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大和田俊之、磯部涼、吉田雅史による書籍『ラップは何を映しているのか——「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』が刊行

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毎日新聞出版より3/27に書籍『ラップは何を映しているのか——「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』が刊行される。

本書はアメリカ事情に精通する大和田俊之、長年ラップの現場に身を置いてきた磯部涼、批評家とラッパー/ビートメイカーを往復する吉田雅史の3人が日米のラップの変遷について語るもの。

ヒップホップ・カルチャーの歴史を縦軸に、「トランプ後の世界」と「日本語ラップ」の現状認識を横軸に、ラップの潮流を通して、私たちの社会をもマッピングする一冊となっている。

<本書より>

あらためて、アメリカでも、そして日本でも、ラップが歌っているものは何な
のだろうか。それは本当に「いま」を映しているのだろうか。
ドナルド・トランプは以前からその過剰なキャラクターのゆえ、ヒップホップ
の世界でも取り上げられることが多かった。先の大統領選に際しては、YGの
「FDT 」に代表されるように、数多くのアンチ・トランプ・ソングが発表された。
だがアンチ・トランプを叫んだ多くのラッパーたちは、トランプの当選を予想し
ていただろうか。もっと言えば、この結果を食い止められる可能性はなかったの
か。食い止められなかった以上、ラップは「いま」を映して“いない”のではな
いか。
[略]
そもそもなぜラップがこれほどまでにポリティカルなものとして扱われるのか。
そのルーツはどこにあるのか。そしてアメリカのラップと日本のラップに見られ
る政治性とは、比較できうるものなのか。もしできないのだとすれば、それは単
に両国のラップが持つ歴史的な蓄積の問題なのだろうか。
[略]
第一章では、トランプ以降のアメリカにおいて、大統領選やBLMに触れなが
ら、ラップが何を映しているのか、前回の後日談も含めて議論した。
第二章では、一九七〇年代、ニューヨークのブロンクスまでいったんさかのぼ
り、ヒップホップがその黎明期から何を映し出してきたのかを探った。議論は、
その政治性だけでなく、商業主義との関連、ファッションに与えた影響など多岐
に渡った。
そして第三章では、日本のラップが、その黎明期からどのようにアメリカのそ
れを翻訳し、正当性を担保しながらも独自のフォームを形成してきたのか。その
ことを、日本のラップが映し出してきたものを通して、見直す試みとなった。
各章には、それぞれ関連する曲目リストを挙げ、具体的な楽曲にもフォーカス
しながら議論を進めた。これらについても適宜チェックしながら、本書を読み進
めていただければ幸いだ。
(「はじめに——吉田雅史」より)

Info

『ラップは何を映しているのか——「日本語ラップ」から「トランプ後」の世界
まで』
著者:大和田俊之、磯部涼、吉田雅史
新書変形/ソフトカバー/240ページ
1,200円+税
2017年3月27日発売
毎日新聞出版
https://www.amazon.co.jp/dp/4620324418/

<目次>
●はじめに 吉田雅史

●第一章 ラップはいまを映しているか
ラップの定義について/ヒップホップ史の書き換え/BLMのアンセム「Alright」
/チャンス・ザ・ラッパー発言に見る非政治化/トラップ・シーンの変化/酩酊
感の正体/大統領選との距離/予想を裏切るトランプ/「Bad and Boujee」は反
動なのか/デモとラップ/シカゴの時代

●第二章 USラップが映してきたもの
政治性を求めるのは誰か/『ストレイト・アウタ・コンプトン』の歴史操作/
KRS・ワンのヒップホップ道/「The Message」再考/ゲームの始まり/ギャング
スタ・ラップの二重性/ポスト・ソウル世代の政治感覚/宗教と陰謀論/女性ラ
ッパーの系譜/エミネムとホワイト・トラッシュ/女性物を着るラッパーたち

●第三章 日本にラップが根づくまで
オーセンティシティとオリジナリティ/佐々木士郎(宇多丸)の危惧/ハードコ
ア・ラップが右傾化した理由/『空からの力』という教科書/社会問題に対する
メタとベタ/ポリティカル・ラップとしてのMSC/顕在化する地域性/方言に根
ざしたビート/フリースタイル・ブームの行方/ダンス・ミュージックへの回帰
/「It G Ma」ブレイクの意味/アメリカの影と向き合う

●あとがき 磯部涼、大和田俊之

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