【あの服の、ルーツミュージック Vol.1】 | トビー・フェルトウェル(C.E)

カルチャーという枠組みの中で、ファッションと音楽は切っても切れない関係のはず。だけど、現在の日本では両者があまりリンクしているように思えない。音楽、ファッション、カルチャーの記事を配信する「FNMNL」的に、これは由々しき問題。というわけで、始まったのがこの新連載「あの服の、ルーツミュージック」。音楽と深く結びついたアパレルブランドの中心人物に、極私的なルーツミュージックを聞いていきます。

記念すべき第1回目に登場してもらうのは、C.Eのディレクターであるトビー・フェルトウェル(Toby Feltwell)。C.Eの音楽的要素を内包した文化的な洋服はどのようにクリエイトされているのか? トビー氏のルーツミュージックを辿りながら紐解いていきたいと思う。

取材・構成  : 宮崎敬太

撮影 : 寺沢美遊

誰も知らないアーティストにしか興味がない、ただのナードな音楽好きだった

- トビーさんはイギリス出身ですが、もともとはスケーターだったんですよね?

トビー・フェルトウェル - はい。最初のきっかけは、12、13歳くらいの時に読んでたBMXの雑誌でした。僕のお姉ちゃんのボーイフレンドの影響で興味を持ったんですが、僕はBMXより雑誌の中で小さく紹介されてたスケートボードが気になったんです。単純にデッキのグラフィックに惹かれました。それからスケートボードを手に入れて自分でいろいろ調べていくと、どうやらスケーターが聴くべき音楽があるというのを知りました。

そこからはポップミュージックではなく、アメリカの音楽を聴くようになりました。その時に聴いてたのがSuicidal TendenciesやBlack Flag。そういうハードコアパンクを聴きながらスケートをして、ずっと「イギリスはダサい、カリフォルニアに行きたい」と思ってたんです(笑)。

- イギリスというと、音楽の国という印象があるので意外ですね。

トビー・フェルトウェル -  単純に若かったのもあるし、僕自身がすごくナードな考え方を持った人間だったのが関係していると思います。僕の地元はベドフォードという、アンダーグラウンドミュージックの根付いた街でした。ロンドンから100km離れた、グリーンベルトという都市計画の影響で緑に囲まれた小さな田舎街です。有名になる前のアーティストはツアーで必ず立ち寄るので、毎週誰かしらライヴしてました。

ライヴはパブでやるんですが、僕らはそれを楽しみにしてるというより、「今週誰が出るんだっけ?……まあ行くか。暇だし」というような惰性でなんとなく見に行ってましたね。Wedding Presentも普通に見ました。

- そんな恵まれた環境なのに、地元の音楽シーンにはコミットしていかなかったんですか?

トビー・フェルトウェル -  左翼系の 団体が主催してる「LAZY SUNDAY」というフリーフェスがあって、開催の数日前にフェスの支援のためのチャリティーライブをすごく狭いところでやっていたんです。しかもサウンドシステムはバカみたいに大きい、変なパーティでした。フェスに出てるのはローカルなバンドばかりで、半分はレゲエで半分はクラストコアでした。とにかくみんなの臭いがすごかったのを覚えてます(笑)。なにも考えずに行ったんですが、そこで見たLegion Of ParasitesとT.W.E.R.P. のライブが本当に衝撃的で、それからイギリスのローカルなバンドも追いかけるようになりました。

- イギリスのパンクというとスキンズのイメージが強いのですが、トビーさんたちスケーターとの接点はありましたか?

トビー・フェルトウェル -  ベドフォードにはスキンズとサイコビリーの人たちもいましたが、僕は全然接点がありませんでした。単純にすごく怖かったですね。顔に涙のタトゥーが入ってたり、手の甲にハーケンクロイツのタトゥーを入れてる人もいました。でも、ある日見たらそれが「田」の字に変わってたんです。さすがに手の甲にそのタトゥーを入れてると生活しづらかったんでしょうね。それで簡単な修正を加えたんだと思います(笑)。

「LAZY SUNDAY」にはスキンズもよく来てましたよ。ベドフォードにはかなりしっかりとしたジャマイカンコミュニティがあって、「LAZY SUNDAY」にもレゲエサウンドシステムがたくさん出てたので、そこでは普通に共存してましたね。

- スケートカルチャーには不良文化も含まれていると思いますが、トビーさん自身はどんな少年だったんですか?

トビー・フェルトウェル - 僕は全然不良じゃないです。誰も知らないアーティストにしか興味がない、ただのナードな音楽好きでした。そういえばUKファンキーのLil Silvaもベドフォードの人です。

Nation Of Ulyssesが初めてロンドンに来た時のライヴが印象的だった

- ロンドンのスケートボードシーンでは老舗として知られるスケートショップ「Slam City Skates」とはどのように繋がったんですか?

トビー・フェルトウェル - 「Slam」に初めて行ったのは15~6歳くらいの頃です。アンディという高校の先輩が「Slam」で働いてました。歳は3つくらい上だったけど、学校にはスケートやハードコアに興味ある人があまりいなかったので親しかったんです。だから自然と「Slam」に通うようになりました。

入り浸るようになったのは18歳の時です。大学受験の直前、僕は突然進路を変えたくなったんですが、そうすると1年スキップする以外に選択肢がありませんでした。だけど僕は早くロンドンに行きたかった。そんな時イタリア政府がやってるイタリア語の語学学校の存在を知ったんです。毎日通わないといけないので、ロンドンに行く口実にもなりました。学校が終わると、毎日「Slam」に行って誰かと会って話したり、スケートビデオの文句を言ったりしてました。

- ロンドンでもハードコアパンクのライヴに行ってたんですか?

トビー・フェルトウェル - 一番印象的だったのは、何年だったか忘れたけどNation Of Ulyssesが初めてロンドンに来た時です。「Sounds」という音楽紙で告知を見つけた時はもう本当に信じられませんでした。会場のアンダーワールドというライヴハウスに3回も電話をかけて確認しましたね。でも当日、会場にお客は全然いなかったです(笑)。

メンバーはみんな50年代のジャズミュージシャンみたいなスーツを着てました。たしかIan(Svenonius)だと思うんですが、他のメンバーの靴にライターのオイルをかけて火を点けたんです。バンドは靴が燃えたまま長い詩の朗読をして、それから急にギャーン、という爆音でライヴを始めたんですが、本当にすごかったです。僕は最前列で見てました。

Nation Of Ulyssesはこのロンドン公演の時だけTシャツを作ったんですよ。僕は一時期ずっとそれだけを着てました。最終的にはボロボロになってしまったので、友達のOliver Payneに譲ったんです。Oliverは僕の4歳くらい年下で、このライヴを見れなかったんでが、ヤバかったという噂だけはずっと聞かされたようで、Tシャツをあげた時はすごい喜んでましたね。

- ハードコアパンク以外の音楽は聴いてなかったんですか?

トビー・フェルトウェル - 「Slam」にはいろんな人がいたので、その影響でハードコア以外の音楽も聴くようになってました。それに地元のパブでインディーロックバンドも見ていたので、そういうのもなんとなくわかってましたね。チャートに入る音楽も普通に知ってましたし。あと16歳の時にお姉ちゃんと一緒に初めてアメリカ旅行をしてから、ヒップホップもいろいろ聴くようになってました。

89年に国中のいろんなところで突然野外レイヴが始まった

- ジャングル、ドラムンベース、トリップホップ、2ステップ、UKガラージ、UKファンキー、グライム、ダブステップ……、イギリスではなぜ新しい音楽が生まれ続けるのでしょうか?

トビー・フェルトウェル - いま言った音楽の元を辿ると全部レイヴに行き着きますね。イギリスでは、イギリスでは89年にセカンドサマーオブラブがあって、国中のいろんなところで突然野外レイヴが開催されてました。その時、僕はまだベドフォードにいたんですが、急に「あちこちで野外レイヴをやってる」という話を聞くようになりましたし。しかもレイヴの情報はほとんど口コミだけなのに何百人とか集まるんです。田舎で野外パーティを始めたのが誰かはわからない。初期のレイヴでかかっていたのはアシッドハウスで、イギリスではハードコアと呼ばれる音楽に変わりました。

同じハードコアでも僕はハードコアパンクの人間だったので「レイヴなんて違うでしょ」、と思ってました。もちろんスケーター仲間の中にもレイヴに行く人たちはいました。今思うと、楽しさを追求するなら絶対にレイヴに行くべきでした。だって僕は誰もいない会場で、面白くないクラスティーズのバンドを見ながら、ずっとツラい気持ちになってましたから(笑)。

- セカンドサマーオブラブというとアシッドハウスの印象が強いです。ドラッグでベロベロになってハッピーになってる感じ。それがグライム、ましてやダークなダブステップになっていくというところを教えてもらえますか?

トビー・フェルトウェル - 初期のレイヴではハッピーなものとダークなサウンドが混在していましたね。でも90、91年くらいになるとベルギーのテクノがかかるようになって、93年の年末のパーティでハッピーなものとダークなものが完全に分離しました。それぞれが独自に進化した結果、ハッピーなサウンドはハッピーハードコアという音楽に、ダークなサウンドはジャングルになりました。94年になるとクラブはジャングル一色でしたね。そしてハッピーハードコアはトランスのようなものになっていく。レイヴでかかる音楽はわずか5年の間に激しく変化していったんです。

僕はずっとハードコアパンクを聴いてましたけど、徐々につまらなくなってきたんです。そんな時に偶然ジャングルを聴いて、一発でハマってしまいました。もっと早く聴いてればよかった、と後悔しましたね。

- ジャングルはもともとレゲエから派生した音楽ですが、それは90年代初頭にロンドンのジャマイカンコミュニティでダンスホールレゲエが流行っていたことも関係しているんですか?

トビー・フェルトウェル - 当時の僕はそのムーブメントに全然気づいていませんでしたけどね。ロンドンのGreensleevesがかなり早くからレゲエのジャングルリミックスを出していました。レイヴにはいろんな人たちが集まってたし、イギリスの音楽にはジャマイカンコミュニティが大きな影響を与えていることもあってか、レイヴカルチャーにも徐々にレゲエの影響が出始めました。

コアでマニアックだったMetalheadzのサンデーパーティ

- Mo’Waxはトリップホップのレコードを中心にリリースされていましたが、その頃トビーさんはどんな音楽を聴いてたんですか?

トビー・フェルトウェル - 僕は22歳でMo’Waxに入ったのですが、その頃はずっとジャングルを聴いてました。Mo’Waxの音楽性からすると意外かもしれないけど、お互いにシンパシーを感じてました。Metalheadz主催の大きなパーティのサブフロアでJames LavelleがDJしてたこともありましたね。

僕が通っていたのは毎週日曜日の20時くらいからやってたMetalheadzの小さなパーティ。日曜日はイギリスの法律で24時までの営業と決まってたから時間的には短いパーティでしたが、内容はすごくコアでマニアックでしたね。パーティの最後の時間には、大体Groove RiderがDJをしてたんですが、彼はその週に出た最新のダブプレートばかりをかけるんです。客はみんなそれを待ってる。有名な曲がかかっても、みんな「は? 知ってるよ」みたいな冷めた反応をするんです。

- そうとうナードな人たちが集まるパーティだったんですね(笑)。

トビー・フェルトウェル - そこに来てた人はみんな新しい音楽を求めてました。そのパーティではみんな瓶ビールを飲んでいて、聴いたことのない曲がかかるとその瓶で壁を叩くんです。

- ジャングルはレゲエから派生した音楽ではあるけど、レイヴカルチャーを通過したことでダークなサウンドを志向するようになり、さらにトビーさんのようなマニアたちがより斬新なサウンドを求めた結果、作り手たちもどんどんダークな音を作るようになった、と。

トビー・フェルトウェル - 客はDJがかけた最初の4バー(小節)で曲の良し悪しを判断してました。だからアーティストも意図的に少しエクストリームなくらいダークな音楽に段々とシフトしていったんです。そういう環境の中で毎週新しい曲が出続けてたから、ジャングルはものすごいスピードで進化し続けました。すでにその頃にはドラムンベースと呼ばれていましたけど。

僕が一番ショックを受けたのはDoc Scott(Nasty Habits)の"Shadow Boxing"のダブプレートを初めて聴いた時で、96年くらいです。でも、そういうのは長続きしないんです。97年頃をピークにジャングル、ドラムンベースは徐々につまらないものになっていき、99年にはもう僕には理解できない音楽になってましたね。

会社から支給されたクレジットカードでダンスホールのレコードをコンプリート

- ちなみに、ジャングル以外にはどんな音楽を聴いていたんですか?

トビー・フェルトウェル - Mo'Waxに入ってからはWill Bankheadの影響でハウスやテクノのレコードも並行して買ってました。ジャングル以外では90年代の後半くらいからダンスホールレゲエにハマりましたね。きっかけはアンティークショップをやっている友達でした。すごくセンスのいい人で、彼のお店も大好きだったのでよく遊びに行ってたんです。

そしたらある日、その友達がダンスホールレゲエをジャグリングしたカセットを聴かせてくれたんです。それを聴いて僕は衝撃を受けました。特にすごかったのが、Beenie Man"Year Four"のBagpipe Riddimです。スコティッシュのバグパイプの音で作られていて、それまで僕が思っていたダンスホールレゲエの音と全然違っていて、「ダンスホールレゲエは今こういうことになってるのか!」、とびっくりしました。僕はそのテープをコピーさせてもらって、入ってる曲のレコードを買うことからまず始めました。

- ちょうどジャングルが停滞しはじめたタイミングに、ダンスホールレゲエがすっぽりハマった感じですね。

トビー・フェルトウェル - Dave Kellyの"Showtime"が出て、今ではダンスホールレゲエの黄金期と呼ばれるような時期ですね。僕はその頃のダンスホールに本当にハマってましたね。あともう1つ大きなきっかけがあって、その頃Mo'WaxがXL Recordingsの傘下に入ったんですが、レコードなら何枚でも自由に買えるクレジットカードを会社からもらったんです。

運良く会社のすぐ近くにDUB VENDORというレゲエのレコード屋があって、最初はちょこちょこ買ってたんですが、スタッフと顔なじみになってからは僕のために新譜が箱詰めで用意されてるようになってましたね。DUB VENDORに入荷した90年代のダンスホールレゲエのレコードは、ほぼコンプリートしてるはずです。もちろん、大きなジャマイカンコミュニティのあるブリクストンに行かないと買えないレコードもありましたが。

- ここまでトビーさんのお話を伺って、イギリスのダンスミュージックの系統を感じることができたんですが、個人的には90年代後半に2ステップやUKガラージが出て来た感じがよく理解できないんです。特にドラムンベースはストイックなまでにダークだったのに、2ステップでは一転してファンキーになったような気がして。そこが唐突すぎるというか。

トビー・フェルトウェル - 94年くらいからジャングルのレイヴのサブフロアでは、パラダイスガラージに影響を受けた人たちがハウスをかけてました。ジャングルがピークを過ぎた頃に出てきたのがUKガラージです。当時フロアで鳴っていたのはシカゴのRoy Davis JrとPeven Everettの"Gabriel"です。この曲はディープハウスのクラシックとして有名ですが、よく聴くとビートが2ステップです。このレコードはXLもライセンスしてリリースしてました。ジャングルに飽きた人たちが、サブフロアで鳴ってたこの音を新鮮に感じたのはごく自然だったんです。

- サブフロアで鳴ってたガラージやハウスを聴いてた人たちがいて、しかもその人たちは当たり前のようにジャングルも聴いてた。ジャングルが飽和してきた時、そこにハウスのファンキーさが折衷されて2ステップやUKガラージが生まれたということですね。

トビー・フェルトウェル - イギリスの音楽シーン、特にブラックミュージックカルチャーには、過去の音楽のこれまでとは異なる解釈の仕方によって新しいスタイルが生まれることがあります。レアグルーヴが良い例ですね。レイヴの一部もそう言えます。

ガラージの進化にも色々な音楽が影響を与えてましたが、特に当時のR&B、その中でもThe Neptunesのプロダクションの存在が大きい。例えばU.S. Allianceの"All I Know"はUKガラージのヒット曲の中で、もっとも顕著にThe Neptunesの影響が出ている曲だと思います。イギリスでもThe Neptunesはとにかくみんな大好きでした。そしてそれがDizzee Rascalの"I Luv U"につながっていきます。

- Dizzee Rascalといえば、Wileyと並んでグライム黎明期のアーティストの一人ですね。とはいえ、サウンド的には現在「グライム」と呼ばれてる音とはだいぶ違うような。

トビー・フェルトウェル - 音楽として全然違うと思いますね。それに今はグライムというと音ではなく、アーティストを意味しますよね。

- トビーさんの中でグライムとはどんな音楽ですか?

トビー・フェルトウェル - 僕の中でグライムというと、やはりDizzeeやWileyが2大スターだった頃の音楽ですね。彼らの勢いは本当にすごくて、ホワイトレーベルのレコードしか出してないに何千人も集まるJay-Zのライブに前座として出演していたんです。しかも客はみんな歌詞も覚えていて。DizzeeとWileyの人気ぶりにJay-Zが驚いてました。

僕が聴き始めたのは99年くらいからです。当時はまだ「グライム」という言葉もありませんでした。Wileyの"Wot U Call It?"という曲では、2ステップとかいろんな音楽の名前を出しつつ、ずっと「この音楽には名前がない」って歌ってますが、その中ですらグライムという言葉は出てきません。当時、誰からかWileyたちの音楽がグライムと呼ばれていると教えられたんです。正直、最初は「なんてダサい名前なんだ……」と思いましたね(笑)。確実ではないけど、由来は2002年に出たN.O.R.E.の"Grimey"(グライミー)じゃないでしょうか。この曲の影響でイギリスではGrimeyという言葉が流行ってましたから。

- C.Eのプレゼンテーション映像には、過去数回にわたってグライムのエムシー・D Double Eがモデルとしてフィーチャーされていますね。

トビー・フェルトウェル - 単純にD Double Eはカッコいいですから。僕とシンちゃん(Skate Thing)にとって、彼をモデルに起用することがC.Eを始めるうえでの一つの目標だったと言っても過言ではないです。今年(2018年)出たアルバムもカッコよかったです。いつもエクストリームで、シーンのスパイスみたいな存在でいるところもすごく好きですね。

- C.EではJoy OrbisonやBen UFOと言ったポストダブステップのアーティストを招聘したパーティを開催していますが、トビーさん自身はいつ頃からダブステップを聴いているんですか?

トビー・フェルトウェル - 僕はもともとアンチ・ダブステップだったので、初期のことはあまり詳しくないです(笑)。ダブステップはグライムのトラックだけをフィーチャーした音楽というイメージがあったので。僕はグライムのMCたちの危険な雰囲気が好きだったから、ダブステップは少し物足りませんでした。聴き始めたのは本当に最近で、2010年くらいです。

- 何かきっかけがあったんですか?

トビー・フェルトウェル - 2010年くらいまでずっとラップを聴いてたんですが、さすがに飽きてきたので、それでWill Bankheadに「最近の面白い音楽を教えて」とメールしたら、ポストダブステップの初期の音源を教えてくれたんです。聴いてみたら結構好きだったので、そこからいろいろフォローするようになりました。特にGirl Unitの"Wut"が僕にとっては大きかったです。Joy OrbisonやBen UFOはその流れで自然に。

Ben UFOみたいな若い世代の人たちと話すと面白いんですよ。彼はジャングルやグライムに関する伝説をいろいろ聞いて育ったようなのですが、18歳になってやっとクラブにいけるようになったら、もうジャングルもグライムも終わっていたらしくて(笑)。その頃クラブでかかっていたのはダブステップだったようです。

- C.E主催でパーティを開催するのはなぜですか?

トビー・フェルトウェル - 単純にいい音楽を紹介したいというのもあるんですが、ダブステップやポストダブステップが台頭してきた時、日本では所謂“エレクトロ”が異常に流行ってましたよね? そのせいかダブステップは日本ではそこまで浸透しなかった。でもあの頃、僕がたまにイギリスに帰ると、日本でいう“エレクトロ”、あの変なフィルターハウスのシーンはとっくに死んでいて、むしろJoy Orbisonたちがスターでした。90年代から日本とイギリスのダンスミュージックシーンを見てきた僕からすると、そういう状況がとても不自然に思えたんです。

たしかに、あの頃はリーマンショックや(東日本大)震災があって、日本全体に元気がありませんでした。もしかしたらクラブやそこに関わっている人たちも新しい音楽を受け入れる余裕がなかったのかもしれません。でも、日本とイギリスのダンスミュージックは昔から親和性があって、イギリスで人気が出たDJは割と早い段階で日本に行くということが多くありました。それがダブステップあたりで途切れてしまったので、僕としてはまたイギリスやヨーロッパのDJたちが日本に来る入り口を作りたいなと思ったんです。

- C.Eとしては、2018年だけでも4月と10月にそれぞれ2都市でイベントを開催していましたね。

トビー・フェルトウェル - パーティをやって嬉しかったのはブランドのファンだけじゃなくて、ダンスミュージックのファンもたくさん来てくれたことです。僕は音楽が好きな人もファッションが好きな人も混ざっているのが良いと思ってます。イギリスでも、音楽の人たちはファッションの人たちを見て「チャラい」と言うし、ファッションの人たちは音楽の人たちを見て「ダサい」と言うんです(笑)。そういうサイクルは日本だけじゃなくて、イギリスでもアメリカでもありますね。

好きなことを形にして人に見せることには、何か意味があるかもしれないと思った

- C.Eではカセットテープもリリースしていますね。

トビー・フェルトウェル - 作り始めたきっかけは2015年のUnited Arrows Beauty&Youthでのポップアップショップです。1ヶ月の期間限定ショップだったんですが、用意できる商品はそんなに多くなかったけどすごく広い場所を使わせてもらえたので、そこに大きなサウンドシステムを入れて週ごとに違うテープを流したんです。

それから数年後に自分たちでもお店をオープンすることになったので、店内のBGM用にテープを作って、流れている音楽をその場で買えるようにしました。2018年は6本リリースしました。最近は直接の知り合いではないアーティストからも「カセットを作りたい」とオファーしてもらえるようになったので、これからも続けたいと思ってます。

- トビーさんとしてはC.Eの服を着る人にはJoy OrbisonやBen UFOみたいな音楽を聴いてもらいたいですか?

トビー・フェルトウェル - それは特にないです。好きになってくれたら嬉しいですけど。カセットテープは提案ですね。僕のC.Eでの肩書きはディレクターですが、やってることはレーベルのA&Rとそんなに変わらないですね。世の中にあるものを見て、そこからC.Eに合う要素をセレクトするんです。

僕らがC.Eを始めたきっかけはたくさんあるんですが、その中のひとつにWill BankheadがTHE TRILOGY TAPESというブログを始めたことも含まれてます。Willはすごくセンスが良くてクリエイティブな人ですが、自分で何か始めるようなタイプの人間ではないんですよ。だから彼がTHE TRILOGY TAPESを始めたのは衝撃でした。それを見て僕も「Willができるなら僕にもできるだろう」と思って、自分でも何かやってみようと考えるようになったんです(笑)。

同時に自分たちが好きだと思うことを形にして人に見せるということは、何か意味があるかもしれないとも思ったんですよね。

- ちなみにC.Eの服は通常どんな感じで生まれていくものなんですか?

トビー・フェルトウェル - 実は僕ら自身もそのプロセスをよくわかってません。毎回気づくと次の展示会の締め切りが目前に迫っていて、その度にパニックになってます。そもそも僕らは洋服なんて作ったことがないような人たちの集まりなので、服作りのシステムが存在しない。もしかしたら、他の人たちから見たら、いつも音楽を聴いて遊んでるようにしか見えないかも、とも思います。

「この服はなんでこういうデザインになったの?」と聞かれことがあるのですが、それに関しては答えようがないです。自分たちがこれまで聴いてきた音楽とか経験、今興味があることを集約すると、C.Eが出来上がってしまう。でも僕は具体的な“何か”がないのが重要だと思ってます。

- では、最後に最近聴いてる音楽を教えてください。

トビー・フェルトウェル - 最近CDJを買って、レコード以外でもDJができるようになったので、BandcampでMP3をいろいろ買ってます。でもいまは次の面白いウェーブが来るのを待っているような感じです。あと、これは日本に来てから思ったんですが、僕がイギリスでいろんな音楽に夢中になっていた時は、街を歩いてるだけで自然と音楽が耳に入ってきてました。

ジャングルにハマっていた時、僕はロンドンのウエストエンドに住んでいて、毎週土曜日にBlack Market Recordsへ新しいレコードを買いに行ってました。お店に行くまでの間、どこかのお店のBGMや走っている車からジャングルが聞こえてきてましたし、Porscheに乗ったGoldieを見かけることもありました。東京にはそういう環境がないから、僕は仕事もせずにいつもバカみたいに音楽ばかり聴いているのかもしれないですね。

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