【特集】夢の大型商業施設(ショッピングモール)を考える

本年に開催するはずだったオリンピックに向けて、再開発が各所で行われた東京。

渋谷などの大都市では、インバウンド目当ての大型商業施設が立ち並ぶようになり、風景が一変した。大型商業施設のなかには文化的な意義を問われ、ディストピア的な内容だと揶揄されるものも出てきている。どういった商業施設が未来を紡ぐのか。文化とは一体何なのだろうか。ユートビアとは?そもそも文化とは……?

そこで、文化的な大型商業施設とはなんなのか。今一度問い直すために各界の文化に詳しい方々に意見をもらった。

編集:高岡謙太郎、FNMNL編集部

路地を作る(樋口恭介)

空き地を不法に占居する。筋肉自慢の男たちを数人集める。山に入り木を切り倒し空き地へ運ぶ。あるいはそんな回りくどいことをせずとも、廃墟があればそこを占居してもいい。空き地は広ければ広いほどいい。廃墟は大きければ大きいほどいい。とにかく何より場所を作る。私たちによる私たちのための、私たちの場所を。私たちはそれをショッピングモールと呼んでもいいし呼ばなくてもいい。呼び名は何でもいい。空き地、廃墟、路上、闇市。ハックされるショッピングモール。不法投棄された廃材から使えそうなものを集める。倉庫から物を集める。子供部屋から壊れた玩具を持ってくる。壁をぶち抜く。いい感じの板をそこら中に立てかける。ペンキを塗る。絵を描く。電柱から線を引きずり込み電気を盗む。スピーカーを置く。アンプを置く。ギターを適当に鳴らす。ベースを床に叩きつける。電子楽器を並べてつまみをめちゃくちゃに回す。鉄パイプでドラム缶を叩きまくる。歌をうたう。叫び声を上げる。荒れ地にガソリンを撒き散らす。外に火を放つ。賞味期限切れの食材を火にくべる。焦げた野菜を口の中に放り込む。家から物をどんどん運び込む。下手くそな絵を描く。奇妙な音階の音楽を奏でる。不気味なオブジェを作る。何の役に立つのかわからない機械を作る。意味のとれない文章を書きなぐる。私たちはそれらを交換し合う。役人を追い払う。警官から逃げ回る。別の廃墟で同じことを繰り返す。果物の種を口から飛ばす。木を植える。畑を耕す。畑に向かって糞を撒き散らす。林に入って果実をもぎとる。密造酒を作る。私たちはそれらを交換し合う。やるべきことは毎日変わる。なぜならやりたいことが毎日変わるから。私の部屋はあなたの部屋で、あなたがそれを望むなら、あなたの部屋は私の部屋だ。今日の私はあなたに言葉を与える。あなたは私に言葉を返す。明日の私はあなたにパンを与える。あなたは私にパンを返してもいいし、何を返してもいいし、何も返さなくてもいい。空き地、廃墟、路上、闇市。ハックされるショッピングモール。そこでは何を売ってもいいし、何も売らなくてもいい。何を買ってもいいし、何も買わなくてもいい。何かを与えてもいいし、何も与えなくてもいい。そんなことが可能か否かはここでは措く。けれどもすべてはそこから始められる。私たちはすべてを求めている。そうして今、私たちは名もなき路上にふたたび名前を与え始める。

樋口恭介

SF作家、会社員。単著に長篇『構造素子』(早川書房)、評論集『すべて名もなき未来』(晶文社)

https://twitter.com/rrr_kgknk

ストリートモールが文化をつくる人中心の商業施設(泉山塁威)

今、この時代に理想の大型商業施設を語るのは難しくなってきた。インターネットショッピングの台頭で、まちなかの商店街どころか、郊外ショッピングセンターも厳しく、百貨店経営も再編の時期を迎えている。各地の街や地域再生の現場を見てみると、百貨店などの大型商業施設の撤退のニュースは相次いでいる。

海外都市に目を向けると、ストリートモールに惹かれている。モールとはそもそも商店街や歩行者専用道路を指すが、近年ではショッピングセンターのことを指す場合もある。だが、本来は、ストリートという道路空間と商業施設が一体化したものだ。

オーストラリアのシドニーでは、まちなかからオペラハウスに向かう歩行者動線上に、ピットストリートモールがある。歩行者専用道になっており、車が入ってこないため、歩行者が安心して歩き、買い物を楽しむ。

同じくオーストラリアのアデレードでは、ランドルモールがある。ここでは、歩行者専用道の他、ライセンスを持ったパフォーマーによるパフォーマンスが行われたり、花屋が花を売り、雑貨などのベンダーが店舗を持つことを目指している。もちろん、オープンカフェもあり,楽しいひとときをゆっくり過ごす。そんな落ち着いた時間の流れと。夢や文化に溢れたストリートである。

この二つのストリートモールには、歩行者専用道路の両側に商業施設がある。どこか惹かれるのが商業施設が中心なのではなく、歩行者中心のストリートが中心にあるところかもしれない。もはや買い物が中心の商業施設には限界がある。そうではなく、ストリートモールに遊びに行くという感覚が強いかもしれない。そこには、パフォーマンスを見て楽しんだり、夢に向かって頑張る若い商人が手塩にかけた商品を売る。アート作品もあり、買い物の後に疲れてもゆっくり過ごすオープンカフェやベンチがある。そんな遊びに行く場所のついでに商業施設があるということかもしれない。かつての日本も百貨店の屋上に遊び場があり、子供が遊んでいた。商業が厳しい時代だからこそ、大型商業施設で勝負をしないで、街として遊びに行く場所、文化のある場所をつくっていくことが大事なのかもしれないと今考えている。

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Photo by Rui IZUMIYAMA

泉山塁威

日本大学理工学部建築学科 助教/一般社団法人ソトノバ 共同代表理事・編集長。1984年北海道札幌市生まれ/日本大学大学院理工学研究科不動産科学専攻博士前期課程修了/明治大学大学院理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了/博士(工学)/認定准都市プランナー/アルキメディア設計研究所、明治大学理工学部建築学科助手、同助教、東京大学先端科学技術研究センター助教などを経て、2020年4月より現職。

https://twitter.com/RuiIZUMIYAMA

https://www.instagram.com/ruilouis

ユートピアを描き出す想像力を(木澤佐登志)

モールのエスカレーターが伸びてゆく先を浴衣姿の少女が見上げている――。オランダのアーティスト、猫 シ Corp.が2018年にリリースしたアルバム『Palm Mall Mars』は、未来における架空のショッピングモール――パーム・モール火星店をテーマに据えたコンセプト・アルバムといえる。猫 シ Corp.のBandcampには当アルバムについて、以下のような説明文が記されていた(ただし現在リリースされているリマスター版では割愛されている)。「人類は歓声を上げました。人類が初めて月に足を踏み入れてから100年も経たないうちに、私たちは最初の火星のコロニーを作りました。/火星の最初のクレーターは見事にテラフォーミングされ、そこに都市が建設されたことで、人類初となる他の惑星への移住の準備が整ったのです。地球議会の議長はこのことを祝うため、2149年に火星で最初のショッピングモールをオープンしました――パーム・モール火星店です! /2199年の今日、私たちはパーム・モール火星店の50周年を祝います。豪華商品の特別割引や、新しく建設されたリングワールドでの盛大な催しでお客様をお迎えし、新しいARPEをお試しいただけます。今ならご来店されたお客様はポールセン・トリートメントを50%ディスカウントでお求めていただけます! /パーム・モール火星店でお会いいたしましょう!」

『Palm Mall Mars』は、そのSF的なコンセプトからすると拍子抜けするぐらい、ノスタルジックな音像に包まれている。そう、それは80年代から90年代のモールの店内で流れていたミューザックやイージーリスニング、いわゆるエレベーターミュージックをサンプリングし独自に加工したものだ。こうした80~90年代の商業BGMを実験音楽の手法で再構築した音楽ジャンルをヴェイパーウェイヴといい、中でもショッピングモールに特化したサブジャンルはモール・ソフトと呼ばれる。猫 シ Corp.はそんなモール・ソフトの立役者である。

パーム・モール火星店、それはどこまでも懐かしい。存在しなかったにも関わらず。あるいは、だからこそ? 喪われた過去は永遠に訪れることのない未来に投影される。未来に対するノスタルジア。私たちは未来を思い出すことはできない。だが代わりに神は<想像力>を私たちに授けた。猫 シ Corp.が彼の想像力に託してこの作品で描いてみせたのは、今では喪われた<ユートピア>という夢である。

木澤佐登志

1988年生まれ。文筆家。著書に『ダークウェブ・アンダーグラウンド』(イースト・プレス)、『ニック・ランドと新反動主義』(星海社)。

https://twitter.com/euthanasia_02

野生でいられるか(MARS89)

大型商業施設と聞くと、つい拒否反応を起こしそうになる僕だけど、大型商業施設にはこれまでに何度もお世話になっている。僕が育った場所は、関西の小さなベッドタウンで、同じ形をした家と、それがさらに増えるための空き地ぐらいしか無い場所だった。中学生の僕には刺激が足りなすぎて、少し離れた場所にあるモールに頻繁に出入りしていた。HMVやWAVEで安くなってる輸入盤のCDをあさって、朝の渋谷にいるカラスのように棚から棚へと移動したり、本屋で足が痺れるまで立ち読みをしたり、最上階の映画館で『KILL BILL』を見ようとして係員に阻止されたりしていた。こんなふうにして中学生までの僕は様々な文化に出会っていた。郊外にあるモールの存在意義としてはバッチリだったと思う。

しかし、今から書くのは都市部の話。郊外と都市部では街の機能が違うし大型商業施設に求められる機能も当然違ってくるはずなのだが、なぜか自動ドアの向こうに広がる光景はどの商業施設もほとんど同じだ。こんど地元が恋しくなったら適当な商業施設の自動ドアをくぐってみよう……。なんて冗談はさておき、今回のテーマである「文化的な大型商業施設」について考えてみよう。

そもそも文化的ってなんだろう?思い当たる大型商業施設にはどれもアートの展示や、ファッションや音楽のイベントの開催など、一つ一つを抽出してみると「文化的な」ものが存在している。しかし、市場原理主義的、功利主義的な施設内で、その存在を病院の待合室に置かれた造花程度の存在にまで貶められている例は少なくない。そういう扱いをするなら、その施設は「文化的」であるとは言えないし、造花は果実を実らせて種を落としたりはしない。

僕は文化が文化たりうるために重要なキーワードは「野生」だと思っている。あらゆる文化それ自身がピュアに向かいたい方向に成長していく事が大切で、文化的な施設はそれを育む場所であって欲しい。というわけで野生動物保護区のような商業施設を提案したい。

区や自治体が運営し、家賃は売上に応じて増減する公営団地的なスタイル。金儲けを第一に考えなくていい場所であって欲しい。イベントスペースは公民館的な機能を持つものになるのかもしれない。そう言えばUKの友人たちは地元の公民館にサウンドシステムを持ち込んでパーティーをやったりしている。そこで育まれた文化が世界に影響を与えている事を考えると、非現実的なアイデアとも思えないだろう。運営の仕方も、動物管理官のように野生の状態を保ちながらサポートするスタイルが良いと思う。

文化は自由な野生の状態が相応しい。そこに市場原理主義的な淘汰圧をかける輩は、角のために犀を殺す密猟者のようなものだ。(Pray for 奴らに傷つけられ、奪われてきた文化たち)

Mars89 

DJ、トラックメイカー。2019-20AWにUNDERCOVERのショー音楽を手がけた。英国のレーベルNatural Sciencesからレコード『2020』をリリース。

https://twitter.com/_Mars89

https://www.instagram.com/_mars89/

夢のショッピングモール、ショッピングモールの夢(okadada)

夢の大型商業施設、あるいは文化的な大型商業施設とは何か?という編集からの問いを受けてまず起きる齟齬は、そもそも大型商業施設は文化的では無い、という事実である。

では文化的な施設は何か、これを定義することは容易ではない。

おそらく念頭にあるのは渋谷のPARCOやMIYASHITA PARKといった都市部のジェントリフィケーションにいかに抗うか、についてだろう。

リード文からするとあるいは「大型商業施設を同一性からどう解放するか?」のように問われている気もするが、ショッピングモールはそもそも同一性を志向するものではないか。どのようなテナントが並べば文化的か、そういった問い自体が既に限界を迎えている。

もうひとつ、夢の大型商業施設とは?について考えてみると、少なくとも幼少期に田舎から訪れた郊外型の大型商業施設は子供なりにひとつ夢の場所だった。

ジェントリフィケーションについての批判でいつも難しいのは、郊外及び明白な田舎の者。つまり私にとっては同一性を持ったショッピングモールによって決して触れることがなかったカルチャーに(その同一性故に)触れる事ができた、という個人的な経験もまたあるからだ。具体的に言うとヴィレッジヴァンガードやツタヤや大型書店だ。つまりショッピングモール及びそれが象徴する消費の理論は、画一的であるがゆえに平等だった。

この経験はあくまで都市がそれ以外が画一化されていく中で、偶然自分が受け取った恩恵だが、当然ショッピングモールはそのためにあるわけでは無い。

言うまでもなくショッピングモールは夢の場所でなく、資本の城であり、消費のベルトコンベアーである。

資本の目的はただ自己増殖することそのものであり、システムの余白で消費に夢が見れた時代はとっくに過ぎ去っていることは明白で、そしてユートピアは常にディストピアである。

以上のように考えてみると、文化的な大型商業施設は何か?それはそれ以外の何か文化的なものを破壊するため、または逆に破壊されるためにある、と言える。

破壊し、破壊され、疎まれ、求められ、大衆の夢として建ち続けるのがショッピングモールの理想なのではないか。滋賀県の巨大ショッピングモール、ピエリ守山が営業不振から生きながら廃墟となったケースなどは理想的だ。消費の巨大な墓標としてのショッピングモールは、ロメロからヴェクトロイドまで繋ぐ現代のインスピレーションの源だ。

okadada

DJ/プロデューサー。全国各地、多岐にわたるパーティでDJとして出演し、ネットレーベルmaltine recordsやBandcampで楽曲をリリース。tofubeatsとのユニットdancinthruthenightsとしても極稀に活動中。

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https://www.instagram.com/okadada

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