2003年生まれ、2歳で踊り始め、10歳でアポロシアター・アマチュアナイト優勝、14歳でドラムパッドの路上パフォーマンスがバズり、その翌年に国内メジャー・レーベルに在籍するという、加速する情報空間とともに10代を駆け抜けてきた原口沙輔。2021年にはフリーとして独立し、20歳の誕生日とともにリリースされたデビューアルバム『アセトン』から旧名義・SASUKEから本名に名義を変更し、「改めて自分と向き合った」という。
特筆すべきは音楽性の変化だろう。愛媛の自宅で培ったギター、鍵盤、ドラムと多岐にわたる演奏能力の代わりに前景化したのは、極めてデスクトップ・ミュージック的な、サウンド・デザインに傾倒したスタイルである──サウンド・デザインこそが音楽的個性であるという潮流は、hyperpopの名のもとにここ2,3年のDTMシーンを席巻したことも付記しておく。
原口の変化はサウンドだけでなく、聴者を煙に巻くようなリリックにも現れている。そこには厭世的な、虚無的な気配すら潜むが、自身でモデリングした重音テト(ボーカロイド)のダンス動画"人マニア"は、その無機的でグロテスクなリリックとともに拡散され、昨年8月の投稿から現在(2024年1月10日)までにYouTube上で1700万回弱の再生数を誇る大ヒット作となった。
さて今回は、このような"再帰"の背後に迫るインタビューを行った。10代でメジャーデビューを果たした眩しいキャリアから、『アセトン』の謎の壺に至るまで、率直な言葉で語ってもらった。
取材・文 ・撮影:namahoge
情報提供:サードウェーブ
大文字のSASUKE/本名の沙輔
- まずは名義変更の意図について伺えたらと思います。
原口沙輔 - 名義を変えようというのは前から思っていて、本名じゃない可能性も全然あったんですけど、いろいろ考えた結果、原口沙輔にしようと。そもそも自分は企画屋みたいなところがあって、SASUKEの曲を書くときも「プロデュースする」ような感覚だったんです。他の人に曲を書くみたいに、自分の曲を書いていて……そしたら、途中からSASUKE名義で出す曲が思いつかなくなっちゃったんです。あれもこれも、SASUKEが歌うことではないな、みたいな。ゆっくり時間をかけてバランスを見つけていくというよりは、僕はわりと極端な性格をしているので、「もう変えちゃった方がいいな」と。
- SASUKEという名義は、2018年にメジャーデビューするより以前、つまり沙輔さんが十代前半の頃から使用されていた名義ですね。
原口沙輔 - 最初からそうだったのか、途中からそうなったのかわからないんですけど、「SASUKEという人がこういう曲を出す」という見られ方をすごく気にしていたんです。このぐらいの年齢の子がこういうジャンルをやっていたらギャップがあって面白いよね、ということを、外側から見て面白がっていたところがあって。自分でパッケージしていたんですよ。そういうのが昔から好きだったんですね。たとえば、小学生の頃ってノートに漫画描いたりするじゃないですか。こういうキャラクターがいて、パワーが何百万で……みたいな。でも僕は漫画の中身を描くというより、コミック会社の名前を考えたり、雑誌の中に何本の連載があるんだとか、どういう種類の漫画が掲載されているとか、そういうガワの部分ばかりを考えて、肝心の中身を描く前に満足するということがあって。
- 中身より、流通されるパッケージに興味があった。
原口沙輔 - そもそも「SASUKE」って大文字のローマ字で、かっこいいっていうか、デザイン的じゃないですか。自分の気持ちを出す場というより、デザインされたSASUKE像みたいなものが大きくて。で、それが急に違和感になってきたのがこの1、2年。
- 年齢でどうこう言うのは失礼かもしれませんが、20歳の誕生日に名義を変えたというのは、ある種メディア向けに設計したSASUKEでできていたことが、大人になるにつれ難しくなってきたのではないかと。
原口沙輔 - 年齢のせいもあるかもしれないですね。一番の本質は、自分が自分のことを知らなかったことなんですよ。自分がどういう人間なのか、わからないまま表現活動をしていたんです。「このまま続けていたら後々詰まるぞ」という危機感もあったんです。だから、部屋でじっと座って「自分はなんなのか」みたいな(笑)。そんなことを1年も2年もやっていて。
- それはメジャーレーベルを抜け、フリーとして独立した時期(2021年)と一致していますね。
原口沙輔 - そうですね。その間も楽曲提供の仕事はあったので、自分の名義では作らずに、提供だけやろうとも考えました。実際に作っている分量は提供仕事の方が多かったですし。でも、それからも悩んでいるうちに、音楽自体作らないという選択肢もでてきて。極端な考えでは、バイトして暮らすとか、せめてレーベルに入っていた経験が活かせそうな職場に入るとか。結局音楽以外のことはあんまできないので、「自分とはなんなのか」に戻って、普段受けないような仕事をあえて受けてみたりして、心境の変化を確かめてみたり。
- AbemaTVの恋愛リアリティ番組にも出ていましたね。
原口沙輔 - 守られていたところを一回突いてみるじゃないですけど、そういうことをして自分のやりたいことが少しずつはっきりしていったと思います。
- その時期はどういう音楽を聞いていたんですか?
原口沙輔 - それこそ、インターネットの音の割れたタイプの音楽というか、うるさいものしか聞けない時期があって。逆に救われたんですよね。それがなかったら、多分、音楽自体聞けなくなっていた可能性があって。当時は100 gecsとか、サンクラで2、3曲しか出してないアカウントの曲とか、hyperpopプレイリストからよく聞いてましたね。それこそPAS TASTA結成前のメンバーの曲とかも。
- 音の割れた音楽をSASUKEとしてリリースしようとは思わなかったんですか?
原口沙輔 - 完全に精査してましたね。SASUKEとして活動している間も、本当にその時ハマっている音楽をそのまま出すということはありませんでした。「これは出して、ここは出さない」というのを自分で選別していたんですよね。
- ちなみに、本名以外の候補は何がありましたか?
原口沙輔 - 2ndアルバムのタイトル『スクリーンⅡ』はもともと名前の候補でした。そういうタイプの冷たさというか、無機質なもの。あくまで人が作ったもの。作品との距離感を突き放したくて。
- 『アセトン』以降はジャケットの質感もそうですし、楽曲のトーンも無機質な方向に向かっていきますね。「スクリーンⅡさん」がリリースするはずだった楽曲として納得感はあるのですが、ここで生身の本名・原口沙輔となったのはどうしてなんでしょう?
原口沙輔 - あー、でも最初、いなくなろうと思ったんですよ。僕本人は。作品だけがある、みたいな。僕は顔も出さないし、誰が作っているのか全くわからないぐらいの方向で考えていて……音の一点に集中していくような状態を目指していて。だから名義も名前っぽいものよりも、アカウント名みたいなものがいいんじゃないかと考えたんですけど、本名にすると「中の人感」が出るじゃないですか。作品が前にあって、スタッフとして僕がいる、というイメージで。僕が「それらしく振る舞わない」ようにしたかったんです。かっこつけるでもなく、普通の状態で音楽を作っているアーティストっていうのがいいんじゃないかなと。
奥に潜むヤバいところ
- メジャーデビューから数えると、活動を始めて5年経った2023年にデビューアルバム『アセトン』がリリースされます。アルバムリリースが無いアーティストも今や少なくありませんが、沙輔さんの場合はどうしてでしょう?
原口沙輔 - 実は、アルバム制作の話はこれまでに3回くらいあがっているんですよ。結果としてできなかったのは、やりたいことが叶わなかったり、毎回うまく進まなかったりというのがあったんですが、僕の考え方というか、音楽に対する向き合い方がアルバムという単位と合っていなかったんだと思います。それこそ企画屋脳だった時にはアルバムをプロデュースすること自体ができなかったんじゃないかと。それで、自分とは何者かみたいなことと向き合うようになってはじめて、統一された音の質感だとか、これはボツでこれはOKみたいなラインが一気に掴めるようになってきた。向き合い方でこんなにも変わるんだな、と。
- 精神的な変化が大きかった。手法的な面ではどうですか?
原口沙輔 - 『アセトン』はほとんどパソコンだけで作ってます。楽器のふくよかなニュアンスを取り去って、ギリギリで成り立つようにしたかったんです。抜いて抜いて、骨組みだけで成り立っているような構成で。中には生楽器も入っているんですけど、それも全部ソフト音源でエンベロープとかオートメーションを書いて制御できるようにして、という作り方になりましたね。でも、その作り方というのも、メジャーデビュー以前のデモやデビュー後にもリリースしなかった曲に近いんですよ。「これはやんなくていいか」って捨てていたもの。
- SASUKE時代は、宅録でドラムもギターも鍵盤もできるという、それこそJacob Collierを引き合いに出したくなりますが、非常に器用で多才な印象がありました。むしろ、それがひとつの作家性と捉えられていたかと思うのですが、DTMに極端に振ったのはどうしてでしょうか?
原口沙輔 - 結局、音楽自体なんでも好きで、なにが自分のツボなのかはっきりわかっていなかったような気がしていて。実際に掘ってみると、エレクトロニカに大きく影響を受けていたり、自分がサンクラキッズだったり、そういうルーツが今自然にできることだなと思ったんです。
- ダンスでも結果を残されていて、それも以前の名義ではプッシュされていました。そういった(直接的な意味での)身体性も、現在の作品では捨象されている印象があります。
原口沙輔 - 僕は小さい頃から音楽がかかったら踊る人間で、自然なこととしてダンスが存在するんです。曲作ってる時とか、家でひとりで音楽聞いている時に一番踊ってるんですよ。誰にも見られてないところで。それを人前で披露していく中で、小さい頃から好きだったダンサーの方と踊る機会をいただくなど、いい経験もできたんですよ。
- SASUKE期のことですね。
原口沙輔 - 悪いことばっかりじゃないんです。本当に色々経験できてよかったし、その経験を踏まえて今の活動ができているというのは、かなり贅沢な状況だと思います。今でもたまに見返して、面白いなって思いますよ。ただ、もうあんまり自分みたいに見えない。
- 『アセトン』のリリックを読むと、過去を突き放して眺める虚脱感のようなものが現れている印象があります。単語のひとつひとつは意味不明ですが……。
原口沙輔 - やっぱり極限まで自分を問い詰めてる時期でもあるので、「どう言ったらいいんだろう」みたいな状況なんですよね。人が話す時って、心の内にある情報を整理して口に出すじゃないですか。それをやらずに、浮かんできた信号をそのまま吐き出すっていう方法で作っていて。だから歌詞自体は意味不明なんですけど、音やテクスチャーで補強していて、もともと僕の中で繋がっている思考が心の風景みたいに見えるようにはなっているのかなと思っていて。
- その総体が、自身でモデリングした不気味な陶器のようなジャケット画像ということですか?
原口沙輔 - 自分よりも作品が残るという、美術作品が展示されているようなイメージがあって。悲しみや怒りといったエモーショナルな音楽ではなくて、モノがただ置かれているっていう。
- あくまで自分の解釈ですが、過去と現在の自己矛盾だったり葛藤だったり、そういうエモーションを無理やり造形してモノ化した、というように見えます。
原口沙輔 - そうなんですかね。
- "無ートピア"などは夢に満ちていた時代からのギャップみたいなものを感じ取りました。
原口沙輔 - メジャーデビュー期は、こう……すごいロマンがあったのは間違いないんですが、むしろ、僕ができる範囲というものを正しく理解できていなかったように思います。「こういうことをやって、こうして、ああして」とか考えることは好きなんですけど、現実的に準備の時間や、計画しなければならないものがある。それを全然わかっていないから、しょっちゅう突飛なことを言ってしまいましたし……当時中学生ですよ。夢見る学生ですよ、単純に。だからあれこれ企画やりましょうと言っても、何も実現できないし、もう実家でのんびりしてた方が幸せなんじゃないかなと思うこともありました。
- そういうことの積み重ねで、フリーとして活動し始めたわけですよね。2021年に、18歳で独立というのもすごい話ですが。
原口沙輔 - もちろん、メジャーでの活動はいろんな場所で修行みたいなことをさせてもらって、経験値になったと思います。でも、いろんな人に関わってもらうことで、周りのことばかり考えるようになって、自分自身のことについては何も考えていなかった。それで、フリーになって視界が晴れたと思ったら、今度は大量の自分の問題が残っていた。手前だけ片付いて奥のヤバいところが見えてしまった、みたいな(笑)。
- それが『アセトン』前夜であると。
原口沙輔 - 一番まずいところが残ってたんです。
- ちなみに『アセトン』の制作期間はどれくらいでしたか?
原口沙輔 - だいたい5ヶ月くらいです。最初のデモは去年の12月31日に年越ししながら作っているんですよ。1月にはデモを作りきって、その時には収録された曲の倍以上のデモがあったんですけど、そこから選曲したり、ずっと音を出しては調整したり、ミックスし直したりして5月にリリースできました。実際には慎重に削いでいくような作業でした。そんな作業をずっと続けていると自分がどういう気持ちなのかよくわかんなくなって、もう出してみないとわからんな、と。出してみてスッキリするのか、それとも更にもっと根深いものがあるのか、次のやりたいことが見つかるのか、全くわからなかったんです。それでリリースしても、しばらくまだわかんなかった(笑)。
- リリースから半年が経ちましたが、どうですか?
原口沙輔 - 自分のことが完全に分かるなんてことは、もっと長い時間をかけて行うことだと思うんですが、自分の感情へのアプローチの仕方というのは余裕が出てきたと思います。
- アプローチというのは?
原口沙輔 - 感情に対する表現方法といいますか。それがいろいろ試せるようになってきたというか。
- 名義を変える以前は「感情を表現する」というアプローチ自体なかったわけですよね。
原口沙輔 - だから試行錯誤する方法もわからなくて。こういう音がこの気持ちに近いかも、とか、このテクスチャーがこの気分かも、みたいな感じがわかるようになってきたんだと思います。歌詞も含めて、そのあたりが掴めてきたなと。
- 制作のペースもすごく早くて、『アセトン』から半年待たずに二枚目のアルバム『スクリーンⅡ』が出たのは、そのような変化によるものなんでしょうか?
原口沙輔 - そうですね、僕は「ずっと包丁研いでる」みたいな感じなので、いろんなヤスリが増えてって、汚れを落とすのが上手くなってきてるかもしれないです。
インターネット(概念)
- やはり今年の大きなトピックとしては"人マニア"の特大ヒットがあります。
原口沙輔 - あれ、映像は当日の朝に撮ったんですよ。
- (笑)。〈ボカコレ〉参加曲として8月に公開されて以降、映像にせよ歌にせよ、11月末の今日までもカバーや歌ってみたの投稿が止みません。VTuber・月ノ美兎氏によるカバーには自分も驚きました。どうしてここまでの事態になったか、ご自身ではどのように分析していますか?
原口沙輔 - 「こうなってほしいな」っていうのはあったんですよ。実際出してみて、「やっぱりうまくいかないな」って思う予定だった(笑)。
- そもそもどうしてボカロだったんですか?
原口沙輔 - 皆にびっくりされてますけど、それこそkz (livetune)さんをはじめとして自分が小学生の頃からボカロを全然掘ってましたし、作る以前から仲良くしてくださるボカロPの方もいて、何人かでご飯食べるのに僕以外ボカロPだったこともあったり。だから、「やっと合流できた」って思っていて。それを踏まえて、僕はポップスをやりきる場としてボカロ曲を作っているところがあります。本当はもうポップスをやるつもりはなくなっていたんですけど、残っているアイディアがいっぱいあって、新しく思いつくものもある。それを詰め込んだのが"人マニア"でした。
- ある種、ポップスの実験場であるというのはボカロカルチャー全般にいえることかもしれませんね。
原口沙輔 - でも、僕もなんでこんなうまくいったのかわかんないですけど、ちょっと自信が持てたというか……自分には自信のパラメータがないんですよ。反応がよくても悪くても、いい曲ができても納得いかない曲ができても、普段はテンションが変わんないんです。"人マニア"が受け入れられて、それが少し変わって。ちょっと頑張って応えてみようかなって。これまでの活動を通して、ポップとはどういうものなのか、考えたものを全て詰め込むつもりで作った曲なんで。まあ、短い曲だから全部は入りきらないんですけど。
- ポップであることを極限まで詰めたものが、リリックとしてはすごく皮肉的というか厭世的なものになっている点が気になります。そこがギャップとして面白かったりするんですが。
原口沙輔 - あれ、僕が歌うと嫌われますね。
- (笑)。それこそ、漠然としてますが私のイメージする"インターネット"的なものがあるように思います。ところで、"インターネット"と沙輔さんの関わりというのも面白いなと思います。そもそもフィンガードラムの路上パフォーマンスがTwitter(現:X)でバズったことがメジャーデビューのきっかけになっているじゃないですか。すると、最初から今までずっと、キャリアと共にインターネットがあるように思えます。
原口沙輔 - 意外とそういうイメージはついてないですよね。最初に曲あげてたのもサンクラですし、先日、bo enのリリースパーティがありましたけど、リアルタイムで聞いてましたからね。サンクラでは偽エレクトロ・スウィングみたいなものが流行ってた頃で、「待ち望んでいたアーティストだ!」って思っていたくらいなんですけど、僕は、なんていうか運命的なものとして、インターネットと引き離されてきた感覚があって。SNSでバズった感のない人にだんだんなっていったというか。でも、なぜそうなったかわからないし、経緯も覚えてなくて……僕、そういう趣味は全然隠してないんですよ。
- やっぱり、楽器がめちゃくちゃできるとか踊れるとか、そういったフィジカルな面が前景化していたように思います。狭い意味でオタクっぽくないというか。
原口沙輔 - 成り行きでいろいろできるようになっただけなんですけどね。愛媛にいて、自宅でやるしかなかったんで。
- "人マニア"のようなサンプリング乱打は楽器のできる人はやらないというか、インターネットっぽいイメージがあります。
原口沙輔 - それこそSASUKEの初期の頃は、DTM tipsを紹介するストリーマーが配布する「How to make Futurebass」プリセットみたいなのをダウンロードして、パーツを抜き取って使ってたこともあったんですけどね。
- (笑)。非常に大雑把なことを言いますが、光の当たるインターネットと暗がりのインターネットの両方を経験しているのだと思います。その両面が凝縮されて、『アセトン』以降の楽曲になっているのかなと。
原口沙輔 - そうなんですかね。『アセトン』作ってる時はちょっと博打感があったというか、人生投げてるみたいな感じもありました(笑)。
- (笑)。
原口沙輔 - でも、まだまだ先があるにしても本当にやりたかったことに近づいてきていると思います。『アセトン』や『スクリーンⅡ』みたいなものが出てきて……あれは出てきちゃったみたいな感じなので、今後はもっと綺麗にしていく作業をするのかな。まだできることはあるので、とりあえず出し切ってから色々考えたいですね。
- なるほど。そのほか、今後に向けて考えていることはありますか?
原口沙輔 - トラックメイカーの文化がVTuberやアニメの方に参入していったりとか、そういうことが起きているじゃないですか。それがメインストリームになりつつあるような状況もあって。そういう全体的なムードがすごくいいなと思っていて、僕は音楽を起点になにかできることがあるんじゃないかと……何がどうとはまだ言えないのですが、企んでることがあります。
- 楽しみにしております。本日はありがとうございました!
Info
【公演概要】
2024年1月13日 (土)
表参道WALL&WALL
Internethood 2
出演者:
coa white
原口沙輔
okudakun
utumiyqcom
KAIRUI feat.π
yuigot
tomad (hyperpop set)
aosushi
hallycore
discordsquad2
開場 / 開演 17:00
【チケット情報】
前売入場券:¥3,000 +1drink ¥700
<販売期間:12/11 18:00〜1/12 23:59>
当日入場券:¥4,000 +1drink ¥700
<販売期間:1/13 17:00〜>
チケット購入URL:
https://wallwall.zaiko.io/item/361433
WALL&WALLイベントページURL:
http://wallwall.tokyo/schedule/20240113_internethood2/