人生とは選択の積み重ねだ。様々な環境に日々影響を受けて、毎日異なる選択をする。今日はこっちだが、明日はあっち。まったく同じ一日など存在しないから、時に他人からすると整合性が取れないように思われる。だけどそれは間違いなく自分が歩んだ道。だからたくさんの異なる生き方が存在する。
じゃあ現在第一線で活躍しているアーティストやクリエーターは、人生の分岐点で何をどう選んできたのか。この企画では「KEEP WALKING=迷ったら、ときめく方へ」をブランドメッセージに掲げる世界No.1※のスコッチウイスキーブランドJOHNNIE WALKERの協賛のもと、今の状況を作り上げた決断を、その時鳴っていた音楽とともに紹介する。記念すべき第1回目は、書道家の万美(まみ)。大のヒップホップ好きとしても知られる彼女は、どんな道を歩んできたのだろうか。
※IMPACT DATABANK 2019に基づく販売数量
取材・構成 : 宮崎敬太
写真 : 横山純
取材協力 : Midori.so
書道は書いてるとスッキリする
- 万美さんは日本のヒップホップがお好きだそうですね。
万美 - 私は下関出身なのですが、地元には日本語ラップの新作CDがほとんど入ってこないんですよ。どうしても欲しい作品が出る時はネットで調べて、発売日に福岡まで電車で買いに行ってました。あとは中学校の近所にあったレンタル落ちCDを10円で売ってるお店でディグしてましたね(笑)。
- 地元で初めてグラフィティを見つけたエピソードは大好きです。
万美 - ふふふ。当時はまだ子供で最初はグラフィティの意味すらわからなかったんです。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDやKAMINARI-KAZOKU.を聴いていくうちに徐々に認識した感じ。そしたらある日、書道教室で毎週通る道沿いの壁にグラフィティを見つけて。「いつも歌詞カードで憧れてた世界が目の前にある!」って、めっちゃ嬉しかったですね。私はヒップホップ版書道だと思いました。
- 万美さんにとって書道の魅力とは?
万美 - 書いてるとスッキリすること。
- 書道の道で生きていこうと決めたのはいつですか?
万美 - 高校2年の終わりか、高校3年の頭くらい。進路を決めるタイミングでした。中高時代は陸上部に所属していて、そっちの道も考えていたのですが、故障のリスクを考えると芸術のほうが長く続けられると思ったんです。書道は部活をしながらずっと続けていたので。
「芸術の道に行く」背中を押してくれた神門の"なら、こう生きよう"
- 大学に進学して書道を学ぶ一方、万美さんはクラブに通うにようなります。
万美 - 単純にヒップホップが大好きだったので(笑)。学生時代に月に2度ほど夜遊びしてると、徐々に自分がいる世界と、このクラブの空間との違いを感じるようになりました。書道は伝統ある世界。例えば、師匠に荷物を持たせちゃいけないし、通るドアは先回りして全部開けとかなきゃいけないし、食後には爪楊枝を出さなきゃいけない。あとは私はしたことがないのですが、展覧会で金賞を獲ったら、「獲らせていただきありがとうございました」と10万円を納めるとか。それが当たり前でしたし、自分もいずれ弟子に金賞を獲らせて見返り金をもらう師匠になると思っていました。
- そんな時、神門さんの「なら、こう生きよう」に出会った。
万美 - 私が初めて聴いたのは渋谷のGladでした。神門さんがライブで「新曲できたから聴いてください」って言うから、「なんじゃなんじゃ」と思って聴きに行ったら、リリックの強さにぶっ飛ばされました。その時はまだ音源化されたなかったけど、ラップが骨に突き刺さってくるような感覚でしたね。むしろカルシウムのように吸収されて私の骨になってると思う(笑)。痺れました。パーティ終わりの帰り道、眠くて仕方がなかったけど、覚えてる範囲で歌詞を携帯にメモしたんです。リリース後に答え合わせしたの覚えてますし。
- 神門さんのリリックには強い信念と意思の力が込められていますよね。
万美 - あの経験はかなりデカかったです。書道の世界にいた時はしきたりを「当たり前だ」と思ってた。でも心のどこかで違和感もあって。それを「歴史だから」「先輩もやってるから」と、受け入れるように無意識に自分を仕向けてた。そんな私にラッパーの素直で自由な心が「違うっしょ」って言ってくれたような気がします。たぶん「なら、こう生きよう」を聴いてなくても、今の自分にはなってたと思う。だけど、この曲を聴いたことでよりスパッと決断できた。聴いてなかったら、もっと長く悩んでたと思う。
- 奇しくもこの曲は人生の選択を歌っています。
万美 - この歌詞は神門さんの経験をベースに、就職か芸術かという両極端な決断を迫られているけど、私の場合、進む方向は同じだけど、歴史的にしっかりと引き継がれてきた道を歩くか、自分の衝撃を表現するために草むらをかき分けて獣道を歩むかという選択だったんです。でも同じ道ではあるから決断しやすかったのかもしれないです。それが2009~2010年くらいでした。
大好きだったShing02と出会い、「インディペンデントな生き方」を確信
- 当時の万美さんはまだ大学生ですよね。新たな道を歩むためにどんなことをしたんですか?
万美 - 私が持ってるCDの裏面にUltraVybeというロゴがやたらとついてて、なんだろうと思ってネットで調べたらCDの流通やレーベル事業もやってることがわかったんです。「ここならなんか仕事くれるかも」と思ってメールしたら、幸運にもピンゾロってバンドのジャケットのお仕事をいただけたんです。
- 鬼さんのバンドですね。
万美 -「やべえ、『小名浜』の人じゃん」ってブチ上がりました(笑)。この頃の私は書をデータにするという概念がなくて。だからピンゾロのロゴだけはキャリアで唯一、半紙のまま納品してるんです。でも完成品を見たら表現したかったかすれが全然出てなくて。だからすぐにパソコンを買ってスキャンはコンビニでして、勉強して、自分が納得したデータで納品できる環境を作りました。
- DJ KRUSHさんの『軌跡』の文字も万美さんのお仕事ということですね。
万美 - はい。あとはUltraVybeさんからもお仕事をいただけたし、あとはクラブで知り合った狐火さんのジャケットに書いたり。当時はお金が全然なかったので、当時の渋谷パルコにあった2.5D Studioでバイトしてて、その時仲良かったJinmenusagiがアルバム出す時にアートワークを一緒に作ったりもしましたね。
- 大学ではどんな勉強をしていたんですか?
万美 - 中国の書道史や漢字の成り立ちについて勉強していました。同級生が就職活動しはじめた頃にShing02さんと出会ったんです。
- 出会った、というと?
万美 - 当時、何かでShing02さんがInstagramをやってることを知ったんです。今みたいにみんながやってる状況ではなかったけど、私も2012年の5月に始めてみたら5〜7投稿目くらいでShing02さんからいいねと「Dope」ってコメントが来て。実は私、高校生の時は携帯の待ち受けにするくらいの大ファンなんです(笑)。コメントを返信したら、私の作品を「かっこいいね」と違うSNSからメッセージをくれたんです。そこから実際につながることもできて。
- Shing02さんはどんな方でしたか?
万美 - お会いする以前は音楽家として好きだったけど、人としてもすごく好きになりましたね。ものすごく覚えてるのは、2014年頃にShing02さんがステッカー作りにハマっていたこと。実際に目の前で作ってくれたんですが、「醍醐味はハサミで輪郭を切る時。右手と左手のグルーヴが大事なんだ」と言ってて。こういうのってちょっとした言葉遊びではあるんだけど、確かに書道も右手と左手の置き場所はすごく重要なので、何気ない会話にすごく影響を受けました。それに作ったステッカーをすぐにみんなにあげちゃうんですよ。みんなすごく喜んでて。ものづくりで人をハッピーにできるのは素晴らしいと思いました。エンターテインメントだなって。
- "400"は万美さんにどんな影響を与えましたか?
万美 - "400"は単純に大好きな曲という感じ(笑)。この時期の決断という意味では、Shing02さんと実際に出会えたことが大きかったですね。友達が次々と就職が決まる中で、不安もあったけど、同時に私はどこかの会社に所属して働くより、自分で考えて動いていくほうが向いてると思っていました。だからShing02さんの姿を見て、私もみんなをハッピーにできるワクワクする道を行こうって思えるようになったんです。
ギャラのプレッシャー「自分を大切にすること」を学ぶ
- 最後にセレクトしていただいたのはBRON-Kさんの"PAPER, PAPER… feat. NORIKIYO"です。
万美 - この曲を初めて聴いたのはDJ ISSOさんのミックスCDです。冒頭だけ入ってたんですよ。その後2012年の秋くらいに出たアルバム『松風』でフルバージョンを聴いたんですけど、なんと2ヴァース目にNORIKIYOさんのラップが入ってたんです。初めて聴いた時は「そう来たか!」と膝を打ちましたね(笑)。その頃からずっと大好きな曲だけど、最近になって改めて聴いたらものすごく心に沁みました。
-「PAPER, PAPER…」のテーマはお金と愛です。
万美 - 私は2015年には書で自活できるようになりました。自分の歩いた数値としてギャラの桁が増えていくのはすごく嬉しかった。けど徐々に「私の作品は、そもそも私自身は、この予算に見合ってるのかな?」とプレッシャーと不安を感じるようになってきました。特に2018〜2019年ごろは、なかば強迫観念に近い感覚で常に「もっと上達しなきゃ」「もっと完成度を高めなきゃ」と、寝ずに練習してました。そしたら不眠症になってしまって。
- 眠れないのはかなり辛いですよね。正常な判断ができないし、許容範囲が狭くなるというか、ちょっとしたことでもイライラを抑えられなくなってしまいますよね。
万美 - そうなんですよ。人にすごく厳しくなっていました。私にとってBRON-KさんやNORIKIYOさんたちSD JUNKSTAはリラックスしたい時に聴きたい音楽なんです。NORIKIYOさんのソロはパワーをもらえるんですが。当時の私は1日も休まず根詰め続けてる状態だったから、この「PAPER, PAPER…」のトーンやリリックはすっと胸に入ってきました。
- 「だってこれはビジネスじゃないだろう?」というラインは、当時の万美さんにぴったりかもしれませんね。確かに書は仕事ではあるけど、それ以前にスカッとするものだったはず、という。
万美 - 不安は今でもあるんです。だけど、おっしゃられた通り、良い仕事をするためには自分自身を良い状態に保つ必要がある。あの頃はスカッとしてなかった。確かに作品のために自分を追い込むのは必要。そうじゃないと自分と向き合えない。だけどあの時期の私は自分を追い込みすぎてました。そこに気づけた。休みや余裕も必要。するとアイデアも自然と溢れ出すし、周りとも心地よい関係を築ける。結果、作品もパワーアップできる。
- 万美さんはご自身の作品に通底しているものはなんだと思いますか?
万美 - 反骨精神です。作品によってパーセンテージは違うけど、常に選ばなかった形の書道に対するメッセージがある。「オイ、コラ」って気持ちで書いてると力が漲ってくるんですよ(笑)。
- ポジティヴなボースティングは、日本語ラップのイズムですね(笑)。ちなみに万美さん自身のパーソナリティも反骨精神に溢れているんですか?
万美 - 全然。むしろ自我は薄め(笑)。どこにでもフィットする人間だと思う。強い人に見られがちなんですけどね。日本語ラップの反骨精神は憧れで、この性格はコンプレックスなんですよ。だけど最近は長所と短所を使い分けると言いますか、揺らぎがちなのを逆手にとって、これまでつながらなかったような分野と書道をつなげてみたいと思っています。
- 揺らぎというより、むしろ柔軟性のような気がします。
万美 - そういっていただけると嬉しいですね。私は書道が好きで、ヒップホップも好きだった。今こうして振り返ると二つは結びついているように見えるけど、あくまで結果論。ホームページにもいろいろ書いてあるけど、理由は全部後付けですし(笑)。
- STUTSさんの名曲「夜を使いはたして feat. PUNPEE」のリリックではないですが、「作ろうとしないで作った武器で日々闘うよ」というのは芸術のすごく重要なマインドだと思います。
万美 - ふふふ。たまに「ヒップホップと書道を融合させた」みたいに言っていただくことがありますけど、私的には全然融合できてない。もっと完成度を高めたい。好きな音楽を聴いて、好きなものを書いてたら、そういうシーンにいたというだけ。これからは自分自身の内面を表現した、ビジネスではない作品も増やしていきたいと思っています。
JOHNNIE WALKERによるオンラインライブコンテンツ『The LIVE-HOUSE』が、今月開催。STUTS、大比良瑞希などのアーティストたちのライブパフォーマンスはもちろん、人生の岐路における選択についてのトークも楽しむことができる。詳細は以下!
Info
JOHNNIE WALKER PRESENTS “The LIVE-HOUSE”
・出演 : STUTS、大比良瑞希 他
・"The LIVE-HOUSE" No.001 大比良瑞希:https://www.youtube.com/watch?v=K64qWCPQMzo
・"The LIVE-HOUSE" No.002 STUTS : https://www.youtube.com/watch?v=cm6DYFvabFQ
・視聴方法:上記特設サイトより視聴可能(無料)
※当コンテンツは生ライブ配信ではございません。期間内でしたらいつでも視聴可能です。
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