【インタビュー】 浅沼優子 | ライターがベルリン移住を経てフェスを開催するまでの理由

「音楽で人生が変えられたっていうか、狂わされたっていう自覚はあるんですよ」と笑いながら語る浅沼優子は、テクノやヒップホップ、オルタナティブな音楽シーンをメインフィールドに、フリーランスの音楽ライター、翻訳/通訳家として、2000年代以降の日本のアンダーグラウンドなミュージシャンたちの良き伴走者でありつづけている。そして00年代が終わる頃には海外のミュージシャンと同じように、熱気盛んなクラブシーンがあるベルリンに移住し、ベルリンからそのシーンをレポートし続けている。それだけでなく、ここ数年は国内外のDJのブッキングエージェント/マネージャーとして、また、2017年、2018年には東京で開催されたベルリンのテクノ/電子音楽のフェスBerlin Atonalのサテライトイベントのディレクターとして、さらに活動範囲を広げている。

当然ながら、アーティストではなくライター/ブッキングエージェント/ディレクターとして自身のことを語る機会はほとんどなく、個人的に彼女を知る人以外の音楽ファンにしてみると、媒体のクレジットで名前を知る以外の手がかりはないのが現状だ。

11/30 - 12/1の二日間に渡り京都で開催される「MAZEUM -メイジアム-」イベントのディレクションのために帰国している浅沼優子に直接話を聞いた。

取材・構成・写真/Jun Yokoyama (Twitter / Instagram )

***

2009年にベルリンに移住する前の話から始めたいのですが、まずクラブ・ミュージックの出会いや日本の音楽シーンとの関わり、ライターとしての活動を始めるきっかけなんかを教えてください。

オーストラリアの高校に通ってる時から、日本での大学生時代、ずっとヒップホップのヘッズだったんです。1990年代に大学で日本に帰ってきて、DJ KRUSHとDJ KENSEIの追っかけをしていました。(笑) HARLEMのMASTERKEYとDJ KENSEIのパーティに毎週行っていました。KENSEIさんが六本木のNUTSに移ってからは、より彼のプレイがアンダーグラウンドになって、それがきっかけでアングラヒップホップにハマっていきました。当時、Mary Joy Recordingsの肥後さんもそのパーティに来ていたりしました。私を知ってる人は知ってる話なんですけど、大学在学時にヒップホップのミニコミ誌を作ったのがライターをするきっかけです。

今で言うちょっと厚めのZINEみたいなもんですね。

それが結構評判になって。日英のバイリンガルにして150ページくらい。例えばTHA BLUE HERBの初の長いまとまったインタビューを他のヒップホップ雑誌とほぼ同時期くらいにしたりとかしていました。『Clue』っていう雑誌で、しんどすぎて2号分しか出していませんが、カナダのアングラヒップホップとかいろいろ、当時のヒップホップ雑誌で取り上げられていないアングラなヒップホップ情報を載せていました。

ファンとしてミニコミ誌を作るっていうのはちょっと飛躍があるとおもうんですが、その原動力やきっかけになることはあったんですか?

Mary Joy Recordingsの肥後さんの存在が大きいです。当時Mary Joy RecordingsはMain SourceやShing02、『Tags Of The Times』っていうコンピなどのリリースを積極的にしていて、「自分とほとんど歳変わんないのに、すげーなって。私もなんかやんなきゃ」と思ってその雑誌を作ったんですよ。その中には肥後さんのインタビューなんかもありますよ。

1000部作って税込500円で売りました。ディスクユニオンとかタワレコとかにも置いてもらったりしてました。基本的に執筆も編集も全部やりました。デザインだけはボランティアの友達にお願いして。

それが初めてのライターとしての仕事ですか?

パーティに遊びにいったり、遊びでDJとかしてましたけど、広くファンの人に何かを届けるっていうことをしたのはそれが初めてでした。そのミニコミ誌の評判が良くて当時のヒップホップ雑誌の『Blast』やテクノ雑誌の『Ele-king』に関わってる人とかから連絡がありました。既存の音楽媒体でライターとかインタビューをしないかという話をいただくようになりました。執筆の他に英語の通訳や翻訳もしていました。

そうやってZINEやライターや通訳の仕事もやってたんですが、これはあくまでも趣味にしておこうと思って広告代理店に就職しました。いわゆるサラリーマンですよ。やっぱり毎日終電逃してタクシーで帰って、週末クラブに行って、友達とご飯食べて、それで終わりみたいな。だから趣味に打ち込むとか発信するとかができなかったし、そのライフスタイルがあまり納得かないっていうか、違和感はずっとありました。大学を卒業してから2年半広告代理店で働きましたが、仕事が向いていないというより、売れている商品をさらに売るっていう広告の世界に興味が持てなくて辞めようと思ったんです。

まだ広告代理店で働いている時、2002、3年だと思うんですが、『remix』の編集長だった野田努さんが突然連絡くれたんですよ。なんの用事だったかと言うと、Underground ResistanceのMad Mike(Mike Banks)の3時間のインタビューの録音の文字起こしだったんですよ。(笑) 結局日本語に起こしてみたら2万5千字くらいあった。その原稿を渡したら野田さんがえらく感動してくれて。こんなに丁寧に文字起こしをしてくれる人はいない!って(笑)。2号に渡ってその記事が掲載された『remix』は今でもUnderground Resistanceの事務所Submergeに飾ってありますよ。その後もAtari Teenage RiotのAlec Empireの電話インタビューを頼んでくれたりと、サラリーマンの傍ら、少しずつ音楽の仕事をするようになりました。

今現在で私達が持つ浅沼優子さんのイメージというと、ベルリンに移住して、テクノ・電子音楽といったクラブ・ミュージックのライターというものなのですが、ヒップホップファンとしてもお名前をよく見かけていました。ヒップホップにハマるきっかけから、テクノ・電子音楽を聴くようになった出会いなどを教えてください。

1990年代、オーストラリアの高校時代にヒップホップにはまりました。Public EnemyとかATCQ、Wu-Tang Clanとかが入り口でしたね。Mo'WaxやDJ KRUSHとかちょっとレフトフィールドなものも当初から好きでした。メインストリームのJay-ZやPuff Daddyを聴いて、ブレイズ編んで、B-Girlファッションでキメるみたいなタイプではなく、COMPANY FLOWやTalib Kweliを聴いて「ヤバイ」って言ってるようなタイプでした。メインストリームがいつでもあまり好きではないんですよ。天の邪鬼みたいなもんなんですかね。オルタナ志向というか。

オーストラリアの高校時代はグランジ・ブーム真っ最中だったんですよ。クラスの音楽好きの子はみんなNIRVANAなんかを聴いていました。でもみんなと同じは嫌だったんです。(笑) みんなが聴いてないものを聴きたくて、自分だけはMary Jane Bligeを聴いていた。こじつけかもしれないですが、オーストラリアの白人中心の社会で、自分はアジア人のマイノリティーだったということもあってHIPHOPに共感したのかもしれないです。

テクノやダンス・ミュージックとの出会いは?

1996年くらいにはURを知って、これは「Public Enemyと同じことしてるじゃん!」みたいな感じで感動しまいた。その頃からURは聴いてはいたんですが、HIPHOPヘッズだった自分とダンス・ミュージックの橋渡しをしてくれてたのがTheo Parishでした。

恵比寿Lustで開催されたTheo Parishの来日公演のDJを聴きに行ったんですよ。99年の末くらいだったと思います。あれが初来日だったのかな。確か、その同じ日に新宿LIQUIDROOMで「UR Night」があったんで、デトロイト・テクノファンはみんなLIQUIDROOMに行ってたんですよ。200〜300人くらいのキャパの箱で、こぢんまりとしたパーティーでした。私は、当時CISCO TECHNO店でバイトしていた友達に、「Theo Parrishがヤバいらしい」という聞いていたのと、デトロイトの音楽には前から興味があったので、そっちに行ってみた。それで完全にやられてしまいました。

自分が一番好きなヒップホップのプロデューサーはJ Dillaだったんです。当時はまだJay Deeとして知られていました。実は私、MixiのJ Dillaのコミュニティの管理人もやってました。(笑) で、Theo Parrishを聴いて、これはJay Deeのハウス版だ!と思って。今、悪魔の沼のメンバーとしてDJをしているDr. Nishimuraさんが、その頃バロン・レコードのバイヤーだったんですが、Theo ParrishやMoodymannをいち早く店頭に置いていたんです。そのTheo Parrishの公演の翌日、西村さんから『remix』の取材の通訳をやってよって言われて、Theo Parrishと一緒に話できる機会があったんです。その時にTheoにJ Dillaが好きなことを伝えたら、意気投合して。(笑) それまではHIPHOPと比べてハウスは「チャラチャラしてる」と思ってたんですよ。けどそこからダンス・ミュージックを広く聴くようになりました。Larry Heardの存在を教えてくれたのはTheoでした。

会社員をやめてフリーランスとして活動し始めたのはいつ頃ですか?

音楽雑誌やレーベル、DVDの製作会社などから仕事の話が来るようになって、広告代理店で働くより儲からないとはわかってるけど、たくさん仕事すればなんとかなるかと思って、音楽ライター兼通訳翻訳として、2003〜4年頃に会社を辞めてフリーで活動するようになりました。Jeff Millsとか、WARP、On-Uなどのアーティストのプロモ日に1日ベタ付きで20本取材の通訳とかしてました。

そういう仕事をしていると、アーティストとずっと話をするから仲良くなるんですよ。仕事を通じてDJとかの知り合いが増えて、その多くのDJがよくベルリンが熱いっていう話をしてたんです。『remix』や『Groove』でよく仕事をさせてもらってたので、ダンス・ミュージック系の仕事をよくしてたのもベルリンの話をよく聞いていた理由かもしれません。


ベルリンの噂を聴いてから実際に引っ越すことは大きな飛躍だと思うのですが、当時の、自分のホームである東京のシーンはどんな感じだったんですか?

私にとって2000年半ばっていうのは、重要な場所がなくなっていく時代だったんですよ。新宿LIQUIDROOMが閉店(移転)して、CISCOなどのレコード屋もどんどんなくなって、面白いパーティーも減って自分の居場所が少しずつ減っていった。そんな頃、2007年に、その噂のベルリンに初めて旅行で行ったんです。DixonとかDaniel WangといったベルリンのDJの友達が何人かいたので、いろんなところに連れて行ってもらったり人を紹介してもらいました。自分の90年代のベルリンのテクノのイメージって、牢獄みたいなところで歯を食いしばってストロボのみで踊るみたいなストイックなイメージがあったんですが、自分が行ってみたベルリンは、もっとゆるくて、享楽的なムードがあったんですよ。

あと物価も安かったのも驚きでした。クラブもお酒も、家賃も安かったんですよ。ShackletonやRadio Slaveとかも当時その頃にベルリンに移住してたのかな。当時テクノはRichie HawtinとかRicardo VillalobosとかLucianoなどの、いわゆるベルリン・ミニマルが世界的に流行ってたんで、ベルリンがトレンドセッター的な位置にあった。

ベルリン旅行で一番衝撃を受けた場所だったり、ベルリン移住を心に決める出来事なんかはありましたか?

それはもうBerghainでした。2007年に行った時にもBerghainを訪れました。階段を登って、初めてあのメインフロアに足を踏み入れた時、 Luke Slaterがプレイしていた彼の音楽は少し聴いてみて全然好きじゃないと思っていたけど、Berghainで聴いたらめちゃくちゃカッコよくて!こういう音楽はこういう場所でこうやって楽しまれるものなのか!って理解できた。やっぱりBerghainはゲイクラブなので、リベラルというかゲイ・パワーを体感しました。NYのBody & Soulも行ったことがあったんですが、アメリカのゲイ・パーティーとはまた違う衝撃がBerghainにはありました。

そうこうしているうちにYELLOWも閉店して、『STUDIO VOICE』も『remix』も休刊になって、クライアントが減っていったのと、ベルリン滞在での経験、住んでた家の取り壊しなんかが重なって、ベルリンに1年だけ住んでみることにしたんです。当時ベルリンに住みながら音楽のライターをしている日本人もいなかったので、行けばなんとかなるかと思って引っ越してみた。試しに1年行くつもりがもうすぐ10年になりますね。(笑)

ベルリンに行ってからはライター以外の仕事もはじめられたと思うのですが、具体的にはどんなことをしてるのですか?

『Sound & Recording』とか『Groove』、『Wax Poetics Japan』の仕事をベルリンに住んでからもしていたのですが、ベルリンでミュージシャンやレーベルの人と知り合いになるようになってから、彼らの日本向けのプロモーションを手伝うという仕事もするようになりました。けどその仕事をやってみて気付いたのは、自分が本当に好きなもの以外は上手くプロモーションできないこということ。(笑) でも、Berghainが経営しているブッキングエージェンシー「Ostgut Booking」に仕事を頼まれた時はぜひやりたいと思いました。Ostgut Bookingには、BerghainのレジデントDJ、Marcel DettmannやBen Klockたちが所属しているんですが、そのエージェントが日本からもブッキングのリクエストが来ているけど、日本のことがわからないから手伝ってくれと言われて。2010年から2016年までOstgut Bookingの日本の担当をやっていました。本数にしてはそんなに多くないですが、そのエージェンシーに所属するアーティストの日本のブッキングは全部私を通してやってたんです。

DJ NOBUさんのBerghainの公演を実現させるということを目標にしていたという話でしたが、その実現の経緯など教えてください。

2009年、もう私がベルリンに引っ越すことを決めていた時に、Marcel DettmanがDJ NOBUのFUTURE TERRORに出演したんです。当時Moduleのブッキングをしていた重安くんが日本に呼んだんですが、NOBUくんがずっと千葉に呼びたがっていたのを知ってたので、私がアテンドするから千葉もやらせてほしいとお願いして、FUTURE TERRORにも出演させてもらった。あれは「神回」でしたね(笑)Marcel自身もFUTURE TERRORの雰囲気やDJ NOBUのプレイにすっかりやられちゃって、2009年のベスト・パーティにFUTURE TERRORを挙げてくれたんです。

私はBerghainに初めて行った時からDJ NOBUはここでプレイするべきだと思ってたところ、2010年にMarcel DettmanのBerghainでの誕生日パーティにDJ NOBUを呼んでくれることになったんです。誕生日月には主賓のレジデントDJが全ラインアップを決めていいっていうBerghainのしきたりがあって、MarcelがDJ NOBUを選んだんです。そしたらちょうどアイスランドの火山が噴火して、DJ NOBUが乗るはずだったフライトが欠航になったり、はじめてのヴェニューでのプレイということもあって彼にとっては大変なギグになっちゃったんですが、その後自分がDJ NOBUの個人的なブッキング・エージェントみたいなこともやるようになって、ヨーロッパでのギグも増え、評判を積み重ねて、DekmantelやパリのConcreteなどインパクトのある場所でプレイするようになったんです。DJ NOBUのプレイのクオリティをヨーロッパの人が知ることになってから、「日本のヤバいアーティストはヨーロッパでも通用する」っていう確信を持つようになった。特に目立った日本的要素を打ち出さなくても、スキルの高さやセンスの良さは、他の文化圏でも共感を得られることが分かったんです。ヨーロッパのプロモーターもそれに気づき始めて、欧米以外にも目を向けるようになってきたと思います。

ここ2年、ベルリンのフェスBerlin Atonalの日本でのサテライトイベントをディレクションされていますが、どうして活動範囲を広げようと思ったのですか?

Berlin Atonalというフェスが5年前に復活してから毎年行っていたんですが、そのディレクターのチームから「Berlin Atonalを日本でやることはできないか?」ということを相談されたんです。私は「Berlin Atonalを日本に持っていくのはいいけど、ベルリンから日本へヨーロッパのアーティストを持っていくという一方向では意味がない。日本の人たちにもメリットがあるよう、Berlin Atonalにももっと日本のアーティストを出演させていくという双方向の取り組みならやる」という条件を出したんです。日本でやったBerlin Atonalの2回のパーティ、2017、2018年とNew Assembly、New Codesで出演したアーティストをベルリンのフェスに出すことを約束してくれるならって。

それはどうしてですか?

日本にもDJやアーティストの友達はいっぱいいますが、みんなちょっと行き詰まっていたというか、あまり希望の持てない状況だって話をよく聞いていて。自分には何が出来るのか、どうしたら状況を好転させられるのかをずっと考えてました。外国にいる分、日本のユニークな部分、ヨーロッパにはないスタイルや個性というものがよりクリアに見えてきたこともあると思います。だから、いいきっかけが来たと思ったんですよ。例えば今年の2月にやったNew CodesにはMoritz von Oswaldが出演したんですが、その時に「モーリッツ先生がやってくる!」っていう見せ方ではなく、ちゃんと海外のアーティストと日本のアーティストが同じレベルで共演しているという見せ方をしたかったんです。タイムテーブルにも工夫をして、早い時間にDemdike Stareにプレイしてもらって、そのあとYPY、YAMAさん、最後にMoritz von Oswaldというふうに、よくあるイベントの日本と海外アーティストの並びを逆にしたんです。クラブに自然と人が多くなる時間にYPYとYAMAさんが出ることになる。そうすることで日本のアーティストとヨーロッパのアーティストが対等であること、全く引けを取らないし同じくらい評価されてもいいんだ、ってことが見せられるかなと思ったんです

日本でのBerlin Atonalのサテライトイベントに出演したアーティストが去年と今年のベルリンの本フェスティバルにも7〜8組出演することになりました。その出演したアーティストも、ちゃんとインパクトを残すことができた。行松陽介くんはヨーロッパのメディアのイベント・レビューにもすごく取り上げられたりして今年のBerlin Atonalだけでなく、イギリスもツアーしたLil MofoとChangsieも、それぞれにこれからの活動を変えるような体験になったようです。

浅沼さんはこれまで海外のアーティストの日本でのツアーやプロモーションを手伝うことを仕事にしていたということで、浅沼さんが今問題だなと思っているシーンのいびつな構造に、言い方は悪いですが加担してしまってたわけですよね。それをどう考えたりしますか?

海外アーティストが日本のイベントに出演する時の、日本のローカル/サポートアーティストに対して、自分はちゃんと意識を払えていたのか、と思うとそうでもなかったのではと反省するようになりました。海外からのDJメインで集客をする、そしてローカルのアーティストがリスト集めをするということが当たり前になりすぎてて、それに疑問を持たずにやってきたけど、日本を離れてベルリンでみんながどうやってパーティをするかを見てると、それって当たり前じゃないし不思議な構造だなと思うようになったんです。あとは自分が東京からベルリンに移住したことにも如実に現れていると思うんですが、90〜00年代と比べると、簡単には比べられないですが、クラブシーンが盛り上がっているとは言えない状況もあって。もちろん集客自体も大変になってるし、DJの人がギャラを稼ぐことが難しくなってきたり。そういう話をすごくよく聞くんですよ。

ある意味自分はそれを見捨ててベルリンに行ってしまった人なんだけど、ベルリンで見聞きしたり体験したり学んだりしたことを、日本のアーティストやシーンに対してどうにか還元する方法はないか、ずっと考えてきました今年からは、ヨーロッパのブッキング・エージェンシーPolyのエージェントの仕事も始めて、腹をくくって現地の音楽ビジネスに関わりながら、日本のアーティストを向こうのシーンに本格的に紹介、仲介していく体制を作り始めています。

Berlin Atonalと2回行ったイベント開催を経て、MEZEUMは完全にオリジナルなフェスとなります。

Berlin Atonal自体は素晴らしいフェスティバルですが、日本で海外のフェスティバル・ブランドを育てていくよりも、日本の人たちが、自分たちで独自のものを、海外にも発信するフェスをやった方がよっぽど強いしインパクトがあるんじゃないか、と思うようになったんです。

日本にも良質な音楽フェスティバルはたくさんあります。けどそのフェスのほとんどが、当たり前ですが国内のオーディエンスに向いている。アートや映画、演劇などの分野では「国際〜祭」ってありますけど、意外にも音楽の国際的フェスティバルって少ないなと思って。特に、一番面白いものが渦巻いてる、そして国外の人たちが興味津々な、日本のアンダーグラウンド/アヴァンギャルドな音楽文化を伝えるものは本当にない。あったとしても、部外者にはなかなかアクセスしにくい。欧米のフェスティバルをモデルにした、とてもクオリティの高いフェスティバルはいくつもありますが、やはり外国の人はその土地ならではのものを一番体験したいと思うんですよ。私だって、デトロイトのフェスティバルに行って、ベルリンのDJを聴きたいとは思わないですから。

簡単に言うとラインナップも海外のフェスと似たようなものになりがちですよね。それはそれで見たいアーティストが来てくれるのでうれしいですが。

もちろん欧米の人気アクトが見れたり、優れたアーティストを紹介するフェスの意義は大きいし、国内やアジアのオーディエンスにとってはそれも必要だと思います。でも、それに偏りすぎだなと。日本の才能を国外のオーディエンス向けに発信したり、国内外のアーティストたちを対等に交流させるような音楽フェスがあまりに少ない。ただ英語でウェブサイトを作ったり、英語のプロフィールを載せればいいものではないと思うんです。国内のオーディエンスに人気なものと、海外の音楽ファンが聴きたがってるというものは、ちょっと違ったりするんで、その両方を考慮したキュレーションをして、体験の場として発信していくということをしたくて。

 

MAZEUMのラインアップを一言で言うとどんなものになるでしょうか?

今回のMAZEUMのラインアップは、世界中探してもこんな人たち他にいないでしょ!?という人選になっていると思います。売れているとか、分かりやすいとかよりも、唯一無二な個性を持つ人たちに出演してもらっています。10年近く(通算だと17年近く)海外に住んでるけど、ずっと日本のシーンの人たちとも交流を続けているという、割と特殊な立場を生かしつつ、今回このアイディアに賛同してくれて、めちゃくちゃ知恵と人脈を駆使して一緒に考えてくれたBLACK SMOKERのJUBE君やノイズ中村君、DJ NOBU君、それに京都/関西の仲間やその仲間に、本当に色々インプットをもらっています。すごい紆余曲折も経て完成したので、このラインアップ自体が一つの作品みたいな気分ですね。

海外の目線を参考にしつつ、海外のフェスと同じラインアップにならないようにするということですね。オーディエンスにはなにを期待しますか?

どんなお客さんが集まってくれるかは、開催してみないと全然分からないです!将来的には、国外からもたくさん音楽好きが集まるようなものになって欲しいと思いますが、それと同じくらい、地元や国内のお客さんにも楽しんでもらえるものにしたいです。色んなタイプの、色んなお客さんやアーティストが、音楽を通じて交流し、多様性を楽しむ状況を作るのが理想です。何かチャレンジして新しいことを試してみないと、停滞した状況は変わらないですからね。だから、「こうしておけば安心」ということはことごとく無視してるというか逆行してると思います(笑)。天邪鬼なので!

人を呼べそうなアーティストを海外から呼んで、ローカルのDJがサポートをしてというフォーマットを無視しているわけですね。(笑)

海外から招聘する3名のアーティストも、日本での知名度がほぼ皆無。本当にそのフォーマットには真っ向から挑戦しているという気持ちはあります。JUBEくんには、「浅沼さん、周りに聞いたけど誰も知らないですよっ!」って怒られましたもん。(笑) だからこそ見てほしいし、その反応が見たいんですよ。

クサい言い方になっちゃうんですが、音楽で人生が変えられたっていうか狂わされたっていう自覚はあるんですよ。HIPHOPにハマったりしなければ、テクノと出会うことも、ベルリンに行くこともなく、広告代理店でずっと働いていたと思います。音楽に限らず、アート全般に言えると思うんですが、心を揺さぶられる瞬間、生き方を変えられてしまうような力がある。私にはそれが生きることの原動力だし、他の人の生きる原動力にもなって欲しい。全部そのためにやっている。今回MAZEUMに関わってくれている人は、出演者も関係者も、みんなそういう人たちだと思います。

MAZEUMには、ジャンルもアンビエントからジャズ、テクノ、エクスペリメンタル、ハードコア、ノイズ、HIPHOPなど幅広いし、ダンスやパフォーマンス・アートの要素も入っています。でもただの「何でもアリ」ではないので、どれかに興味を持って来てくれた人は、確実に他にも面白い、好きだと思えるものに出会えると思うんですよね。私は全く想定していなかった、「中学生の子供を連れて行っても大丈夫ですか?」という問い合わせが来て、すごく嬉しくなりました。きっと何かが起こる、と期待しています。

 


 

MAZEUM -メイジアム-

今、世界から熱い注目を集める日本のアンダーグラウンド音楽シーンから、 最もカッティング・エッジな音楽とアートのフェスティバルが立ち上がる。 ワールドクラスの鬼才たちが京都に結集し、3つの寺を含む全6会場でパ フォーマンスを繰り広げる2日間、〈MAZEUM -メイジアム-〉開催。

日程

2018年11月30日(金)〜12月1日(土)

日時・会場

■ MAZEUM 2-Day Pass(Tシャツ付)/9,000円

https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002275701P0030001

■法然院オープニング・コンサート/4,500円

  • 出演:スガダイロー/Sarah Davachi (Los Angeles, US/CA)/VJ Rokapenis
  • 日時:2018年11月30日(金)18:30〜

https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002275665P0030001

■METRO クラブ・イベント/3,000円

  • 出演:DJ NOBU/Nazira (Almaty, KZ)/halptribe/VJ Hashim
  • 日時:2018年11月30日(金)23:00〜

https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002275674P0030001

■極楽寺・UrBANGUILD・誓願寺・OCTAVE 4会場コンサート・サーキット/4,500円

  • 出演:KILLER-BONG/山川冬樹/Goat/空間現代/ZVIZMO (テンテンコ +伊東篤宏) × contact Gonzo/志人・スガダイロー/ 佐藤薫 + EP-4 [fn.ψ]/行松陽介/ENDON/ANTIBODIES Collective/マヒトゥ・ザ・ピーポー/DJ YAZI/食品まつり a.k.a FOODMAN/テンテンコ/小松千倫/7FO/KOPY/Ken FURUDATE/Torei/PODD/HIDENKA/Koki Emura (EM Records)/ふちがみとふなと/マドナシ (キツネの嫁入り)/Bomb birds ya!/杉本戦車/DJ SOYBEANS/VJ Rokapenis
  • 日時:2018年12月1日(土)14:00〜

https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002275709P0030001

■OCTAVE クラブ・イベント/3,000円

  • 出演:Moor Mother (Philadelphia, US)/BLACKSMOKERS/BIM (THE OTOGIBANASHI’S)/ /YOTTU/VJ Rokapenis + more
  • 日時:2018年12月1日(土)24:00〜

https://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002275688P0030001

企画・制作
BLACK SMOKER RECORDS, DJ NOBU (FUTURE TERROR/ GONG), 浅沼優子, ノイズ中村(VELVETSUN PRODUCTS), 井尻有美(ハイウッド関西)

協賛
adidas Originals

音響機材サポート
Pioneer Pro Audio

グラフィック・デザイン

河村康輔

ロゴ・デザイン

三重野龍

お問い合わせ:info@mazeum.jp / http://mazeum.jp


2018/11/28 (水)

DOMMUNE 〜京都で始まる新たなフェスティバルMAZEUM SPECIAL!!

■19:00~24:00 「MAZEUM」

■「MAZEUM」今、世界から熱い注目を集める日本のアンダーグラウンド音楽シーンから、最もカッティング・エッジな音楽とアートのフェスティバルが立ち上がる。

総勢40組のワールドクラスの鬼才たちが京都に結集し、3つの寺を含む6つの会場でパフォーマンスを繰り広げる2日間〈MAZEUM -メイジアム-〉今週末開催!!直前スペシャルとして、19:00〜は主謀チームのJUBE(BLACK SMOKER RECORDS)、オーストラリア・ツアーから帰国直後のDJ NOBU(FUTURE TERROR)、ベルリン在住音楽ライターの浅沼優子が『MAZEUM』発足の経緯とフェスティバルにかける意気込み、見どころなどを紹介!!21:00〜は、フェスティバル出演者の中から、BLACK SMOKER RECORDS頭領KILLER-BONG、フィラデルフィアより初来日するパンク/ヒップホップ/フリージャズ詩人・アクティヴィストMoor Motherの本邦初公開ライブ、そして京都の若手注目DJ ToreiがDOMMUNE初登場し、紅葉に輝く美しき古都、京都に出現する異次元音楽・アートの祝祭の魅力の一部をお届けします!!

■19:00-21:00 出演:DJ NOBU(FUTURE TERROR)、JUBE(BLACK SMOKER RECORDS)浅沼優子 聞き手:Jun Yokoyama

■21:00-24:00 「MAZEUM|BROADJ#2624」

DJ:KILLER-BONG(BLACKSMOKER RECORDS)、Torei(from Kyoto)

LIVE:Moor Mother(from Philadelphia、US)


DOMMUNE アーカイヴ番組期間限定公開中!

出演アーティスト計30時間のアーカイヴを1日2本5日間、12/1の開催終了日まで順次限定連続公開!

●「MAZEUM」開催記念!超限定公開DOMMUNE RARE ARCHIVES(1)
■2018/05/16 group A meets BLACK OPERA !!」BROADJ#2496
LIVE&DJ:group A(from Berlin)、テンテンコ、ermhoi、AKIRAM EN、伊東 篤宏
https://youtu.be/8Acien0Apxw (公開中)
●「MAZEUM」開催記念!超限定公開DOMMUNE RARE ARCHIVES(2)
■2017/09/16「DOMMUNE SAPPORO!」DAY5 DOMMUNE UNIVERSITY OF THE ARTS 
「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS season 5/#039 山川冬樹」 
出演:山川冬樹 聞き手:藪前知子(キュレーター/SIAF企画メンバー)
■21:00−23:00「DOLIVE!」DAY5 supported by Redbull Music Academy
LIVE:山川冬樹、ハットコペ、テンテンコ
https://youtu.be/K1uIUgTaUN0 (公開中)
順次動画公開予定

RELATED

BLACK SMOKERによる学校『BLACK ACADEMY』が11月に2日間限定開校

これまでも多彩なイベントを開催してきたBLACK SMOKERが新たに『BLACK ACADEMY』を11月に2日間限定開校する。

注目のフェス『Unsound』のバーチャル版で日本のアンダーグラウンドに焦点を当てたフェス『MAZEUM』のショーケースが配信|Killer-Bong、マヒトゥ・ザ・ピーポー、小林うてななどが出演

2018年に京都で開始された、日本のアンダーグラウンド音楽シーンの最もカッティングエッジな音楽とアートに焦点を当てるフェス『MAZEUM』が、世界的に注目を集めるポーランドの進歩的フェスティバル『Unsound』の10月1〜11日に渡って開催される2020年バーチャル版『Intermission』に参加することが決定した。

COMPUMAが最新ミックスCD『Innervisions』をBlack Smoker Recordsからリリース

ADS(アステロイド・デザート・ソングス)、スマーフ男組での活動を経てDJとして活動し、近年は悪魔の沼の一員として各地を飛び回るCOMPUMAが、最新ミックスCD『Innervisions』を4月にBlack Smoker Recordsからリリースする。

MOST POPULAR

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

WONKとThe Love ExperimentがチョイスするNYと日本の10曲

東京を拠点に活動するWONKと、NYのThe Love Experimentによる海を越えたコラボ作『BINARY』。11月にリリースされた同作を記念して、ツアーが1月8日(月・祝)にブルーノート東京、1月10日(水)にビルボードライブ大阪、そして1月11日(木)に名古屋ブルーノートにて行われる。