USOWA - 俺もオムスといっしょで青春がいちばん近いですね。ライヴはもちろん楽しいんですけど、遠征がとにかく楽しかった。旅行に行くときって集合した空港がいちばん楽しいって言うじゃないですか。SIMI LABでの遠征はあの感覚がずっと続いている感じなんです。音楽をやるヒップホップのグループでしかあの感覚は味わえなかったと思う。

増田 - みんなにお世話になってきたし、SIMI LABとの関係を通じていろいろな事を教えてもらったな、と感謝していますね。

OMSB - 俺はSIMI LABとしてやりたいことはずっとあるし考えているけれど、それをやるためにはどうすれば良いのかずっとわかっていない感じですね。みんな大人になって会ったり集まったりするのでさえ大変だから。だって、今日、フル・メンバーが集まること自体が奇跡的だから。

MARIA - ていうか、全員がこうして集まるの初めてだよね。SIMI LABでまた何かをやるんだったらまずはみんなで遊ばないと。私はとにかくまず「遊ぼう」って感じ。

JUMA - ほんとMARIAの言う通りだね。まずはみんなで遊びたいね。

Info

今年10周年を迎えるSUMMITとFNMNLのスペシャルコラボアイテムがFNMNL Storeで受注販売をスタート!

FNMNLを架空の新聞「FNMNL Journal」に見立て、SUMMITの設立10周年を記念した号外のイラストをSIMI LABのMA1LLが描き下ろし。紙面にはアルバムの発表から10年を迎えたSIMI LABの1stアルバム『Page 1 : ANATOMY OF INSANE』の特集記事や、2017年に展開されたPUNPEEの1stアルバム『MODERN TIMES』の発売を報じたスポーツ新聞の1面記事を落とし込んでいる。ロングスリーブはアッシュ、ショートスリーブはホワイトでALSTYLE 6.0オンスのボディを使用。バックにもMA1LLによる両者のロゴがオン。

受注期間:2021年11月11日(木)〜28日(日) 

発送時期:12月中旬頃を予定(※生産スケジュールなどにより変更の可能性があります)

価格 :

ショートスリーブ Tシャツ ¥4,000

ロングスリーブTシャツ ¥5,000

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