ラッパーとしても過去に活動していたジョージ・フロイドさんがミネアポリスで警察官に殺害された痛ましい事件の後、Black Lives Matterを訴えるこれまでにない規模の抗議活動が全米を揺るがしている。そしてその熱はヨーロッパをはじめここ日本にも伝わり、音楽やファッションシーンなども含めBlack Lives Matterの問題にそれぞれの立場から姿勢を表明している。
FNMNLでも先日Black Lives Matterについてのステートメントを発表。本日から音楽、ファッション、映画などカルチャーの側面からBlack Lives Matterを知るための特集がスタートする。まず第一回目はNY在住のライターでブラックカルチャー/マイノリティ文化に取り組んできた堂本かおるによるBlack Lives Matter、そしてその背景にあるアメリカの400年にわたる制度的人種差別の問題についてのコラムを掲載する。
文 : 堂本かおる
6月9日、ジョージ・フロイド氏の葬儀が、故郷のテキサス州ヒューストンにて行われた。5月25日にミネソタ州ミネアポリスで警官に殺害されてから15日目のことだった。6歳の娘ジアニちゃん、この事件を世に訴え、事態を変えるべく奔走している兄のフィロニーズ・フロイド氏を含む家族や生前の氏を知る人たちは、葬儀で氏に最期の別れを告げた。
葬儀にはトレイヴォン・マーティンの母親、マイケル・ブラウンの父親、エリック・ガーナーの母親、アーマウド・オーブリーの父親も参列した。いずれも黒人であるというだけの理由で息子を殺害された人々だ。
フロイド氏の殺害から葬儀までの半月の間に、ミネアポリスで地元民が起こした抗議デモは全米50州のみならず、イギリス、カナダ、スペイン、ドイツ、ケニア、ナイジェリア、コンゴ、インドネシア、日本など世界中に広がった。デモ参加者は拳を振り上げ、殺される直前のフロイド氏が幾度も口にした「I can't breathe!(息ができない!)」「No Justice, No Peace!(正義がなければ、平和もない!)」、そして「Black Lives Matter!」と叫び続けている。
Black Lives Matterの誕生
Black Lives Matter(BLM)は、アメリカで過去400年にわたって延々と続いている黒人への謂れなき暴力に対抗するために起こったムーヴメントだ。
2012年、フロリダ州で当時17歳のトレイヴォン・マーティンが、自警団を自称する男に射殺された。小雨の降る夕刻、トレイヴォンはコンビニにジュースとキャンディを買いに出掛けた。その帰りに「怪しい」とつけられ、揉み合いの挙句に撃たれて死んだ。
翌年、裁判で男は無罪となった。トレイヴォンの両親だけでなく、全ての黒人に大きなショックを与えた。「私の息子/甥っ子/孫/恋人/夫……にも同じことが起こり得る」「なのに犯人は罰されない」と、誰もが強い怒りを露わにした。
人権活動家のアリシア・ガルザもまた、身を切り裂かれる思いでFacebookへの書き込みを行った。
黒人の民よ。私はあなたたちを愛している。私は我々を愛している。私たちの命は大切だ。黒人の命も大切なのだ
最後の部分「黒人の命も大切だ」が #BlackLivesMatterとしてSNSを駆け巡った。BLM誕生の瞬間だ。後にガルザは他の2人の黒人女性活動家と共に、人権団体としてのBlack Lives Matterを立ち上げている。
スマートフォンによるムーヴメント
ムーヴメントとしてのBLMの存在が世界中に知れ渡ったのは、翌2014年の夏だった。
ミズーリ州ファーガソンの路上で当時18歳のマイケル・ブラウンが警官に射殺され、遺体が炎天下の車道に4時間放置される事件が起きた。
その日の夜、筆者はある著名活動家のツイートにより事件を知った。活動家がリツイートしていたのは、警官が群衆に今にも警察犬をけしかけんとする写真だった。すぐにCNNを観てみたが、なんの報道もされていなかった。写真の元ツイートは地元の若い黒人政治家によるもので、そのアカウントを遡ると、地元民がブラウン射殺に対する警察への抗議のマーチを行なったこと、昼間の平和的だったマーチが夜に暴動となりコンビニなどが襲われたこと、警察は催涙ガスやゴム弾を暴徒以外の人々にも向けたこと、装甲車が投入されたことなどが分かった
当日は土曜日であったためか、この件を大手メディアが本格的に報じ始めたのは月曜だった。その間、SNSには複数のデモ参加者が現場から次々と発信する写真やビデオが溢れた。筆者はファーガソンから遠く離れたニューヨークに居ながらにして、事態の動向を把握できたのだった。
トレイヴォン・マーティンも、マイケル・ブラウンも、殺害の瞬間は撮影されていなかった。だが、以後に起こった黒人殺害事件の多くが通行人、街頭の監視カメラ、警官が装着しているボディカメラなどにより撮影されており、それがSNSで瞬時に拡散され、抗議行動が起こった。つまり、BLMはスマートフォンによって発達したムーヴメントなのである。
その顕著な例は、2016年にミネソタ州セント・アンソニーで起きたフィランド・カスティリョ殺害事件だ。カスティリョは恋人と、その4歳の娘を乗せて車を運転していた。テールランプの故障が理由で警官に停められた際、カスティリョは拳銃を所持していると警官に告げた。たとえ合法所持であっても、警官は銃を持つ黒人を「最も危険」とみなすことを知っていたからだ。
警官は「銃を抜くな!」と繰り返した後に、いきなりカスティリョに発砲した。助手席にいた恋人は、自身も警官に銃を向けられながらもカスティリョの白いTシャツが赤く染まり、息絶えていく様子を撮影、かつ事態の説明を行い、Facebookのライヴ・ストリーム(※閲覧注意 リンク先は実際の殺害事件の映像となります。)として流した。過去に何度も起こった黒人殺害を「自分にも起こる」と常に警戒し、「証拠としての録画」を心がけていたのだ。
カスティリョは子供たちに慕われる小学校の 「カフェテリアのお兄さん」 だった。だが黒人にとってのアメリカは、人格や職業に一切関係なく、常に死と向かい合わせの国なのである。
アメリカ黒人400年の苦闘
今回のデモの発端となったジョージ・フロイド殺害の瞬間は、通行人の17歳の少女によって撮影されている。警官デレク・ショウヴィンはフロイド氏に後ろ手の手錠を掛け、歩道にうつ伏せとした状態で、首を膝で押さえ付けている。氏は「息が出来ない」を何度も繰り返し、「膝を退けて」と懇願し、断末魔の叫び声を発している。
しかし警官は顔色ひとつ変えずに8分以上も首を抑え続けた。何人もの通行人が「もう動いてないじゃないか!」「脈を確認して!」と叫んだ。それらに一切応じない警官に「お前、楽しんでるだろう!?」という声もあった。
翌日、SNSにアップされた映像(※閲覧注意 通行人の17歳の少女による映像)を観る者は、人が8分46秒かけてゆっくりと殺されていく様を見つめることとなった。
黒人たちはこれを単なる殺害ではなく、リンチでもあると言う。アメリカ黒人は400年にわたるリンチの歴史をも抱えているのだ。
北米に黒人が初めて連行されて以来、400年が経つ。最初の250年間は奴隷だった。奴隷解放からはまだ150年であり、奴隷だった期間のほうがはるかに長いことになる。奴隷制の終焉後も激しい黒人差別が続き、黒人たちは人権を勝ち取るための公民権運動を1950〜60年代にかけて行った。黒人運動のリーダーとして、キング牧師やマルコムXが活動した。この時期にも多くの黒人が殺害された。そうした苦労が実り、1964年にようやく公民権法が制定された。今からわずか56年前のことだ。
リンチが最も盛んに行われたのは奴隷解放後だ。黒人に自由を与えることで白人社会が脅かされるとの恐怖から行われた。記録によると、1877年から公民権運動開始前の1950年までに全米で4,400人の黒人がリンチを受けている。
黒人たちは木に吊るされ、殴打され、目をくり抜かれ、焼かれて死んだ。犯人が逮捕され、有罪となることはなかった。黒人を木に吊るすための縛り首用の縄(ヌース)はリンチの象徴となり、2020年の今も黒人への嫌がらせとして職場や大学に持ち込まれることがある。
ジョージ・フロイドは木には吊るされなかった。だが、白昼に衆人環視の中、身動き出来きないまま8分46秒も首を抑えられ、もがき苦しみながら死んだ。まごうことなきリンチである。
制度的人種差別
こうした黒人差別の背景には、誰もが知らず知らずに加担している「制度的人種差別 Systemic Racism」がある。「私はレイシストではない」と主張する者も、社会制度に則って暮らしている限り、社会全体が行う差別行為に加わってしまっているのである。
先日、NHKの国際ニュース番組『これでわかった!世界のいま』で、現在アメリカで起こっている抗議デモを解説するアニメーションが放映された。内容に偏りがあるとして批判が殺到し、ロイターなど他国メディアにも取り上げられた。NHKはアニメーションをネットから削除し、謝罪文を出している。
アニメーションのメインキャラクターである黒人男性は、妻を殴るDV男性が着るという揶揄で 「ワイフ・ビーター」とも呼ばれる白いランニングシャツを着た、筋肉隆々で荒々しい喋り方をする。黒人の陳腐なステレオタイプそのままである。これについて、ジョセフ・M・ヤング駐日米国臨時代理大使も「侮辱的で無神経」とツイートしている。
「貧しい」「粗野」「体格は立派」、さらに言えば「音楽とスポーツ(だけ)は得意」……こうした黒人のステレオタイプはどこから来るのか。
根源を突き詰めれば、制度的人種差別による「教育の欠如」に行き当たる。奴隷制に由来する人種差別があり、居住区は今も人種ごとに分かれている。黒人の子供は黒人地区で生まれ育つが、貧困地区では十分な教育を受けられない。資本主義が裏目に出ており、公立学校であっても裕福な地区ほど予算が潤沢になるシステムとなっている。
教育の不備は学歴の欠如を招く。アメリカは厳格な学歴社会であり、高卒でも最低賃金以上の職に就くことは難しく、高校中退ではほぼ不可能となる。仕事に就けない者はサバイバルのために犯罪に走る。一度でも逮捕されると、以後は裁判所、刑務所、出所、再犯のサイクルを繰り返さざるを得ない、司法制度における制度的人種差別に絡め取られる。
公民権法が功を奏し、今では中流層の黒人も増えている。だが、スーツを着てオフィスで仕事をしている者も、休日にジーンズ姿となればタクシーも止まらない現実がある。そもそも成績優秀であっても黒人である限り、就職はやはり困難だ。採用を決める側にステレオタイプに基づく偏見があり、かつオフィスに一定以上の黒人を入れることに抵抗がある。理由は、先述した「黒人に自由を与えることで白人社会が脅かされる恐怖」だ。
つまり、中流以上の地区の学校に通う恵まれた子供たちは、貧しい教育しか受けられない黒人の子供の存在に気付かない。良い職場で働く者たちは、自分の代わりに雇用されなかった黒人の存在に気付かない。一方で、学校にも職場にも優秀な黒人が少ないことから、無意識に黒人を「無教養」「怠惰」「犯罪者」と看做す。
フロイド氏の死をきっかけに起こったデモが続く中、ジョージア州で近隣住人に「怪しい」と射殺された黒人青年アーマウンド・オーブリーの事件、ケンタッキー州で捜査中のFBIが誤ったアパートに踏み込み、射殺した黒人女性ブリオナ・テイラーの事件が取り沙汰されている。オーブリーはジョギング中に襲われて射殺された。テイラーは、コロナ禍に懸命に働く救急隊員だった。中流層となっても黒人へのステレオタイプは付きまとい、その行き着く先は「死」なのである。
今、アメリカはようやく黒人殺害の根本にある制度的人種差別に気付き始めている。黒人も白人もラティーノもアジア系もイスラム教徒もネイティヴ・アメリカンも「Black Lives Matter」のプラカードを掲げてデモに参加し、かつ制度的人種差別について語り合っている。
これがブラック・ライヴズ・マターがアメリカにもたらせたものだ。このムーヴメントによって今、アメリカは過去400年にわたる黒人差別の歴史を、ようやく清算しようとしているのである。(堂本かおる)