昨年オランダのRush Hourからリリースされたアルバム『Sounds from the Far East』をきっかけに世界的な再評価が起こっている、日本のハウスミュージックシーンのパイオニア、寺田創一。昨年おこなったインタビューでハウスの時期を甘い季節と述べていた彼に、その季節が再来している今の活動や世界各国でおこなっている公演などについて聞いた。こちらはPt.2
写真 : 横山純 取材/構成 : 和田哲郎
- いろんな国のイベントに出られて、その中で印象的なこととかはありましたか?
寺田創一 - アメリカ・カナダツアーの初日がロサンゼルスだったのですが、その時の最前列のお客さんが後ろから押されたかなんかでよろけて、機材に飲み物がこぼれてかかって全ての音が止まったっていうのがありました。目の前が真っ暗になったんですけど、それも無理もないっていうかウェアハウスパーティーだったんですよ。ただの倉庫にサウンドシステムと機材とバーンを入れてやってるイベントなので、DJブースっていうかテーブルのすぐ前までお客さんが来ていて、機材もその細いテーブル敷き詰められて置かれてて、お客さんがすぐ目の前にいるんです。こぼれた瞬間は見なかったんだけど、こぼした人が本当にゴメンって顔をしてこっちを見ているのがわかって、なんだろうこの人の表情は?と思って下を見たらビシャビシャになってた(笑)
それでも大丈夫に決まってる~って想像して、ちょっとハンカチで水分拭いて大丈夫じゃ~んって思ってたら5分後くらいに全部の音が止まった。しょうがないので今まで一度も使ったことがなかった緊急用CDRをカバンから出して、「機材に水がこぼれて止まっちゃったからエマージェンシーCDでやるよ」ってアナウンスしてからやったのが最大の事件だったかな。
PCからのパラアウトでやるダブミックスみたいのができなくなるのが残念だったのと、サンプラーを弾いてるキーボードの電源がコンピューターからだったので、代わりの電源用コンピューターをもらってそれを弾けるようになるのが時間がかかったのを除けば、意外と普段の6~7割のプレイはできたし、音が止まっちゃったとかそういう事件に対してみんなが興奮するんだなっていうのが分かった。ただCDRの音が鳴ってるだけなのに、音が復活したという事実だけで喜んでもらって、自分でもそういうみんなの良かったね~って雰囲気にもまれたりして気持ち的にも上がったりしたんです。
さらに劇的なのは次の日がサンフランシスコだったんで、現地のPC屋さんを紹介してもらって、そこで直してもらって次の日からはほぼ普段通りにできたことですね。でもMidiキーボードの最上半オクターブくらいが出なくなったのかな、それもオクターブ・スイッチを切り替えながらでそれ以降はやってた。自分でも気づかなかったけど、相当ビシャビシャになったんだと思います。
- 日本だとなかなかウェアハウスパーティーとかはないじゃないですか、他にも印象的なベニューはありましたか?
寺田創一 - NYのブルックリンの会場も倉庫とベニューの中間みたいな変なお店で、やっぱり狭いところにお客さんが詰め詰めで入っていて、一応ベニューだったらしいんですが完全に倉庫っぽいところで、怪しく光るマネキンが壁に飾ってあったりとか、とても変わったところでした。その場所のことをシカゴの人に言ったら、そこ知ってるって言われて「自分もそこでやった時はお客さんがガンガンブースっていうか机にぶつかってくるから針が飛びまくった」って言ってて、そんなに飛ぶくらい観客が近いんだったら隙間開けたらいいのにいい加減なんだなって思いました。
でもNYもLAもオーガナイズの人がめちゃくちゃ若いんですよ、それが意外だし嬉しかったし、そういういい加減な部分もそこらへんからきてるのかなって。針がバリバリに飛ぶんだったら次は改善すればいいのにね、もしくはすでにターンテーブルが回る機会はあまり無いのかも?そこらへんも興味深かった。他の参加DJ達も自分とふた回りくらい若いから、それも嬉しかったです。
- そういう若いDJが作るパーティーで90年代前半に当時20代の寺田さん自身が遊びに行っていた時とかを思い出したりしましたか?
寺田創一 - 思い出さなかったけど、今言われて当時の感じと似ているかもと気がつきました。至らない部分もすごくあっただろうなとか、海外からDJが来たりとかしたときに「なんだこれかよ」とか思われたりしただろうなとか。あと自分たちでイベント組んだりした時に色んなトラブルが起きたりしたのと同じだったなと、たった今気がつきました。
- 寺田さん自身、前のインタビューで90年代のハウスの時期を甘い季節だと仰ってましたけど、今はその季節が戻ってきたという感触ですか?
寺田創一 - そうですね、甘いのと幸せ感が戻ってきてる。当時ハウスを聞いて楽しくて嬉しくなってた気分がフラッシュバックのようにそのまま戻ってきてるのかも。さらに色々な強力スパイスの効いた甘さかもしれないけれどね。
- 別のインタビューで、ハウスは自分を自由にしてくれると仰ってたんですけど、それはどういった感覚なんでしょうか?
寺田創一 - それはハウスミュージックが自分を自由にしてくれるというより、自分が思うように曲を作れるっていう意味だったんです。それに対してゲームの音楽を作るときはゲームの演出の延長線上にあるものだから、最終的には監督が判断するもので、この音楽はもうちょっとこうなってほしいとか、この音楽は合わないって判断の権限はゲームの監督にあるんですね。でも自分のレーベルで自分のハウスを作るときは、自分が自由に決めていいから、これはダメとかこれは合わないとかいう制限がないから、そういう意味で自由なんだと表現したんだと思います。
- 世界の色んなお客さんを相手にするとハウスに対するリアクションも違ったりしますか?
寺田創一 - 基本的にはそんなに変わらないかな、ハウス自体がリズムがわかりやすいしその土地ならではのリアクションの差っていうのは全体的には無かった気がします。ただ特定の曲へのリアクションは違うなってのは思ったりすることはありました。例えば”Do It Again”って横田(信一郎)くんの曲はイギリスとかでとてもリアクションがあるんですけど、それは数年前ロンドンでリリースされたコンピレーションに”Do It Again”が入ったことがあってそれで認知度があるみたい。”Sun Shower”はアメリカとかカナダがとてもリアクションがありましたが、それは90年代の認知度がちょっとはあるかな。あと”百見顔”を折り紙のパペットで歌わせるとそれを笑ってくれるのはどこも同じだけどね。