【コラム】NIKEのコーズプロモーション | PRムービー『動かしつづける。自分を。未来を。』が可視化したもの

11月28日に3人のスポーツ少女を主軸に、差別やいじめに切り込んだNIKEのコマーシャル『動かしつづける。自分を。未来を。』が論争を引き起こしている。

私がこのCMを目にした頃には、NIKEの公式アカウントから発された動画のツイートの下に、おびただしい量の激しい反発リプライがついていた。

まず最初に感じたのは既視感だ。2018年9月3日に、NIKEが、元NFLプレイヤーのコリン・キャパニックのポートレートに、「Believe in something, even if it means sacrificing everything」(なにかを信じろ、それがすべてを犠牲にする必要があっても)というコピーをつけた広告を発表してて世の中をあっと言わせたときのこと。

2016年のシーズン中から、警察による黒人に対する暴力への抗議の意を、試合前の国歌斉唱の際に跪くという行為によって示していたキャパニックは、それが保守派のファンの不興を買い、またトランプ大統領から攻撃されるなどして、2017年、サンフランシスコ49ersから契約を切られるとの観測が広がるなか、自ら契約を破棄して以来、プレイするチームのないまま、事実上のボイコットに遭っていた。キャパニックの不遇を嘆いていたリベラルやプログレッシブのファンたちは、NIKEの広告に熱狂したが、今回と同じように、保守派のファンたちによる「NIKEは2度と買わない」「靴を燃やした」「スウォッシュをカットした」と動画や写真がリプ欄を埋めた。

NIKEのコーズ(大義)プロモーションの歴史

つねにインパクトある広告に定評のあるNIKEだが、2010年代に入って、広告キャンペーンを通じて、ジェンダー格差やセクシズム、人種差別など社会のイシューに対するスタンスを示す広告キャンペーンを打ち出す頻度が少しずつ上がっていった。こうした広報活動のことを社会責任の世界では、コーズ(大義)プロモーションという。2005年にアメリカの経営学者であるフィリップ・コトラーが「社会的責任のマーケティング」(東洋経済)の中で提示した6つのCSR(企業社会責任)のひとつで、社会的コーズに対する意識や関心を高めるための社会貢献活動として位置づけられているが、同時に、従業員やベンダー、サプライヤーといったステイクホルダーの利益を代表する意味も持つ。

社会責任を果たす活動の一環ではあるが、NIKEは、この手法がブランディングやイメージ戦略としても有効性が高く、売上に貢献するということを実証した。これは、キャパニックのキャンペーンの広告効果以前からのNIKEのコーズ・マーケティングの歴史を、株価の推移と重ねて見ると一目瞭然だ。2010年代初頭には20ドルに届かなかったNIKEの株価は、社会的テーマを取り扱う広告が増えるとともに右肩上がりに上昇し、2018年9月にキャパニックの広告が発表されたとき、80ドル弱だった株価は、この原稿を書いている時点で130ドル台を推移している。もちろん広告キャンペーンが売上の全てを決めるわけではないが、NIKEは、世の中の革新を目指す勢力の中心を担うことでビジネスを拡大してきたのである。すでに購入したNIKEの商品を捨てたり、燃やしたりしても、NIKEの懐が傷まないことは言うまでもない。

NIKEとリベラルなオーディエンスとの関係は、1990年代に遡る。1991年に労働問題アクティビストのジェフリー・ボリンジャーが、NIKEの商品が、劣悪な労働環境の中、ときには児童労働によって生産されていることを暴露するレポートを発表し、学生フィルムメーカーのジム・キーディのドキュメンタリー『Behind the Swoosh』が、この実態を映像で伝えたことで、カレッジを中心に、NIKEに対する長きに渡る抗議活動が大いに盛り上がった。広告キャンペーンを打つたびに、学生たちからの激しい抗議運動にあったNIKEは、1998年に、生産の工場で働く労働者の賃金を上げることにコミットし、2005年には、アパレル業界で初めて、生産を請け負う工場のリストを発表した。こうした歴史を通じて、NIKEは、悪習に対する抗議運動が売上を圧迫すること、プログレッシブな価値観に寄り添うことが市場から歓迎されることを学習してきたのだろう。

だからといって、NIKEが単なるプログレッシブな優良企業だと考えることはできない。オーストラリアのシンクタンクが発表したウイグル人の強制労働と結び付けられる工場で靴を生産していることがわかってからも、明確なスタンスを示していないどころか、議会で論じられている関連法案を阻止しようとロビイング活動をしていることが報じられている。ダイバーシティやサステナビリティにコミットしながら、その改革の遅れを指摘する声も小さくない。それはそれで、別途、追求されるべき問題なのだろう。

『動かしつづける。自分を。未来を。』が可視化させたもの

NIKEの歩んできた道を客観的に振り返ると、今回の日本向けキャンペーンに着手したこと自体には特に大きな驚きはない。タイミングは、日本国籍の選手としてプレイする大坂なおみ選手との契約に合わせたのだろう。今年の夏、ブラック・ライブス・マター(BLM)の抗議運動に積極的に参加し、9月のUSオープンには、ブリオンナ・テイラー、タミル・ライス、ジョージ・フロイドなど、警察の暴力によって命を落としてきた黒人の名をプリントしたマスクを着用して出場し続けた大坂選手に、日本の保守層やネトウヨから投げつけられた、批判や攻撃、ときには、目をそむけたくなるような醜い差別の言葉は、当たり前ながら、世界の目に触れたのだ。今回のCMを、そうした日本の状況に対するカウンターだと考えることもできる。

今回のCMで怒りを表明する人たちは、大坂選手に怒りをぶつけていた人たちとなんら変わりはない。実際、「差別はない!」と主張する人たちのタイムラインをスクロールすると、特に中国人や韓国人に対する差別にたどり着くことが圧倒的に多い。そういう人たちが「差別はない」と主張しても説得力がないのは当たり前だが、存在する差別を否定することもまた差別である、というグローバル・スタンダードを前に、NIKEが今回のCMで描いた世界がリアルに存在することをまさに自分たちの行為で証明していることが皮肉である。

今回のCMをはじめ、NIKEのコーズ広告は、観る者に自分のモラルを見つめ直すことを強制する。だからよくも悪くも感情的なリアクションを引き起こすのだ。そして、NIKEがショック療法とも言えるコーズ広告を出すたびに、この2020年になっても、マイノリティが、女性が、POC(ピープル・オブ・カラー)が、LGBTQが、平等の権利を与えられることにおどろおどろしい悪意が存在することを知る。こうしたリアルな現実を可視化することも、NIKEのCMの効果のひとつかもしれない。

今年、NIKEが多数叩き出したコーズCMの中で、何度見ても泣いてしまうものがある。セリーヌ・ウィリアムズがナレーションするこのCMは、これまでのスポーツの世界で、女性のアスリートたちがさらされてきた社会の不条理を描いている。

女性の野望や感情が「クレイジー」と言われてきた過去を描くCMは、確実に社会が前進してきた手応えを感じさせる内容だ。かつて女性は、マラソンにエントリーすることすらできなかったのだ。けれど今、もはや女性たちの野望を「クレイジー」と片付けることはできない。キャパニックがひとり孤独に始めた膝まずき運動は、ジョージ・フロイドの死を経て、2020年のシーズン開始時には、マジョリティの運動になった。世の中は、前進しているのだ、確実に。

今、私たちが生きる世界には、まだまだこうした不条理が溢れている。今回のNIKEのCMは、「差別」という概念について、日本と世界の間に立ちふさがる認識の乖離を見せつけた。そんな国で、国際的なスポーツの祭典をやろうとしている。NIKEのCMに浴びせられた怒号の数々から目をそらさずに、社会としてどうしたら差別を撲滅できるのか、真剣に考えるべきときが来ている。(佐久間裕美子)

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