今夏大きなインパクトを与えたSUMMER SONICでのChance The Rapperの来日。彼の来日と共に地元シカゴのコミュニティーを形成するアーティストやファッション関係者なども同時期に日本に来ていたが、その中の1人にこれまでのChance The Rapperのミックステープなどのアートワークを手がけているBrandon Breauxがいた。
彼は来日時に東京・原宿のOKUで急遽展覧会『Come Together Tokyo』を開催、彼がテーマとしているメンタルヘルスに基づいた作品や、Chanceの最新シングルのアートワークなどを展示していた。
FNMNLでは彼のアーティストとしてのルーツやキャリアについて、なぜメンタルヘルスをテーマに活動しているのかについて話を聞いた。
取材・構成 : Tetsuro Wada
通訳 : Mari Ochiai
翻訳 : Kazuma Kobayashi
- 最初にアートやイラストに触れるきっかけになったのが、『エヴァンゲリオン』や『AKIRA』、村上隆だったとあなたについての記事で読みました。どういうところが魅力的だったのでしょうか?
Brandon Breaux - 最初俺は、いつも子供の時に目にしていたカートゥーンなどのメディアが、日本で作られて、描かれたもので、アニメになっていたことに気づいていなかった。早い時期から日本の影響や、子供向けのポピュラーなアニメーションの影響を受けているのは明らかだ。そこからもう少し大人になったときに、それらがどこから来たのか理解し始めた。俺はヒップホップと密接に関わってきたんだけど、そこではオーセンティシティ(Authenticity、正当性)が重要視されている。アニメのルーツをたどった時、全て日本に結びついた。
- 自分で絵を描き始めたのはいつですか?
Brandon Breaux - 絵を描き始めたのは、物心つく前からだ。自分がアーティストだった記憶しかない。母親が俺が自分ですら描いたの覚えてないような絵とかを取っておいてくれてる。俺が覚えてるのは5歳ぐらいの時からかな。ニンジャ・タートルズとかのカートゥーンと、あと自分の家族だ。家族の絵が最初だった。
- プロのアーティストとしてやっていこうというのはいつ頃から考えてましたか?
Brandon Breaux - なんとなく自分にできることだって分かってた。あと俺が絵ばかり描いてたから、周りの人たちがいつも「いつかアーティストになれば?」みたいに言ってたからかな。だからかなり前から、俺はきっと将来なにかしらアートに関わるっていうのは分かってた。高校に上がったときぐらいに、だんだん将来のこととか考え始めたときは、コミックにハマってたからコミック描きたいなって考えてた。その後もうちょっと成長して美術学校とかの存在を知ったときに、選択肢が増えた。それまでアーティストの存在なんて知らなかったからね。アートで食っている人なんて周りに住んでなかったから。
- 僕はBrandonさんの仕事を知ったのがChance The Rapperの作品なんですが、Chanceとの出会いはどんな感じだったんですか?
Brandon Breaux - 出会ったきっかけはシカゴの音楽コミュニティーがものすごくタイトで結びつきが強いだからだ。彼のマネージャーが俺の作品を知っていたんだよね。それ以前もアルバムカバーをいくつか手がけていて、そのうちの一つのアルバムカバー(Christian Ritchの『The Decadence』)をPharrellが見つけて拡散してくれたんだ。それで世界中の人々にそのアートワークが広まった。それが俺にとって初めて多くの人に目についた作品だった。それで当時誰もまだChanceのことなんて知らないときに、アルバムカバーを描いてほしいと頼まれた。それが初めてチャンスに会った時だった。電話したらあいつが俺が住んでるスタジオ付きの部屋に来たんだよね。そこで話を聞いて二つ返事で決まって、それからずっと一緒にやってるよ。
- 『ACID RAP』も『Coloring Book』もChanceの肖像画とともに、空とか星とか山とかがバックグラウンドにあるんですけどあれはどういう意味があるんですか?
Brandon Breaux - それは俺が自然に感謝している気持ちがあるからだ。同時にあれは宇宙と個人を表現する縮図でもある。俺たちそれぞれ個人の体はひとつの小宇宙であり、宇宙の縮図だ。その2つのリフレクションを反映している。宇宙ほどの広大さは、同時に個体の広大さでもある。それを関連付けたかった。
- Chanceが自然の中で調和できるような人間だからこそ、ああいう絵になってるんですかね。
Brandon Breaux - うーん。そうだけど、ただ自然の美しさがすばらしいってことだ。俺たちはそれに気づけないことが多い。だから都市に住み着いて、ノートパソコンに向かってばかりの生活だったりする。まわりの喧騒や妨害するもの(Distraction)が無い状態で彼のことを見てほしかったからあの絵にしたんだ。
- Distractionっていう言葉が出ましたけども、Brandonさんは今すごくメンタルヘルスの問題に取り組んでいますよね。メンタルヘルスを自分のテーマにしたのは、別のインタビューで述べていた通りお父さんの病気の経験が大きいんですか?
Brandon Breaux - そうだね父親の影響だ。気づいたときにはそれが人生の一部分になっていて。人はどれほど物事が自分に影響を与えているか説明できない時がある。それについて話すという行動が俺の人に共有する方法であり、自己表現でもある。人々はなかなか自身を表現しない。世界の一部であり人生経験の一部でありアイデンティティの一部でもある。俺たちの関係はメンタルヘルスや精神障害というレンズを通して確かに存在していたから俺はテーマに選んだんだ。それは自分にとっての恐怖だった。俺のアートの多くは、何かに対する極限の感情から作り出されたものが多い。俺は自分が精神病でおかしくなってしまうのが怖かった。俺がそれと直接向き合う一番の方法は、それを無視するんじゃなくて、それを叩き込んで実体化することだった。ものごとを外に吐き出す重要性を小さい頃から理解していたから。全部内側にしまいこんだままにするのは良くないって分かっていた。増大するからね。幸運なことに俺は絵描きだった。だから具現化して外にアウトプットする方法を持っていたし。機会も多かった。
- 最近ヒップホップの中でもメンタルヘルスの問題は取り上げられていますよね。たとえばYGも「人に言われて、自分はメンタルヘルスで病んでいることが分かった」と言っていたり。シカゴは特に環境も特別で、その問題に気づかないパターンっていうのが多いと思うんですが、どうでしょうか?
Brandon Breaux - そう思うよ。個人でいろいろな物事に取り組まなきゃいけない場面が多くて、考え直したり見返したりするプロセスの時間がない。たくさんのクリエイターがそれで苦しんでいる。クリエイターっていうのは社会の出来事などに自分をきちんとはめ込めない人たちだから。アーティストはいつも模索していて、立場だったり社会の構造がどうしても合わない。それと向き合ったり向き合うためにかかるコストに苦んでしまう。だからたくさんのアーティストは鬱などで苦しむ。自分たちがアーティストであると認識できるレベルまで、個人をもって行って表現する。たくさんのアーティストやミュージシャンは作品を出しながら気づけてない。友だちにも感情が爆発したりするやつがいる。できることをやるしかない。具体的なことは言えないけど。自殺のニュースだったり、内側の問題と強く向き合うみたいな話題は、昔はそれほど無かった。こういうことを俺が始めたばっかの時も、話題にする人は少なかった。そういうことなんだよ。こうやって話題にして話すことで感情を表に出せる。そうすれば誰かがそう感じた時に、自分だけがおかしいって思わなくなるし、孤独に感じなくなる。
- Brandonさんは自分の生まれ育ったシカゴについて強いこだわりというか、シカゴのコミュニティのためにというのをよく言っていますけど、今のBrandonさんから見たシカゴはどういう環境だと思いますか?すごいまだハードな環境なのか、たとえばカニエが「オバマはシカゴに対して何もしてくれなかった」みたいなことを言ってましたけど、そういう意見についてどう思いますか。
Brandon Breaux - やばい、政治的なトピックか(笑)OK。難しい質問だ。官僚制はまだ根強い。何か行動を起こすにはものすごい多くの味方が必要な場合が多い。隠れてどんなやりとりがされていたかわからないし、俺たちになにができたのかとか、現状どうなってしまったのかとかもわからないし。個人としてなにを優先するべきなのかもわからない。多くの人に影響を与える世界規模の問題か、または他のことか。だからわからない。もちろんちゃんと立場についてる人々には、俺ら個人とか、いま現状俺らのコミュニティで起こっている問題に目を向けてほしいけど。そういう意味では沢山の人が残念がっていたかも。でも俺は全てを目にしたわけじゃないし、判断できる資格のある人間じゃない。誰が何するべきだったとか何しないべきだったとかは言えない。今はシカゴで雇用を増やそうとしたり、新しく建物を建てて、雇用のためだったり新しいカルチャーを持ち込もうとしたり、オバマ大統領センターが建設中だったりしてくれてたりもする。だから難しい質問なんだ。俺が今以上のことを期待してたとは別に言えない。
- G Herboがチャンスはマイケル・ジョーダンよりシカゴに貢献してると言ってますが、Chanceがシカゴに対してしてきた活動だったりについてはどう考えていますか。
Brandon Breaux - 素晴らしいと思うよ。彼の活動は俺にも影響を与えたし、シカゴの多くの人に影響を与えた。あいつにはプラットフォームがあって、自分の立場から誠実に活動できてる。アイディアがあったら本当に行動に移す。そして人々に、それが誰にだって可能であることを証明した。シカゴの若いアーティストやクリエイターを導くいいお手本だと思う。彼のことは尊敬しているよ。
- BrandonさんがはじめたField Trip Projectも、シカゴのコミュニティのためにっていう思いで始めたのですか?
Brandon Breaux - Chanceがやっていることの一部だよ。博物館に行った時に思ったのが「これはすばらしいけど、もっと子どもたちに見せてあげるべきだ」ってことだった。そこから発展してあのプロジェクトを始めた。村上隆の作品とかを見せてあげたいよ。
- 今回の展覧会でも「日本人の4人に1人がなんらかの精神病に苦しんでいます」とステートメントを出してますよね。最初に日本に来たときと、いまの日本人の環境は違うと思いますか?
Brandon Breaux - 違いは感じたよ。カルチャーに変化を感じた。もちろんスタイルも変わった。シカゴで何が起こっているか気にする意識だったり、僕に対する受容性だったりも感じた。ただ前より知り合いが増えたからだけかもしれないし、なんともいえないな。前はただ窓から覗き込んでいるだけのような感覚だった。他のカルチャーをもっと受け入れたように感じる。広告塔に黒人とか他の人種のモデルが使われてたり。言いたいことわかるだろ?どんどん成長してる。インターネットですべて広がって。差別がなくなって統合された。簡単にいろいろアクセスできるようなったしね。
- 今飾ってあるこの新しいChanceの作品では、結構スタイルが変わってますよね。このスタイルはどうやってたどりついたんですか?
Brandon Breaux - 俺はアートのファンで、アートの歴史のファンでもある。ただのイラストレーターとかデザイナーではない。文脈をものすごく重要視する。だからたぶん、俺のゴールは可能な限り抽象的になることなんだと思う。音楽、特にヒップホップはリテラルで逐語的なんだよね。概念とかではないし、カバージャケットの絵と関連付けたりされない。だから俺はできるだけアート的でありたかった。抽象的に描くようになってから、もっと色々とできるようになった。形も色も。感情を呼び出すような色とかを使いたくて、全部削ぎ落として形と色だけに集中させた。参考にしたものは色々ある。抽象画、物事の解釈、完全に抽象的な概念とかね。そう、だから、形をもとにして描いてるるとこもあれば、完全に抽象的な概念に基づいて描いてるところもある。楽しかったよ。
- 日本でも多くの人が精神的な問題を抱えてると思うのですが、そういう人たちに対してのコメントをいただけますか?
Brandon Breaux - 愛してる人たちに話すことを恐れないでくれ。自分が本当はどういう気持ちなのか。もしかしたらその愛してる人たちが受け入れてくれない時もあるかもしれない。そういう場合は、相談用のコールセンターだったりちゃんと使えるサービスがあるから、本当に誰かに話したい時はそれも使おう。できるだけオープンでいて、愛して、好きな人に対して思いやりをもって。俺が伝えたいことはそれかな。あとは自己愛と自己管理は本当に重要だ。ただ、何かが重荷になって苦しむ気持ちは痛いほどわかる。俺らは皆その経験がある。それを切り抜けるには、愛している人たちとのコミュニケーションが不可欠で、そうすればすべてうまくいくよ。