【コラム】Altéについて、巡航する革新

2018年末、いつものようにFNMNLのプレイリストからチェックした曲を個別に調べていく中で、出会ったのがOdunsi (The Engine)『rare.』という折衷的で風変り、そして幻想的なアルバムで、その作品が私とAlté(オルテ)シーンとの邂逅だった。後に彼がリリースしたシングル『Better Days / Wetin Dey』は私を虜にし、彼は今月待望の新譜を出したばかりである。

2016年のDrakeによる"One Dance"やWizkidの世界的成功で、アフロビーツが世界中に伝播していく中で、2017年ごろから私の中で明らかに音質や細かい表現の部分で、外への発散ではなく内面的に蠢くような作品を出していたアフロビーツの一団が気になりだした。Newagemuzik、Ceeza Milli、Runtown、One Acen、WSTRN等がそうだが、前述のOdunsi (The Engine)もそのプレイリストの仲間入りを果たし、ほどなくSanti(アーティスト名をCruel Santinoに変更)、Lady Donli、Tay Iwar、WurlDなど、その流れで次々とその感覚を持ったアーティストが眼前に登場することになった。

新しいアフロビーツの流れを、自分の中で確かな進化として感じ取っていく中で目にしたThe Gurdianの記事を読み、自分がWeb上から国籍もよく調べずに断片的に集めいていた、特にSanti、Lady Donliなど後者の一団が、そのほとんどがナイジェリアの若者の集団ですでに「Alté」という名前で呼ばれている事に気づき、さながら個別の絵が繋がり巨大なモザイク模様を発見したように驚愕したのだった。

Altéは「オルタナティブ(Alternative)」の略語で、言葉通り特定のサウンドやジャンルを指すのではなく既存のアフリカの音楽を更新していく文化運動である。この名前はDRBのメンバーBOJによる2014年の楽曲"Paper"という曲の歌詞「The ladies like me because I'm an Alté guy.」に由来する。こう名付けられ一旦カテゴライズされているアーティストを聴いていけばわかるが、様々なジャンルを折衷的に取り入れた実験性が強いポップスをリリースしており、同時に強いビジュアルイメージとストーリー性を持っていることも、その大きな特徴だ。前述のOdunsi (The Engine)、Santi、Lady Donli、Wavy The Creatorが代表的なアーティストとして認知されており、彼らはお互いに強い協力関係を持ち、常にサポートしあっており、「家族のようだ」とDonliはその関係を語る。シーンの象徴的なビデオOdunsi (The Engine), Zamir & Santiの"Alté Cruise"には彼らの生活や精神性がすべて映っている。

これらの特徴はBOJの「ナイジェリアのクリエーター達のコミュニティで、音楽的、視覚的、スタイル的に境界線を押し広げている。ナイジェリアのニュージェネレーションの顔」という弁に簡潔に言い表されている。Altéはジャンルではなく精神性を指し、もっと言えばその精神性を共有するこのコミュニティの名前である。Altéのコミュニティはラゴス郊外の中産階級以上の若者たちがその中心で、彼らは伝統的なアフリカの文化と現代的な表現をコミュニティのなかで醸成し、各自が洗練された形で曲やビデオに表現してるのだ。

個人的にはAltéのアーティストによる楽曲は「洗練」という言葉が現在最も似合う音楽だ。2010年代までのアフリカやブラジル等、いわゆる発展途上国から「発掘」された音源をコンパイルして紹介し、素晴らしいものであると評価しつつ、同時に珍奇なものとして面白がる側面があったワールドミュージック的解釈やレコードディガーカルチャーの中に、そして私の中にも無自覚的にあった植民地主義を、Altéのサウンドは西洋的に現代的であり洗練され、しかし確かにアフリカ的であるという面から完全に乗り越えている。SNSの弊害が全面化した現在、その良い部分をなんとか見ようとした人間として、情報の並列化が生んだポジティブな側面を音楽から感じられる事が、私がAltéを聴いた時に感じるほの暗い安心感につながっている。

Altéの音楽的な特徴は、現代的なダイナミクスレンジを纏ってはいるが、どちらかといえばインディーR&B等に代表される大気を覆うようなレイドバックしたシンセのミックスや、もちろん控えめではあるがアフリカンリズムに偏っていて、主流となっているトラップ及びサブベースカルチャーの原則に重きを置いていないことが言える(または別のルールを持っている)。これはアフリカの音楽のキモがリズムにある事と無関係ではないだろう。屈指の名曲Santiの"Rapid Fire"にはベースが一切入っていない。最初に聴いたときはそのことに全く気が付かず、気づいたときに衝撃を受けた。サブベース全盛期の現在においてそれを入れない、という選択をすることはそれ自体が大きな提示である。現代の多くのポップスは、iPhone等でも映えるサブベースの低位の部分を目立たせるために他の音源の低域を削っていくのが定石だと思うが、"Rapid Fire"はシンセがすべての帯域を支配しており、それが幻想的なムードを生んでいるのではないだろうか。もちろん大半の楽曲はベースも駆使されているわけだが、その帯域の考え方は欧米圏のメインからは明らかにかけ離れている。

ナイジェリアのメインストリームの音楽シーンは、その社会が保守的で厳格なのと同様、寡占的であり新しいものを認めづらいようである。すべてをアーティストが管理して発表できるSoundCloudのプラットフォーム無しには自分たちはあり得なかった、とDonliは語る。2018年のインタビューで彼女は、メインストリームのアーティストとナイジェリアにはそれまでになかったSoundCloudアーティストのタグが登場し、より挑戦的なものを受け入れる土壌がようやく用意されつつあるとも加えていた。2010年代の世界中で、日本でも小規模ながら起きたことが、またナイジェリアでも起きたのだ。売るためのポップスでなくとも自分たちでビデオを作って曲を配信し、チケットを売り切り、海外での公演も叶う。

またSoundCloudによって世界中から容易にアクセス可能になったことで、ナイジェリアが軍事政権から共和制へと移行して資源輸出によって豊かになった1999年以降、世界各地に増えていったナイジェリア移民たちからAltéは強く支持されている。故郷から出て西洋圏などで生活する人間にとって、先進的でかつ懐かしさも含んだ音楽は好まれるはずだ。この辺りは88Risingの主要な支持層が、アメリカなどの西洋圏に住んでいるアジア人である事と相似形であろう。Santi曰く「最初に受け入れてくれたのはナイジェリア国外のナイジェリア人だった。彼らは私たちに価値を見出してくれた。多くの若者に話しかけると、『しばらくナイジェリアの音楽を聴いていなかったけど、また聴き始めたんだ』と言ってくれるんだ」

だが同時に、Altéが大変小さなムーヴメントであり、代表的なアーティストであるSantiの曲の最も多いものでもYouTubeでは200万再生であり、ラゴス郊外のAltéでなくシェペリテ的音楽を現代ポップ化し、国内で比較的成功したストリートアーティストのIdowestや、Mr.Real、Olamideといったものと比べてもその規模の小ささはわかる。

Altéの源流には70年代のナイジェリアに流入したアメリカ音楽や経済的繁栄によって花開いたナイジェリアンファンクや、現在でもフロアで聴かれるOby Onyiohaの"Enjoy Your Life"のようなナイジェリア産ディスコ、2000年代後半に西洋圏や日本でも発見と再発が進んだFuji、Juju、Highlifeといったジャンルもまた存在している。勿論Fela Kutiや先日この世を去ったTony Allenは言わずもがなであろう。また、これに関してはAltéだけでなくDavido等の成功したナイジェリアのアーティストも同じだが、90年代のLagbajaやBaba Fryoといった同時代の音楽に果敢に挑戦したナイジェリア人アーティストの存在も大きい。現在Altéが20代の若者を中心とするのは、ナイジェリアにおいては資源バブルで2000年代以降にようやく流入したMTVやインターネットによって西洋文化を一心に受けた第一世代であることも無関係ではない。

彼らは西洋文化への憧憬と過去のアフリカ文化へのノスタルジー、それらを通していかに現代の自分たちの表現としてそれを昇華し得るのか、そういった課題に常に挑戦してきたナイジェリアの最新形だ。こういった要素が私がこのカルチャー好ましく思う大きな一因だが、同時にこの試みや問いかけ自体、自分は日本において音楽に携わる中でどのように取り組んでいるのか?と問われているようにも感じる。私はいつまでも借り物の靴で歩いているのか否か?

そんな輝かしいAltéシーンにも問題がない訳ではない、いやむしろ問題の方が多いと言える。Altéシーンは、国内ではたびたび批判にさらされている。
「ナイジェリアはまだ非常に保守的で、社会意識の奥深くに規範が置かれていて、着るものから創作することが許されているアートの種類に至るまで、すべてを規定しています。そのため、「オルテ」と呼ばれるようなスタイルやアートをしている人たちは、ある種の嘲笑や見下し、無効化を余儀なくされています。「オルテ」という言葉は軽蔑されているほどです」(OkayAfricaの記事から引用)

批判されているのは社会の厳格さだけが理由ではない。Altéはその中核を占めるメンバーが国内において比較的富裕層(またはそう見える)という事もある。ナイジェリアは大陸全体の経済の四分の一を規模を占めるアフリカ屈指の経済大国ではあるが、貧富の差はやはり強烈で、まだまだ失業者も多く厳しい生活におかれている人間が多い。

そんな経済状況の中で、奇抜で浮世離れしたファッションやビデオ、内省的でイメージを優先させるAltéの表現は、端的に言って暇を持て余したお金持ちの子供の遊興のように映り、大多数の聴衆とのコミュニケーションは絶つエリート主義とも批判されている。これは88Risingの中心も帰国子女であることや、例えば日本においてYMOは何れも良家の子女であった事や、ヒップホップを輸入したキングギドラやブッダブランドもまた、留学ができ文化が理解できる富裕層であった事など、文化を輸入するときにどこにでも起こる事態であろう。すなわち、本来は広い意味での体制を刷新するアンダーグラウンドから起こった文化が、国を渡ってそれを伝えるのは必ず比較的裕福な層になってしまうという命題である。考えようによっては、これは逆説的に非欧米圏の文化が先進的な方向に一つ進む時に必ず通る門を、ナイジェリアもまた通っていると捉えられるだろう。Altéを認識した時になんとなく彼らがそうしたアーティストである空気は既に感じていたし、実際にSantiは10代でドバイに留学している。

こういった批判に対し、Odunsi (The Engine)は以下のように答える。「階級主義的な音楽があるとすれば、それはナイジェリアのポップスだ。彼らは平均的なナイジェリア人が決して達成できないようなことを話しているんだ。オルテの目的は何かを孤立させることではなく、より多くの人が表現できるようにすること。人々は自由であることに慣れていないし、表現を見ることにも慣れていないから、どう反応していいかわからないんだろう」(The Gurdianの記事から引用)

これはメインストリームのアフロビーツの歌詞は英語圏におけるコマーシャルなラップと同様、金や権力、異性について歌ったものがほとんどであり、それらこそが貧乏な人々に実現不能な夢を与えて階級を固定化しているという状況を批判したものである。実際の彼らはこの思想故に、その活動のほとんどを自己資金で行うインデペンデントの集団であり、お互いが手を貸しあうのもこういった要因があるようだ。度々メジャー資本へ手を伸ばしても、彼らは大きな人気と数字を持っていない為拒否されているという理由もあるようだ。
ただ、もし仮に彼らが富裕層だとしても、その事が彼らの音楽の価値を棄損するだろうか?人間は誰でも出自や環境によって作られるが、出発点がどこであれ普遍的な表現に達することは可能なはずだ。

様々なインタビューからAltéのアーティストは「ナイジェリアで生きる事に自由はない、そこから自由になる為に必要なのが音楽であり精神だ」といった趣旨のことを話している。ここでは自由に生きれない、と言い切るのはいささか強烈に感じるが、では果たして日本で生きている我々はどうなのだろうか、と考えると、さほど本質的な変わりは無いようにも思う。

今後はどうなるのだろうか?既にWizkidとSanti、Mr.EaziとLady Donli、OdunsiとDavidoなどの例に見られるように中心メンバーはビッグネームとの共演を次々と果たしている。ジャンルではなく共同体である以上続くかはわからない。だが、例えこれ以降緩やかに瓦解していったとしても、その精神性を宿してそれぞれがそれぞれの道でAltéの精神を個別に体現していく未来は決して悪くないだろう。すなわち、いかにして自分たちは自由であるか?という問いにそれぞれが活動で答えていくのだ。

Altéはナイジェリアの郊外から現れた特異な集団であると同時に、どの社会にも現れる自分たちや自分たちを取り巻く社会を更新しようとするありふれた若者の集団でもある。遠い国の不思議な音楽であると同時に、自分たちと同じ課題に挑戦し続ける身近な人間でもある。去年の5月の韓国の路地、曇って湿った空気の中でAlté Cruiseのプレイリストを一人で歩きながら聴いた時に感じた、異国のような故郷のような不思議な感覚が忘れられない。(okadada)

okadadaがチョイスしたAltéの10曲と2つのおすすめプレイリスト

参照文献
https://www.theguardian.com/music/2019/sep/23/alte-nigeria-pop-santi-odunsi-lady-donli
https://www.dazeddigital.com/music/article/45115/1/introduction-to-nigeria-alte-music-scene
https://www.okayafrica.com/nigeria-alte-subculture-inside-photos-look/?rebelltitem=4#rebelltitem4
https://www.ft.com/content/82b8f19e-fc8e-11e8-b03f-bc62050f3c4e
https://guardian.ng/features/alte-and-a-generation-of-artists-who-refuse-to-be-defined/
https://guardian.ng/life/music/dear-nigerians-alte-is-not-your-problem-in-life/
https://griotmag.com/en/meet-nigerias-coolest-kids-santi-alte-scene/
https://theface.com/music/drb-have-captured-the-energy-of-nigerias-alte-culture
https://www.pulse.ng/entertainment/music/pulse-opinion-so-much-noise-about-the-alte-movement/gynfp27
https://www.guap.co.uk/blog/2019/07/18/a-quick-guide-to-the-alte-alternative-african-music-sub-genre/

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