音楽好きを唸らせる奇書が1月26日に発売される。TR-808にインスパイアを受けたというリズム遊び絵本『エイト・オー・エイト – 声と手拍子で遊ぶ絵本 - 』だ。制作スタッフは、マニアなら垂涎の布陣。
著者は小林泉美。うる星やつら「ラムのラブソング」などのアニメソングで名を馳せ、キーボードプレイヤーとして活躍。’85年にイギリスに移住し、90年代には、国内と海外のテクノシーンの橋渡し役も果たした。現在、UKを拠点に音楽活動を続けている。
そして、作画はA. Qadim Haqq。Juan Atkins、Kevin Saunderson、Derrick May、UR、Carl Craigなど、数々のデトロイト・テクノの名盤のアートワークを手掛けるHaqqのSF的な筆致はインパクトが強い。
この本の編集者は、大森琢磨。90年代に『エレキング』編集部に在籍し、2 MUCH CREWの初期メンバー、そしてテクノユニットHarley & Quinとしてアルバムをリリースした過去を持つ。ちなみにローランド公認で、帯文は石野卓球(電気グルーヴ)という、通好みな座組みの絵本だ。
この本が1月26日に全国発売されるという噂を聞いたので、小林泉美の一時帰国のタイミングを見計らい、小林泉美と大森琢磨に話を訊いた。一見、謎の本に見えるが綿密なコンセプトが練られていたのだ。
取材・構成 : 高岡謙太郎
撮影 : 川谷光平
リズムを学べる絵本のなりたち
- 小林さんは、今日まで実物は見ていないそうですが、まずは印刷されたての本を初めて手に取った感想はいかがですか?
小林泉美(以下、小林)- 手触りがいいですよね。色が綺麗で、マットですかね。データで見るのと違って、やっぱり現物は感激しますね。
- では、どういった本なのかをまず説明していただけますか?
大森琢磨(以下、大森) - いろいろ要素があるんですが、シンプルにいうと「子供にリズムの面白さや奥深さを伝えたい」と思って作った本です。
この企画の着想は、僕が高校生だった頃に、憧れがあったシンセやリズムマシンが高くてなかなか買えなかったので、ノートに16ステップのリズムパターンを書いて遊んだりしていたことを、ふと思い出したことです。現在、自分には3歳と7歳の娘がいます。彼女たちに音楽を聴かせると、例えばDAFみたいな音楽でも、イントロが流れただけで手足をバタバタさせリズムをとる姿を見て、リズムは児童書のいいテーマだと思いました。
- ボディミュージックのDAFを娘に。
大森 - それからしばらく考えるうちに、子供にリズムを伝えるのなら、日本にはTR-808という名機があると気付きました。16ステップで1小節のリズムを単純明快に表現するインターフェースは、Rolandの素晴らしい発明だと思っていて。そこでRolandさんに企画を持って行ったところ喜んでいただけて、そこから本格的に制作作業が始まり、小林さんに原稿をお願いしました。
- 小林さんはその話を初めて聞いたときは、どう返答したんですか?
小林 - 2020年2月に大森さんから最初の連絡があったんです。ただ、今私はロンドンでバンドを7つやっている上に、週4回はライブをしていたので忙しくて、メッセージをほったらかしていたんです。それから、コロナでロンドンの仕事が全部なくなってしまって。5月に日本に帰国したタイミングで、昔一緒に働いていたFrogman Recordsの渡辺健吾さん経由であらためて紹介があり、そこから大森さんとの本格的なやりとりを始めました。
最初は、大森さんの話の内容がぜんぜん分からなかった。なんのこっちゃって。私は、ずっと音楽を作ったり、レーベルを作ったり、Cisco Recordsに関わっていた時はレコードを刷ってDJに配ったりといったお仕事に携わっていたので、「子供用のリズムの本を作る、何それ?」みたいな感じでした。でも大森さんが優しい方で、丁寧に忍耐強く説明してくださったので、お引き受けすることにしたんです。
私は活動歴が長いので、音楽を教えてほしいとよく頼まれるのですが、苦手なんです。でも私が音楽で暮せていることに対して、何かお返しをしなくてはという思いもあり、物語を書くことを教育の一環だと思って進めました。
日本の音楽教育は、西洋の音楽理論に基づいているので、学校ではドレミと音符を中心に教えます。ただ私にとって、音楽の重要な3つの要素は、ハーモニーとメロディーとリズムなんです。そして、このリズムの部分が、日本人は全体的に弱いと感じています。
- リズム感が弱い?
小林 - リズムに対する教育、学ぶ環境が非常に少ない。だから日本の子どもは、イギリスやアメリカの子どもたちに比べると、リズムに関しての出発点が遅い。でも、日本では今、ヒップホップが盛り上がっているじゃないですか。自分でDJを勉強して、同期やグルーヴを学んだりする人も多いだろうし。
国籍は関係なしに、一定のテンポでリズムをキープできる人と、できない人がいるんです。特に子どもはリズムを学んでいくと伸びるので、まずはビート感を身に付けることをやりましょうよと思っていました。
- そういう思いから、本が形になっていったんですね。
小林 - そうですね。最初に大森さんの話をきいて、作るのであれば、クラシックの理論はすべて省いて、感覚的な部分で楽しめる本になるといいですねという話をしたんです。
大森 - アンチ五線譜という話をいっぱいしました。
TR-808が宇宙に迷い込む物語
- 初見では謎の本でしたが、コンセプトは伝わりました。この本は、物語とリズム遊びに分かれています。まず、物語はどういったお話なのですか?
大森 - 小林さんのぶっ飛んだイマジネーションが反映された、未来のお話です。
小林 - 構成や物語についてディスカッションをたくさんしましたね。最初は大森さんの意図や、リズムの伝え方もよくわからなかったので、探りながら。私は宇宙を舞台にした物語がいいと思って。ブラックホールに落ちたエイトくんが迷って出られなくなっちゃう、という。
- TR-808がモデルのキャラクターであるエイトくんが、ブラックホールに落ちる。
小林 - い。時空の歪みでリズムをうまく鳴らせなくなっちゃう。そこにポンピちゃんという別のキャラが登場します。ポンピちゃんは生命体ではないんですよ。
そのふたりが音を通じて交信し合うんです。エイトくんとの出会いをきっかけに、ポンピちゃんがだんだんリズムに興味を持って、そこからテンポやBPMなどの、いろんなリズムの要素を学んでいくんです。
- 物語の大枠としては、キャラクター化されたTR-808とポンピちゃんが対話をしていって、リズムを学んでいく、ということですよね。ではリズム遊びの部分は?
大森 - まず、小林さんと60パターンぐらいリズムパターンを作りました。小林さんの滞在先である、かつてキティレコードさんが所有していた伊豆スタジオに伺って。そのなかで良かったものを紙面に反映しました。
小林さんの多彩な音楽遍歴を反映したリズムパターンを作りたかったんですね。例えば、テクノ、ハウス、ドラム&ベースとか固有のジャンルだと、足りないジャンルもでてくるし、枠にハマってしまう。そこで、未来の架空のリズムという設定を考えました。ファンクをモチーフにしたもの、ハウスビートをモチーフにしたもの、変拍子のものなど、最終的に6つのリズムパターンに絞り込みました。
- 空想のジャンルを作ったという感じですね。
小林 - はい。この本は機械を使わないんです。家族の人と一緒にリズムのパターンを読み上げながら、リズムの練習をするんです。とても身近なビートキープの例として、心臓の音を紹介したページもあります。心臓は誰でも持ってるから。例えば、ねずみの心臓の鼓動は約600BPMですね。一般的なダンストラックは120〜130BPM。120BPMは人間が歩くペースに近いビートと言われてるので、少し昔のクラブでは120BPMだとみんなが踊りにくる。でも最近どんどん速くなって若い子は130〜140BPMになっているのかな。
大森 - 繰り返しつぶやく16ステップの呪文みたいな言葉を使えば、子どもたちにビートキープの概念を伝えられるんじゃないかと考えました。その呪文に徐々に手拍子のタイミングで合わせていくと、メトロノームがなくてもリズム遊びってのは成立するじゃないかと。
そこに至るには、ある小林さんのエピソードがあって。高校生の頃、小林さんは自分のリズム感の向上のために音楽を聴きながら、その曲の裏拍のタイミングで歩いていたそうなんです。めっちゃ面白いなと思って。
小林 - 慣れると気持ちいいんですよね。裏拍で歩くと、そのうち裏だという感覚がなくなってくるんです。とにかく楽器やピアノがなくても、言葉と手拍子、自分の体ひとつあれば、楽しくリズムで遊べるという本なんです。
初のTR-808アニメソング
- 小林さんが手掛けた、アニメ『うる星やつら』のテーマソング"ラムのラブソング"でも、TR-808が使用されています。導入されたのが早かったですよね。
小林 - そうですね。あの曲は当初、大不評でした。私、新しい機材が大好きで。でっかいシンセや808、リンドラムとか。あの曲をプロデューサーはすごく気に入ってくれたんだけど、会議では「こんなのはアニメの曲じゃない」って言われて。当時、機械(ドラムマシン)を使ったアニメの曲というのはあり得なかったので。その頃、YMOもリリースしていましたが、田舎のおばあちゃんはYMOを聴かないじゃないですか。だから、一般的にはストリングスを多め目に使った王道の曲ばかり。でも出してすぐにオリコンでぱっと売れました。
- それがすごく時代にマッチして世の中に定着しましたよね。
小林 - そうでしたね。本当に運っていうか、何も考えなかった。仕事、仕事って感じでやったんです。そのころは仕事がいっぱいで、社長に「こういう漫画があるけど曲を書いてみる?」って言われたのが、『うる星やつら』で。『うる星やつら』は中学ぐらいから『少年サンデー』で読んでいて好きだったので、「絶対やらせて!」って言って、次の日に3曲も書いて持って行ったんです。全部いいね、ということで、すぐ録音しました。
大森 - 小林さんは"ラムのラブソング"を、 20分ぐらいで作曲したんでしたっけ?
小林 - 曲作りはいつも早いんです。このあいだ、最上もがさんにも曲を書いたんですよ。あれも10分。
- すごいですね。普段は考えごとはしますか?
小林 - 何をやるにもあんまり考えないので(笑)。時空とか次元に関することはけっこう好きでよく考えます。普段生活するなかでも、そういうことがあったりするので。
- 生活していてそういうことがあるというのは、どういうことですか(笑)?
小林 - 例えばですね、スタジオでミックスしてる時に、曲を聴くじゃないですか。そうするといきなり高波のような色がバーッと目の前に見えてくることがあるんですよ。
- そういう体質の人がいるらしいですね。
小林 - 私がウワーってなっていると、みんなに「大丈夫!?」ってよく言われるの。お酒を飲んでいないときの方がはっきり出ますね。自分で何かを出そうと思って出るというより、向こうから来る感じです。音は特に。それがライブ中だと、お客さんの席の方からエネルギーみたいな波がやってくるんですよ。そうしたらこっちからシューって投げ返して、ウワーって戻ってくる。それが素晴らしいんです。
- そういった音での対話があるからミュージシャンをやられているという。
小林 - いや、それはミュージシャンしかできないから(笑)。もう他の部分は何もできないので。
大森 - 小林さんの囚われのなさはすごいです。キャリアで言ったらとんでもない方だと思うんですが、いつもこの調子なので(笑)。あと過去のことにまったくこだわりがないですよね。今はアフロビートのDJを目指しているそうで、身軽さがもう半端ない。
アマピアノのDJ、Nutty Mとしての側面
小林 - そうそう。Nutty Mって名前でDJを始めるので。DJに呼んでください。
- どういうDJをするんですか?
小林 - 南アフリカのアマピアノやWizkidとかDavidoなどのアーティストがいるナイジャっていうナイジェリアの音楽とか。すっごい売れてるんですよ。アフリカのポップスなんだけど、すごくビート感があって。アマピアノはクラブ系の独特な音のコンビネーションが素敵ですよね。その辺りから選んだおすすめをDJして紹介したいなと思っていて。
大森 - 日本ではDJやクラブ系のプロデューサーと、楽器のプレイヤーのあいだにまだ多少隔絶があるように感じますが、小林さんの分け隔てのなさは、異様といってもいいくらいですよね。80年代にプレーヤーとして名を上げて、90年代のイギリスではジャングルの黎明期を体験したり、Ninja TuneやMo' Waxなどのクラブミュージックのレーベル、あるいは石野卓球さんをはじめとする日本人アーティストのコーディネーションでも活躍されていた。一方で、鍵盤奏者として、今もナイジェリアの人たちとファンクバンドをやっていらしたり。
小林 - 今私がロンドンでやっている7つのバンドのうちのひとつでは、スーダンという国のアラブっぽい音階を使っています。ベースはジャマイカ人で、リーダーは白人のイギリス人。日本で知っている人はいないけど、イギリスではそれなりに人気があって、BBCラジオでも2時間の特番が組まれました。5年間ぐらいかけてヨーロッパのフェスティバルを、ずいぶん回ったんですよ。新型コロナウイルスの流行がなければ、今年はもっとツアーができるはずだったんだけど。
小林さんのリズム感の原点
- 小林さんは、いつからリズムに興味を持たれたんですか?
小林 - 高校の頃、米軍キャンプでピアノを弾くチャンスがあって。そこで演奏していたベースとボーカルの人は、サンフランシスコとバークレー出身の不良でした。当時、米軍に来るのは、牢屋に行くか、軍に入るかみたいな人たちで、牢屋に入りたくないから軍に行くみたいな。アカデミックに音楽を学んだ人ではないので、譜面は全く読めないんですけど、ベースの人がめちゃくちゃ上手くて、1回曲を聴いただけですぐに弾ける。耳がすごくいいんです。私はそれがすっごくショックだったんですよね。ちなみに今やってるバンドにいるスーダン人のヴォーカルは、小節の感覚がまったくないんです。まず「1、2、3、4」っていうカウントがわかんないです(笑)。
- それでも音楽は成立するんですね。
小林 - 話を戻すと、私は高校までピアノを習っていて、音楽をつまらないと感じていたんです。そこで譜面が読めない人がすごいプレイをするを見てショックを受けた。でもそういう人がアメリカやイギリスにもたくさんいて。
日本に住んでいて仕事がたくさん入ってきた頃、精神的に耐えられなくなったことがあります。26歳ぐらいの頃にもう1,000万円ぐらいの収入はあったんですが、なんか精神的に駄目になっちゃって。国外に出なきゃと思って、イギリスに移住しました。
日本だと音楽業界の中でも年齢が影響しますよね。スタジオの作業だと、アシスタントの人がペコペコして、ディレクターが威張って、それがすごい嫌でした。イギリスでは、スタジオでのコミュニケーションが気持ちよくて環境が違うんですよね。物作りするときに年齢や役職は関係なく、本人の持ってるものをどれだけみんなで出していけるか。それができたら、本当に素敵なものができると思っているんです。
大森 - 楽しく音楽をやっているのが伝わってくるので、小林さんを見ていると、誰でも音楽面白いな、やりたいなという気持ちになると思います。小林さんの周りに集う人は、人種も年齢も本当にバラバラです。だから、この本にはダンスカルチャーの魅力のひとつでもある多様性という裏テーマもあるんです。声高にそれを主張するのではなく、作品のムードで表現できたら良いなと思っていました。
- では、この本以外に小林さんの今後の活動を教えていただけますか?
小林 - "ラムのラブソング"のリミックスを、UKで出会ったDJ、Limited Tossさんとのコラボでリリースする予定です。それと、88枚のデジタルアルバム制作にチャレンジしています。88ヶ国の童謡のピアノソロプロジェクトで、8曲を続けて演奏して、それを一発録りした作品です。これまでに6枚作りました。ワンストロークミュージック(一筆書き)という名前で、ライフワークとして死ぬまでに完成したいかな。あとはUKに戻ったら、またバンドをやらないとですね。
Info
・タイトル
『エイト・オー・エイト – 声と手拍子で遊ぶリズムの絵本 - 』
・著者
小林泉美
・イラスト
A. Qadim Haqq
・LP
・コメント
1月26日より、全国書店、レコードショップ、amazonなど各ECショップで発売予定
・タイトル
「Moon Lady」
・アーティスト名
IZUMI "MIMI" KOBAYASHI x ANDROID APARTMENT
・Youtubeリンク
・コメントApple Music、Spotifyなどで配信中