【コラム】Tory Lanezは有罪か? | Megan Thee Stallion銃撃事件の行方
文:池城美菜子
と、9月26日につぶやいたところ、2日後にFNMNLの和田さんから「なかなか難しいテーマだと思いますが」と、気遣いながらこのテーマで書いてほしい、との発注がきた。ツイッターには「私、こんな情報に注目しています(=記事を書けますよ)」的な意味合いのつぶやきも紛れ込ませているので、いつもならありがたく、うれしい流れだ。でも、このメールを読んだとき、「来ちゃったか」とお腹のあたりが重くなった。今年の5月末に始まったアメリカでのBlack Lives Matterの盛り上がりを受け、日本でもなにが起きているのか理解しようと、様々な解説がされ、文化史を中心に黒人の歴史が見直され、検証されてきた。それ自体はいいことなのだが、今回の一連の抗議運動の土台となる「感情」を説明するのは非常に難しい、という事実も浮かび上がったように思う。そして、私は友人も多い黒人女性の現状について、過度にかわいそうに描かず、しかし実際にとても困難が多いことを伝えようとトライしては、挫折してきた。
この記事では、7月に起きたラッパーのMagan Thee Stallionが、ラッパー/シンガーのTory Lanezに撃たれたとされる事件の詳細と、大坂なおみさんが全米オープンの初戦でマスクに名前をつけたブレオナ・テイラーさんの殺害事件をめぐる殺人罪不起訴について書く。このふたつの出来事には直接の関係はないが、黒人女性が直面している厳しい現実、生きづらさについて理解する一助になると思う。ブレオナさんの事件の詳細はすでに報道されているので、全体が見えづらい、Megan Thee Stallion VS Tory Lanezを説明してみよう。
まず、ふたりのアーティスト性について。Meganはテキサス州ヒューストン出身の25才。日本では「ミーガン・ジー・スタリオン」と表記されているが、彼女のインタビューを動画でチェックしたところ、「ザ・スタリオン」と発音されていた。彼女は、男性ラッパーにも負けないラップ・スキルと、自らをスタリオン(種馬/精力絶倫)と名付けてしまう力強いセクシーさと美貌で、ここ2、3年で名前トップに躍り出た人気者だ。2019年夏の“Hot Summer Girl”のヴァイラルヒットで知名度をあげ、今年に入って“Savege”のリミックスに同郷のBeyoncéが客演したことで、期待値はさらに上がった。
テキサス・サザン大学の医療管理経営学部(Health Administration)に籍を置く、大学生ラッパーでもある。お母さんもローカルで活動した元ラッパーであり、娘の才能を認めながら10代からの活動は禁じたこと、その母親が長年、脳腫瘍と闘っている姿を見て専攻を決めた話は有名だ。Meganは昨年、そのお母さんと祖母の両方を亡くしている。本人は明るいキャラで、Cardie Bとの今年最大の物議をかもし、現在進行形で大ヒットしている“WAP”のリリックからもわかるように、下ネタが得意だ。ちなみに、彼女のようにくびれも厚みもある体格はアメリカでめちゃくちゃモテるし、豊胸、豊尻(?)をしないでこの外見で生まれてきたMeganに憧れる同性も多い。
一方のTory Lanezはカナダのオンタリオ生まれの28才。「ラッパー」と紹介されるが、2010年代に増えたラップも歌も上手なアーティストであり、鼻にかかった甘い声が強みの、どちらかといえばシンガー寄りの人だ。牧師だった父にくっついて、アメリカ各地を点々としながら育ったが、15才から家族と離れて暮らした苦労人でもある。ソングライティングもプロデュースもできるそうで、ジャンルをまたぐのも得意。つまり、とても器用なアーティストなのだ。音楽性もヴァーサタイル。同じカナダ人のJustin Bieberに早くから認められ、レゲエとポップを融合させてヒットしたSean Kingstonのサポートもあって2015年に頭角を表した。両親が西インド諸島出身なのもあり、ダンスホール・レゲエを取り入れるのも上手い。私が最初に彼を意識したのは、レゲエ・クラシックのTanto Metro & DeVonteの“Everyone Falls In Love Sometime”を敷いた2016年の“Luv”だった。やんちゃな雰囲気と甘い声という組み合わせで女性人気が高い一方、カナダ人でスタイルがかぶるDrakeにケンカを売ったこともある。器用なため客演人気も高く、あちこちで名前を見かけるアーティストだ。
Meganが客演したCardi Bの“WAP”がアメリカで物議をかもした件は日本に伝えられても、Tory Lanezに足を撃たれた件があまり話題になっていない。これは、時系列が錯綜して全体が見えづらいせいかと思うので、ここで整理する。まず、7月12日に「Megan Thee Stallionが撃たれた」というニュースが伝わった。命に別状がないのがわかってホッとしたのもつかの間、Tory Lanezが一緒にいたらしいとの続報があった。最初は、筆者も含めてMeganとToryが一緒にいたところを襲われたと思った人も多かった。「あれ、ふたりはつき合っていたんだ」とのゴシップ面が取り沙汰されて、アメリカでは銃撃を揶揄するミームが出回った。この事件がわかりづらいのは、当初、当事者たちとロサンゼルス警察が詳細を明らかにしなかったからである。事件の3日後にMeganがやっとインスタグラムで「私を肉体的に傷つけようとする犯罪行為によって、銃で怪我しました」と報告。駆けつけた警官によって病院に運ばれて手術を受けたこと、非常に恐ろしい思いをし、ネットでジョークにされるような出来事ではなかったと説明もした。ここまでで、Meganは誰に撃たれたのか明言しなかった。駆けつけた警官にも口を閉ざしたらしい。7月18日のtwitter を訳してみよう。
黒人女性はまったく守られておらず、自分の感情はさておき他の人の気持ちを守るために多くを抱え込んでしまう。みんなにとってはネットでおもしろがって話すようなゴシップかもしれないけれど、これは私の本当の人生であり、実生活で傷つきトラウマになってるの。
8月7日に“WAP”がリリースされ、過激なリリックとKylie Jennnerらがカメオ出演しているポップなヴィデオがアメリカを席巻した。「あれ、Megan元気じゃん」と安心したファンも多かったかもしれない。だが、Cardi Bが気合を入れまくったあの曲はレコーディングにも時間がかかっており、「参加者全員に検査を課すなどコロナ対策に10万ドル(約10500万円)を使ったヴィデオ撮影は7月にハリウッドで行われた」との情報があるので、事件前の姿のはずだ。8月20日にMeganがインスタライヴで、銃撃したのがToryであると公表。スポーツカーの車内にはほかに2人おり、口論になったため車を降りて離れたところ、後ろから撃たれたという。病院につきそった警官に何も言わなかったのは、「車内に銃があったことで、関係者が警官に襲われるのを恐れた」のと、「とても話せる精神状態ではなかったから」であり、1カ月以上も沈黙を守っていたのは「事を荒立てたくなかった」からと説明。これは、Meganの警察への不信感が透けて見える。ロサンザルス警察は通報を受けて現場に赴き、その車に乗っていた人全員を拘束、ひとりを病院に連れて行った、とだけ発表した。病院に行ったのがMeganであり、届け出をしていない銃を持っていたToryは35000ドル(約370万円)の保釈金を直ちに払って、自由の身になった。
9月25日に、一貫して沈黙を守っていたTory Lanezが、それまで契約していたインタースコープではなく、自分のレーベルOne Umbrellaから本名をタイトルにした『Daystar』をリリース、ほぼ全曲で自分の無罪を主張した。その前に、Megan側が彼のチームがメディアに向けて彼女を中傷するメールを送ったのを止めるように主張したのに対し、それを否定し自分こそメディアに中傷され、犠牲者であるとの立場を取っている。Tory Lanezを擁護する熱心なファンもいるにはいるが、音楽メディアを含めてこのアルバムを聴かないようにキャンセルを促す動きのほうが大きく、Toryは大顰蹙を買った。銃を撃ったのがTory にしろ、同乗者にしろ、Meganが銃を向けられたのは事実であり、暴力事件をアルバムのセールスにつなげようとする姿勢はありえない、という反応が大方である。最新のヴィデオで、ToryはBLMを掲げて自分も犠牲者のひとりのように見せているが、それも見当違いだろう。
アルバムのリリースが、ブレオナ・テイラーさんの殺害に関与した警察官3人が殺人罪に問われず、うち2人が不起訴との審判が下った2日後だったことも、Tory Lanezへの顰蹙に拍車をかけた。すでに伝えられている通り、関係ない捜査ミスでノックをしないでいきなり家に踏み込み、一緒にいたボーイフレンドが登録していた銃で発砲したため、警官側は3人で乱射し、テイラーさんは眠っているまま帰らぬ人となった。これは、警察のミスで家の中に踏み込まれ、発砲されても仕方がない、という判断であり、当然のようにアメリカ中に抗議運動が広がっている。
10月3日、Megan Thee Stallionは長寿コメディ番組、『サタデー・ナイト・ライヴ』のシーズン・プレミアの音楽ゲストという大役を果たした。ホストがクリス・ロック、ジョー・バイデン大統領候補のモノマネにジム・キャリーという絶妙の配役をし、レイトショーの時間帯では視聴率1位を獲得、840万人が見守るなか、“Savege”と“Don't Stop”をパフォーム、その間にテイラーさんの事件の判断を下したダニエル・キャムロン司法長官(共和党員の黒人男性)を「奴隷制に仲間を売ったニグロ」と舌鋒鋭くこき下ろし、「黒人女性を守りましょう」と力強いメッセージを放った。キャムロン司法長官への口撃はそれなりに反発があり、長官自身がニュースに出て「やりすぎだ」と主張した。眠っているところを殺されても相手が警官である以上、罪に問われない現実のほうが常軌を逸脱していると私は思う。
Tory Lanezがすべての容疑で有罪になると、最長で22年と8カ月の実刑となる。10月13日に裁判が始まったばかりで、Megan Thee Stallionへの接触、接近が禁じられたところだ。はっきり予断はできないが、Toryが本当にMeganにたいしてネガティヴキャンペーンをしたのであれば、後ろめたいことがあるのを認めたのと同じであり、そこまで長い刑期ではないものの、有罪になるように思う。
1960年代、マルコム・Xは、「アメリカでもっとも大切にされていないのは、黒人女性である」と指摘した。この事実は、半世紀以上経ってもあまり変わっていないのではないか。構造的な人種差別によって、黒人男性が就職しづらかったり、刑務所にいる率が高かったりするため、大黒柱として働き、家事と子育てをしている黒人女性は多い。BLMの流れで白人の特権を振りかざす「カレン」がネットで話題になったが -ごく少数の人の極端な振る舞いが映像で拡散され、ステレオタイプを助長する面が強いので、個人的には嫌いな動きだったが-、逆に黒人女性は不利な立場に甘んじるのがデフォルトになっており、なかなか改善されない。「ずっとそうだから仕方がない」という諦めの感情も、ブルースやR&Bの歌詞の行間に見てとれる。だが、その諦め自体を変えよう、というのがBLMを支える新しい感情だと思う。
Megan Thee Stallionは、今夏から秋にかけて、“WAP”で「女性だって性にオープンな曲を歌っていいじゃない」というメッセージと、「黒人女性なら少しくらい身体的、精神的に傷つけても許される、という風潮を変えよう」とのふたつのメッセージを発したのだ。現大統領が登録した銃の保持を推奨するなど、アメリカと日本の現実がかけ離れているのも事実だが、虐げられている、弱い立場に置かれていると思ったときに、諦めないで声をあげる、という姿勢だけは見習いたい。