【コラム】SKATELOG by hakase Vol.8|Story behind the board
みなさんこんにちは、ハカセです。さて、前回のコラムではスケートする上での心構えのようなものについて書かせていただきましたが、今回はそれに関連してもう少しスケートの「スキル」より「メンタル面」について書かせていただこうかなと思っております。
文:hakase
写真:Cho Ongo
早速ですが、みなさんはスケートを始める時にどんなデッキを買って始めたでしょうか?デザインが気に入った、乗りやすいと友人に勧められた、サイズで決めた、など様々な理由で決められたことかと思います。ここでいきなりですが、DGKというデッキブランドを紹介させてください。え?そんなん知ってるよ!って方も多いかと思いますが、しばしお付き合いください(汗)
DGKは「DIRTY GHETTO KIDS”汚いゲットーの子供達”」の頭文字で、創設者であるStevie Williams(スティービー・ウィリアムス、以下スティービー)はフィラデルフィアの貧しい家庭で育った黒人スケーターです。彼は、ドラッグや酒に溺れて一度はホームレス状態になるなど、どん底ライフを経験しながらも黒人特有のバネと身体能力を活かしたスケートスタイルを武器にシーンを這い上がり、DGKを立ち上げReebokやcasioなどのビッグカンパニーからシグネチャーモデルをリリースするまでになったスケーターです。
しかし、彼の成功はたった1人では成し得ませんでした。そう、どん底ライフを救ってくれた親友Josh Kalis(ジョス・キャリス、以下キャリス)がいなければ、今のスティービーは存在しなかったと言ってもよいでしょう。
キャリスは、若年期にスティービーと切磋琢磨しスキルを競い合った、スティービーにとってまさに相棒のようなスケーターでした。
ある日キャリスは地元の駅で、半ばホームレス状態になって母親と2人で呑んだくれているスティービーを発見しました。当時、業界は浮き沈みが激しく、少し会わなかった間にスティービーはスポンサーだったスケートカンパニーが突然倒産し、収入が無くなってしまっていたのです。
スティービーの才能を認めていたキャリスはショックを受けながらも、スティービーに再びスケートシーンにカムバックするよう説得します。キャリスは当時、人気の絶頂だったエイリアンワークショップ、そしてDCシューズのライダーとして活躍していました。「板や靴の心配はしなくていい、俺がお前をサポートする、必ず復活しろ」そう言ってスティービーに自分のスポンサーのギアを与えました。
半ばホームレス状態だったスティービーでしたが、親友のサポートと天性の才能により、再びシーンにカムバック。2003年にリリースされたDC初となるビデオには親友キャリスとともにパートを残し、その強靭なバネとオーバーサイジングなヒップホップスタイルで全世界に衝撃を与えました。
時は経ち、スティービーはDGKを立ち上げ、世界中の貧しいキッズに希望を与えます。チームにはスティービーのDNAを受け継ぐヒップホップスタイル全開スケーターが数多く集まりました。
あれ?ではキャリスはどうなったのでしょう?
90年代後半、東海岸のテクニカルなストリートスケートスタイルで人気を博したエイリアンワークショップでしたが、時代の流れとともに様々なスタイルのスケーターが加入していました。プールやボウルからステア、ハンドレールまでなんでもござれのNike SBの看板グラントテイラー、天は二物を与えすぎた超絶イケメン、故Dylan Rieder(ディラン・リーダー)。GX1000をはじめとする作品などでも唯一無二の存在感を放つJake Johnson(ジェイク・ジョンソン)などなど、あらゆるスポットに対応するオールラウンドハンマースケーターがずらりと名を連ね、看板スケーターであったはずのキャリスはいつしか、少しずつ時代遅れのおっさん扱いをされ始めていたのでした...
チームのスタイルに自分がフィットしなくなってきた事、そしてチーム内に明らかな派閥ができている事に気づき始めたキャリスは悩んでいました...
からの...
わかります???
キャリスがスティービーを説得し復活させた当時、キャリスはスティービーをエイリアンのライダーに推薦したらしいのですが、経営陣側の「チームのイメージに合わない」(当時エイリアンに黒人のライダーはいなかった)という意見でスティービーがエイリアンに加入することはありませんでした。つまり親友だったけど一回も同じデッキカンパニーに在籍したことがなかったわけです。
そんな紆余曲折を経て、スティービーがキャリスをDGKに迎え入れた、と。
こりゃあもう涙無しには語れないって話しなんですが、まあぶっちゃけそれなりに滑ってきたスケーターの方であればこの話は耳タコってくらい有名です。何が言いたいかといいますと、たくさん存在するデッキカンパニーそれぞれに、そのバックボーンがあるわけです。そしてそのバックボーンがグラフィックに落とし込まれてたり、スケートスタイルに現れていたりしているのです。
ぱっと見のグラフィックだけで選ぶのも、コンケーブやキックとかのスペックで選ぶのも間違いではないですが、せっかく自分が乗るスケートボードであるならば、その板がどんなやつらによって作られて、なぜそのグラフィックなのか、ディグったほうが絶対面白い。それを知ったときに初めて本当にかっこいいスケーターとは何かを知ることができる。スキルだけで中身すっからかんのスケーターにはなりたくないですよね?
みなさんも、もし今自分の使っている板がよくわからないって思ったら、ブランド名や、シグネチャーデッキだったらライダーの名前が板に書いてあったりするのでググってみてください。なんかわかるかも。無知の知。スケボーって深い〜〜。
Info
PROFILE
hakase
長野県出身。Diaspora Skateboardsのメンバー。あだ名のhakaseは、詳しい方の博士ではなく、ひょっこりひょうたん島の同名キャラクターが由来。4月に松本にて自身のスケートショップ「canola skateshop」をオープン。