クラブミュージックの大半は、建物のなかの出来事を音で描く。Tasho Ishiのアルバム『Dentsu 2060』は、クラブミュージック、サウンドトラックの機能や手法を踏襲しながらも、クラブの外にある都市風景を描いた怪作だ。既存の文脈には収まりきらない作風ゆえに、耳になじまない違和感が残るが、それはすべてが最適化された世の中に対する違和感の表明でもある。アルバムはWarpからのリリースでも知られる電子音楽家Lorenzo SenniのレーベルPresto!?からデジタルリリースされ、近々アナログも世に出る予定だ。
過去には、BRF名義でファッションブランドTOGAのランウェイミュージックを手掛け、会員制のブティックIsshi Miyakeを経営するなど、彼の活動範囲は幅広い。また、彼をよく知る人からは「あいつはビッグマウスだから」と半笑いにされる異質な存在でもある。SNSに存在しないからこそ周囲に振り回されずにシーンを客観視しながら、作品の制作に注力する独自のスタンスの彼との初インタビューを楽しんでもらいたい。彼の皮肉めいた発言をユーモアとして受け止めるか、批評として受け止めるかは読み手次第だ。
取材・構成 : 高岡謙太郎
写真 : 細倉真弓
シーンに絶望しながらも作り続けた待望のアルバム
- 3年前からアルバムが出るという噂を聞いていましたが、やっとリリースされましたね。まずはリリースまでの流れを聞かせてください。
Tasho Ishi - 最初、4年前にシングルの12インチを出そうという話になって。Lorenzoが収録曲を聴いて、「あ、これはなんかすごいね。やたらメロディアスでコンテンポラリーなものでもあり、ストーリーもあって今の世の中の現象をぼんやりと描写的に映し出す写し鏡のような音楽なのかな……。ただの聴きものではないから、これはアルバムにした方がいいんじゃないの?」という話になり、それから数曲を増やしてアルバムにすることにした。ただ、リリースの時期が延びたので「本当に出るのか? まだ?」とかみんなから言われたり。それと時代に沿ったような内容ではないから、アルバムで見せた方が面白いと自分で思ったのもあるね。
- 時代に沿っていない内容とはどういったこと?
Tasho Ishi - 時代に合った音楽は2012年頃までしかない。今はみんな同じになっちゃって全然面白くない。
- それは電子音楽シーンにおいて?
Tasho Ishi - いや、ほとんどが! 日本だけでなく世界を含めて、面白い人がほんの少ししかいなくなった。4年前、ロンドンに住んでたんだけど、面白い音楽を作る人が点々としかいない。今のエレクトロニックミュージックは白人のヤッピー中心になってしまって。その兆候は2014年ぐらいにあって、例えば、デジタルでリリースしただけでツアーを組めるようになったのは衝撃で。音楽が広告になり始めた時代というか。個人株とか個人広告みたいな。
- 宣伝のためのツールとしてデジタルの音楽をばらまくということ?
Tasho Ishi - デジタルに限らずね。それまではただ音源を作って出していただけだったのが、「こんなにあるのか!」ってぐらい些細なことにも思惑が絡むようになって。それによってだんだん音楽が劣化しているのもあるのかと。
- ヒップスターのプロモーションツールになってしまったと?
Tasho Ishi - 今のヒップスターは、昔のように超デカい目標を目指しているわけではなく、本当に小さくて。小さいだけでなく、TTTやPANみたいな雰囲気を頑張ってコピーするみたいな……。
- それは表現というよりは、どういったものなんですか?
Tasho Ishi - 電通やGoogleに入るみたいな感覚というか。もしくはバッチ(勲章)みたいな感覚で、みんなそれをすごく気にする。逆にいうとバッチがなければ、たとえ良い作品を作ったとしても無視される風潮がある。でもそれが一回ひっくり返ると、清水靖晃のようにもてはやされて。少し前は一番バカにされていた音楽ですが。まあ、そういう流れは昔からありますよね…投資して見返りを求める株券みたいな。だから、そういった価値観がすごい広範囲に及んでいて、みんなそれに取り憑かれたようになっていて。そして、SNSなどで虚栄心が大きくなっている。すごく抽象的な話なんですけれどね。
Tasho Ishi視点による音楽シーンの解析
- なぜこういった状況になったと思います?
Tasho Ishi - なんだろうな…。アーティストエージェンシーみたいなものによって、小さいものが大きく見えるようになりましたよね。例えば、インディの12インチでも、それがスタイルとして確立されすぎてしまっていて。一見すると反広告みたいに見えるけど、オリジナルの人はまだしも、それに付随する人たちが広告的というか…。
あとは、作曲ソフトが発達して簡単に作れるようになって、みんな同じやり方や考え方をするようになったことかな。それを突き破れるユニークさや抜けだす方法を持ってる人が重要だけど、それをするにもある程度の継続性がないと多分できない。例えばLorenzoもいきなり今みたいなスタイルから出発したわけでなく、ノイズからスタートして今に至るわけで。今風の作品が作れるけど、スタイルをコピーした人とそうでない人の違いは、継続性が明確にある。
- 自分の作品はシーンとどういった距離感なんですか。ロンドンに行くほど期待をしていたわけですよね。
Tasho Ishi - 常に接点もないし、そもそもシーンがないんじゃないかな。5年前グライムのような動きがあるのかと思って、イギリスに行ったら何もなかった。クラブに行ってインストグライムを見たけれど、本当に面白くない。昔のグライムには面白い人が大勢いたけれど、みんなどうしてるんだろうという気分になってしまった…。だからクラブに行くよりチャブみたいな子とかと遊んでいる方が楽しかった。
もちろん若干の期待もあったけれど、でも本当に何もつまらないし、音楽はこんなに死んだのかみたいな気分になってビックリした。なんかハリボテみたいな。ムーブメントがないのは薄々わかっていたので、面白い個人がいるのかと探したら、ものすごい頑張っていても考え方が普通な人ばかり。すごい良い大学に行って制作しても「結果としてこれなんだ…マジか」みたいな。
結局、レイヴの最盛期である89年から93年頃は、子供がシンプルなセットアップで音楽を作っていたわけじゃないですか。その頃は子供が何も知らずに作るのが普通だったけれど、最近はそのノスタルジーを再生産するアッパーなヤッピーが参入してきた。あらゆる方面において。よほどのことがない限り抜け出せている人がいない。だから、同じ方向を向いて、同じ考えをして、同じ格好を着て、同じ音楽をつくる風潮になっている。
なので、面白い音楽や新しい音楽がなくなってつまらない状況だから、自分で全部作った方が面白いという感覚ですね。自分は退屈が嫌だというのがあります。前作の12インチとは作風も違って、次回作も全然違うしね。ずっと同じ場所に居たり、ずっと同じ人とつるむことに、そんなに興味がない。いろいろな場所に行って、こういうやり方があるとか、こういう技があるとか、こういう抜け穴があるとかを発見するのが面白い。
欠落した自分の感覚から、自然発生した違和感
- では、今回のアルバムは、どういった感覚で作りましたか?
Tasho Ishi - サンプリングを使っていると思われがちだけど、ほぼ使っていない。たまたま出来上がったものだけど、二重三重の構造になってて、語る人によって捉え方が変わってくる。評論家がカテゴリーに当てはめようとすると、それが批評家本人に返ってくる、自分の音楽観がね。語る人によって捉え方が変わってくる。僕は別にカテゴリーを意識して音楽を作ってはいない。そういう感覚がたぶん他の人に比べて抜け落ちてるところが幸いしている。
- 抜け落ちているというのは?
Tasho Ishi - こうなりたいとか、リクルートされたいとか、いわゆる功名心ですね。それを悪いものだと思わないし、それがあるから循環するものもある。ただ、自分にとっては興味外。それよりも新しい音楽を作ることで、いろいろな隙間を見えるようにしていきたい。新しい音楽はいくらでも作れるはず。逆におかしいのは、なんでみんな同じ方向に行くのかが不思議で仕方がない。
- 昔だったら違和感のある音楽がいっぱいあったと思うけれど、今は少ない?
Tasho Ishi - もう消え去ったんじゃないかな。すべてがすぐに容易に用語で説明がつくように作られている。作り手も知らず知らずのうちにタグ付けを意識して作っている。小さい音楽シーンにおいても潜在的にマーケティングみたいなものが刷り込まれていて、悪い意味で感心する。せっかくお金や時間を無駄にして音楽を作るのに、なんでこんなつまんないことやるんだろ、よくわからないと思う。
ただ、今回のアルバムはファンタジー調なので、いわゆるダンスミュージックや電子音楽を聴いている人よりも、普段音楽を聴いていない関係ない人に聴かせると面白い反応があってエンターティンしているんじゃないかな。イルミネーションを観に行ったりやディズニーに行くみたいにね。ライブで演奏しても、訳の分からない違和感と何ともいえない高揚感も味わってもらってるようで不思議なレスポンスが返ってきて面白いよ。
- この作品はそのままの都市風景を描いている印象でした。都会の無機質さを意識していますか?
Tasho Ishi - そうではなくて、わりと子供寄り。クールにしようとすると、そういうのはいくらでもあるから、そこは振り払ってチャイルディッシュにした。だから今回はサービスをしている。クールさは、基本的にメンズカルチャー。Acronymみたいなゴアテックスを着るマッチョイズムな世界は、すごく狭い音域しか使ってないし、最初から自分を規定してるところがある。
それとは違って、今回は建築家やイッセイ・ミヤケみたいな物の見方というか。今まで不快とされていた素材を見つけて自分なりに研磨してあげると、こんな良い素材だったのかと気づく。大理石や木もそうで、最初から歓迎された素材ではない。だから、いろいろなところから継ぎ接ぎを集めてファンタジーワールドを形成すると、こういう変な可愛いフランケンシュタインのようなアルバムになる。それが嬉しい。そういう建物を建てて発展させれば、今までと違う形で何か面白いものが作れる。
- 今回のアルバムはどういう建築物なんですかね?
Tasho Ishi - なにかな……。ザハでもないし。こどもの城かな? 東京全体を見渡せる子供も楽しめる遊園地として捉えている。ここのところ、レイヴというキーワードでみんな頑張っていたと思うけれど、基本的にノスタルジーで過去のムーヴメントを全然更新できていない。東京で考えるとレイヴなんてない。レイヴはみんながパッと寄り付くような対象だとしたら、東京にレイヴがどこにあるかっていうと、広告かな。
- イルミネーションみたいな?
Tasho Ishi - そうそう。イルミネーションも人が集まって何かエネルギーを発している。理由もわからずに人が来れば、それはそれでレイヴ。だからヨーロッパのレイヴみたいなのは日本にはないじゃないですか。
人間不在のレイヴが続く街を、音で描写
- 自然と人が集まるようなレイヴは今の日本ではなかなかない。
Tasho Ishi - 過剰に再開発された都市の景観もレイヴですね。そういう無意識の集合体がレイヴだとしたら、東京は人間不在のレイヴなんだなと。東京は基本的に人間がない。でも、それをクールに冷たくネットっぽく表現するのは芸がないと思っている。
だから"Dentsu 2060"は、現代の怪談音楽だと思っていて。霊的に手繰り寄せる感覚が近いかもしれない。似たような構成の曲でいうと武満徹の“November Steps”は、曲の構成の半分はクラシックで半分が薩摩琵琶と尺八。それが調和するのではなく、対置している。薩摩琵琶を弾いているのは、鶴田錦史という名人なんだけど。クラシック音楽は、メロディーとか全部が調和して成り立たせるところがある。一方薩摩琵琶は、一撃で打撃音だし、メロディーだし、ノイズも出してるから、一個鳴らしただけでもうお腹いっぱいになる。だから"Dentsu 2060"で、後半に音の静かになるところは割と近いというか。レクイエム的な。
- そういった音楽の引き出しを持って、電子音楽にアプローチする人はあまりないような気がします。
Tasho Ishi - 昔の作品を引用するのは、余程うまくない限り、元ネタにやられてしまう。現行のプロデューサーが昔のシンセを持ち出しても、結局みんなオリジナルを超えられないし、更新できていない。"Dentsu 2060"は個人的にすごいうまくいっていて、自分で言うのは恥ずかしいけれど後世に残るんじゃないかな。今の人間の精神状態の明滅感のレイヴを描けたというか。メンタリティレイヴですね。すごい上がって、すごい下がるのは、これからスタンダードになると思う。昔みたいにリズムが四つ打ちでずっと続くのは、今の社会状況を見てると絶対にありえない。
- 日々ありえないような事件が起きるから、アップダウンが激しいEDMが流行るのもわかる気がします。四つ打ちは社会状況が反映されてないということ?
Tasho Ishi - 俺も皮膚感覚で感じることで、ずっと同じ状況が続くのは不安で退屈なので変わっていかないとおかしい。みんなそれを感じてるから、四つ打ちみたいのは不自然。だから、UKガラージやレゲトンのようなリズムが相応しいというか、今しっくりくる肌感覚がある。そういった状況もあって、この曲は最後に上がっていって逆さまに落ちる感覚が正しいと思っている。どうなるかわからないし、このままいかないよ、みたいな状況。
- ダンスミュージックの多くは流れが決まってますからね。
Tasho Ishi - ダンスミュージック以外もそうですよ。実験音楽にしろ。グライムの黎明期は誰も失敗に対して恐れ知らずで驚異的なホワイト盤がたくさんあった。だからDizzee RascalやWileyのような有名人以外にも面白い人がいくらでもいて、今はそういう面白い多様性は確実になくなった。だから、ある一定の規範を守らないことを極端に恐れるようになった。
すべてが最適に発達しすぎた状況で
- その規範性が強化されたのはどういう要因があると思いますか?
Tasho Ishi - たぶん要するに、イージーに作れたり小さな規模の音楽でも、暮らしていけたり取り上げられるようになったり。あと音源自体がメディアみたいになったのもあるかな。分かりやすい例でいうと、Boiler RoomやNTSは音楽は広めたけど、結局本当に何の意味もない。俺の中ではオンラインラジオが音楽を劣化させた要因でもあるかな。初期のパイレーツラジオは面白かったはず。
- オンラインラジオと違って、パイレーツラジオはリスクというか政治性もあったわけで。法律を無視して電波を飛ばすところに意義があって、オンラインラジオは法的にもOKとなると、はたしてどういった価値付けになるのか悩ましいわけですよね。
Tasho Ishi - すべてが横並びになってしまうと、誰もきちんとタッチしなくなる。ただラジオが流れているだけで、そこから影響を受けたりしてもロクなものを見たことがない。だから音楽体験自体が、すごく最適にはなったけれども、最適が果たして何か影響を与えるかというと決してそうではない。それはソフトウェアも全部そう。すべてが発達しすぎているわけです。
- すべてが快適になりすぎてると?
Tasho Ishi - 鶴田錦史の話に戻りますが、「障り」という琵琶の楽器の鳴らし方がある。昔の楽器を鳴らすと、音のほとんどがノイズだったりで人間がコントロールしづらい仕様になっている。楽器とどううまく接していくかの対話が音楽を作っていた。対話を無視したら技術があれば誰だって音楽を作れるけれど、別に技術だけでは面白い曲を書けないのはわかっている。今回のアルバムはそういう対話というか変なバランス感はある。だから、全然関係ない女子大生に聴かせても「なんかキラキラしてて面白い」みたいな対話が生まれる。聴き手を選別せずに、Jポップを聴いている人でもいいし、EDMを聴いている人でもいい。
- UKのFact Magazineではヴェイパーウェーヴとして紹介されていましたね。
Tasho Ishi - 彼らがたぶんよくわかってないからで、全然違う。別になんとでも呼んでくれればいいんじゃないかな。ただ、ヴェイパーウェーヴってのはダサいと思うけど。
レーベルオーナーLorenzoとの出会い
- いまのところ活動の姿勢について聞かせてもらいましたが、ではLorenzoさんとの出会いを教えてください。
Tasho Ishi - たまたま5年前に知り合って。ちょうど彼がMegoから出して、俺もレコードが出て、アイデアを交換する関係になった。ただ単に冗談とかを教えたりしていたら、レコードを出さないかという話になって。ああいう音楽を作っている中では陽気だし、自分の得意なことをして可能性が拓けたユニークなやつ。やっとリリースされた気持ち良さはあるけど感動はない。でも、早くレコードになって大勢に聴かれてほしい。
- リリース後の反響よりも、やはり制作過程が面白いのですか?
Tasho Ishi - 曲が完成するまでが楽しい。他の人のプロセスとは違って、すさまじくめんどくさいことをやっているから。壁に頭をぶつけるような感じの曲を作っているかな。普通の人に比べてぜんぜん上手くできないことが多いと思う。だからそれも「障り」のようにうまくやって、長所にする技を磨いていっている。
ずっと同じ場所にいるとそういうのが発達しなくなっていくから、いつも苦手なところに行くようにしている。でもほとんどの人は、自分のコミュニティを作って自分の城を構築していくことを一生していくわけです。俺はそれが何もできない。興味がなくて、あり物で料理を作る方が楽しい感覚になる。
- その場その場で出来た作品が良ければ、それで良しと?
Tasho Ishi - そうそう。だから音楽で共感するものは殆どない。だから、コムデギャルソンや漫画家の冨樫義博は、全部作風がバラバラで、かっこいいものとダサいもの、雑さとエレガントさが混在していていい。
- 最近の音楽のアルバムは世界観が綺麗にまとまりすぎていますね。
Tasho Ishi - 結局、みんなが良いとするアルバムは同じようにまとまっている。だからAphex Twinとかは、凄まじく過大評価されている。そういうのよりは、川井憲次やVangelisは色んな意味で驚異的だと思う。蓜島邦明とかもね。
俺が思うのは、今の時代はリリース元やらパッケージ化されているか否かで、物が同じでも受ける扱いがすさまじく違ったりすること。本当に目利きの人だったら見抜いているけれど、そういったセレクターでも今は感覚が失われてるのがまずい。だから、みんながものを何で判断しているかと言うと、文脈やコンテキスト、その人の顔とか。その支配が凄まじくデカいんじゃないかな。
- 誰が言ったかが重要と。
Tasho Ishi - そんな事をしても作品は面白くならない。まったく無視して自分の作品を作っていきたい。作品がカッコよければ、いずれみんな聴くことになるので。
- LorenzoさんもTashoさんにしても、前向きで鬱ではないですよね。電子音楽はナーバスになりがちな印象です。
Tasho Ishi - それはココアしか飲まないから(笑)。あいつと俺の共通項はココアが大好きなこと。レッドブルも。だからこのアルバムはチャイルディッシュだし、俺の仲良くなる人は子供ぽいやつが多い。ナーバスで暗いディストピアを描くのってイージーだし、ヨーロッパの様式美って感じで飽き飽きしてる。その辺、日本は超ポストモダンで何もない。
ただ、川井憲次もそうで、個人が知らず知らずにいい方向にオーバーロードすれば、結構すごい変なモノがつくれる。それは多分ヨーロッパでは難しい。形の制約や基本コンセプチュアルだったりして。日本はわりと自由にものが作れるけれど、人間に元気がないかな。
- 東京は抑圧が厳しい?
Tasho Ishi - それがレイヴだなと。抑圧レイヴですね。みんなSMを楽しんでいるんじゃないかな。たぶん他の国だとみんな放棄しているはず。日本人は自分で頑張るの諦めて、アニメやイルミなどの対象物に自分のすべてを転移させている。それが変なレイヴというか病気。現代的な怪談みたいな。
- 自分は状況を楽しんでいるんですか?
Tasho Ishi - 反面教師的な刺激を感じる。スピード感や刺激の強い広告が、レイヴのようになって結果あまり良い方向には行かなくなった。80年代は広告も力があって、それが良い方向に転換していた。今は真逆で全部が悪いところにいってる。だからこのアルバムは広告や「東京病」に囲まれた人が作った音楽なんじゃないかな。
- 東京病はどういうもの?
Tasho Ishi - 京都の友達が言っていて。これだけ大量の情報を上手く扱える人間は、他の地域にはそんなにいないので病的だという意味。例えば何かを見て、サッと別のものを連想したり、これがあるよとサジェストしたり、引用したり、その最たるものが東京。その中での競い合いも面白いんですけど、結局何かの劣化でしかない。今のメインストリームがそれの下手な人で割と埋まっている。
- 昔でいうところの輸入文化をいち早く紹介した人が勝ちみたいなゲーム?
Tasho Ishi - そのアーカイブがネットで完璧に補完されて、みんな隅々まで全部見えるようになってしまっているからね。それが音楽だけでなく、服も建築もすべてのジャンルでそうなんですけど。そうすると感動しなくなる。
- 結局自分の国から文化を生み出せなかったのが大きいんじゃないですか?
Tasho Ishi - そう。だから、そこで日本で唯一出来るのは、個人でまったく新しいものが作れること。ギャルソンのように、制約がなくて、どこにも根付かずで、自分の思い通りに作ったもの。才能がどうとかじゃなく隅っこにいた人が黙々と制作を続けて精度を上げてくと化け物みたいになるのはすごい現象で。それはヨーロッパやアメリカだと難しくて、突き詰めるとなにかのジャンルに属してしまう。
今のアメリカやヨーロッパはOPNがすごくわかりやすいけど、日本人が本当にゴミだと思っている音源を回収してアレンジした劣化版で人気になる事が多い。アメリカは常に歴史がそうですね。
- エキゾチズムみたいな?
Tasho Ishi - それを通り越したすごい熱意がある。本当に自分のモノにしようとする気概があるから。ただ日本でそれらの影響下の音楽っていうのは、結局1周して見過ごした国内のレガシーに影響を受けているわけで。それを今のチープな音でゆるく再複製すると何とも情けない感じで劣化になる。自分は反則的な機材を使っていて、使いやすい機材もいいんですけれど、やはりスケールが小さくなってしまうし、巨大なものを描くことができない。だから無駄に金と時間を掛けて、新しいソフトも古いハードも使えるものは使っている。
自分が聴いて、カッコよかったり面白い音が作れればそれでいい。今の人は、自分を最適化して自分をうまくイントロデュースするという、生産性を上げるような方向性が多い。だからこのアルバムは、見慣れたものを目指そうとせずに最大限に無駄の限りを尽くしたんだ。
Info
Release date: 2019/6/21
Label: Presto!?
Cat no.: P!?033
Tracklist:
1.Dentsu2060
2.Birdland
3.Windcoat
4.Satoshi Nakamoto
5.I Always Still Yakuza
6.Children of Bodom
7.Toshi
8.Window of Honey Trap
9.Chase The Rainbow Bridge