【コラム】What is 「HYPERPOP」? by tomad
世界的に未曾有の事態が続いた2020年。パンデミックは音楽シーンにも並々ならぬ影響を及ぼし、多くのアーティストが、これまでとは違う形態での活動を強いられた。オンラインでのライブが一般的となり、我々リスナーの体験も大きな変化を余儀なくされる中、Travis Scottの『Astronomical』を筆頭に、前例の無い状況下で新たなクリエイションを模索するアーティストの試みに刺激を受けた方は多いだろう。
メインストリームから一歩離れた周縁的な場所でも、オルタナティブかつ刺激的な、今年以降の更なる発展を期待させるようなムーブメントがいくつも起こっていた。
中でも、トラップの文法を下敷きとしながらEDMやフューチャーベースといったダンスミュージックの過剰なポップネスを吸収し、エモラップやロックのテクスチャーをも取り入れた新たなジャンル「ハイパーポップ」は、オンラインプラットフォームを中心に大きな盛り上がりを見せた。ロックダウン下のリスナーに衝撃を与えたその音楽性はラップデュオ100gecsと、そのメンバーであるDylan Brady、またDorian Electraやglaiveといったアーティストたちを中心に確立され、シーンを横断する動きを見せる彼らにより、今やアンダーグラウンドに留まらない広がりと進化を遂げつつある。
今回FNMNLでは、日本におけるネットレーベルの草分けであり、昨年はハイパーポップをテーマとしたコンピレーションアルバム『???』をリリースしたMaltine Recordsを運営するtomadに、ハイパーポップについてのコラムを寄稿して貰った。同ジャンルのルーツとも言えるインターネット音楽と深く関わってきた彼ならではの視点による、興味深い論考となっている。
文:tomad
「HYPERPOP」とは何か?2019年8月からスタートしたSpotify公式プレイリストの名前でそのプレイリストにより提示されたある特定のシーンを示す。
プレイリストの中には一定のマインドを共有したポップなエレクトロニックミュージックが散らかったおもちゃ箱のように放り込まれている。そのセレクトはリスナーの共感を呼び、1つのジャンル名のようにとらえられることになった、また1年半で15万人ものフォロワーがいるプレイリストに急成長した。その理由は何だろうか?
「HYPERPOP」の1つのルーツとして、PC MusicやSoundCloud上に無数にアップロードされていたフューチャーベース以降のエレクトロニックなポップスサウンドがあるだろう。
当然ながら僕もそんなサウンドにドップリ浸かっていて、2014年頃だろうか、今でもはじめてPC Muiscを発見した時の確実に面白いことが起きている!という興奮を思い返す。
その頃は、オンラインSNS発の音楽が現実へのカウンターとして一種の連帯をもってとらえられていた。例えばResident Advisorに掲載された特集記事「オンライン・アンダーグラウンド: ニューパンク」は、当時のその熱量を多く伝えている。Vaporwaveのようなスクリューされた楽曲サンプリングに空虚なアートワークを付け加えたものが量産される皮肉まみれの新しいオンラインパンクカルチャーだと。今この記事を読むと「HYPERPOP」への一つの伏線としても読み解くことができるかもしれない。
そんな状況の中で自分が運営する音楽レーベルのマルチネも、その流れに位置づけられていたかもしれない。いろいろと良かったこともあったが、ある程度の限界というか自家中毒的な退屈さを日に日に覚えることになる。オフラインに対するオンラインという状況設定によって各集団の細かい差を無視して、疑似的に繋がるということは諸刃の剣だ。
PC Muiscも混沌としていた初期のリリースを経て、2018年にはレーベル集大成的なコンピレーションをリリースするなど確固たる立ち位置を確立し、主宰のA. G. CookはCHARLI XCXなど外部のアーティストへの楽曲提供の機会が多くなる。
また、SoundCloudシーンで著名になったプロデューサーもポップス側への楽曲提供が多くなる時期で、トラックメイカーの名前が全面に出るというよりはシンガーやポップアイコンの裏方に回っていくことが多くなった。ベッドルームからの歩みは着実に進み、連帯を経て、それぞれは規定の位置に収まるようになる。SoundCloud上で行われていた交流もフリーの楽曲の投稿数が経ることで次第に下火になっていった。
このような経緯で、ポップ寄りのエレクトロニックミュージックカルチャーが停滞した状況だった2019年に、このゲームに別の視点を提示するアーティストがアメリカから登場することになる、彼らこそDylanBradyとLaura Lesによるユニット100 gecsだ。
彼らは、SoundCloudもしくはYoutubeだったりネットの中にガラクタのように転がっていた素材を転用しコラージュしたポップでアッパーなサウンドを中核としながらも、構成や質感はザラッとしたパンクロックの手触りを残して仕上げる。そして、2人のピッチシフトされた頭を劈くようなボーカルがさらに畳み掛ける。ライブはATARI TEENAGE RIOT(懐かしい)のような、ほぼデジタルハードコアパンクの様相になっている。
エレクトロニックミュージックの過剰性をポップな方向に極限まで高め、ボーカルにより感情と情景をストレートに表す、それは特にエモラップがマスシーンを席巻したアメリカのティーンにとって共感できる形式だったかもしれない。
DAWにサンプルパックをブチこんで全世界から無限に生成されるエレクトロニックミュージックの大洪水のなかで、100 gecsのように自分の存在表明でありサウンド上のタトゥーのようにボーカルを入れることは合理性がある。それは歌とは違う。
話は戻るが、PC Musicはマインド上ではパンクさを持っていたのは確かだったが、英国アートスクール出身ならではのハイコンテクスト志向により、当たり前だがそのままパンクロックをリバイバルすることはしなかった。表層のキュッチュさを全面に打ち出し、皮肉の皮を被って、真っ向からそれらを取り扱うことを回避し綱渡り的に成立していた。
また、キラキラで可愛くて時にメランコリックなサウンドが象徴的な2010年代のSoundCloudフューチャーべースシーンは現実を直視するというよりも、ゲーム的な現実逃避のマインドが原動力になっていただろう。
残骸のようにオンライン上に残ったそれらのサウンドの表層を利用しながらも、明らかにそれらのマインドとは違う、”真顔”の態度表明の姿勢が100 gecsにはあった。
彼らに共感した、もしくは彼らのやったことを彼らを知らずに勝手にやっていた無数の無名なリスナーでありクリエイター達が、その姿勢をサウンドと共に日に日に増幅させていく。それは旧世代のように現実に対してユートピアを作り上げるのではなくて、現実そのものを取り扱う。どこにも行けないこの状況で、飲み散らかしたエナジードリンクの空き缶が散らばったベッドルームをそのまま音楽にする。2020年は各所でそういうことが起きた年だった。
そんなマインドのフィルターを通ると過去の表層の残骸がまた輝きだすかもしれない。それはそのまま総じて「HYPERPOP」となる。これは偉大な発明だろう。
2019年に初めて「100 gecs」を聴いた時に、僕は彼らについてあまり理解できていなかった。(たぶんTomgggさんのリミックスで知った)
一見するとCrystal Castlesみたいな感じで、北米圏からまたエモ系のオルタナティブラッパーが出てきたの?という雑な見方でスルーしていたが、その後にリリースされたリミックスアルバムの布陣(A.G. Cook、Charli XCX、Rico Nasty、Dorian Electraなど)を見てこれは何か面白いことが起きそうだなと追いかけ直した。
今年の夏ぐらいだろうか、このシーンにとって重要なアーティスト集団であるsix impalaを知ったことで、個人的な興味がさらに増していった。オンライン上の匿名集団カルチャー、サンプリング、ミーム、高速ブレイクビーツ、非ボーカル的なアプローチでトラックメイクの側から極限までにポップに近づく姿勢は100 gecsとは異なる「HYPERPOP」の1面を表現していた。
それはブレイクコアカルチャーの再来なような気もしたし、リスナー側のマインドも整ってこういうことがやれる時期が限られているのは過去の経験から良く知っているので、この熱が冷めないうちにマルチネとしても何かしらこのシーンに応答したいという気持ちが生まれていった。
100 gecsを聴きまくっていそうだったhirihiriに声をかけて「HYPERPOP」をテーマにしたコンピをやりたいから1曲提供してくれ、あと面白いトラックメイカー紹介してと相談して、後にマルチネからリリースされることになるコンピレーション『???』の企画をスタートさせた。
コンピレーションをマルチネからリリースするにあたって、どの程度「HYPERPOP」との距離感を設定するか気を使った。マルチネは旧世代でもあるわけで、日本でもSTARKIDSだったり世代交代した面白い動きがある中で、ピュアな新世代の邪魔になるのも良くないし、マルチネからの応答として面白味がない。かとって、距離を取りすぎても届いて欲しい層には届かない。そのバランスを考慮して少しずつ制作を進めていった。
Twitterでめっちゃそのあたりの音を呟いていたウ山あまねを誘ったり、coa whiteにHYPERPOPなトラックを送りつけてこういう感じでやってみて欲しいと無茶ぶりしたり、無人島の情景のようなunlucksiによるトラックをあえてラストに配置したりと、各アーティストの人選と楽曲を調整した。
アートワークはTwitterで見かけたイラストが印象に残っていたレパーにお願いし、その頃にちょうど制作をしはじめたというアルミニウムへのイラスト転写をスキャンしたものになっている。
この数年のマルチネは個別リリースは滅茶苦茶良いのだけれど総体としてみると本当にマニアックなルートを辿っていてわかりにくかったので、1つの中継地点としてこのコンピレーションで少しはわかりやすいリリースが出来てよかったのではないだろうか。
「HYPERPOP」は、一過性のブームかもしれない(過去の経験から躁タイプのブームが過ぎ去るのは早い)けれど、このマインドを持つことによって面白がれる幅が広がったことは確かで、ステージがチェンジして想像力の余剰が出来たことを僕はポジティブに捉えたい。今年も良い音楽と良いアーティストに出会えることを祈って。