【インタビュー】DYGL 『A Daze In A Haze』|とにかく良い音楽であればいい、シンプルで
このたびDYGLは、内省と音楽的冒険の季節をへて、これまでにないほどオープンで快活、ユーフォリックとさえいえるサウンドを手にした新作『A Daze In A Haze』を発表した。何はともあれまずは、制作の終盤にかけこみで完成させたという“Half of Me”を聴いてほしい。今いる環境に留まりたい気持ちをなんとか断ち切って、「次のところ」へと向かわんとするまさにその瞬間をレジュメした本ナンバーは、コロナ禍でなかなか聴くことの叶わなかったアップリフリティングな「ポップス」である。ノスタルジアに対する否定ではない、むしろ未練を残したような「half of me is still aching inside my head」というサビのラインに、時代精神のすべてが込められている。
そして、この曲から得られる予感は、アルバムを聴き終わるころ確信に切りかわるはずだ。ここにはフレッシュで、驚くほどリラックスした姿のDYGLがいる。はたして、どのようなプロセスがあって「ポップスへの共感」はバンドの新たなシグネチャーとなったのだろうか。メンバー4人に話を訊いた。
取材・文・撮影:長畑宏明
- これは他のところでもよく言及されていることですが、今作では音楽モードの変化が明確にみられます。前作(セカンド)ではレコーディングが一時中断するなど苦労が多かったようですが、今作はそれと比べるとスムーズでしたか?
秋山信樹 (Vo&Gt.)- 今回は、自分たちの気持ちに対してナチュラルに進めていったらたどり着いた、っていう印象ですね。それが「スムーズ」という言い方で正しいのかはわかりませんが……でも、そうですね、はっきりスムーズではなかったと言い切れる前作との比較でいえば、スムーズだったと思います。
- 音楽の作り方でなにか変えた部分はありましたか?
秋山 - セカンドのときからすでに変わり始めていたんです。ファーストまではほぼ全曲を自分が書いて、「こんな仕上がりにしたい」という青写真も用意した状態でメンバーにデモを渡していました。でもセカンドを作りはじめるとき、すでに僕個人がやれることの限界を感じていた。今度はメンバー各々のバックグラウンドが噛み合うことでより面白いものができるんじゃないかなと。当時はそれも急な方針転換だったから、いざ実践するとなると難しいところがあって。
下中洋介(Gt.) - 自分もあのときはまだテーマを消化しきれていなくて、「このバンドでどういう音を出せばいいだろう?」という迷いがありました。サードはキーワードを自分なりにピックできた分、いま余計にそう感じるんですけど……それはテーマの難易度うんぬんではなく、コロナ禍で己と向き合ったことが大きかった。自分のなすべきことがみえて、そこで他人との共通項もみつかったんです。
- 嘉本さんはどうですか?
嘉本康平(Dr.) - 「どうやったらかっこいい音楽ができるんだろう?」ということに集中しすぎていました。今回はもうちょっと、説明的じゃない音楽を自然に引き出せたから、制作も楽しめたのかなって。
- 前作は音のリファレンスが豊富だったので、制作が複雑にならざるをえなかったのも想像できます。あとは、楽曲の作り方を変えることを前作の時点からトライしていて、メンバーの個性を生かすアプローチがバンド内で浸透するまでに時間がかかった、と。
秋山 - そうです。ファーストからセカンドまで2年かかっているんですが、そこでだいぶ試行錯誤したので、セカンドから今作までの2年はより俯瞰できた気がしていて。実はセカンドを出した後、コロナ禍のこともあって活動予定がすべて白紙になったんです。それこそ「今後どうする?」っていうレベルで。そこで頭で考えていても答えは出ないから、何かがみえてくるまで手を動かしてみようと、4人で話し合って。とりあえず今作の曲を書き始めてみました。
- 今作の発端になるような楽曲はありましたか?
秋山 - “Bushes”ですね。この曲は下中が一人で書いた曲です。
- つまり、秋山さん以外のメンバーが書いた楽曲から今作は走り出した、と。資料には最後に“Half of Me”ができたとありましたが、ということは、今作は“Bushes”から“Half of Me”にたどり着く旅でもあったとも捉えられます。この2曲のコントラストも象徴的ですが、自分たちの心境とリンクしていたといえますか?
秋山 - 自分たちの今の心境というよりも、バンドが経験してきた季節の流れ、ですかね。DYGLって、これまで制作において「こういうのってナシじゃん」っていう厳しい視点があって。だから、これまでは引き算すべきものを明確に持つことで形成されていた個性があったと思うんですが、セカンドを作り終えてその手法で作ろうとしていたものはある程度作れた気がして。で、これは時代の流れもあるかもしれませんが、「これまでNGだったこともOKじゃない?」って思えるようになったんです。
- ダサいことは死んでもやらないぞ、っていう。僕はファーストのときも取材させてもらいましたが、そのときは「本当にスノッブなバンドだな」という印象が強くて。
秋山 - 長畑さんがスノッブって言葉を使っていたの覚えていますよ(笑)。いま質問されてはじめて気づきましたが、“Half of Me”が最後にできたという事実には、何かしらの必然性があるのかもしれませんね。
- つまり、自分たちの中でのNG項目がなくなったタイミングで自然と立ち現れたもの、ということでしょうか。
秋山 - 「目に浮かぶサウンドがいいよね」という話をしていて。00年代前半のMVっぽい、イメージ化された幸せな生活、みたいな。それを直接やるわけではないんだけど、何かあの時の空気感を感じさせるもの。いまは特に、宅録のインディーズっぽいサウンドが多かったなかで、自分たちは楽しくて跳ねるようなテンションを欲していました。でも、“Half of Me”以外の曲が仕上がった時点でアルバムのエッセンスとしてまだ何か足りない気がしたんですよね。で、もう本当に締め切りギリギリだったから、できなかったら諦めようくらいの勢いで作ったデモを嘉本に渡したら、いくつかある中から彼が“Half of Me”を選んできて。
- なるほど。たしかに、ロックダウン下で発表されたTaylor Swiftの2枚なんかは内省的なムードが刻み込まれていましたよね。ただ、2021年になって現実世界のディストピア感がさらに強くなった気もしていて、そのなかで楽しいサウンドを求めた気持ちには自分も共振します。ちなみに、嘉本さん的に“Half of Me”がベストだと思った決め手はどこにあったんですか?
嘉本 - 秋山のデモがすごくプリミティブだったんですけど、とくに“Half of Me”はサビのフックが強かった。「まだ足りない」というメンバーの共通認識があったなかで、欠落を埋めるのはこの曲かなと。
- あの曲のアイデアはどこから生まれたものなんですか?
秋山 - 「この気持ちになりたい」って表現したい感覚が最初にありました。曲を書くときは楽曲によって引き出される情緒を大事にしていて、このときも「自分が感じていたことはこれだよ」みたいな感じで、心の鏡になる曲を書く意識を持っていて。それで自分の中のその情緒を引き出してくれる曲で言うと、Cloud Nothingsの“Stay Useless”や“I’m Not Part of Me”……あ、そういえばタイトルも少し似てますね(笑)。あと、James Ivyの“Sick”。壊れそうだけどエネルギーがあって、パーソナルだけどみんなで歌えるもの。
- 先ほど「00年代前半」という時代がお話にでましたが、みなさんの年代ではそこがポップカルチャーに触れた最初のタイミングですよね。今回はその記憶に接続したかった、ということなのでしょうか?
秋山 - あの時代を再定義するとかそういうことではなく、単に、あの時代にあった楽しさが今あってもいいのかなって。あの時代にあった感情が今にも存在していてほしい。あの享楽的な……いや、その言葉は違うか。
- まあでも、「享楽的」で掴めるニュアンスはあったと思いますよ。少なくとも、メンタルヘルスが社会問題化している今より能天気な部分はありましたよね。
秋山 - そうですね。社会問題に関して言えば単純に可視化されただけかもしれず、時代の流れとしていい面もあると思います。ただ音楽的に言えば、今の大衆音楽では当時のような明るさは控えめで、どこか“一歩引いて眺めている”ニュアンスがある。今回のアルバムでは、その享楽性をあえて表現する視点がほしかったというか
- それはもしかして音楽だけでなく、日常の営みでも感じていることだったりします?
秋山 - うーん、あるんじゃないですかね。失敗しないアーティストは増えているけれど、「だっせー!でも新しいかも?」というものがない。「どう成功するか」じゃなくて「どう失敗しないか」というムードが、日本だけじゃなく世界中に蔓延している。そこで今作では、自分たちのチャレンジとして「もしかしたら失敗するかもしれないけれど、やりたいことをピュアにやりきること」を目指したんです。ただ正直今回でもまだ道半ばで、この先もっとそこを突き詰めていきたいですね。
- 「00年代前半の明るいムード」に関して、メンバー各々が思い描くミュージシャンや作品は共通していたんですか?
下中 - これが本当に偶然の出来事で、加地くん以外の3人で恵比寿のバーにいたときに、お店の人が突然Fountains Of Wayneのサード(『Welcome Interstate Managers』)を流しはじめたんですよ。そこで、「あれ、この気持ち忘れてない?」って。
秋山 - あれは完全に酒も助けた気がするけど(笑)。うわ、これはすげえと。いろいろ再発見した瞬間でしたね。
嘉本 - Fountains Of Wayneだけじゃなく、例えばGreen Dayみたいなバンドにしても、かつては今と違った聴き方をしていたんですよね。あのフィルインはやべえとか、リフがイケてる、なんて思っていなかったはずで(笑)。ただ音を聴いてテンションが上がる、その感動しかなかった。だからそこでは、年代どうこうじゃなく、“聴き方”を再発見したということです。
- たしかにあのアルバムの冒頭3曲は身震いしたな……自分も鮮明に覚えています。
秋山 - あんなにわかりやすく自分の中で何かがバチっと切り替わって、制作に影響することって中々ないですね。かなりハッキリとしたキッカケでした。あの日、あそこで最高な曲を聴いて最高な気持ちになっていなかったら、また違ったアルバムになっていたかもしれません
- なるほど、なるほど。そこからアルバムを構築するにあたってどんな作業があったんですか?
秋山 - その日に恵比寿で感じたニュアンスをもとに話し合って、改めてリファレンスになりそうなものをプレイリストにまとめてみようと。そこから「青空と芝生」に対する共通認識を確かめ合いつつ、曲を聴きながら「そうそう、この気持ち、この気持ち」って。あれはシンプルに楽しい時間だったな(笑)。
- 逆にいえば、これまでは音楽のジャンルを意識しすぎていたことに対する反省も含まれていますか?
秋山 - それに関してはどっちもあります。自分にとって洋楽の入りはThe OffspringとGreen DayとOasisでした。そこからThe StrokesとかThe Libertinesを知って、「自分はインディーロックが好きなんだ」って気付いてから、だんだんそっちにシフトしていったっていう。正直、「ポップパンクはもう違うかな」って思っていた時期もありましたね。その上でいまどう考えているかっていうと、そのとき違うと思っていたこと自体は間違いじゃないから、反省というよりもアップデートっていうか。とにかく、自分の感覚に従って良いと思うものを更新していけばいいのかなと。
- ご自身の気持ちの面ではどういう変化がありましたか?
秋山 - 今はもっと自由になりました。これまでは「自分」がまだわからないからこそ、いろんなものを試していて。そこでまわりからは、「自分じゃない存在になろうとしているのかな?」ってみられることもあったけれど、けっしてそうじゃなくて、いろんな選択肢を試してみないと本当に居心地の良い場所が見つからない、っていうことなんですよ。
- ああ、めちゃくちゃわかります。では、ロック、あるいはロックバンドという形式についてはどう考えています?DYGLはそこに対して良い意味での執着心があって、その形式の上で何をやるのかが楽しみなバンドでもあると思うのですが。
秋山 - ずっとバンドが好きだし、ロックの土壌で育ってきた認識はあります。ただロックという言葉は多義的で、ロックには既存の形式を壊し続けてきた歴史がありますよね。パンクではレゲエのリズムを取り入れていましたし、つねに新しいこと=ロックだったはず。ただ、今はトラップの分野でもロック的なモチーフを使っている人が多いように、ロックがいろんなジャンルを取り込んできたこれまでと違って、今度はヒップホップがロックを吸収しているから焦っているだけじゃないかなと(笑)。
- いまロックはいろんな場所で「活用」されていますよね。
秋山 - そう、だからロックの歴史としてはあくまで通常運行っていうか。自分たちにもこれまでの「ロック」を延命するという意識はありません。むしろ、この時代に既存の枠組みから外れていく、それこそがロックでしょう、って。とにかく良い音楽であればいい。そういう意味でも、ジャンルでどうっていうのは意識しなくなっていますね。
- 本作の特徴として、サウンドのレンジは広くとられていますが、歌詞には一貫性があります。たとえば、“Half of Me”の歌詞はバンドの現在地点を暗に示している一方で、今をサバイブするオーディエンスを鼓舞するメッセージにもなっていますが、それは他の曲でもいえることで。乱暴にいえば、かなり「リアル」で「パーソナル」な響きを持つラインが多い気がします。
秋山 - 言葉は確実に変化してきていますね。2017年くらいから、自分は音楽がどうしても書けないとき、逆に言葉を書けることが多いっていうことに気づいて。それも日本語の日記みたいなものなんですけど。初めはただ自分のためだけにたくさんの言葉を書いていくうちに、その感覚を歌詞にも活かせそうな気がして。何となく探していたような、なんとなく避けていたようなその深い部分の自分の言葉が、今まで以上に居心地良く歌詞にも活かせたように思います。
- “Banger”なんてまさに秋山さんの日記を読んでいるかのようで、言葉数が多いことがサウンドのシグネチャーにもなっています。
秋山 - あれは、書いているときから「この長さはやばいな」と思っていました(笑)。
- 歌詞の話でもう一つ。“Sink”のフレーズですこし気になったところがあって。ブリッジ部分で疑問形の問いかけがずっと続いて、最後も「Can I Start Again?」で「新しく始められるよ」という断定系ではない。これはどういった状況・感情の反映ですか?
秋山 - 僕自身がまだどこにもたどり着いていないんじゃないですか。「好きなことを音で表現していい!」には到達したけれど、本当に表現したいところにはまだ届いていないっていうか、やっと探しに行けるようになった、くらいで。
- これって、今の時代における希望のようなものをレペゼンしているようにもとれました。
秋山 - これまでは気持ちがリフトアップされるサウンドを作ると、そこに希望的な歌詞が引き出されることが多くて。セカンドのときは、サウンドと歌詞でコントラストがあったほうがいいかなとか意識したり。でも今回は「しっくりくるからそうする」みたいな感じでより自然な言葉を書けた気はしますね。だから、この歌詞が「希望的かどうか」は後付けで、あくまで「そのとき自分はこう感じていた」っていう。それ以上でもそれ以下でもない、そのままで作品と言える強さを見つけた気がします。でも、もっとできますね。
- 個人の感想になっちゃいますが、DYGLがここにたどり着くっていうのは、ファーストの時点では想像できなかったんですよ。何度もいって申し訳ないんですが、すごくスノッブなバンドだと思っていましたし。
秋山 - (笑)。
- あと、嘉本さんがむかし取材で「本番が練習なんで」って話していたのを聞いて、そのストリート感と今回のような「ポップス」とのつながりがどうにも見出せなかった。あの発言の真意を教えてもらってもいいですか?(笑)。
嘉本 - うん、えーっと、そうですよね。このバンドにまともに練習した人っていないと思うんですよ。このバンドって、「練習、練習、練習、はい本番」じゃなくて、ぜんぶひっくるめてやっているから。だから……。
秋山 - (嘉本以外の2人に向かって)いや、おれらはしてるよね?(笑)。
下中 - 嘉本もしていないって言いながらしてるじゃん。
嘉本 - うーん、「練習」してるのかな。
秋山 - もはや練習の定義がわからない。
嘉本 - その時点でやっぱり「練習」はしていないんだよ(笑)。
- ポップスをやっても洗練しきらないところに本作の魅力があるし、実は今の話は核心をついている気もしますが(笑)。そういえば、これからまたロンドンに戻ることは考えていますか?
秋山 - それは本当に未知数ですね。前回は海外を「見学」するって意味ではよかったんですけど、次もしいくとしたら、現地で良いライブを組めるとか制作拠点ができるとか、移る理由がはっきりしていてほしいかな。そういう意味では、自分たちの創作意欲が刺激されるところなら拠点はイギリスでも台湾でもどこでもいいんです。幾何学模様みたいに、メンバーが違う街にいながら活動しても良さそうだし。とにかく楽しいことしたいですね。習慣や枠組み、目指す場所も決まりがちな中で、トんだことをやりたいなと。そうじゃないと自分が飽きちゃうので。
- 個人的には、セカンドを経てここにたどり着いたということは強調したいですね。いま改めてセカンドを聴くと新たに感じられることもたくさんある気がします。
秋山 - この前久しぶりに“An Ordinary Love”は聴き返しましたね。寂しげだけど情緒のある曲で、楽しいなって。
- 一方、今作は音のリファレンスで説明できるアルバムではなくて、90年代後半〜00年代前半というキーワードはありつつ、「ポップス」としかいいようのような響きを持っている。
秋山 - まさに、ギターもドラムも鳴っているけれどただのロックじゃない。ロック的だけどポップス的でエネルギーのある音楽が00年代にはたくさんあったので、今作がそのどちらも汲んだものに聴こえるのは嬉しいです
嘉本 - 今作を作っているなかで、いわゆるポップスっていわれている音楽には無限の可能性がつまっていることに気づきましたね。このフォーマットならなんでもアリなんだなって。
下中 - 僕の場合、この二人(秋山と嘉本)はポップスに思い入れがあるんだなって、それを再認識しました。だったら、ポップスに思い入れがあるわけではない自分は変わったことをしてもいいのかなと。普通にまとまったことをするのではなく。
- それこそ、“Half of Me”での下中さんのギターがサイバーっぽく聴こえるところなんかは、曲全体の化学反応につながっていますよね。では、加地さんは「ポップス」に対してどういう印象を抱いています?
加地洋太朗(Ba.) - 自分はどうだろうな〜…… Fountains Of Wayneの会に自分がいなかったのが象徴的だなと思うんですけど、その時代のポップスに近いロックを聴いてこなかったんですよ。むしろあんまり得意じゃなくて(笑)。
- (笑)。本作のテーマに対してどういう引き出しを使ってアプローチしたんですか?その温度感が気になりますね。
加地 - とはいえ、その時代のポップスに影響された最近の人たち、Soccer MommyとかClairoとかは好きなので、本作の曲を演奏していて違和感はなかったんです。結局はヴァイブス的なところなのかなと。“Half of Me”を弾くときも、James Ivyとかは意識せず勢いでやろうって。で、その「勢い」っていうのは何かっていうと、自分がむかしレッチリとかミッシェル(ガン・エレファント)をただ好きで聴いていたころの感じなんです。
- そうやって「ポップス」に対する解釈とかアプローチが同じじゃないからこそ、この曲が立体的に聴こえるんですよね。特定の何かに対するオマージュで完結しない、再解釈の先にきちんと当事者としての目線があるといいますか。秋山さん的に、本作で「ポップス愛を開陳した」という意識はありますか?
秋山 - いや、それを別に隠していたわけでもないんです。Ykiki Beatのときはむしろそれを前面的にやっていて、DYGLはまた別のバンドっていう関係性もあったから、単にこのバンドでポップスをやることが視野に入っていなかった。
- Ykiki Beatはたしかにそうでしたね。
秋山 - インディーロックのサウンドに惹かれて、そして吸収した。そして今ポップスの良さをバンドとして再認識して、吸収する。ジャンル的にどっちがいいとか悪いはどうでもいい。良い音楽は良い。自分たちの耳に良いものは吸収して、表現したい。それくらいシンプルにやっていきたいですね。
Info
■ DYGL
A Daze In A Haze Tour
Oct 1 静岡・浜松 窓枠
Oct 2 京都・京都 磔磔
Oct 3 兵庫・神戸 VARIT.
Oct 5 愛媛・松山 サロンキティ
Oct 6 香川・高松 DIME
Oct 7 熊本・熊本 NAVARO
Oct 9 福岡・福岡 BEAT STATION
Oct 10 岡山・岡山 CRAZYMAMA KINGDOM
Oct 11 広島・広島 広島クラブクアトロ
Oct 17 長野・松本 ALECX
Oct 19 石川・金沢 GOLD CREEK
Oct 20 新潟・新潟 GOLDEN PIGS - RED
Oct 22 福島・郡山 HIPSHOT
Oct 23 岩手・盛岡 the five morioka
Oct 25 宮城・仙台 Rensa
Oct 30 北海道・札幌 SPiCE
Nov 2 大阪・大阪 BIGCAT
Nov 4 愛知・名古屋 名古屋クラブクアトロ
Nov 5 東京・東京 USEN STUDIO COAST
[チケット]
一般発売 2021年7月31日(土)
https://eplus.jp/sf/search?block=true&keyword=dygl
アーティスト名:DYGL
アルバム名:A Daze In A Haze
<トラックリスト>
1. 7624
2. Banger
3. Half of Me
4. Did We Forget How to Dream in the Daytime?
5. Sink
6. Bushes
7. Wanderlust
8. The Rhythm of the World
9. Stereo Song
10. Alone in the Room
11. The Search
12. Ode to Insomnia
発売日:2021年7月7日(水)
形式:CD/ 各配信サイト
カタログNO:HEC-007
価格:
限定盤 5,000円 (税抜)/ 5,500円 (税込)
通常盤 2,500円 (税抜)/2,750円 (税込)
発売元:Hard Enough
販売元:ULTRA-VYBE