パイレーツラジオはどのように生まれ発展してきたのか?
イギリスのストリート〜クラブ・ミュージック・シーンの発展に欠かせない存在とも言われる“海賊ラジオ/パイレーツ・ラジオ”。wikipediaによると「正式な放送免許を持たず放送を行なうもの」とある。海賊ラジオはイギリスで一体どんな風に生まれ、生き延びてきたのだろうか。
文 飯島直樹
写真 横山純
イギリス最初の海賊ラジオは、1964年に放送を開始したラジオ・キャロラインと言われている。当時、イギリスでは公共放送局のBBCのみが放送免許を持っていたが、BBCではポピュラー・ミュージックの放送は1日に45分しか流されなかった。
時代はビートルズやローリング・ストーンズ、ザ・フーなど、いわゆる“ブリティッシュ・インヴェイジョン”のまっただ中。若者たちがそんな状況に我慢出来るはずはなく、もっとイカした音楽を聴きたいという欲求が、法律的にはグレーゾーンである公海上——エセックス沖の北海にラジオ送信機を積んだ船を出港させた。
1967年には10の海賊ラジオ局が、毎日約1000〜1500万人のオーディエンスに向けて放送を行うまでになった。また、運営のために重要な収入源である広告は、1966年には20億円の価値があったという。もちろん、このような無法状態に政府が黙っているわけがなく、様々な圧力や規制をかけることで、海上からの海賊放送の一掃に乗り出す。1967年にはBBCも再編。ラジオ1からラジオ4までを開設し、より幅広い音楽をオンエアするようになっていた。クラブ・ミュージック・シーンにもファンの多いJohn Peelは海賊ラジオからBBCのDJに転身したひとりだ。
1970年代に入ると、機材の小型化や低価格化などにより、海賊放送は陸上へとその場所を変え、より身近なものとなった。低所得者たちが住む高層住宅の屋上にアンテナを立てると、60キロ以上も離れた場所へも電波を届けることができたという。これらの場所から発信される海賊ラジオは、メインストリームからは無視されがちなアンダーグラウンドな音楽やブラック・ミュージックを多くオンエア。1980年代に入ると、特にレゲエ、ヒップホップ、R&Bがよくプレイされていたという。
政府による取り締まりは1990年代なると更に厳しさを増していた。しかし、アンダーグラウンドから生まれたレイヴ・カルチャーの盛り上がりを追い風に、放送局も爆発的に増えた。まさにいたちごっこ。なかでも、ロンドンで1991年に放送を開始したKool FMは有名で、ジャングルの誕生から進化に重要な役割を果たした。
1994年には、ロンドンの16歳の少年たちによってRinse FMがスタート。取り締まりを逃れるため、キッチンやベッドルームなど、DJや友人たちの家を転々としながら放送を続けていたという。初期にはハウスや、MCに焦点を当てたジャングルなどをプレイ。1998〜99年、当時人気を集め出していたUKガラージのシーンにフォーカスを当てるようになると、“海賊ラジオの先導”としての人気をKool FMから奪うことになる。その後、Rinse FMはグライム、そしてダブテップへと進化していくアンダーグラウンド・シーンに更に大きな貢献を果たしていく。2010年6月には、コミュニティFMとしてのライセンスを取得。現在も最先端のトップDJたちが数多く出演し、刺激的なサウンドをオンエアし続けている。
レイヴ〜ジャングルが盛り上がっていた1990年代中頃からは、ペイジャー(ポケベル)や携帯電話の普及が、ラジオ/リスナー双方向の交流を促し、コミュニティとしての海賊ラジオの存在意義も高めたことだろう(現在では、SNSやチャットルームがその役割を受け継いでいる)。
2000年代に入ると、インターネット回線の高速化により、ネットラジオが爆発的に誕生した。FNMNLでも紹介しているRadar RadioやNTS、そしてRinse FMもインターネットで楽しむことができる。ハードルが下がった分、放送局然としたものから個人レベルの垂れ流しのようなものまで、玉石混淆という状況でもあるが、ツイッターなどのSNSでの口コミを見れば、どのラジオが人気で、聴く価値があるものかは判断できるだろう。
海賊ラジオが人々から支持されるのは、単に最新の音楽をプレイしてくれるからだけではない。ブリストルで長年、海賊ラジオでレゲエを紹介し続けてきたDubkasmのStrydaはこう語る。「何年も前、ブリストルで(黒人に対する)強盗殺人が起こってしまったとき、地元(海賊)ラジオが、ローカル・コミュニティで生まれた怒りを鎮める役割を果たした。Smith & Mightyの『No Justice』がリリースされた時には、その基になった事件を紹介し人々の声を代弁した。ただ音楽だけってわけじゃないんだ」。
船を繰り出し文字通り命がけでオンエアした時代から50年。しかし、海賊ラジオのあるべき姿は50年が経っても変わらないでいると思う。発信する側からコミュニティやシーンは見えているか。何の、そして誰のために放送するのか。インターネットの発達で、裾野と対象が無限になった今だからこそ、そのことに意識を向けておきたい。ラジオに限らず。