【インタビュー】無雲 | 愛を一番伝えたい

1998年生まれの無雲はSoundCloudやYouTubeに発表された音源で頭角を表してきたヒップホップアーティストだ。相模原を拠点とし、ラッパーとビートメイカー両方をこなす彼の作る歌からは、優しさとその裏にある孤独の両方が聴こえてくるようだ。

実の両親からのネグレクトを受け3歳から18歳まで児童養護施設で育った彼は、一時期は他人への興味を失った時期もあるという。しかしMichael Jacksonの『THIS IS IT』を観たことをきっかけに、人に想いを伝える力に気づき、表現の道を歩み始めた。ダンスから始まり、ヒップホップに出会った彼の根源には愛があるという。

取材・構成 : 和田哲郎

撮影 : 笹木晃

- 今日は初めてのインタビューということなので、無雲さんがこれまで、どういう人生を歩んできて音楽に出会ったのかなどを中心に聴いていけたらと思います。でもまずは、初めてのアルバムが完成した後の心境はいかがですか?

無雲 - 完成した後は自分の曲にそこまで入れなかったんですけど、アルバムという形になって、自分の人生の価値観だったり実際にあったこととか、そういうものが曲ごとに展開されることで実感が湧いてきました。例えば曲順だったり、「この曲でこういう展開になる」とか、「どうして自分がこういう展開にしたのか」っていうところに納得しました。でも、このアルバムはまだ始まりにすぎないという感覚が一番強いです。ラッパーとして、「無雲」というアーティストとして、って考えるとまだまだです。だけど、自信もあるし、今回のアルバムはこれから先作る自分の音楽が楽しみになるスタート地点という感覚ですね。

 - 理想への第一歩を踏み出したっていう実感があるんですね。

無雲 - そうですね。あと、今回のアルバムはやっぱりこれまで生きてきた中で培った自分の人生の価値観が投影されてたんだなと思いました。改めて聴いてみて、強気な感情表現とかソウルフルな曲が多かったのはそういう事なんだなと。

 - 今おっしゃった「自分の人生の価値観」というのは?

無雲 - 自分のルーツは勿論ですし、ヒップホップとか音楽に出会ってから自分の尖ってた部分が広く丸くなるというか、そういうのも感じた中でのアルバム制作だったので、今までの全てみたいな、そういう感覚がありましたね。

 - 遡って、音楽に出会う前はどういう子供だったと自分では思いますか?

無雲 - こうやって人と会って話すのが凄く苦手っていうか嫌いでした。どうしても孤独感を感じて人に全然話せなかったり、そもそも周りに興味が無くって。でもそういうのは生い立ちからで、自分がネグレクトを受けて児童養護施設に引き取られて過ごした15年間の中で変わらないものもあったし、逆にちょっと身を委ねる瞬間とか......一番多かったのは、誰かを想う気持ちとか、そういう感じだったんですけど。もちろん友達もそうだし、自分自身の繋がってる家族もそうだし、世の中、今の社会に対してとか、結構広い範囲で誰かのことを考えてました。「絶対この声は誰かに届くだろう」みたいな。あとは意地を張ってたり、「どうせ俺には親がいないから」という気持ちも常にありましたね。例えば小学校の授業参観とか運動会でみんなは本当の血が繋がってる親が見にきてるのに、自分たちは児童養護施設の職員さんが見にきてるっていう、そのズレっていうのが自分の小さい頃の生活の殆どだし、学校に行っても家(施設)に帰っても両方施設じゃないですか?だから、学校と学校を行き来してるみたいな。やっぱり凄く厳しかったんですよね。

 - 気持ちが落ち着ける場所が無い?

無雲 - そうですね。気持ちが落ち着く場所が無くて、全部ルールで縛られてるっていうか。だから、僕自身が、自由でありたい、自由である上で何を伝えたいのかっていうのは小さい時からあって。その時はまだ音楽に出会ってなくて、サッカーとかやってたんですけど。でも中一の時に、確かちょうどMichael Jacksonが死んで、その時に『THIS IS IT』が出て、それが僕の人生の中で変わった分岐点、きっかけだったかなと思います。

 - SNSにもダンスの動画を上げていますよね。『THIS IS IT』に出会った時はどういうことを感じたんですか?

https://twitter.com/kuren_1998/status/1464604652813512712

無雲 - それこそ施設にいる子供達とみんなで観たんですけど、当時の幼馴染の子と、泣くぐらい一緒に感動して。「ダンスと音楽でこんなに世界に伝わるんだ」って。Michael Jacksonは人に伝えるとか、何か変えたいとか、そういう気持ちを持ってる中で活動してると思ったので、その心に惹かれました。特に”Man In The Mirror”とか。ダンスを始めたきっかけは“Smooth Criminal”のMVを観て、見様見真似で踊って(笑)。すぐに発表会とかでも踊るような感じでした。

 - のめり込んでいく感じだったんですね。

無雲 - そうですね。当時あんまり洋楽とかは聴いてなくて、どちらかというと癒される音楽が好きだったんで。今井美樹とかミスチルとか、結構王道なJ-POPの感じで。ヒップホップの音とかリリックは流れてきても響かなかったし。

 - ちょっと刺激が強すぎるみたいなことだったんですか?

無雲 - いや、そんなこともないんです。Michael Jacksonの中でも盛り上がる曲はあったけど、ヒップホップってジャンル自体に興味が無かったんですよね。でも唯一近いとしたらBlack Eyed Peasとか。ちょっとポップス寄りの曲は聴いてましたね。Britney Spearsとか。そこら辺は先輩が流してて、自然に入ってくるような感じだったんですけど。僕は個人的にはバラードばかり聴いてた記憶があります。

 - バラードとかが好きな要素は、無雲さんの作品にも残っていますよね。

無雲 - あると思いますね。アルバムの中でも、ゆったりしたR&Bは基本的に儚さを乗せてる、僕が作るバラードという感じです。素直な気持ちを割とそのまま描いてるかなっていうのはあります。

 - Michael Jacksonの表現に出会ったことで、自分も何か人に伝えてみたいと思うようになった?

無雲 - そうですね。そこから、何か作品を作ったとかそういうわけじゃないんですけど、クリエイティブな事への意識が高まってきて。例えば弾き語りを始めてみたりとか、ドラムを叩いてみたりとか、ボイスパーカッションをやったりとか。何か自分の特技って無いかなって探した時に、サッカーみたいなスポーツとは違って、何か言葉にしたり絵を描いてみたり、そういう創造性が膨らんだのが中学生の途中だったかなって思います。中三で卒業する時はダンサーになるっていうのが夢になってたんですよね。

 - ダンスを踊り始めたことが、ヒップホップに惹かれるきっかけだったんですか?

無雲 - 高校の時にダンスを始めて、ヒップホップは知ってたんですけど、別にリリックにのめり込んだわけじゃなくて、音が単純にカッコいいとか、それぐらいの感じだったんですけど。18歳になると一人暮らしをしなきゃいけないって決まりが施設にあって、僕が引っ越した先がたまたま相模原で。最初、ダンスイベントに誘われたんですよ。Buzzっていう箱があって、そこで始めて日本語ラップのライブで観たんですよね。SMOKIN' IN THE BOYS ROOMっていう町田の先輩のライブを観た時に「日本語のラップってこんなかっけえんだ」っていうインパクトがあって。だからといって自分がラップを始めようとは思わなかったんですけど、そこの後輩のラッパーの子が「ちょっとこのアルバム聴いてみてよ」って一枚CD渡してくれて。それがKID FRESINOさんとC.O.S.A.さんのアルバムだったんですけど、“LOVE”を聴いた時に、自分の中で「うわ!」みたいな。踊れるしリリックもめちゃめちゃ刺さるし、凄くフレッシュさを感じたんです。それと同時にEminemが主演した『8 mile』を友達がお薦めしてくれて、「これ観てみろよ。絶対ハマるから」みたいな感じで、ダンサー界隈の友達みんなで観たんですよ。最後のフリースタイルバトルの時に、人生とか「リアル」っていうところにフォーカスしてるところがカッコいいなと思ったし。妹思いで、バトルで優勝しても「俺はいつもの仕事に戻るよ」とか、人間性をすごく魅力に感じて。で、自分もその場でフリースタイル始めたんですよ。上映終わった後に、最後の決勝で流れてたMobb Deepの“Shook Ones Pt.2”で延々とフリースタイルして(笑)。そこからビートに乗る行為っていうのに僕の中で感情が溢れ出ちゃって。そこから最初はウェッサイをめちゃくちゃ聴いてました。ダンスイベントのDJタイムでずっと酔っ払いながら聴いてたので、自然と音が入ってきて。その中でDown North CampとかDLiP Recordsとか、僕自身ダンサーとしてショータイムに出る時に、日本語ラップの曲で踊りたいと思うようになって、途中から日本語ラップ自体を広めたいという思いが出てきた。その時に「最近ラップ始めたんです」って言ってCD渡してくれた子のクルーに加入して曲作りを始めました。

- 初めてのライブは2018年だったみたいですね。

無雲 – 2017年ぐらいから始めて、ひたすらリリックを書いて、フリーのトラックに乗せて。めっちゃバイトして、取り敢えず自分の家にブースを作って。安いマイクとか機材を揃えてレコーディングを始めました。それで結構どっぷり制作にハマった感じですね。そのためには知識も必要だし、「ヒップホップってなんだろう」とか、「90年代の音ってどんなんだろう」とか、そこからヒップホップをディグり始めた感じですね。

 - 自分のヒップホップ観に影響を与えてくれた人は誰になるんですか?

無雲 - ジャズが好きだったんで、一番レコードとか買ってたのはジャズで。だからA Tribe Called Questとか、あとはThe Rootsとかがすごく好きでした。でも、XXXTENTACIONやLil Peepとかも一時期めっちゃ聴いてましたね。そこから幅広くマンブルからニューヨークまで聴くようになったんですけど。一回バーンって影響を受けたのは、シンガーだけどMusiq Soulchildにどハマりしちゃって。あと、日本のビートメイカーで最初にインパクトを受けたのはBudamunkさんですね。BudamunkさんのおかげでISSUGIさんとかその周りの日本語ラッパーの方々を聴くようになって。後はさっきも挙げたKID FRESINOさん、C.O.S.A.さん、JJJさんとか、5lackさんとかもずっと聴いてました。レコードをディグり始めたのと同時に横須賀の先輩のビートメイカーに出会って、そこから自分でもトラックメイクを始めたりしました。そこから歌謡曲好きになったり、ソウル、ブルースとか、そういうレコードも漁るようになりましたね。

 - 関心の幅がとても広いんですね。

無雲 - 自分からディグりに行くと影響されすぎて流されちゃうっていうのがあるので、どういうアーティストが好きかって質問された時はこうやってバーって出ちゃって。でも結局まとめたらMichael Jacksonみたいな、そういうところはありますね(笑)。自分の価値観は自分の価値観みたいな、流されたくないっていう感じで、自分からはディグらないようにしたんですけど。あと、最終的に一番よく聴いてたのはEVISBEATSさんと田我流さんの“ゆれる”ですね。人生何かあっても、“ゆれる”聴いたらみんなハッピーっていうか。やっぱり、日常的にラフに落とす感じの曲が凄く好きで。 

- 自分で制作を始めるようになって、最初の方はどうだったんですか?曲とかが満足なぐらい自分で作れたって感じはあったんでしょうか。

無雲 - ビートをひたすら作ってそれにリリックを乗せるのにめっちゃ夢中になった時期があったんですけど、昔のビート聴くと、ちょっとハードすぎるんです。ハードロックサンプリングしたりとか、ちょっとPublic Enemyみたいなビートっていうか。そういう感じで今聴くとあんまり好きじゃなくて(笑)、割と人にあげてた感じだったんですけど。ビートメイク始めて二年ぐらい経って、やっと自分で乗れるかなっていうのがありましたね。最初ラップしてた時はもっとシャウトが酷かったっていうか。

 - じゃあ、今と全然スタイルが違ったんですね。

無雲 - 全然違います。今は聴かれたくない感じですね(笑)。

- XXXTentacionとかLil Peepとかに影響されてた時ですか?

無雲 - いや、もっと前ですね。ウェッサイしか聴いてなかったような時期で。別にギャングじゃないんだけど、人に興味無いんだよね、みたいな感じで。まだ自分の心に余裕が無かったからからそういうリリックになっていたと思うんですけど。そういうのを変えられたのは、やっぱり人との出会いとか、心で感じるものの影響で自分が柔らかくなったような瞬間があって。それがちょうど2018年とか19年辺りだったかなって思って。そこから「アルバム作ってみたいな」っていう思考が生まれたり、ライブに出てみたり。それまでは自分が作ったくせに自分は聴きたくない曲ばかりでしたね(笑)。

 - なんか、仮想敵がいるような。

無雲 - そんな感じですね。仮に今尖った曲とか「興味ねえ」みたいな曲を作るんだったら、ちょっとウィットにとんだ内容じゃないと自分は歌えないかなって思います。

 - アルバムを聴いて思ったのは、今って1作の中で多様なタイプの曲をやる人が多いと思うんですよ。それはUSでもそうだし日本でもそうだと思うんですけど。でも、こんなに全体通して統一感があるトーンを持ってる人はなかなかいないなと思って。それは2018年とか19年になんとなく自分の音楽みたいなものが定まったからなんですか?

無雲 - いや、全然定まってなかったんですよ。むしろそれに凄く悩んでて。他にそういうラッパーの方っていなかったし、見本になるのはPUNPEEさんとかLIBROさんとかtofubeatsさんとかなのかなと思ったんですけど。めちゃくちゃラップにのめり込んだ時にめちゃくちゃ先輩に「ラップはできるけど自分のラップのスタイルが無いんですよ」って相談して。たまにポップス寄りになりたい時もあるし、弾き語りしたい時もあるし、「これってヒップホップなんですか?」って音楽のジャンル的に凄く悩んだ時期があって。そこでよく言ってくれてたのは、「無雲の場合は所謂スタイルが無いのがスタイルなんじゃないかな」って。「もちろんそのためには時間がいると思うけど、それが逆に無雲らしいんじゃないかな。もっと広がっていいんだよ、だってなんでも出来るんだから」って。そこからオートチューン入れてみたり、全部歌ってR&Bに寄せたり、とりあえず色んなスタイルに走ってみようって感じで2019年、20年はやってきたかなって思います。でも定まってる感じは全然無かったですね。

 - なるほど。

無雲 - 「ポップスっぽいものってフェイクなんじゃないか」って自分の中で葛藤してたんですよ。でも僕の人生とか音楽って伝えたいことは、最終的にラブなマインドだっていうのは凄くあるんで。今自分が思うのは、どういう曲を作ったとしても結局は愛っていうマインドがあればいいと思うので、そこは吹っ切れましたね。

 - 色んなリアルがあっていいと思うんですけど、若い頃は狭く考えちゃう時もありますよね。でも、自分が伝えたいことにちゃんとフォーカス出来て、その葛藤を乗り越えられたんですね。

無雲 - そうですね。逆に今はコントロール出来るようになってきて、次の作品を作る時は逆にスタイルを決めて作るとかも考えていて。枝分かれして一つのスタイルに走ってもそれは作品として成り立つのかなって。「怒り」がテーマでもアリだと思うし、極限にラフに落とすのもアリだと思うし。ちょっと20年代のパリを思わせるようなジャジーな感じでも面白いと思うし。結構そういう発想は今いっぱい広がってきてますね。今は単純にラップがしたいです。エロスのある。結構リリックで「変態」とか出るんですけど、「変態」と「天才」って紙一重だと思ってて。自分がドープだとは全く思わないんで、その代わり持ってるものはなんだろうと思ったらエロスかなって。

 - エロスを説明するとしたら?

無雲 - 最近「フロウもそうだけどリリックも変態だね」とか言われるんです。多分リリックを書く場所とか、思い描くシチュエーションで変態になるか普通の感じになるか決まると思うんですけど。昔は喫茶店でしかリリックは書かないとか決めてて、その時は周りにジャズが流れてて、雰囲気的にフェロモンが出るというか。グルーヴの乗り方とかもそうだし、いきなりシャウトを変えてみたりとか、さっき言ったスタイルが無いからこそ、どう見せていこうかって思った時に、常に作品に対してギャップがあるみたいな。生い立ちから来るものってどうしてもヘビーになっちゃうし、でも同情されるだけで終わるラッパーだったらやる意味無いと思うんですよね。音楽の中でもっと楽しく生きたいって思ってたら、モチベーションに対してそのままぶつかって曲を書くんじゃなくて、自分の過去ですらストーリーに仕立てちゃえばそんなに重くならないんじゃないかってことを考えて。そこから「変態」みたいに思われる部分があるのかもしれないです。

- リリックの想像力にはどういうルーツがあるんですか?本とかを昔読んでたとか?

無雲 - 小説は読みたいんですけど、読むのはまだ苦手で。逆に悩むことが多かったからこそ、それをそのまま昇華しちゃうと、ただ落ちちゃうっていうか。

  - 自分の気持ちも上げたかったっていうところですか?

無雲 - そうです。昔は曲を書く時は、最初ネガティブなところからしか書けなかったんです。でも最近はコンパクトにストーリーを収めるみたいな。それこそ映画を作るような感覚で、“逆さまの雨”なんかは僕のリアルが詰まってるけど、“逆さまの雨”ってタイトルにした理由は、雨って聞くと土砂降りになって気分が落ちちゃうとか泣いちゃうっていうイメージだと思うんですけど、「逆さまの雨」ってある意味矛盾してるというか、むしろその感動からポジティブに持っていこうよっていう。リアルな感情は忘れたくはないし、心に残っちゃうものだけど、俺はこういう人間だからこそ、これから作る音楽はどうなるんだろうっていうポジティブな気持ちというか。リリックを作る時はまず「矛盾」って言葉を自分の頭の中に巡らせて、それが妄想になったり、実際に起きたことの逆を想像してみると、自然と出てきちゃうというか。

 - ただの妄想じゃなくて、リアリティに基づいたものだからこそ感情がこもってる。

無雲 - 間違いないです。“雫”っていう曲がアルバムの中にあるんですけど、あの曲は完全に児童養護施設の隅の子供達に向けて書いた曲です。あえてメロディがスッと入るように意図してやってるんですよ。最初の始まりが「誰もが通る茨の道を」っていう歌詞なんですけど、それは施設の子達だけじゃなくて、子供達が抱える些細なことって、大人にとっても凄く重要なことだと思ってて。子供の時にこれを感じたから、大人になって感じられるっていうことを、自分がこの年になって少しずつ感じるようになったんで。子供たち自体を「雫」っていう、些細な自然のものかもしれないけど、そこから大きくなっていくものっていうか......で、繋がって“逆さまの雨”みたいな、ちょっと潤ってる感じに書いたり。あと、宇宙的なものが好きなんですよね。

 - 無雲という名前もそうですが、空や宇宙など広大なものに対する興味があるんでしょうか。

無雲 - 自分が小さい時に本当の息抜きの場所が無くて、その現実逃避の場所でもありました。“逆さまの雨”のリリックの2ヴァース目にあるんですけど、ベランダでよく空を見てて。夜中にいつも、職員さんにバレないようにガラーって窓開けて空を見ることが凄く多かったんですよ。静かな夜って別に誰も邪魔しないし、そういうのが自分にとって儚さプラス何か落ち着くようなものだったし、今は夜中に曲のアイディアも思い描くし。月って太陽に照らされたり、日によっては満月の日もあれば三日月もあって、影と光があるっていうのが自分の中で一番感情と重なってますね。素直に、嫌な時は嫌だし。月って色んな人が見るじゃないですか。「今日は月が綺麗だ」って、愛情表現にもなる言葉だし。ホットでいたいわけじゃないんですけど、質感的には涼しいけど暖かいような存在になりたいんですよね。中学生の時も、地味に目立つのが好きで。あんまり喋らないけどダンス踊った時はかましたり、そういうギャップが凄く好きで。最初に「ムーン」って名前にした時に、ただ単純に「MOON」ってするとちょっとデカすぎるし、多分「MOON」って名前にしてる人はUSにいるぞと思って、じゃあ自分自身が日本語ラップをやるから当て字にしようと思った時に、「無雲」っていう字を知って。「無」っていう言葉が凄く好きで。それこそ矛盾しまくってる言葉だと思うんですよ。「無限大」と「無」とか。その中で、雲っていうのは僕の中で悩みだったりどこかぶつかる部分で。でも「無」と「雲」なら雲が無いことになるから、みたいな。本当にループ出来るような感じで、無限大に可能性があるけど雲みたいに悩みとかが襲いかかってきて、でもそれを一つ一つクリアしていくと晴れるっていう。そういう意味で「無雲」にしました。だから“Stay Love”って曲で「無限に雲と書いて無雲」っていうのを強く入れたんですけど。今は凄くしっくりきてます。

 - “月の裏側まで”って曲もありますよね。

無雲 - あの曲は結構リアルな感じですね。付き合ってた彼女のことを歌ってて。「音楽だけ流してればいいよ」みたいな、本当に夜中に書いた曲ですね。でも一人で書いてたので「隣の君がいない」みたいな矛盾表現が多いと思って。結構考えさせるリリックが好きなので、聴き方によってはマイナスに聴こえる時もあればプラスにも聴こえるようなものにして。そういう矛盾した表現のおかげで浮かぶ情景も変わったりするし、割と考えさせるリリックなので、自分自身に響く時もありますね。

 - 音楽だからこそ、矛盾したものも表現として受け入れられますよね。

無雲 - そうですね。

 - でも、初めてのインタビューとは思えないぐらい、自分の考えが凄くしっかりしてるんだなと思いましたね。

無雲 - いやいや(笑)。昔から、大人と話すことが凄く多かったんですよ。嫌でも普通の生徒よりも面談したり、その場には担任の他に校長もいたりして。僕は「どうしてこれはダメなの?」とか、そういう主張が多かったかもしれないですね。で、家(施設)に帰って考えたり。

 - やっぱり考えなきゃいけないことが多かったっていうのはあるんですね。

無雲 - 例えば公立の高校に受からなかったら私立にはいけないし、もう定時制行くしかないみたいな。そういう感じだったので、結構迫られる選択肢っていうのが小さい時から大きかったかもしれないです。

 - それはハードですよね。

無雲 - でも、それが無ければここにいないっていうのも前向きな思いで捉えてるので。

 - 自分で考えた経験が自分のクリエイティビティとか、考える力とか、それを実行することに反映されているってことなんですね。

無雲 - はい。だからこうやってアルバムのお話とかインタヴューのお話を頂いた時も、もちろん緊張とかはあったんですけど、ぶっちゃけたことを言えば「やっと来たか」みたいな、そういう感覚は凄くありました(笑)。「はやく気づいてくれよ」みたいな、そういう気持ちがあった。

 - 気づかれなかった、みたいな?

無雲 - 「俺、自分でヤバいと思ってるんだけど、なんで伝わらないんだろう。」っていう、自分が持ってる膨大な感情に対してリスナーさんがどれだけ聴いてくれてどれだけ共感してくれるかっていうのは分からないし、それで音楽へのモチベーションが下がっちゃって。ちょうどコロナが重なって、仕事も見つからなくて。「でも俺には音楽しか出来ない」みたいな感じでもがいてた時に、ある意味転機が訪れたというか。「もうやるしかない」みたいな気持ちになって、一気にモチベーションが上がった感じでした。

 - TOSHIKI HAYASHI(%C)さんとかKOYANMUSICさんとはどうやって出会ったんですか?

無雲 - %Cさんに関しては、僕がずっと前からインスタをフォローしていて。急にフォロー返ってきて「なんだ!?」って思ったら、「よかったら一緒に曲やりませんか」みたいな感じで声をかけて頂いて。それでスタジオ入ろうってなったんですが、それがたまたまKOYANさんのスタジオだったんです。レコーディングして、その帰りにKOYANさんが「よかったら僕のビートとかラップ聴いてみてよ」ってミックスCDをくれて。帰ってから、そのCDを聴きながら「やべえ、今日%Cさんとやっちゃったよ」とか、「KOYANさん、SD JUNKSTAとかヤバい人だ」とか思って、そのCDを聴いてた時に“旅の始まり”が出来ました。一気に「俺はもう行くわ」って思って。でも全然始まりにすぎないから、そのミックスCDに入ってたビートで「これでラップさせてください」って送って。「デモ出来たら送ってよ」みたいな感じで出来たやつが結局アルバムにも入った感じですね。KOYANさんはスタジオでRecして「ヤバいね。よかったら一緒にやろうよ」って言ってくださって。そこからですね。

- なるほど。凄く良い流れですね。

無雲 – 今回声を掛けてくれた方の導きですね(笑)。細かい事を話してたわけじゃないのに相模原でまとまったのは運命を感じました。

 - 今は2020年の自分に気づいてもらえないみたいな気持ちからちょっと変わってきてますか?

無雲 - “寄り道”をリリースしたときは、お世話になった人からすごい連絡が来て。「無雲くん、ナタリーとかYahooニュース載ってどうしたの?」「音楽やってます!」みたいな感じで(笑)、びっくりした人が多いみたいで。割と身内の仲間は「やっとだね、おめでとう」みたいな反応だったんですけど、お世話になった人から連絡来たのがびっくりして。周りのビートメイカーが自分に連絡くれて「よかったらやろうよ」っていうのも増えましたね。

 - じゃあ、自分の気持ちとしてはそんなに動じてないというか。周りの方が何か言ってくれる方が多かったんですね。

無雲 - だし、むしろこんなにアクションをしてくださったんで、アルバムヤバいっしょっていう自信が生まれました。逆に知ってもらってからでも期待に応えられる自信があるし、それ以上に自分が納得する曲が次の作品でも出来るって妄想してます。

- キャリアをスタートしたばかりだと思うんですが、理想とするアーティスト像みたいなものってあるんですか?

無雲 - 「こうなりたい」っていうのはあるんですけど、どこにハマるかっていうのは考えていないですね。でも、多分普通にリスナーからしたらどこか枠にはまってないと埋もれちゃうっていうイメージがあるかもしれないですけど、僕はそれを覆したいと思ってますね。全部がクリーンなわけじゃないし、だからといって悪さをしようとは思わないし。そういう想いとかは全部リリックに込めるように......人と会う時とかはこういう感じでいたいです。でもやっぱり有名になるとか、自分の作品がクラシックって呼ばれるとかは僕のこれからの活動次第だと思うんですけど。そういうビジョンも見えたりするので、じゃあそれとは裏腹に今何をしなきゃいけないのかっていうのを汲まなきゃ、多分そこには辿り着けないので。割と自分がアーティストとして活動するっていう夢からは変わって、むしろ課題っていうか。「俺は今これをやらなきゃいけない、今伝えなきゃいけないんだ」っていう気持ちに変わってきました。

 - 伝えなきゃいけないっていうものの根本にあるのは愛ですか?

無雲 - そうですね。基本的には愛が一番デカくて。やっぱり自分の人生をまだプラスに出来てないと思うんで、逆に僕がフラットになった時に何を伝えたいんだろうとか、そういうのはまだ全然見えていないです。自分の人生、経験から何かを表現するってことは経験したタイミングとそれをアウトプットするタイミングって時差があるじゃないですか。その間に詰め込んでいこうっていうのはありますね。後は、曲調だったり、例えば90sの鳴りを残しておきつつも今の時代に合わせられるっていうのが今のスタイルなので、幅広く動きたいですね。やっぱりご一緒したいラッパーさんとかやりたいビートメイカーさんがとても増えました。

 - 作品ごとに全く違う姿やスタイルで色んなものを聴かせてくれるんだろうなっていう可能性を感じたので、凄く楽しみにしています。

無雲 -実現したいんですよね。Chaki Zuluさん、illmoreさん、EVISBEATSさん、Sweet Williamさん、BudaMunkさん、みたいな。

 - めちゃめちゃいるんですね。

無雲 - 願うのは自由ってところで。。。相当ラップスキルがあってプロップスも申し分ない人だったら出来るかもしれないですけど、全然自分はそんなところにたどり着いていないのでこれからですね。%CさんとKOYANさんのビートに乗らせてもらって思ったのは、無雲は無雲だけど違う色が見えるなって思ったので。

 - 人によって自分の違う側面が出てくる?

無雲 - そうですね。KOYANさんとやる時はソウルフルで、%Cさんのビートを聴いた時のインスパイアは、ちょっと一瞬スイッチオフするような感じで。本当に凄い人だなっていうのを感じたんですけど、実際に会った時の印象がお二方とも自分が思ってた感じと違いすぎて。「あ、人間なんだな」っていうのを感じられたんですよ。なので、こうやって一緒に作品が出来たことでなおさらリスペクトが上がったというか。自分自身もヘッズで色んな人の楽曲を聴くので、実際に交わった時って意外と普通っていうか、やるべくしてやってるんだなっていう感覚が生まれましたね。アーティストとして。

 - 結局アーティストが楽曲を作るとしても、最終的なところは人と人との関係性の中で生まれてくるし。そこで相性が良くなかったらあんまり上手くいかないかもしれないし。でも、色々訊けた気がします。まだこういうところ話せてないなってところはありますか?

無雲 - あ、でもマルチでいたいです。音楽の話ですけど、今これからラッパーとしての無雲っていうみられ方があると思うんですけど、何をしても無雲だっていう、自分自身がブランドになるっていうか。そういう存在になれたらなって思って、今はモデルを目指したりとかカメラマンもやってます(笑)。マルチな自分でいたいんですよね。そこから感じるインスピレーションが結局は音楽になるんで。マルチでいたいっていうのも、昔自分が何かやりたいと思っても出来なかったんですよね。「塾に通いたい」って言っても「あなたの親はそれ払えるの?」ってなって「すいません、無理です」って感じで。「じゃあお金かからない遊びってなんだろう」ってなった時に、まずサッカーとかスポーツで。ダンスもそうですよね。そして、ストリートに直結してて、そういう中にいたいんですよ。なのでマルチでいたいんですよね。

 - それを自分の力で出来るようになりたい?

無雲 - そうです。映像のディレクションも出来たらいいですよね。シューティングとかも凄く興味ありますね。そういう人ってカッコいいなと思いますね。でも今は。。。やっぱりラップしたいです(笑)。もうちょっとスキルフルになれたらと思って勉強してます。英語教えてもらったり。最終的には世界的に発信出来るラッパーになりたいですね。旅したいなと思います。

 - ありがとうございました。

Info

Artist : 無雲 (ムーン)

Title : 無雲(MOON) (ムーン)

Label : ULTRA-VYBE, INC.

Release Date : 2021年12月15日(水)

Format : CD/DIGITAL

Price: 2,500YEN + TAX(CD) 

URLs: https://ultravybe.lnk.to/moon

収録曲

1. Wake Up Coffee  [Beat by 無雲]

2. Queen Drive  [Beat by TOSHIKI HAYASHI(%C)]

3. 旅の始まり  [Beat by KOYANMUSIC]

4. 雫  [Beat by TOSHIKI HAYASHI(%C)]

5. Orange  [Beat by TOSHIKI HAYASHI(%C)]

6. 万物の誕生 feat. Sahnya  [Beat by TOSHIKI HAYASHI(%C)]

7. Classics 1998  [Beat by 無雲]

8. Fallin'  [Beat by 無雲]

9. 月の裏側まで  [Beat by 無雲]

10. Stay Love  [Beat by 無雲]

11. 逆さまの雨  [Beat by KOYANMUSIC]

12. 寄り道  [Beat by TOSHIKI HAYASHI(%C)]

13. 江ノ島ノイズ  [Beat by 無雲]

14. 僕の彼女は金木犀  [Beat by 無雲]

15. Otogibanashi  [Beat by 無雲] 

All Tracks Recorded, Mixed & Mastered by KOYANMUSIC 

All Photos by RYOTA OKAZAKI

CD Jacket Designed by Kazuhiro Morita

RELATED

【インタビュー】JAKOPS | XGと僕は狼

11月8日に、セカンドミニアルバム『AWE』をリリースしたXG。

【インタビュー】JUBEE 『Liberation (Deluxe Edition)』| 泥臭く自分の場所を作る

2020年代における国内ストリートカルチャーの相関図を俯瞰した時に、いま最もハブとなっている一人がJUBEEであることに疑いの余地はないだろう。

【インタビュー】PAS TASTA 『GRAND POP』 │ おれたちの戦いはこれからだ

FUJI ROCKやSUMMER SONICをはじめ大きな舞台への出演を経験した6人組は、今度の2ndアルバム『GRAND POP』にて新たな挑戦を試みたようだ

MOST POPULAR

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

WONKとThe Love ExperimentがチョイスするNYと日本の10曲

東京を拠点に活動するWONKと、NYのThe Love Experimentによる海を越えたコラボ作『BINARY』。11月にリリースされた同作を記念して、ツアーが1月8日(月・祝)にブルーノート東京、1月10日(水)にビルボードライブ大阪、そして1月11日(木)に名古屋ブルーノートにて行われる。