URBAN ART RESEARCH Vol.2 | snipe1
グローバルにビリオネアとして名が響き渡る前澤友作氏がその作品を123億円で競り落とし、グラフィティ/ストリートアートを背景に持つ夭折した天才画家ジャン・ミッシェル=バスキアは今や「フランシス・ベーコンやピカソに並んだ」と言われる。しかし、絵画としてなぜそれほど価値があるのか、納得出来る説明や理論はない。
数えきれないグラフィティ・ライターたちがストリートにおけるカルチャーの展望を見据えつつ振り返りながら、命を顧みずに操車場への鉄条網や橋の上、建物の屋上をよじ登ることにより、もう一つのアートは現実の世界に視覚化され生を受けてきた。もしくはその逆なのであり、そのことはグラフィティ・ライティングが世の中に知れ渡るようになった以来問われ続けてきたのである。
「アートか犯罪か」というその投げかけられ続ける質問と用意する状況は、一方でグラフィティの美学化を強制的に推し進めると同時に世界中の都市のグラフィティの“アクション”を尖鋭化させ、教条的なポジションから世界を分断することに手を貸してきた。
snipe1は、その過去のストリートでの“アクション”を背景にし、2020年代の東京を拠点とし旺盛に活動している美術家の筆頭の一人に数えられるだろう。しかしながら、かつてオフィスに忙しく向かう人々を横目に他のライターたちと同様、彼が沈黙のなか縦横無尽に動いていた途方もなく巨大な都市空間に、今やコロナ禍と呼ばれる底なしの穴がぱっくり開いている。いつまで続くのか分からない体制の下、私たちは彼に話を聞いた。
取材・執筆:荏開津広
撮影:寺沢美遊
編集:高岡謙太郎
先人が見るコロナ禍のグラフィティ
「生活はめちゃくちゃ変わりました。仕事も行けてないし、むちゃくちゃ大変」
「(自粛要請下でストリートでのグラフィティを)もし今だけやってる奴、今だけストリート出てガンバちゃってますという奴がいたら、ホントに寒い。カッコ悪いし、メッセージ性もねえし、そういう心に響かないグラフィティはちょっと勘弁してと俺は思う。デイリーワークでやってる奴はいると思うし、今もそれとしてやってるのはいつも通りのワークだと思う。グラフィティはやっぱりゲームだから、街VSグラフィティ・ライターというところがあって、そのゲームに参加している以上は、(今だけやるのは)ゲームとして成り立っていないし、チーティング(ズル)しているようなモノだと俺は思う。面白さもないし、なんか(自粛要請中だけ)タグをちょこちょことしたりスロウアップをぽろっと残したりするのは、マジ勘弁」
「世界的には、メッセージ性のあるグラフィティを電車に書いたりとかしてる人はいいな、と思う。つまり、自分のエゴだけで名前を売り出すのではなく、フェイクニュースを指したりするもの、例えば“フェイクパンデミック”でもいいけど、メッセージがあるグラフィティはあってもいいと思う」
コンテンポラリーアートとの接続
「自分も、深圳にある大きなカルチュラル・センターでの『Fighting Corona』という政府主催のイベントがあってそれに参加しないかと誘われている。ポジティヴなメッセージを描かなくてはいけないという話で、幾つか考えたものの、今回のコロナに関しても色々な噂があって胡散臭さもないわけじゃないし、なかなかポジティヴに描くのは難しい」
批評家の東浩紀がかつて指摘したように、”ヨーロッパとアメリカを覆った70年代の不況“を背景にした言説と社会の関係の問題をポストモダンと呼ぶなら、グラフィティは彼の地のそうした流通の機能不全の問題が結晶化したような風景から浮かび上がってきたヴィジョンだ。そして、彼に従うなら――“日本が本当に「ポストモダン」になった(中略)90年代”の間に、東京や日本の様々な建築と都市を隔てる無数の壁にグラフィティの侵入は開始された。
snipe1はその変遷をよく知る人間の1人であり、彼がストリートから美術やデザインの領域への移行を長い間拒んできたことは周囲の人間には知られていた。実際、彼がアートワールドで活動を始めてからまだ2、3年しか経ってない。その始まりは、友人でもあるアーティストMadsakiらとのアートバーゼル香港のための共同制作作品だったという。
「2017年、香港のアートバーゼルでKai Kai Kikiのブースをグラフィティ的なモノを飾るので手伝ってくれと、Madsaki君に言われたところから始まった。ストリートでやっていることとまったく同じような、3 x 10mでみんなでボッコボッコにしたやつを出したけど、それを村上(隆)さんとかが気にいってくれた」
奇しくも村上隆のギャラリーに
2018年、彼はHidari Zingaroで初の個展『Meta Virus Don’t say it, Spary it』を行なった。
「(アートの)追求?……追求しようとはまったく思っていなかった。ほんとうにストリートでやっているやつをキャンバスにインストールしているだけだった。特別なことをやってる/思っているということはない。だからHidari-Zinaroでの個展は、グラフィティ自体がウィルスみたいなものだと思っているので、”Meta-Virus”というテーマでやった。ストリートのモノをただ持ち込もうというそういうコンセプト。それをただ単にキャンバスに切り抜いたモノを展示していた。ただ、一点だけはアートということを意識してしっかりコンセプチュアルに持っていこうとやってみた。完成した際にメッセージとして文字を入れていて、今でもテーマを決めるのは結構苦手だけど、一応どのピース(註:作品のこと)でもタイトルは入れている。でも、そのように文字で表せるようなメッセージ(=テーマ)は一番最後になる」
「日本には帰属するカルチャーがあるから、(アートを描く時には)それをモチーフに描こうと思ってる。ストリートではそういうことは意識してなかった。平仮名やカタカナのタグは練習したけど、世界中で読めなくては意味がないからアルファベットが重要なのは実感としてそう思った。モダンな指標としてのアルファベットというのはグローバルな文字で、平仮名でタグを書いても結局読めない。それだったら、グローバルな文字で書いた方が、世界的な指標に当てはめられる。でも、それもキャンバスになると話は違う。日本を意識して描いてこれがフレッシュに見えるのではないかという挑戦だけど、もちろん、またグローバルなものへ戻るかもしれない」
気付けばグローバルに通用する作風に
世の多くのアート鑑賞者たちが、名だたる絵画のマスターピース群を前にして感じ経験しているのは、キャンバスに描かれている美しい形象や魅力的なカラーのみならずその外側についても思いを巡らすことなのだから――そうでなければ美術館やギャラリーの並べられた作品の横に記してある専門家の解説の多くは水泡に帰する――グラフィティが、ストリートアートが、アーバンアートが語られる際もまた、リアルな世界との関与は無視されるべきではない。
視覚芸術はすべて現実を指し示すのではない。しかし、ストリートアートやグラフィティ、つまり美術館やギャラリーの外側に遺された非合法な“アクション”の目で見ることのできる痕跡の視覚表現は、BLM関連のグラフィティからバンクシーの作品のように、時に社会運動やグローバリゼーションへのダイレクトな言及となる。一方そうした流れにある作品それぞれの美学というならば、例えば、前述のジャン・ミシェル=バスキアのそれのように途方もない金額でやりとりされながらも依然として解き難くもある。しかし、その難問を作り出す前提である美術のシーンや歴史の外から生まれてきたのがグラフィティやストリートアートであることを一旦思い出してもいい。
グラフィティやストリートアートが生まれた現実においては、公的にハイアートに相応しいと認められた階級外の利害や非純血的な集団の利害を前提として文化的な優先事項が形成されていく。例えば、グラフィティは制作の過程もその存在も法律というルールを破らざるがえないことによって、あらかじめ定められた儚さがつきまとう。保存され続け時を超えていこうとするハイアートとは、既にその誕生下において時間との関係が異なる。その定められた時間と身体の問題は額縁の内部にも侵入していく。構図が作り出す美しさに中心がないわけではないが、カラフルな周縁の魅力は脱中心的に働きかける。コンテンポラリーアートの基礎とする階層秩序や構造からの物語が環境を作品にしていったとするなら、グラフィティは文字を環境にしていったので、「アートか犯罪か」という質問こそが私たちを誤ちに導いてきた。
「過去のストリートで、レターを書いてキャラクターを入れるというのも、結局はレイヤーで、ふたつのレイヤーとして、下地をしっかり作って、ピースを描いてというのは変わらない。重ねる時に、あるレイヤー部分からはみ出るとアウト。今はそのレイヤーを重ねていて、下絵からいくつもレイヤーを描いてる。重ね合わせて絵が完成していくけど、絵と考えるより感覚的にはコラージュのような感じと言った方がいい。どこでどのようにレイヤーを抜いても、ある程度見えてくるように、これでレイヤーを終わらせてもいいし、もっとレイヤーを重ねてもいいし、そこに何かを足してもいいけど、1枚づつ絵があることになる」
日本で個展を行なった2018年には、LAの”Beyond The Street”でも彼は村上隆、Madsaki、TENGAoneと展示をし、今年の始めにはLAでも個展を行なった。アートワールドに足を踏み入れて数年で彼のキャリアはグローバルに拡がっている――もしくはこう――はなから日本に限定されていない。
「アートの学校を出ている訳ではないけど、受け入れてくれるところが徐々に増えてきたという実感はある。LAやタイはコミッション・ワーク(註:指定された絵をギャラリーを通してではなくディーラーなどからオーダーを受ける仕事)の要望がすごく多くて、それもあってどちらでもギャラリーのショウをやったらすごく好評だった。別に否定しているわけではなく、アートとしては日本では受け入れられているとは感じない。ギャラリーのショウは日本では1回しかやっていない(註:前述のHidari Zingaro)」
Snipe1自身は自分の作品をどう鑑賞して欲しいのだろう?
「良い悪いか、カッコいいかカッコ悪いかの評価よりも、自分のピースがフレッシュかどうか、“なんじゃこりゃ? WTF!”と言わせたい」
Info
snipe1
日本人グラフィティライターの先駆者であるsnipe1は、日本のグラフィティシーンの黎明期から活動しており、10代の頃に1990年代初期のニューヨークのグラフィティの世界に身を投じました。それ以来、彼はさまざまな国を旅し、世界中のグラフィティコミュニティとつながりを築いた後、帰国。拠点を日本に戻すと、日本のグラフィティカルチャーの宣教師として、この文化の興隆に尽力してきました。snipe1のグラフィティは、ストリートカルチャーの感性に基づいていますが、グランジとも言うべき「汚さ」のエッジを取り入れた、ダーティ且つ誰にも似ない独自なスタイルを貫いており、常に固定観念を破壊する危うさを孕んでいます。近年では、多くのアーティストや有名ファッションブランドとのコラボレーションをはじめ、村上隆やMADSAKIの作品への制作協力なども行なっており、活動媒体を多方面に展開しています。 snipe1の初の個展は、村上隆が運営するHidari Zingaroで開催されており、またロサンゼルスとニューヨークで開催された世界最大のストリートアート展「Beyond the Street」にも、村上隆やMADSAKIらの作品とともにKaikai Kikiブースにて展示されました。snipe1は、アジアの現代アートの最前線にいることを証明しています。
https://www.instagram.com/fukitalltokyo/
URBAN ART RESEARCH Vol.1 | Houxo Que 『Proxy』
https://fnmnl.tv/2020/03/27/94325