【レビュー】『Die Lit』 | Playboi Cartiは誰よりも軽く
Playboi CartiのSNSのアイコンは、アルバム『Die Lit』をリリースするまで、世界で最も有名なウサギのバッグス・バニーだった。
バッグス・バニーは長身で、クールかつ大胆不敵、そして常に人を出し抜く軽快さを持っている。彼はその明晰な頭脳により常に人の半歩先をいってしまう。Playboi Cartiがなぜバッグス・バニーをアイコンにしていたかは謎だが、先ほどあげたバッグス・バニーの特徴をCartiも持っているのは間違いない。
上記の動画はHigher Brothersがアメリカで有名になるきっかけとなったリアクションムービーだ。Sampling Loveの『Die Lit』のレビューで、久しぶりにこの動画を見たが他のラッパーたち、例えばLil Yachtyはいつものように陽気でよくしゃべるし、普段はインタビューで寡黙なMigosの面々も楽曲に興奮しているのか饒舌だ。
しかしCartiはどうだろうか、彼は他のラッパーたちとは違い、一言も発さずにそのバッグス・バニーのように長い手をブラブラと振って曲に乗るだけだ。かといってそれが重厚な印象を与えるというわけではなく、そこにあるのは独特の浮遊感を漂わせたラッパーの姿だ。
軽いというのは彼のリリックにも言える。彼の悪名高いインタビューとしてLil Uzi Vertと共に答えたこちらのインタビューがある。
VFILESのムービーインタビューで、Lil Uziは「"ayes"とか"yeahs"とかを言いまくってるだけだ」と自身のラップスタイルを語り、「俺らがマンブルラッパーだ。語尾で"yeah"と言えば、ライムなんて関係ない」と語り、Cartiも同意する。蔑称として扱われていたマンブルラッパーという呼び方を、自分たちのものとして肯定的に受け止めている。
これまでのフロウのあり方を無視して語尾に同じ言葉を並べ、リリックにも比喩的な意味はさほどこめない、あるとすれば多少のネームドロップくらいのCartiのリリックは、まさにマンブルラッパーを代表するものだといえる。
『Die Lit』の中でCarti自身がマンブル・ラップについて歌っている箇所がある。2曲めの"R.I.P."だ。
"Fuck that mumblin' shit
Fuck that mumblin' shit
Bought that crib for my mama off that mumblin' shit"
Cartiはマンブルラップと言われたスタイルで、母親に家を買ったぜと述べている。どんなスタイルであろうと人を出し抜くことができるなら、それでいいのだと言わんばかりだ。ではCartiの楽曲にはリリック的な面白さはあるだろうか。彼の歌うトピックは女性、様々なドラッグ、ファッション、そして生まれ育ったアトランタでは自然なことだった銃についてなど、新奇なものはない。
さらに前述したように彼のリリックには、比喩やましてや隠喩などはほぼ見当たらず、フックも単純な反復ばかりだ。この単純な反復が、ダンスミュージック的なミニマリズムなどと結びついてCartiの音楽を心地いい快楽が感じられるものになっているという意見もあるだろう。確かにパートナーといえるビートメイカーでラッパーでもあるPi'erre Bourneの作り出す軽さのあるメロウなトラックと共に反復されるリリックは、2010年代前半のクラウドラップを継承したものといえるし、アンダーグラウンドカルチャーだったクラウドラップが、天に昇ったYamsからRocky、そしてCartiへと引き継がれているのは感慨深い。
しかしクラウドラップの重要アクトMain Attrakionzや彼らの主要な音源をプロデュースしていたユニットFriend Zoneが作り出したサウンドには、エモーショナルなものがあった。しかしCartiのリリックやPi'erre Bourneのビートにエモーショナルなものはあるだろうか。ゲーム音楽のサウンドトラックを作りたいというBourneのビートには、確かにゲーム音楽のメロディーなどからの影響は感じられるものの、エモーショナルではなくカラッとした空気がある。
Cartiのリリックについて言えばさらにそうだ。彼の親友であるLil Uzi Vertの歌詞がロック的であり、時に失ったガールフレンドへの郷愁に満ちているのに対して、Cartiにはそうした思い出を振り返る意志はない。過去を語る時に彼は女性との行為や、友人たちとの享楽を淡々と振り返る。
『Die Lit』でCartiが唯一感情を吐露しているようにみえる部分は、学生の時にコカインを売った時に、「お母さんが泣いていた」という箇所であるが、その母親に対してもマンブルラップで家を買っているのだから、今は特に後悔などはないだろう。
Cartiのリリックは乾いている、言葉に感情がこもっていない。彼の言葉は浮遊する記号のように、曲の中をたゆたっている。そこに彼の面白さがある。彼のリリックは、意味や感情などが極限まで剥ぎ取られているゆえに、彼が発するアドリブと似だしてしまう。アドリブはマンブル・ラッパーが曲間に申し訳程度に韻を踏んでいることを証明するために入れるもので、普通はリリックの後ろに隠れているものだ。
しかし言葉を軽くしたCartiの場合は彼が発するリリックと、彼が音として発するアドリブの関係性はほぼ同じと言ってもいいかもしれない。これを果たしてラップの面白さと言っていいのかは微妙なところではあるが、Cartiの音楽に新しさを感じるとしたら、この言葉の軽さを求めるアプローチがあるといっていいだろう。他の同世代のラッパーたちが、例えばエモーショナルなものだったり、SNSでの他人への煽りに精をだしている時に、Cartiはそんなものとは無関係に単に軽さを求めている。
ではこの軽さはどういったものと似ているだろうか。CartiもLil Uziなどと同じく「ロックスター」を標榜はしてはいるものの、Cartiのそれはよりファッショナブルなものだ。
ファッションは時にコンテキストなどを無視して、隣接するカルチャーの遺産を呼びだし、唐突に生き返らせる。それは時にカルチャーの当事者などからは、非難の対象になったりもするが、それがファッションが持ちうる軽い力だ。何物とも結びついていないが故の唐突な軽さだ。Cartiの音楽にあるのもこの軽い力だ。コンテキストを剥ぎ取られても光るファッションピースのように、Cartiの音楽はある。
Carti自身も、普段はラッパーとはつるまずに「カメラマンとファッション中毒のキッズたちとだけ交流する」と以前発言していたというのもあるが、Cartiはラップシーンとは無縁の世界に浮いているようだ。
タイトルに『Die Lit』とあるが、この作品に死の匂いは感じない。現在のトラップスターたちにまとわりつく自殺のイメージもCartiにはない。モードの世界がシーズンごとにテーマを設定してその中を生き続け、また次のシーズンには全く違うテーマの中で生き続けるように、Cartiには享楽的な現在しかないようだ。バッグス・バニーが、その軽快さで危機を乗り越え、常に相手に先んじるように。
アルバムの最後"Top"のフックでCartiは、"I'm on the top of the building, I'm on the top of the building"と、自身がビルの上にいることを示す。軽やかにラップゲームを登りきった彼は、そこから飛び降りるかもしれない。しかしCartiは地上に転落せずに、軽くビルの上にとどまる。そして彼はこんな軽さを持っている奴は他にいるかと地上を見下ろし続けるだろう。(和田哲郎)
Info
Playboi Carti - 『Die Lit』
1. Long Time – Intro
2. R.I.P.
3. Lean 4 Real f. Skepta
4. Old Money
5. Love Hurts f. Travis Scott
6. Shoota f. Lil Uzi Vert
7. Right Now f. Pi’erre Bourne
8. Poke It Out f. Nicki Minaj
9. Home (KOD)
10. Fell In Luv f. Bryson Tiller
11. Foreign
12. Pull Up
13. Mileage f. Chief Keef
14. FlatBead Freestyle
15. No Time f. Gunna
16. Middle of the Summer f. Coldhearted
17. Choppa Won’t Miss f. Young Thug
18. R.I.P. Fredo f. Young Nudy
19. Top f. Pi’erre Bourne