【コラム】最後のLogic入門

ラッパーの価値は、どうやって測ればいいのだろう? アルバムの売上、ヴィデオの再生回数、ツアーの規模とチケットの売上、アワードの成績。これらはほかのジャンルとも共通する、わかりやすい指標だ。ヒップホップがストリート・カルチャーである以上、ビーフの勝敗や話題性、ファッションをふくめたライフスタイルへの波及など、数値化しづらいファクターも多い。リリシストとしていかに優れているかも、もちろん重要。これは、実生活でどれくらい引用されるかが目安になり、さしずめオバマ元大統領に会見で引用されたJay-Zあたりが、ひとつの頂点だろう。

メリーランド出身のラッパー、Logicが先ごろ引退を発表した。苦労して育ち、ミックステープで頭角を表し、名門Def Jamと契約して業界の大物に愛され、ミックステープを含めて14の作品を発表、そのたびに評価され(よくも悪くもあれこれ言われ)、上記の2行目の指標はすべてクリアしている人だ。Logicとしてのキャリアは終わりと明言しているものの、別名で作品をリリースする可能性はある(むしろ可能性大)。ここで一旦、彼がどのようなアーティストで、なにを成し遂げたのかふり返ってみたい。

文 : 池城美菜子 / Minako Ikeshiro

壮絶な家庭環境の中で育つ

2010年に『Young, Broke & Infamous』(若くて文なし、おまけに無名)という捨て身のタイトルのミックステープで出てきて、「ヤング・シナトラ」を名乗りつつ、2014年『Under Pressure』(プレッシャーかけられ中)で全国区に浮上。比較的短いキャリアだが、引退作のタイトルが『No Pressure』(プレッシャーなし)だから、やりきったのだろう。弱冠30才のLogic はそのなかで、社会的に大きな意義がある仕事をひとつ残した。その話は最後にするとして、まずバックグラウンドから。Logic はメリーランド州ゲイザースバーグ出身。大西洋を望むメリーランドは、州全体の黒人人口が30%と全米平均より高い。ゲイザースバーグ自体は平均的な郊外の街だが、人口の半分を黒人が占め、ヒップホップシーン活発なボルティモアにも近いうえ、ニューヨークまで車で3〜4時間、ワシントンDCにも近い場所だ。碧眼と肌色から白人だと誤解されがちだが、彼は黒人の父と白人の母をもつバイレイシャルである。異父兄弟が7人、子どもの時から近くにいなかった実父は薬物中毒、母はアルコール中毒、兄のうちふたりはドラッグディーラーという壮絶な家庭環境で育っている。高校1年にあたる10年生で高校をドロップアウトし、ラッパーを目指した。彼がラッキーだったのは、メアリー・ジョーという友達のお母さんが思春期に母親代わりを務め、ラッパーとしてのキャリアをサポートしてくれたこと。ヒップホップコミュニティではマイノリティになる肌色の白いラッパーでありながら、本人は両方のアイデンティティを併せもっている珍しい人だ。

本人が認めるとおり、Logicはさまざまな方面においてnerd (ナード=オタク)である。13才でクエンティーノ・タランティーノ『キル・ビル』に出会い、スコアを担当していたRZAを通してヒップホップに興味をもち、Wu-Tang ClanやThe Rootsを聴くようになったという。上の世代のヒップホップを熱心に研究するタイプで、フロー、トラックの作り方など同世代のラッパーに比べて引っ張ってくる範囲が広い。そのあたりに、2013年に出会った大御所プロデューサーのNo I.D.が惚れ込んで、ずっとサポートしている理由があるのではないだろうか。ちなみに、Logic はNo I.D.と作業しやすいようにロサンゼルスに引っ越しているうえ、彼を「自分にとって(スターウォーズの)ヨーダのような存在」と発言している。この年、新人MCとして登竜門であたるXXL誌のフレッシュマンにAb-Soul、Chief Keef、Joey Bada$$、Action Bronson、ScHoolboy Q, Travi$ Scott らと並んで選ばれている。2013年は新人が豊作と言われた年であり、それを証明するかのように独自のムーヴメントを起こした個性の強い顔ぶれだ。Logicはそのなかで、フローの多彩さと、ヒップホップクラシックを敷いた正攻法の曲調で存在感を発揮した。

新世代のバックパックラッパー

Logicが特異だったのは、自分の見せ方だ。自分を強く見せることは一切せず、ふだん着のどこにでもいそうなお兄ちゃん然として登場した。メガネをかけたトレードマークの似顔絵は古き良きカートゥーン・キャラクターで、やはり威嚇する気はなさそう。私のLogic にたいする最初の印象は「バックパックラッパーの雄がでてきた」である。「バックパック・ラップ」を解説すると、マンハッタンの西4丁目にあったレコードショップ、Fat Beatsなどに集まっていた、「バックパッカーズ」と呼ばれていたヒップホップファンが好むラップ、およびラッパーである。「バックパッカー」は広義では身軽な装備で旅をする人々を指すが、ヒップホップコミュニティにおいては、JanSportのバックパックを背負ってレコードショップやイベントに出向く熱心なファンを指した。特徴としては、広い音楽的知識をもち、リリックを聞き込み、テレビやラジオでかかる華やかなメインストリームのヒップホップよりも、コンシャスな曲やアーティスト、とくにインディレーベルのヒップホップを好む人々だ。90年代後半から00年だと東海岸ならRawkusやDefinitive Jux、西海岸ならStones Throwなど。

ステレオタイプ化しすぎるのはよくないが、そういう熱心なファンに支えられたシーンが存在したのは事実であり、学生が多かったためイベントのムードは平和で、私も大好きな空間だった。まずはファンからスタートして、その系統の音楽を作るようになったのがバックパックラッパーであり、犯罪ネタではなく、もっと身近な、社会にたいする意見や自分の生い立ちや感じ方をリリックに込めて共感を得た。なにを隠そう、「大学中退ですけど、なにか?」をキャッチフレーズにして出てきたKanye Westは当時の代表格で、ほんとうにステージでバックパックを背負ってラップしていた。ミックステープ時代からOutkast の曲をジャックするようなLogic が、Kanyeの師匠、No I.D.と相性がよかったのは必然であり、ここに2010年代のヒップホップの潮流のひとつがあったのだ。

前述したようにLogic の生い立ちは平和とは程遠く、『Under Pressure』収録の"Gang Related "ではドラッグが身近にある環境に育つ子ども(自分)と、売人である兄の視点が交差する。また、『Everobody』に収録されている"Take It Back"では、「黒人のふりをするな、と言われても」、と本音を吐露しつつ、家で実母にNワードで呼ばれて、学校では「クラッカー(貧しい白人を指す言葉)」と罵られた少年時代を語る。このアルバムはパニックアタックや、ニコチン中毒などをテーマにした曲が多いものの全体のトーンは前向きで、そこにLogicの魅力がある。また、彼はデジタルネイティヴであるのを自覚的に利用し、歌詞サイトのgeniusにいち早くリリックの解説をしたり、youtubeで好きなゲームの紹介をしたり、自らを身近な存在においた。それもあって、彼のファンベースはかなり堅固だ。最新にして最終の『No Pressure』はTaylor Swift 『folklore』とぶつかり、ビルボードのアルバムチャート1位登場は明け渡したものの、シングルカットなしできっちり2位につけたのが、なによりの証左だろう。

ヒップホップ史を縦横無尽につなぐ

ヒップホップナードのLogicは、フローやリリック、サンプリングを含めたメロディーの引用で、わかりやすく名曲をオマージュするのが得意であり、最終作もその手の仕掛けであふれている。「Growing Pain(成長する痛み)」シリーズの4曲目である"GP4"ではOutkastの"Elevotor "をサンプリングしているうえ、メンバーのAndre 3000のベイビーズ・ママであるErykah Baduのフレーズをかぶせるというややこしいことをしている。ちなみに、Erykahは時たま連絡を取り合って近況を報告する間柄だそう。デビュー作からしているA Tribe Called Questのオマージュも復活させ、初期のKanyeっぽい曲もあって楽しい。

このヒップホップ史を縦横無尽につなぐLogic のスタイルは、「聴きやすい」と広く受け入れられる一方、時に強力なヘイターをも生んだ。たとえば、元ラッパーでいまはポッドキャストを中心にした批評をくり広げているJoe Badden 。Logicを「史上最悪のラッパー」と呼び、引退した際に「もっと早く引退するべきだった」などと発言、毒舌キャラで売っている点を差し引いても、かなりひどい。Logicは自分は批判やSNS 上の攻撃を気にするタイプだとリリックやコメントで明言しており、以前は、Joe Baddenの発言で「死にたい気分になった」とコメントしている。引退する理由のひとつに、「次から次へと目標を勝手に高くされるのに疲れた」とも発言しており、優れたリリックを書くためには役にたつ繊細な性格は、ラップゲームを生き抜くには向いていないのだと察する。

小説家としても才能を発揮

彼はほかの方面にもすでに才能を発揮しており、2019年には、小説『Supermarket』をボビー・ホール名義で上梓。ニューヨーク・タイムズのベストセラーに入るほど評判を得た本のテーマは、精神病だった。とはいえ、彼は再婚して息子が生まれたばかりで、家族と一緒にモンタナ州の豪邸に住み、とても幸せそうだ。(引退発表の理由が、「いいお父さんになりたい」だった)。本の出版にともなってリリースした同名のサウンドトラックはオルターナティブ・ロックであり、今後、ちがうジャンルの音楽を作る可能性もある。ゲーム・プラットォームのtwicthとミュージシャンとして初めて独占契約を結び、俳優業も開始している模様。どの作品に出演するかまだ発表されていないが、『Supermarket』がかなりおもしろかったので、これが映画化されてLogic が主人公のフリンを演じてくれるといいな、と密かに願っている。

そろそろ「社会的に大きな意義がある仕事」について書こう。ここ数年のヒット曲や、Logic を知っている人なら真っ先に挙がる"1-800-273-8255"が、それだ。初めて知る人にとってはかなりインパクトが大きい曲とヴィデオなので、締めくくりにもってきた。800ナンバーは、通販などでよく使われるアメリカのフリーダイヤル。1-800-273-TALK(8255)は全米自殺予防ライフラインであり、年中無休、24時間体制で自殺願望が強くなった人の相談を受けている。Logic はこの曲をプロデューサーの6ixとThe Chainsmokers のDrew Taggartと書き、客演にAlessia CaraとKhalidを呼んで仕上げた。リリース直後から大きな反響を呼び、同性愛者であることが父親にバレて自殺を考えるというストーリー仕立てのヴィデオで、メッセージはさらに強くなった。

父親役はDon  Cheadle 、若者ふたりをふくめて全員がアメリカのテレビでおなじみの人気俳優だ。Logic がファンと交流するなかで、自殺願望がある若者の多さに気づき、その一助となるように作ったそう。MTVのヴィデオ・ミュージック・アワーズ(VMA )や翌年のグラミー賞などでもパフォーマンスし、彼の知名度がはヒップホップコミュニティ外に広がった。ハリウッド映画などの影響で、アメリカはLGBTQの問題に先進的だと思われがちだが、実は地域差が激しい。15歳から24歳までの人の死因の2位が自殺であり、LGBの若者は異性愛者より自殺を試みる率は5倍という事実を重くみたヴィデオであり、そこまで追い込まれた時はとにかく電話をかけて、というメッセージをわかりやすく発信した。この曲がリリースされてから、この番号へのアクセスがはね上ったという。2020年8月現在、YouTubeの再生回数は38億746万回を超えている。

「ラッパーの価値とは?」と冒頭で煽ってしまったが、Logicの活動をみていると、価値は測るものではなく、受け手と一緒に作っていくものだと強く思う。時には、いじめられっ子キャラに映った人である。たとえ、彼がもう1曲も音楽を作らなくても、これまでの曲で力を与え続けるだろうし、私は『No Pressure 』とともに、息苦しい2020年を乗り切るつもりである。

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