【インタビュー】Dos Monos『Dos Siki』|新しい快楽を生み出すための音楽と批評

荘子it(ラッパー/ビートメイカー)、TaiTan(ラッパー)、没(ラッパー)から成るヒップホップグループ、Dos Monosの4曲で構成されたセカンド・アルバム『Dos Siki』は、音と言葉の濃密さにおいて、近年の日本のヒップホップのなかで際立っている。濃密さとはつまり語彙力の豊富さ、交錯する文脈の複雑性、サンプリングソースの多彩さ(ナイジェリアのロックをはじめとする様々なアフリカ音楽、ヒップホップ、フランク・ザッパ、ラテン音楽=サルサ等々)とその重層性(または音数の多さ)である。そして、彼らは本作を4曲入りのアルバムと定義する。

 2015年、1993年生まれの中高の同級生によって結成されたDos Monosは、2019年3月にファーストアルバム『Dos City』を発表して以降、活動の領域を一気に広げて現在に至る。インタビューではアルバムの話と共に、そのことについても触れられる。が、それだけではない。彼らなりのセルフ・ボースティング観、ズレを強調したグルーヴ、カッコいいと面白い、そして新しい快楽を生み出すための音楽と批評について。1万3千字をこえるロングインタビューをお届けしよう。

取材・文:二木信

表現者の全体性で意味を持つラップ

- ファーストの『Dos City』をリリースしてから約1年半ほど経ちましたね。いろんな変化があったんじゃないでしょうか。

荘子it - そうですね。『Dos City』の評判が良くてそのおかげでいろんな活動につなげられた。フィーチャリングに呼ばれたり、ラジオ番組(毎週第4木曜日block.fmにて『TOKYO BUG STORY』を放送中)が始まったり、文章を書いたり、いろいろやっていました。外でいろいろチャレンジしてDos Monosに戻ってくる感じです。

没 - いまは外からの刺激を受けて動いていますね。

荘子it - Dos Monosは最初、僕が大学時代に作り溜めたヒップホップのビートを世に出すためのプロジェクトで、そこで完成したのが『Dos City』だった。だから、あの作品は、バンドのようにメンバーが集まってジャム・セッションで音楽的実験を試みていく過程で仕上げたものではなかった。僕は大学で映画を学んでいたり、TaiTanは大学時代に演劇をやっていたり、それぞれのバックラウンドがあって、それらのカルチャーを結びつけるものとして音楽とDos Monosを捉えていますね。一種のプロジェクトではある。

TaiTan - Dos Monosをハブとしていろんな領域で活動している人たちと握手できるポイントをそれぞれが探している。いま個人的にはDos Monosが社会と接続する部分で何かが表出してしまう瞬間が面白いと考えているんです。そのことを、最も愚直にやったのは、台湾のIT担当大臣のオードリー・タンのインタビュー音源を公式にサンプリングして制作した“CIVIL RAP SONG”です。自分は、コロナ禍のなかでいま起きていることや、こうした状況下でDos Monosが台湾のIT担当大臣と共作することそのものが重要だという思いを込めて、反射神経でリリックを書いてみました。このプロジェクトに誘ってくれたのは若林恵さん(編集者。『WIRED』の日本版編集長を経て、2018年、黒鳥社(blkswn publishers)を設立)ですが、ここ1年ぐらい、そうした音楽以外の領域でハブになっている人たちからの反響は多くあったし、それは僕らが望んでいることでもありました。

- なるほど。『Dos Siki』、とても興味深く聴かせてもらいました。まずラップとトラックのミックスのバランスが面白かったです。いまのヒップホップのミックスはラップをすごく前に出すのが主流じゃないですか。だけど、Dos Monosは、ラップ、声が前に出ていない。それはひとつの特徴ですよね。

荘子it - つまり、トラックやビートが目立って、ラップが後ろに引っ込んでいるっていうことですよね。例えば、音数が少ないビート上で、スピーカーの前に人が立ってラップしているのか、と感じるぐらい声が前に出ている舐達麻のラップとは対照的ですよね。それに比べれば、僕らはスピーカーの後ろから歌ってトラックに溶け込ませるようなミックスになっている。それは僕の好みで、ミックスを担当してくれた(Illicit) Tsuboiさんとやり取りしながらそういう音にしている。2人にはそれに対して意見や異論があれば、随時出してほしいと伝えているけど、そこまで意見は出なかったので、それでいいということなのでしょうね。

没 - Dos Monosの音楽はビートが担っている部分が大きい。特に『Dos Siki』はそうだと思う。どうしてもこのパートやアクセントだけは声を前に出してほしい、というのは伝えたけれど、全体としてはこれでいいと思いますね。

TaiTan - 荘子itも挙げた舐達麻は、音と声、ラップがセックスするようにシルキーに交わっていますよね。

荘子it - 音の分離がいいってことだよね。

TaiTan - そう。そもそも僕の発音が聴き取りづらいのはあるんだけど、Dos Monosはどちらかと言うとラップとビートが格闘したり、言葉が音に埋もれてしまうぐらいの感じが面白いと感じているんです。それと、そもそも前作の『Dos City』は、3人で作っているときは世の中に出すつもりがないぐらいの状態で作っているから、何かを外に伝えるというより、当時の私的なフェチやナンセンスをリリックにしている。そういう非社会的な存在としてDos Monosは始まっているんですよね。ただ、今回はリリックの書き方にしても、もう少しいまの世の中や、普遍の事象に接続できる部分を意図的に持とうと考えました。2曲目の“Aquarius”も愛の歌というテーマを明確に決めて書いている。ただ、荘子itに「1ミリも伝わらない」って言われましたね(笑)。

荘子it - もちろん俺は変化を感じるけど、TaiTanをよく知らない人に対して伝わるほど直接的な歌詞ではない、ということだよ。しかも、TaiTanのフロウは3人のなかでいちばん意味をフニャフニャにさせてしまうし、ある意味で音楽的に聴き流せる。

TaiTan - 荘子itくんはわりと言葉をしっかり置いていく。俺の聴き方だと、例えば、MC漢さんのような感じなんです。言葉がドスンドスンドスンと入ってくる。俺とかは言葉が流れで聴かせられればいいやってラップをしている部分もある。

荘子it - 俺はむしろ言葉は聴き取れるんだけど、何を言っているのかはわからないという違和感を狙っている。めっちゃ明瞭によくわからないことを言われている、と。

TaiTan - ふふふふ。いきなり「バスキアに憧れたヘンリー・ダーガー」(“The Rite of Spring Monkey”)だからね。

荘子it - いや、でも、それはわかりやすいじゃん。つまり、ストリートに憧れた引きこもりってことだよ。

‐ 荘子itさんのラップは膨大な引用を用いて筋道を作ろうとしていますよね。例えば、“The Rite of Spring Monkey”のセカンド・ヴァースの冒頭には、ドイツの哲学者であり音楽評論家でもある、テオドール・W・アドルノの「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮」という有名な一節があります。

荘子it - もちろん引用元を知っている人からすれば「何をいまさら」という引用もあるかもしれないけれど、自分のラップのなかにある全部の引用元や複数のコンテクストがすぐにわかる人はいないと思う。僕のラップの頭からケツまでのすべての意味がスッと入ってくる人はおそらくいないんですよ。ただ、僕は辞書を読んだり、ネットを見たりしながらカットアップ的にあえてナンセンスな歌詞を書くのではなくて、自分の頭のなかに浮かんできたとおりに書くんです。そのコンテクストを内面化してリアリティを持っているのは自分以外いないんだけど、意味としては通っているし、経験的な背景もある。それがつまり、聴き手にとって「めっちゃ明瞭によくわからないことを言われている」状態を生む。ところで、“The Rite of Spring Monkey”のファースト・ヴァースには気が狂った人ばかりが出てくるんですね。アウトサイダー・アーティストのヘンリー・ダーガーから始まり、雛見沢症候群に罹患した患者たちがサミュエル・フラーの『ショック集団』の映画のように精神病院の病棟に閉じ込められたなかでワーッと暴走し始める。アウトロでワーッという歓声が上がりますが、あれはその『ショック集団』の精神病棟の暴動シーンからサンプリングしているんです。ストラヴィンスキーの“春の祭典”を引用した“The Rite of Spring Monkey”はタイトルどおりの春の曲なんですけど、多摩川で没と昼飯を食いながら話しているときにアイディアが浮かんだんです。「春と言ったら何だろうか?」と俺が問いかけると、没から「春はとにかく気が狂っている人が多い」とぶっこまれて(笑)。そういうどうでもいい話から曲の着想を得る部分もありますよね。

没 - いや、そこまで乱暴な言い方はしてないけどね(笑)。俺はかつて、公共交通機関みたいなところで働いていたんですけど、そうすると、毎日、大量のいろんな人を見るわけですよね。で、春になると、あからさまに叫ぶ人とか、気が狂った人が出始めるんですよ。

- リリックの話をもう少ししたいんですけど、先ほど話が出たオードリー・タンとの共作にまつわる『現代ビジネス』でのDos Monosと若林恵さんとの鼎談「コロナに覆われた2020年、根深すぎる『政治と文化』の関係を考える」が面白かったです。そこで、荘子itさんは、ヒップホップはジャーナリズム的ではあるが、一方で、「パフォーマティブな次元が加わることによってメッセージが重層的になる。アーティストの仕事はそこに本懐があると思っています」と語っていますね。とても重要な指摘だと思いました。この点についてもう少し話してもらえますか。

荘子it - 自分のリリックに関して言えば、誰にとっても価値のある文章にしようとは一切思っていないんです。例えばRHYMESTERの宇多丸さん。僕は中学生のころから映画ファンとして宇多丸さんのラジオの映画評とかが大好きだったんです。その宇多丸さんは、頭からケツまで文章として読んで変じゃないリリックを書くことに拘りがあると、確かどこかで仰っていた。リスペクトを込めつつ、率直に言えば、僕はそのリリックの書き方は不毛なことだと思っているんです(笑)。つまり、言葉遊びがメインだった日本のラップに規律を持ち込んだ。いちどラップを精緻に文章化してみよう、と。そういう方法論を持ち込んだことはある種の実験だったとは思いますし、それは場合によっては非常にクリティカルな行為だと思う。だけど、本質的にはあまり意味がないのではないかと。なぜならば、ラップの言葉は、ある特定の人間が発話しているという表現者の全体性で意味を持つものだからです。もしかしたら作詞家であれば、誰が歌っても価値を持つ歌詞を書くことに意義があるかもしれない。でも、自分は荘子itというラッパーとしてラップを書き、パフォーマンスしているわけだから、リリックの文意が通じているとか、そういうことより大事なことがあると思うんですよね。目的は「文意を伝えること」ではない。だって、自分が考えていることや意見を伝えるのが最終目標だったら、こうしてインタビューだけしていればいいじゃないですか。そうじゃなくて、表現者の全体性でもって存在を伝えることが目的なんですよ。

- つまり、「何を言うかではなく、誰が何をどう言うか」にラップの醍醐味がある、と。

没 - Dos Monosをやっていて面白いのは、3人で言葉を作り出していくところなんです。荘子itはこれまで蓄積してきた知識や文脈をラップにして表現していると思うけれど、俺はある言葉をラップすることによってその言葉の力を借りる感覚なんです。シャーマンとかイタコじゃないけど、そのときのそういう自分になるために適した言葉を選んで表現していますね。

荘子it - 僕はそういう透明なメッセンジャー性や透明な視点というのを信じていないですね。現代人にそれはほぼないと考えているタイプだから。僕のリリックは英語に翻訳すると3人の中ではわかりやすいんです。構造的に言えば、古典的だし、筋が通っている。それが一聴した感じではわからないのを狙っているだけで、実はめちゃくちゃなことは言っていない。だからある意味で“宇多丸イズム”を受け継いでいるんですけど、すごい深い部分に隠ぺいしている(笑)。

TaiTan - 僕はさっき「社会と接続する部分で何かが表出してしまう瞬間が面白い」と話したじゃないですか。そこで言う、社会というのは、時事問題や政治という意味ではなく、いわゆるコンシャス・ラップをやりたい、ということとも少し違う。社会のなかにある言葉をTaiTanというラッパーが紡ぐならこうなる、ということのトライアルなんです。ファーストのときみたいな、ただただナンセンスな言葉をつなぎ合わせて、「これが俺だ!」というやり方は変えたつもりです。より他者に伝わるような言葉で紡ぎたいから、自分はあまり固有名詞を多用しないように心がけている。

荘子it - そのTaiTanの意識の変化は、いまはナンセンス文学やナンセンスな表現方法が無効な時代だからですよ。ある時代にナンセンスが持っていた社会に対する効力が潰えていることに気づいて、TaiTanはファーストからアプローチを変えたんだと思う。だけど、TaiTanはより通じる言葉や表現を目指しているけれど、もともと社会性を内面化したヤツだと思うから、根本的にやろうとしていることはファーストの頃から変わっていないと思う。

セルフ・ボースティングの時代

- 『Dos Siki』を聴いて、3人のラップの根幹にはヒップホップ的なセルフ・ボースティングがあるなと感じました。

TaiTan - それは面白い指摘ですね。たしかにそう言われると、ラップ特有の攻撃性に意識的になって書いたのが、“Estrus”ですね。それはファーストのころやっていた手癖というか、ハンマートイで後ろからポコンと殴っちゃうみたいなノリが色濃く残っていたりする。

- TaiTanさんは“Estrus”で「スキルがねえならばただの骨付きミートボール」「札なしで 生まれたてのままで/ゲーム滅ぼすレベチに成り上がる」とラップしていますね。

荘子it - だって俺は、「俺らを知らなきゃモグリだ」(“Estrus”)ってラップしていますもんね(笑)。

没 - でも歌詞だけ聴いて読んでもセルフ・ボースティングと思う人はあまりいないかもしれないけれど、リリックを書くときの意識はめちゃセルフ・ボースティングですね。それはもう言い当てられてしまった、という感じですね。

荘子it - セルフ・ボースティングはヒップホップにおいてクリシェ化しているわけだから必然的に出てくるよ。前作のインタビューのときにも話しましたけど、パゾリーニが究極の表現は自由間接話法じゃなきゃダメだと。つまり直接話法や間接話法みたいな発話者が明確な表現じゃなくて、言葉が湧いてきたかのように芸術は語らないといけないって。つまり僕は、ヘンリー・ダーガーであり、バスキアであり、荘子itであり、雛見沢症候群の患者である状態で表現している、そういう表現を志向している。いわゆる自分をだれかに喩えて自分を強固にする方法がありますよね。「I'm like~」という表現で自分を倍加させる方法ではなく、俯瞰した視点で自分も登場人物のひとりとして使っているんです。もっと言ってしまえば、いまは“セルフ・ボースティングの時代”じゃないですか。その人がセルフ・ボースティングする気がなくても、結果的にしているんですよ。SNSなんてセルフ・ボースティングの塊ですよね。自分の好きなものを自分の文脈で一人称で語り、訴えかけている。だからやっぱりいまは映画やテレビの時代じゃないんです。SNSやYouTuberの時代なんです。ただ、僕は映画を学んでいたぐらいなので、むしろそこには懐疑的で、だからいま語ったようなラップの方法論で自己を捉え返そうというのは意識的にやっていますね。なぜならば、いまはほっといてもセルフ・ボースティングしてしまう時代なわけですから、それを無邪気に肯定的にとらえることはできない。そこからはある程度身を引きはがしたいなと思ってやっていますね。自己批判している風のセルフ・ボースティングもあるわけじゃないですか。

没 - 「自分は自己批判ができる人間だ」というセルフ・ボースティングだよね。

- サウンドに関して言うと、より音が重層的になり、シンプルなループだけではなく、展開も激しくなっていますね。荘子itさんはともかく、他の2人はトラックにラップを乗せるのも苦労したんじゃないですか?

荘子it - でも最近のMIKEやEarl Sweatshirtのビートの方がもっとラップしにくいと思いますよ。ほとんどビートが打っていなくて、「ディ~ディリリ~リ~♪ ディ~リリリリ~ディリ~♪」みたいな上モノがずっと鳴っているなかで、「そのままラップ始めるつもり?」って感じじゃないですか。それに比べれば、ブーム・バップのビートだし、ラップはそんなに乗せにくくないと思う。でも1曲目の“The Rite of Spring Monkey”は、それなりに新しいことに挑戦していますね。基本4で区切って気持ち良いのがブーム・バップですよね。でもこの曲では、トラップの3連符のノリではない、3連符の可能性に挑戦している。Dos Monosが「アフター6ジャンクション」(TBSラジオの宇多丸がパーソナリティを務める番組)に出演したときに、宇多丸さんが「ノリづらいビートですね~」って言ってて、実際にあんまりノレてなかった気がします(笑)。

- ははは。とはいえ、どの曲もノリ易いとは言い難いのではないかなと。

荘子it - まあそうですね。ただ、Earl Sweatshirtのビートのノリづらさと荘子itのビートのノリづらさは根本的に違うんです。MIKEやEarl Sweratshirtはビートがないけれど、個人の身体感覚に基づいたあるルールに則って一定のフロウでラップしているんですよ。また、最近、国内のジャズ・グループのミュージシャンと会ったりもするんですけど、ドラマーがリズムを刻んでいないのに演奏はグループ内で培って共有されたグルーヴに基づいて精緻に進行する。その一方でDos Monosは、誰がどう聴いても、俺ですらズレを感じているし、そのズレてるレイヤーをあえて図式的に持ち込む。これはあきらかに菊地成孔のDC/PRGと同様のコンセプトを意識しています。だからDos Monosの音楽は、アメリカのブラック・ミュージックのファンキーさに繋がるノリとは異なる、日本が置かれている音楽的状況にかなり適応していると思う。

- “ズレてるレイヤー”という言葉から思い出すのは、ライターのジェームズ・ハッドフィールドが『The Japan Times』の『Dos Siki』のレヴューにおいて、“The Rite of Spring Monkey”について「まるで複数のYouTubeのビデオをいちどに聴いているかのような錯覚に陥ってしまう効果がある」と評した箇所ですね。

荘子it - 要するに“ズレを強調したグルーヴ”ということなんです。この“ズレを強調したグルーヴ”という言葉は僕らの公式バイオグラフィーに長いこと書いてあって、何かを言った風で何も言っていないと思われているんですけど、実は何かを言っているんですよ(笑)。ズレを強調するというのはグルーヴィーなノリを目指すというよりも、ズレの方を強調したグルーヴを目指しているということ。だから、アメリカのファンキーなノリとは違うんです。

没 - ラップを乗せるのが大変かどうかの話で言えば、俺はめっちゃ楽なんですよ。ビートに導かれて歌詞が書けるので、30分で書いたリリックもある。

荘子it - それはビートが求めているラップ、フロウがかなり明確にあるからなんです。トラップのビートだったら、おのおののスタイルで競い合おうってなるけれど、Dos Monosでそれをやると収拾がつかなくなる。

- なるほど。ウワネタの重層性があり、あれだけ音が詰まっているから、ラップがハマる空間が限定される、と。

没 - そうですね。音程も決まる。

TaiTan - 僕はかなりオンで乗せるので、1、2、3曲目に関しては、そんなに苦労してはいない。ただ、4曲目は苦戦しました。「これはどうしたらいいんですか?」と面食らいました。ただ僕はDos Monosに最適化されたラッパーであって、一般的なラッパーっていう自意識がまだ芽生えていない。荘子itの教育しか知らない、外界を知らない「籠の鳥」(“The Rite of Spring Monkey”)なんで(笑)。

荘子it - TaiTanに昔はBig Lをすすめましたね。俺らは90Sのブーム・バップの系譜にあるし、そこで高い声のラップといえば、Big Lでしょうと。最近だと、高い声のラッパーとしてWIKIをすすめましたね。とはいえ、それを彼が参考にしているかはわからないです。

TaiTan - 僕はそもそも原始的な発話に面白さを感じてラップしているんです。僕は大学で5、6年演劇をやっていたんですけど、最終的にたどり着いたのは、舞台上で人間が言葉を発しているのを黙って観ている構図自体が面白いということ。ラジオのパーソナリティが言葉を発して、誰かと接続してしまっているのもこのインタビューの場もそう。僕はDos Monosの活動として個人的に意欲的にやっていることのひとつに「TOKYO BUG STORY」というラジオがあるんですけど、発話を通じて人と直接回路ができることがそもそも面白いと思っている。「ラップの何が楽しいか?」と問われると、そういう原始的な発話の部分。さらに自分が口から出した言葉が誰かの脳に届いているという感覚を面白いと感じている。かつそこに意味が乗っていた場合は自分の意図通り届かなくても、その人のなかで言葉が着床しちゃう可能性に、喜びとエロスを感じている。

没 - “Aquarius”はInjury Reserveをフィーチャリングしたから、俺がリリックを英訳して彼らに送りました。

TaiTan - 没が英訳したあとに、「お前、これ、『君の名は。』じゃねえかよ?」って言われて。現世で生き別れた者同士が、リインカーネーション、転生して、分子の配列は有限だけど時間の配列は無限だからいつか巡り合ってしまう、というベタなモチーフをDos Monosのなかでやったら面白いんじゃないか、と。そういうのを恥ずかしげもなくやっているのがDos MonosにおけるTaiTanですね。

荘子it - まあ『君の名は。』のモチーフはSFによくあるものだからね。グレッグ・イーガンのようなハードSFのような難解な小説のなかの物語の骨子になる筋もそうだったりしますからね。

新しい快楽を生み出すための批評

- ところで、ナタリーのインタビューで荘子itさんは、「『ただ楽しいだけの音楽より、現実の世界にコミットした文学や映画のほうに価値がある!』と本気で考えていました。(中略)純粋無垢な音楽なんてものはくだらない!というところまで一度はいきました(笑)」とかつての音楽観について語っていましたが、その点いまはどうですか?

荘子it - 基本的な考え方は変わっていないかもしれない。音楽が好きだったのか、音楽じゃない視覚表現が好きだったのか、幼少時代からわからなかった、と、ナタリーの記事では語っていたと思う。元々は漫画が好きで、絵を描くのが好きで、たまたま音楽を聴いていたんです。だから、自分に最初にどっちが衝撃を与えたかはわからない。映画は、音楽的な陶酔感もあるし、視覚表現ならではの側面や、文学性もある。自分がいまやっている「グルーヴよりズレを強調する」というのは、ある意味で映画的なアプローチで、やりたいのは、映画よりは音楽寄りな何か、音楽よりは映画寄りな音楽。

- 批評行為を伴い、批評性があるという意味での“映画寄りな音楽”?

荘子it - そう。批評行為がいわゆる快楽を遠ざける方向ではなく、新しい快楽を作り出す方向で使えるようにしているし、したいんです。音楽が気持ち良いからと言って、その音楽を気持ち良くさせなくする批評ではなく、新しい気持ち良さを提供するためのズレをやろうとしている。結局は自分が気持ち良いだけじゃねえか、というのはあるかもしれないけれど、批評的に意図して作っているところと、ただただ気持ち良いと思って作っているところが、高いレベルで混じりあっているときがある。考えて入力している音が、DTMを介してスピーカーから返って来たときの自分の体の反応は意外なんですよ。それは、自分の体の反応がいちばん最初の他者の反応だから。そのときに体がより乗ってきてごく単純に快楽を追求していることもあるけれど、その快楽を増幅させるための批評もそこにあるんです。

没 - 俺はDos Monosはいまのところ上手くやれ過ぎているのがイヤですね。あまり外れたことができていないなって。

荘子it - もっと冒険したいと。

TaiTan - 没はそうだよね。根がスカムだから。俺が、Deathbomb Arcのホントにわけわからないビートにラップを乗せなければいけないときに、もうどうにでもなれと「ウェ~イッレイウェイ♪」みたいなハチャメチャなラップをやったら、没が「お前、天才だな!」って言ってきて、こういうのが好きなんだなって再確認した。

荘子it - ゲテモノ好きなんだよね。

没 - そういうのが好きなんですけど、ラップをすると下手に上手くできてしまう。

TaiTan - ふふふふふ。天才の苦悩(笑)。

没 - いや、ただ、スカムを志向しているスカムは好きじゃなくて、ちゃんとした音楽をやろうとしたけど、ミスった、というのが好き。

荘子it - そうそう。音楽が好きなのか、音楽が台無しになる瞬間が好きなのか、両方なんでしょうね。

没 - そういう瞬間をラップのレコーディングで表現し切れていないところに満足がいっていないんですよ。

荘子it - 俺は録音のなかでそこをすべて含みこんで完成させようとは考えていない。レコーディングではひととおりのエグみが録音されるだけで、ライヴの度に別のエグみが出るわけだから。ただし、上手くできちゃう問題は理解できるよ。僕は自分の作ったトラックをキャラクターに喩えるんですよ。「ドラえもんを作った」みたいに。そうすると、それを基にして下手なドラえもんの絵やアヴァンギャルドなドラえもんの絵が勝手に描かれるじゃないですか。高尚な絵画は、ピカソとかは別だけど、わりと繊細な曲線で描かれていますよね。でも俺はドラえもんみたいにぶっとい線でちゃんとキャラクターの輪郭を描いている。つまり俺はイデアを作るだけでいい、と。そういう意味でDos Monosは輪郭線だけはしっかり描いているんです。

- つまりその輪郭線が、ヒップホップやラップというフォーマットということですよね。

荘子it - そうです。

没 - 俺は自分自身でさえ把握できないものをやりたい、というのがある。

荘子it - いちリスナーとして俺は没にタイプが近いんです。キレイにまとまっている音楽を聴くよりもめちゃめちゃ変なフェティシズムが出ていたり、エグみがあったり、音響的に変なものを聴きたい。商業的にパッケージングされた音楽はあまり聴きたくない。だけど俺は、輪郭線が濃いNirvanaみたいな音楽から出発して、どんどんズレていまに至るから、リスナーのなかから勝手に芽生えるものを信じている。つまり、ものすごいフェティシズムがあふれたエグい録音のカルト盤の魅力もわかる一方で、そういうフェティシズムを輪郭線が強調された、パッケージングされた商業音楽から引き出せる可能性はあると思っている。だから、俺のなかでは浜崎あゆみからDerek Balleyまでが一直線でつながっているんです。俺はそういう美学に基づき次の浜崎あゆみを作る(笑)。それは売れる、売れない、という意味ではないです。輪郭線が強調された、新しい音楽を作るということです。

TaiTan - たしかに芝居とかでも「これがシュールでっせー」ってやられるとすごくキツイ。俺もそのあたりについては最近よく考えます。Dos Monosにははたしてどんな面白さがあるのか、と。これまでもインタビューとかで、便利だから、バグって言葉を使ってきてしまったんですけど、そこの解像度がプレイヤーとしてまだ突き詰められていない。荘子itくんはいま何が面白いと思う?

荘子it - いまはカッコいいことが面白いと思う。カッコいいとかイケメンであるとか美しいとかは、かつては、“面白い”というような低俗な価値の上にあったと思うんです。それが、いまやその面白いという価値と等価になっている。やっぱり、目的は価値の転倒なんですよ。既存のカッコいいとは異なるカッコいいを作り出したい。たとえば、いまNirvanaを本気で聴いているヤツがいたら、そいつをカッコいいと捉えるよりも、痛いヤツって多くの人が捉えちゃうじゃないですか。ただ、そういう性格の悪い視点を乗り越えた段階で、カッコいいと面白いが等価な位置に持っていきたい。そこを目指しているところはありますね。

- いまTaiTanさんからバグという言葉が出ましたが、『Dos City』のリリース時にインタビューさせてもらったとき、「バグとかノイズって言っているDos Monosがアングラで終わったら負けだとは思っているんです。メインの異物として存在しないと僕たちが生きている価値はないと思っちゃうんですよね」と語っていましたが、それから1年半経ってどうですか?

TaiTan - 例えば、今年、雨のパレードと共作した“惑星STRaNdING”という曲を発表しましたけど、そういうときに彼らのフィールドで戦ってしまったら何の意味もないと思うんですよ。そういうときこそ、上手くやろうと考えないようにしていますね。

荘子it - 冷静にTaiTanのラップを聴くと、声とかふくめて気持ち悪いじゃないですか(笑)。およそメジャーの音楽チャートには本来入らない声をしている。そういう声が、メジャーの世界に入っている面白さですよね。有名なポップ・ソングをめちゃくちゃ下手なリコーダーの演奏で吹くっていうYouTubeの動画って面白いじゃないですか。ただ、それだけだとネタに過ぎないし、ゲスなお遊びになってしまう。だから、今回の『Dos Siki』ではああいう演奏を聴く快楽を真面目に作品化しているという意識はあります。アンダーグラウンドのフェティシズムの世界でわかっているヤツらがドロドロしたものを楽しむのとも違うし、完全に商業化され切っているわけでもない。そういうあいだの領域に混入しようとしているのがDos Monosですね。

- では、今後についてはどうですか?

荘子it - 自分はソロ作品を作りたいですね。そこではラップにこだわらず広い音楽性でやりたい。思い返すと、僕がヒップホップやラップに触れたのは、Nirvanaとか同じ時期に聴いたBeckだった。『Odelay』とかですね。そのときは、ミクスチャーのなかで、歌では表現できない、いなたさの表現としてラップがあるんだなと、倒錯した捉え方をしていた。歌でできない表現をラップでしているんだなと捉えていた。そのBeckは90年代に、カッコいいと面白いが等価な存在としていたと思うんですけど、最近好きで聴いているYves Tumorは、そういう意味でBeckの現代版ではないかと僕は思っている。Yves Tumorはラップもしないし、Beck的ないなたさもないけれど、あれこそが現代のカッコいいと面白いが等価な存在ではないかと。耽美的であり、クイア性を打ち出し、歌い方もDavid Bowie的なグラムっぽさがあったりする。その一方で、いろんな曲を聴いていくと、音楽オタク的な意匠が散りばめられているのが理解できる。そうしたバランスが面白い。僕もソロではそういうことをやりたいなと。

没 - 何周かした音楽オタクだよね。

- Dos Monosに関してはどうですか?

荘子it - 今回は事前リミックスの企画もやったんですけど、すべて狙い通りだったというよりは、なし崩し的な部分もあったんです。TaiTanが、Dos Monosはただ普通にやっても売れないから、まず広告を出そうと言ってきて。

TaiTan - いや、そんな言い方はしていない(笑)。ただリリース広告出すだけなら誰でもできるから、作品を補強するコンテンツを広告として出そうってことでしょ。

荘子it - うん。そこで俺の『Dos Siki』のAbleton Liveの制作画面を公開して、その画面だけを見てリミックスをしてみてくださいと呼びかけた。自分が人のリミックスをするのは好きなんですけど、自分が濃密な作品を作っているという自負があるから、リミックスをしてほしいとかいう欲望はあまりないんです。ただ、誰も自分の曲を聴いたことない状態であれば比較されることもないし、制作画面を見てリミックスするというのはキャラクターの二次創作にも通じるし面白いなと。そうしたら、たしかに面白い効果があって、10曲ぐらいのリミックスが集まったんです。今後、そのリミックスを再編集して、原曲のラップを乗せようかなと考えています。また、自分の『Dos Siki』のトラックに別のヴォーカルを乗せる試みもしてみたい。自分の徹底的にこだわり抜いた作品を基調にどれだけ変えられるか、というキャラクターの二次創作的領域ですね。ただ、エゴはめっちゃあるから、キャラクター自体は侵害してほしくないんです。僕はそんな感じで、TaiTanはDos Monosの作品をどう社会のなかで転がして面白くしていくかを考えていると思う。

TaiTan - いわゆるMVみたいなものに少し飽きているんです。その分野は、予算が物を言うじゃないですか。中身に関しても、それこそ気を抜くとボースティング仕草ばかりになったりして、正直退屈だなと。そういうアプローチにノリ切れない部分もやっぱりあるんです。そういうMVよりは、さきほどヒップホップとジャーナリズムみたいな話も少し出ていましたけど、社会とのかかわりのなかで面白いことができないかを考えていきたいですね。

荘子it - 俺らだけでなく、世界中のミュージシャンが、新曲を出して、MVを出すというサイクルをあまりに無批判にやり続けてきたんじゃないかな。

TaiTan - MTV以降でしょう。

荘子it - MTV以降音楽とヴィジュアルがセットになったのはたしかで、それは当時は発明だったわけでしょ。同じようにYouTube以降、新曲を出してMVを出すといういまや定番化したサイクルも当初は新鮮だった。でも、それが果たしていま必然的なサイクルなのか? また、アルバムは8曲以上必要だったのか? 4曲で良かったんじゃないか、とか。今回ぐらいの曲を集中して作るのは4曲が限界なんですよ。これほど濃密なものを他のビートメイカーにも作ってほしいですよ。

一同 - ははははは。

荘子it - セルフ・ボースティングの塊みたいな発言になりましたが(笑)。

没 - アルバムが出たら普通はプロモーション込みのツアーをするじゃないですか。それがこのコロナの状況でできないのも面白いかもしれない。さらに曲をポンポン出してもいいわけだし、既存のサイクルができないと悩んでいるだけじゃつまらないから、そこで新しいことを考えたいですよね。

荘子it - 毎日セックスしていた彼女といきなり別れて、新たな性生活に開かれる状況と似ていますね。いま、新たな快楽の構造を発見するチャンスです。

Info

Dos Monos 『Dos Siki』

7月24日(金)より各種配信サイトにてデジタルリリース

<収録内容>
Tr-1 The Rite of Spring Monkey
Tr-2 Aquarius (feat. Injury Reserve)
Tr-3 Estrus
Tr-4 Mammoth vs. Dos Monos

http://809.lnk.to/dos-monos_dos-sik

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The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

Floating Pointsが選ぶ日本産のベストレコードと日本のベストレコード・ショップ

Floating Pointsは昨年11月にリリースした待望のデビュー・アルバム『Elaenia』を引っ提げたワールドツアーを敢行中だ。日本でも10/7の渋谷WWW Xと翌日の朝霧JAMで、評判の高いバンドでのライブセットを披露した。