大橋高歩 (the Apartment) Interview | NY最深部のカルチャーを伝える

東京・吉祥寺にNYのストリートで育まれたカルチャーと密接にリンクするファッションを提案するショップthe Apartmentがある。NYで独自のネットワークで買い付けた90年代のデッドストック&古着を中心に展開されるアイテムのラインナップは、海外のヴィンテージギアマニアからも注目され、今では問い合わせの多くが海外からのものだという。また国内でも近年再びthe Apartmentの軸となるブランドの1つTHE NORTH FACEの人気も急速に高まり、アイテムの入荷日には店に行列ができる。

THE NORTH FACEとRalph Lauren、そしてスニーカーなどが一貫して軸だというthe Apartmentのオーナー大橋高歩に、お店の成り立ち、さらにthe Apartmentを通して伝えたいNYのカルト・カルチャーの魅力などについて聞いた。

取材・構成 : 和田哲郎

大橋 - 僕らも接客のときに、ちゃんと話したいんですけど。NYのカルトカルチャーを引っ張ってきてるんで、なるべく説明したいんですけど、店頭で中々説明するのが難しい。それでblogに頼ってるんですよね。

- blogの記事もとても面白くて。そもそもNYのカルチャーに惹かれたのはいつ頃なんですか?

大橋 - 中学校の時にヒップホップが好きになって、最初は向こうのFMラジオの番組のテープを録音したブート盤のテープを聴いてたんですよ。それが中学校一年生くらいの時で、ちょっと背伸びしたくてかっこいい音楽を聴きたいと思って、そういうのを聴き始めて。友達のお兄ちゃんがNYに行ってたりしてて、その人がEPMDとかRedmanのCDを貸してくれて。で同年代とかだとSnoop Doggが出始めで西のヒップホップが好きでって人が多くて、僕もヒップホップっていうとギャングスタミュージックっていうか、ちょっと派手で音もピーヒャラいってるって感じだったんですけど、そういうんじゃないんだよというのを、その人に洗脳されて東海岸のヒップホップを中三くらいで聴き始めるんですよ。そこらへんから段々、漠然とNYみたいなのに興味が湧いてきた。だから最初はやっぱり音楽からですね。元々NY自体はそれまでは自由の女神くらいしかイメージがなくて、音楽きっかけでって感じですかね。

- それは具体的にいつくらい?

大橋 - 90年代の前半くらいで、決定的にNYのカルトなところみたいな、いわゆるタイムズスクエアじゃないNY、マンハッタンじゃないNYに惹かれたのはBoot Camp Clikがすごいでかくて。僕は地元が板橋なんですけど、先輩とかもみんなBoot Campがすごい好きで。地元ではあの人すごいよねって存在だった先輩が1人NYに行って、今考えたらちょっと変な話なんですけど、ブルックリンでBoot Camp Clikの下部組織のガキみたいなのにカツアゲされて帰ってきて。本当かどうかはわからないんですけど、その辺からブルックリンはヤバいところだって認識が生まれて、段々頭の中にクイーンズとかNYの地図ができてきて、マンハッタンのカルチャーじゃなくて、ちょっとフッドのカルチャーみたいなのに段々興味がではじめたんですよね。それが10代の頃ですね。

- その時って、まだネットとかないですよね。情報収集は?

大橋 - NYってことに関してはDuck Down VisualsっていうBoot Campのビデオがあったんですよ。それはMVが入ってたりとか、みんなで腕立てしてるシーンが入ってたりとか、わけわからないビデオなんですけど、そのビデオに映ってる背景とかの、お店だったりとか道の感じだったりとかを見てたって感じですね。Source Magazineとかも見てたんですけど、そういう雑誌とかじゃなくて、あとはNasの『Illmatic』の中ジャケとかのプロジェクト(団地)の写真とかを見て、僕は板橋の団地育ちなんですけど、ほんとウチの地元とそっくりだなとか思ったりして、親近感というか、NYってすごい大都会でビルばっかりあるイメージだったのに、ジャケットとかビデオに映ってる風景はウチの地元みたいだなって感じでしたね。そういうので最初からフッドの方に興味がいってたってことですね。今はタイムズスクエアみたいなきらびやかなNYも好きですけど、最初はそういうのには、あんまり興味はなかったですかね。

Boot Camp Clik

- そこからビデオに着ている服に興味がいったり?

大橋 - そうですね、洋服の着方とかが、特にBoot Campの奴らとかは一貫性があるっていうか、それぞれのトライブや地域とかで、こいつらの着方というか、こいつらみんなこの雰囲気っていうのがあるのに、すごい惹かれたというか。みんながバラバラの格好しているのに変な統一感、変なルールがあってそれってなんなのかなって感じたのが、今に繋がってるかもしれないですね。僕は79年生まれなんで、中学校入ったくらいの時に、ヌプシジャケットが出たんですよ。元々僕は黄色がやたらと好きで、NORTH FACE関係なく。だからヒップホップとかも関係なく、中学校のときに黒×黄のヌプシジャケットがすごい欲しかったんですよ。あれかっこいいなと思っていて。高校に入ったくらいのときに、Source MagazineでTekか誰かが、ヌプシジャケットを着てるのを見て、これ向こうの連中も着てるんだってわかったんですよ。だから元々ヒップホップの奴らが着てるからNORTH FACEが好きになったわけじゃなくて、黒×黄のヌプシが好きで、そしたら向こうの奴らも着てたってのがわかって、そこから急激にハマって高校生からは、ずっとNORTH FACEでしたね。

The Apartment

- その当時日本でNORTH FACEをがっつり仕入れてたお店とかはあったんですか?

大橋 - うちの地元とかだと、今考えると偽物なんですけどヌプシがジーンズショップとかで売ってましたね。でもアウトドアショップでは本物を売ってたから神田とかですかね。僕は高校が水道橋で、神保町のお店とかは行ってましたね。僕はスニーカーとNORTH FACEとRalph Laurenがすごい好きで、そこ以外はあんまり個人的に興味ないんですけど。スニーカーは中学くらいの時に興味が出始めて、ちょうどNBAや92年バルセロナ五輪のドリームチームとかもあって。そこで僕はEwingを買ったんですけど、それもNYっていうのがすごくでかくて。Ewingから始まって、すぐにNikeやAdidasのEQTとかに中学から高校のころに興味がうつって、その感じが今もずっと続いてますね。だからスニーカーも同じラインばっかりですかね。

- Ralph Laurenはいかがですか?

大橋 - 地元が板橋なんで買い物するのが大体池袋が多いんですよ。池袋の西武がRalph Laurenがセールのときにめちゃくちゃ安くなるんですよ。それって向こうのMacy'sに感覚が似てると思うんですけど。ちょうど高校入ったくらいのときにPolo Sportとかが流行ったりとかしてて、それで西武に行ってPolo Sportとかを買うみたいな感じでしたね。Ralph Laurenも92(マイケル・タピアがデザイナーとして起用されていた当時の黄金期のライン)とかは正直そんなに興味なくて。2こ上の先輩がダンサーだったんで、その先輩がお下がりで92の服とかをくれたりしてたんですけど、僕はそこにはあんまり思い入れがなくて、むしろその後のPolo Sportにすごいハマったんですよね。あの色が良くて、気づけばPolo Sportにハマったのも黄色がきっかけなんですよね。アメリカの黄色って日本の黄色と違うんですよ。赤みが入ってるというか、アメリカのチーズとかも赤っぽいじゃないですか。アメリカのタクシーの黄色もその色で、メトロカードもだし、その黄色が昔からすごい好きで。デリとかの看板にも黄色ってすごい使われてるんですけど、全部ああいう黄色だし。

- 黄色には気づいたら惹かれてたんですか?

大橋 - そうなんですよね、僕は子どものころに家が貧乏で、おもちゃを買ってもらえなくて、全然記憶にないんですけどTonkaっていうアメリカのミニカーメーカーの、黄色の工業用のトラックのおもちゃを母親がデパートで買ってくれて。それに家の前の公園で砂入れて遊んでたりしたんですよね。多分それが頭の中にあって、18歳くらいで家を出て、一人暮らしするんですけど、そのおもちゃだけやたら好きで持っていったんですよね。ソニスポ(Sony Sports=90年代に流行ったSonyのウォークマン。黄色とグレーの配色が代名詞)とかも一時期すごいコレクションしてて、あれもその黄色だからなんですかね。店を始めるときに、黄色に自分が引っかかってるなと思って、よくよく考えたら根っこはそこかなって、後から気づいたんですよ。それまでは気づけば黄色のものが多かったんですけど、おれは黄色が好きとかはなくて。

The Apartment

- 面白いですね、元々のおもちゃもアメリカのおもちゃなわけじゃないですか。

大橋 - この仕事始めて、向こうでトイザらスにいったらTonkaが並んでて、それまであれがアメリカのおもちゃって知らなかったんですよ。TonkaってTomicaの偽物だと思ってて。ウィリアムズバーグのお洒落な小物屋の壁に飾ってあったり、Brooklyn Basementsやってるやつの家に行ったら、そいつの親戚の子供達がTonkaで遊んでて。そこで初めて、アメリカのものだったんだって気づくんですけど。何十年後につながったみたいな。

- ほんとにいろいろ偶然が重なったんですね。初めてアメリカに行くのはいつだったんですか?

大橋 - 僕の場合はアメリカに行くのは遅くて、店始めるときくらいで。僕はこの仕事始める前は音楽をやってて、それこそNYのヒップホップのスタイルが好きでやってたんですけど、自分の中でNYが特別になりすぎちゃって。行ったら自分の中で全部変わっちゃう気がして、それでずっと行けなかったんですよね。日本人でこういう音楽やってたらNY行くのはまあ自然じゃないですか、友達とかはバンバン行ってたんですけど、僕はそこはずっと抵抗があったんですよね。でも行ってみたら行ってみたで、思ってた通りって言ったらおかしいですけど、一番ピンときたのがフッドだったんですよね。ブロンクスとかブルックリンのフッドを歩いてたときに、おれの地元と一緒だなってことがいっぱいあって。

うちの地元っておかしな人が多くて、友達の親父さんはブリーフ姿で家の前でタバコ吸ってるし、様子のおかしいおばさんがつまようじにタバコ刺して、街中歩いてたりするんだけど、そんな悲惨な感じはしなくて。なんて言うんですかね、お金はないんですけどみんな明るいは明るいんですよ。状況はシリアスなんだけど笑えるノリを、向こうのフッドでもすごい感じて。アメリカは医療保険がない人が多いじゃないですか、足を怪我してそこからバイ菌が入ってるんだけど病院に行けないから、足が象みたいに膨れ上がってる人とか片目ない人とが早朝のフッドにはいるんですよ。そういう人たちは昼は出てこなくて。そういうときに暖かみだったりとか、生きる強さを感じて。あとうちの地元は外国の人もすごく多くて、NYも多民族都市で、僕らの地元は韓国から来てる人とか、中国からフィリピンから、アフリカから来てる人がいるんだけど、誰もそんな差を気にしない。NYはそれの歴史があるバージョンというか、みんなスマートですよね。いろいろな文化があるんだけど、それぞれの文化が成立してて、それぞれの距離感も成り立ってて。そういうのは一発でしっくりきたっていうのがありましたね。

- 初めて行ったときから、お店をオープンするまではすぐだったんですか?

大橋 - そうですね、店をオープンするから買い付けしようって行ったんですよ。店を始めるときに、自分たちの好きなものが90年代のNORTH FACE、Ralph Lauren、スニーカー、それからChampionとかCarharttとか定番のものも好きだったんで。それをNYから持ってきて店をやろうっていうイメージがあったんで、それで行った感じですね。

The Apartment

- なるほど、お店をオープンしようとしたきっかけも、そういうフッドのカルチャーを直で持ってきたかったからということなんですか?

大橋 - いや全然そういうのではなくて、お店をオープンしようと思ったきっかけは、最初銭湯を作りたかったんですよ。

- 銭湯ですか?

大橋 - うちの地元って銭湯がいっぱいあって、僕は子供のときに家に風呂がなくて、銭湯にいつも行くんですよ。銭湯行くと近所のおっちゃんとかヤクザのおっちゃんとかがいっぱいいて、馬鹿な話をするっていうコミュニティースペースになってて。一人暮らししてからもお金がなかったんで、風呂なしのアパートに住んでたんで毎日銭湯行ってたんですよ。それで銭湯のおっちゃんとかと話してても、「どんどん若い人も来なくなってるし、銭湯キツい」って言ってて、だからやりたいなって思ったんですよね。高校の同級生と忘年会で「銭湯やりたいんだよね」って話をして、「いいね」ってなったんです。よくよく考えれば銭湯って向こうでいうバーバーショップみたいなもんじゃないですか。そういうのがやりたくて、おれは番台に座って近所のおっちゃんと馬鹿話してっていうのがやりたかったんですけど、銭湯やるのはすごいハードルが高くて。新しくやるのが大変とか、引き継がなきゃいけないとか、もちろんお金もすごいかかりますし、だから銭湯は現実的じゃないよねって話をしてて。

大橋 -でも自分たちで何か仕事をしようかって話を高校の同級生2人としてたときに、共通点は洋服だったんで、じゃあ洋服やろうみたいな。僕らは向こうのやつらの統一感あるノリに憧れてたから、僕らの仲間内って昔からみんな同じ格好をしてて。後輩とか高校の友達もそうだし、音楽の友達とか全員NORTH FACEなんですよ。冬はみんなNORTH FACEを着てるんですよ。それが自分たちのカルチャーとまでは考えてないですけど、自分たちはこういうスタイルって感じで。店始める前の2000年代初頭とかは、仲間内の奴がしょっちゅうNYに行ってて、NYでNew Balanceの574がちょっとずつ違うカラーバリエーションで毎月4色ずつくらいリリースされるんで、それを買ってきてもらってみんなでヒモをダルダルで履いて、NORTH FACE着てっていうのがあったんで。店をやるときも、その時ってスキニージーンズが流行ってたんですけど、流行ってるものをやるっていうよりは、自分たちが好きなノリを押し出したのをやりたくて、それがどこにあるんだろうって考えた時にNYにしかないなって感じですかね。

- 銭湯からお店になったっていうのがすごい面白いですね。

大橋 - 本当に行き当たりばったりで、全部そうなんですけど、プランがあったとかは全くなくて。お店が始まった瞬間にお金も底をついたし、ランニングコストって概念が頭にそもそもなくて。始まった瞬間に用意したお金が全部を底をついたので、売れた金額でしか生活ができないんですよ。そのお金を生活費に使うのか、仕入れに使うのかっていうのを毎回やってましたね。最初の2年くらい。それで僕はレコードをコレクションしてたんですよ。むしろ洋服はそんなに買ってきたタイプじゃなくて、洋服はずっと同じのを着てるんで。あとはひたすらレコードを買ってたんですよ。その持ってたレコードをずっと売って、そのお金を生活費にして。だから給料は0でしたね。

- お店が安定してきたのはいつだったんですか?

大橋 - 今は2ヶ月に1回買い付けなんですけど、最初は買い付けに行けるお金が貯まったら買い付けってスタイルだったんですよ。毎回買い付けに行くときに、貯まったお金を全額買い付けの資金に変えて行くんですよ。2009年くらいの時ってリーマンショックがあって洋服屋がバンバン潰れまくってたころで、インポートもそんなに人気がなかったときなんで、インポートのお店も少なくて、買い付けに行って帰ってきたタイミングだけ、お客さんがバッと増えるんですよ。それに賭けてたんですよね。2011年の3月に買い付け行って帰ってきて、すぐに3.11の地震が起きたんですよ。

大橋 - そのときに全員で話し合って、みんな洋服なんて買わないだろうし「終わったな」ってなったんですよ。震災のあとに福島から逃げてきた人も結構いて、上着も持たずに逃げてきたって人もいたから、そういう人たちにNORTH FACEのダウンをあげたりとか、岩手の人が注文してきたらタダで送ったりとか、そんなことをしてたんですよ。もうお店は終わったから、チャリティーTシャツを自分たちで作って、募金したりとか。最後かっこいいことやって終わろうってやってたら、常連のお客さんはギリギリの状態でやってるっていうのを知ってて、その人たちが支えてくれたり、無料で商品を送ってた人たちが普通に通販で買ってくれるようになったりとか、そういうのもあって2011年の年末くらいから、段々軌道に乗り出したんですよね。それまでは本当に全然回ってなかったです。この仕事始める前は、個人で仕事をもらったらやるって感じでやってたんですけど、仕入れのお金がないときはそういう仕事をもらって、お店は任せて仕事しにいくとかをやってましたね。だから全然成り立ってないですね(笑)

- そうだったんですね、でも軸はずっとぶれてないですよね。

大橋 - そうですね、本当に好きなものはぶれてないし、だからNORTH FACEとかも、ずっと好きでやってきて。なんなんだろうな。最近になって向こうのNORTH FACEの人も認めてくれるようになったというか。仕事でも繋がりあるし、Lo-Lifeの奴らとも交流があるし。自分たちのなかでは全然答え合わせができてなかった部分があって、これはこういう感じだよねって手探りでやってきたものが、意外と海を越えても同じ年代の奴は同じ音楽を聴いて、同じ洋服の着方をしててみたいなのがわかってきた感じですかね。NORTH FACEは若い子達にもすごい流行ってるんですけど、それってSupremeの去年のMountain Lightがでかくて。Mountain LightってNYのカルトカルチャーのなかでもすごい重要なジャケットだったんですよ。そういうアイテムでもあったんで、僕らとしては本当にそういう点でずっとやってたんですよ。でもその背景って説明しづらいというか。

大橋 - 要はMountain Lightってグラフィティーとかの匿名性の高いアンダーグラウンドカルチャーと繋がってるものなんで。僕らはグラフィティーライターじゃないですし、そこを説明してっていうのは難しかったんで、Mountain Lightをずっと好きでやってたんですけど全然売れなかったんです。Supremeがああいう形のピックをすることで、売れるみたいな。Marmotのジャケットとかも、僕らはカルトカルチャーの側面でやってたんで。メインのカルチャーじゃなくて、Instagramに乗らないカルチャーというかInstagramに顔を出せない人たちのカルチャーが僕らも好きで、だから僕らが向こうで会う奴らも、そういう連中はすごい多いんですよ。そういう人たちの文化って、外に出ない分自分たちのなかで発酵してるというか、すごい濃いものになってて。でも難しいですよね、Supremeとかに紹介されて、若い子達が知るけど、その奥の方には踏み込んでこないから、逆に僕らはそういうもののネタ、レコード屋でいったらサンプリングのネタを売ってるみたいな感じでやってるんですよ。僕らもSupremeがやることは面白いと思うし、1ファンとしてすごい楽しんでるんですけど、自分たちがやるときはそういうものを取り扱うんじゃなくて、その元ネタをやることで、Mountain Lightがなんでグラフィティーライターに人気があったのかとか、全部理由があるから、そういうところに踏み込んで入ってもらえたらいいなってのはありますね。

- いまのNYのフッドのストリートシーンはどうなっているんですか?ずっとNORTH FACEを着るのは変わってない?

大橋 - いや、NORTH FACEは常にストリートの定番ですがヴィンテージのNORTH FACEを着るカルチャーは、90年代末から00年代初頭に活動していたグラフィティーライターのカルチャーなんですよね。だからいまの若い子でNORTH FACEとか着てる子はいるんですけど、それは全然別の文脈で、NYの魅力につながる話なんですね。いまうちのお店に来てる若い子はNIkeのスニーカーを追っかけて、Yeezy追っかけるていう感じで、企業が設定する流れに乗っかっていくやり方ってすごい東京っぽいし、よくも悪くも情報が出回っているので、そういうところにはまってると思うんですけど、NYって「え?なんでこれ?」ってことがよく起きるっていうか。

大橋 - ヒップホップの価値観とすごく似てると思うんですけど、そもそもあったものをフリップさせて、かっこよくフレッシュに見せるってことがあるんですよ。Lo-Lifeとかもそうだと思うんですけど、もともとRalph Laurenが設定してる着方と全く違う着方でやっちゃうから、そこにスタイルが生まれる。それこそちょっと前のadidasのTiro Pantsとかも、あれも最初ストリートで見たときに僕らはビックリして。あれで足元Jordanで合わせて、何事だと思ったんですけど、そういうのがNYだと生まれるんですよね。Tiro Pantsがどこから出てきたかは、はっきりしないんですけど、Lo-Lifeは出処ははっきりしていて、ビンテージギアのカルチャーも出処があるんですね、そこから始まったものが、元の広まった理由がわからないまま、スタイルだけ広がっていく。それってすごい面白いなと思って。

Lo Archives

Lo Lifeさん(@lolifebrand)がシェアした投稿 -

大橋 - Mountain LightをSupremeがピックしたのって、Vintage Gear Addictsがやってることに乗っかってるというか。Mountain LightはMountain Jacketの廉価版なんですよ。NYのグラフィティーライターがなぜ90年代にMountain Lightを着てたかをNYのライターに会ったときに聞いたんですよ。いろんなことを言う奴がいたんですけど、面白かったのはMountain LightってポケットがNORTH FACEの普通のジャケットに比べて縦に深いんですよ。だからスプレー缶がポケットに入れられるんですよ。それを言ってたライターは僕の2歳年上のライターで、当時はみんな着てたって言ってて、冬ってゴツいジャケットを着るやつもいるじゃないですか、でもライターは追いかけっこしたりとか壁を昇ったり、身軽な方がいいから。レイヤードでフリースとか着ればダウンみたいに暖かいから、身軽だし荷物入るしって実用的な理由で、みんなMountain Lightをチョイスしてた。

大橋 - 別の90年代初期に活動してたライターが言っていたのはMountain LightとMountain Jacketって比べればわかるんですけど、Mountain Jacketって光沢がないしっとりとした素材で、Mountain Lightはツルツルじゃないですか。Mountain Lightは塗料がついても落ちるらしいんですよ。スプレーがついても落ちるから、みんな着てたって言ってましたね。冬はMountain Lightを着て、夏になるとBase Camp Duffelってターポリンのダッフルバッグに缶とか入れて、夏はボムしてたって聞きましたね。Supremeはそこのところをちゃんとわかってて、Marmotもそうですけど、背景をちゃんとわかってて、うまくピックしてる。形的に袖にロゴがあってっていうのが面白くて。

- Supremeには、ちゃんとNYのカルチャーへのリスペクトがあってピックしてるってことですよね。それを消費する人はどこまで理解してるかわからないけどってことですよね。

大橋 - オリジナルで着てた人たちはSupremeのあれに関しては否定的なんですよ。カルチャーの上澄みだけを持っていって、着てる人の間にマネーゲームみたいになってる現状もあるから、それに対してはブーブー言ってるんですけど、まあそこは考え方ですからね。シンプルに面白いと思うんですよね、理由があってなんでこれが選ばれてるのかって、そこを知っていくとストーリーが見えてくるので。僕らは若い子たちに、そこを伝えられたらいいかなって思いますね。でも伝え方もなかなか難しいと思うんですよ、説教みたいになっても面白くないし、単純にやっぱ洋服だから細かいこと気にせず、理由なんてどうでもいいから「かっこいい」だけで、それだけで面白いと思うんで。いろいろ調べていくとやっぱりヴィンテージギアってサブカルチャーなんで、情報が表にでないんですよね。だから僕らは結局インターネットにでない情報を足で、飛行機乗って聞きにいく。そういうことをやる人も絶対に必要だし、インターネットでクイックに情報を回す人も必要だし、僕らはそれができないんで、若い子の情報の早さに、すごい刺激されるんですよ。すっげー知ってるなって思うんで、僕らはおっさんなんで足を使って、直接聞くとすごい魅力的な話が聞ける。

大橋 - NORTH FACEとRalph Laurenは本当に魅力的ですね。2つのブランドはほとんど同い年なんですよ。同じような変遷を経て、すごいメジャーなブランドなんだけど、根っこの部分はすごいぶっ飛んでるというか。NORTH FACEは70年代とかの初期はVAN Jacketが日本に輸入していたらしいんですよ。Patagoniaを日本に持ってきたおじさんがいて、その人にも話を聞きにいったんですけど、いろんなことを教えてくれて。NORTH FACEはダグ・ トンプキンスという人が作ったんですけど、その人はEspritってブランドも作っていて、色彩感覚飛んでる。NORTH FACE作った人とPatagonia作った人は仲いいんですけど、元々ガイドをしてたんですよ。ここからは僕の推測になっちゃうんですが、あの当時の西海岸のガイドしてる人ってヒッピーカルチャーの影響があって。NORTH FACEの昔のカタログ見るとカラーチャートにアカプルコ・ゴールド(伝説的な大麻株として知られている)とかが入ってて、絶対好きな人なんですよ。50周年の本にも書いてあったんですけど、ブランドがオープンした時のライブがGrateful Deadだったり、元々そっち系の人なんですよ。だから色彩感覚もかっ飛んでて、色の名前も面白くて、個人的にもNORTH FACEの魅力は色なんですよね。オレンジがマンゴーって名前だったりとか、緑はアルペン、青はアズテックって普通の青じゃなくて絶妙な色、そういうところは元々NORTH FACEの面白さとしてあるんですよね。色によっても値段が違って、「この色はいい」とか「オリジナルと違う」とかいう話もよくするんですよ。そういうブランドをグラフィティーライターが着てたりとかNORTH FACEは知れば知るほど面白いんですよね。

The Apartment

- しかもそれって企業としてのNORTH FACEの歴史には載らない部分ですよね。

大橋 - そうなんですよね。Ralph LaurenのLo-Lifeも元々Macy'sで万引きしてた奴らなんで、それで最初はRalph LaurenもLo-Lifeに関してはもちろん認めなかったんですけど、でも彼らがRalph Laurenをストリートカルチャーに持ってきたし、彼らみたいなのがいなかったら世界中の若い子たちが、Ralph Laurenをこういう風に着ることはなかったと思うんですよね。それにRalph Laurenも気づいて、1992年がRalph Laurenの名作が出た年でブランドが25周年だったんですよ、今年でRalph Laurenが50周年で、92年から25周年で、その92年のコレクションを復刻させるんですよ。アイコニックなキャップだったり色んなアイテムが控えているんですけど、それもLo-Lifeがいなかったら、92年のコレクションに火がつくっていうこともなかったんで。ストリートの人たちが自分たちのカルトのやり方で、身内ノリをやってたらそれが波及していって。

- NYじゃないですけど、去年だったらLil YachtyがNauticaをずっとプッシュしてて、そしたらクリエイティブディレクターになっちゃうとか、そういう形がずっとあるってことですよね。

大橋 - 風通しがいいっていうか、そういう自由さがアメリカにはあると思うんですよね。僕らはよそ者絶対立ち入るなって雰囲気のところに行かないと、面白いものは持ってこれないので、そういうところにガンガン行くんですよ。行くと最初はお前は向こう行けみたいな感じになるんですけど、結局僕もずっと好きなものが変わらなくて、日本でずっとそこを追っかけてきたら、意外と好きなものもみんな同じだし、判断基準も一緒だしストリートトークっていうか、これはNGだけどこれはやったらプロップスがあがるっていうのは万国共通で一緒なんで、すごい早いタイミングで打ち解けられるんですよね。実際会うと、「お前わかってる」みたいな感じで、すぐ認めてくれる、話が早いんですよね。

- 買い付けで、危ない目にあったことはないんですか?

大橋 - 決定的に怪我したりとかはないですね、囲まれたりとか仲間よばれたり、後をつけられたりとかはいっぱいありますね。会うってなっても向こうは匿名で、連絡先を間に入ってるやつから聞いて、この場所で会おうってなったけど会えなくてを繰り返したりとか。結果仲良くなって仕事はできたんですけど。基本的には誰々の知り合いとかでつながっていかないとダメなんですよね、いきなり飛び込んでも。

- 多様性を受け入れるってところがあるんですかね。

大橋 - それは本当に大きいですね、ヴィンテージギアの文化って、ほんとに移民って言い方はあれかもしれないですけど、移民だらけなんですよ。Lo-Lifeにも移民の奴らたくさんいるし、南米系、カリブ系とかがいますね。だからパッと入れてくれるっていうのはあるかもしれないですね。でもやっぱり黒人だけのカルチャーってあるじゃないですか。あそこは白人だけのカルチャーと同じくらいシャットアウトされる。NYに住んだとしても入っていけないですよね、入っていってる人もいてすごいなーって思いますけど(笑)

- 僕の中ではNYのヒップホップシーンってすごいマッチョでホモフォビア的なイメージが強かったんですけど、去年はYoung MAが出たりとかしてるじゃないですか。そういう部分での変化とかは感じられますか?

大橋 - やっぱりオバマがでかかったと思いますね。オバマが大統領になってからアメリカはLGBTに対して、すごい寛容になったと思いますね。それこそ僕らが行き始めたときって、クイーンズジャマイカの店とかに行って、スキニージーンズ履いてるやつが来たりすると、OGが「おいファゴ(fagot=性的倒錯者)」みたいな感じで声かけるとかいっぱいあったし、僕も元々ホモフォビア的なヒップホップで育ってきてたから、そこには全然違和感は感じないままきてたんですよ。そしたら向こうに行ってわかったのは、ダイク(dyke=元々はレズビアンの蔑称。現在は男っぽい見かけのレズビアンに用いる)って呼ばれるレズビアンがすごい多いというのがわかって、レズビアンが女の子を守るためにギャングスタになってるんですよね。あ、こういう人っているんだと思って、それと同時に特にシティーとかのおしゃれなところに行くとLGBTの人がすごい多いっていうのはわかって、なおかつすごい変化で受け入れられてるっていうのは感じましたね。だからトランプに変わって、ヤバイどうなるんだろうって思いますね。移民とかに対してもノーって言う人はすごい多いと思うんですよ。僕らは移民の人とかと繋がりがいっぱいあって、逆にトランプ支持者の知り合いって1人もいないんですよ。誰が支持してるんだろうって思うんですけど、街を歩いてるとあの帽子をかぶってる奴とかいっぱいいるし。

- NYにもいるんですね。

大橋 - いますね、あれだけリベラルなところでもいるし、NYだと逆に隠れトランプ支持者みたいな感じになっちゃうと思うんですよ。NYのあの雰囲気の中で、「私はトランプ支持です」っていうのは中々勇気いると思うんで。潜在的にはいて、僕らはNY以外はわからないですけど他のところはもっとすごいでしょうね。そういう意味でも僕らが知ってるNYって、ほんとにごく一部で。NYによく行く人と話しても、話がかみ合わないことがよくあって、それくらい通りを挟んでこっちはユダヤ人のエリア、あっちは黒人がいっぱい住んでるみたいな。同じブルックリンっていっても黒人ばっかりの地域と、ベイリッジとでは全然違いますし。僕らも行くたびに発見がありますし、みんなみてるところが全然違って、ほんとに色んな顔があるなと思いますね。これだけ行ってても、トランプ勝ったのとか、そんなこと起きるのって感じで信じられないというか。そういう状態の中でNYってすごいエネルギーがあるから、そういう状況でこそ有機的に面白いものが出てくるのかなっていうのはもちろんありますよね。

- 最後にthe Apartmentはどういうお店であり続けたいでしょうか?

大橋 - 僕らはNYでもシティーにあるKITHとかに、もちろん行くんですけど、僕らも大きくなってああいう風にしたいとかは全く思ってなくて、それこそブルックリンのフッドとかにある、子供の時から通ってて、おっさんになっても通ってる家族経営でやってるような店があるんですよ。そういう感じで八百屋とかみたいな感じっていうんですかね、洋服屋っていっても構えるんじゃなくて、商店街のお店みたいな感じでやっていけたらと思いますね。

- コミュニティーに根ざすというか。

大橋 - そうですね。僕らは都心の方はあまり出ないんですけど、ずっと吉祥寺をうろうろしてて、周りのお店とはすごい仲いいんですよ。そういう人たちと吉祥寺を盛り上げていって、文化的に新しいものがここらへんから出てきて、逆に外人の奴らが「面白い」って言ってくれるようになったらいいですね。吉祥寺で若い子たちが遊んで飯食って、新しいものが生まれたらいいなって思いますね。

_____

the apartment

大橋高歩

NY買い付けによる旬なインポートアイテムや、ニューヨークのLO LIFE、VGAなどとの独自のコネクションによって仕入れている90'sヴィンテージアイテムを現代的にMIX。カルチャーと密接にリンクしたスタイルを提案する吉祥寺のセレクトショップ、the Apartmentのオーナー

http://www.the-apartment.net

武蔵野市吉祥寺本町1-28-3ジャルダン吉祥寺106号(TEL:0422-27-5519)
Open 12:00~20:00

RELATED

【インタビュー】JAKOPS | XGと僕は狼

11月8日に、セカンドミニアルバム『AWE』をリリースしたXG。

【インタビュー】JUBEE 『Liberation (Deluxe Edition)』| 泥臭く自分の場所を作る

2020年代における国内ストリートカルチャーの相関図を俯瞰した時に、いま最もハブとなっている一人がJUBEEであることに疑いの余地はないだろう。

【インタビュー】PAS TASTA 『GRAND POP』 │ おれたちの戦いはこれからだ

FUJI ROCKやSUMMER SONICをはじめ大きな舞台への出演を経験した6人組は、今度の2ndアルバム『GRAND POP』にて新たな挑戦を試みたようだ

MOST POPULAR

【Interview】UKの鬼才The Bugが「俺の感情のピース」と語る新プロジェクト「Sirens」とは

The Bugとして知られるイギリス人アーティストKevin Martinは、これまで主にGod, Techno Animal, The Bug, King Midas Soundとして活動し、変化しながらも、他の誰にも真似できない自らの音楽を貫いてきた、UK及びヨーロッパの音楽界の重要人物である。彼が今回新プロジェクトのSirensという名のショーケースをスタートさせた。彼が「感情のピース」と表現するSirensはどういった音楽なのか、ロンドンでのライブの前日に話を聞いてみた。

【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない

Childish Gambinoの新曲"This is America"が、大きな話題になっている。『Atlanta』やこれまでもChildish Gambinoのミュージックビデオを多く手がけてきたヒロ・ムライが制作した、同曲のミュージックビデオは公開から3日ですでに3000万回再生を突破している。

WONKとThe Love ExperimentがチョイスするNYと日本の10曲

東京を拠点に活動するWONKと、NYのThe Love Experimentによる海を越えたコラボ作『BINARY』。11月にリリースされた同作を記念して、ツアーが1月8日(月・祝)にブルーノート東京、1月10日(水)にビルボードライブ大阪、そして1月11日(木)に名古屋ブルーノートにて行われる。