【インタビュー】Miki Tsutsumi│H.E.R.を手がけたエンジニアが語る仕事術とルーツ

H.E.R.の音楽は、もう聴いただろうか? デビューして2年と少しで、第61 回グラミー賞で最優秀アルバム賞と最優秀新人賞の主要部門を筆頭に、最優秀R&Bアルバム賞、最優秀R&Bソング賞(“Focus” )、最優秀R&Bパフォーマンス賞(“Best Part feat. Daniel Caeser”)の5部門でノミネートされ、見事、最優秀R&Bアルバム賞と最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞した、大注目のシンガー・ソングライターだ。大舞台で透明なギターをかき鳴らして、“Hard Place”を歌い上げた彼女はまだ21歳。変わったアーティスト名は「彼女」という意味ではなく、Having Everything Revealed(すべてを解き明かす)のアクロニムだ。

2つのEPをまとめた、ノミネートされたアルバムのクレジットの欄に、Miki Tsutsumiという日本人の名前がある。そう、デビュー前からH.E.R.にかかわった、正体を明かさないまま音楽を届けるという不思議なプロジェクトの一員は、横浜生まれでニューヨーク在住の日本人エンジニア、レゲエ界隈ではMiki Rooneyとして知られるサウンドクルーKing Jamのメンバーだ。先に書いてしまうと、筆者は2003年から彼の活動を知っている。インタビューが砕けた雰囲気なのは、そういう事情なので了承してもらいたい。

取材・構成:Minako Ikeshiro / 池城美菜子

- 最優秀R&Bアルバム賞の受賞、おめでとうございます。決まった瞬間、どんな気分だった?

Miki Tsutsumi - 最高にうれしかった。俺は、ステージに上がるつもりはなかったんだけど、H.E.R.がみんな上がって来てって。

- フロアーに座っていたけど、会場内の雰囲気は?


Miki Tsutsumi - リラックスした雰囲気だね。周りは、有名人だらけだったけど(笑)。

- 最優秀R&Bパフォーマンス賞は早い時間に発表されていたんだよね?


Miki Tsutsumi - 隣の会場で発表されたんだよね。俺は、息子を預けに行っていたから、出席できなかったんだけど。Daniel Caeserが代表して受け取ってくれたと思う。

- レッドカーペットも歩いたんだよね。やっぱり緊張するもの?

Miki Tsutsumi - 行くまでは不安だったけど、入ったら意外と大丈夫だった(笑)。気軽に歩いて周りの人をチェックしながら、自分たちの写真を撮ったりね。(レッドカーペットは)ノミネートされている人しか歩けないから、チェックはしっかりしていたけど、入っちゃうとみんな気軽で和気あいあいとしていたよ。

- 授賞式全体で印象的なエピソードは?

Miki Tsutsumi - 俺の周りはプロデューサーやエンジニアが多かったんだよね。ニューヨークで会ったグラミー賞のノミネーション・パーティーでおばちゃんに話しかけられたんだけど、その人の旦那さんがグレッグ・カルビー(Greg Calbi)っていう大御所のマスタリング・エンジニアだった。彼もKacey Musgravesの仕事で同じ最優秀アルバム賞にノミネートされていたから、その夜は「お互い頑張ろうね」って言い合った。グラミー賞の会場では二つ前の列に座っていて、俺がステージから降りて来たときには「おめでとう」って声をかけてくれた。カルビーは40年もやっていてなんどもノミネートされたけど、もらったことがなかったんだよね。だから、彼がグラミー賞で一番大きな賞を獲ったときは、すごくうれしかった。

- カルビーさんはマスタリング・エンジニアで役割が違うから、今後一緒に組む可能性もゼロじゃないよね?



Miki Tsutsumi - そうだね。グラミーって音楽に関わった人の賞じゃない? 「歌った人が評価されるのは当然だけど、その曲に関わったプロデューサーやミュージシャン、たくさんのエンジニアが影で支えて曲ができるから、それをもっと知ってもらいたい」ってカルビーが言っていたのは印象的だった。

- このインタビューでは、H.E.R.の音楽的な背景を聞きつつ、エンジニアとしてのMikiくんの活動を中心に書くので、基本的な話から行きましょう。まず、エンジニアってどういう仕事?

Miki Tsutsumi - 簡単に言うとレコーディング・エンジニアと、ミキシング・エンジニアの2種類がある。レコーディング・エンジニアはその名の通り、アーティストの声やミュージシャンが演奏した音を録る。俺が関わっているほとんどのプロデューサーは コンピューターで音を作ることが多いから、昔みたいに楽器の音を録ることは減って、声を録るだけの方が多いかな。曲のジャンルやアーティストによって、生楽器の録音が多いプロジェクトもあるけど。ミキシング・エンジニアは、録音した音をマルチ・トラック、例えばドラムだったらキック、スネア、ハイハットとか、ベース、ギター、シンセ、ストリングスとかに分かれているトラックをもらって、それに録音したヴォーカルを乗せて、音量のバランスの調整をする仕事だね。周波数をいじって低音や高音を加減したり、耳障りな周波数を取り除いたり、ディレイやリバーヴといったエフェクトをかけたり。とにかく、曲の雰囲気を整えて最終的にリリースされる状態にする。

- いまは、どんな形で活動しているの?

Miki Tsutsumi - 1年前に、クィーンズにある自宅から15分くらいのところに自分のスタジオを立ち上げたんだ。大きなスタジオではないけれど、ミキシングはほとんど自分のスタジオでやっている。

- ヴォーカルを入れるときは、ほかのスタジオに行くってこと?

Miki Tsutsumi - そうだね。だいたいH.E.R.を録るときはほかのスタジオを使っているね。俺のスタジオでもヴォイシングできるから、H.E.R.もたまに使うよ。いまは主にミックスの作業で使っている。

- なるほど。では、エンジニアになったきっかけは?

Miki Tsutsumi - もともとフロリダの大学に通っていたときにDJをしていて、いつか音楽で食べていけたらいいな、って考えていて。でも、卒業してみたらDJでは食べていけなくて、とりあえず旅行会社に就職したんだ。そうしたら、2001年に911(世界同時多発テロ事件)が起きて。観光客が減って、将来についてじっくり考える時間ができたんだよね。そのタイミングで、「近くの有名なエンジニアの学校を出て、音楽の仕事をしている友だちがいるよ」って聞いて。調べたらアメリカでも有名なエンターテイメント業界に強い、ツアーマネージメント、ゲームデザインやエンジニアの専門学校があった。それで、180度方向転換して、オーディオ・エンジニアになることにした。1年のコースで、24時間体制。昼間は授業、夜はラボ(実習)って環境だった。

- 行ってみたら楽しかったんだ?

Miki Tsutsumi - 楽しかったね。オリエンテーションでたくさんの機材を見せられて、感動して。その時点で俺は25歳で、ここで頑張らないとあとがないって危機感もあったんだよね。学費も自分で借りていたし、 毎日必死になって勉強した。卒業したら、音楽がさかんな、ニューヨーク、ロサンゼルス、ナッシュビルのどれかに行こうって考えていた。ずっと住んでみたかったニューヨークで頑張ろうって決めて、卒業して1週間後に愛猫を助手席に乗せてニューヨークへ行った。それが2003年。

- フロリダの大学でレゲエのDJをやっていたのも、だいぶおもしろいよね。

Miki Tsutsumi - 高校の時の親友がLee(レゲエ・グループのFire BallのChozen Lee)で、高校の終わりくらいに「最近、こういう音楽にはまり始めたんだよ」って言い出して。フタを開けてみたら、Leeがつるんでいたのがマイティ(Mighty Crown)だったんだ。そこから俺もレゲエにハマっちゃって(笑)。

- Mikiくんはお母さんがアメリカ人だけど、家ではどんな音楽環境だったの?

Miki Tsutsumi - 母ちゃんがカントリー・ミュージックやR&Bとかアメリカの音楽が好きで、俺も子どものときからStevie WonderやMichael Jacksonを聞いていたよ。家族でよく夏にアメリカに行っていたから、MTVみたいな音楽番組を見たりして、海外の音楽に興味を持っていたね。

- ニューヨークで最初に入ったスタジオがクアッドだっけ?

Miki Tsutsumi - そう、色んなレコーディングスタジオにレジュメ(履歴書)を送って、面接に来てくれって連絡があったうちの一つがクアッドだった。共通の友だちがいたスチュワート(Stuart White 以下、スチュー)が先にアシスタントで働いていて、意気投合して。ビルの5階全部がスタジオっていうイケイケの時代で、アナログのテープも回していた。それでクアッドでインターンを始めることになって、俺のエンジニア人生が始まったんだ。

クアッド・スタジオは、ニューヨークでも屈指のスタジオだ。1994年に2Pacが入り口で撃たれた場所でもあり、筆者もリスニング・セッションやインタビューで訪れるたびに、なんとなく緊張した記憶がある。00年代はレコーディングにもコンピュータライズドの波が来た時期で、エンジニアとして働き出したMiki Tsutsumiは、仕事を覚えながらその波を泳ぎ切ることになる。

- アシスタント時代のMikiくんは、いつも忙しそうだったよね。

Miki Tsutsumi - ほとんどスタジオで生活していたからね。セッションに入って3日間寝ないとかザラだった。でも、セッションに入らないと学べないし、上に行くにはそれしかない。俺の場合、スチューと友達になったのは大きかった。1年先輩だったから、俺がセカンドアシスタントに入れるようにヘルプしてくれた。彼の立場が一つ上がると、俺も一つ上がる、みたいな感じ。

- どんなアーティストと仕事をしたの?

Miki tsutsumi - ラッパーだったらBusta Rhymes、Ludacris、Scarface、Fat Joe、Talib Kweliとか。R&BはAshanti、Keyshia Cole、Gerald Levertとか.‥。Missy ElliottとJennifer Lopezもやった。クアッドはみんな単発のセッションでくるからアルバム全部には関わらないことも多かった。向こうが気に入れば、戻ってくるたびに指名されることはあるけど。Anthony Hamiltonやコンシャス系のラッパーは仕事をしやすかった。そうそう、この間亡くなったRoy Hargroveのセッションもすごくよかったな。そのとき、D'Angeloのエンジニアのラッセル・エレヴァード(Russell Elevado)についたのは勉強になった。

- 00年代の後半は、ニューヨークのスタジオがどんどんクローズしていたよね。

Miki Tsutsumi - 俺がエンジニアに昇格したあたりで音楽業界が厳しくなっていったね。レーベルの予算が減って、スタジオがバタバタ閉まり始めた。プロトゥールズ(音楽が作れるソフトウェア)が入ったことで、みんなアナログのテープマシーンを使わなくなって。バックアップはCDやDVDになって、それを焼くのに4時間くらいかかる地獄の日々だった(笑)。

- その中で、King Jamの活動も続けていたわけだ。

Miki Tsutsumi - King Jamはニューヨークに引っ越して半年くらいの時に、友だちにSteel Tを紹介された。King Jamが出ていたブロンクスのダンスに行ったら、PikkalとSteel-Tが出ていて、そこから意気投合して入ることになった。俺がクアッドのハウスエンジニアをやり始めた頃にPikkalが日本に拠点を移して、ニューヨークは俺とHaji、Steel-Tの3人で活動することになったから、忙しくなった。

King Jamは当時、日本人の存在自体が珍しいニューヨークのブロンクスで、レギュラーでダンスに出ていた。ブロンクスで人気があったサウンドマンで、のちにMajor LazorのハイプマンになるSkerrit Bwoyとダンスに出たり、サウンドクラッシュのトーナメントに出場して、現在のKing AddiesのメーンMC、King PinがいたMellow Tex と決勝でぶつかったりと、「エンジニアの仕事のサイドで」と片づけるにはあまりに濃い、本腰の活動だった。

- エンジニアにとって、必要なことは何でしょう?

Miki Tsutsumi - やっぱり人間関係だね。クライアントとは24時間、長い場合は2〜3週間も一緒にいるわけだから、人として信用されないといけない。常識も大事だし、大物アーティストでもプロフェッショナルに対応しないといけない。その次に、エンジニアとしての技術。どれくらい相手が欲しい音を汲み取って与えられるか。

 - Mikiくんは、余計なことを言わない印象があるかも。

Miki Tsutsumi - こう見えても日本人だから、抑えがちだね。整理整頓、片づけとか几帳面すぎるし。たまにアメリカでは控えすぎなのかなとも思うけど(笑)。

- Mikiくんは周りにいる人たちによってアジア人に見えたり白人に見えたりって、印象がけっこう変わるよね。いろんな文化や人種を背負っているのは、自分のキャリアにどう働いていると思う?

Miki Tsutsumi - エンジニアの世界では、俺は白人とは思われていなくてアジア人って扱いだよ。作る音のせいで、「お前はブラックだ」とも冗談でよく言われる。あと、アジア人でレゲエをやっているのも、面白がられたね。

- いま、日本からの仕事もしているの?

Miki Tsutsumi - 日本の仕事は仲がいいMighty Crownプロデュースの作品とか、Leeの曲が多いね。最近はドリカムの『The Dream Quest』でレコーディング・エンジニアとして吉田美和さんのヴォーカルを少しレコーディングさせてもらった。

- Leeくんは言葉を大事にするアーティストという印象があるな。

Miki Tsutsumi - うん、すごく才能あるよね。表現が独特だし。高校からの親友が音楽業界にいて、違う土俵で関われるっていうのはすごくうれしい。

- 振り返ってみて、役に立った仕事って?

Miki Tsutsumi - アシスタント時代に有名なエンジニアの仕事を脇で見られたのは大きかった。それから、スチュー。彼がいなかったら今の俺はいないくらい、影響が大きいかな。彼は本当に優れたエンジニアだから。

左:Miki Tsutsumi 右:Stu White

- いま、彼はどんな仕事をしているの?

Miki Tsutsumi - いま、Beyoncéのメーン・エンジニアをやっている。過去2、3枚の作品はほとんど彼が手掛けているよ。

- すごいね。ユニオン・スクエアで一緒にビールを飲んだとき、いい意味でふつうっぽいというか、明るい人だった気がする。

Miki Tsutsumi - そうそう、見栄を張らないし、誰のエンジニアをやっているということも自分からは言わないくらい。クアッドを離れたのも、ちょうどスチューがAlicia(Keys)のチームで働かないかって声をかけてくれて。そこでAliciaのスタジオで働くようになったんだ。

- そろそろ、H.E.R.の話をしましょう。

Miki Tsutsumi - 彼女は14歳から一緒に仕事していて、6、7年かかってやっとここまで来た。彼女と最初からやってきたプロデューサーのスワッグ(Swag Arcelious)と周りのチームがどうやって彼女を世に出そうかって考えて。最終的に正体を伏せて、彼女の外見やライフスタイルより、音楽が先にみんなに届くようにした。今の時代、ソーシャル・ネットワークで見た目や行動とか、音楽以外のことで判断することが多いじゃない? だから、まず音楽を、歌詞を聴いて共感してほしい、という狙いがファンとコネクトしたんじゃないかな。

と、ここで私のリサーチ不足が露呈するのだが、H.E.R.は10歳くらいのときに、神童的なシンガーとして本名で子ども向けのテレビ局、ディズニー・チャンネルなどのテレビ番組に出ているのだ。クリスティーナ・アギレラ、ジャスティン・ティンバーレイクもディズニー・チャンネルの出身で、そこから音楽業界に入るスターは多い。ただ、H.E.R.の音楽性を考えるとまったく別物であるのは明白で、デビュー当時、顔を出さないで切り離したのは頷ける。

H.E.R.とMiki Tsutsumiの息子

- H.E.R.はスタジオではどんな様子なの?

Miki Tsutsumi - 昔からスタジオが大好きで、一番早く来て、最後までいたよね。俺たちが「もう帰ろうぜ」って感じになっても、「ちょっと待って、この歌詞書いたから」って引き止める。あまりパーティーとかクラブに行く感じではなくて、家で友だちと会ったり、音楽作ったりする方が好きな子。いまは忙しくなったから、前みたいにはスタジオにこもれないけど。

- 自分でギターを弾きながら曲を作るあたり、Amy Winehouseっぽいかも。

Miki Tsutsumi - 色んな人の影響が入っているよ。Lauryn Hill、Alicia、Princeも入っている。お父さんがバンドをやっていて、昔から古い曲をよく知っていたよ。10代の頃から好きなアーティストは、PrinceやStevie Wonderって言ってたからね。いまのアーティストも聴くけど、楽器が弾けるアーティスト、ミュージシャンをリスペクトしてるね。

- もう次の作品に取りかかっているの?

Miki Tsutsumi - 取りかかっているよ。彼女は歌だけじゃなくてギター、ベース、キーボードも弾くし、ドラムも叩けるから、R&Bでは収まらない感じになってきている。最近はナッシュビルのスタジオでギターやピアノを弾きながら書いた曲もあるから、マルチなアーティストになってきているね。

- Mikiくんの仕事はどんな感じ?

Miki Tsutsumi - R&Bとヒップホップが多いけど、ポップやゴスペルも増えている。H.E.R.の音で知られるようになったから、そういう雰囲気のある、エフェクトの多い音が得意かな。やっぱりブラック・ミュージックが好きで、太い音が体に染みついているから、低音が多めのミックスが好きだね。

- 録音技術がどんどん変わるから、以前覚えたことが通用しなくなったりもする?

Miki Tsutsumi - 録音は、テープがコンピューターになったぐらいでそれほど変わってないかな。いまでも、もちろんマイク、マイクプリ、コンプレッサーといったアナログ機材を使うからね。 ミックスはやっぱり変わってきていて、卓の上でやる人もいれば、コンピューターの中で全部やる人もいるから、それをどう攻めるかで違いが出てきた。俺は、コンピューターのプラグインでミックスして、それからアウトボード・ギアーをちょっと足すハイブリッドと言われる方法でやっている。

- 海外で活躍したい人、エンジニアを目指したい人にアドバイスを。

Miki Tsutsumi - 俺は日本で生まれ育って、別にエンジニアになろうとしてアメリカに来たわけじゃないし、全く違う仕事にも就いたこともある。でも、音楽をやりたい気持ちが強かったから、いったんすべてを捨ててゼロから始めた。絶対にやってやる、って気持ちがあればどこに行っても結果は出せるっていうのは伝えたいかな。

- 苦労を苦労だと思わないタイプなのかな。

Miki Tsutsumi - いや、すごく苦労したと思ってる(笑)。いまだって成功したわけじゃないしね。人生って達成感が大事だと思っていて。できないと思っていたことができるようになったときに、やっていて良かったなぁと感じて、次のステップにつなげるのが大事だと思う。それがわかるまで、かなり時間はかかったけど。俺より優れたエンジニアはたくさんいるけど、自分の経験やバックグラウンドを信じて、人間性を生かしながら実力を上げていけば、必ず実ると思う。

- 目標にしたエンジニアはいたの?

Miki Tsutsumi - それがすごく不思議で‥いないんだよね。大御所エンジニアはみんな俺の手の届かないところにいると思ってたから、とにかくがむしゃらに自分のスキルを上げていたよ。 やっぱり一番影響があったのは、親友のスチューかな。上の人を追うというより、親友に力をもらってここまで来たって感じかな。

10年以上前に、King Jam周辺のレゲエ好きがハーレムで集まって、すき焼きを食べながらみんなでグラミー賞の授賞式を観たことがあった。終盤になって、「なんでドイツでやってるの?」とGrammyとGermanyを読みまちがえて大ボケをかました人がいたのだが、そのとき一緒に大笑いした人がグラミー賞のステージに立っているのは、とても不思議な感覚だった。私は彼のスタジオでの様子は知らないし、仕事では厳しい顔を持っているのかもしれない。ただ、これだけは書ける。グラミー賞で同じカテゴリーにノミネートされていたにもかかわらず、先輩エンジニアの受賞を喜び、インタビューでなんども親友のスチューに感謝の言葉をいうMiki くんは、いつだって「いい奴」だった。レゲエのサウンドクラッシュで負けても文句を言わず、「応援してくれたのにごめん」と開口一番に言うような人だ。長文のインタビューをしごく当然の話でまとめると、世界で長く活躍するのも、地元で変化を起こすのも、結局は人柄が大切なのだと強く思った。それにしても、グラミー賞でのH.E.R.のパフォーマンスはすばらしかった。今後、Miki TsutsumiとH.E.R.から出てくる新しい音が楽しみでしかたない。

Info

H.E.R.
グラミー賞2部門受賞のデビュー・アルバム
『H.E.R.|ハー』
発売中
https://lnk.to/HER_AL

Miki Tsutsumi

Instagram - @Rothertmiki

Twitter - @KingjamNYC

RMFStudiorothmix@gmail.com

 

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