【コラム】 Asian Hate Crimeを知る | アメリカで何が起きているか?
東アジア系と思しき老人が歩いていたら、フードを被った男性が後ろから近づいてきて、いきなり殴り倒した。1月、カリフォルニア州サンフランシスコとオークランドの路上で別々に起きた、よく似た事件を捉えた防犯カメラの映像が、SNSを席巻した、これを見て、体内の血が冷えるような思いをしてから2カ月。ジョージア州でアジア系が経営するマッサージ店など3店舗を立て続けに狙った乱射事件がおき、アジア系の女性6人と白人の男女一人ずつ、計8人の死者が出る惨事となった。
新型コロナ・ウィルスが世界を一変させてから、1年が過ぎた。最初に感染が広がった地域が中国の武漢だったことから、欧米では当初から東アジア系への嫌がらせが増えていた。ヘイトクライムとは、人種や宗教、性的嗜好などある属性のグループに一方的に嫌悪感を抱き、嫌がらせをしたり、暴行を加えたりす行為だ。1年経ってまとまった統計として現れ、やっと世論が動き出したと私は取っている。3月初旬、カリフォルニア州立大学のヘイト・アンド・エクトリーミズム(憎悪と過激主義)研究センターが、昨年、16の大都市の警察に届けられたヘイトクライムの件数は全体では2019年より7%減少したにもかかわらず、アジア系に限って1.5倍に増えたと発表、テレビや新聞が一斉に取り上げた。身近な人以外としか会えなかった状況のなか、アジア系をターゲットにしたヘイトクライムだけ増えたのだ。
サンフランシスコの事件の被害者、タイ出身のヴィシャ・ラタナパクディーンさんは、病院に運ばれた2日後亡くなった。つまり、バイラルになった防犯カメラの映像は、殺人現場だったのだ。この事件では、19才の男性が逮捕されている。オークランドのチャイナタウンで、91才の男性が地面に叩きつけられる事件では、他に2人が続けてターゲットにされたことが判明したものの、犯人は捕まっていない。怪我で済んだので、そこまで大々的に捜査されなかったと取った人は多く、現在ではボランティアのパトロールが見張っているとLAタイムズが報じている。
この状況を憂慮し、ハリウッドで活躍するアジア系の俳優が声を上げた。『ロスト』、『ハワイ5−0』で知られる韓国出身のダニエル・デイ・キムと、中国系アメリカ人の映画監督、俳優であるダニエル・ウーは、事件の目撃情報を募るため、有益な情報の提供者には25000ドルの懸賞金を出すと発表。イギリス人の父とマレーシア人の母をもつ、『クレイジー・リッチ』のヘンリー・ゴールディングがテレビでコメントしたり、『グレイズ・アナトミー』、『キリング・イヴ』で知られる韓国系アメリカ人のサンドラ・オーはオークランドの抗議集会に参加、スピーチを行ったりもしている。同時期にバイデン大統領は、「アジア系アメリカ人にたいするヘイトクライムは、受け入れ難く、アメリカらしくない」とスピーチした。
マッサージ店での乱射事件は日本でも広く報道されているので、ここでは詳細を省くが、容疑者のロバート・アーロン・ロングの動機を、報道陣の前に立ったジェイ・ベイカー警部が「セックス依存症を取り除こうとしたもので、人種差別は関係ない」と、本人が述べた言葉をそのまま発表した件は、少し考察したい。アメリカでは、暴行事件に差別的な動機が絡むと、罪が重くなる。ロング容疑者はその点をわかったうえで、動機を供述していると考える人は多く、彼の言葉をそのまま流したベイカー警部と警察は批判の的となった。これを契機に、「StopAsianHate」のハッシュタグがSNSで多く流れ、各地で抗議デモが行われたのは、知っている人も多いだろう。
多くの社会問題のなかでも、差別問題は身近で、感情的な反応を引き出しやすい。私は、21年間ニューヨークで暮らして、2016年に帰国した。東京の生活でアメリカのようなむき出しの差別を目にすることは少ないが、無自覚であるが故の、ひやっとする態度や言葉には出くわす。今回の事件の報道でも、「海外に住む日本人は安全か」との切り口が目立ち、もちろんそれも大切だけれど、アジア系全体の安全を慮る視点に欠けている気がした。日本から一歩外に出たら、外見では見分けがつかなくなるのだ。この記事を書くにあたって、アメリカに住む日本人と日系人の友人12人に、「身の危険を感じることがあったか?」など同じ質問をぶつけてみた。
そのやり取りから、見えてきたことを書く。このアトランタの乱射事件のような極端な出来事はさすがに珍しいが、日常的な嫌がらせに遭う確率が増えているのは事実だった。12人中3人が「中国に帰れ」「チャイニーズ・ビッチ」などの罵声を浴びせられた経験があり、うち2人はアメリカ人の家族に強く言われて、外出時にペッパースプレーを持ち歩いていた。ここ1年以内で、同僚などアジア系の知人が言葉による嫌がらせ、唾をかけられるなど経験した人は5人。前述した調査でも、大きなチャイナタウンがあるニューヨークとロサンゼルスが多い結果が出ていた。私の友人もマイアミ在住の一人を除いてニューヨーク市内と近郊に偏っているので、調査はある程度、正確なのだと思う。ただ、こういった嫌がらせは、ほとんどの人が周りに言うだけで、警察に届けたりはしない。つまり、調査の数字は、実際よりかなり少ないのだ。友人の一人は、ショッピング・モールで殴るような素振りをされて身の危険を感じたが、セキュリティーが近くにいなかったため、そのまま帰宅したという。周りにいた人に見て見ぬふりをされたのを悔しがっていたが、アメリカでは仲裁に入った人が逆に被害を被るケースが多いので、見て見ぬふりは必ずしもまちがえた対応ではない。地下鉄で言葉の嫌がらせを受けた際は、周りの人が一斉に注意してくれた、という話もあった。
「以前からアジア系にたいする差別はあったけれど、今回のコロナ禍で顕在化した」、「ニュースやネットで騒ぐほど、ある種の人は違うメッセージとして受け取って、さらなる嫌がらせ、犯罪を誘発する可能性がある」という声もあった。どちらも、昨年から目にしたり、私自身の頭にあったりした意見だ。「差別問題は政治利用されやすいから、バイデン陣営がトランプ元大統領との差を出すために過剰に騒いでいる」との意見もあった。さすがに同意しかねるが、政権とメディアにたいする不信感が高まりは万国共通なのだと痛感。ヘイトクライムのみならず、治安そのものが悪化している、との見方は全員が一致していた。だが、それは特定の人種を攻撃していい言い訳にはならない。
ここ1年でアメリカの新聞、ニュースでよく出てくるようになった言葉に、「ゼノフォビア(外国人恐怖症)」と、「Anti-AAPI Hate」がある。AAPIはエイジアン・アンド・パシフィク・アイランダーの略語であり、アジア系と太平洋に浮かぶ島出身、具体的にはポリネシア、ミクロネシア、メラネシア出身の人を包括した呼び名だ。つまり、一見して白人でも黒人でも、ラティーノでもない人々をまとめた総称であり、「Anti-AAPI Hate」は「反アジア系ヘイト」を意味し、「アジア系にたいする差別をやめよう」という呼びかけの略語である。
アジア系は、勤勉で家族を大切にする良いイメージがある一方、感情を表に出さない、おとなしいといったステレオタイプから、なかなか逃れられない。2017年の国勢調査で、人口の5.4%、ほかの人種も入っている人も含めると6.5%を占める。均すと20人に一人の割合になるが、カリフォルニア州は15%以上、ニューヨーク州は10%弱と地域差がある。ちなみに、アフリカ系アメリカ人は全体で12.7%とアジア系の約2倍強に留まる。エンターテイメントやスポーツといった人気分野における活躍が目立つせいか、もっと多い印象を持っている人は多いのではないか。もちろん、そのこと自体は悪くないのだが、ともすればアメリカの社会問題は、生まれつき既得特権をもつ白人と、搾取される側の黒人とラティーノ(ブラック&ブラウン)の対立構造で語られがちであり、どちらでもないアジア系は「見えない」存在となる。私もアメリカに住んでいたときに、外国人とはいえ、納税義務を果たしている社会人として話に加わろうと思っても、議論が頭上を通り過ぎていくような、自分はカウントされていない気分によく陥った。もっとも、目立たないとトラブルにも巻き込まれづらい面があり、日常生活を送る上で必ずしもマイナスばかりではないのだが。
それが、目に見えない、匂いもしないウィルスを怖れるあまり、「中国人(と、彼らに見た目が似ている人たち)」との形を与えて、行き場のない怒りをぶつける人が出てきてしまった。イギリスやスペインでも似たような事例が報道されているので、「感染症は誰のせいでもなく、人類全体が被害者である」という常識よりも、感情に負ける人は一定数いるわけだ。だが、日常会話で非科学的な不平を漏らすのはただの無知であり、罪ではないが、実際に嫌がらせや、老人や女性に危害を加えるなど行動に出た場合、社会問題となる。BLMの際、「黒人だってアジア人を差別する」という意見を目にした。私も、その経験はある。今回、散々調べた際、アジア系のヘイトクライムには、同じアジア系同士のケースもあった。アジア系をターゲットに嫌がらせをする人は、多種多様なのだ。どの人種だろうと、どの社会的グループであろうと、差別行動をとる人のほうが少ない。ただ、彼らの声は大きく、とくにネット上で目立つ。切りがない、と感じても、問題行動が出るたびに声を上げないと、パンデミック後に人の行き来が戻ったとき、世界はいま以上に殺伐とした場所になってしまう。
暗い記事になってしまったので、少し無理して明るい方向にもって行って締めよう。友達を通じてのリサーチ中、父親が黒人とラティーノのミックス、母親が日本人の17才女子がおもしろいことを教えてくれた。TikTokをメインにしたソーシャル・メディアでは、#Blasian (黒人とアジア系)、#Whiasian (白人とアジア系)のハッシュタグは、総じてポジティブな意味で使われているそうだ。たった一人の意見であり、彼女自身が人気者なのでSNSのアルゴリズムとして前向きな投稿が目につきやすい可能性もある。だが、友人が唾をかけられた話のあとでは、救われた気持ちになれた。また、2010年代を通して、アメリカのテレビドラマや映画が多様性を重んじるようになり、アジア系の俳優が主人公や準主役を演じる機会が格段に増えている点も指摘しておきたい。日本人や日系人の俳優の進出はまだ少ないので日本に住んでいるとピンと来ないもしれないが、海外で暮らしていて自分と似た外見の人が画面に映るのは、「ここにいていいんだよ」というメッセージとして印象に残る。また、アジア系はオーバーアチーバー(Over-Achiever 頑張り屋。予想以上の結果を出す人)のイメージも強く、それを脅威に取る人もいる。コロナ禍は一つの契機であり、人口の増加とともに欧米諸国でのアジア系の存在感が増しているなかで、バックラッシュが起きているとも取れる。私たちアジア系は、よくも悪くも「目に付く存在」になりつつあるのだ。身を守るためにも、世界とうまく折り合いをつけるためにも、「日本人としての自分」だけでなく、「アジア系としての自分」という視点をもつのは、とても重要だと思う。(池城美菜子)