【対談】田我流 × 高橋一 (思い出野郎Aチーム) | 言葉との向き合い方
来たる7月9日(土)、渋谷はSpotify O-EASTにて田我流と思い出野郎Aチームの2マンライブ。当初は2月に開催予定だった本公演は東京都のまん延防止等重点措置で延期、7月の再開催と相成った。期待度が募る本公演のさらなるカンフル剤として、FNMNLでは田我流と思い出野郎Aチームのフロントマン、高橋一(通称、マコイチ)による対談を企画した。ここでは両者が重きを置く“歌詞”をテーマに、おたがいの楽曲、思い入れのある歌詞などを挙げてもらいながら話を進める。彼らはメインアイテムである“言葉”をどのように取り扱い、歌うのか。本稿を肴に7月の公演への期待をより高めてもらおう。
取材・構成 : 高橋圭太
撮影 : 寺沢美遊
企画 : 高根大樹
- まずおふたりの対談ということでテーマを考えたときに浮かんだのが、歌詞についての話……おふたりが歌詞に対してどんな考え方で取り組んでいるのかなという話ができればというのがあって、そのあたりを重点的に訊いていけたらと思っています。
田我流 - なるほど。さっそくだけど、歌詞はどんなときに浮かぶんですか?
高橋 - ぼくはけっこう時間かかるタイプで。田我流さんはすぐにできます?
田我流 - できないですね、全然。
高橋 - めちゃくちゃ悩むタイプなんですよ。とにかくガーッと書いてみて、そこからひたすら削りながら考える感じ。なにげなくパッと浮かぶときもあるんですけど、大抵はとにかくケータイのメモ機能とかに毎日書く。うちのバンドは曲が先なんで、曲が見えてこないと歌詞がぜんぜん書けなくて。で、歌詞って自分の内面とか自分のなかの世界みたいなものを書くタイプと、景色というか、自分が見たものから連想していくタイプがいると思ってて。それでいうとぼくは後者。だから曲がある程度できてきてからのほうが景色が見えてくることが多い。でもまれに歌詞を先に書かなきゃいけないこともあるんですよ、依頼されたものとかで。それだとぜんぜん書けなくて。
田我流 - いやぁ、普通(歌詞先行では)書けないですよねぇ。オレなんかもう基本的に書きたくないと思ってる。
高橋 - ハハハハハ!
田我流 - できることならなにも書きたくない。そう思いながらここまで来ちゃったけど、ほかにやれることないから。あと、締切が先だとなかなか手をつけない。“これは素晴らしい! 世界を変える名曲だ!”ってアイデアだけ考えながら延々とやらないっていう。
高橋 - フフフ。でも締切がないとできないですよね。わかります。締切もそうだし、歌詞を書くルーティンみたいなものがあるといいんですけど、いまだに自分のことがわかってなくて、そういうのもない。毎回毎回“どうしてたっけ?”って悩んで捻り出すみたいな。
田我流 - メロディーは歌詞といっしょに出てくる?
高橋 - バックトラックがある程度の形になったら、そこからテーマを決めて歌いながら作っていく感じですかね。メロディーも決めながら歌詞を進めていきます。
田我流 - 流れがあるんですね。みんなで共有してる雰囲気とリズムがあって、そこからイメージがだんだん絞られていくっていう。
高橋 - そういう感じですね。だから言葉だけが先にあると曲に乗せる文字数やメロディーにハマらないから考えられなくなっちゃう。先にそういうのがあって枠組みが限定されたほうがいいですね。自由すぎるとなにもできない。
田我流 - わかるなぁ。自分の場合、とりあえずすげぇイヤになって、音楽辞めたいなって思って、毎回そこからはじまる。ハハハハ。ひたすら逃避し続けるんですよ。というのも、自分の思考のプロセスはだいたいわかってて。基本的に苦しまないと書けない。だから病まないようにしながら、最後は絶対できるってことだけはわかってるから、できることはわかったうえでひたすらちがうものに手を出したり。いろんなものに手を出してるうちに選択肢が削られていって、最後は“これしかない!”ってところに着地するんですよね。
高橋 - それってトラックが先にある状態ですか?
田我流 - そうですね、ほぼ。あとこの曲をやらなきゃいけないっていうのがあったら、ぜんぜん関係ない曲をやったりする。2〜3日くらい自分がなにを考えているかを別の曲で当てはめたりとか。もうひたすら遠回りしてるっすねぇ。で、3曲くらいボツになったもののいいところを1曲にまとめたりする。
高橋 - へえ〜。
田我流 - いろんなひとがいると思うんですよ。全部そこそこ書けるけど1発のパンチはわりとあっさりめのタイプとか、数曲か書いてダメだけど1曲だけめちゃくちゃ強いパンチを出すタイプだったり。パンチの出し方もそれぞれだと思うし。
- ご自身はどういうタイプだと思いますか?
田我流 - ロッキータイプじゃないっすか? ひたすらパンチ食らって、顔もボコボコになっちゃって。
高橋 - ハハハ。でも自分もそうっすね。1曲に対して3〜4曲ぐらい書いてボツにしてる。で、そこでボツになったのは絶対にだれにも見せない。ぼく、多摩美(多摩美術大学)出身なんですけど、そこで彫刻やってて。基礎実習みたいな授業で粘土で顔とかを作るんですけど、彫刻やってるひとたちのあいだで“作品が立ってきた”って表現があって。作ってて一定のリミットを超えると急に作品の焦点が合う瞬間がある。そうすると置いたときにすごく存在感が前に出てくる、というのがあって。つらくてもそこまでいかないと終われないっていう。それに近い感じかなと話を聞いてて思いました。
田我流 - そうそう。ゾーンに入るまで時間かかるんですよね。はやく書けるひとはうらやましいけど、逆にオレのよさはパンチの重さだと思ってるんで。そういう一発の重みの反動で苦しみがあるんじゃねぇかなと。山登りといっしょですね。山の頂上で飲むビールがまじで美味いのといっしょで、そのためにわざわざ面倒なことをしなきゃいけないタイプなんですよね、オレは。
高橋 - すごくわかりますね。
- そう考えたらボツになった曲はおふたりともめちゃくちゃありそうですね。
高橋 - 歌詞だけでいったらめちゃくちゃありますね。
- そういったものはどこかで使ったりはしない?
高橋 - 基本的には使わないままのことが多いですね。
田我流 - オレはわりと使うタイプかも。というか、時間が経つと脳がスッキリして次に書くときにボツになった歌詞がアップデートされるというか。もうちょっと整理された言葉になってまた出てくるっすね。昔のそういうパンチラインの書き溜めがいまになって役に立つってことが最近はよくある。どちらにしても曲によって歌詞のピースをはめ込んでいくって感じの作業なんで。
- では、おたがい歌詞のテーマの選定についてはどのように考えているんでしょうか?
高橋 - ぼくはおなじ題材をずっとやってるものが好きで。ずっとおなじ題材ではあるんだけど世の中が変わることによって受け取られ方が変化していくものが好きなんです。ぼく自身も歌いたいことは2、3個ぐらいしかなくて、それをその時々でやってるのかなって感じで。
田我流 - たしかにそんなに題材ってないですよね。
高橋 - でも田我流さんはいろいろなこと歌ってますよね?
田我流 - でも結局、いまの社会について歌ってることが多いかな。ひたすら怒ってるね。ハハハ。
高橋 - 自分たちもその比重は上がってる気がしますねぇ。
- こんな状況では特にそうなって然るべしというか。もうすこし歌詞の書き方について深堀りしようと思うのですが、各々、歌詞を書くときの個人的なクセみたいなものはあるでしょうか?
田我流 - 最近はちょっと大人になったっていうか、オッサンになってきて、言い回しがどんどん簡単になってきてるんですよね。もっとわかりやすくしたいなっていう。クセではないかもしれないけど、最近心がけてることはもっと簡単にしたいってとこで。
高橋 - 自分もそうですね。おなじ意味のことを歌うならできるだけわかりやすく簡単にしたいです。
田我流 - わかりやすくして、なおかつ最後にプッて笑えるぐらいの心のゆとりが出せたらいいなと思うんですけど、なかなか難しいっすねぇ。あとはそうだなぁ……とりあえずクソみたいな歌詞を書くのが上手いと思います。
高橋 - ハハハハハ!
田我流 - でもたまに落ち込むんですよ、“オレはこんなのしか書けないのか”って。ハハハハハ。でもこれでいいか、みたいな。それはそれですごく重要だとも思うんで。ラッパーって1stアルバムでは自分のこと歌うじゃないですか。でも、自分のことを歌い終わった2nd以降が大変で、そこから真の能力が問われるっていうか。そのときに自分が見えているもの以外を歌えるかどうかっていうのがすごく重要だと思う。そこから先は想像力の世界になってきて。それができるひともいれば、あんまりできない人もいるんだけど、決してできないことがマイナスってわけじゃないんですよ。それが圧倒的な……たとえば竹原ピストルさんみたいに圧倒的なリアルで迫ってくる方向もあるわけじゃないですか。いろいろなタイプがあると思うんですけどね。
高橋 - 自分はわりと田我流さんとは逆のやり方ですね。自分が見てないものとか抽象的に想像したものはあんまり書かなくって。さっきも美大の話が出たっすけど、美大の授業で各々の個性が伝わってくるのって、それぞれの自由な作品を見たときはもちろんだけど、意外と全員おなじモチーフをデッサンして並べたときにも強く感じられたりして。だから自分が好きなのも、みんなが共通で見てるこの社会を“あぁ、このひとはこう見えてるんだ”って思えるようなもので。それは田我流さんのリリックを聴いててもそういうふうなものを感じますね。
田我流 - それはたしかにそうかも。
- 田我流さんがおっしゃったような“2ndからが本番”みたいな話でいうなら、まさに田我流さんは2nd作『B級映画のように2』完成までにだいぶ産みの苦しみがあったと聞きました。その意味でマコイチさんが歌詞を書くにあたっていちばん産みの苦しみを感じた曲はなんですか?
高橋 - どれも全部苦労はあるんですけど、大変なのはいま作ってる曲ですね。ハハハ。やればやるほど追い詰められていく、みたいな。あとは“ダンスに間に合う”もだいぶ苦労したっすねぇ。最初はもっと言葉が多かったんですけど、“もういい!”って思って言葉を最小限に削ったりして。
田我流 - そうなんだ! “ダンスに間に合う”の歌詞はちょっとどこか自分のことを突き放してる感じをオレは感じてて。そこがめっちゃいいなと思ってます。
高橋 - ありがとうございます。田我流さんはこれまででいちばん歌詞で苦労した曲はなんですか?
田我流 - “夢の続き”って曲があって、大変だった思い出っすね。あの曲は狙い撃ちで作ったんですよ。自分の“ゆれる”って曲をアップデートしたいっていう気持ちで、その続きを書こうというテーマだったんで。そもそも“ゆれる”が奇跡的にできちゃった曲なんで、おなじ感じでは作れないというのもあったし。で、いちばんはじめに“夢の続き”のトラックを聴いて書いた走り書きの歌詞があったんですけど、それをそのまま使ってて。そこに戻ってくるまで半年くらいかかって。結局最初に書いた歌詞で“オレはなにやってんだろう”ってなった。
飛び越えて行く いくつもの夜
夢ならまだ続いてそう
だから音を 音を止めずに
流れていく日々の上を 泳いでいたい
多分きっとなんとかなるっしょ
行き当たりばったりで
こなしていくミッション
形を変えながら続いて行く夢を
ニヤニヤと笑っては みんなで眺めてる
希望的観測とそれぞれの未来を
その場その場で書き足して行くシナリオ
孤独や憂鬱 サラッと着こなし
現実がいびきをかく内に 今を取り戻そう
傷跡の数だけ 気の利いたジョークと
溜め込んだ優しさで変えて行く Bad days
神様ありがとう 笑いがないと
物語は残酷で退屈な内容
天国に持ってけるのは思い出くらい
なら 立派な大人よりよく遊ぶ player
得意の都合主義と音とユーモアで
心を満たして
EVISBEATS - "夢の続き feat. 田我流"より
高橋 - フフフ。でもそこに至るまでの過程が大事というか。
田我流 - そう。オレの場合、制作のプロセスでいちばん重要なのは無駄なこと……遊んだり、遠回りすることなんですよ。オレにとってはマンガ喫茶に行くことも超重要なことで。快活クラブに行って、そこのドリンクバーにあるお茶とジンジャーエールを混ぜたり、新しい組み合わせに挑戦したりすることもめちゃくちゃ重要。それぐらいオレはドリップしてるぞっていう自信がありますね。
高橋 - いまのお話を聞いて、田我流さんの作品を聴いてると縛られてない感じをすごく感じるんだけど、そういう部分がその自由なマインドに影響を与えているんだなって思いました。
- 生活のうえに成り立ってる音楽という意味ではそういった遠回りもやっぱり重要な感じがしますね。どこにヒントが落ちてるかわからないって思うと無駄のひとつひとつも捨てたもんじゃない。さて、今回は事前におふたりにおたがいの歌詞について話してもらおうと曲を選んでもらいました。まず田我流さんが選んだのは思い出野郎Aチームの“ダンスに間に合う”。田我流さんは歌詞のどんな部分に惹かれたんでしょう?
今夜 ダンスには間に合う
散々な日でも ひどい気分でも
今夜 ダンスには間に合う
分かり合えなくても 離れ離れでも
今夜 ダンスには間に合う
何も持ってなくても
無くしてばかりでも
今夜ダンスには間に合う
Ah 諦めなければ
今夜 あの日の歌で
どこかの誰かも踊ってる気がする
まだ見ぬ ダンサーが踏むステップ
君に似ている そんな気がする
あまりにも 手遅れなことが
うんざりするほど
たくさんあるけど
まだ 音楽は鳴ってる
僕のところでも 君の街でも
思い出野郎Aチーム - "ダンスに間に合う"より
田我流 - 客観的にオレが思ったのは、歌詞が優しいって部分。第三者に対して気配りがある歌詞ですよね。“みんなそれぞれの”って言うことによって、自分もだれかとつながってることを感じられて、言われてみればソウルミュージックってそういうものだよなって改めて思いましたね。思い出野郎のほかの曲にも共通してそういうマインドがある気がしてて。曲中の“わかりあえなくても/はなればなれでも”って部分、これはほかのひとがいるって前提で出てきてる言葉ですからね。“他人”っていうのがちゃんと音楽の中に存在してるっていうか。そういう意味ですごく気配りを感じるし、人間的にやさしいひとたちなんだろうなってことが“ダンスに間に合う”にはわかりやすく出てるんだと思います。
高橋 - いやいや、ぼくはめっちゃ冷たいですよ。ハハハ。まぁそれは冗談として、つながりだったり、相互扶助というのかな。おたがいを支配せずに普通にナチュラルに助け合いたいってのは思ってるかもしれないですね。ぼくはけっこうアナーキズム的な思想が好きで。アナーキズムといってもデストロイなイメージじゃなくて、さっき言った相互扶助って部分でのアナーキズム。“わかりあえなくても”っていう歌詞も、思想を統一したりとかはなくてよくて、別の考え方であってもシンプルにおたがいの存在を認められればいいじゃんっていう意識がベースにあって。クラブとかの好きな部分もそこなんですよね。勝手に好きに楽しめばいいって感じが好きで。踊るときも振り付けが決まってるわけじゃないじゃないですか。音楽ってものが鳴ってることでなんとなくつながってるけど、すごく自由でもあるっていうのが理想なんですよね。
- ダンスフロアの魅力は本来そういう点ですよね。
高橋 - “ダンスに間に合う”は締切ギリギリまで書いてて、歌入れ直前の“やべえ! レコーディング近いのに!”ってタイミングで、メンバーのサモハンキンポーがDJイベントやるからって誘ってくれてて。でも結局、間に合わなかったんですよ。
田我流 - ハハハハハ! ダンスには間に合わなかったんだ!
高橋 - そうなんですよ。全然間に合わなかった。
- そういうオチがあったんですねぇ。で、マコイチさんは田我流さんの“センチメンタル・ジャーニー”を選んでいただきました。どんな観点で選んだんでしょう。
旅続きの人生さ
寅さんみたいな瘋癲だ
北ならB.I.G.JOEがいて
ウチナーなら赤土だ
世界中に散らばった
ラフでタフな仲間達
シャウトアウトCCG
俺らは1982
RIP DJ KENSAW
天国で遊びましょう
溜め込んでく優しさや
溜め込んでく Sweet memory
こんな風に過ぎてくなら
こんな風に過ぎてくなら
腹八分向かう会場
ライブ前未だ緊張
マイク握るもう大丈夫
Automatic that's right yo
どっかの街のステージに今週も立っている
ヤニとカビの夢の匂い染み付いた 暗がりで
枯れた喉で絞り出す 自由 希望 そして Blues
いい夜も 悪い夜も 持てる限りの情熱で
客層も入れ替わる ステージ前はしゃいでた
あのキッズがもう大人 歳月は早いものさ
高橋 - そもそも田我流さんのリリックにはぶっ飛ばされぱなしで。田我流さんを最初に知ったのは“ゆれる”からだったんですけど、歌詞の全部にぶっ飛ばされて。めちゃくちゃ普遍性があるんですよ。で、普遍性がある歌詞ってある意味で予言的にも響くっていうか。ちょっと前に書いたものなのにめちゃくちゃいまのことにも聴こえるじゃないですか。“センチメンタル・ジャーニー”にもそういう普遍性と予言的な部分があるなと。ほかにも好きな曲はいっぱいあるんですけど、この曲はコロナ禍のときに聴いてて無性に泣けたんですよね。ぼくもここに出てくる場所に行ったこともあるから、余計に実感を持って聴こえたし。歌詞の“こんなふうに過ぎてくなら”って浅川マキのサンプリングですよね?
田我流 - そうですね。あんまり言わないようにしてるんだけど、いままでもいろんな曲であのひとの言葉を散りばめてて。すごく好きなんですよ。
高橋 - ぼくも浅川マキ好きで。そういうのもあって、めちゃくちゃダイレクトに響く歌詞だなって。自分はラッパーじゃないけど、“うわあ!”って共感しかなかったです。
田我流 - この曲はもう10分とか15分くらいで書けた曲で。結果としていいものができたときってあんまり考え込まないことが多くって。たまにうまくいって神様が降りてくる感じっていうか。そういうときは心の壁がなくなってる状態なんで、スラーっとピュアな言葉が出てくるんだよな。
高橋 - クラブとかライブハウスとかを回るひとだったらみんな思ってるようなことを、こんなにナチュラルに、クサい感じもなく、ウソっぽくもなく腑に落とす歌詞ですごいなと思いますね。
- “ダンスに間に合う”も“センチメンタル・ジャーニー”もアングルがいっしょというか、ダンスフロアやステージを通してその向こうにいる人間や場所に思いを馳せるという意味では近いタイプの歌詞とも思っていて。
田我流 - どっちも“夜族”の歌っていうかね。
高橋 - なるほど。あと“センチメンタル・ジャーニー”ってロマンチックでハートフルに聴こえるんだけど、コロナ禍のいまになって聴くとすごくポリティカルにも聴こえるんですよね。それって題材が普遍的だからこそ、その普遍的なものが危うくなったらそう聴こえる、ってことなんだろうなと。
- たしかにですね。さて、今回はおたがいの曲以外にもほかのアーティストの好きな歌詞の曲も選んでもらっていて、そちらも対談の肴にしたいと思います。まずはマコイチさんに選んでもらった井上陽水と忌野清志郎の“愛を謳おう”という曲。
高橋 - はい。これはけっこう後年の曲で、こども向けの映画のエンディングテーマなんですけど。昨日酔っ払って聴いてて“いいな”と思った曲なんですけどね。
- 歌詞自体はかなりシンプルなものですよね。
愛を謳おう 照れないで
夢を語ろう でっかい夢を
何色だっていいじゃん
祈る神様 使う言葉が違うの素敵
それが自由 憧れの自由
それが自由 憧れの自由
そろそろ生まれるはずさ すべてを愛する子供たち
バトンを受けてキミよ走れ
地球と踊れ 裸足で笑え
愛する自由が許せない チンケな時代をブッ飛ばせ
忌野清志郎 with 井上陽水 - "愛を謳おう"
高橋 - シンプルっすね。これもさっきから言ってる“普遍的なものは予言的”シリーズであるんですけど。この曲、自分は“どういう出自でもいいじゃん。多様性を持って生きようよ”ってことをすごくわかりやすく歌った曲だと捉えていて。いまでこそ多様性って言葉が取り沙汰されるけど、この曲がリリースされたころは日本社会全体がそういうことについて、いま以上に無自覚だったと思うし、そんなころにこういう歌詞を書けてるのが単純にすごいなと思って。しかもそれをめちゃくちゃポップにわかりやすくアウトプットしていて。特に“愛を謳おう”って歌詞は書けても、そこからすぐに“照れないで”っていうふうにはいけないと思ってて。これは書こうとするとマジで書けないっすね、自分では。
田我流 - あ、『妖怪大戦争』の曲なんだ、これ。そういえば星野源さんとかも『ドラえもん』の曲をやってたじゃないですか。あれもすごい歌詞でビックリしたんですよね。こども向けでありながら、もう答え言っちゃってんじゃんっていう。
高橋 - そういうのってすごく大事ですよね。わかりやすくて、テーマや細部の意味がわからなくても聴けるけど、後々大きくなってから聴くと“こういうことだったんだ!”っていう。めちゃくちゃわかりやすくいい曲を作るのって、できそうでできないんですよね。それこそ自分なんかはこういう曲を書こうとすると照れちゃうから。
田我流 - 自分もこどもがいるんで思うところはありますね。ある種のズル剥けた感じは必要というか。
高橋 - 忌野清志郎はそういう部分がすごくありますね。
田我流 - ストレートですよね。
高橋 - 一見ポップだけど、“微妙な匂い”のあとに“犯した罪がちがうの素敵”って言葉を置くっていうのがね。あと“バトンを受けて/キミよ走れ”のあとに“コブシを下ろせ/笑ってごまかせ”っていう。かわいげとメッセージ性が同居しててすごい。忌野清志郎の歌詞を聴くと、人生が短距離走じゃない感じっていうのが伝わってくるっていうか。人生を短距離走だと思うと、ほかのひとよりどれだけはやく走るかってことになっちゃうけど、リレーだと思えばどういう感じでだれにに次のバトンをパスするかっていうことを考えるわけで。そういう感じがあるのが憧れるし、清志郎を好きな理由だったりするんですけど。この曲はストレートにそういう部分が出てますね。
田我流 - 歌詞を見てもこれはたしかに絶妙なバランスで成り立ってますね。
高橋 - ですよね。これは清志郎自身にかわいげがないと途端に説教臭くなる。
- では田我流さんのチョイスに移りましょう。スチャダラパーの“ヒマの過ごし方”を挙げていますが、この曲を選んだ理由は?
田我流 - 本当にね、このリリックのとおりだなと思うっすね。天才だと思うんですよね、単純に。これ書いたときってまだ20代の前半だと思うんですけど、もはや哲学者だなって。哲学ってこういうことだと思うんですよ。難しいことでもなんでもなく、ただ“なんでヒマはダメなんだ”っていう。それに疑問を持ち続けることが哲学だと思うんで。
「ヒマだねー」ってよく
言われるぼく
言われるとたしかにそう思う
気がつくと何だか罪悪感
感じてる自分こそなんだ
そもそも「ヒマ」って言葉自体
まずいい意味では使われない
辞書でヒマってひいてみた
これもまあ ヒマのなせる業
ヒマ=自由な時間 仕事や
義務に拘束されない時間
確かに その人にしてみれば
ぼくはヒマに違いなかったが
その間ぼくはテレビを見たり
ファミコンしたり本を読んだり
時間について考えたりしながら
ぼくはぼくのヒマを過ごしていた
そんなヒマあったらって言うが
みんなヒマは嫌いなのか
ヒマはダメか?悪いのか
そんなに嫌か?ヒマが
スチャダラパー - "ヒマの過ごし方"より
- 歌詞を読んでてすごみを感じたのが“ヒマ”って言葉からまったく脱線しないで、ずっとそのことだけで歌詞を書いてるというところですね。途中でいいこと言おうとしたり、別の話につなげたりしがちなところを、ひとつのトピックだけで突き進んでるあたりがヤバいというか。
田我流 - これも普遍性がありますしね。いまの時代に聴いたらさらにすごみが増す。“そんなにダメかヒマが”っていうのを繰り返してくるあたりとかすごいっすもん。しかもオレの人生全部この1曲に集約されてるじゃんっていう。改めてハッと思い出して、ここ2、3年でまたよく聴いてるんですけど、“まんまこれじゃん”みたいな。
- ラッパーの目線で見て“このラインは絶対書けないな”というところは?
田我流 - “大仏、ピラミッド、巨乳、万里の長城/この世の多くのデカいものの発想自体ヒマのたまもの”ってとこっすかねぇ。最高っすよね、マジで。みんなこの気持ち忘れてると思うんですよ。ヒップホップって本来はマッチョなものもOKだし、すごくダメなひとも許容する、おおきい懐があった音楽だと思ってて。オレが本当に好きだったヒップホップは、許しがそこにあって。ダメなヤツらの吹き溜まりみたいな。ワルもいればどうしようもないヤツもいるし、落書きしちゃうひともいる。やたらいろいろいるんっすよ。わけわからない有象無象の集合体というか。その感じはもう失われてしまったものなのかもしれないけど、改めてこの曲はそこへ対する鋭いクリティックスでもあるなっていう。かつユーモアもあって。ほんと最高な曲ですね。
- 素晴らしい。では来たるイベントに向けて対バンのお話も伺おうと思うのですが、ここまでガッツリ2マンで共演するのははじめてですよね?
田我流 - そうですね。これまで意外とちゃんとライブでいっしょになるってことがなくて。だから楽しみですね。
高橋 - 以前、代官山UNITを中心にしたサーキットイベントでおなじイベントにはなったっすけど、おなじステージではなかったっすもんね。覚えてるのが……そのときだったっけな? そこで会う前にぼくらの7インチを渡してたんですけど、そのとき話したら“あのときもらった7インチなんだけど、J. Roccに渡しておいたよ”って言われて。
- ハハハハハ!
高橋 - ハハハハハ! “えっ? J. Roccにっすか!”みたいな。
田我流 - そうそう。渋谷のVISIONかなんかで共演したんで、そのとき彼に和物のレコードを何枚か渡したんですよ、よろこぶと思って。で、思い出野郎の7インチも向こうでは絶対買えないだろうなと思っていっしょに渡したっすね。
- すごい話ですねぇ。田我流さんを経由していまはJ. Roccのレコードライブラリーに思い出野郎の7インチが。
高橋 - それで田我流さんやっぱすげえなと思って。
- 本題に戻ってライブへの意気込みも訊いていきましょう。思い出野郎はここ最近の取り組みである手話通訳を交えたライブを披露してくれるということで。
高橋 - そうですね。ぼくら、最近は手話通訳の訳者もメンバーに入れてやっていて。もともとはUSのラッパーがそういうのをやってるって知って、そこからやってみようと思ってはじめたんですよね。自分たちもだんだん歳を取ってきて、いろんなことを勉強していくなかで、いまの社会のなかでただ自分が楽しんでいられるのもマジョリティの特権だなと思うところがあって。すこし目線をずらせば、踏みつけられていたり、なかったことにされているひとたちがたくさんいて、自分自身も無自覚だったなと思うし、だからそういうことに対しても活動を伸ばしていきたいなと。もちろんこれは“ぼくたちもやるからみんなもやれ”っていうことではなくって、あくまでぼくらが最近そういうことを考えていて、そのアウトプットとして、ってことですね。そこから手話通訳のひとたちといっしょにライブをやってみたら、課題もまだあるけれど、ステージがとてもパワーアップして。なので、せっかく田我流さんとの対バンだし、自由な空気でみんなが楽しめればいいなっていうか。そんな感じでやれればと思ってます。
- 田我流さんはライブの意気込み、いかがでしょう。
田我流 - こないだ『Waltz』ってイベントに出てO-EASTでライブしたんだけど、そのときのライブがおもしろくて。自分的にけっこう深いとこまで行ったんじゃないかな。“あれってスピリチュアルな体験ってヤツかなぁ?”みたいな。で、その次の日にレコード聴いてて、レコードのなかに“そういうスピリチュアルな体験がないバンドはダメだ”って書いてあって。だからあの感覚はまちがってなかったってことにしようって。ハハハ。でもね、ライブはやっぱりライフワークなんで、ひとつひとつ全力でやっていく。それでいい意味での課題を見つけられるようにできればいいっすね。
- この日はクボタタケシさん、nutsmanさんというDJとの組み合わせもバッチリで、より一層の相乗効果も期待したいと思います。楽しみにしております!
田我流・高橋 - うっす!
Info
<< 公演詳細 >>
Spotify O-EAST presents
田我流 x 思い出野郎Aチーム
2022.7.9(土)
at Spotify O-EAST
OPEN(DJ START) : 17:00
START : 18:00
ADV ¥3,500 (D代別) ( ※2/23公演のチケットは振替公演にそのまま有効となります。)DOOR ¥4,000 (D代別)
LIVE:
田我流
思い出野郎Aチーム
DJ:
クボタタケシ
nutsman
FLYER :
NONCHELEEE
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