【Review】「歌」を「書く」ことについてー宇多田ヒカル、音楽、「目に見えないもの」/ John Gastro
宇多田ヒカル8年ぶりの新作『Fantôme』。これほどまでに1作品として待望されたアルバムは近年の日本のポップスのシーンでは珍しいのではないだろうか。その期待に応えリリースされた同作は、宇多田の成熟を証明してくれるものだった。その傑作アルバム『Fantôme』について、そして歌を書くことについて、PUNPEEと"Traveling (PJG "Just Do It" 90s Rework)"をフリーリリースしたことでも知られている、宇多田ヒカルと同い年の「songwriter」John Gastroが書いてくれた。
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自分は音楽が好きだ。
そもそもなぜ自分は音楽が好きなのだろうかとこれまでに何度か考えたことがあって、ひとつわかったことがある。自分はどうやら音楽の「目に見えない」という部分が好きらしい。世の中にはレコードやCDという物理的な商品があったり、ライブという現実的な体験があるために、一見「音楽は目に見える」ものと錯覚してしまうかもしれないが、結局のところ音楽は「単なる空気の震え」でしかないし、むしろ「幻」とか「夢」―もっと言えば「想像力一般」みたいなものと本質的に近いと自分は考えていて、その感覚が好きなんだと思う。
その反対に「言葉」はずっと苦手だった。特にこうした「レビュー」や「プレスPR」「インタビュー」といったものは極力避けてきた。うまく言えないけれど、音楽が持っている「目に見えない/輪郭がない」ということの良さが、「言葉」という、意味が画一的な、他の想像力の余地を残さない窮屈なもので閉じ込められてしまうような感覚が、なんだか居心地悪かったのだと思う。
では、そんな言葉が苦手な自分がどうして「宇多田ヒカルの『Fantôme』のレビュー」という「まとまった文章を書くこと」を今回引き受けたのか。というよりも、そもそもお前は「歌詞」という形で「言葉を書いている」ではないか、それとどう違うのか。さらにいえば、そもそもこんな「私的な話」が「宇多田ヒカルの『Fantôme』」と何の関係があるのか―。
実は全て関係している。どういうことか。
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宇多田ヒカルの『Fantôme』を聞いて、自分は曲(音)よりも詞(言葉)の方に強く惹かれた。
そもそも、この盤のタイトルである『Fantôme』という「言葉」はどういう意味を持っているのか。自分は言葉が苦手なので、こういう時はちゃんと辞書を引いてみることにする。フランス語「fantôme」の日本語訳は「亡霊」とある。あとから知ったが、宇多田ヒカル本人がReal Soundのインタビューで、この作品を作るきっかけは母の存在だったと語っていた。では宇多田ヒカルの新譜は「亡霊」についての盤なのだろうか。なんとなくそこでこの盤について理解したつもりになると、もっと大事なことを見落としてしまうのではないか。彼女も歌詞で書いている。「目に見えるものだけを信じてはいけないよ」(from “道”) と。
一度、辞書を閉じ、改めて考え直してみる。なぜ日本語の「亡霊」でもなく、英語の「Phantom」でもなく、「フランス語の『Fantôme』」で「なくてはならなかった」のか。宇多田ヒカル本人によれば「英語にすると何か違う、日本語だと重すぎる、たどり着いたのがフランス語だった」(※前述のReal Soundのインタビューより)のだという。自分もある言葉が「しっくり」くるかどうかという「直感」についてはよくわかる。「ph-」と「f-」のわずかな違いだが、確かに、この曖昧な部分には何か目に見えない可能性が隠れている気がする。
改めて、Fantômeを「語源」まで遡ってみよう。いくつかの異なる辞書を引いたが、結局一番詳しかったのはWikitionaryだった。
fantôme
--From Old French fantosme, from Latin phantasma, from Ancient Greek φάντασμα (phántasma).
これによると、「fantôme」というフランス語の語源は、古くはラテン語の「phantasma」に由来し、さらに遡ると古代ギリシャ語の「φάντασμα」(phántasma)という言葉に起源があるという。意味はどちらも「亡霊、幻想」。その過程で冒頭のf-は、ph-になり、さらにφ(ファイ)へと変化していく。では、さらに遡ってその古代ギリシャ語の「φάντασμα」の「原義」は何なのか。
φάντασμα
--From φαντάζω (phantázō, “make visible”) (from φαίνω (phaínō, “cause to appear, bring to light”)) + -μα (-ma, nominalizing suffix for verbs: “that which is [verbed]”)
このあたりから徐々に言葉の持つイメージが変わってきていることがわかる。「φάντασμα」の原義は、古代ギリシャ語で「可視化」を意味する「φαντάζω」(phantázō)、さらに遡ると「白日のもとに晒す」という意味の「φαίνω」(phaínō)だという。「目に見えないもの」という意味だったはずの「fantôme」が、全く逆の「目に見える」という意味合いを帯びてくる。ではさらに、「φαίνω」 (phaínō)の原義にまで遡るとどうなるのか。辞書を引き、現れた文章を目の当たりにして、自分は驚いた。
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