GURUGURU BRAIN/BAYON PRODUCTIONから共同リリースされたデビュー・アルバム『Approach to Anima』が幅広いリスナーの評価を受け、ヨーロッパ・ツアーを含む積極的なライブ活動で数多くの観客を魅了してきたバンド、maya ongaku。そんな彼らが、去る8月30日に待望のEP『Electronic Phantoms』をリリースした(10月9日には、12inchアナログ盤も発売)。
前作で聴かれた有機的なサイケデリック色を残しつつも、エレクトロニックなサウンドを取り入れて新機軸を打ち出した本作は、どのようなプロセスを経て制作されたのか。ツアーでの経験や、制作の実際、「電子の亡霊」の意味するところまで、園田努(ヴォーカル/ギター他)、高野諒大(ベース他)、池田抄英(サックス他)の三人に、深く、広く語ってもらった。
取材・構成 : 柴崎祐二
撮影 : 雨宮透貴
『Approach to Anima』後
- まずは、ファースト・アルバム『Approach to Anima』のリリース後のことから伺わせて下さい。アルバムに寄せられた反応の中で、どんなものが特に印象に残ってますか?
高野 - 一番意外でなおかつ嬉しかったのは、ヨーロッパ・ツアーでロンドンに行った時、現地の人に「君らの曲、クラブでかかっているのをよく聞くよ!」って言われたことですね。
園田 - そうだね。いわゆる「チルアウト」タイムに何人かのDJが流してくれていたみたいで。海外に限らず、予想していた反応と全然違って驚いたよね。
池田 - たしかにそうだね。
高野 - 「サウナに入る時聴いています」って言われたり(笑)。
園田 - 最初のうちは「そう聴かれるんだ」って思ってたけど、ある時からはもうそれぞれの聴き方をしてくれるだけで幸せ、っていうモードに入ってきて。むしろ「こういう聴かれ方をするのが正しい」みたいな意識からは積極的に離れていった方が楽しいし、作り手として幸せなことなんじゃないかなと思うようなりました。自分たちで仕込んだつもりの「伏線」みたいなものに気づく人がいたらいいなと思ってTwitterとかでエゴサしまくっても、結局自分が求めているような反応は来ないですしね(笑)。だったらもっと自由に考えたほうがいいなって。
- それはやっぱり、ライブでの演奏を経た上での考え方の変化でもあるんですか?
園田 - そうですね。やっぱり、お客さんから直にいい反応が来るっていう経験は最高なので。
池田 - 特にヨーロッパだとエネルギーを直接交換しているような感覚になったよね。みんな踊ってくれるし。ユラユラと踊っているヤツもいれば、コンテンポラリー・ダンスみたいなのを披露しているヤツがいたり(笑)。
園田 - 今回のEPの内容に関しても、そういう体験が大きく影響していると思います。ファーストをクラブでチルアウト時間にかけてもらうのも嬉しいけど、ライブでは割とノリのいいダンサブルな曲もやっていて、しかもすごくいい反応をもらえるんです。そういう経験もあって、俺らのそういう側面をちゃんと音源として作ってみるのも面白いかもなと思ったんです。あとは、俺らはドラムがいないので、ライブでリズムを強調した曲をやるときは基本リズムマシーンとシンセに頼ることになるんですよね。だから自然と機材が集まってきたっていうのもあって。
- サポートを入れて生音でリズムを強化するっていう方向には行かずに、あくまで3人で操作する機材を増やすという形をとったというのも興味深いです。
園田 - 昔はサポートのミュージシャンを誘って一緒に演奏してみたこともあるんだけど、なんかしっくりこなくて。あと、普通に気を使うじゃないですか(笑)。この3人だと使う楽器が増えたとしても音の抜き差し含めてスムーズに成立するんですよ。
高野 - ステージでベースを弾いていると、ドラムほしいな、と思う瞬間も正直あるんだけど(笑)、それ意外のほとんどの場合はむしろ不自由さが増してしまう気もしていて。
- maya ongakuは、いわゆるスリー・ピース・バンドではあるけど、例えばCreamとかゆらゆら帝国みたいに担当楽器が固定されているソリッドな形じゃなくて、新しい楽器もどんどん取り入れるし、持ち替えもするし、かなり流動性が高いスタイルですよね。
園田 - そうですね。それこそ、機械自体をメンバーの一人のように捉えているところもあります。
高野 - はじめは、ジャム・セッションを兼ねてライブで電子楽器を導入したんだよね。それが意外と気持ちよくて。
園田 - そうそう。ファーストの内容からするとちょっと意外に思われるかもしれないんですけど、元々60年代〜70年代のヴィンテージなロックが根底にあるのと同時に、同じ時代の電子音楽も大好きだったので、そうやってライブで実際に電子楽器を持ち込んで使っていくうちに、ようやく表現の仕方が分かってきたんです。
生演奏感
- 今回のEPでもソフト・シンセじゃなくて実際にハードウェア・シンセを使っているというのにもそういう背景があるわけですね。
園田 - はい。やっぱり、ハードウェアはレスポンスもいいし。
池田 - Moog Grandmotherにしても、JUNO-06にしても、音がパワフルなんだよね。
高野 - 電子音を大幅に導入したと言っても、シーケンスをそこまで使っていないっていうのも特徴かも。
園田 - ポイントポイントで少しだけ使っているくらいで、他は全部手弾きだったからね。DAWを駆使すれば簡単にシーケンスを作れたりもすると思うんだけど、そもそもどうやるのかよくわかっていないし、MIDIコントローラーの使い方すら知らないから(笑)。だから、DAWはあくまで録音した素材をそのまま並べるためのツールとして使ってます。多分Logic Proの機能の10分の1も使ってないと思います(笑)。
- 電子楽器を多用したEPといえども全体に漂っている「生演奏感」は、そういうところからも来ているのかもしれないですね。
園田 - DAWの中で完結させちゃうのはつまらないというか、個人的にあり得ないと思っているので。やっぱり音っていうのは空気の振動じゃないですか。その振動をスキップして作られたものが「作品」になるとはいまだに思えないんですよ。
- これだけDTMが覇権を握っている現在なので、自分たちも慣れきってしまっているけど、仮に数百年とかのスパンで見たときに、遠い将来、むしろ現在のテクノロジーで構築された音がキメラ的なものとしてドラスティックに相対化されてしまう可能性もあるように思うんですよ。
園田 - あ〜、はい。わかります。
高野 - 俺らの場合は、想像可能な「モデル」としての音楽の姿があって、その形を削り出すように音を作ってるというより、ハードを触ってみた感触とかその結果出てくる音をインスピレーション源にして作っているイメージなのかも。
園田 - そう、要するにギターを触ってみた上で曲を作っているのと同じというか。
- いわゆる「アフォーダンス」の考え方にも近いのかもしれませんね。あくまで物体から促される知覚とか行為に基づいて音を作るっていう。
園田 - 作曲しているときも、頭の中に音符を思い浮かべるよりも先に手元にある楽器を鳴らしたり、それに合わせて声を出してみることで、メロディーなり和音が導き出されるんですよ。
- そういう視点でいうと、パーカッション類の多用も印象的です。しかも、アタック音でリズムをくっきり作っていく系のパーカッションじゃなくて、ベルとか民族楽器とか、グリッドにきっちりハマりきらない音のものが多いですよね。
池田 - たしかに、そういう音とアナログ・シンセの音がうまく混じり合ってくれたな気がします。
園田 - 3人ともパーカッションの演奏が上手くないっていうのも、結果的には良かったのかもな(笑)。入れ方も結構ラフで、手元にあるものをなんとなく鳴らしてみて「あ〜、合うねコレ」みたいなジャムっぽいノリでやっていきました。さっき出たなぜドラムレスなのかっていう話にも通じると思うんですけど、バキッと支配力が強いリズムを入れるのにどうしても抵抗があるんですよ。
- 仮にこのEPにスネアとかシンバルの音がガチッと入っていたら、相当印象変わってしまうでしょうね。
園田 - 実はシンバルは試しに録ってみたんですよ。マイキングとかも工夫してなんとか馴染むように試行錯誤してみたんだけど、やっぱり合わないんですよね。キックとかタムは割と大丈夫なんですけど、シンバルだけはどうもダメで。そもそも、ある時期以降の日本のロックを聴いていても、「これ、シンバルうるさすぎないか?」って感じることが多くて。いわゆるJ-POPのマスタリングの「ノリ型波形」の話じゃないけど、高音を派手にするためにガンガンに突っ込もうとすると、シンバルってめちゃくちゃ有効なんですよね。実際、パッと聴いたときにはその方がキラキラしているし、瞬間的に「アガる」感じがするとは思うんですけど、仮に俺らの音をそういう風に処理しちゃったら全てが台無しになっちゃうじゃないですか(笑)。
池田 - 反対にモッコモコだからね、俺らの音は(笑)。
園田 - ミックス音源の波形を見てもらったら、ハイが全然出てなくて驚くと思います(笑)。自分自身が低域と中域を優先して聴きたいと思っているから、それで問題ないんです。
- そのあたりにも、みなさんのルーツにある60年代〜70年代ロックのエッセンスを感じます。
園田 - そうだと思います。なんといっても、今回のEPの裏テーマは「自分たちなりの解釈でジャーマン・ロック」をやってみる、ですから。"Iyo No Hito"はジャーマン・ロックが正統進化したイメージで、"Anoyo Drive"もハンマー・ビートがモチーフになっているし、"Love With Phantom"に関してはKraftwerk。"Meiso Ongaku"は……なんだろう(笑)。
- Popol Vuh?
園田 - あ〜、たしかにそうかも。
反復構造と「愛」
- ヨーロッパ・ツアーではドイツにも行ったんですよね?
池田 - 行きました。お客さんも最高だったよね。
園田 - ドイツのハイウェイでClusterやNEU!のような反復構造の音楽を繰り返し聞いて、そういう音楽への見方がガラッと変わる体験もしました。それまでは、なによりもあの時代のロック一般が体現していたような既存のポップスとか社会状況へのカウンター的な精神を体現しているんだろうなと漠然と思っていたんですが、それ以上に、これってとどのつまり「愛」なんだなと感じたんです。
- 「愛」?
園田 - 反復構造って、聴く者自身が自分の感覚でリズムを分割して身を任せることもできるわけで、そこに広大な自由を感じたし、なによりもあるべき「愛」の姿とのアナロジーを感じたんですよ。その点、日本だとハンマー・ビートってあくまで縦ノリとして捉えている人が多い気がしていて、ライブでそういう曲が演奏されていても頭拍に合わせてポゴ・ダンスみたいなノリで踊っている人が多い印象なんですけど、俺の中ではハンマー・ビートって、もっとゆっく〜り横に揺れながら、シームレスな律動の連なりに乗っていくようなイメージなんです。実際、NEU!とかを聴いても、ビートの後ろでフワーって鳴っているアンビエンスがそれを体現していると思うんですよね。あの音とビートが溶け合っていく感覚にこそ惹かれるんです。
- なるほどなあ。ちなみに、みなさんクラブ・ミュージック全般も好きなんですか?
園田 - いや、全然(笑)。
池田 - クラブ・ミュージックかあ……聴かないねえ。
高野 - 正直、クラブという空間自体も何がいいのか全然わからない(笑)。
- けど、例えば"Meiso Ongaku"のパート3とか、ちょっとテクノっぽいかもと思いましたけどね。あの感じはどこから来ているんでしょう?
園田 - あれは80年代のGrace Jonesを意識してます(笑)。
- そうか、その時代のポスト・ディスコ的な響きはアリなんですね。そう言われると、たしかに2000年代以降のクラブ・ミュージック全編をまったく通過していないような音に聴こえてきます。
園田 - なるほど、その感想は嬉しいかもな。
- しかし、この長尺の"Meiso Ongaku"は、ストリーミング全盛時代にモロ逆行するような曲ですね(笑)。
園田 - 一応その辺りを考慮して配信では3パートに分けたんですけど、案の定パート3はあんまり聴かれていないっぽいです(笑)。本当は、パート2が単体でアンビエントのプレイリストに入ったり、そういうことがあってもいいとは思っているんですけど。
- デビュー・アルバムもそうだったと思いますが、やはり長い時間をかけて一曲を演奏したり味わったりするということに特別な思い入れがあるんでしょうか?
池田 - それはあるよね。ジャム・セッションを繰り返していた昔からずっとそうだったからな。
園田 - Pink Floydの"Echoes"をひたすらジャムったりね(笑)。でもまあ、"Echoes"って、長い曲の代表みたいに言われることもあるけど、23分30秒って、俺からしたら全然長くない。だって、30分のアニメ一本観る時間より短いじゃないですか。
- 「長い曲を飽きずに聴ける」ことって、ともすると音楽的なリテラシーとか教養の多寡に比例すると考えられたりもするけど、実際はそこに明確な相関関係なんて無いんじゃないかと思うんですよね。
園田 - よくわかります。
- アフロ・ビートみたいに、世界には尺の長いポップ・ミュージック音楽は沢山あるし、そもそも民俗音楽の中には、「長い」というか、始まりと終わりという明確な概念がないものも少なくない。それに、ある種の音楽はしかるべく態度をもって「集中」して聴くべきである、みたいな価値観自体が恣意的なものだし。
園田 - それこそGrateful Deadのライブなんて何時間もあるのに、別にクラシックの素養が特別あるわけでもない人たちがそれを楽しんでいたわけですしね。
池田 - 俺等も、あえて長い曲をやってやろう、みたいなことじゃなくて、あくまで自然にやっていることだからな。
スピリチュアルとAI
- その"Meiso Ongaku"という曲名にも現れている通り、EP全体を通じてスピリチュアルな要素が強まっているのも感じます。現代のカルチャー界隈だと、「スピリチュアル」ってときに忌避されたりもする概念だと思うんですけど、みなさんにとってはどういうものなんでしょうか?
池田 - いい意味での「スピリチュアル」と、そうじゃないのもあるからなあ。
園田 - 「スピ逃げ」みたいなね。
- 「スピ逃げ」……?
園田 - 例えば、何か決定的な失敗をしたとして、「スピリチュアルな存在に導かれてやっただけだからしょうがない」みたいに、逃げ口上的に「スピリチュアル」という概念を持ち出してくる感じですかね。
高野 - 「無責任さ」の言い換えみたいな感じで使われている「スピリチュアル」というか。
- なるほど。僕の世代(1983年生まれ)だと、そういう話ですぐに思い出すのは、やっぱりかつてのオウム真理教の存在ですね。
園田 - あ〜、そうか。
- 既存宗教の教義とニューエイジとスピリチュアリズムのいびつなパッチワークが、超反社会的な終末思想に至るっていう……。社会全体であのトラウマがあまりにも大きかったせいで、一時期までスピリチュアルとかニューエイジ的なものが禁忌のように扱われた時代があって。その後に出てきた『オーラの泉』的なものも、基本的には奇異なものとして消費されていたと思いますし。
園田 - そうみたいですよね。俺らの世代は、そういう流れについては歴史として知ってはいるけれど、一方で、スピリチュアリズムをなんでもかんでもカルト的なものに結びつけて思考停止してしまうのも、それはそれで大きな害悪なんじゃないかと思うんですよ。
- この10年くらいのウェル・ビーイング志向の高まりとか、それこそニューエイジ・ミュージックのリバイバルとかとも連動する形で、その辺りがだいぶ相対化されてきた感じもあります。
園田 - わかります。けれど、そもそも俺らにとっては、はじめからスピリチュアルなものが音楽を作る上での基本にありますし、音楽が生まれてくる場所ってやっぱりそこ以外にありえないと思うんですよ。
池田 - そうだね。
園田 - 例えば、文化的な記号の集積みたいなハイ・コンテクストなアートがもてはやされる一方で、スピリチュアルの世界は無視されるなんて、それこそアートの自己否定だと思うし、完全な本末転倒じゃないかと思うんです。「文脈ありき」のアートの世界の方が、よっぽど胡散臭く感じますよ、俺は。
- 『Electronic Phantoms』=電子の亡霊っていうEPのタイトルにも、スピリチュアルというか、形而上学的な存在への眼差しを感じます。このタイトルにはどんな意味があるんでしょうか?
園田 - これはAIについて考えている中で出てきたタイトルなんです。最初のうちは単純にテクノロジーの最新形としてAIに興味があって、俺のやっていることはどこまでAIにとって変わられちゃうんだろうっていう通俗的な興味が勝っていたんですが、調べれば調べるほど、AIっていうのは亡霊みたいなものなんじゃないかなと思うようになって。もはや愛くるしい存在にすら思えてきたというか。"Love With Phantom"っていう曲は、そういう電子的な幻との愛を歌っているんです。
- これってつまり、オタクの気持ちを歌った歌ですよね?
園田 - 完全にそうです。俺自身もアニメは大好きだし、キャラクターに恋をすることも普通にあるじゃないですか。
- なんだろう、押井守的な世界観でもあるし……。
園田 - そうかもしれない。
- 映画の『ブレードランナー 2049』で主人公がAIメイドと恋人以上の関係を築いている描写も思い出しました。あの、なんともいい難い切なさ。
園田 - そう、切なさ。以前(高野)諒大とAIの発展について議論したことがあるんです。俺は、AIがどんなに発展しても最後までAIにはできないことがあるはずだって思っていて。
高野 - 俺はその反対に、AIは最終的には何でもできるようになるだろう、っていう立場でその時は話していて。
園田 - けれど俺はそれは絶対に違うと思ったんです。俺たちが音楽を作っているときに存在しているひらめきみたいなものは、AIにはどうやっても掴み取れないと考えていて。で、その議論のときに例として挙げたのが、「AIとの愛」という考え方だったんです。つまり、俺達はAIの中に幻をみて、それを愛することは容易にできてしまうけど、AIがこちらを愛することはできないんじゃないか、ということですね。
- なるほど。仮に「AIから愛されている」と感じたとしても、それは結局のところこちらが描き出して投影している感情にすぎない、ということですか?
園田 - そういうことです。
- けど、それを突き詰めて考えると、かつてデカルトがいったみたいに結局のところ自分の心以外の実在を確信できない存在が人間なんだとしたら、人間同士の愛っていうのも、同じような「幻への愛」でしかないかもしれないわけですよね。
園田 - たしかにそうなんだけど、その一方で人間には「無限」っていう概念を想像することが可能じゃないですか。他方で、コンピューターが依拠している0/1の計算の総数は結局のところ無限には達し得ないわけだし、AIにとって「無限」という概念を直感的な形で理解することも不可能だと思うんですよね。いわゆる「無償の愛」という概念自体が人間の抱きうる無限性の概念と結びついていると思うし、だからこそ、AIにはできない、人間だけが通じあえる感情の世界というのがきっとあると思うんです。
- 人間がこの世界や他者の存在に対してリアリティを持ったり、現象学でいう間主観性みたいなものが成り立つ背景には、「無限の可能性の束がある中で、たまたま今こうなのである」っていう偶有性の概念の内在化が欠かせないのだと考えてみることもできると思うんです。だから、今おっしゃったことにも説得力があるように思います。
園田 - (考えながら)うんうん……。
- 例えば、藤井七冠がAIなら絶対に指さないような手を繰り出して対局に勝つのも、そういう偶有性の概念に基づいた人間ならではの経験則や直感に基づいた判断の働きがあると思うんですよ。もしかすると、僕らはそのことこそを便宜的に「クリエイティヴィティ」と呼んでいるのかもしれない、っていうね。
池田 - いやあ、すごい話になってきたな(笑)。めちゃくちゃ面白い。
園田 - 「AIとの愛」と表現するときに指している「愛」も、人間のそういう思考法によってこそ投影されうるものなんだろうと思います。その幻への愛を俺達が積極的に生み出すということにもひょっとしたらポジティヴな意味があると思うし、AIや機械をただただ「自分とは別の存在」と捉えているわけでもないんですよね。だからこそ俺らは、電子楽器をあたかもメンバーのように扱って音を作っているのかもな、とも思います。
シンクロニシティ
- テクノロジー万能論みたいなものが喧伝されたり、生成AIの急速な進化が叫ばれている時代ゆえの流れなのかもしれないけど、このところ、そういう非二項対立的な見方が音楽の世界で具現化される例が目立ってきているように感じます。僕も先日対談の司会やインタビューをやらせてもらいましたが、OGRE YOU ASSHOLEの新作『自然とコンピューター』なんて、まさにトピック的にも今回のEPのテーマと通底するところがある気がします。
園田 - 本当にそうですよね。オウガと郡司ペギオ幸夫さんの対談を読んで、すごくびっくりしましたもん。読み進めながら、「これはすごいシンクロニシティが起きているぞ…!!」って家で叫んじゃいましたから(笑)。
- 実際、音楽面含めてオウガとの共振を指摘されることって多いですか?
園田 - こないだも自分たちがやっているPodcast番組にそういう質問が来てました。近ごろのポップ・ミュージック界全般では、やたらに「似ている」ことを忌避する風潮があると思うんですが、シンクロニシティっていう観点からいえば、むしろポジティヴなことなんじゃないかと思うんですよ。
- そもそも、「パクリ」が云々みたいな小さな次元で音楽を捉えてないということ?
園田 - まさに。同じ時代に存在している音楽とシンクロニシティが起きるということ自体が芸術の面白さだと思うし、ときには時代とか地域を超越してもそれが起きることにずっと俺等は惹かれ続けてきたので。
高野 - 本当にそうだね。
園田 - 今の話で思い出したんですが、メビウス(ジャン・ジロー)と宮崎駿に関する有名な逸話があって。宮崎駿はメビウスに大きな影響を受けているわけですけど、ある時一人の記者がメビウスに「あたなの真似をしているやつが日本にいますよ」と伝えたらしいんですよ。そしたらメビウスは「同じ時代に同じことを考えていただけだ」と答えたっていうんです。芸術っていうのは、そういうシンクロニシティを必然的に孕んだ運動体だと思うんです。俯瞰した目で表層部分をみれば、江戸時代の春画だって、作者が別だとしても現代の俺らは「なんかこれとこれって似てるな」って思うわけじゃないですか。それは単に「個性がない」という話とももちろん違ってるし、むしろ、ある文化のダイナミズムってそういうことに宿るとも思うんです。あとはまあ、当然といえば当然なんだけど、俺らとオウガもよくよく聴くとぜんぜん違うっていうのもありますけどね(笑)。細部を見てみれば、全てが明らかに異なっているっていう。それもまた面白いことで。
- 最後に、今後どんなことをやっていきたいかを教えて下さい。
高野 - 今はライブでVJを入れたりもしているですが、今後も普段遊んでいる仲間にどんどん関わってもって、一緒にツアーを回りたいなと思ってます。
園田 - PAも知り合いの子に修行してもらっている最中だし、普段映像を撮ってもらっているやつにも楽器を練習させたり……。
池田 - 基本は全て地元のつながりですね。
園田 - そう。俺らの不文律として、「地元のヤツ」っていう繋がりをかなり大事にしているつもりです。見方によっては閉鎖的なコミュニティに見えちゃうかもだけど、これからはむしろリアルな土地の繋がりっていうのが一番大事になるんじゃないかなと思っていて。それなりの発信力をもった人たちがネットの繋がりで集まってくるよりも、たまたま住んでいるところが近いっていうだけの繋がりでつるんできたいろんなヤツに、新しいことをやってもらって一緒に表現するっていうのをやりたいんですよね。難しい場面も当然あるけど、そっちの方が全然面白いんですよ。
池田 - どんどん仲間を増やしていきたいよね。
- たしかに、今はそういう形こそがオルタナティブにして正道という感じがします。
園田 - 単純に、仲の良い友達には面白いこと楽しくやっていてほしいじゃないですか。俺たちだって学生時代に本当にたまたま音楽と出会っただけで今こうなっているわけだし、みんな、きっかけ次第で何にだってなれるはずなんです。そういう連中とかっこいいことができれば最高ですね。
Info
2024.10.09 WED
12 inch Vinyl release
maya ongaku
new ep『Electronic Phantoms』
Release : 2024.10.09 [WED]
Catalog no : ROMAN-030
Price : ¥4,200 (税込)
Label:Bayon Production / Guruguru Brain
SIDE A
A1. Iyo no Hito [6’14]
A2. Anoyo Drive [4’52]
A3. Love with Phantom [3’02]
SIDE B
B1. Meiso Ongaku [14’52]
BAYON STAND https://bayonstand.stores.jp/
全国各レコードショップにて販売
TOUR INFO
maya ongaku
TOUR 2024 "Electronic Phantoms"
2024年11月15日 (金)
大阪 CONPASS https://www.conpass.jp/
時間:OPEN 18:30 / START 19:30
2024年11月16日 (土)
京都 UrBANGUILD http://urbanguild.net
時間:OPEN 17:30 / START 18:30
2024年11月17日 (日)
名古屋 金山ブラジルコーヒー https://kanayamabrazil.net/index.html
時間:OPEN 17:30 / START 18:30
2024年12月15日 (日)
東京 SHIBUYA WWWX https://www-shibuya.jp/
時間:OPEN 17:30 / START 18:30
<TICKET INFO>
¥4,000円(税込)+1drink
ぴあ(全国):https://w.pia.jp/t/mayaongaku-tour24/
ローソン(大阪・京都・東京):https://l-tike.com/maya-ongaku/
イープラス(大阪・京都・東京):https://eplus.jp/mayaongaku/
※名古屋公演はぴあのみの受付
企画/制作:Bayon Production / BIAS & RELAX adv.