FNMNL (フェノメナル)

【クロスレビュー】Flying Lotus 『FLAMAGRA』|映像、そして音の変遷から読み解く待望の最新作

初の映画監督作品『Kuso』など音楽以外の活動も精力的に行ってきたFlying Lotusが、本日ニューアルバム『FLAMAGRA』をリリースした。全28曲を収録し、Anderson .PaakやSolange、George ClintonやThundercat、Denzel Curryなど豪華ゲストが参加した同作はこれまでのキャリアの集大成的作品とリリース前から大きな注目を集めていた。

FNMNLでは音楽はもちろんのこと、本作とも深い関連のある映像の分野にも造詣が深いライターの小林雅明と、自身もビートメイカーとして活動し本作のライナーノーツも執筆している吉田雅史の2人によるクロスレビューを掲載。Flying Lotusのこれまでの多彩な活動が、どのように新作に結実していったかを紐解いてもらった。

初監督作『Kuso』

2017年11月に発表されたミュージックヴィデオを通じて、"Post Requisite"を聴いたとき、なんとなく聞き覚えがあると思った。その少し前にフライング・ロータス(以下フライロー)による初監督作『Kuso』を観ていたので、あらためて確認してみたところ、ヴィデオは、ほぼ丸ごと映画の一場面を抜き取ったものだった。

その時は、いずれサントラでも出すのだろうとは思ったもの、すぐにそれを忘れたまま1年半以上を経てのリリースとなったのが、今回の『Flamagra』だった。その"Post Requisite"は、イントロ的な曲の次の2曲目に収められている。それなら、この他にも『Kuso』の劇中曲が入っていてもおかしくない、あらためて映画を観なおし強く記憶に残った曲だけでも、と思い、サクッと照合してみたところ、ティエラ・ワックのラップをのせた"Yellow Belly"のトラック本体、それと、5曲目の"Capillaries"、続けて収録されている"Pilgrim Side Eyes"と"All Spies"ヴァイオリンとピアノ(本作のサウンドの特徴としては、ピアノがひとつの肝となっているようにも思える)によりクラシカルな趣を持つ"Say Something"の、少なくとも計6曲が劇中使用曲であることが判明した(まだ、この他にもあるかもしれない)。今回の『Flamagra』の一部は『Kuso』のサントラで構成されているのだ。

ちなみに、この映画は2016年中には完成し、翌月のサンダンス映画祭での上映がワールドプレミアとなった。また、フライローのインタビューによれば、アンダーソン・パークとのコラボ曲"More"は、3年ほど前に作られた「古い曲」だというし、"Fire is Coming"で聴くことのできるデヴィッド・リンチ自作短編の朗読が、フェスティヴァル・オブ・ディスラプションで初披露されたのは2017年10月のことだった。

多彩な活動からパッチワークのように紡ぐ

そうなると、『Flamagra』収録曲は、最初からそこに入れることだけを目的に生まれた曲だけで構成されていないことになる。そこから考えてみると、フライロー自身の既発曲あるいはリンチの朗読のような既存の素材を、2019年にいかにプレゼンテーションするのかが、フライロー自身としても、創作上のポイントとなったのではないだろうか。

例えば、昨年初放映されたTVシリーズ『アトランタ』シーズン2の、ドナルド・グローヴァーが監督した第5話で、サンダーキャットとのコラボによる新曲がスコアとして使われている。それが、フライローの曲としては(個性的なビルドアップ展開など微塵も予感させない)かなりストレートフォワードなジャズなので、公式にはリリースされにくいのでは、と思っていたら、『Flamagra』には未収録だ。

全編で1時間数分に及ぶ本作を一通り聴いてみると、前述した『kuso』のために作られた数曲はどれも2分かそれ以下という短さで、アルバム全体の3分の1近くが1分台の曲で、収録曲は28曲、歌やラップをフィーチュアしているものをまじえたそれらがパッチワークのようにつながっている。そのため、今のタイミングなら、全体像としては、ソランジュの『When I Get Home』が想起されるむきもあるかもしれない。彼女は、本作では最後から3番目の"Land of Honey"にフィーチャーされている。この曲が『When I Get Home』以前のアルバムの彼女のイメージに近いように、シャバズ・パラセズ客演の"Actually Virtual"も最新作よりも、数年前のアルバムの1曲としてバッチリハマるようなビートだ。

テレンス・ナンスとの仕事から得たもの

話をソランジュに戻すと、『When I Get Home』の創造性について語る上で、欠かせないのが、アルバムのヴィジュアル版に手を貸した映像作家のテレンス・ナンスの存在だ。彼が手掛け、昨年放映されたTVシリーズ『Random Acts of Flyness』シーズン1の制作段階からソランジュに番組への楽曲提供を依頼、結果的に『When I Get Home』収録候補曲中の1曲に決まり、最終話では彼女自身が登場し、鏡に囲まれたまま歌う。

このソランジュよりも、ナンスとつきあいが長いのが、フライローなのだ。2013年に発表されたナンスの長編映画監督デビュー作『あまりにも単純化された彼女の美』のために音楽を提供したのが他ならぬフライローだった。しかも、『Los Angels』から『Until The Quiet Comes』までの3作のアルバムから、曲数でいえば18もの曲がサントラ(いわゆるスコアにあたるもの)として使われている。それも、極めて断片的に。そもそも、ナンスの映画やTVシリーズがパッチワークというか、フィクションをドキュメンタリーっぽく切り取ったかと思えば、そうした映像が突如アニメやクレイアニメへとシームレスにつながってゆくし、文字や絵が映像の上から描かれているショットなどもある。こうした既存の概念に縛られない映像表現こそが『Kuso』の原動力となっている。

フライローは『Kuso』を撮りながら、ナンスとの仕事を通じて得たものを再確認できたかもしれない。『あまりにも単純化された彼女の美』が、ナンス自身が撮った既存の短編作の映像に、新たに撮った別の映画を割り込ませるなどして、過去作の登場人物の心理分析を鋭く再検討しているように、『Flamagra』は、既存の楽曲に新たな文脈を与えているとも言えるかもしれない。アルバムでは、『Kuso』でジョージ・クリントン扮するドクターの医務室でプレイされる前述の"Capillaries"のすぐ次の曲に、クリントン当人がフィーチュアされている。また、前作『You're Dead!』収録の"The Beyond"について、これは彼が愛してやまない映画『ファンタスティック・プラネット』サントラ収録の"Ten et Tiwa dormant"のリメイクとして捉えたリスナーもいたに違いない。同映画のサントラから本作では、デンゼル・カリーのオリジナル曲のリリックをアップデイトした"Black Baloons Reprise"で"Ten et Tiwa"がサンプルされている。これがすぐ前の"yellow belly"と実はひとつづきに収録されているため、『Kuso』と『ファンタスティック・プラネット』が、本作においてつながりを見せているのだ。

そういった意味では『Flamagra』は映像的な作品ではないし、いわゆる総決算的な作品でもない。フライング・ロータスが、音楽家にとどまらず、映像作家としての創作活動にも踏み出したあとの2019年の作品だからこそ、この形に落ち着いたのだろう。本作はサントラ・アルバムではないものの、3分台以下の曲が20曲近く並ぶことは、サントラ・アルバム(厳密に言えば、スコア・アルバム)では、特に珍しいことではない。(小林雅明)

ビートと言葉で観る映画

最初に公開された“Fire Is Coming”と題されたトレイラー映像は、フライング・ロータスことスティーヴン・エリソンの音楽のMVというよりも、彼の頭の中のヴィジョンを具現化した映像作品のようだった。デイヴィッド・リンチをフィーチャーした同曲は、今作『Flamagra』において非常に重要な位置付けの楽曲だ。ここで披露されるデイヴィッドのスポークンワードを耳にしたとき、スティーヴンは自身の考えていたこととぴったり合いすぎて、信じられなかったという。あるいは、デイヴィッドが監督した『ロスト・ハイウェイ』(1997)のパーティのシーンでビル・プルマン演じる主人公が、自宅に電話をかけてくるミステリアスな男と対面し、電話越しと同じ言葉を聞くシーンのように、スティーヴンは狐につままれたような思いだったかもしれない。

しかしこのような視覚的イメージをまずアルバムのイントロダクションとして公開したことは、前作『You’re Dead!』(2014)から約5年もの間に、映画『KUSO』を制作し、ライヴの背景を3Dのヴィジョンで埋め尽くし、ひいては学生時代から映像に魅せられてきたスティーヴンにとっては、ごく自然な流れと言えるかもしれない。今作の制作中に「炎」が通底するテーマとなった結果、彼は頭の中に流れているというそれらのヴィジョンをより確かなものにするために、音楽だけではなく言葉を召喚した。全27曲でランニングタイムは1時間超の大作である本作は、錚々たるラッパーやシンガーの面々だけでなくナレーションも含めると、約半数の楽曲に言葉がフィーチャリングされている。

続いてMVが公開された、アンダーソン・パークのザラついたコーラスとライムをフィーチャーした浮遊するファンク“More”における覚醒し発火するソウルパワーや、ケンドリック・ラマーの『To Pimp A Butterfly』のオープニングでの共演を想起させられるジョージ・クリントンとのコズミック・ファンク“Burning Down The House”での燃え盛る炎のヴィジョン、ティエラ・ワック節が炸裂する“Yellow Belly”の燃え上がるウィアードなエロス、“Black Balloon Reprise”のデンゼル・カリーのライムに現れる発火する黒い風船のイメージ、そして前述の“Fire Is Coming”における地平線の向こうでうごめく赤オレンジ色の光など、「炎」を中心に据えながらも、スティーヴンとラッパーやシンガーたちが発信するヴィジョンは様々だ(是非日本盤の歌詞対訳も手に取って頂きたい)。『Flamagra』とは「Flame」+「agra」であり、「agra」は「痛みの発作」を意味する接尾語だ。このタイトルが示唆するように本作は、まさに発作のように突然やって来る数々のドリーム/ナイトメア的なヴィジョンで満ち溢れている。

だから、『Flamagra』について考えることは、ビートと言葉で観る映画について考えることだ。

原色で開花するポップさ

ではこのような視覚的ヴィジョンに満ちた、本作のサウンドはどのようなものなのだろう。27もの楽曲群は、後述するようにこれまでのフライロー・サウンドの特徴を留めながらも、ソウル、ファンク、ジャズ、ヒップホップ、プログレ、テクノとあらゆるジャンルの括りを超え、一言で「〜のようなサウンドに満ちたアルバム」と表現されるのを拒否するように、ほぼ1分、長くとも1分半ほどで展開し、表情を変えて行ってしまう。

しかしもちろん、本作の新しさを考える上での手がかりはある。まず先行公開された“Spontaneous”と“Takashi”の2曲の楽曲がそれだ。それらはいずれも“ポップ”という第一印象を受ける楽曲で、前者ではリトル・ドラゴンのユキミ・ナガノによるドリーミーな歌声が、後者ではアップリフティングな四つ打ちの電子ドラムのリズム、そして両者に共通する裏拍を刻むクラヴィネットのどこかチープなサウンド(本作で何度も顔を出す象徴的なサウンドでもある)と、キャッチ―なシンセのメロディラインが、いつになくカラフルな彩りをサウンドに与えている。
さらに、トロ・イ・モワのウェットなファルセットとドライなクラヴィネットが対比的な“9 Carrots”や、YMO的リフがリードするテクノポップ“All Spies”、裏打ちのクラヴィネットがリードするサンダーキャット色の強い“Debbie Is Depressed”など、同様のポップさが煌めく場面が散見される。

スティーヴンの楽曲が孕む「ポップさ」とは、実はいまに始まったことではない。たとえば彼のデビュー作『1983』(2006)の“Pet Monster Shotglass”には裏打ちのクラヴィネット的な音色が踊っているし、“Unexpected Delight”ではローラ・ダーリントンのドリーミーな歌声が溢れていた。あるいは、『Los Angeles』(2008)収録の“Riot”や『Cosmogramma』(2010)収録の“Nose Art”のような一聴してアバンギャルドで、ポップな要素とは無縁に思える楽曲においても、そのリズムパターンや音色、テクスチャーや楽曲構造には、常にスティーヴ流の独特のキャッチ―さが根を降ろしている。そのように、内側に籠るのではなく、外向きの前衛であるところが、彼が今の立ち位置を築き上げた理由のひとつではないだろうか。その外向きのキャッチーさが作曲面でも如何なく発揮されたのが、本作と言えるだろう。

バンド的=プログレ的アンサンブル

それらの楽曲は、これまでスティーヴンが探求してきたように、生楽器とエレクトロニクスの融合によって構築される。サンプラーやDAW上で打ち込みをループさせ1分間のトラックを作るのではなく、1分間パッドを手で叩き続けチョップされたドラムの単音を演奏するアプローチが、彼の初期の方法論の特徴のひとつだった。後述するようにその後、彼は多くのミュージシャンを招き入れ、生楽器の演奏を導入することになる。そして複数の異なる属性のサウンドを材料に、ジャズというキーワードの下、ひとつのビートを構築する彼の探求が始まる。

「複数の異なる属性」というのは、たとえば本作を埋め尽くすドラムのサウンドを見てみれば分かりやすいかもしれない。生ドラム、TR-808の電子ドラム、サンプラーを用いた単音の打ち込みドラムの3種類(スティーヴンはそれぞれが音の「小宇宙」をなしているという)が、楽曲によって、あるいはひとつの楽曲の中の展開に応じて次々とバトンタッチしながら、ときには重なり合いビートを刻んでいく。

これをドラム以外のサウンドにも当てはめてみれば、今作では、サンダーキャットのベース、ブランドン・コールマンの鍵盤、ミゲル・アトウッド・ファーガソンのストリングスを中心に、ハービー・ハンコックやオノシュンスケをも招いて演奏される生楽器のサウンド(今作では音楽理論の理解をさらに進めたスティーヴン自ら演奏するピアノも)、ハードウェアシンセを中心としたシンセのサウンド、そして両者のリサンプリングを含むあらゆるソースからのサンプリング音(突き詰めれば、何かしらの音が録音されたオーディオファイルの編集・利用と、サンプリング行為の境界は見えなくなる)が、ひとつのパレット上の大きく3種類に分類できる絵具として、楽曲を彩っていくのだ。しかし今作では、特に楽器演奏のサウンドの処理については、これまでと異なる特徴が見られる。

各楽器のサウンドは、過去作と比較すると、残響音などの加工が抑えられドライで輪郭がはっきりしている音作りのものも多い。個々の旋律を追いやすい分、バンドとしてのアンサンブルを意識させる音像となっている。さらにそのことによって、複数の楽器がユニゾンで演奏するフレーズのキャッチ―さも際立って聞こえる。過去作品では楽器ごとに別々に録音するスタイルが主流であったが、今作では文字通りバンドのように複数の演奏者がスティーヴンのスタジオに集まり、レコーディングすることもあったという。そのように構築された楽曲群はときに、スティーヴン流「プログレ」という言葉で表現したくなる瞬間を多く有している。ここでいう「プログレ」とは単にジャンルを指すだけではなく、彼の敬愛するプログレバンドのジェントル・ジャイアントのように、各メンバーの背景によりファンク、ヘヴィロック、室内楽、フリージャズが融合しプログレッシヴなフォームを形成してしまうことを指す。

たとえば疾走するドラムと追走するシンセリフが印象的な“Inside Your Home”から、これまでの「スペイシー」と呼ばれるようなフライロー・サウンド(エレピやシンセパッドの浮遊感のあるコードや電子音の高音アルペジオなどに深いリバーヴを組み合わせる)とは毛色が異なる、生ドラムのブレイクとギターとベースのユニゾンのリフで星雲の遥かを幻視させる“Andromeda”、そしてストリングスとピアノがリードするビートレスの小曲“Say Something”といった中盤の一角を成す流れがそれだ。

そしてこれらの楽曲にはどれも前述のキャッチーなメロディと、それを際立たせるハーモニーや曲展開を伴っている。本作の制作にあたりピアノを学び直したというスティーヴンは、改めて理論的に各楽器のアンサンブルや楽曲構成を意識し、そのことがポップさやバンド演奏らしさに結実しているのではないだろうか。

しかし前述の楽曲群には、これまでのフライロー・サウンドのトレードマークと言っても良いだろう、サイドチェインの効いたキックも、ノイズにまみれたシンセパッドも、16分音符のモタついたハットにリードされるヨレた打ち込みのブレイクも聞こえてこないのだ。

フライロー・サウンドの変遷

これはどういうことなのだろう。それを考えるために、これまでのフライロー・サウンドの変遷を少し見てみたい。かつてStones Throwでインターンとして働いた経験のあるスティーヴンだが、ピーナッツ・バター・ウルフにJディラのモノマネは要らないと指摘されたというエピソードが良く知られているかもしれない。Plug Researchからリリースされた『1983』(2006)のオープニングを飾るタイトルトラックは確かに、ディラ直系のヨレたブーンバップビートに、輪郭を若干はっきりさせたサイン波のベース、そしてディラが2000年以降に度々披露したシンセをサンプリングネタとしたビート群を思わせるものだった。しかし『1983』には実は、ヨレながら打つ16分音符のシェイカー、トライバル度の高いビートパターン、シンセやノイズのレイヤーを積み重ねていくコズミックなウワモノ構成など、この後彼のトレードマークとして発展していく要素を一通り認めることができる。Warpからの最初のリリースとなった『Reset EP』(2007)の“Massage Situation”においては、明らかにディラ・マナーで制作された前半に対して、後半ではスティーヴン流のブーミンなベース、リバーヴで空間性を強調しながら打たれるハットにつんのめるスネア、そこに重ねられるシンセのパッセージ、全体を束ねるキックに強くかけられたサイドチェインなどを披露し、それはディラからの影響を独自のスタイルに昇華するスティーヴンの宣言のようだった。


そしてここから、ポスト・Jディラという立ち位置から脱皮し、飛び立つように、彼の快進撃が始まる。『Los Angeles』(2008)において、まずは彼のレーベル名ともなる“Brainfeeder”と名付けられたオープニングは、ノイズにまみれたシンセのアンビエンスでビートレスのランドスケープを成立させた様は、彼がWarpレーベルの一角を背負う存在であることがはっきりと証明されるモメントだった。そこへ16分のハットと共に人力で入力されるヨレたグルーヴを伴いながら被ってくるクラップとサイドチェインの効いたキック、浮遊感あるシンセのパッドサウンド、フィルターが開いた唸るアナログシンセのベース、トライバルな打楽器群は、LAビートサウンドのひとつの雛形となり、多くのフォロワーを産むことになる。さらにスティーヴが本作で目論んだのは、スクラッチノイズと複数レイヤーのシンセを幾重にも重ね、さらに1~2分程度で次々と場面が切り替わっていくようなビート展開によって、ノイズの層をまとった要塞都市=LAという街の雑多性と目まぐるしさをそのままサウンドで示してみせることだった。

続く『Cosmogramma』(2010)ではオープニング開けの“Pickled!”から暴れまくるサンダーキャットのベースや、レベッカ・ラフによるハープ、ミゲル・アトウッド・ファーガソンによるストリングス、ラヴィ・コルトレーンによるサックスなど、生楽器を多くフィーチャーすることで、スティーヴンの出自へ回帰するように、一気にスピリチュアルなジャズの文法をも獲得する。しかし彼の試みは、いわゆる「ジャジーなビート」と呼ばれるような表現とは一線を画していた。ジャズを単にサンプリングとして扱うのではなく、方法論として用い、従来の「ジャジー」という形容詞を解体すること。『Until The Quiet Comes』(2012)でも引き継がれるように、洗練とは程遠い地点で、そのフリーキーなビートパターンやブロウするベースラインは一層鋭角になり、音圧を増した。そしてその歪んだサウンドと共に静と動、剛と柔のダイナミクスをより際立たせる手段として、ハープやストリングスが残響を多く含む静の空間性をもたらした。


『You’re Dead!』(2014)においては、4人のドラマーを起用し、ベース、ギター、エレピ、サックスといった生楽器群と、100%生演奏のジャズに見まがう場面も散見されるのだが、“Tesla”で聞かれる極端な音圧の生ドラムサウンドや、自由にフェードイン/フェードアウトする各パートの構成など(オープニングの“Theme”におけるパンニングしながら現れ、残響音を残しながら消えていくサックス!)は明らかにスティーヴ流の方法論が確立されている。また、それまでも複数のラッパーのプロデュースを行い、自身でもキャプテン・マーフィー名義でマイクを握るなどラップ表現を追求してきたものの、『You’re Dead!』ではフライング・ロータス名義のアルバムとして、ケンドリック・ラマーやスヌープ・ドッグを迎えラップの言葉と融合する世界観を聞かせるようになったのも特徴的だった。

飽くなきクリエイティヴィティの到達点

こうしてみるとアルバムのリリースの度に僕たちが目撃してきたのは、スティーヴンの自らのスタイルの革新に対する、飽くなき欲求だった。DJクラッシュやJディラからの衝撃を起点に、ヒップホップをベースにしたダウンテンポのインストビートによる表現から出発し、自らの出自であるコルトレーンの家系としてジャズと向き合い、しかし安易に「ジャジーな〜」とサブジャンルで括られるようなサウンドからは一線を画すため、いちから生楽器を素材にエッジの効いたテクスチャーやリズムを意識した楽曲制作に注力し、さらには作曲家、プロデューサー、あるいはバンドマスターとして表現の中で注力する範囲を拡大すること。楽器プレイヤーたちの演奏も、本人の手弾きのシンセやエレピも、パッドで入力するビート群も、打ち込みの電子音も、互いに混ざり合い、溶け合うレイヤーとして等しく扱うこと。そして頭の中を流れる視覚的ヴィジョンをも、映像や言葉で具現化し、音楽と並走させること。

『Flamagra』の27の楽曲群は、これまでの集大成のようでありながら、その多様性は、過去の自己作の単なる反復を拒み、自己の輪郭をはみ出していくような「なんでもあり」のクリエイティヴィティの懐を感じさせる。この「なんでもあり」感は、実は2010年にリリースされた『Cosmogramma』のわずか半年後にリリースされた裏名盤とも言えるEP『Pattern+Grid World』における、電子音が中心の自由奔放な実験性を想起させるものだ。アルバム本編とは別のEPだからこそ飛び込めた冒険的世界を、アルバムスケールまで広げること。

そして『Flamagra』の制作について、スティーヴン自らが、本作は「誰かがクリエイティブになるのを励ますようなものにしたい」と語っている。だから、冒頭で挙げたポップでドリーミーな楽曲群も、鳥や動物たちの鳴き声を背景に自然と戯れる“Pygmy”のトライバルさ、同じトライバルでもヴードゥーライクな“Actually Virtual”のイシュマエル・バトラーの呪術的なライム、チープな4ビート電子ジャズの“Heroes In A Half Shell”、生演奏ネタを背景に、キック、スネア、ハットが珍しく真直ぐにビートを刻む“FF4”、ソランジュの天上を志向するヴォーカルとダイナミクスを活かしたストリングスの絡みが劇的な“Land Of Honey”、深い残響音の霧の向こうでギターやベースが戦わせる“Thank U Malcolm”のプログレライクなライン等々、これまで以上のダイナミクスを誇る振れ幅は全て、この実験を恐れないクリエイティヴィティの表出のヴァリアントと言えるだろう。

そして本作に通底するドリーム/ナイトメアをもたらす「炎」の視覚的ヴィジョンは、歌詞の有無に限らず彼の個々のビートがそもそもヴィジョンを孕んでいることをも明らかにしている。それが自然なものであれ、人工的なものであれ、何かしらの映像=風景が見えるような音楽というのが、Warpというレーベルが代表するIDMのひとつの大きな特徴だと言ってもいいかもしれない。僕たちはベッドルームで、あるいは脳内で踊るために、「風景」を幻視する。目をつむり、あるいは開けながら、そこに眼差すのは、音がもたらすサウンドスケープだ。僕たちは、スティーヴンのクリエイティヴティが個々人に伝播するようなヴィジョンの感染を、いま、楽しむ幸福を手にしている。(吉田雅史)

Info

label: WARP RECORDS / BEAT RECORDS
artist: FLYING LOTUS
title: FLAMAGRA

日本先行リリース!
release: 2019.05.22 wed ON SALE

国内盤CD:BRC-595 ¥2,400+tax
初回盤紙ジャケット仕様
ボーナストラック追加収録 / 歌詞対訳・解説書付
(解説:吉田雅史/対談:若林恵 x 柳樂光隆)

国内盤CD+Tシャツセット:BRC-595T ¥5.500+tax
XXLサイズはBEATINK.COM限定

[ ご予約はこちら]
BEATINK.COM:
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http://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10234

TRACKLISTING
01. Heroes
02. Post Requisite
03. Heroes In A Half Shell
04. More feat. Anderson .Paak
05. Capillaries
06. Burning Down The House feat. George Clinton
07. Spontaneous feat. Little Dragon
08. Takashi
09. Pilgrim Side Eye
10. All Spies
11. Yellow Belly feat. Tierra Whack
12. Black Balloons Reprise feat. Denzel Curry
13. Fire Is Coming feat. David Lynch
14. Inside Your Home
15. Actually Virtual feat. Shabazz Palaces
16. Andromeda
17. Remind U
18. Say Something
19. Debbie Is Depressed
20. Find Your Own Way Home
21. The Climb feat. Thundercat
22. Pygmy
23. 9 Carrots feat. Toro y Moi
24. FF4
25. Land Of Honey feat. Solange
26. Thank U Malcolm
27. Hot Oct.
28. Quarantine (Bonus Track for Japan)

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