大橋高歩 (the Apartment) Interview | NY最深部のカルチャーを伝える

FEATURED  2017.03.07  FNMNL編集部

東京・吉祥寺にNYのストリートで育まれたカルチャーと密接にリンクするファッションを提案するショップthe Apartmentがある。NYで独自のネットワークで買い付けた90年代のデッドストック&古着を中心に展開されるアイテムのラインナップは、海外のヴィンテージギアマニアからも注目され、今では問い合わせの多くが海外からのものだという。また国内でも近年再びthe Apartmentの軸となるブランドの1つTHE NORTH FACEの人気も急速に高まり、アイテムの入荷日には店に行列ができる。

THE NORTH FACEとRalph Lauren、そしてスニーカーなどが一貫して軸だというthe Apartmentのオーナー大橋高歩に、お店の成り立ち、さらにthe Apartmentを通して伝えたいNYのカルト・カルチャーの魅力などについて聞いた。

取材・構成 : 和田哲郎

大橋 - 僕らも接客のときに、ちゃんと話したいんですけど。NYのカルトカルチャーを引っ張ってきてるんで、なるべく説明したいんですけど、店頭で中々説明するのが難しい。それでblogに頼ってるんですよね。

- blogの記事もとても面白くて。そもそもNYのカルチャーに惹かれたのはいつ頃なんですか?

大橋 - 中学校の時にヒップホップが好きになって、最初は向こうのFMラジオの番組のテープを録音したブート盤のテープを聴いてたんですよ。それが中学校一年生くらいの時で、ちょっと背伸びしたくてかっこいい音楽を聴きたいと思って、そういうのを聴き始めて。友達のお兄ちゃんがNYに行ってたりしてて、その人がEPMDとかRedmanのCDを貸してくれて。で同年代とかだとSnoop Doggが出始めで西のヒップホップが好きでって人が多くて、僕もヒップホップっていうとギャングスタミュージックっていうか、ちょっと派手で音もピーヒャラいってるって感じだったんですけど、そういうんじゃないんだよというのを、その人に洗脳されて東海岸のヒップホップを中三くらいで聴き始めるんですよ。そこらへんから段々、漠然とNYみたいなのに興味が湧いてきた。だから最初はやっぱり音楽からですね。元々NY自体はそれまでは自由の女神くらいしかイメージがなくて、音楽きっかけでって感じですかね。

- それは具体的にいつくらい?

大橋 - 90年代の前半くらいで、決定的にNYのカルトなところみたいな、いわゆるタイムズスクエアじゃないNY、マンハッタンじゃないNYに惹かれたのはBoot Camp Clikがすごいでかくて。僕は地元が板橋なんですけど、先輩とかもみんなBoot Campがすごい好きで。地元ではあの人すごいよねって存在だった先輩が1人NYに行って、今考えたらちょっと変な話なんですけど、ブルックリンでBoot Camp Clikの下部組織のガキみたいなのにカツアゲされて帰ってきて。本当かどうかはわからないんですけど、その辺からブルックリンはヤバいところだって認識が生まれて、段々頭の中にクイーンズとかNYの地図ができてきて、マンハッタンのカルチャーじゃなくて、ちょっとフッドのカルチャーみたいなのに段々興味がではじめたんですよね。それが10代の頃ですね。

- その時って、まだネットとかないですよね。情報収集は?

大橋 - NYってことに関してはDuck Down VisualsっていうBoot Campのビデオがあったんですよ。それはMVが入ってたりとか、みんなで腕立てしてるシーンが入ってたりとか、わけわからないビデオなんですけど、そのビデオに映ってる背景とかの、お店だったりとか道の感じだったりとかを見てたって感じですね。Source Magazineとかも見てたんですけど、そういう雑誌とかじゃなくて、あとはNasの『Illmatic』の中ジャケとかのプロジェクト(団地)の写真とかを見て、僕は板橋の団地育ちなんですけど、ほんとウチの地元とそっくりだなとか思ったりして、親近感というか、NYってすごい大都会でビルばっかりあるイメージだったのに、ジャケットとかビデオに映ってる風景はウチの地元みたいだなって感じでしたね。そういうので最初からフッドの方に興味がいってたってことですね。今はタイムズスクエアみたいなきらびやかなNYも好きですけど、最初はそういうのには、あんまり興味はなかったですかね。

Boot Camp Clik

- そこからビデオに着ている服に興味がいったり?

大橋 - そうですね、洋服の着方とかが、特にBoot Campの奴らとかは一貫性があるっていうか、それぞれのトライブや地域とかで、こいつらの着方というか、こいつらみんなこの雰囲気っていうのがあるのに、すごい惹かれたというか。みんながバラバラの格好しているのに変な統一感、変なルールがあってそれってなんなのかなって感じたのが、今に繋がってるかもしれないですね。僕は79年生まれなんで、中学校入ったくらいの時に、ヌプシジャケットが出たんですよ。元々僕は黄色がやたらと好きで、NORTH FACE関係なく。だからヒップホップとかも関係なく、中学校のときに黒×黄のヌプシジャケットがすごい欲しかったんですよ。あれかっこいいなと思っていて。高校に入ったくらいのときに、Source MagazineでTekか誰かが、ヌプシジャケットを着てるのを見て、これ向こうの連中も着てるんだってわかったんですよ。だから元々ヒップホップの奴らが着てるからNORTH FACEが好きになったわけじゃなくて、黒×黄のヌプシが好きで、そしたら向こうの奴らも着てたってのがわかって、そこから急激にハマって高校生からは、ずっとNORTH FACEでしたね。

The Apartment

- その当時日本でNORTH FACEをがっつり仕入れてたお店とかはあったんですか?

大橋 - うちの地元とかだと、今考えると偽物なんですけどヌプシがジーンズショップとかで売ってましたね。でもアウトドアショップでは本物を売ってたから神田とかですかね。僕は高校が水道橋で、神保町のお店とかは行ってましたね。僕はスニーカーとNORTH FACEとRalph Laurenがすごい好きで、そこ以外はあんまり個人的に興味ないんですけど。スニーカーは中学くらいの時に興味が出始めて、ちょうどNBAや92年バルセロナ五輪のドリームチームとかもあって。そこで僕はEwingを買ったんですけど、それもNYっていうのがすごくでかくて。Ewingから始まって、すぐにNikeやAdidasのEQTとかに中学から高校のころに興味がうつって、その感じが今もずっと続いてますね。だからスニーカーも同じラインばっかりですかね。

- Ralph Laurenはいかがですか?

大橋 - 地元が板橋なんで買い物するのが大体池袋が多いんですよ。池袋の西武がRalph Laurenがセールのときにめちゃくちゃ安くなるんですよ。それって向こうのMacy'sに感覚が似てると思うんですけど。ちょうど高校入ったくらいのときにPolo Sportとかが流行ったりとかしてて、それで西武に行ってPolo Sportとかを買うみたいな感じでしたね。Ralph Laurenも92(マイケル・タピアがデザイナーとして起用されていた当時の黄金期のライン)とかは正直そんなに興味なくて。2こ上の先輩がダンサーだったんで、その先輩がお下がりで92の服とかをくれたりしてたんですけど、僕はそこにはあんまり思い入れがなくて、むしろその後のPolo Sportにすごいハマったんですよね。あの色が良くて、気づけばPolo Sportにハマったのも黄色がきっかけなんですよね。アメリカの黄色って日本の黄色と違うんですよ。赤みが入ってるというか、アメリカのチーズとかも赤っぽいじゃないですか。アメリカのタクシーの黄色もその色で、メトロカードもだし、その黄色が昔からすごい好きで。デリとかの看板にも黄色ってすごい使われてるんですけど、全部ああいう黄色だし。

- 黄色には気づいたら惹かれてたんですか?

大橋 - そうなんですよね、僕は子どものころに家が貧乏で、おもちゃを買ってもらえなくて、全然記憶にないんですけどTonkaっていうアメリカのミニカーメーカーの、黄色の工業用のトラックのおもちゃを母親がデパートで買ってくれて。それに家の前の公園で砂入れて遊んでたりしたんですよね。多分それが頭の中にあって、18歳くらいで家を出て、一人暮らしするんですけど、そのおもちゃだけやたら好きで持っていったんですよね。ソニスポ(Sony Sports=90年代に流行ったSonyのウォークマン。黄色とグレーの配色が代名詞)とかも一時期すごいコレクションしてて、あれもその黄色だからなんですかね。店を始めるときに、黄色に自分が引っかかってるなと思って、よくよく考えたら根っこはそこかなって、後から気づいたんですよ。それまでは気づけば黄色のものが多かったんですけど、おれは黄色が好きとかはなくて。

The Apartment

- 面白いですね、元々のおもちゃもアメリカのおもちゃなわけじゃないですか。

大橋 - この仕事始めて、向こうでトイザらスにいったらTonkaが並んでて、それまであれがアメリカのおもちゃって知らなかったんですよ。TonkaってTomicaの偽物だと思ってて。ウィリアムズバーグのお洒落な小物屋の壁に飾ってあったり、Brooklyn Basementsやってるやつの家に行ったら、そいつの親戚の子供達がTonkaで遊んでて。そこで初めて、アメリカのものだったんだって気づくんですけど。何十年後につながったみたいな。

- ほんとにいろいろ偶然が重なったんですね。初めてアメリカに行くのはいつだったんですか?

大橋 - 僕の場合はアメリカに行くのは遅くて、店始めるときくらいで。僕はこの仕事始める前は音楽をやってて、それこそNYのヒップホップのスタイルが好きでやってたんですけど、自分の中でNYが特別になりすぎちゃって。行ったら自分の中で全部変わっちゃう気がして、それでずっと行けなかったんですよね。日本人でこういう音楽やってたらNY行くのはまあ自然じゃないですか、友達とかはバンバン行ってたんですけど、僕はそこはずっと抵抗があったんですよね。でも行ってみたら行ってみたで、思ってた通りって言ったらおかしいですけど、一番ピンときたのがフッドだったんですよね。ブロンクスとかブルックリンのフッドを歩いてたときに、おれの地元と一緒だなってことがいっぱいあって。

うちの地元っておかしな人が多くて、友達の親父さんはブリーフ姿で家の前でタバコ吸ってるし、様子のおかしいおばさんがつまようじにタバコ刺して、街中歩いてたりするんだけど、そんな悲惨な感じはしなくて。なんて言うんですかね、お金はないんですけどみんな明るいは明るいんですよ。状況はシリアスなんだけど笑えるノリを、向こうのフッドでもすごい感じて。アメリカは医療保険がない人が多いじゃないですか、足を怪我してそこからバイ菌が入ってるんだけど病院に行けないから、足が象みたいに膨れ上がってる人とか片目ない人とが早朝のフッドにはいるんですよ。そういう人たちは昼は出てこなくて。そういうときに暖かみだったりとか、生きる強さを感じて。あとうちの地元は外国の人もすごく多くて、NYも多民族都市で、僕らの地元は韓国から来てる人とか、中国からフィリピンから、アフリカから来てる人がいるんだけど、誰もそんな差を気にしない。NYはそれの歴史があるバージョンというか、みんなスマートですよね。いろいろな文化があるんだけど、それぞれの文化が成立してて、それぞれの距離感も成り立ってて。そういうのは一発でしっくりきたっていうのがありましたね。

- 初めて行ったときから、お店をオープンするまではすぐだったんですか?

大橋 - そうですね、店をオープンするから買い付けしようって行ったんですよ。店を始めるときに、自分たちの好きなものが90年代のNORTH FACE、Ralph Lauren、スニーカー、それからChampionとかCarharttとか定番のものも好きだったんで。それをNYから持ってきて店をやろうっていうイメージがあったんで、それで行った感じですね。

The Apartment

- なるほど、お店をオープンしようとしたきっかけも、そういうフッドのカルチャーを直で持ってきたかったからということなんですか?

大橋 - いや全然そういうのではなくて、お店をオープンしようと思ったきっかけは、最初銭湯を作りたかったんですよ。

- 銭湯ですか?

大橋 - うちの地元って銭湯がいっぱいあって、僕は子供のときに家に風呂がなくて、銭湯にいつも行くんですよ。銭湯行くと近所のおっちゃんとかヤクザのおっちゃんとかがいっぱいいて、馬鹿な話をするっていうコミュニティースペースになってて。一人暮らししてからもお金がなかったんで、風呂なしのアパートに住んでたんで毎日銭湯行ってたんですよ。それで銭湯のおっちゃんとかと話してても、「どんどん若い人も来なくなってるし、銭湯キツい」って言ってて、だからやりたいなって思ったんですよね。高校の同級生と忘年会で「銭湯やりたいんだよね」って話をして、「いいね」ってなったんです。よくよく考えれば銭湯って向こうでいうバーバーショップみたいなもんじゃないですか。そういうのがやりたくて、おれは番台に座って近所のおっちゃんと馬鹿話してっていうのがやりたかったんですけど、銭湯やるのはすごいハードルが高くて。新しくやるのが大変とか、引き継がなきゃいけないとか、もちろんお金もすごいかかりますし、だから銭湯は現実的じゃないよねって話をしてて。

大橋 -でも自分たちで何か仕事をしようかって話を高校の同級生2人としてたときに、共通点は洋服だったんで、じゃあ洋服やろうみたいな。僕らは向こうのやつらの統一感あるノリに憧れてたから、僕らの仲間内って昔からみんな同じ格好をしてて。後輩とか高校の友達もそうだし、音楽の友達とか全員NORTH FACEなんですよ。冬はみんなNORTH FACEを着てるんですよ。それが自分たちのカルチャーとまでは考えてないですけど、自分たちはこういうスタイルって感じで。店始める前の2000年代初頭とかは、仲間内の奴がしょっちゅうNYに行ってて、NYでNew Balanceの574がちょっとずつ違うカラーバリエーションで毎月4色ずつくらいリリースされるんで、それを買ってきてもらってみんなでヒモをダルダルで履いて、NORTH FACE着てっていうのがあったんで。店をやるときも、その時ってスキニージーンズが流行ってたんですけど、流行ってるものをやるっていうよりは、自分たちが好きなノリを押し出したのをやりたくて、それがどこにあるんだろうって考えた時にNYにしかないなって感じですかね。

- 銭湯からお店になったっていうのがすごい面白いですね。

大橋 - 本当に行き当たりばったりで、全部そうなんですけど、プランがあったとかは全くなくて。お店が始まった瞬間にお金も底をついたし、ランニングコストって概念が頭にそもそもなくて。始まった瞬間に用意したお金が全部を底をついたので、売れた金額でしか生活ができないんですよ。そのお金を生活費に使うのか、仕入れに使うのかっていうのを毎回やってましたね。最初の2年くらい。それで僕はレコードをコレクションしてたんですよ。むしろ洋服はそんなに買ってきたタイプじゃなくて、洋服はずっと同じのを着てるんで。あとはひたすらレコードを買ってたんですよ。その持ってたレコードをずっと売って、そのお金を生活費にして。だから給料は0でしたね。

- お店が安定してきたのはいつだったんですか?

大橋 - 今は2ヶ月に1回買い付けなんですけど、最初は買い付けに行けるお金が貯まったら買い付けってスタイルだったんですよ。毎回買い付けに行くときに、貯まったお金を全額買い付けの資金に変えて行くんですよ。2009年くらいの時ってリーマンショックがあって洋服屋がバンバン潰れまくってたころで、インポートもそんなに人気がなかったときなんで、インポートのお店も少なくて、買い付けに行って帰ってきたタイミングだけ、お客さんがバッと増えるんですよ。それに賭けてたんですよね。2011年の3月に買い付け行って帰ってきて、すぐに3.11の地震が起きたんですよ。

大橋 - そのときに全員で話し合って、みんな洋服なんて買わないだろうし「終わったな」ってなったんですよ。震災のあとに福島から逃げてきた人も結構いて、上着も持たずに逃げてきたって人もいたから、そういう人たちにNORTH FACEのダウンをあげたりとか、岩手の人が注文してきたらタダで送ったりとか、そんなことをしてたんですよ。もうお店は終わったから、チャリティーTシャツを自分たちで作って、募金したりとか。最後かっこいいことやって終わろうってやってたら、常連のお客さんはギリギリの状態でやってるっていうのを知ってて、その人たちが支えてくれたり、無料で商品を送ってた人たちが普通に通販で買ってくれるようになったりとか、そういうのもあって2011年の年末くらいから、段々軌道に乗り出したんですよね。それまでは本当に全然回ってなかったです。この仕事始める前は、個人で仕事をもらったらやるって感じでやってたんですけど、仕入れのお金がないときはそういう仕事をもらって、お店は任せて仕事しにいくとかをやってましたね。だから全然成り立ってないですね(笑)

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