GO a.k.a.男澤魔術はD.L(DEV LARGE / BUDDHA BRAND)が主宰したレーベル「EL DORADO RECORDS」に所属していたラッパー。1990年代の日本語ラップシーンを知るヘッズにとっては、KASHI DA HANDSOMEとのユニット・FLICK、2000年代ではGORIKI(K.O.D.P.)とGOCCI(LUNCH TIME SPEAX)でGO FORCEMENなどの名前とともに記憶されているはずだ。そんな彼が2017年に自身のレーベル「黄金の里RECORDS」を立ち上げた。
彼が今年3月にリリースした“大峠 feat. CQ, D.L, GOCCI a.k.a. 大峠影狼, KASHIDAHANDSOME”は、その表記からも分かる通り2015年に亡くなったD.Lの未発表テイクのヴァースが使用されている。なぜD.Lのヴァースを使用することになったのか、さらにこの“大峠”にはどんな思いが込められているのか。
今回、この作品のビートを担当したDJ SUU...主催のイベント”AREACODE 601@水戸CLUB MURZ 6月15日”にて「大峠」のライブがあるということで現地で取材を敢行。
この作品に参加したメンバー全員に加え、「EL DORADO RECORDS」からD.L周辺のグラフィックを担当し公私ともにD.Lをサポートし続けていたTSUNE、さらに今作でレコーディングエンジニアとミックスを担当したI-DeAに集まってもらい様々な話を聞かせてもらった。
取材・構成 : 宮崎敬太
写真 : TAIKI MEZAKI
今の僕らが純粋にカッコいい曲を作る。それがD.Lへの追悼になる
- “大峠”にD.Lさんのヴァースを使用することになった経緯を教えてください。
GO - 実は最初はコンさん(D.L)のヴァースはなかったんですよ。
TSUNE - そうなんです。俺が「コンさん入れるのはどうか?」と皆さんに提案させてもらったんです。
GO - なぜそんなことになったかと言うと、そもそも“大峠”は僕なりにコンさんを追悼したい気持ちがあって書いた曲で。コンさんは2015年に亡くなった。その年に追悼イベント(『D.L PRESENTS HUSTLERS CONVENTION NIGHT』)があって、そこに僕も出演することになったんです。でも僕はそれまでかなり長いことラップしてなくて。僕自身はそのイベントが人生最後のライヴだと思ってました。だけど実際にステージでラップすると、自分の中に不思議な感覚があったことに気づいたんです。イベントの後、コンさんの死についていろいろ考えました。その事実を自分なりに少しずつ噛み砕いていくうちに「自分はまだ生きてるんだから、もっといろいろやれる」って思うようなりました。あと追悼イベントで久しぶりにラップした時の感覚が自分の中でもすごく大きなものだった。その感覚をうまく言い表すことはできないけど、また自分もラップしてみようと思ったんです。
TSUNE - GOさんはそこから「黄金の里RECORDS」を立ち上げて。その流れでサポート役って感じで手伝うことになりました。
GO - コンさんの追悼曲は純粋にカッコいいものであるべきだと思いました。タイトルの“大峠”は、もちろんコンさんのたくさんある別名の一つ「大峠雷音」に由来してる。これはヘッズなら言わずもがなだと思う。けど、歌詞で具体的に「D.L」や「DEV LARGE」とは言いたくなかった。そのバランス感が大切だと思った。カッコいい曲を作ることがコンさんの追悼になるというか。そういう思いでビートを探していた時、10年くらい前にKASHI(DA HANDSOME)の家で聴かせてもらったビートのことを思い出したんです。
KASHI DA HANDSOME - このビートはもともと俺がDJ SUU…からもらってたもので。SUU…は水戸を拠点に活動してるDJ/トラックメイカーで、LUNCH TIME SPEAXの後輩。俺はDJもビートもずっと大好きなんですよ。このビートも初めて聴いた時は本当にビビりました。俺、基本的には自分がラップする曲は自分でビート作りたいタイプなんです。でもこれは絶対に作れない。だからキープさせてもらったんだけど、自分の中でハードルが上がりすぎて結構長いこと塩漬けにしてしまった…。
GO - それでKASHIに確認したらまだ使ってないことがわかって。それで連絡先を教えてもらって「KASHIに渡したビートで曲を作りたい」って電話したんです。そしたら、昔すぎてビートのパラデータがもうなかった(笑)。
DJ SUU... - なので、今回はKASHIさんのマックに残ってたビートの音源を送ってもらって打ち込み直したんです。なるべくオリジナルに近い音になるように。使ってるネタは違うんですが、かなり当時の雰囲気に近いものにできたと思います。どのネタをどういうふうに使ったかはなんとなく覚えてたんですけど、さすがに10年以上前に作ったものなので。一応当時の音源を聴いて、細かい部分を調整した感じですね。
GO - そこにKASHIがフックを作ってくれた。
KASHI - このビートは俺自身もずっと形にしたかったからね。
GO - あとこのBPMでやるならクリさん(CQ)とゴッチャン(GOCCI )に参加してもらいたかった。
CQ - GOから「DEV LARGEと宇宙で交信してるみたいなリリックを書いてください」って言われたから、最初は結構焦った。宇宙とは交信できないから(笑)。
GO - あれは僕の説明が悪かったです(笑)要はシリアスなクリさんのラップが聴きたかったんです。僕はこの曲くらいのBPMでラップするクリさんが大好きだから。
GOCCI a.k.a. 大峠影狼 from LUNCH TIME SPEAX - 俺は峠を越えるイメージで書いたかな。今回参加しているメンバーは活動にブランクがある人たちも多いじゃない? そういう俺らの今を聴かせる感じ。それが同時にコンちゃんへの恩返しになるようなヴァース。コンちゃんは当時いつも俺らの尻を叩いてくれたからね。
GO - そしたら、TSUNEが全員のレックが終わったものを聴いた後、「昔録ってお蔵入りになったコンさんのヴァースをCQさんとGOCCIの間に入れたら面白いんじゃない?」って提案してくれたんですよ。というか、気づいたらI-DeAに発注してた(笑)。
TSUNE - D.LのヴァースはMONKS OF FAR EAST “TRUE CAT STRUTT”という曲のもので。MONKS OF FAR EASTはEL DORADO RECORDSのクルーとBUDDHA BRANDのユニットなんです。シャカとブッダの大神的な。ちなみに“TRUE CAT STRUTT”は2004年に録った曲なんですがリリースもされてないので誰も知らないオーパーツって感じ(笑)。
GO - 僕は存在自体をすっかり忘れてた。
CQ - 俺も完成版があるのは知らなかったよ。
TSUNE - 最初に“大峠”を聴いた時、ふと“TRUE CAT STRUTT”とBPMが同じだと思ったんです。あとクリさんのヴァースに「涅槃で待ってろ」というフレーズがあって。実はD.Lの戒名は「光明院大峠雷音居士(こうみょういんだいとうげらいおんこじ)」なんですが、“TRUE CAT STRUTT”でD.Lは「光に明かりと書き 読みコウミョウ〜」みたいなことをラップしてる。もちろんこの曲は世に出てないし、まして戒名とは関係ない。でも文脈的には繋がると思ったんです。さらにゴッチャン(GOCCI )は「M.O.F.E.」と言ってて。
GOCCI - 「MONKS OF FAR EAST」の頭文字ですね。でも偶然なんですよ。俺はコンちゃんのヴァースが入ることを知らなかったから。俺も“TRUE CAT STRUTT”の完成版は聴いたことなかったし。しかも“TRUE CAT STRUTT”のレコーディングエンジニアはI-DeAがやってたよね。
I-DeA - そうすね。その流れで今回の“大峠”もレコーディングとミックスを担当させてもらいました。
DJ SUU... - “大峠”と“TRUE CAT STRUTT”はどうやってドッキングさせたんですか?
I-DeA - BPMがほぼ同じだったし、どっちも自分が録りを担当してたから、作業自体は全然簡単でしたよ。
EL DORADOクルーとBUDDHA BRANDによる幻のポッセカット秘話
GOCCI - I-DeAは後半のEL DORADO関連のエンジニアリングを全部やってたもんね。
I-DeA - 俺はD.O.Iさんの教え子。D.O.Iさんは初期のBUDDHA BRANDのエンジニアをされていて、その後NUMB SUTRAさんを経て、俺が担当してました。
GOCCI - コンちゃんはいつもポータブルのレコードプレイヤーをスタジオに持ってきて「このレコードのここと、このレコードのここを繋いで、こんな感じに組んでほしい」みたいなお願いの仕方をしてたよね。D.O.IくんやI-DeAみたいにちゃんと音楽の知識がある人からすると、考えられない組み方だったみたい。
I-DeA - 例えばベースラインを作るとすると、いろんなレコードの一小節とか半小節単位を指定して、「こことここが合うと思うからサンプリングして繋いで欲しい」と言うんです。でもコードが違うことも結構あって。そうなると普通に繋ぐと音楽的に成立しないし、気持ちの悪い音になる。正直、無茶振りなんですよ(笑)でも稀に信じられないようなカッコいいトラックが完成する。
GOCCI - それはD.O.Iくんも言ってた。「ビックリしちゃうんだよね」って(笑)。
I-DeA - そうなんすよ(笑)。だから俺らはいろんな機材のことを勉強して、毎回D.Lさんのビジョンをどうにか形にする努力をしてたんです。当時は毎回「マジっすか……」って感じだったけど、そこで学んだことが引き出しとなってのちにSCARSやMSC、SD JUNKSTA等の制作に繋がることができた。だから八割は感謝してます。
TSUNE - 八割(笑)。
GO - そういえば“TRUE CAT STRUTT”ってどういう経緯で録ったんだっけ?
TSUNE - あの曲は、D.Lがラップやらないモードに突入してた時期に、俺が企画したものなんですよ。やっぱりD.Lがラップしないのはもったいないじゃないですか。だから、当時のエルドラド所属のみんなに声をかけて無理矢理にでもD.Lがラップする状況を作ったんです。ある種の荒療治というか。D.Lの為だけではなかったんですが、そういう衝動って「何か」を生むこと大切なことだと感じてたこともあって。で、企画が進行していく中で、D.Lにも「絵」がみえてきたらしく、途中からヤル気モードになってエルドラドだけではなく、ブッダの2人にも参加してもらおうってことになりまして。
CQ - 俺はポッセカットを録るって聞いてたから、みんなで集まって一緒にレコーディングするのかと思っててスタジオに行ってら誰もいなくてさ。どういう嫌がらせなんだ、ひどい仕打ちだなぁって思ったよ(笑)。
TSUNE - 全員のスケジュールを合わせるのは難しいから、とりあえず5日間スタジオを押さえて来られる人から録っていく形で進行していたんです。
GOCCI - そうだったね。俺はコンちゃんと一緒にスタジオに入って、結構ずっと一緒に見てたんですよ。コンちゃんはクリさんのヴァースを聴いてめちゃくちゃテンションが上がってました。「バッチリだね!」って。でもデミさん(NIPPS)は30回くらい録り直しさせられた(笑)。
TSUNE - 毎度おなじみのPLAYでしたね(笑)。
KASHI - これってなんでお蔵入りになったの?
GOCCI - MR.POW(FUSION CORE)の歌い出しが気に入らなかったの。最初、POWはこの曲でラップを辞めると言ってたんですよ。だからコンちゃんもすごい期待してて。そしたらPOWの最初のフレーズが「肉肉野菜肉野菜肉」だったんです。俺らはすごいPOWらしいと思ってブチ上がってたけど、コンちゃん的にはかなり思ってたのと違ったみたい。POWのヴァースを聴いた後、コンちゃんはおもむろにスタジオから出て行って、外のベンチで寝込んでた(笑)。
TSUNE - D.Lらしいですね、そういうところは(笑)。結局、楽曲は俺が預かりプロデュースしたD.L本人からも最終的にOKは出ていたんですが、時期とか出す意味合いなど色々考えていたらそのままお蔵入りになってたという。
GO - POWはDEV LARGEに引退させてもらえなかったんだ(笑)。あいつ、あの曲の後もちょくちょくラップしてたもんね。
(*MONKS OF FAR EAST「TRUE CAT STRUTT」からNIPPS, CQ, D.Lの各バースのみを抽出した形で発表されたのが、先日発売されたBUDDHA BRAND「コードな会話」である。)
「とにかくILLな人でした」多面的なD.Lの人物像
- D.Lさんはみなさんにとってどんな人物でしたか?
CQ - 一言では言えないなあ。時期によってかなり印象が違うと思うし。BUDDHA BRANDの初期の頃は結構好戦的なタイプだった。すごい昔、俺ら、石田さん(ECD)のイベントに呼ばれたことがあって。93年か94年くらいかな。よく憶えてないけど、確かそれがブッダとして日本で初めてやるライヴだったの。そのイベントにはRHYMESTERも出ててさ。俺らがライヴした後、シローくん(宇多丸)と(Mummy-)Dくんが何か言って来たんだよ。たぶん俺らのリリックに気になるところがあったんだと思う。俺らは当時日本のシーンなんて全然知らなかったから、そういう感じにすごいびっくりしたんだよね。俺とデミさんはさっさと帰っちゃったけど、DEV LARGEは二人とすごい議論してた。
GOCCI - その後、コンちゃんはシローくんとすごく仲良くなってましたよね。
CQ - うん。あの頃はみんなすごい真剣だったんだよ。当時はレコーディング自体が気軽にできる時代じゃなかったし。機材もなかったしさ。結局あの頃からちゃんと真面目にやってた人たちが今も残ってるから、そういう意味では面白いよね。
TSUNE - D.Lは本当に多面的な人だったと思う。自分は「アーティストとしてのD.L(DEV LARGE)」、「DJとしてのBOBO JAMES」「プライベートでのコンさん」も見てきたんでなおさらそう思うのかも。あと裏方に迷惑をかけまくる部分も(笑)。ライヴや取材に来ないなんていうのは序の口で、スタジオを押さえてるのに全然制作しないとか、謎の合宿をしたりとか、想い描いた事を具現化するために良くも悪くも時間とお金を使ってた。cutting edgeに所属してた頃は、かなり厄介なアーティストだったと思います。でもEL DORADOを立ち上げた以降、いろんな事があったり年齢を重ねていく中で変化はしていったと思う。あとは自分の中でのD.L、コンさんはソウルメイトというか兄弟以上に一心同体、常に一緒にいたカタワレって感じです。
GO - そうなの?
TSUNE - はい。彼がEL DORADOを作ったのは、純粋に自分がカッコいいと思う音楽を作ること、もうひとつは若手が世の中に出ていく場所を作りたかったという部分もあるんですよ。それもヴァイナルオンリーで。あとはレールをしいてあげるというよりもキッカケをつくる役目と考えてました。GOさんも若い頃は全然D.Lの言うこと聞かなかったじゃないですか?
GO - うん。特に僕は聞いてなかったと思う。あれやりたくない、これやだみたいに、ことごとく反抗してた(笑)。
TSUNE - D.Lも若い頃同じような感じだったから、みんなの気持ちもわかるんだけれど、自分がレーベルを運営する側になると、また違う側面が見えるようになったんですよ。そもそも彼はアーティスト気質が強く、マネージメントには向いてないがプロデュースするのは得意。でも見えないところというか、そういうのは絶対他者には見せた事はないですが黙々と勉強する努力家。でも、その辺の自身の距離感、なんだろう、本来の自分と他からの見えてる自分とか、いろんな葛藤がある中で自分自身のメドをつけるのに疲れちゃって、EL DORADOをフェードアウトさせたんです。フェードアウトと言えば語弊あるかもですが、他のメンバーもクリさんもデミさんもその頃はそれぞれ活動していたし、今度は自分の事をやろうって感じになった流れですね。それがソロのプロジェクトに繋がっていく感じです。
KASHI - 俺にとって、コンさんはとにかくILLな人でした。俺は結構プライベートでもよく一緒に遊んでたんですよ。メディアでは話せないようなことも一緒にたくさんやって、本当に楽しかった。コンさんの遊び方は本当に狂ってたと思う。昼も夜も関係なかったし。でも同時に、音楽に対する真摯な姿勢もあって。夜通し遊んだあと、明け方のフレッシュネスバーガーで音楽の取り組み方について3時間くらい説教されたりしました。でも全然ネガティヴな感情はなくて、むしろ感謝しかない。だって誰だって説教なんかしたくないでしょ。めんどくさいし。なのにプライベートな時間を使ってわざわざ言ってくれてることがありがたかったですね。で、その説教が終わると、また狂った遊びの続きがあるという…(笑)。
TSUNE - D.Lは音楽が大好きだったと同時に、人と話すのが好きだった。「何にでも興味がある知りたがりで聞き上手なたまに面倒見がよいかもしれないフーセンおじさん」って自分で言ってた(笑)地方にDJで呼ばれた時もらったテープとかも全部ちゃんと聴いてましたし。それで良いと思った人にはちゃんと返信してた。
I-DeA - そういう意味では、俺がこの世界に入るキッカケはコンさんですからね。俺、昔、いろんなレコード会社や、レーベルにデモテープを送りまくってたんですよ。そこで唯一返事が来たのが、コンさんだった。「オルガンバーでDJするから遊びにきな」って誘ってくれて。そこでのちにEL DORADOに所属するFUSION COREと知り合い、他の作品でもエンジニアとして関わるようになったんです。
DJ SUU... - 実は僕もMIX TAPEをWOOFIN’という雑誌に写真付きで紹介してもらったことがあって。ほとんど話したことないけど、D.Lさんがイベントで水戸に来た時に「よかったら聴いてください」って渡したんです。僕は本当にただのファンでしかなかったから、かなり感動したのはよく覚えています。
GOCCI - 俺も元々はただのファンだったんだよ。最初にブッダを知ったのは、MUROさんがやってたお店・Still Diggin'で買ったニューヨークのラジオ「The Stretch Armstrong & Bobbito Show」を録音したテープ。93〜94年かな。 日本人がやってる日本語ラップの雰囲気じゃなかったからすごく衝撃を受けた。そんな人に俺らLUNCH TIME SPEAXはフックアップしてもらってるからね。しかも後輩のSUU…は地元の水戸でもう20年もイベントを続けてる。
GO - そういう意味では、今回の“大峠”はコンさんが作った日本語ラップの縦の流れを表現できたよね、結構奇跡的なつながりで。
GOCCI - でもこういうオカルト的な感じもコンちゃんっぽい(笑)。
TSUNE - 実のところD.Lが亡くなってからというもの、自分の中でずっと何かしっくりこない感覚があったんです。自分の半分が亡くなってしまったというか。そんな自分をホントにいろんな人が支えてくれて...いろいろ仕事をしたけど、でもやっぱり自分の中で何か足りない感じ。今回GOさんから曲のアイデアを聞いて、自分はディレクターとして参加させてもらったんですが、この作品を制作するにあたって、D.Lについても改めていろいろ考えてみたんです。そこで、涅槃にいるD.Lに僕らから何かギフトできないかな?と考えて。そういう思いはずっと自分の中にありましたし。D.L父にも相談した上で、今回MONKS OF FAR EAST “TRUE CAT STRUTT”のD.Lのヴァースを入れることで、それがようやく形になった。1つは返事できたかなと。実は「峠」という言葉には「たむける」という意味あるんですよ。あらゆる意味で、複雑で奇妙な点が線になりました。
GO - タイトルも含め、そこまで考えてなかったんだけど、実際に聴いてみるといろいろなところがあまりにもしっくりきていたので、この形でリリースすることにしました。僕個人としては、今回こういう形でマイクリレーをしたから、次はみんなのソロが聴きたいんだよね。それでまたタイミングがあったら、みんなで何かやるのも面白いし。
CQ - 異議なし。俺らは昔からみんな勝手にやってる感じなんだよね。
GOCCI - そうそう。この曲は「俺らもまだまだやるぜ」っていう表明でもあるから。
KASHI - 俺らは売るために曲を作るというよりも、自分たちが納得できるものを作るというマインドしかないから。
CQ - こういう考え方は、今の第一線でやってる人たちには受け入れられないかもしれないけどね。でもこの「大峠」は、みんながまた動き出すキッカケになったと思う。今度ブッダで色々だしていこうとしてて、出すっていっても新録って感じじゃないんだけど、昔録ってたけどなぜか出してなかったのとかあるからそれをまとめようとしてる。ヒデが俺らに言わずお蔵入りにしたヤツとかあったりして、俺らのバースもったいないから出しちゃえって感じなんだけど。なので、GO、今回は誘ってくれてありがとうございました(笑)。
INFO
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