最も注目を集める映画製作スタジオであるA24とプランBが『ムーンライト』以来のタッグを組んだ作品『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』が、10月9日(金)より新宿シネマカリテ、シネクイントほかにて日本公開される。
ジェントリフィケーション(再開発等によって高所得者層や富裕層が流入し、都市の地価が上昇、高級化すること。元来居住していた低所得者層が立ち退きを余儀無くされる問題を伴う)が進むサンフランシスコを舞台に、自身が生まれ育った家「ヴィクトリアン・ハウス」を取り戻すべく奔走する主人公ジミーを描いた本作。今回、そんな主人公を実名で演じた主演俳優のジミー・フェイルズと、本作が長編デビュー作ながらその才能に注目が集まる監督のジョー・タルボットに話を聞くことが出来た。
サンフランシスコという街をテーマとしながら、世界中の誰もが感情を揺さぶられるような普遍性を持つ本作。その背景や、古くから友人であるという二人の関係、パーソナリティが窺えるインタビューとなっている。
取材・構成:山本輝洋
通訳:野村佳子
- 『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』はお二人の実際の経験や人生が色濃く反映された内容とのことですが、お二人にとってサンフランシスコはどんな街ですか?実際にそこで生活している上での印象を教えてください。
ジミー・フェイルズ(以下ジミー) - 世界で最もユニークな都市の一つだと思う。サンフランシスコ出身であることを誇りに思っているよ。様々なカルチャーと接することができるし、多様性に満ちているし、互いの価値観を尊重する文化があるし、自分の信念のために立ち上がることができる街なんだ。だからサンフランシスコは特別なんだと思う。
- ジョーさんとジミーさんは幼なじみとのことですが、お二人の出会いを教えてください。
ジミー - 実家が近かったんだ。プレシタ・パーク(Precita Park)という近所の子供たちが集まる公園があり、そこで出会ったのさ。最初に仲良くなったのはジョーの弟の方だ。ジョーは僕より少し年上だからね。(ジョーは1991年生まれ、ジミーは1994年生まれ)そして彼らの家に遊びに行くうちに、ジョーと親しくなったんだ。初めて出会ったのは10歳の頃だったけど、一緒に遊ぶようになったのは13歳の時だね。
- この作品の大きなテーマとなっているジェントリフィケーションについてお聞きしたいです。ここ日本を含む世界中で進む深刻な問題ですが、ジェントリフィケーションが都市やそこで暮らしていた人たちにもたらす影響はどんなものだと思いますか?
ジミー - ジェントリフィケーションによって都市が変わってしまうと、怒りを感じると同時に街を守りたいという気持ちが湧いてくる。どこに暮らそうとそれぞれの自由だけど、サンフランシスコに越してくる人々は、街や家の歴史、街のカルチャーについて学ぼうと努力すべきだ。
ジョー・タルボット(以下ジョー) - 僕たちが育ったフィルモア地区は、ジェントリフィケーションという言葉が生まれる前からその傾向が見られた。シリコンバレーに近いのが一つの要因だ。アフリカ系アメリカ人の多くは住まいを奪われ、僕の友人の多くも郊外に出ざるを得なかった。だから今も黒人による家の保有率を低いんだ。ヴィクトリアン・ハウスは最初から裕福な白人が所有していたと思い込んでいる人も多い。家や街の歴史を知らないからだ。ジェントリフィケーションが有色人種に与えてきた影響は特に大きい。
- 劇中で大きな役割を果たすヴィクトリアン・ハウスは実際にサンフランシスコにあるものだそうですね。この家を見つけて作品の舞台にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
ジミー - ジョーや撮影監督を含むロケハン隊が頑張って、見つけてきてくれたんだ。内装が昔のままのヴィクトリアン・ハウスを見つけるのは至難の業なのさ。ヴィクトリアン・ハウスを購入しても、改装してインテリアをがらりと変えてしまう人が多いからね。だからこの家に出会えたのは奇跡だった。入った瞬間、懐かしさが込み上げてくるんだ。まずは僕の感想を聞きたいと連れて行ってくれたんだけど、特別なパワーを感じたね。ここしかないと確信を持った。家のオーナーもすごく協力的な人で助かったよ。まさに“ドリーム・ハウス”さ。あの家とめぐり逢えて本当によかった。
- 今作は現実に根差したシリアスなテーマを持つ映画である一方、どこか現実と空想の境目のような、シュールでポエティックな雰囲気が全編に漂っているような印象です。例えば目の多い魚のシーンなどは衝撃的でしたが、あのシーンのアイデアはどうやって生まれたのでしょうか?
ジミー - 想像力と遊び心を働かせてみたんだ。あのシーンでは、水質がいかに汚染されているかを示したかった。あのエリアには環境差別が存在するとね。いかに深刻な問題かを、ユニークかつ面白い方法で表現するために思いついたアイデアだ。
- 劇中に登場するコフィーを始めとするグループと、ジミーとモントとの喋り方の違いが印象的でした。主人公たちはマッチョな、男性的な価値観や言動に馴染めない印象でしたが、この感覚はお二人の経験から来るものでしょうか?
ジミー - アイデンティティの問題は、黒人には常につきまとうものだ。僕たちが育った地域には彼らのような黒人が多くいて、彼らのライフスタイルに合わせることもできたし、自分のライフスタイルを貫くこともできた。つまり、同じ地域の出身でもいろんなタイプがいるということを伝えたかったんだ。同じ黒人でもひとくくりにすることはできず、人それぞれだってね。”People aren’t one thing”という、映画に出てくるセリフと同じことさ。
- 主人公のジミーはいつもスケートボードに乗っていて、父親との関係を表す上でも重要なモチーフの一つとなっています。ジミーさんご自身にとってのスケートはどんなものでしょうか?始めたきっかけや思い出などがあれば教えてください。
ジミー - これと言った思い出はないけど、スケートボードは移動手段の一つなんだ。街を探索したり、目的地に行くために乗ることが多い。僕たちにとってハートビートのようなものなのさ。だから、スケートボードを割るシーンでは、いかにジミーの心が傷ついているかが分かる。スケートボードは体の一部だと言える。(ジミーのお父さんがスケートボードに反対していた理由は)父親世代がスケートボード文化を理解していないからだ。スケートボードに乗る奴は変わり者だという固定観念を持っている。だから反対しているんだろうね。
ジョー - PharrellやTyler, The Creatorが出てくる前は、黒人コミュニティの中でスケートボードは白人が乗るものとして見られていた。今はもう変わったけど、僕たちが10代の頃はそういうイメージが強かったからかもね。
- 西海岸に住んでいる上での実感として、Tyler, the Creatorが出てきた時の存在感や衝撃、影響力はやはり大きかったでしょうか?
ジョー - ああ、大きかったと思うよ。彼はLA出身だけどね。彼以前にもベイエリアにはThe PackとLil Bがいて、僕にとっては彼らが出てきたときの衝撃がより大きなものだった。“Vans”のビデオを最初に観た時はこれまでと全く違う存在が出てきたように感じて、頭がぶっ飛ぶくらいの衝撃を受けたよ。スケートの概念そのものを変えたように思う。
ジミー - 他にも黒人でスケートを始めた人たちやクルーはいたから、いずれ変化が訪れるだろうとは感じていたけどね。
- 最後に、お二人にとって大切な音楽や、尊敬しているアーティストなどがいれば教えてください。
ジョー - この映画の中で使った音楽は、僕にとって本当に大切なものだ。僕の親が60年代、サンフランシスコのロックの黄金期の音楽を聴いていて、それは僕にとって大きな意味を持つ。とても美しい時代を物語っている、ロマンチックな音楽だ。Jefferson AirplaneやMoby Grape、The Ace of Cups、Janis Joplinなんかを聴いていた。僕は当時住んでいたヴィクトリアンハウスの中でGrateful DeadやJefferson Airplaneを聴いていて、60年代のミュージシャンはそんなイメージの存在だった。でも今のサンフランシスコのミュージシャンは収入が殆ど無くて、2ベッドルームで住むのにも必死な感じだ。だから、映画では当時の美しい音楽を現代に持ってきて、コントラストを作ろうと思ったんだよ。
ジミー - 僕にとってはDanny Gloverが大きな存在だ。彼はずっと昔から今までサンフランシスコに住んでいて、優れた俳優であるだけでなく、活動家でもある。地元のヒーローの一人だよ。
- ありがとうございました。
Info
『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』
10月9日(金)より新宿シネマカリテ、シネクイントほかにて全国ロードショー
配給:ファントム・フィルム
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